2014年12月1日 (月)  TVの嘘 1

                   (前回からの続き)

NHKの時もそうでしたが、今回でもテレビの番組には、最初からある程度の骨組みとい
うか、「xxというテーマに沿った内容を」という原案があって、それに合わせて個々の話
を作り上げて行くようです。

そういう流れである事、そして時間的な制限がある以上、全てを細部に至るまで説明する
のは不可能ですし、ある程度脚色というか、嘘ではないけれど事実とも少し違うというよ
うな話が出来上るのは、仕方のないことなのかも知れません。

また、あちこちに散らばった、各々直接には関係のないたくさんの断片を、一つのテーマ
に沿った話として集め、辻褄が合うようにまとめて行く為、幾分の情報・印象操作という
か、「正確に言うならば真実ではないけれど、嘘とも言い切れない」とか、「積極的な嘘で
はないけれど、自分たちの意図する方向に視聴者を勘違いさせる」というようなテクニッ
クが使われるのも、許容範囲なのかも知れません。

具体的にどういうことなのか、私の場合を例にして、書いてみたいと思います。

まずは、「嘘とは言い切れないけれど、結果的に真実とは違った印象を与える」――と、
私には思える――場面です。

1,すごく簡単な例ですが、皆さんもご存知のように、東京−チューリッヒ間には直通便
があります。
ですから、私の家まで来るのに、あんなに時間は掛かりません。
番組ではオランダ経由でしたし、途中で2泊していましたので、54時間掛かっていまし
た。

ただ、オランダ経由の方が安いですし、のんびりと観光しながら何泊か掛けて、というの
ももちろん有りですから、あれはあれで良しだと思います。
このポイントは、「日本から何十時間も掛かる、すごく遠くの村」という印象を与えてしま
うことです。
まぁ、それが狙いなのかもしれませんが。

2,バブル期の話と一緒に映された2枚の写真は、どうでしょう?
確かに2枚とも私の写真ですし、当時はバブル期でしたし、私は毎晩飲んだくれていまし
たから、個々の情報は、嘘ではありません。
この3つの事実を組み合わせて作った映像を見て、皆さんの印象はどうでしたか?

では、もし私が次の事実を挙げたら、その印象は変わりますか?
・1枚目の写真は、友人の結婚式でのものです。
・2枚目の写真は、会社のクリスマス・パーティーでのものです。
・私はディスコに行った事がありません。

3,「1995年スイスのベルンに渡り、1998年結婚、2013年ダリンへ」というの
も、嘘ではありません。
ただ、ベルンからダリンの間が、すっぽり抜けているのです。

このサイトで私を知っている皆さんは、もうご存知ですよね、私が山の上に暮らして長い
ことを。
「周り中牛と山とで45人位しか人がいない」でも「そこがどういう訳か合った」村は、
友人の家があった隣の山だということを。
その環境が気に入り、家を建てるにあたって探した村が、ダリンだと。

まぁ、この話が抜けていても、番組的には全く問題ありませんし、それこそ決められた時
間内では、こんなもんでしょう。
ただ、田舎暮らしが「去年から」だというのと、もう「10年以上」だというのでは、印
象が全く違いますよね。
それとね、これは冒頭の円楽師匠の台詞にも繋がっているのですが、その話はまた後で。

4,日本は楽しい所だと言った後の「でも別にもう恋しくはないし、次いいかな」という
のも、間が抜けています。
あれは、「若い頃していたような、東京での娯楽は恋しくないか?」という質問の答えです。

あれは楽しかった「でも別にもう恋しくはないし」十分満喫したから、楽しみの段階とし
て「次いいかな」……が、全文です。
子供の時には子供の遊び、若い頃には若い人用の遊び、中年には中年のといった、遊び
の段階があるという話です。

番組を見ただけですと、私が「もう日本の生活は要らない」と言っているように、取れま
すよね。
はっきり言いますが、私は我が夫B氏が「みんつ、日本に戻ろう」と言ったら、この家は
速攻で売ります。
私達夫婦がスイスに留まっているのは、B氏の仕事上、カソリックの古い教会がたくさん
必要だからです。

日本が恋しいとは言いませんが、日本に戻れたら、それはそれで嬉しいのも事実です。

                   (次回に続く)

2014年12月11日 (木)  TVの嘘 2

                (前回からの続き)

前回は、軽目の「視聴者の受ける印象を操作する」例を上げましたが、今回は、もう少し
重大な「真実ではないけれど、話の辻褄を合わせる為に、情報を操作する」と、いう例を
お話ししようと思います。

私の「日本での結婚と離婚、そしてバリ島への旅行」に関する話は、はっきり言ってしま
うなら、事実ではありません。

テレビでは、「バブルが弾け、28才独身という現実を突き付けられた私は、売れ残りとい
う女としての負け組にならないよう、世の流れに乗って結婚したが、満たされず離婚。そ
して、肩身の狭い日本を離れバリ島へ」という話になっていました。
これは、全く違います。

事実はこうです。

2回も結婚しているので説得力はないかも知れませんが、私には、現在に至るまで、一瞬
たりとも結婚願望があったことは、ありません。
28才当時の私は、「そろそろ真面目に資格でも取って、お金を貯めて、1LDKのマンシ
ョンでも買って、猫を2匹飼って、一生気ままに一人暮らしをしよう」と考えていました。
男性との恋愛は、お互いに責任のない、楽しい付き合い程度が良い、と思っていました。

では、何故結婚したのか?

ぶっちゃけた話、その当時付き合っていた男性に、猛烈なプロポーズをされたからです。
「結婚できないなら別れる」と言われた私は、「じゃぁ、一生同棲はどう?」とも聞いたの
ですが、彼は「結婚か別れ」の選択肢しか私にくれませんでしたので、結婚になりました。

当然の話ですが、私たちは当時、ちゃんと恋愛していましたので、別れるという考えは有
りませんでした。
ですから、番組で放送したような、「売れ残りたくない」とか「世の流れに乗って」とかい
う話は、嘘です。

当時「25才のクリスマス・ケーキ」の話はありましたが――25日以降のクリスマス・
ケーキは誰も欲しがらない、を女性の年齢に例えたもの――「勝ち組・負け組」の価値観
は、まだありませんでした。
私の周りではそろそろ「結婚は30才を過ぎてからで良い」という風で、当時の友人達は、
男女とも全員未婚でしたし。

ちなみに私は、勝ち負けの価値観を人生に持ち込むのは、愚かだと思っています。
追求すべきは幸福であって、勝ち負けじゃぁない。
自分の人生の価値を他人との比較で判断すると、悪循環に陥ることになりますから。

離婚理由に関しては、ここでは詳しく書きませんが、私たちの間には、いわゆる「婚姻を
継続し難い重大な事由」というやつがありました。
また、私の育った場所は都会の新興住宅地ですから、近所にはそういった家庭もありまし
たし、離婚して肩身が狭いというようなことは、なかったと思います。

ですから、バリ島に行ったのは、肩身の狭い日本を離れたかったのではなく、随分前にこ
の日記でも書きましたが、単に「友人に誘われたから」です。
この辺もまた、番組冒頭の円楽師匠の台詞に繋がりますが、それは後ほど。

もう一度言いますが、私は元夫とごく普通に恋愛をし、結婚し、残念ながら上手く行かず
に離婚し、たまたま友人に誘われてバリ島に行き、今の夫となるスイス人と出会った、と
いうのが真実です。
これは、私と関わったテレビのスタッフにも、離婚理由を含め、全て正直に話してありま
した。

では何故、番組では違う話を作り上げたのでしょう?

                 (次回に続く)

2014年12月19日 (金)  TVの嘘 3

                (前回からの続き)

実は私、今回の出演に関して、一つだけ条件を出したのです。
それは、「離婚理由に関して、一切触れない」でした。
そしてこれが、割と難しかったようなのです。

というのも、スタッフの方は私の人生を組み立てるにあたって、離婚理由を明確にしない
と、私自身が悪く思われてしまうのではないか、と心配して下さったのです。
そして何度も話し合った結果、「それでも構わないから、理由は言わないで欲しい」と、私
が望んだのです。

離婚の理由を話すのは、私個人としては、全く問題ありません。
ただ、それをテレビやインター・ネットのような「不特定多数の人間に向かって、公の場
で一方的に」というのは、避けたいのです。
私自信は、こんな遠い国に来て生活していますから、誰がどう思おうが、まぁ、屁でもあ
りません。
しかし、相手もそうだとは限りません。

離婚後連絡を全く取っていませんので、実際のところは知りませんが、多分彼は、今も日
本で生活をしているでしょうし、新しい家庭を持っているかも知れません。
子供だって、ひょっとしたらいるかも知れません。
また、知人や親戚、ご近所などとも交流があるでしょう。
そういう人たちの前で面子を潰されるのでは、今後の生活がやり難くなるでしょうし、や
はり不快だと思うのです。

上手く行かなかったとはいえ、一度は縁があって、結婚までした相手ですから、大人とし
て最低限の義理というか、あまり酷いことはしたくないのです。
彼が離婚後どんな生活を送っていようが、正直なところ、全く興味はありませんが、少な
くとも、公の場で一方的に避難するような状況を作るというのは、イキじゃぁないと、私
は思うのです。

というわけで、離婚の理由に触れず、しかし不自然でないように話をまとめた結果が、あ
あなのだと思います。
その事について私は、何も聞いていませんので――どんな話が出来上るのかは、私も送
られたDVDで初めて見ましたので――番組制作をした人達の真意は分りませんが、想像
するに、そういうところだったのではないかと思います。
だってね、ちゃんと恋愛して結婚したとなると、「じゃぁ、何で離婚?」ってなっちゃいま
すよね?

ですから私も、厳密に言えばこれは嘘だけど、「テレビ的には、まぁ、いっか」と思ってい
るのです。
私自身「最終的に私が悪者ということになったとしても、それはそれで構わないので、適
当に上手くやって下さい」と言いましたし。
ただね、最初に言ったように、このサイトに来て下さる方には、本当のところを知って欲
しいと思うので、この日記を書いているわけです。

私は、マスメディアによるこういう情報・印象操作は、日々行なわれていると考えていま
す。
そしてそれは、娯楽番組だけではなく、ニュースなどでも行なわれていると感じています。
日本をスイスから見ていて、もしくは日本人としてスイスにいて、そういう場面を見るこ
とは少なくありません。
それは、よりセンセーショナルにして読者、視聴者の興味を惹くためだったり、番組を面
白可笑しく見せる為だったり、場合によっては単なる無知、情報収集不足が原因だったり
するのだと思います。

例えばこちらのテレビで、日本に関する全く間違った情報や、どう考えても誤解を生むだ
ろうと思えるような映像が流されていることは、良くあることです。
私は日本人ですし、こちらの人がどういうものの考え方をするかもある程度分かっていま
すので、「あぁ、こういう情報・印象操作は危険だな」と思うことも多々あります。
日本が流すこちらの情報を見て、同じ様な印象を受けることも、やはり度々あります。

ある人が別の人に何かを伝えるとき、完全なる中立というのは、私は、有り得ないと思っ
ています。
簡単な話、その人の生まれ育った背景や現在の生活が思想に反映されるのは、避けら
れないと思うのです。
中立な報道をしようと心がけている=中立、ではないと思うのです。
でも、それでも何かを発信するのは、大事ですし、必要なことでもあります。
ですから、私たち受け取る側の意識が、大切になると考えています。

何か未知なものに触れたとき、「それは真実の一部ではあるかも知れないけれど、全部で
はないだろう」という考えは、私がスイス生活で学んだ最大のものです。
いつも「ほんの少し疑う」もしくは「他の考えが入り込む隙間を少し開けておく」という
癖は、私が物事を理解する上で、大きな力になっていると思います。
で、そんなことを少しでも話せたらなと思って、このサイトをやっているわけですが。

……まぁね、いい年をした大人になって分かるのは、結局、自分が如何に分かっていない
か、って事なんじゃないかなぁと。

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