2012年3月16日 (金)  報われた忍耐 2

                〜前回からの続き〜

退かしたそばから、目の前で積み上げられる雪を見て、私は思いました。
「奴らは阿呆なのか? 否、ひょっとしてこれは、何かの嫌がらせなのか?」と。

除雪車の前に着いている( ←こいつの向きを反対にして、雪を公道の駐車場でない側に積み上げるということは、出来ないものでしょうか?
もしくは、ショベル・カーがちょこっと寄り道をして、その雪を持って行ってくれたら、事は簡単に済むのではないでしょうか?

しかし、ここはスイスです。
そんな気の利いたことは、起こりません。

なぜなら、スイス人はこう考えるからです。
自分がすべき仕事は、村の公道の除雪であって、個人の駐車場は含まれない。
何処かの国の最近の傾向、マニュアル至上主義と同様で、スイス人は融通が利かないのです。

もしくは、こんな風にも考えます。
ここは男女平等の国。
「男にできることは女にもできる」と、女性たちは常に主張し、男性が頼まれてもいないのに手伝うのは、彼女達の能力を認めていないことだと取られる。
親切心を出して、「要らぬお節介だ」と怒られるのでは、かなわない。

もしくはもっと簡単に、スイス人同士ではお互いに手伝い合う習慣がない、というだけのことでしょう。
「一度してしまったら、この次からもそれをしなければいけなくなるかも」とか「こちらが何かをしたら、相手もお返しをしないといけなくなると考えて、負担になるかも」などと考え、結果的に何も出来なくなってしまうのです。

或いは、こんな考えもあります。
自分の利益にならないことは、指一本動かしたくない。

「はぁ、気軽に腹を立てるには、私はスイスに長居し過ぎたな」
そんな風に独りごちながら私は、我が家の駐車場に積み上げられていく雪を、毎回黙って片付けていました。
否、それどころか私は、大きな作業車で通りすぎる彼らに、笑顔すら送っていました。

ま、これは私の作戦ですけどね。
上手く行くかどうかは分りませんが、こういう小さな村の中で、私が思い付く最善の策は、文句も言わずに淡々とやり続ける、です。
彼らの目の前で、敢えて、無駄と思われる作業を快くし続けることです。

そんなことが何度も続いたある日、遂にそれは起こりました。

その日、除雪車を運転していたのは、私の知らない男性でした。
50代後半かもう少し上でしょうか、見るからに酪農家といった感じの男性が、駐車場の中に立っている私に向かって、除雪車を走らせて来たのです。

彼の意図を察した私が、後ろに下がって場所を空けると、除雪車は駐車場入り口に溜った雪を、がぁ〜っと隅に押しやりました。
「ありがとう!!」
親指を立てて喜んで見せる私に微笑みながら、彼は除雪車をバックさせると、もう一度前進して、残りの雪を隅に押し固めました。

たった2かきで、我が家の駐車場入り口に積み上げられていた雪だけでなく、地面に張り付いて凍ってしまっていた雪の固まりまでもが、綺麗に無くなりました。

そして彼は、運転席で片手をさっと上げると、何も言わずに去って行きました。
「なんだよぉ〜、シェーンみたいじゃないかよぉ〜」
やはりこういう事が抵抗なく出来るのは、男女の役割がまだはっきりしていた世代、男がぴかぴかの気障でいられた世代の男性ですね。

「ふふふふ、まだたった1人だけど、それでも嬉しいなぁ」
この日の私は、作戦のほんの小さな成果に満足して、部屋に戻りました。

                〜次回に続く〜

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