2010年7月1日 (木)  捨てる神あれば拾う神あり 2

               〜前回からの続き〜

さて、中年女性に追い立てられて、一頭の牛が私の畑へと向かって来たわけですが……

ただね、この時点でも牛は、まだゆっくりと歩いていたのです。
彼女が落ち着いて静かに対処すれば、牛は問題なく帰って行くはずです。
少なくとも私には、そう思えました。

ところがそう、ところが、なのです。

何か事が思い通りに運ばなかった時、スイス女性というのは、鷹揚に構えて対策を練るということが出来ません。
彼女らはすぐに感情を高ぶらせ、我を見失うというか、ヒステリックな状態になります。

この時の彼女も、そうであったのかも知れません。
私の畑へゆっくりと向かって来る牛を連れ戻すどころか、更に後ろから追い立てています。
こうなると牛は、本人の意志にかかわらず、畑の中に入るしかありませんよね。
元の道に戻りたくても、そこでは叫びながら棒を振り回している女性が、自分に向かって走って来るのですから。

「いよいよまずいな」
そう思った私は腰を上げると、畑の入り口まで行き、牛をなだめようとしました。
上手く行けば私が、牛の向きを変えられるかも知れない、そうなれば自動的に元の道へ戻るかも知れないと、思ったのです。

たった一冬だけですが、私は牛舎で働いたことがあるので、牛が人間と関係を築けることを知っています。
鼻面を撫でてもらい、その手を舐めるのが好きな牛は、たくさんいます。
私もそうしようと思い、手を差し出しました。

が、……そう、ここでも、が、なのです。

例の女性が走って来るのです。
動物の立場からすれば、棒を振り回している人間が走って近付いて来れば、逃げざるを得ませんよね。
その牛は、ゆっくりと私の脇に鼻面を入れると、前進し始めました。

私の畑の入り口には、そこそこ重くて大きな扉が付いているのですが、運悪く私は、その扉の支柱と牛の間に挟まれる格好になってしまいました。
支柱は、そんな扉を支えられるぐらいの太い丸太で、地面に埋め込まれています。

咄嗟に私は、身の危険を感じました。
もし支柱が頑丈に固定されていたら、地中にセメントなんかが流されていたら、700〜800kgもあるような牛に押し潰されて、私は肋骨を折ってしまうとか、最悪の場合内臓破裂とかになってしまうかも知れません。
実は、転んだ牛の下敷きになって、内臓破裂で死亡などということは、たまにあるのです。

否、そこまで行かなくても、狭い空間を牛が通るのですから、私のつま先を踏んでしまうかも知れません。
そうなれば人間なんかの足の指は、簡単に骨折です。
「どうにかして、この状況を脱しなければ」

そう焦った瞬間、私の背中にあった支柱が、ゆっくりと傾き出しました。
はい、幸運にも支柱は、緩くしか固定されていなかったのです。
私は、背後に身をひねるようにして、牛と支柱の間から逃げ出しました。
「あぁ、助かった」
正直なところ私は、心底ホッとしました。

牛が畑を荒らしたとしても、そこは趣味の畑ですからやり直せば良いだけで、大したことではありません。
何かが壊されてしまったとしても――実際支柱は傾いてしまいましたし――物はまた買えば良いのです。
怪我がなかったのですから、全ては笑い話です。

ところが、側に来た彼女は、いきなり私を怒鳴りつけました。
「牛を止めなきゃ駄目じゃない!」

……えぇぇぇぇぇぇっ!!!

                  〜次回に続く〜

2010年7月7日 (水)  捨てる神あれば拾う神あり 3

                 〜前回からの続き〜

「牛を止めなきゃ駄目じゃない!」

ええっ? 
私、牛に潰されかけたんですけど?!
それなのにあんたは、「命を犠牲にしても、身体を張って牛を止めろ」と?!!
否、否、否、無理ですから。

「貴方、今見ていたでしょう。私は牛を止めようとしたけど、上手く行かなかったのを。私が牛に潰されかけたのを。私は大怪我していたかも知れないのに、これ以上どうしろって言うの?」
そう言う私を、相変わらず彼女は怒鳴り付けます。
「あんたは牛を止めるべきだったのよ!」

私ね、普段から随分我慢しているんですよ。
この辺の人達は皆田舎の人だから、何も考えずに、失礼な物の言い方をしたりするんです。

でもね、「美しい言葉遣いをしよう」とか「礼儀正しい態度でいよう」などという意識は、親からきちんとそういうことを教わっていなかったり、自分を取り巻く環境がそういう状況になかったりすれば、自然に身に付く物ではないと思うのです。
ですから、村の人達がある程度ぶっきらぼうな言葉遣いをすることに関して私は、「彼らに悪気はないんだ」と大目に見ているのです。

が、この女性は酷すぎます。

まず、私は彼女を知りません。
それなのに第一声で、怒鳴り付けられたのです。
私、れっきとした大人ですよ。

第二に、私は牛に潰されかけました。
それなのに、「大丈夫?」の一言もなく、いきなり文句です。

第三に、牛は彼女の牛で、彼女が勝手に追いかけ回しているのです。
私が彼女を手伝わなければいけない理由や義務は、全くありません。
それなのに彼女は、「牛を止めるべきだった」と、私を責めているのです。

第四に、私の畑は牛に荒らされているのですが、その事に関して私は、何一つ彼女を責めてはいません。
動物のすることですから、何もかも人間が管理できるとは思いませんし、田舎に住んでいれば、そんなことがあるのも愛嬌です。
以前、我が家の玄関の中に牛が入っていた時も、私は笑って写真を撮っただけです。
それなのに彼女は、「ごめんなさいね」どころか、「あんたのせいで牛が畑に入った」と言うのです。

そして何より酷いのは、彼女が私を怒鳴るのを止めないことです。
私の畑で牛を追いかけ回しながら彼女は、まだ私に「何で牛を止めなかったんだ」と怒鳴っているのです。
誤解がないように言っておきますが、彼女は大きな声を出しているのではなく、「牛が畑に入ったのは私のせいだ」と、怒鳴りながら私に文句を言っているのです。

私は最後通告のつもりで、もう一度言いました。
「貴方は私が牛を止めようとして、潰されかけたのを見たはずよ。それなのにその言い方は、幾ら何でも厚かましいわ」

スイス人はこの「厚かましい(frech:フレッヒ)」という言葉に敏感ですから、私はわざとこの言葉を使いました。
この言葉にどきっとして、怒鳴るのを止めると思ったからです。

しかし彼女は違いました。
「あんたが牛を止めるべきだったのよ!」

後から思い返すと「私って意外に語学の才能があるかも」なんて皮肉な笑いが出ますが、この時の私は、考えるよりも先に言葉が溢れ出ました。
プチッとスイッチが入ってしまったのですね。

私は、彼女の怒鳴り声をかき消すほどの大声で、テレビだったら「ピー、ピー、ピー」としか放送できない言葉を吐きました。

                     〜次回に続く〜

2010年7月13日 (火)  捨てる神あれば拾う神あり 4

                〜前回からの続き〜

「とにかくこの女を黙らせたい」
そうは思うものの、目の前でキーキ−騒ぎ立てる彼女の声を聞かずに済むには、こちらも大声で怒鳴り続ける以外、何も出来ません。

私は、こういう実のない争いは、本当に嫌なのです。
自分が攻撃的な性格なのは分っていますから、普段から出来るだけ怒らないように、もし怒ってしまったとしても、静かに理性的に振る舞うようにと、心がけているのに。

しかし彼女は、一向に怒鳴るのを止めようとしません。
こういう人って、一体何なんでしょうね?

「牛を連れてさっさと出ていけ! このばか女が!!」
私がそう怒鳴った時、何かがそっと手に触れました。
犬です。
彼女の牧羊犬が、私に撫でてくれと尻尾を振っています。
ね、飼い主が駄目だと、犬も働かないのです。

さて、そうこうしている間に、やっと牛が畑から出て行きました。
もちろん私の畑は、牛に踏まれてあちこち穴が開いていますが、彼女は「ごめんなさいね」どころか、最後の最後まで私に文句を垂れながら、帰って行きました。

文字通り怒りでわなわなと震えていた私は、やりかけの畑仕事を放り出し、部屋に入りました。
そのまま続けていても不快なだけですから、一旦頭を冷やすことにしたのです。

「もう嫌! バカばっかりだ、この国は!」
部屋の中を言ったり来たりしながら、数分間そう呟き続けた後、私は思いました。
「あ〜ぁ、やっちゃった」

そうです、この村の住人は、皆大抵家族だの親戚だのといった繋がりがありますから、あの女性は、絶対に私の知っている誰かの身内なわけです。
「こりゃ、あっという間に村全体へ話が広がるな」
多分、可成り大きな尾ひれも付くでしょうし、その尾ひれは、私に対して善意的なものではないでしょう。

「今まであれだけ頑張って、もめないようにして来たのになぁ」
そう思う反面、私の中に何かスッキリとした気持ちがあるのも、事実です。
「もう、いっか。全面戦争でもなんでも、やるならやったる!」
こういう時、私の様に完全なよそ者には、一つ大きな強みがあります。
しがらみが全くないのですから、最悪の事態になっても、ただ引っ越せば良いだけだということです。

「もう、良いい人キャンペーンは終了!!」
腹を括った私は、夫B氏に電話をして、起こったことを報告しました。
そして、こう付け加えました。
「ごめんね、今まで頑張ってみたけど、これ以上は無理だわ。今後何かあったら、私はもう甘い顔はしないから。B氏にとばっちりが行くかも知れないけど、あんな女の味方に付く奴らとは、喧嘩上等だから。最悪引っ越しも覚悟しておいて」

ところが、そう、ところがなのです。
その後何日経っても、私の生活に支障は、全くきたさないのです。
そ、何も起こらないのです。

ただ私の畑に牛の足跡が幾つか残っただけで――何かあった時の為、暫くの間私は、証拠として足跡を消さずにいました――静かな日々が流れて行くのです。
もちろんあの女性は、その後謝りに来たりもしていませんが。

スイス人というのは、喧嘩が出来ない人種です。
失礼な態度で相手を不愉快にするのは得意なようですが、いざ面と向かって勝負となると、土俵にすら上がって来ないのです。
「迷える仔羊達よ」とは上手く言ったもので、この国では、強引に先頭を走った者が勝ちなのです。
羊は、闇雲に先頭に付いて行く動物ですからね。

「ふーん、やっぱりそんなもんか。ケツ、捲っても大丈夫じゃん。今後は、奴らが礼儀正しい態度ならこっちも、そうでなければそれなりに、で行こう。もう、みんなに優しくはしない!」

そう決意し、私は、再びいつも通りの日々を過ごし始めました。

                〜次回に続く〜

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