2008年9月2日 (火)  猫騒動 3

                〜前回からの続き〜

そのまた2〜3日後の事です。

C氏の具合を見ていた私は、その日、思わずこう呟きました。
「げっ、駄目だこりゃ」

昨日までは涙だったC氏の目から、今日は目やにというか、黄色い膿の様な物がばっちり出ています。
デビルマンのラインが、黄色に変わったのです。
ええ、そうですね、これはもう、普通に医者に連れて行きますよね。

ですから私は、家の呼び鈴を押し、出て来たお婆ちゃんに言いました。
「C氏、酷くなっています。黄色いのが出ていますから、B氏が仕事から戻ったらで良ければ、私達が医者に連れて行きますけど?」

私がこういう言い方をする理由は、お婆ちゃんの娘達二人が、車でそれぞれ週に1度やって来るからです。
彼女達のどちらかに頼めば、B氏を待つより早いでしょうし、昼間、獣医の診療時間内に、C氏を連れて行く事が出来るからです。
その上、単なる隣人である私に頼むより、気軽ですよね?

ところがお婆ちゃんは、こう言います。
「カモミール茶で目を拭いてやれば、大丈夫よ」

普段ずっと外にいるC氏を捕まえて、日に何回かお茶で目を拭いてやるのは、しかも、それを何日間も続けるのは、果たして獣医に連れて行くよりも、簡単且つ効果的でしょうか?
目から黄色い物が出ているとなると、何処かが炎症を起こしている可能性もありますよね?
抗生物質のような物が必要かも知れない、とは考えないのでしょうか?
否、もっと極端な話をするなら、最近は物騒な病気もありますし、村の他の猫達への感染とか、ひいては人間への影響とか、考えないのでしょうか?

「検査をして、場合によっては、薬を与えた方が早いのでは?」
そう言う私にお婆ちゃんは、「みんつは大騒ぎしすぎよ」とでもいう風です。
「とりあえずお茶で拭くから、医者はいいわ」

C氏は私の猫ではありませんから、これ以上は何も言えません。
仕方がありませんから、私は、お決まりの文句をもう一度言います。

「じゃぁ、もう少し様子を見て、それでも良くならない様なら、獣医に連れて行きましょう。B氏が帰宅した後なら車がありますので、私達が連れて行った方が良ければ、そう言って下さい」

しかし、この時点で私の気持ちは、やはり、あまり良いものだとは言えませんでした。

何故自分の飼い猫が病気なのに、獣医に連れて行かないのか?
その獣医は、無料なのに。
そこへ連れて行く足も、私達夫婦が買って出ているのに。
お婆ちゃんがする事は、ただ一度電話を掛けて、獣医に予約を入れるだけなのに。

さて、私は、どうしましょう?

                    〜次回に続く〜

2008年9月5日 (金)  猫騒動 4

                〜前回からの続き〜

C氏が私の猫、もしくは捕まえる事が出来る野良猫なら、迷わず獣医に診せます。
私は、もう1匹猫がいても良いと思っていますから、多分面倒を見て、その後はうちの子になると思います。

C氏が我が家に来る事もなく、飼い主も私の全く知らない人なら、可哀想ではありますが放って置きます。
他所の猫だと分っていて、道で見かける程度なら、一瞬心は痛むでしょうが、正直な話、私は何もしないと思います。

問題なのは、C氏が我が家に毎日来、その飼い主は私とかなり頻繁な交流があり、しかも自力では猫を獣医に連れて行けない老人である事です。
どの程度干渉すべきで、どの程度放って置くべきか、その見極めが難しいのです。

その後もお婆ちゃんを見る度に私は、C氏の話をし、「獣医に診せませんか?」と聞いてはいましたが、お婆ちゃんは一向に、その気にならない様でした。

そんな風にして、お婆ちゃんのゴー・サインを待ちつつも何も出来ず、2週間ほどたったある晩です。
C氏の深夜の訪問で起こされた私は、また、ある事に気付きました。

はい、今度は鼻です。
餌を食べに来たC氏、鼻が詰っている様で、ふがふが音を立てているのです。
その上餌自体は、ほんの数粒カリカリを食べただけです。

「弱っているのかな?」
懐中電灯の先に映るC氏を見ながら、私はいよいよ嫌な気分になって来ました。
そう、簡単な話、罪悪感です。

餌を食べ終わったC氏はというと、いつもの様に帰りはせず、そこに座ったままふがふがと音を立てています。
「良いよ、今夜はうちで寝な」
暗闇の中で私はC氏をそっと撫でると、翌日お婆ちゃんと再度話し合う決心をしました。

「お婆ちゃん、今度はC氏、鼻も詰ったみたいですよ。私が気付いてからでも、もう2週間は経つけど、一向に良くなる気配がないから、獣医に診せた方が良いですよ」
翌日、この日は私の方から、外にいるお婆ちゃんを確かめて、話に行きました。

しかし、お婆ちゃんは相変わらずです。
「あら、でも私はお茶で拭いてやっているし、大した病気じゃないと思うから、大丈夫。その内自然に治るわよ。xxさんちの猫も目やにが出ているらしいけど、獣医には診せていないって言っていたわ」
「でも、あのままじゃ可哀想でしょう?」
「前より餌も食べるし、良くなっているから」

これ以上は、もう何も言えませんよね?
たとえ私の目から見て、C氏の具合が全然良くなっていないとしても、飼い主にその気がないのでは、どうにも出来ませんよね。

……可哀想じゃないか。でも、私の猫ではない。じゃ、見捨てるのか。いや、私に出来る事はしたし、後は飼い主の判断に任せるしかない。でも……

そんな風にして、私は、悶々とした数日を過ごしました。

               〜次回に続く〜

2008年9月9日 (火)  猫騒動 5

              〜前回からの続き〜

その後も、C氏は我が家に来れば、そこら中でくしゃみをしますし、鼻から息が出来ないので、(気のせいかも知れませんが)何となく動きも鈍い感じです。

私は、だんだん見て見ぬ振りをしているのが、辛くなって来たと同時に、腹が立って来ました。
「自分の飼い猫が辛い思いをしているのに、お婆ちゃんは、何故獣医に診せないんだ?!」

もちろん頭では、私が腹を立てる筋合いでない事は、分っています。
最終的に責任を取るのは、飼い主のお婆ちゃんであって、私ではありません。
気の毒ではあるけれど、これはC氏の運命です。
でも、私は腹が立つのです。

それと同時に、お婆ちゃんの問題意識の低さにも、少々違和を感じました。
もしC氏が、何かたちの悪い感染症にかかっていたら?
大袈裟な想像かも知れませんが、例えは、鳥インフルエンザの様なものは?
村中の猫に感染して、ひいては人間にも、という可能性があるかも知れない病気の場合、早い内に獣医に知らせていれば、被害は最小限で済みますよね。

まぁ、2週間が経っても、我が家の猫は感染していない様子ですから、実際にその心配はないでしょうが、「そんな事もあるかも知れないから、大事を取って置こう」という様な、社会に対するある程度の責任感みたいなものが、こういう村では希薄である事に、私はいささか違和を感じたのです。

そんな事を毎日考え、一向に良くなっていないC氏を見ていた私は、だんだんこんな風に感じる様になりました。
「お婆ちゃんとさえ関わらなければ、こんな面倒な事は、考えないで済むのに。引っ越ししようかな」
もしくは、こんな風に。
「いっその事、勝手にC氏を獣医に連れて行こうか」

どちらもその場しのぎで、解決策ではありませんよね。
ですから私は、もう一度冷静に、自分の頭の中を整理する事にしました。

                〜次回に続く〜

2008年9月11日 (木)  猫騒動 6

                 〜前回からの続き〜

正しい答えは、多分、「C氏を私の部屋に入れるのも、餌を与えるのも止め、お婆ちゃんの好きにさせる」でしょう。

そうすればお婆ちゃんにも、C氏の状態がより理解出来るでしょうし、万一の事があっても、真っ先に被害を受けるのは、飼い主である彼女自身です。
所詮他所の家の猫ですから、私には関係のない事です。

しかし、正しい答えがいつも皆にとって幸せかといえば、私は、そうでない時もあると考えます。

例えば、お婆ちゃんに聞かず、勝手にC氏を獣医に連れて行ってしまえば、C氏は楽になりますし、私もホッとします。
お婆ちゃんにしても、多少おかしな感じがするかも知れませんが、不満という程でもないでしょう。

でも、このやり方では、私達がこの部屋から引っ越したら、どうしましょう?
色々と考えた末、私は、やはり最初の選択肢を選ぶ事にしました。
ただし、もう一度だけ話し合って駄目なら、という条件で。

次の朝早く、私は意を決して、お婆ちゃんの家のチャイムを鳴らしました。

「私、今日ちょうど町に行く予定が出来たんです。C氏の具合、3週間近く経つのに全然良くなっていなから、ついでに獣医に連れて行きましょうか? 今日なら私、C氏を行きに獣医に預けて、町で用事を済ませて、帰りに引き取って来られますけど」

それに対するお婆ちゃんの答えは、私にとっては、如何にもスイス人らしいものでした。
「みんつがそうしたいなら、良いわよ」
「あんたの猫だろうが!」という言葉をぐっと呑み込むと、私は言いました。
「はい、是非そうしたいです」

「みんつがいて、C氏は幸運ね。私だけじゃ、病気でも放って置かれるものね」
「じゃ、夕方の5時ぐらいに、獣医の予約を入れて下さい。即アポじゃ無理かも知れないけど、今電話して夕方の予約なら、何とかなるかも知れないし。夕方、4時過ぎに猫の籠を持って来ますから、よろしくお願いします」

「あら、電話を入れた方が良いかしら?」
「その獣医の電話番号、電話帳には載っていないし、私は知りませんから、お婆ちゃんが電話したくないなら、教えてくれれば私が掛けますけど」
「分ったわ。じゃ、また夕方になったら、籠を持って来るのね?」
「はい、4時頃にまた来ます」

どうやらやっと、問題は解決に向かった様です。
少なくとも、C氏を獣医に診せる事について、お婆ちゃんは合意したのですから。

私の心は、3週間ぶりぐらで、ぱっと晴れました。

                    〜次回に続く〜

2008年9月15日 (月)  猫騒動 7

                 〜前回からの続き〜

さて、午後の4時過ぎです。
猫用の籠を手に、私は再度お婆ちゃんを訪ねました。

「はい、これ」
籠を差し出す私に、お婆ちゃんは言います。
「今日は、まだ一度もC氏を見かけていないのよね」

……否、否、否、だから、猫であるC氏が、自宅で籠待ちなんかしている筈はないわけで、これから1時間ぐらいの間に、何とか捕まえれば良いだけですから。

「あぁ、そろそろ餌の時間でしょう? その時に捕まえたら良いのでは?」
「そうね」
「で、獣医の予約は、何時になりましたか?」
「え?」
「えぇっ? だから、獣医は何時に連れて来いって、言っていました? それによっては、私達が家を出る時間が変わるから」
「予約、必要だったかしら?」
「……」

スイスの病院は、人間用でさえ予約が要ります。
しかも、この無料で診察してくれる獣医は、実は、大型動物専門なのです。
つまりこの獣医は、酪農家達の牛だの羊だのを扱っているのですから、そう、家での診療は殆どないわけで、いつもあちこちの牛舎を飛び回っているのです。
ということは、予約なしで勝手に連れて行っても、獣医が在宅している可能性は、殆どありませんね。
そういった事情は、お婆ちゃん、百も承知な筈ですが。

「予約なしで連れて行っても、診てもらえないと思いますよ」
「私が電話した方が良かったのかしら?」
「私は獣医の電話番号を知らない、って言いましたよね?」
「私が電話をする役だったの?」
「そうです。私にして欲しいのだったら、電話番号を教えてくれとも言いましたよね?」

当日の即アポでも、朝一に電話を掛ければ何とかなるかも知れないと思ったから、私は、この日朝早くにお婆ちゃんを訪ねたのです。
16時に掛けて17時の予約なんて、無理なのは試さなくても分ります。
というか、多分こんな時間に電話しても、獣医自身が何処かに出ていて、つかまらないでしょう。

この時の私は、もう腹も立たず、ただがっかりしました。
そんな様子を察したのか、今度はお婆ちゃん、こう言います。
「今、客が来ているのよ」

……駄目だ、こいつは。あんたの猫を、我が家の猫の籠で、我が家の車に乗せて、私達夫婦があんたの指定する、本当は専門違いの獣医に連れて行くのに、「客が来ているから」って何だ?

「とりあえず籠は置いていきますから、獣医に電話して下さい。まぁ、今から掛けても無理だとは思いますけど、運が良ければ何とかなるかも知れないし。もし予約が取れたら、C氏を捕まえて置いて下さい。じゃ、また1時間後に来ます」

結局この日、獣医の予約は取れず、C氏はそのままになりました。
ただ幸運にも、その後C氏の具合は良くなり、今ではたまに少しくしゃみをするぐらいですから、もう心配は要らないかと思います。
多分、私が騒いでいた時が、ピークだったのではないでしょうか。

今回の騒動は、今まで分っていた事を再確認しただけで、全く実のあるものではありませんでしたが、私は、このおかげで腹を括る事が出来ました。
そう、ある意味では、私の中で回答が出たのですから、すっきりしたと言えるのではないでしょうか。

で、その回答とは、こうです。
この次C氏に何かあったら、もうお婆ちゃんには一切任せない。
全て私が手配し、お婆ちゃんには報告だけする。
場合によっては、有料でも小型動物専門医に見せ、請求書はお婆ちゃんの娘である大家に送る(これは彼女も合意しています)。

……お婆ちゃん、あんたの立場は、もう尊重せん!

2008年9月17日 (水)  友達の下着屋の宣伝

今日は別の話を書く予定でしたが、スイス人の友達から電話があり、ある事を頼まれました。

それは、最近彼女が開いた、店の宣伝です。

インターネットでの購入も出来るそうで、彼女はこう言います。
「とにかく手当たり次第、知人に話せ」
「何なら、みんつのHPにリンクしろ」

でも、私のサイトに来る人は、大半が日本からだし……

そんな私に、彼女はきっぱりと言いました。
「日本からでも、注文があれば送る!」

彼女のお店は、イタリアからの輸入『セクシー・ランジェリー』(女性用)を扱っています。

下着姿の綺麗なモデルさん達が、たくさん載っていますので、男性が見ても楽しめるかと思います。
それに、彼女の本音としては、たくさんの人にサイトを見てもらえるだけでも、嬉しいそうです。

という事ですので、暇で興味のある方は、ちょこっとひやかしに覗いてやって下さい(↓)。

『WUNDERBEIN(ヴンダーバイン)』

(ジャンプ先のサイト内では、女性の足元に入り口「ennter」があります。)

尚、本気で購入を考えて下さる方には、「みんつのサイトから来た」と伝えれば、安くするそうですので、質問、価格交渉等がありましたら、お気軽にメールを送って下さい、との事です(彼女は、英、独、西語が分ります)。
「日本語でないとちょっと」という方は、もちろん私宛でもOKです。

では、ま、適当によろしくお願いします。

2008年9月22日 (月)  貴方な〜らどうする〜♪ (前)

      (文字数制限の関係で、今日の日記は2つに分けました。)

今日は別の話を書くつもりだったのです。
我が家の茶トラ猫M氏の話とか、夫B氏の話とか、書こうと思っていた面白い話は、幾つかあるのです。

それなのに……

一難去ってまた一難ではありませんが、本当に、どうしてこうも次から次へと問題が起こるのか。
一つ解決したと思ったら、「はい、次はこれね」とばかりに、向こうからやって来るのです。

何か、疲れた。
私はただ、静かに毎日を送りたいだけなのに。
私は、誰の生活も邪魔していないのに、何故私の生活は邪魔されるのか。
(下のお婆ちゃんの猫は、私の部屋に置いてある猫の籠にちょこんと収まって、すやすやと寝ています。)

あのね、正直な話、そろそろ本気で「これはきっと、私自身に理由があるんだ。だからいつも、問題を引き寄せるんだ」と思うのです。

ところが私は、既に首までどっぷりとそこに漬かってしまっていて、あるいは、台風の目ど真ん中で途方に暮れている状態で、対処療法こそ出来るけれども、問題の核心は解決出来ないでいるのです。
「今回こそ抜け出した」と思っても、気付くとまた、同じ所に立っているみたいなのです。

それでね、ここらでいっちょ、新鮮な風を入れたいのです。

「何まどろっこしい事言ってんだよ!」ってな声が聞こえて来そうですが、これを書くのはホント、気が引けるんです。
だって、ええ、そう、また義母の事なんです。

今回のストーリーは、こんな具合です。

皆さんもご存知の通り、我が家は毎年夏になると、冬用の薪の切り出しをします。
森の中に転がされている丸太を、チェーン・ソーで適当な長さに輪切りにし、それを斧で細かく割って、煖炉にくべられる大きさにして、薪置場に積んで置くのです。

今もそれをしている最中なのですが、これは一冬分ありますから、結構な量なので、夏から秋に掛けて時間のある時に、少しずつやります。
これは、この辺りの古い家に住む人には、普通の事です。

もちろん、我が家は酪農家ではありませんので、切った木をいっぺんにたくさん運べるトラクターはありませんし、薪割り専用の機械もありませんから、まぁ、ご近所より少しばかり長く時間が掛りはしますが。

しかし、これは先程書いた様に、毎年の事ですし、去年の薪の残りもまだ十分ありますから、少しぐらい時間が掛っても、別に何も問題はないのです。
最悪、ビニールでも掛けて、来年の夏まで、森の中の空き地に積んで置いても良いわけですし。

ところが、何故か、義母が今年はこんな事を言いだしました。
「薪割りだけど、R氏も手伝えるわよ」

R氏とは義母の夫、つまり私の義父ですが、既に定年退職した身ですから、時間はありますよね。
登山が趣味――3000m以下は、義父は「山」とは呼びません。――ですから、体力的にも、まだまだ薪割りぐらい出来そうですし。

ただ、義父母宅は町寄りで、セントラル・ヒーティング完備ですから、義父にどの程度薪割りの経験があるのか、私は知りません。

ですから私は、こう答えました。
「ありがとうございます。もし、その必要が出来た時には、お願いしますね」

                〜後に続く〜

2008年9月22日 (月)  貴方な〜らどうする〜♪ (後)

     (文字数制限の関係で、今日の日記は2つに分けました。)
            
              〜前からの続き〜

ここまでは良いですよね? 
この会話に、何も問題はありませんよね? 
手伝いが必要なら、こちらから改めてお願いすると言ったのですから、お願いがないという事は、手伝いは要らないと伝わりますよね?

ところが義母は、この後も私に会う(もしくは電話で話す)度に、「R氏も薪割りを手伝えるわよ」と言うのです。
ただそれは、毎回他の話題のついでという感じで「手伝いはいる?」という様な、はっきりした聞き方ではありません。
ですから私は、毎回最初の台詞を繰り返していました。

ここまではどうですか? 
同じ台詞の繰り返しは、まずかったですか?
途中の何処かで「否、手伝いは要らない」と、言ってしまうべきだったのでしょうか?
もしくは「こっちから頼むまでは黙ってろ!」とか?

そんな事が続く内に、私はある事に気付きました。
義母は「R氏が手伝う」とは言いますが、「私が手伝う」とは決して言わない事、そして何よりもR氏自身が、一度もその会話に参加していない事です。

義母は、私にR氏の目の前で、「R氏が手伝う」と言いますが、そのR氏自身は、一度も「うん、俺は手伝うよ」とは言っていないのです。

思い出した方、いますか?
以前酪農家夫人が「私の夫がスキーを教える」と言い、私を悩ませた時と似ていますよね(分らない方は、過去の日記2008年4月16〜21日『こうしてずれて行く。1〜4』をどうぞ)。

『貴方を喜ばせる為に、“私が”ではなく“私の夫が”貴方に何かしてあげる』
これは、スイス女性特有のやり方なのでしょうか?

この時点で私は、こう決めました。
R氏自身が、直接私に「俺は手伝う」と言わない限り、決して頼むまい。

どうでしょう、これは? 
この時点で私は、R氏と直談判すべきだったのでしょうか?
それとも義母に、何故そんな事を言うのか、聞くべきだったのでしょうか?

そして昨日の事です。

電話で話していると、義母がこう言いました。
「来週、R氏と一緒に薪割りを手伝いに、みんつの所に行く計画になったのだけど、火曜日でどうかしら?」
「!!!!!」

どうします? 
皆さんなら、こんな状況にどう対応します?

義母の文章は、一応質問の形態を取っていますが、私から「NO」という答えが返ってくる事は、彼女の中では想定されていません。
もっとはっきり言うならば、私に答えを選ぶ権利は、義母が頭の中でこの計画を思い付いた瞬間から、ないのです。

私達夫婦は、今のところ薪割りに手伝いは、要りません。
何よりもこんな展開は、私は、嫌です。
義母が勝手にこういう事を決めるのを、私は、やめて欲しいのです。

今後二度とこういう事が起こらない様にする為に、私は今、一体どうしたら良いのでしょう?
B氏は「喧嘩でも絶縁でも、好きにして良い」と言ってくれますが、その前に、他に何か、私が見えなくなっている良い方法が、ありますか?

皆さんの意見を、是非聞かせて下さい。

尚、勝手で申し訳ありませんが、「結婚とはそういうもの、我慢しなさい」という意見は、今回は、受け付けません。
理由は、

……すまんな、もう、ホント無理。

2008年9月24日 (水)  コーヒーで始まる朝。

1年365日、ほぼ毎日、一日の始まりに私がする事は、コーヒーを淹れる事です。

カフェ・オ・レ用の大きなマグ・カップに、ブラック・コーヒーをなみなみと注ぎ、ゆっくりと時間を掛けて飲みながら、寝ぼけた頭を起こします。

毎朝、同量の水と同量のコーヒー粉――もちろん、コーヒーの種類も同じものです――を入れて火に掛けるのですが、興味深い事に、その日の体調によっては全く味が変わります。

さて、そんな朝の儀式を行う為、今日も私は台所に行きました。

お茶類の入っている戸棚(↓)。



中はこんな感じ(↓)。



ん?
うそっ!





何故ここに牛乳がっ?!



……良かった、うちの台所が冷蔵庫内より寒くて。

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