インドネシア(1995年9月〜10月)

私達夫婦の出会い、良かったらどうぞ。


偶然というのは面白いもので、ある時私は、前後するようにして二人の友人から海外旅行に誘われました。
生まれて初めての海外旅行にです。
「オーストラリアに1ヶ月間」と「バリ島に20日間」。

普段なら絶対にオーストラリアを選んでいただろう私ですが、この時は、何故か2秒でバリ島に決定。
オーストラリアへの誘いには「うーん、ちょっと考えてみるね」だったのに、その後に来た電話には、ビール片手に「バリ? 良いよ」で決まりです。
しかしこの2秒が、私の人生を大きく変えました。

さて、バリ島。

最初の2夜は、市内のホテルに宿泊。
チャーミングなベル・ボーイ君をからかったり、例のドリアンを嗅いだりして過ごしました。
それはそれで、まあ、悪くはありませんが、私と友人A子ちゃんの目的は、「静かな島で何もしないで過ごす」です。
地元の人たちにお勧めの場所を聞き、5mごとにローレックスを売りつけてくるような所には、おさらばすることにしました。

私たち二人とバリで知り合った“自称バリ通”の日本人のおじさん、その連れのインドネシア人の青年2人というメンバーでギリ・トラワンガンに到着。
おじさんとインドネシア人の青年1人は、とんぼ返りでバリに戻りましたので、島には私たち二人と友人を紹介してくれるというインドネシア人の青年1人(仮に、「バリ男」とでもしましょうか)が残りました。

島に着いた私は、離婚の後遺症が出たのしょうか、何となくブルーが入ってしまい、「今日は、バンガローで1人本を読んで過ごす」と、初日から早々ぶーたれ宣言。
仕方なくA子ちゃんは、バリ男を連れて海へ。

ところが、私が寝起きのまま髪も梳かずにうだうだしていると、浮かぬ顔のA子ちゃんが、戻って来ました。
「頼むよみんつちゃん、ちょっと出て来て。バリ男、あったま来るぜ」
アメリカ育ちなのに、何故かべらんめえ調の日本語を話すA子ちゃんは、怒っているようです。
「えー、今日は嫌だよ。何か、機嫌悪いんだよね、私」
「みんつちゃん、ホント、30分で良いよ」
こんなやり取りが続いた後、私はA子ちゃんに無理やり手を引かれ、ぼさぼさの頭と小汚い服で(起きた時に、そこにあったのを着ただけです)海へ行きました。

私がビーチに着くと、そこは既に「しら〜っ」とした空気が漂っています。
まあ、私も2人に負けないぐらい機嫌が悪かったので、大して役には立ちません。
2人で白けていたのが、3人で、になるだけです。

と、バリ男、突然隣にいた男性に話し掛け始めました。
「ヘイ、メーン、どっから来たんだい?」
私は、側に人がいた事にすら気付いていませんでしたので、これは少々不意打ちです。
「スウィッツァーランド」
そう答えた男性は、私たちと会話をするべく、座っていた敷物を近付けて来ました。

オレンジ、ピンク、黄色、水色で魚が描かれたカラフルな布を静かに引き寄せ、四隅をきちんと伸ばしてから、その男性は敷物に座り直しました。
清潔そうなスリムな体にスキンヘッド。方耳には金のピアス、胸からはイルカのペンダントが下がっています。
私は、一瞬で思いました。
「こいつ、ゲイだ」

話を始めた筈のバリ男は、単なる気まぐれだったのか、そっぽを向いてしまっていて、話し掛けられた男性は、どうしたものかと私を見ます。
戸惑いつつも私は、仕方がないので会話を引き取りました。
そして、何がどうなったのでしょう。数分の会話の後、私たちは一緒に夕日を見に行く約束をしていました。

その男性が、「夕日を見に行く前に軽くシャワーを浴びたい」と言うので、私達は、後ほど私のバンガローで落ち合うことになりました。
バリ男から夕日が見える丘までの道を聞き、バンガローのテラスで待っていると先ほどの男性が登場。

「えっ? 彼、同じ人よね?」
その男性はすらりと背が高く、Tシャツと地元民族衣装のパンツを上手に組み合わせ、なんとも見栄えが良いのです。
先ほどのゲイの雰囲気は微塵もなく、履きなれた感じのサンダルやそこから覗いている大きな踝が、男らしさを漂わせています。
いくぶん緊張気味に、私は、丘へと向かいました。

「????? おかしい」
バリ男に教わった道は、道とは呼べない代物です。簡単に行けると聞いたのに、これではまるでロック・クライミングです。
どうやらバリ男、私たちに意地悪をしたようです。

縁などというものは、全くどこにあるか分かりません。
そんな険しい道を行くのですから、私はその初対面の男性に手を引いてもらったり、体を押し上げてもらったりしなければなりませんでした。
そう、スキンシップばっちりです。

そんな調子ですから、私たちがやっとの事で頂上に着いた時には、夕日は既に暮れていました。
「ああ、間に合わなかったね。明日、もう一回来なきゃ駄目だね」
明日も会う口実が出来たのを両方が喜んでいる事は、どちらにもはっきりと分かっていました。

その晩私達は、かなり遅くまで彼のバンガローで語り合いました。
私、彼がどの程度の男なのか、それとなくチェックを入れましたよ。
彼も質問の意図を分かっていたようで、慎重に言葉を選んで、正直に答えてくれました。
どうしましょう、彼、100%合格です。

次の朝、彼はダイビングに行くとのことでしたので、私たちは昼過ぎにもう一度ビーチで会う約束をしました。
この約束ですが、何故か連れの2人に言い出せなかった私は、「どうやって、2人の目を盗んで彼に会いに行こうか」と、午前中一杯頭を悩ませました。

そういうことに勘の良い質なのか、バリ男は私から離れようとしません。
これでは、ビーチで落ち合っても二人きりにはなれそうもありません。
「どうにかして、バリ男を撒かなくちゃ」
A子ちゃんは、バリ男の世話を免れたのを良い事に一人でのんびり日光浴。

苦心の末、ビーチで会うのは無理と判断した私は、彼のバンガローの階段にメッセージを残しました。
海岸で拾って来た珊瑚で「HOME」と。
「家」つまりバンガローにいる、ということです。

ダイビングから戻った彼は、私のメッセージを見て思ったそうです。
「ここは私たちのホーム」
美しき誤解ですね。で、写真をパチリ(1枚目の写真です)。

その日、再び会った私たちは、夕日を見に行きませんでした。
2人とも、夕日よりももっと興味のあるものが出来たのです。
次の日も、その次の日も、夕日は見ませんでした。
今日に至るまで私たちは、まだその夕日を見に行っていません。


バリ島に20日間の予定で日本を発った私ですが、実際に日本に帰ったのは、5年後でした。
友人のA子ちゃんには、本当に申し訳ないと思っていますが、彼女は当時特殊旅行添乗員でして、私がスイスに行くというと「みんつちゃんのおやじさんに、何て言えばいいんだよ」というのが、唯一の心配事のようでした。

え、私の父ですか?
バリ島から電話したところ、なんとも父らしいお言葉が。
「おまえの人生だ。楽しみなさい」
私、いまだに楽しんでおります。