2007年1月8日 (月)
小説より奇なり 序章
スイス人は、大体において保守的です。
「今までそうして来たから、これからもそうして行く」 それがたとえ「正しい道ではない」と分っていても、そんな風にして突き進んで行くスイス人は、案外たくさんいます。
ですからスイス人は、新しいものが入り込んで来ると、まず「ナイン(nein=いいえ)」と言います。 考える前に、とりあえず「ナイン」です。 その後たっぷりと時間を掛けて、そろそろ皆が忘れ出した頃に、そろそろ〜っと、何だかはっきりしない浸透の仕方で、その「かつては新しかったもの」が普及します。
製品にしても流行にしても、次々と現われては移り変わって行く日本にいて、その波に全く乗れていなかった私にしてみれば、このスイスのやり方は、確かに気楽ではあるのですが、実は、大きな問題もあるのです。
それは、このスイス人のやり方が、人間にもそうである、という事です。
そう、ここでは外国人である私自身が、スイス人からしてみれば、「新しいもの」「今までとは違うもの」「とりあえず、ナインと言っておくもの」なのです。 もちろん、スイス人は礼儀正しい国民ですから、あからさまに否定的な態度を取ったりはしませんが、スイス生活12年目に入った今、つくづくと感じることがあるのです。
例えば、こんな事です。
知り合ってから既に10年以上にもなる知人達が、最近になって、私に過去を語り始めたのです。
これは、「やっと私を信用してくれた」という事でしょうから、喜ぶべきでしょうが、その話を聞いて私が感じるのは、正直に言うならば、「えっ、それじゃ私は、今までとんちんかんな付き合い方をして来たってわけ?!」です。 10年も経ってから、「今まで知っていた人が、実はそういう人ではなかった」と知らされるのは、複雑なものがあります。
だってね、結構ヘビーな話なんかもあるわけです。
私は凡人ですから、そんな話を聞いた後では、「この人と健康的な友人関係を結ぶのは、本当に可能かしら?」とか「過去10年間の関係は、お芝居だったの?」とか「こんなやり方じゃ、本当の友達が出来るまでに、お婆ちゃんになっちゃうよ」等と思ったりもするのです。
ごくごく普通の日本人として育った私には、彼らの話は、まるで映画や小説の中の出来事ですが、ここスイスでは、そんな人達がごろごろといるらしい事も、私には大きな驚きです。 『普通の人』の層が、日本と比べてとても複雑らしいスイスで、私は今、幾分戸惑っています。
今回は、そんな話を幾つかしてみようと思います。
ちなみに、私はここで、「スイス人」という書き方をしていますが、それは「スイスで知り合った人達」「スイスに関係している人達」「スイスで生活経験のある人達」等という意味で、正確には、ドイツ人やイタリア人、その他混血の人(スイス人では、生粋の人の方が少ないです)もいますし、現在スイスで暮らしている人も、そうでない人もいます。
ということは、西ヨーロッパ人全体において、そういう傾向があるという事なのかも知れません。 ひょっとしたら、私が外国人(いわゆる弱者ですね)であるが為に、そういう人が周りに集まり安い、という事もあるのかも知れません。
また、私の話は、彼らが何度かに渡って、ぽつりぽつりと語った断片を、私の理解範囲内で繋ぎ合せたものですから、ひょっとすると、間違いもあるかと思います。
そんなことを斟酌した上で、読んでみて下さい。
〜次回に続く〜
(文字数制限の関係で、今日は「前書き」だけになってしまいました、すいません。) |
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