2009年1月15日 (木)  謹賀新年

皆様。

年が明けてから随分経ってしまいましたが・・・

明けましておめでとうございます。
昨年は1年間、本当にありがとうございました。
本年もまた、どうかよろしくお願いします。

年明け早々風邪をひき、ちょっと寝込んでしまいましたが、今年も楽しい1年間にしたいと思いますので、どうか飽きずに、私のばか話にお付き合い下さいね。

さて、最後に新年の抱負でも書いてみます。

『嫌なことは、はっきり嫌だと言おう!』

・・・・・・今年も「みんつvsスイス人」、期待していて下さいね。

2009年1月21日 (水)  薪割りにおける人間考察。 7

              〜前回からの続き〜
     (前回から随分時間が空いてしまい、申し訳ありません。)

それからというものA太は、私の斧の音を聞き付けると、自分の薪割りセットをトラクターに乗せて現われ、一緒に作業をするようになりました。

そんなある日、私達がいつもの様に薪を割っていると、A太の母親が再び窓から顔を出しました。
「A太、寒いからジャケットを着なさい!」

他所の家の子供の事ですが、A太は私を手伝ってくれているわけですし、汗だくの子供にジャケットを着させるのはあまりに気の毒ですから、私はこの日、思い切って口を挟んでみました。

「あの、私、この格好(半袖Tシャツ一枚)で汗びっしょりなんです。A太はもっと重労働をしているから、多分あの格好(長袖のトレーナー)でも暑いぐらいだと思うんですけど。……A太、お母さんの所に行って、どのぐらい汗をかいているか、見せておいで」

トレーナーの下に手を入れて確認したA太の母親は、私の「作業が終り次第ジャケットを着せて、家にシャワーを浴びに帰らせる」という言葉に、A太のジャケットなしでの作業を許可し、「うちの子が邪魔をする様だったら、遠慮無く追い返して良いからね」とも言ってくれました。
そして、この日から彼女は、ほんのちょっとだけ、私と世間話をする様になりました。

さて、またそんなある日、今度はA太の父親が窓から顔を出しました。

「xxxxxxxx」
何やら早口で言う父親に、A太は声を上げます。
「何? 聞こえない!」
「xxxxxxxx」
「大丈夫!」

A太の父親が何を話しているのかは、私にも聞こえませんでしたが、挨拶ぐらいしておこうかと思った私は、薪を割る手を止めて、彼の方に向きました。
しかし、挨拶のタイミングを計ろうにも、A太の父親は、私の方を一切見ようとしません。

……「うちの息子、迷惑を掛けていませんか?」とか「いつもすいませんねぇ」とか、普通はこういう時、父親として何か言わないか? 最低でも、ご近所同士として「こんにちは」ぐらいは言うだろう?

「俺は、友達の様に気さくな父親だろう?」とでもいう風に、A太に話しかけている彼は、私の目には、何となく嘘臭く感じられました。
本当に気さくな人は、自分の息子のすぐ隣、2mとない距離に立っている側の女性にだって、気さくに話しかけますよね?

しかし、彼にとってA太は、滅多に会えない息子ですから、久しぶりに家に戻った時ぐらい、一緒に時間を過ごしたいのかも知れません。
「ひょっとして、私との薪割りがそれを邪魔しているのかな?」
私がそう思った次の瞬間、A太が、大きな声でぴしゃりと言い放ちました。

「僕はね、お父さんと無駄話をしている暇はないんだよ!」
びっくりして固まった父親と私をよそに、黙々と作業を再開するA太。

ええと、どうやら、何ヶ月ぶりに会う父親とイン・ドアで遊ぶより、隣のおかしな日本人とアウト・ドアで肉体労働をする方が、A太には意義がある様です。

……A太よ、私の知る限り君は、最強の幼稚園児だ。

                  (完)

2009年1月26日 (月)  召使いでも雇って下さい。

私の住む家は築300年以上の古い建物ですから、冬は、決して住み心地が良いとは言えません。

朝起きてすぐに薪を焚いても、部屋が暖まるまでには時間が掛りますし、煖炉のない部屋は、冷蔵庫内より温度が低かったりするのです。
かといって、電気暖房器具を各部屋に置くと、やはりこういった簡素な家では、ブレーカーが飛んでしまいます。

その為我が家では、気温がマイナスになりそうな日は、水道管の凍結を防ぐのに蛇口を少し開けて、水を垂らしっ放しにしなければなりませんし、洗濯をする時は、トイレの暖房を切ります。
ビール等は冷蔵庫に入れなくても、廊下に出しておけば冷えますから便利ですが、オリーブ油は、脂肪分が凝固してしまうので、使う前に暫く暖房の効いた部屋に置いておく、等という事もあります。

そんな訳で、下の階に住むお婆ちゃんの様な高齢者にとっては、何部屋もある家に一人で住んでいるのは、不便であるだけでなく、体力的にもきつい生活ですから、冬の一番寒い間だけは、セントラル・ヒーティングが完備している子供達の家で過ごす、という人も少なくありません。

ということで、下のお婆ちゃんも2週間前から娘夫婦の家に行っていて、留守中の家の管理を――郵便物の取り込み、猫の餌やり、花の水遣り、寒い日は水道の蛇口を開ける、といった様な事です――私が頼まれているのですが……

留守を預かる事自体は構わないのですが、それでもそこは他人の家ですので、私としては正直なところ、そんなにしょっちゅう出入りしたくはない訳です。
ですから私は、郵便物を取込むついでに花の水遣りを済ませ、水道の蛇口は、どうせ毎日そこそこ寒いのですから、ずっとぽたぽた垂らしっ放しにしています。

これで問題はありませんよね?
猫はどっちみち我が家に入り浸りですし、花は枯れていませんし、郵便物も次の郵便に支障がない程度に取込んで、玄関の棚の上に置いてありますし、家の何処も故障していません。
お隣さんとして、頼まれた事はこなしていますよね?

ところが先日、お婆ちゃんが電話を寄越して、こん事を言いました。

「みんつ、家の方はどう?」
「大丈夫ですよ。何も問題はありませんから、ご心配なく」
「郵便物だけど、何か大切な手紙とかはあるかしら?」
「へっ?」
「急ぎの郵便とか、ある?」

ええと、私はお婆ちゃんにどんな郵便物が来ているかなんて、頼まれてもいないのに、いちいちチェックなんかしませんし、大体、封を開けない事には、中味が大切かどうかなんて分りませんが。
っていうか、そういう事なら、郵便局に転送届けを出せは良いだけなのでは?

「郵便物は全部一緒に玄関に置いておくだけで、どんなものが来ているかは、見ていないから分かりませんけど。今から、チェックして来ましょうか?」
「ううん、良いのよ。どうせ私には、大切な手紙なんて来ないから」
「……」

「水道の方はどうかしら?」
「あぁ、そっちも大丈夫です。昨日からかなり雪が降っているので、今は水を出したままにしてあります」
「水は、うんと寒い時だけ出してくれれば良いのよ」
「はい、昨日から既に50cm位積もってますし、今もまだかなり寒いですよ」

「あら、雪が降っている時は、水を出さなくても良いのよ」
「でも、滅茶滅茶降ってますし、気温はマイナスですよ? この間なんか、昼間でも水道管が凍ったじゃないですか」
「水は、寒い時だけ出せば良いのよ」

うーん、大雪の今が寒くない時だとすると、一体いつが寒い時なの? それとも水道代節約の為に、日に何度も雪の戸外を廻って、水を出したり閉めたりしに行けってか?

「それとね、私はまだいつ家に戻るか分らないから、もう少し留守を頼んで良いかしら?」
「もちろん! まだまだ当分寒いですから、後2週間でも3週間でも、遠慮なく娘さんの所で大事を取って下さい」

……何なら、春まで戻らなくても良いぞ。

2009年1月30日 (金)  なすべき時? 1

スイス人である夫B氏と出会った時、私は「外国で暮らす」という事について、さほど深く考えませんでした。

当時の私が思ったのは、「長い将来を一緒にやっていけるのかどうか、この人とは、試す価値がある」という事のみでした。
まぁ、試してみて駄目なら日本に帰れば良いだけですし。
結果的には、14年たった今でも幸せに暮らしていますから、この判断は正解だった様ですね。

そんな風に気軽にスイスに来た私は、中学・高校で習った学校英語程度の語学力しかありませんでしたから、ドイツ語の強い方言で会話をするスイス人社会の中で、最初の2年間位は、まるっきり蚊帳の外とでもいいましょうか、頭の回りに始終「???」が回っている様な状態で、良いも悪いも分らぬまま過ごしました。
この時期の私は、ただただ全てを吸収する、というだけで精一杯でした。

次の2年間位は、「???」の状態が「全く理解出来ない」から「あれ? 今のはありなの? 何か変じゃない?」の「?」に変わり、周りのスイス人や制度を相手に、戦う日々を過ごしました。
この時期の私は、力の限りを尽くして己の正義を貫く、という事に時間を費やしました。

その後私は、B氏を連れて約1年半日本で普通に生活をしてから、改めてスイスに戻り、今住んでいるグラゥビュンデン州という、山の上のド田舎に腰を落ち着けました。

この時の私は、「スイスに骨を埋める事になりそうだ」程度の覚悟はして、外国生活を始めました。
この時期以降の私は、スイスでの良いも悪いもある程度分った上で、正義や権利よりも「どうやったら快適に暮らして行けるか」に重点を置いて、生活をしています。

ですから現在の私は、多少のストレスは「日記に書くネタが出来た」とユーモアに変えて流し、どうしても改善が必要な問題については、基本的に自分の意識を変える方向で対処し、それでも駄目な場合には、出来るだけ穏便な形で、相手のスイス人が受け入れられる程度の範囲で「何とかまろやかに」と対応をしているのですが……

ええ、そうです、そこには収まらない問題が、時には出て来てしまうわけです。
否、正確に言うならば、こちらがまろやかな対応をしていると、調子に乗る奴が出て来るのです。

こうなると、全面対決をしなければならなくなりますし、多くの場合が、「相手を完膚無きまでに叩きのめす」という選択肢、私が極力避けて通ろうと身を粉にしている道を、取らなければならなくなります。

あのね、私は、一見穏やかそうな顔付きですし、身体もさほど大きくありませんし、雰囲気なんかも割と安定した、のんびりめのオーラを出しているつもりですから、まぁ、人当たりは悪くないというか、ある程度の無理なら、にっこりと微笑んで融通をつけていますけどね、これは、私が心がけて保っている状態なのです。

私は、喧嘩っ早い自分を、そしてそれを楽しんでしまえる自分を、良しとは思っていないので、この部分を精進しようと日々努力しているのです。
簡単な話、私は「なめんなよ。おい、やるならやるぞ」位の勢いは、容易にスイッチ・オン−オフが出来るのです。

ところがスイス人は、その辺りの空気を読むという事が出来ません。
私が穏やかに一つ呑み込んでやると、「あれもこれも、もっと、もっと」と調子に乗り、最終的には、私の居場所がなくなるまで占領しようとします。

で、これが始まると私は、ある程度の所で必ず何回かサインを出します。
「おい、お前、あんまり調子にのんなよ」といった内容を、その時々の事態に合わせて、適量のオブラートに包んで相手に伝えているのですが……

そう、それにも気付かない愚か者が、否、私を「日本人は大人しくて、自分の意見は言えないから」と過小評価している阿呆が、中にはいるわけです。

次回は、そんな阿呆がどういう目に遭うのか、お話ししてみようと思います。

                 〜次回へ続く〜

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