2006年10月2日 (月)  本当に先進国なのか? 9

            〜前回からの続き〜

(前回から随分時間が経っているので、どんな話か忘れてしまった方、前回までの内容を知らない方は、お手数ですが、過去の日記2006年8月10日からの『本当に先進国なのか? 1〜8』をどうぞ。)
………………………………………………………………………
専門店の「お宅的兄ちゃん」が、デジタル放送用受信器具へ差し込むカードに、セロハン・テープを貼り付けて行った後も、我が家のテレビ画像には、何の変化も現れませんでした。

そりゃ、そうです。
受信状況100%である、我が家の器具を何度調べに来たって、結果が変わる筈はありません。
何ヶ月も電話で同じやり取りを続け、会社の技術者を全員送り、その全員が口を揃えて「お宅の受信状態は、これ以上ない程良好です」と言っているのに、それでもまだ納得しないR社の事務員に、私は何を言ったら良いのでしょう?

電話をかけること自体が、無駄なのではないか、と思い出した私の元に、今度はR社から電話がありました。
「その後、テレビの状態は如何でしょうか?」
「前と何も変わりませんけど」
「そうですか。専門店からは、誰か伺いましたか?」
「ええ、来ましたよ。我が家の受信状態は、やはり問題がないそうですよ」
「おかしいですね」

「あのね、もう私は、テレビがきちんとなるまで、支払いをする気はありませんよ」
「ええ、それは分かっています。既に送った請求書は、捨てて下さい。わが社から、新しい請求書と引換券を送りますから、それで良いでしょうか?」
「良いですよ、何でも。その引換券で、受信料を払えば良いのですね?」
「ええ、そうして下さい。テレビの方は、もう少し様子を見るという事でお願いします」

しかし、暫く待っても我が家には、新しい請求書も引換券も届かず、その代わりにまた、一本の電話が来ました。
「R社の技師ですが、お宅のテレビ画像に問題があるそうですね」
今度は、大きな声の中年男性です。

「は? 一体、何の話でしょうか?」
「テレビに問題があると、事務の方から聞きましたが」
「その話は、もう済んだ筈ですけど」
「問題は、解決されたのですか?」
「いいえ、解決はしていませんよ」
「どういう問題でしょうか?」

やれやれ、一体R社には、何人の技師がいるのでしょう?
この様子では、技師全員が我が家に来てからでないと、話は先に進まないという事でしょうか?

仕方がありませんから、私は今まで何度もした話を……テレビの画像が止まる。音声が出ない。画面が真っ黒になり警告文が出る。何人も技師が来ているけれど、全員が受信状況は良好だと言っている。私は送信側である、R社の問題だと考えている……もう一度この男性に話しました。
「それでは、今からお宅に伺っても良いですか?」
「お好きな様にどうぞ」

その中年男性は、我が家に来ると、今までの技師達がしたのと全く同じ事をし、全く同じ事を言いました。
「お宅の受信状態には、問題がありませんよ」
「ええ、知っていますよ。でも、事務の方は、そう思いたくない様ですね。事務の方に、貴方と話をする様、言っても良いですか?」
「いえ、事務には、僕の方から連絡しますよ。誰がいつも対応しているんですか?」

どうやらこの男性は、技師の中では古株なのか、偉い人なのか、自分の名を出せば事が解決すると信じている様です。
私は、もうそんな事は信じませんが、やってくれると言うのを断る理由もありません。
「では、お願いします。あ、それと、前に来た男性が、カードにセロテープを張って行ったのですが、そんな事をしても大丈夫なんでしょうか? その、糊が溶けて機械に支障が出るとか、ないのでしょうか?」

技師の男性は、カードからセロテープを剥がすと、「俺が来たからには、何もかも大丈夫」という風に、大きく笑って帰りました。

                  〜次回に続く〜

2006年10月3日 (火)  本当に先進国なのか? 10

            〜前回からの続き〜

R社のちょっと偉い風技師が来た数日後、またまた我が家の電話が鳴りました。
「専門店の者ですが、R社から、お宅のデジタル器具に問題があると聞きました。これから伺いたいのですが、今日はご在宅でしょうか?」

……ひぇ〜、もう勘弁してよ。専門店の技師はもう前にも来たし、誰が何度来たって、何も変わらないんだよ。うちのテレビの映りが悪いのは、R社のアンテナがへぼいんだってばよぉ。

「R社が貴方に、うちに行けと言ったのですか?」
「はい、そうです」
「来て、どうするのですか?」
「えっ? その、お宅のテレビ画像に、問題があると聞きましたが」
「ええ、それはそうですけど。もう何人も技師の方が来られて、皆さん、問題はうちの器具ではないと、言っていますよ」
「でも……。これから、お宅に伺っても良いでしょうか?」

我が家に現れた専門店の技師は、前々回来た、器具に差し込むカードにセロハン・テープを張って行った、「お宅タイプ」の男性で、その脇の下には、小さな箱が抱えられていました。
……ああ、この兄ちゃんは、外れなんだよな。それにしても、電話の声の方が、はるかにカッコ良いな、この兄ちゃんは。

「R社の技師と話しましたが、お宅の器具は、新しい物に取り替えたのですよね?」
「え、何ですか?」
「いえ、この器具ですけどね、この間R社の人が来て、新しい物と交換して行ったのでしょう?」
「いいえ、前と同じ物ですよ。R社の人は、プログラムの画面を開けて、ただ受信状況を確認しただけで、何もしないで帰りましたよ」

「え? でも、僕が聞いた時には、器具を交換したと言っていましたよ」
「私の知る限り、R社の人は何もしないで帰りましたよ。しかも私は、R社の人がいる間中、ずっと側にいましたけど。どこか別のお宅と、勘違いされているんじゃないですか?」
「いえ、それはないと思います。技師の人、みんつさんの所だと言ったら、この家だってすぐ分かりましたから」

「我が家がすぐに分かったとしても、器具を取り替えたのは、うちじゃありませんよ。まあ、そんな事はどうでも良いです。で、今日はどうするのですか?」
「どうしようかな? 器具は、じゃぁ、まだ前のままなのですね?」
「そうですよ。R社の人が何と言おうと、前のままですよ」

お宅兄ちゃんは、暗い表情で器具を見詰めると、不意に差し込んであるカードを引き抜きました。
「あれ、この間僕が張って行った、セロ・テープはどうしました?」
「R社の人が、剥がして行きましたよ」
それは不本意だ、とでもいう様に、手にしたカードをひっくり返している技師に、私はしびれを切らして、言いました。

「分かりました。こうしましょう! もうね、今のままじゃ埒が明かないから、うちの器具を新しい物と替えて下さい。その、脇に抱えている箱は、新しいやつでしょう?」
「そうですけど……」
「せっかく持って来たんだし、新しいのと替えても問題が解決しなければ、R社だって納得するでしょう? さぁ、替えちゃって下さい!」

こういう仕事は好きなのでしょう、溌剌とした表情で器具を取り替えると、お宅兄ちゃんは、リモート・コントロールでチャンネルを次々と点検しました。
「さぁ、これで大丈夫な筈です。受信状態も良好ですし」
……だからさぁ、受信状態は、最初からずっと良好なのよ。あんたら、本当に大丈夫?

「じゃ、暫く様子を見てみますね。また何かあったら、貴方に電話をしたら良いですか?」
「はい、そうして下さい」

去年の暮れからデジタル化された我が家のテレビは、プロのスペシャルな技師が、総勢5名もで手を掛けているというのに、10月に入った今、まだ問題が解決されていません。
しかも、送られて来る筈の新しい請求書と引換券は、忘れ去られているようです。

私は、何度も電話を掛けて、阿呆な問答を繰り返す事に意味が見出せなくなり、入院もその間にありましたので、この問題を半分放り出した状態です。
夫B氏は、「請求書が送られて来ない間は、放って置いたら良いさ。何ならこのまま、俺たちの存在自体、忘れてくれても良いな」等と言っております。

我が家のR社問題は、この先一体どうなるのでしょう?

            〜次回に続く〜 

……かどうか、私にはもう、分かりましぇ〜ん。

2006年10月5日 (木)  B氏と日本文化

(今日の日記は、過去の日記、2004年6月1日『神様の忘れ物』を先に読んだ方が、よく分かるかと思います。)

「みんつ、風呂場の前に、ガラスのはまった棚があるよな。どの棚の事か、分かるか?」
ある晩、夫B氏が言いました。

普段ですと、ベッドに入ると2秒で鼾をかき出すB氏ですが、この日は、天井の一点を見詰めています。
「うん、分かるよ。お風呂の外にある、トイレット・ペーパーとかが入っているやつでしょう?」
「ああ、そうだ。その棚だ」

この棚は、元々部屋にあった物でして、私達が部屋を借りる時、大家夫人はこんな風に言いました。
「貴方達が使わないなら、捨てるなり、薪にして燃やすなり、好きにして。私達は要らないから」
実際この棚は、大き過ぎで使い勝手が悪く、場所を取って困る、という代物なのですが、何となくアンティークともいえる様な面持ちでして、燃やしてしまうには惜しい気がした私達は、どうして良いか決めかね、日用品の在庫入れとして、中途半端に使っている状態なのです。

隣で横になっていた私は、その思い詰めた様子から、B氏が決心したことを悟りました。
……B氏が捨てると言うなら、余計な事は言わずに従おう。あ、でも、お洒落な取手は、もらって置きたいな。

「あの棚が、どうかしたの?」
「中身がな、無秩序なんだ」
「へ? 何?」
「棚の中の秩序がな、乱れている」
「……」
「あの棚には、細々とした物が入っているよな。それが、ぐちゃぐちゃなんだ」
「B氏、何の話をしているの?」
「さっき、トイレに行った時に見たんだ。みんつ、棚の中身を整頓しないといけないぞ」

棚の中には、仕切りこそありませんが、私はそれなりに、『トイレ用品』『洗面用品』『風呂場の物』『掃除関係の物』『洗濯関係の物』等という具合に分け、真っ直ぐに並べているのです。
その秩序が乱れている……

「B氏、犯人は貴方ね! 今日買い物から戻った時、備品を棚に入れたのは、貴方よ。その時、何もかも一緒にして、いい加減に突っ込んだんでしょう?!」
「誰がやったかなんて、俺は言っていないさ。棚の中身の秩序を回復しなくてはいけない、って言っているだけだ」
「B氏、自分でやったことは、自分で片付けてね」
「みんつ、Schuld(シュルト)はどこにもないんだよ。ただ、棚を整頓すれば良いだけなんだ。分かるな?」
*、【Schuld:罪,(負い目としての)責任,過ち】

何て事でしょう!
こんな屁理屈、通用して良い筈がありません。

「B氏、私はね、責任感(Verantwortung)の問題だって言っているのよ。幼稚園の子供だって、自分で散らかしたら自分で片す様に、って習うでしょう? 棚の中は、B氏がちゃんと綺麗にしてね」
「みんつは、犯人を見付けて、責任を追及するつもりなのかい? シュルトはないんだって教えてくれたのは、君じゃないか。それなのに、キリスト教徒でもない君が、シュルトを探すのはおかしいぞ」
「あのね、そういう下らない事を言っていると、貴方の今後の生活は、窮屈になるわよ。それでも良いのね?」
「今度は、脅迫するのか?」
「あぁ、今、何って言った?!」

「B氏、良いから棚を片して!」
「ええと、あ、明日やるよ」
「今すぐ片して!」
「ほら、今日はもう遅いから」
「今すぐ!」
「いや、嘘。棚は、ちゃんとなってる。ちょっとふざけただけだよ。じゃ、お休み」
慌てて布団を被ると、寝たふりをするB氏。

……ひょっとしてB氏は、日本文化の、都合の良い所だけ吸収している?

2006年10月6日 (金)  更新しました。

皆様へ。

『みんつの畑 (その一)』を更新しました。

もうね、随分時期もずれているので、今年は無しにしようかとも思っていたのですが・・・
撮った画像もたまっていたし、せっかくですから、更新することにしました。

まだ『その一』だけですが、良かったら覗いて下さい。

ただね・・・

本当に申し訳ありませんが、一挙大量アップ、なのです。
全部見るのも大変だと思いますので、お暇な時にでも、ちょこちょこっと覗いて下さい。

それから、画像が多い為、全部開くまでに時間が掛かります。
どうか、お許し下さい。

『その二』以降も、続けて更新する予定です。

ということで、「今年は、みんつ畑の画像がないのね」と、がっかりされていた方が、もしいましたら、週末はゆっくりと緑に癒されて下さい。

では。      みんつ

2006年10月9日 (月)  初めての入院 1

事の始まりはロシア人の滞在中、三日目の午後でした。
(ロシア人の滞在に興味がある方は、過去の日記2006年7月20〜25日『突然の訪問客1〜4』をどうぞ。)

昼食後少し経った頃、私の胃の下、臍の上辺りが何となくもたれるのです。

「やっぱりな。ああいう人が滞在していると、そりゃぁ、胃も痛くなるわ。今夜は野菜スープにでもして、胃を休めるとするかな」
その時は、その程度に思っただけで、特別気にも留めませんでした。
というのも、私はストレスが胃に来るたちでして(と、私は勝手に思っているのです)、胃の調子が何となく優れないという事は、過去にも時々あるのです。

ところが、その日から私は、物を食べると決まって臍の上辺りが重くなり、ゲーもしくはピー(すいません、汚い話で)になる様になりました。
不思議なのは、それがいつも食後幾らか時間が経ってから起こる事でした。

「こりゃ、胃腸が弱っているな。夏ばてか? この程度の暑さでばてるなんて、もう20歳じゃない、って事だわねぇ。それとも、この間、暑くてアイスだのジュースだの取り過ぎたからかな。頭を冷やそうと思って、胃がやられたか?」

数日間、スイスにしては暑い日が続いていましたし、午後の日差しの中、私は、マウンテン・バイクだのヴァンデルン(wandern 野山を歩くこと)をしていましたので、その時は、軽い暑気中りだろうと思いました。
というのも、私は新陳代謝があまり良くなく、汗をかき難い体質ですので(とも、私は勝手に思っているのです)、暑くて頭が痛くなったり、夏に熱を出したりした事は、過去にも何度かあるのです。

「あのね、B氏……うち、びちびちやねん」
『火垂るの墓』せつ子風に報告する私に、夫B氏は言います。
「1週間ぐらい食べなくても、どうって事はないさ。水分を十分取って、少し様子を見よう。ちょうど良い、ダイエットなんじゃないの」
「夏風邪でも引いて、胃腸に来たのかな?」
「鳥インフルエンザだったりして」
「ああ、そういえば下の猫C氏が、咳してたからねぇ……って、おい」

この時の私は、「風邪は、引きたくないな。せっかく暑いのに、湖で泳げなくなるし。いっちょ気合いで治すか」と思っただけで、まだ、病院に行く事などは、考えてもいませんでした。

しかし、2週間経っても、私の胃腸は一向に治りません。
そして、おかしな事に、問題があるのは食事だけなのです。

つまり、食事をすると臍の上が痛くなって、ゲーかピーになるのですが、食事をしなければ、何処も何ともないのです。
熱や咳も出なければ、喉が痛いということもありません。
身体がだるい訳でもなく、はっきり言ってしまえば、絶好調と言っても良いぐらい、心身共に爽快です。

もちろん、常に空腹ですから持久力は減りましたが、運動していて何処かがおかしい、という事もありません。
食欲の方も、食べる事こそ出来ませんが、衰える事はなく、思い浮かぶのは、トンカツ、ピザ、グラタン、チーズ・フォンデュという様な、病気の時には決して食べたいと思わない物なのです。

「こりゃ、病気じゃないぞ。何か、内蔵の機能に問題があるな」
この時点で私は、医者に掛かった方が良い、と思いました。
私の家系は、残念ながら皆短命で、しかも母方の祖父以外は、癌で亡くなっているのです。
「B氏、この間腸の検査はしたから、問題は腸ではないと思うんだ。ちょっと、胃カメラ飲んでみようかな」
「おぉ、何でもやっとけ」

そうは言ったものの、ここで私は、少々迷いました。

                      〜次回へ続く〜

(画像:病院のベッド)

2006年10月10日 (火)  初めての入院 2

                  〜前回からの続き〜

「どの医者に行くのか?」

これ、日本でしたら近所の内科医にでも行けば良いだけで、何の問題もないのですが、スイスでは、少しばかりややこしいのです。
というのは、スイスには『ハウス・アルツト(Hausarzt)』というシステムがありまして、簡単に言ってしまうなら、

各自が子供の頃から掛かり付けになっている医者がいて、どんな症状だろうとまずこの医者に行き(喉が痛かろうが、膝の曲がり具合が悪かろうが、ここに行くのです)、その医者から専門医を紹介してもらい、専門医での診察結果は、またその掛かり付けの医者、ハウス・アルツトに送られて、そこで説明を受けて、また別の病院なり専門医に行く必要がある場合は、そのハウス・アルツトがまた別の医院を紹介して……
全然、簡単じゃありませんか?

外国人であり、今住んでいる州に越して来てから、一度も病気になっていない私の問題は、この「ハウス・アルツトがいない」という事なのです。
しかも、ハウス・アルツトは、「新規の患者を取らない所がたくさんある」のです。

今回私の問題は、多分、胃(と、私は思っているの)です。
電話帳の一般医の項目から、何軒も「私のハウス・アルツトになってくれそうな医者」に電話して、高い治療費を払って(スイスの保険制度は、大雑把に言うと、初診料が高いのです)、胃の専門医を紹介してもらう事に、どれだけ意義があるのか?
ハウス・アルツトの料金を節約して、胃の専門医に直接行ってしまっていけない理由は、何処にあるのか?

大体、気に入ったハウス・アルツトに巡り会えるまで、何軒の医院に通えば良いのか?
だって、その後はそのハウス・アルツトに診療記録が保存される訳ですから、毎回そこに行かなくてはいけなくなりますし、気の合わないハウス・アルツトに通うのは、不安でもあります。
運良くハウス・アルツトが気に入ったとしても、そこから紹介される専門医が気に入らなかったら?

前回、腸の検査をした時には、これは単なる健康診断で、どの医院に掛かっても構いませんでしたから、近所の一般医に頼んで紹介してもらったのですが、正直に言うなら、この一般医の女医は、もう一度掛かりたいと思うような人ではありませんでした。
その、頭は抜群に良いのでしょうが、浮世離れした感じというか、話が噛み合わないのです。

「腸の専門医は、多分、胃も診るんじゃないかな?」
試しに電話帳を捲ると、腸を診てもらった医師の所には、『内科、胃腸病学専門』とあります。
この医師は、本音を言うならば、私の好みではありませんが、腕は確かそうですし、同じ医院で胃と腸の両方を診てもらったら、その後も何かと便利なのではないでしょうか?

……ハウス・アルツトは、また風邪でも引いた時に、ゆっくり探せば良いか。ここに決めようかな? でも、あの先生は、何でも話せる感じじゃぁないんだよな。
私は、落ち着いた雰囲気で、患者のおかしな質問にも、誠意を持って答えてくれるような医師が好みなのですが、この医師は、「大丈夫、心配しなさんな」と笑い飛ばしてくれるようなタイプなのです。

……でも、他所に掛かって、もっと気の合わない先生だって事もあるし、少なくともあの先生は、腕は信頼出来そうだよな。カルテがあっちこっちに分散されるのも、何だしなぁ。
私は、思い切ってこの医院に電話をしました。

が、
この医師、3週間の夏休みに入っていました。

既に2週間、殆ど固形物を食べていない私にとって、あと3週間待つのは、どう考えても無理です。
仕方がないので私は、別の胃腸病学専門医を当たることにしました。

といっても、専門医はたったの4件です。
その内一件は、例の休暇中の医師ですから、私は、残り3人の中で、一番格好良いと思える名前を選びました。

                    〜次回に続く〜

(画像:病院の廊下)

2006年10月11日 (水)  ちょっと休憩

皆さんのもそうでしょうが、私のコンピューターに付いている『インターネットウィルスプロテクター』は、定期的に自動自己診断をしてくれます。

コンピューター内のファイル等に、ウィルスが潜んでいないか探し、見付け出して駆除してくれるのです。
これは、大変便利なことですし、有り難いことでもあります。
そして、彼の仕事ぶりは、確かに優秀です。

しかし、彼は何のアポイントも無しに勝手に仕事を始め、その傍若無人さには、彼が働いている間中、他のプログラム達もびくびくする程です。

高得点を上げている最中のオン・ライン・ゲームは、慌ててサーバーとの接触を断ってしまいますし、マイクロソフト・ワードは身をすくめたまま、私の問いかけに答えようともしません。
今日も、彼が仕事を始めたとたん、皆は一様に黙り込んでしまいました。

仕方がないので私は、彼の仕事が終わるまで、部屋の掃除でもすることにしました。

が、

まだ、最初の部屋の半分しか終わっていないというのに、掃除機までもが……

「頼むよ〜。部屋、いい加減汚いんだからさぁ。そりゃ、同じ機械物だけど、掃除機とコンピューターは、全く関係ないじゃん!」

ということで、今日の日記はお休みです。

……それにしても、ウィルス・チェックの最後に現われるプログラム、『青いレース編み』って何だろう?

2006年10月12日 (木)  初めての入院 3

              〜前回からの続き〜

「名は体を表わす」とは良く言ったもので、診察室に入って来た医師を見た瞬間、私は「ビンゴ〜!」と思いました。

カルテを小脇に抱え、背筋を真っ直ぐに伸ばし、ゆっくりと近付いて来るその人物は、例え白衣を着ていなかったとしても、「彼の職業は医者じゃないかしら?」と思わせるような風貌でした。

60歳前後といったところでしょうか。
短い白髪と銀縁眼鏡がよく似合い、そのスリムな身体は、スポーツで鍛えているというよりは、健康管理が行き届いているという感じです。

「今日は、どうしましたか?」
私の手を握り、そう聞く声にも患者を安心させる響きがあります。

症状を説明する私に、時々質問を挟みながらゆったりと相槌を打ち、一通り診察(問診、視診、指診、血液採集、身体測定、家族の病歴確認など)をした後、医師は言いました。
「外から診た限りでは、何処も悪くなさそうですね。胃カメラ、呑んでみましょうか?」

ここ2週間、食事こそ出来ませんでしたが、体調的には絶好調だった私は、その場ですぐ胃カメラを呑んでも良いぐらいの勢いでいましたので、迷わず次回の予約を取りました。

ええ、そうです。スイスでは、そんなに簡単に診察は進まないのです。
これに1週間、次のに1週間、また次のに1週間……
急患でない限り、こういう具合に長い時間が経って行きます。

数日後、胃カメラを呑んだ私に、医師が言います。
「一応、内壁の細胞を検査に出してみますが、診たところ、何処にも異常はありませんね。病気というより、メカニック(からくり)の方に問題があるのかな。細胞検査の結果が出てからでないと、はっきりとは決められませんが、CT検査(例の、輪切りの写真を撮るやつです)、やりましょうか?」
「はい、やります! 何でも、とことんやって下さい」

その1週間後。
「細胞検査の結果、胃の内側は、やはり全く異常ありません。ただ、血液検査の方で、一つ気になることがあって」
「はぁ、何でしょうか?」
「そういえば、正常範囲内ですけど、血圧が低目ですね」
「ああ、それは、母からの遺伝でしょう」

「まあ、血圧が低目なのは、高目よりも良いんですけどね。みんつさん、突然ものすごい空腹に襲われる、なんてことはありますか? とにかくすぐに何か食べないといけない、ってぐらいの」
「ええ、あります。っていうか、しょっちゅう急にお腹が空いちゃって、すぐに何か食べないと、手が震えたり、冷や汗が出たりします」
「やっぱり。貴方、血糖値がかなり低いんですよ。否、異常って程ではないから、心配しなくても良いけど。そういう時は、チョコレートとかブドウ糖を取ると良いですよ」
「あ、ブドウ糖なら、いつも持っています」

「血糖値を下げるのは、インシュリンというものなんだけど、それを作る場所がね、ちょうど胃の後ろなんですよ。もしかすると、その働きが活発過ぎて、胃の動きを邪魔しているのかも知れない。胃液は正常だから、胃の収縮が悪くなっているのかも知れない。胃の動きを助ける錠剤がありますので、それを処方しますから、試しに呑んでみて下さい」

「ええと、その薬はCT検査の後に?」
「いえ、今日から呑んで、効果があったかどうか、教えて下さい。CT検査は、私の方から州病院に、出来るだけ早い日で予約を入れて置きますので、病院からの連絡を待っていて下さい」

さて、ここにもう一つ、ややこしいスイスの病院事情があります。

                   〜次回に続く〜

(画像:病院のロッカー。狭いです。)

2006年10月13日 (金)  初めての入院 4

          〜前回からの続き〜

スイスには、『診療所(Arztplaxis)』と『病院(Spital)』があり、この二つは、はっきりと分かれています。

『病院』は、日本でいうところの総合病院に当たるのですが、スイスでは、急患でもない限り、一般の患者が勝手に行く場所ではありません。
『診療所』は、アパートなどの一画にあり(表札を良く見ないと、分らない場合もあります)、同じ専門を持つ二人の医師が、共同で経営しています。

つまり患者は、具合が悪くなると基本的に、まずハウス・アルツト(これも診療所です)に行き、そこから専門医の開業している診療所へ、そして必要があれば、更に病院へと行くことになります。

私は、今回最初に行くべきハウス・アルツトを飛ばしましたから、胃カメラ検査まで通ったのが診療所で、これからCT検査をするのが病院です。
そしてこの病院へは、診療所の医師が連絡をし、折り返し病院の方から私に、電話で連絡が来、検査の日を予約することになります。

はい、もちろん病院からの電話までには、数日かかりますし、検査の日はまたその数日後、ということになりますから、ここでもかなりな日数が経つわけです。
実際私がCT検査を受けたのは、ゲー&ピーが始まってから、35日後でした。

この間、私は全くといって良い程、固形物を食べていませんし(2、3度挑戦しましたが、その後トイレに駆け込みました)、生活は運動を含め、普通に行っていましたし、
……ホント、十分な皮下脂肪を蓄えて置いて、良かったですね。

さて、CT検査の日です。
朝早くから私は、街にある州病院に行ったのですが、まあ、病院の建物自体は、スイスも日本もそんなに変わりはなく、無機質な冷たい灰色のイメージ、とでも言ったら分るでしょうか?

私が、受付で言われた待合室に行くと、そこには既に数人が座っていました。

この待合室ですが、部屋ではなく、廊下の片側に張り出された空間という感じの場所で、ただ椅子が何脚か並んでいるだけなのです。
そして困った事に、そこには係りの人もいなければ、自分がここで待っていることを届け出るべき窓口も、何もないのです。

分りますか?
病院のたくさんある廊下の1本の突き当たりに、ちょっとした空間が出来ていて、そこに椅子があるだけなのです。

「ここに座っていれば良いのかな?」
不安な声で言う私に、車で送って来た夫B氏も心配になったのか、言いました。
「検査の段取りがきちんと分るまで、俺もここにいるよ」
「ここに座っていたら、誰かが見に来るのかな? 私が今日、検査にちゃんと来ている事、病院の人には分るのかな?」
「待合室って、本当にここで良いのか? でも、それらしき場所は、ここしかないよな?」
「何かさ、このままずーっと忘れ去られそうな感じだよね。夜になるまで、ここにぽつんと座ってた、なんて、洒落になんないよね」

冗談でそう言ってはみたものの、そこは本当に忘れ去られてもおかしくないような角の空間で、看護婦だとか事務員だとからしき人は、誰も通りません。
暫く座っていた私は、あることに気付き、隣に座っているB氏にそっと囁きました。

「B氏、見て。みんな、何か飲んでるよ。大きい2つのコップはお水だとして……私も電話で、水を1L飲まされるって聞いたからさ……小さいのは、薬かな? 私もああいうの、飲まなくて良いのかな?」
「え? 今から水を1L飲むって、時間は大丈夫なのか? 予約時間、もう過ぎてるだろう?」
「うーん、予約時間は多分、受付時間なんだとは思うけど。やっぱり私、ここに座っているだけじゃ、まずそうだよね」
「まずくたって……じゃ、どうするんだ?」
「どこかに、何かあるのかな?」

本気で不安になり始めた私達は、B氏は手がかりを求め、私は誰かが通らないかと、辺りをうろうろし始めました。
 
                    〜次回へ続く〜

(画像:毎朝配られる、ハーブ・ティー。飲み放題です。)

2006年10月16日 (月)  初めての入院 5

              〜前回からの続き〜

「みんつ、見ろ。あそこに小さなボタンがあるぞ」

夫B氏が指した先には、事務室か何かのドアがあり、その横の壁にボタンが一つあります。
壁がそうならドアもボタンも皆白なので、ぱっと見ただけでは、その小さなボタンは、今まで私達の目に入らなかったのです。

しかし、そこには、そう、ボタンがあるだけなのです。
注意書きがあるわけでも、ドアの向こうが何の部屋なのか、表示があるわけでもないのです。
いえ、その前にそのボタンは、それが果たしてブザーなのか、電気のスイッチなのか、単なる構造上の突起なのか、それすらもはっきりしないような代物です。

「押すか?」
「でも、これを押さなきゃいけないなら、普通何か書いてない?」
「だよな」
「うん、病院に来て、ただ壁にある白いボタンを押す人って、変だよね?」
「確かに変だ。でも、他になにもないぞ」
「……」
「ええいっ、俺は、押すぞ!」

B氏が意を決してそのボタンを押すと
「……しーん……」
何も起こりませんでした。
ドアの向こうから誰かが出てくるのでもありませんし、何かチャイムの様な音が鳴るのでもありません。

「もう一回押してみる?」
「いや、止めておく」
「このボタンは、何なんだろうね?」
「俺には、分らん」
「ドア、ノックしてみる?」
「みんつがするか?」

と、その時、私の目の角に、信じられないものが飛び込んで来ました。

あれは、日本では何と言うのでしょう?
スクーターのエンジンがないもの、もしくは自転車の座る場所がないもの、とでもいう感じの、L字型で小さな車輪が二つ付いた、片足で地面を蹴って乗る物です。
よく、子供や若者が通りで遊んでいる、あの乗物です。

スイスでは、それを『トロッティネット』と呼ぶのですが、そのトロッティネットに乗って、白衣を着た女性が、廊下をスーッと滑って来たのです。

ブリジット・フォンダだったか、ジョディー・フォスターだったか、ハリウッド映画では、ローラー・スケートで料理を運んで来る、若いセクシーなウエイトレスを見たことがありますが、トロッティネットで病院内を移動する太った中年の看護婦は、私、初めてです。

……これは、病院全体がそうなの? それとも、この人だけがしている事? 太っているから、移動が大変とか? いや、たまたま今だけやった、単なる洒落かも?

自分の見ている光景が上手く理解出来ず、私が頭の中でそんな事を考えている内に、その看護婦は、またトロッティネットに乗ってスーッと行ってしまいました。

これは、もう完全に、待っているだけではいけない様です。
私は、トロッティネットに乗った看護婦が消えた、廊下の先に行き、そこにいた別の看護婦に聞きました。

「あの、私今日、CT検査を受けるのですが、待合室にただ座っていれば良いのでしょうか?」
「あら、ただ座っていても駄目よ。来ている事を教えてくれなきゃ、誰にも分らないじゃない」
「……」

こうして私は、無事、大きなコップ2杯分の水を手に入れ、一緒に来てくれたB氏を、仕事に送り出しました。

そして、その水を20分間で飲んだ私の胃は、その直後、寝かされた診察台の上でまた大きなコップ1杯の水を飲まされ……

               〜次回に続く〜

2006年10月18日 (水)  お知らせ

皆様へ

連続物の日記の途中で、長く引っ張るようで申し訳ないのですが、今週は夫B氏、在宅で仕事だそうです。

……いやぁ、私もね、これ、知らなかったんですけどね、毎朝B氏が家にいるんで、変だとは思っていたのです。

夫が家にいると、主婦というのは、途端に自由時間がなくなるものです。
かくいう私も、「朝ご飯どうする?」というB氏の起き抜けの問に、戸惑っております。

ということで、今週は、日記の更新が不定期になりそうです。

掲示板の書込みは、手の空いた時にちょこちょこと出来るのですが、やっぱり日記は、静かな時間がないと、なかなか書けませんね。

では、今日はこれから、街へ掃除機を買いに行って来ます。

        みんつ

2006年10月23日 (月)  初めての入院 6

                 〜前回からの続き〜

「上着、ズボン、靴を脱いで、台の上に横になって下さい」
CT撮影室に入った私に、若い看護婦が言いました。

この台詞で何か気付いた方、いますか?
日本でしたら、当然もう一つ、ここに加わるべき物がありますよね。

はい、『ブラジャー』ですね。
ブラジャーのワイヤーが画像に写ってしまうので、日本でしたら、女性はこれも脱ぐようにと言われますよね。
しかしスイスでは、それは忘れられる事が多いのです。
理由は簡単です。
スイスのブラジャーには、ワイヤーがない物が多いからです。

日本にいると、ヨーロッパの女性は大きな胸をしていると思いがちですが、彼女達は、胸が大きいのではなく、胸囲が広いのです。
ですから、大きく見えるその胸も、ワイヤー無しのブラジャーで支えることが出来るのです。
スイスで下着売り場に行くと、場合によっては、ワイヤー付きのブラジャーを見付ける方が、大変だったりすることもあるぐらいです。

そして、私の場合ですが……
私の『ブツ』は、幸運にもワイヤーが必要なのです。

ですから、看護婦の台詞に気付いた私は、敢えて聞きました。
「ブラジャーは、外さなくて良いのですか?」
しかし答えは、「そのままで良い」です。
これ以上は、仕方がありませんよね。
私は言われた通り、そのまま台の上に横たわりました。

しかし、パンツと靴下、ブラジャーにタンク・トップという姿で、左腕に管を刺された(後から薬が注入されます)私は、水でたぽたぽの胃を押えながら、「これは絶対おかしいな」と思っていました。

少しすると、技師の女性がガラス越しの隣室に現われ、マイクを通して指示が始まりました。
「両腕を頭の上に伸ばして下さい」
「大きく息を吸って」
「はい、止めて」
「少しうるさい音がしますけど、びっくりしないで」……

小さいトンネルの様な機械が、私の胃の辺りに来た時、やはりそれは起こりました。
「あっ、みんつさん、ブラジャーをしたままですね」
技師は、機械を一旦止めると、私の側にやって来ました。
「ブラジャー、ちょっとずらさせてもらっても、良いかしら?」
「ええ、良いですけど……脱ぎましょうか?」
「いいえ、ずらせば大丈夫だから、脱がなくても良いわ」
そう言うと技師は、私の頭の上に屈み込む様にして、ブラジャーを脇の下までずり上げました。

私、病院で色々なことをされるのは、案外平気な方だと思うのです。
内科医でシャツを捲り上げるのも、産婦人科の定期検診も、腸の検査も、特に恥ずかしいとは思いませんでしたし、整体でパンツを下げて、いわゆる「半ケツ」の状態で腰を診てもらった時も、何も思いませんでした。
レントゲン撮影後に、上半身裸で暫く技師の人と話した事もあります。

しかし、この状況は、そのあまりの違和感に、私、初めて恥ずかしいと思いました。
ええと、何と言ったら良いのでしょうか、これは、私の感覚では、男性にされる方が、より事務的ですんなりと受け入れられる、という感じなのです。

「若い綺麗な女性に、ブラジャーを脇の下までずり上げられる」
……いやぁ、今回の入院体験では、この初体験が、私には一番応えました。

                     〜次回に続く〜

2006年10月24日 (火)  初めての入院 7

               〜前回からの続き〜

ブラジャー問題も片付き、私は万歳の格好で台に横たわったまま、ほんの少し緊張していました。

「大きく息を吸って」
「はい、止めて」
「もう一度大きく吸って」
……大きく吸った息は、いつ吐いたら良いんだろう?

「はい、今から液体が注入されます。身体が熱くなるかも知れませんが、それは薬のせいですから、心配しないで下さい」
そう聞こえたかと思うと、左腕から左肩、胸、腹へと身体が熱くなり、液体の流れ道が、面白いぐらいにはっきりと感じられます。

そして、それが下腹部に到達した時です。
「あぁっ!!」
体内を流れて来た液体が、何と、下腹部からじわ〜っと流れ出てしまいました。
その、簡単に言うと、私、お漏らしをしてしまった様なのです。
万歳をしていますので、確かめることは出来ませんが、多分、パンツは腹までびしょびしょです。

……良い歳をした大人なのに、これはまずいよ。やっぱり、水をあんなに飲まされたからだな。……帰りは、ノーパンか。……恥ずかしいけど、やっちゃったものは仕方ないし。……看護婦さん達は、こんなのには慣れているだろうし、開き直っちゃえは良いか。……お漏らしの始末は、やっぱり自分でやった方が良いかな?

私が色々と考えている内にCT撮影は終わり、技師や看護婦が部屋に入って来ました。
「もう、腕を降ろして良いですよ」
「すいません、私、おしっこしちゃったみたいなんです」
恐縮しきって告げる私に、看護婦は左腕の管を外しながら、大したことではないという風に微笑みます。
「ああ、薬のせいですから、心配は要らないですよ。そういう風に感じる方もいるんです」
「???」
「気分はどうですか? どこかおかしいところは、ありますか?」

管が外された手で慌てて確かめると、私のパンツは、ちっとも濡れていません。
「あれ、出てない。あの、トイレに行っても良いですか?」
尻の方まで確かめている私に、看護婦は言います。
「トイレね、電気が壊れているから、ドアを少し開けたままで使って下さい。ここは誰も来ないから、大丈夫ですよ」

パンツのままで靴を引っかけると、私は長〜い、今までの人生でこんなに長いのはしたことがない、という位に長いおしっこをしました。
下品な話で申し訳ありませんが、切れが悪いと言ったら分るでしょうか、勢いのない小水がだらだら流れ、一回終わったと思っても、「んっ」と力むと、またちょろちょろっと出て来て、それが延々と続くのです。

5分か10分か、ドアを少し開けた真っ暗なトイレの中に座った私は、ドアの向こうで看護婦達が出入りする気配を感じながら、ちょろちょろちょろちょろと。
その後も私は、ただ「病院を出るまで」というだけの間に、2回長いトイレに行きました。

さて、こうして『病院』でCT検査を済ませた私は、もう一度『診療所』の医師、胃の専門医に予約を入れました。
はい、検査の結果を聞くために、です。
やっぱり、ややこしいですよね?

『病院』では、CTの撮影をして、その結果をレポートに作成するところまでやりますが、そのレポートは再び『ハウス・アルツトの診療所』(私は今回、ハウス・アルツトを飛ばしましたので、専門医ですが)に送られるのです。
そして患者は、その『ハウス・アルツト』から結果を聞かされます。

数日後、『診療所』の医師から聞かされた検査結果は、「胆嚢に問題がある」です。

私はずっと、「固形物が消化出来ない」と思っていたので、毎日ミルク・シェークだのヨーグルトだので栄養を取っていたのですが、実際の問題は「固形物」ではなく、「脂肪分」だった様です(胆汁は脂肪の消化を助けます)。
いやぁ、道理でピーが続いたわけです。

その後私は、サラダや温野菜を食べてみましたが、問題なく消化出来ました。

               〜次回へ続く〜

2006年10月25日 (水)  初めての入院 8

           〜前回からの続き〜

「胆嚢に問題があるから、手術をしましょう」

医師からそう言われた私は、正直に言うなら、かなりショックを受けました。
というのも、私は今まで、大きな病気も怪我もしたことがないのです。
それがいきなり、手術です。

「あ、ちょっと待って下さい。夫も一緒に説明を聞いて良いですか? その、後で色々質問されても、私、答えられないと思うから」
その日は土曜日で、私を送って来た夫B氏は、待合室にいましたので、私は医師の説明を遮ると、B氏を呼びに行きました。

医師曰く
「ヘーゼル・ナッツ大の胆石らしき物と、何かの固まりが胆嚢内にあります。固まりの検査は、胆嚢ごと取らないと出来ませんし、胆石らしき物は、今は良くても、いずれ問題になるでしょうから、取った方が良い。ですから、手術をしましょう。手術は、腹腔鏡で出来ますので、お腹に小さな穴を2つ3つ開けるだけです。傷跡も目立たないだろうし、3、4日で退院出来ますよ」

簡単に説明するなら、胆嚢というのは、肝臓で作られた胆汁を溜めて置く所で、脂肪分が腸内に入って来た時、その胆汁を出す役目をするのです。
胆嚢自体は、もし取ってしまったとしても、胆汁の流れる管が太くなり、その役目を補うので、無くても生活に支障はありません。

医師はこんな風に説明してくれました。
「胆嚢が無くなっても、何も気付かない筈だよ。ただ、卵を一度に3つ食べたら、3個目はそのまま出てくるけど」

卵は、コレステロールの問題もありますし、どっちにしても一度に3個なんて食べませんから、私の生活は、つまり、胆嚢が無くなっても何も問題はない、ということです。

それでも私は、やっぱりショックを受けていました。
胆嚢を取ってしまうことにではなく、腹に傷が出来るであろう事が、嫌だったのです。
女として、美を損なうであろう事に、抵抗があったのです。

……でもね、はっきり言うならば、私はやんちゃな子供時代を送っていましたので、お腹にこそないものの、傷自体は、あちこちにあるのですから、女心というのは、おかしなものですね。

さて、入院をすることになった私は、この後、胆嚢だの手術だのとは全く無関係なことで、大きなストレスを受けることになりましたが……そのお話は、次の日記で。

              〜次回に続く〜


(画像:病院食。「脂肪分は消化出来ない」と告げた日の昼食。

−ココナッツ・ミルク入りチキン・カレー
−とき卵のコンソメ・スープ
−フレンチ・ドレッシング(マヨネーズみたいなやつです)のかかったサラダ
−生クリームの乗ったカラメル・クリーム
−コーヒー、クリーム付き

この中で食べられるのは、カレーのかかっていないご飯の所と、クリームを入れないコーヒーだけ。

……だからさぁ、乳製品や卵は駄目だって言ったじゃん。)

2006年10月26日 (木)  初めての入院 9

            〜前回からの続き〜

以前に比べ、回数こそ大分減りはしたものの、私の義母は、定期的に我が家に電話をかけて来ます。

用事は、特にないのです。
ただそうすることが、義母にとっては、家族として重要な事なのです。
また、毎回「私達夫婦が最近何をしたか」を知りたがる義母は、それでも私達の生活には、大して関心がありません。
ただ知っているということが、義母にとっては重要なのです。

私の両親は、「幼稚園の子供じゃあるまいし、何もかも一々両親に報告する必要はない。話したければ話したら良いし、お前が必要でないと考えたら、別に言わなくても良い」という考えでしたので、私には「誰と何処で何をしたか」を、ましてやそれが相手の知らない人物であるならば、笑い話としてでもでない限り、話す習慣がありません。

ですから、義母の尋問が嫌だとは思いつつも、矢継ぎ早に繰り出される質問に、「良い嫁」でいたいという下心があるのでしょう、何となく条件反射的に答えてしまうのです。
これは、夫B氏も同様で、義母から電話があると、決して話が盛り上がらないとは知りつつも、暗く沈んだ声で答えているのです。

そして、私が1ヶ月以上も前から、まともに食事が出来ていない事、その為に検査をしている事は、沈黙に耐えられなかった私達夫婦のどちらかが、いつだか既に話してしまっていて、義母にとっては、我が家に電話をかける良い口実となっていたのです。

「みんつ、その後体調はどう? 検査の結果は、もう出たの?」
そう聞かれた私には、「入院する事になった」と告げれば、今後どんな展開が繰り広げられるのか、十分に分っていました。
しかし、いくら何でも入院を隠して置くのは、やはり躊躇われました。

入院が決まってから、私がずっと考えていたのは、義母に何処まで話すか、でした。

というのも私の胆嚢内には、「胆石らしき物」と「何かの固まり」があって、正確に言うならば、この「何かの固まり」は、胆嚢を取った後でなければ、はっきりと何であるか分らないのです。
医師も私も、この固まりが大した物ではないだろう事を、ほぼ確信してはいましたが、それでもそれが「悪性の腫瘍」、つまり「癌」である可能性は、この時点では、ゼロではないのです。

私の母は、私が高校生の時から、癌で何度も入退院を繰り返していましたので(現在は既に、亡くなっています)、私は、癌を煩うという事がどういう事なのか、それに対して周りの人達が、どれだけ無神経な反応をするのか、少しばかり知り過ぎています。

もちろん皆、それぞれの判断で、「良かれ」と思ってする態度であったり、発言であったりするのですが、それが当人にどう影響を及ぼすのか、案外これは、近しい人であっても分らない事が多いのです。
また、私の家系は、母方の祖父以外皆、癌で亡くなっていますから、私が癌にかかる確率は、多分、低くはないのではないでしょうか。

ですから今回私は、この「何かの固まり」が癌でないと分るまで、そのことを誰にも知られたくなかったのです。
無神経な反応に平気でいられる自信がありませんでしたし、もしそれが本当に癌であった場合、私を良く知らない人には、そのことを知られたくないと思ったのです。

(ご心配をなさる方がいるといけませんので、書いて置きますが、検査の結果この「固まり」は、「筋肉か何かが張り出していた物」で、腫瘍ですらありませんでした。)

義母の良かれと思ってする発言や態度が、私の望む物とは正反対であるだろう事も、残念ながら、私には十分過ぎる程、分っています。

落ち込んでいる時に、「大丈夫、貴方なら出来る。頑張って」と言われて奮起する人と、「頑張れないから、落ち込んでいるんだよ」と思う人がいますよね。
もしくは、「この人に言われると嬉しいけど、あの人に言われると嫌な気分になる」という事もありますよね。
これがしっくり噛み合うのは、お互いに気心の知れた(好意を持ち合っている)、仲の良い人が相手の時だと思うのですが、如何でしょう?

B氏には、「私の入院に関する事は、一切誰にも言わないように」と頼んでいましたので、私は義母の電話に、用心深く事実の一部だけを伝えました。

               〜次回に続く〜

(画像:血栓症防止用靴下。手術後に履きます。

注;脚の太さ、形等に関するコメントは、男性の皆さん、良く考えてからにしましょうね。)

2006年10月29日 (日)  初めての入院 10

               〜前回からの続き〜

「CT検査の結果、胆石が見付かって、手術することになりました。全身麻酔なので、一応入院するけれど、手術自体は腹腔鏡でやるから、身体への負担もあまりないそうですし、三日ぐらいで退院出来るそうです」
「全身麻酔なの?」
「胆嚢の手術では、局部麻酔はないそうです」
「そうなの。薬か何かで散らすんじゃ、駄目なの?」

「胆石は、石といってもカルシウムや塩、脂肪分が固まった物で、爪で引っ掻いたら壊れるぐらいの柔らかい物だそうです。で、壊れて細かくなると、他所の器官に入り込む可能性もあって、そうなると、それこそ命取りになる場合もあるそうです。だから、まだ何も問題がない内に手術した方が、患者の負担も少ないそうです」
「でも、痛くないのよね?」

「ええ、全然。ただ私の場合は、食事が出来ないという問題があるので、放って置く訳には行かないんです。それに、痛くなってからだと、急患で運ばれて、大変な事になるらしいです」
「ふうん。私の知人にも胆石をやった人がいるから、ちょっと確認してみるわね」
……確認して、どうするのでしょう? 素人の経験談より、医師の診断の方が、確かだと思いますが。

こういう発言は「良かれ」と思って、つまり、「ひょっとしたら、それでも手術をしなくて済むんじゃないかしら」と思ってしてくれているのでしょうが、私にしてみれば、もう手術は決まったことですし、医師を信頼して任せるしかないのですから、かえって気持を乱すだけで、嬉しくはないのです。
大体、その手のことは、私だって既に医師に確認しています。
こういう会話が負担にならないのは、気心の知れた親しい人が相手の時ですよね?

「それで、手術はいつなの?」
「今、病院からの連絡待ちです」
「じゃ、また週末にでも電話するわね。その頃には、入院の日も決まっているでしょう?」
「さぁ、どうでしょう。でも、たった三日間なので、見舞いとかは良いですよ。わざわざ街まで、時間をかけて見舞いに来る程の手術じゃないし、友達にも伝えていないんです。来られてもかえって気を使っちゃうから」

「あら、私は気を使わせたりしないわよ」
「え?」
「ちょっと顔だけ見たら、すぐに帰るから」
「いえ、お見舞いは、本当に来なくて良いです。三日間だと、検査の日、手術の日、結果が良ければ、退院の日でしょうから、実際時間もないし」
「でもね、貴方はうちの家族の一員なのよ。お見舞いには、行かなくちゃ。貴方は、私が見舞いに行きたいと思っているとは、考えないの?」
……お義母さんが来たいから、手術を受ける私は、それを尊重しないといけないの?

「気持ちは有り難いですけど、最初の日は検査で忙しいだろうし、手術の日は、麻酔で起きているかどうかも分らないし、ひょっとしたら傷が痛くて、人に会いたい気分じゃないかも知れないし、三日目は、経過が良ければ退院か、悪ければ来られても相手が出来なから、かえって困ると思うんです。それに、いくら簡単な手術といっても、私には初めての事だし、やっぱり気持は動揺しているんです。だから、誰かがいると気が休まらないから」
「初めての手術だからこそ、誰かに側にいて欲しいって事もあるでしょう」
……その誰かは、絶対貴方じゃありませんよ、お義母さん。

「そういう人もいるかも知れないけど、私はどっちかというと、一人で静かにすべき事を終わらせたい方なんです。誰かが側にいると、不安でも話をしなくちゃいけないとか、傷が痛いのに微笑まなくちゃいけないとか、色々気になるんです。長い入院なら、見舞いがある方が退屈しないけど、今回はさっさと帰って来ますから、退院したら、そちらに顔を出します」
「そうはいってもね、不安になった時に誰かがいたら、安心するのよ」
……だから、それは貴方じゃないんだよ。貴方がいたら、私は余計不安になるんだよ。頼むから、そっと手術を受けさせてくれ。

「私、もういい歳ですし、自分がどうしたいかは分っています。今回の入院は、短期間だから忙しいでしょうし、私には、外国の勝手の分らない病院ですから、自分の事で精一杯なんです。B氏にも、退院の日に迎えに来てくれるだけで良いと、言ってあります。お義母さんの気持は有り難いのですが、今回は、見舞いに来て欲しくないんです」
「でもね、貴方は家族の一員なのよ」

こんな問答が延々と続き、義母は、「もう一度週末に電話を入れるから、入院の日が決まったら、必ず教えるように」と言って、電話を切りました。

                 〜次回に続く〜

2006年10月31日 (火)  初めての入院 11

              〜前回からの続き〜

「初めての、しかも短期間の入院で、他人に気を使える程には、時間や気持にゆとりがないから、誰も見舞いに来て欲しくない」

そう思う事は、そんなにおかしなことでしょうか?
内臓を一つ取られてしまうというのに、それでも家族の一員としての役目を果たす方が、本当に重要なのでしょうか?
見舞いとは、一体誰の為のものなのでしょう?

電話を切った私は、恥ずかしい話ですが、その後長い時間、泣きました。
義母から好かれているとは、正直に言うなら、とっくに思ってはいませんが、入院の時ぐらい、私の意思を尊重してくれる程度の思いやりは、私、やっぱり期待していたのです。

私の身体より、義母としての対面の方が大事なのだろうか? 本気で喧嘩をしないと、義母には通じないのだろうか? だとしたら、これから先、嫁としてやって行けるだろうか? 日本に帰って手術をした方が、良いのではないだろうか? 否、いっそ、義母の手の届かない所で暮らしたい……

1ヶ月以上まともに食事をしていない上に(食い意地の張った私には、これは、かなりのストレスです)、色々な思いが交錯して、私は、本気で参ってしまいました。

そしてその日の夜、私達夫婦は、外でバーベキューをしたのですが(脂肪分が食化出来ない私は、ズッキーニだけ食べました)、グリルの火を見つめながら、私は我慢しきれずに、夫B氏の前でも泣き出しました。

「もう、日本に帰りたい。お義母さんの事、嫌いにならないようにしようと思って頑張ったけど、これ以上は無理だよ。今回は、私の手術なんだよ。お腹を切られるのは、私なんだよ。それなのにお義母さんは、私が彼女の望みを叶えることを期待しているなんて、私、ばかにされているの?」

「そんな事はないと思うけど、お袋には、そういうのが分らないんだよ。自分が良いと思う事は、他人も良いと思うに決まっているって、思い込んでいるんだ。みんつ、今回は俺が、お袋にきちんと話をしようか?」
「どうするのが一番良いのか、今は分かんない。ただ、もうスイスには、居たくない気がする」

「日本に帰るのか?」
「うん、帰りたい」
「俺はどうなるんだ?」
「B氏は、好きにしたら良いよ」
「離婚になるのか?」
「離婚はしたくないけど、B氏は、日本じゃ仕事がないでしょう」
「俺が、みんつを愛しているのは、分っているよな?」
「分っているけど、貴方のお義母さんが、ややこしくするんだもの。お義母さんが干渉出来ない所で、静かに暮らしたいの」

「お袋のせいで俺たちの生活がおかしくなるのは、間違っているだろう。まずは俺たちの生活があって、それにお袋が付いて来るんだから、それが逆になるのは、おかしいよ」
「うん、そうだよね。でもさ、後は本気で喧嘩するぐらいしか、方法は残っていないよ。喧嘩になったら、多分、私が勝つよ。そうなったらお義母さんは、私と殆ど会わない事になると思うよ」

「俺は、それで良いぞ。そこまでやっても分らないようなら、俺も縁を切るから。もちろん、上手くやってくれたらその方が良いけど、そう行かないなら、仕方がないもんな。みんつ、お袋には言いたい事を言って良いぞ」
「ありがとう。少し考えてみる。でもね、今はちょっと疲れちゃったよ」

その後、私達のそんな事情も知らない義母は、週末の電話まで待てずに先走りをし、B氏に叱られる事になりました。

                〜次回に続く〜

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