2007年10月2日 (火)  出没、キノコ泥棒! (序章)

【グラゥビュンデン州自然・環境局、キノコ保護に関する条例】

禁狩期: 毎月1〜10日
許可量: 一人1日2kgまで
禁止事項: 
・故意にキノコを破壊する
・あらゆる器具の使用
・4人以上のグループでの採集、家族は除く


【8月31日付、南東スイス新聞よりの抜粋】

昨日、営林署員が3名のイタリア人を止め、検査をした。
グラゥビュンデン州警察の報告によれば、その時、彼らが集めた23kgのキノコが発見されたとのこと。
3名は警察に引き渡され、植物及びキノコ類保護条例違反のかどで、告発された。


【シュタインピルツ(Steinpilz)】

食用キノコ、市場用キノコ。
傘の大きさは10〜25cm、茎の長さは15cmまで。
最も人気のあるキノコの一つで、消化が良く、タンパク質を豊富に含む。
味はクルミ風。




                  〜次回に続く〜

2007年10月3日 (水)  出没、キノコ泥棒! 1

                  〜前回からの続き〜

9月9日(日)午後3時頃。

裏山へ散歩に出た私達夫婦は、偶然あるものを見付けました。
「B氏、あそこ見て! あれ、何だろう?」

草原の向こう、森と森の切れ目になっている所に小さな丘があり、その真ん中に、2本の材木を無造作に組み合わせた、高さ3mはあるかと思われる、大きな十字架が立っているのです。

「お墓かな? でも、何であんな所に。見晴らしは良さそうだけど、独りぼっちだよね」
首を傾げる私に、夫B氏が笑います。
「あれは、展望地点の目印だよ。ほら、山の頂上なんかにも、よく十字架が立っているだろう。それと同じさ。あそこで休憩しようぜ」
私達は、ハイキング道から外れて、十字架まで草原を真っ直ぐ突っ切る事にしました。

「ん? 気を付けて。何か、獣の臭いがする。この辺は、熊は出ないよね? 大型犬かな?」
私がそう言って2分と歩かない内に、山小屋が現われ、黒い犬が私達をめがけて走って来ました(この辺りの犬は、皆放し飼いです。)。

ぎゃんぎゃん吠え立てる犬に、私達が少しばかり辟易し始めた頃、山小屋の小さな窓が開き、あまり手入れをしているとは思えない、長い髭を蓄えたお爺さんが顔を出しました。
「しっ! 吠えるな!」
「こんにちは。この犬、吠えてるだけで、何もしませんよね?」
「ああ、大丈夫だよ。こら、家に戻るんだ!」
ぶっきらぼうにお爺さんは言うと、犬と共に、山小屋の中に引っ込みました。

「良い番犬だけど、ちょっとうるさ過ぎだね」
「俺は犬よりも、みんつの鼻の良さが恐いな」
「あの臭いは犬かな? 案外、お爺さんかもよ」
そんな事を言いながら、丘に踏み込んだ私達は、ほぼ同時に足を止めました。

「あっ! これは、もしかして!!」
「あぁ、多分そうだ。かなりでかいな」
なんと私達の足下には、広辞苑程も大きさがある、キノコが生えているのです。

茶色で不規則な形の傘、単一で生え、これだけ大きくなれるもの、そして、場合によっては四角くなるそのキノコは、私の知る限り、誰もが狙っている『シュタインピルツ』です。
しかし、残念な事に私達は、2人ともキノコに詳しくないのです。

「どう? やっぱりシュタインピルツ? こんなに大きいと、もう古いよね?」
「うーん、どうだろう?」
地面に這いつくばっているB氏を置いて、私は付近を調べることにしました。
というのも、シュタインピルツの生える場所には、一つ大きな特徴があるからです。

「ああ、B氏、シュタインピルツらしきやつが、一杯生えてるよ。あっちにもこっちにも、もっと若くて、美味しそうなのが生えてる。すごい、すごい、大猟だ!」
騒ぐ私を尻目に、B氏は無言で、広辞苑の裏を調べます。
私は引き続き、大きな特徴を探しました。

「あっ、あった!! B氏、このキノコ達はみんな、ほぼ間違いなくシュタインピルツだよ。だって、マリオのキノコが、ここに一杯生えてるもの」
「おっ、フリーゲンピルツ、あったか?!」

そうです、キノコ採り達の間では、「シュタインピルツの側には、必ずフリーゲンピルツが一緒に生えている」と言われているのです。

【フリーゲンピルツ(Fliegenpilz)】
猛毒、死に至る。
別名:マリオのキノコ(みんつ命名)
由来:『スーパー・マリオ』ゲームより。



              〜次回に続く〜

2007年10月5日 (金)  出没、キノコ泥棒! 2

                 〜前回からの続き〜

「どうする?」
「うーん、そうだなぁ」
足下にたくさん生えている、シュタインピルツと思しきものを眺めながら、キノコに詳しくない私と夫B氏は、考え込んでしまいました。

というのも、この日私達は、散歩がてらニワトコの実を集めようと思っていたので――これは、ジュースを作ります――大きな袋を一つ持って来ていたのです。
そして辺りには、その袋一つでは入り切らない程のシュタインピルツが、いえ、少なくとも、私達にはシュタインピルツと思えるものが……

「9割方、これはシュタインピルツだと思うな、私は」
「俺もそう思うけど、似ているキノコはたくさんあるからな。採って帰っても、誰かに確かめて貰わないと」

「あっ、B氏今、携帯持ってるよね? 写真を送って、M氏に見てもらえば良いじゃん! で、ついでに、今夜はM氏達とキノコ・パーティーをやるっていうのは、どう?」
M氏とは、毎年秋になるとシュタインピルツを採りに行く友人で、私達も毎年、そのお裾分けに与っているのです。

「おぉ、それは良い考えだ! でも俺、携帯でどうやって写真を送るのか、知らないんだけど」
「えぇ〜っ、それじゃB氏、うちのお父さんと一緒じゃん」
その後B氏は、暫く携帯電話をいじっていましたが、やはり画像を送る事は出来なかった様で、M氏に直接電話を掛けていました。

で、その結果……
これは、ほぼ間違いなくシュタインピルツである事、しかし、キノコ狩りは毎月10日まで禁狩になっている事を、M氏から教えて貰いました。

「11日、俺が仕事から戻ったら、もう一度ここに来よう」
「駄目だよ、夕方じゃ遅過ぎるよ。シュタインピルツは、みんなが狙っているんだし、こんな場所、この辺の人は絶対知ってるよ。それに、あそこの山小屋のお爺さんが、採るかも知れないよ。犬があれだけ臭いとなると、あれは、鹿狩りじゃないな。やっぱり11日の朝一番でないと、無くなっちゃうと思う」

「じゃ、みんつが一人で朝、採りに来るか?」
「それしかないと思う。B氏が仕事に出るのは7時? 私をその時間に、車で下の駐車場まで連れて来てくれたら、かなり早い時間にここへ来られるよね」
「問題は、一人で帰れるかだな」

お恥ずかしい話ですが、私はものすごく方向音痴でして、この十字架のある丘には、今日が初めて、しかも偶然に辿り着いたのです。
その上、ここに来る途中で私は、既に自分の家の方角を完全に逆方向だと思っていて、B氏に笑われたばかりだったのです。
正直なところ、私が一人で朝早くこの場所に来、きちんと帰れなくなる可能性は、“ある”と言わざるを得ません。

「ま、最悪の事態が起こったとしても、山を下に向かって歩き続けたら、私は、お義母さんの家に着くだけなんじゃない?」(義母の家は、この丘を挟んで、我が家と正反対の方向です。)
「否、一人は危険だ」
「もう一つ、あまり気は進まないけど、最良だと思える案があるな、私には」
「何だ、それは?」

「どっちにしても、家に帰ってネットで色々調べないと。確かキノコ狩りには、一人で採って良い量に、制限があったと思うんだ。私一人でこれを全部採って、もっと周りも探したら制限オーバーだよね。それに、たくさん採っても、中に間違ったキノコが一杯入ってるんじゃ、意味ないじゃん。となると、やっぱり誰か、キノコに詳しい人が一緒に来た方が良いんだよ」
「???」

「ふふふ、朝早く起きる習慣があって、特に毎日しなくちゃいけないことも無くって、キノコ狩りが趣味な人達を、私は知ってるんだよね」

この日私達は、ニワトコの実集めをすっかり忘れたまま、家に戻りました。

                〜次回に続く〜

2007年10月8日 (月)  出没、キノコ泥棒! 3

               〜前回からの続き〜

インターネットで調べた結果、キノコ採りに関する条例は、友人M氏が言った「毎月1〜10日は禁狩」に加え、「8時〜20時の間で、一人2kgまで」とあります。

「私、11日の朝一であそこに行くよ。あんな簡単な場所、この辺の人なら誰でも知っているだろうし、スイス人は早起きだからね、遅くとも午前中じゃないと、行くだけ無駄だと思う」
そう言う私に、夫B氏が疑わし気な顔をします。
「で、2人は誘うのか?」

「うん。キノコを確認して貰いたいのもあるけど、一人2kgまでとなると、やっぱり頭数がある方が良いと思う。私達がちらっと見ただけでも、あんなにたくさんあったんだもの、森の中まで探したら、2kgは簡単にオーバーしちゃうよ。3人で行けば、6kgまでOKじゃん」
「本当に大丈夫か?」

「じっと座って会話するわけじゃないし、やる事があるから、大丈夫なんじゃないかな。少なくとも、私から誘えば喜ぶよね、2人は?」
「ああ、喜ぶのは確実だな」
ということで、私は早速、義父母宅に電話を入れました。

電話に出た義父は、「キノコ採りに付き合って欲しい」という私の頼みを、2つ返事で引き受けました。
その声からも、義父がこの申し出を喜んでいる事は、明らかでした。

ちなみに義母は、この時電話の後ろで、「みんつは、早起き出来るのかしら?」と、いつも通り、他人のやる気に水を差す様な事を言っていましたが。

そして、「シュタインピルツではない可能性もあるから、無駄足になるかも知れないけど良いか?」と心配する私に義父は、「大丈夫、シュタインピルツじゃなくても、山には絶対何かあるから」と、快活に答えました。

さて、当日朝……と書きたいところですが、義母と何かをする場合、事は決してすんなり進みません。

で、今回の問題は何かというと、天気です。
電話を切り、新聞の天気予報を見た私が、まず考えた事は、「義母を落ち着かせる為に、もう一度電話をすべきか?」でした。

こういう事なのです。
天気予報では、明日から天気が崩れ、私達がキノコ採りに行く明後日、11日の午前中までは雨、となっています。

私と義父は、単にこう考えます。
「天気予報は、当たる事もあれば外れる事もある。当日朝になって、土砂降りなら当然中止だし、ちょっとぐらいの雨なら、カッパを着て行けば良いだけのこと。その中間なら、電話で話し合う。どっちにしても当日まで待つしかない」

しかし義母は、こう思います。
「まあ大変、天気予報で雨って書いてあるわ。雨が降っているのに、山に行くのは無理なんじゃないかしら。どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう」

暫く考えて、私は、敢えて電話をしない事に決めました。
義母と一緒になって大騒ぎをしても、何も解決しないだけでなく、彼女の心配性を大きくするからです。
今電話を入れたら、明後日の朝までに、何回も電話をする羽目になりますから。

が……
もちろん、私が電話をしないという事は、それで全てが終るという事ではなく、義母にせっつかれた義父が、翌日私に電話をしてきました。

「天気予報では雨って書いてあるけど、多少の降りなら、行くだろう?!」
「はい、そのつもりです!」
「じゃ、当日朝」

こうして私は、義父母を伴って、大量のシュタインピルツを採りに行ったわけですが……

                〜次回に続く〜

2007年10月10日 (水)  出没、キノコ泥棒! 4

                 〜前回からの続き〜

9月11日(火)、朝7時45分。霧雨。
義父の運転する車で、私達はキノコ採りに出掛けました。

我が家からキノコを見付けた十字架の丘まで、徒歩だと約1時間半掛りますので、少しでも早く現地に着きたい私達は、車で行かれるぎりぎりの所まで、車で行こうと考えました。
それでも、駐車場所(野原です)から十字架の丘まで、45分程山を登らなくてはなりませんから、キノコ採り開始時間は、8時半過ぎという予定でしょうか。

さて、我が家を出て、2つ隣村に向かった私達ですが、私は大切な事を忘れていました。
数ヶ月前より、隣村からその又隣村へ抜ける道が工事中でして、平日の7時半〜17時半までは、通行止めになっているのです。
私達は、来た道を全て戻ると、一旦下の村まで走り、迂回路を通って駐車場所に向かう事になりました。

キノコ解禁は、8時からです。
多少の不安はありますが、そんなにきっかりと時間を待って、採り始める地元の人は少ないでしょうから、私達が9時に始めたとしても、まだ間に合うでしょう。
問題は一つだけ、例の山小屋のお爺さんがキノコ採りをするかどうか、です。

「シュタインピルツは、乾燥させた方が美味しいのよ。うちに機械があるから、乾燥してあげるわね」
「でも、せっかくだから、新鮮なところも食べたいんですよね。今夜は友達を呼んで、キノコ・パーティーにしようって話だし、夫B氏も楽しみにしているから」
「あら、今夜食べるのは、他のキノコで良いじゃない。シュタインピルツは勿体ないわよ」
「こういうのは、ほら、楽しめれば良いっていうか。乾燥は、今夜食べ切れなかった分にします」
「他のキノコは保存出来ないから、今夜食べちゃわないとね。だから、シュタインピルツは乾燥すると良いわ」
「酢漬けにすれば、他のキノコも保存出来ますよね? みんな、やっぱりシュタインピルツが楽しみだし」

義母とそんなやり取りをしていると、車が駐車場所に着きました。
カッパを着、帽子を被り、採ったキノコを入れる為の大きなゴミ袋を片手に提げた私は、車を降りて、思わず声を上げました。
「あっ、遅過ぎた! まさか、こんな所まで来るとは」
私の指差す先を見た義父母も、一瞬声を詰らせます。

というのも、そこには既に2台の車が止まっていて、そのナンバーが2台とも、よりによってイタリアのものだからです。

真偽の程は定かではありませんが、我が州にキノコ採りに関する条例が出来たのは、イタリア人による目に余る乱獲を防ぐ為、という噂がある程で、地域新聞にも毎年の様に、イタリア人が何十キロというキノコを採って捕まった――捕まると、罰金及びキノコ没収です――という記事が載るのです。

彼らが何故、わざわざスイスに来て、法を犯してまでシュタインピルツを採るかというと、このキノコは、他のものと違って乾燥保存が利く為、イタリアで売るのに都合が良いのです。
また、ガソリン代を掛けてわざわざやって来るのですから、彼らとしては、1回で可能な限りたくさん持って帰りたいわけですね。

何処かにキノコの検問所があるわけでもありませんし――営林署員の抜き打ち検査や、国境の税関で調べるぐらいだと思います――イタリア人は、見付からなければそれで良い、と考えている節がある様に見えます(もちろん、全員ではないでしょうが)。

ちなみに地元の人達は、何よりも自分達の山ですし、何度も来られますから、こういう事はしません。

「イタリア人が来ているって事は、この山は、キノコ採りの間で有名なのかな? となると、私が見付けたのは、やっぱり本物のシュタインピルツだったわけだ。もう、行っても無駄かも知れない」
そう言う私に、義父がきっぱりと答えます。
「否、山は広いんだ。奴らが同じ場所に行ったとは、限らないさ」

私達は気を取り直して、十字架の丘へと向かいました。

                    〜次回に続く〜

2007年10月12日 (金)  出没、キノコ泥棒! 5

〜前回からの続き〜

……もう、行くだけ無駄かも知れない。否、イタリア人達も来たばかりで、急げば間に合うかも知れない。少なくとも、全部採られてしまう前に、十字架の丘に着けるかも……

気が急く私を他所に、義母は、道すがらのキノコを見付ける度、立ち止まります。
「あら、xx茸だわ。これは、もう古すぎね」「これは○○茸っていって、マッシュルームに似ているけど、食べられないのよ」「あそこにあるのは△△かしら?」……

しかし、どのキノコも、今日の主役とは違います。
私は、一昨日見付けた、たくさんのシュタインピルツが欲しいのです。
他のキノコなら、わざわざ早起きしなくとも良いのですから。

「お義母さん、まずは上に行って、シュタインピルツを取りましょうよ。この手のキノコは、イタリア人は採りませんし、帰りに山を下りながらで良いでしょう?」
ともすると脇道に逸れそうになる義母に、私は何度もそう言いながら、目的地へと急ぎました。

そして、私達が十字架の丘に着くと……

「あぁ……」
一昨日シュタインピルツがあった場所には、先人が荒らして行ったと思われる、キノコの屑だけが散らばっています。

そうです、若い良いものはすっかり採られ、とうが立っているもの、虫食いや破損が酷過ぎるもの等は、ばらばらにされ、その辺に放り出されているのです。
そして、偶然か、森の奧からはイタリア語の会話が聞こえて来ます。

「私が見付けたキノコは、多分、もう全部やられていますね。無駄足だったな」
がっくりする私に、義父が言います。
「否、彼らだって、全てのキノコを見付けられるわけじゃない。絶対見落としがあるはずさ。俺は、ちょっとあの辺の森を見て来る」

その後、三手に別れて周辺の森を探した結果、シュタインピルツは、今日の夕飯分位の見落としを、発見する事が出来ました。
また、山を下りながら集めた他のキノコもありましたので、我が家は、三日間キノコの夕食となりました。

ちなみにこの日、パーティーは中止し(その代り、1組のカップルだけ呼びました)、義父母は手ぶらで帰りました。

さて、三日目の夜、キノコのクリームソース・スパゲッティーを食べた後、私は、義父母から貰ったキノコ図鑑を眺めていました。

「今夜食べたキノコはどれかな? スイス人は『アイエルピルツ(アイエル=卵、ピルツ=キノコ)』って呼んでいるんだよね?」
そう聞く私に、夫B氏が答えます。
「ああ、色が卵みたいに黄色だから、そう呼ぶんだけど、ドイツ語では確か『ピッファーリング』だったかな」

「ピッファーリング、ピッファーリング……。これって、お義母さんが毎年酢漬けにするやつだよね? お義母さんは、このキノコが一番好きなんでしょう?」
「そうだよ。うちの両親は、毎年それだけを採りに行くんだ」
「ふーん、シュタインピルツより良いのかぁ。やっぱり栄養があるのかな? それとも味が好きなのかな? ピッファーリング……あった!」



【Pfifferling(ピッファーリング)】

食用キノコ、市場用キノコ。

栄養価は一切なし。
胃腸では全く消化されず、細かくせずに食べると、悪性の消化不良を引き起こす事もある。


(←)義母から貰った酢漬け。加工前は、溶き卵の様な薄い黄色です。

2007年10月15・16日 (月・火)  お知らせ

みんつ、只今近所の酪農家宅にて、作業中。

15日(月):薫製用の薪集め。
16日(火):豚肉半頭分に塩の擦り込み。

2007年10月18日 (木)  ごみと老人 1

年齢のせいだと思いますが、下の階に住むお婆ちゃんは、片方の肩(確か右肩)があまり上がりません。
普通の生活に困る程ではありませんが、後頭部の髪を梳かすとか、少し高い所にある植木鉢に水を遣るといった、腕を肩よりも上げる動きは、し難いそうです。

そんなお婆ちゃんが、ある時私に聞きました。
「一杯になったゴミ袋を片手に提げて、ゴミ置き場まで運ぶのが大変なのだけど、代りにやってもらえるかしら?」

スイスのゴミ袋には、色々な大きさがありますから、今使っている35Lを止めて、一番小さな17Lの袋にすれば、この問題は解決するのですが、私にとっては、1袋運ぶのも2袋運ぶのも大した差ではありませんし、ましてゴミ置き場はすぐ側です。
私は、このお婆ちゃんの頼みを、快く引き受ける事にしました。

この時は、「今後ゴミが溜まったら、ドアの外に出して置くか、私にそれを伝える」という事で、話は終りました。

それから数日後、外にいた私に、お婆ちゃんが聞きました。
「みんつ、今日は村役場に行く?」

我が村の役場は、週に2日、数時間ずつ――火:17〜19時半、木:8〜14時。――しかやっていないのですが、この日は、役場の開いている日ではありません。
また、私の様な外国人が役場に用があるのは、2〜3年に1度、ヴィザの書き換え時ぐらいです。
その上、役場で唯一の職員であるG氏は、私のバレーボール仲間ですから、何かあった場合私は、役場に行かなくても彼に聞く事が出来るのです。

というわけで、お婆ちゃんが何故「みんつは今日、村役場に行くかも」と考えたのか、私は、咄嗟に理解が出来ませんでした。
ちなみに村役場までは、お婆ちゃんの足でも、5分といったところです。

「今日は役場には行かないけど、っていうか、役場には当分行く予定がないです」
「そう。この次役場に行く時で良いから、ついでに、ゴミ袋に貼るステッカーを買って来て欲しいのよ」

ゴミ袋に貼るステッカーとは、簡単にいえば『ゴミ捨て料金』とでもいったもので、これは、金額やデザイン、購入場所等が自治体毎に決められていて、我が村では、役場かスキー・リフト側のレストランで売っています。
そして私は、つい最近、ヴィザ書き換え時に、これをまとめ買いしてありました。

「ええと、ステッカーを買うのは構わないけど、その、役場には私、当分行く予定がないんです。多分、半年とか1年とか行かないと思うけど、それまで間に合います? 急ぎなら、xxレストランでも買えますよ」
「ああ、大丈夫、大丈夫。じゃ、今度役場に行く時、教えてちょうだい。お金を渡すから」

この日の私は、少し戸惑いはしたものの、「お婆ちゃんもきっと、私と同じ様にまとめ買いをしていて、急ぎではないのだろう」と思い、特にこの会話を気に留めませんでした。

その翌週です。
畑にいた私に、お婆ちゃんが聞きました。
「みんつ、村役場には、いつ行く?」

この時点で私は、正直にいうならば、少々居心地の悪さを感じました。
「何かがずれ始めているけれど、何故なのか、また、どうすれば良いのか分らない」といった感じです。

「さぁ、村役場には、全然行く予定がないですけど」
「ついでで良いんだけどね、今度行く事があったら、ゴミ袋用のステッカーを買って欲しいのよ」
「あの、私、本当に役場には行く予定がないんです。1年後かも知れないし、もっとかも知れない」

「でも、いずれみんつも、ステッカーを買うでしょう?」
「それはこの前まとめて買ったから、1年分とか、もっとあるんです。急ぎなら、うちのを上げますよ」
「ううん、急ぎではないの。私もまだ何枚かあるから。ただ、この次役場に行ったら、私の分も買って来て欲しいのよ」

疑問を感じつつも、この日の私は、「ついでで良い」と強調するお婆ちゃんに、押し切られる様な形で、「もし役場へ行った際には」と約束する事になりました。

             〜次回に続く〜

2007年10月22日 (月)  ごみと老人 2

                 〜前回からの続き〜

「みんつが自分の用事で村役場に行く“ついで”で良いから、ゴミ袋用のステッカーを買って欲しい」
そう言った筈のお婆ちゃんは、翌週になると、またもや私に聞きました。
「役場には、今週行く?」

この時点で私は、「役場には当分行かない」という私の事情を、お婆ちゃんが全く受け入れる気がない、という事を確信しました。

「ステッカー、急ぎならレストランでも買えますけど、今から行って来ましょうか? 役場は週に2日、おかしな時間にしか開いていないから、私、特に用もないし、忘れちゃうんですよ」

そう言う私に、お婆ちゃんは強く首を振ります。
「ううん、レストランは遠いし。あくまで、みんつが役場に行くついでで良いのよ」
「でも、役場には、本当に行く予定がないんです。この次行くのは、多分1年以上先になりますよ。それとも、うちに買い置きがあるから、少し譲りましょうか?」
「いいえ、ステッカーはまだあるから、大丈夫」

そうは言うものの、お婆ちゃんは、その後も私の顔を見るとステッカーの話をし、それが2ヶ月位続きました。
かなり居心地が悪くなっていた私は、次第にこんな風に考える様になりました。

……「ついでで良い」というのはただの遠慮で、本心では、「私が自ら進んで、ステッカーを買いに行く」という行為を期待しているのではないか、それを察してやらない私は、意地が悪いのかも知れない。

ある日の事、再びステッカーの話を始めたお婆ちゃんに、私は言いました。
「私自身は、役場に行く予定がないけど、行って来ます。ただ、私は時間の感覚が悪いんで、いつも営業日を忘れてしまうんです。火曜日か木曜日の前日に、もう一回声を掛けてもらえますか?」
お婆ちゃんの答えは、やはりとでもいいましょうか、あっさりしたものでした。
「あらそう、悪いわねぇ。じゃ、お願いするわ」

そして、この時の話では「次の月曜日か水曜日、お婆ちゃんがもう一度、私に注意を促す」となりました。

ところが、私が「役場は週に2回、中途半端な時間にしか開いていない」と言ったにも関わらず、お婆ちゃんがステッカーの話をするのは、思い付いた時とでもいいましょうか、役場の営業日とは全く関係のない時なのです。

ここで皆さんは、「みんつがきちんと自分で役場の営業時間を把握して、その時間に合わせて行動すれば良いだけじゃないか」と思われるでしょう。
実際夫B氏にも、「すぐそこの役場にちょっと行って来る事が、そんなに大変だとは、俺にはそっちの方が理解出来ない」と言われましたし。

しかし、これは完全な言い訳ですが、私は昔から強度の遅刻魔でして、時間制限のある約束、みたいなものが苦手なのです。
ですから、毎日開いていて、いつ行っても構わないというのでもない場合、本当に、すか〜んとそれを忘れてしまうのです。
また、役場の営業時間は、大抵ぼんやりしている午前中と、食事のメニューに頭を悩ませている夕方ですから、他人の“ついで”で良い程度の事などは……ですよね。

その結果、毎週役場に行くのを忘れてしまう私の罪悪感は、日に日に大きくなり、それと同時に、ある疑問が頭をもたげる様になりました。
簡単な話ですが、お婆ちゃんは、何故自分で役場に行かないのでしょう?

重いゴミ袋の運搬が、肩が不自由なお婆ちゃんにとって厄介な作業である事は、問題なく納得出来ますが、健康の為に毎日30分散歩をしているお婆ちゃんが、5分と掛らない役場に自分で行かれない理由は、何でしょう?
散歩のコースを、たった1回、少し変えるだけで良いのでは?

しかも、役場の職員G氏は、通勤時、毎回我が家の前を通りますから、自分で行かれない理由があるのなら、電話を入れて、帰りに寄って貰えば良いのではないでしょうか?
実際G氏は、役場からの通知等を、郵便局を通さずに自分で配っていたりするのですから。

私が引っ越してくるまで、一体お婆ちゃんは、ステッカーをどうしていたのでしょう?
ここに思い当たった私は、今度はその事が気になり始めました。

                〜次回へ続く〜

2007年10月23日 (火)  お知らせ。

皆様へ

今日は朝から、仔牛肉の袋詰めに行って来ました。
そしてこれから、山に放たれている牛達を牛舎に連れ戻す、という作業を手伝ってきます。

私、すっかり酪農家見習い?

ということで、「ごみと老人」の続きは、明日までお待ち下さいね。

                      みんつ

2007年10月25日 (木)  ごみと老人 3

             〜前回からの続き〜

お婆ちゃんは今まで85年間、生まれも育ちも結婚後も未亡人になってからも、ずっとこの村に住んでいます。

村の多くの人達は、多かれ少なかれお婆ちゃんと親戚関係にあります。
お婆ちゃんの娘や孫達は、それぞれここから車で30分ぐらい掛る別の村、もしくはもっと遠い場所に住んでいます。

私より以前の間借り人達は、それぞれの事情で、お婆ちゃんとは殆ど交流がなかったそうです。
私は、ここに住み始めて3年になります。

お婆ちゃんが一人暮らしになってからは、私の知る限りでも、30年ぐらい経ちます。
すごく簡単に数えて、私に頼み出す今年までの29年間、お婆ちゃんはゴミ袋用ステッカーをどうしていたのでしょう?

確かに村役場は、少し坂の上に建っていますから、足の悪いお婆ちゃんにはきつい道のりなのかも知れません。
しかし……

お婆ちゃんは毎日夕方、30分間ほど散歩に出ます。
ここは山の中腹ですから、平らな道はありません。
道は全て、緩やかな坂か急な坂です。
お婆ちゃんは、1〜2日置きに、教会の庭にある先祖の墓の手入れに行きます。
この教会は、村役場の道を挟んだ向かい、坂のもうちょっと上に位置します。

お婆ちゃんが村役場へ、ゴミ袋用ステッカーを買いに行けない理由は、少なくとも私には、坂ではない様に思えましたが、一応こう提案してみました。
「役場のG氏は親切だから、電話をすれば、帰りに寄ってくれると思いますよ。簡単なお知らせとか、各家庭に自分で配ってましたし、足の悪いお年寄りはこの村にはたくさんいる筈だし、そのぐらいやってくれますよ」

するとお婆ちゃんは、目を丸くして私に聞きました。
「みんつは、村役場の職員とため口で話しているのかい?!」
(*『G氏』というのはファースト・ネームですから、まあ、「親しい間柄=ため口」と言って良いのです。)

この問いに、今度は私がびっくりしました。
というのも、G氏がここの村役場で働いているのは、私が引っ越して来る以前からですし、お婆ちゃんはずっとこの村の住人です。
そんな二人が、新顔の私より付き合いが薄いとは、どういう事でしょう?

「えっ、お婆ちゃんは、G氏とため口じゃないんですか?」
「役場の職員の名前は、G氏っていうの? その人は、いつも働いている人?」
「そうですよ。っていうか、役場にはG氏以外、職員はいませんよ。そういえば私、G氏の名字を知らないんですよ。彼の名字は、何ですか?」

次の答えに私は、驚きを越して、困惑してしまいました。
「私は、そのG氏とやらを知らないのよ。一度も会った事がないから」
……えぇぇぇぇっ!! 何で? そんな事ってあり得るの?! 

たとえ定期的に役場の職員が変るとしても、G氏はきっと、5年とか10年とかこの村で働いている筈です。
それなのに、85年もこの村に住んでいるお婆ちゃんが、G氏に一度も会った事がないというのは、一体どういうわけでしょう?

この時点で私には、「ゴミ袋用ステッカーの謎」が解けた様に思えました。
簡単な話、お婆ちゃんは「知らない人の所へ買い物に行くのが嫌なだけ」ではないでしょうか?
……ええと、人見知り?

こうなると、話は全く別ですから、私は敢えて言ってみました。
「じゃぁ、知り合う良い機会じゃないですか! G氏、気さくだし親切だから、気後れする必要なんてないですよ。1回電話して、届けて貰う様にすれば、今後の問題も解決するし。電話番号は電話帳にあるから、分かりますよね」

するとお婆ちゃんは、何やらもごもごと言うと、この話を切り上げました。
「急ぎじゃないから、この次、みんつがついでのある時で良いわ」と、付け加えて。

                〜次回に続く〜

2007年10月26日 (金)  ごみと老人 4

                〜前回からの続き〜

「村役場に電話を入れ、ゴミ袋用ステッカーを届けて貰ったらどうか?」
この提案は、何故かすっかり無視されたまま、その後もお婆ちゃんは、私の顔を見ると「村役場にはいつ行くか?」という問答を繰り返しました。

しかも、お婆ちゃんの言い回しは、次第に「そろそろステッカーがなくなるから、役場にはいつ行くの?」という具合になり出したのです。

最初から言っている様に、私は役場に用がないのです。
ヴィザの更新は3年後ですし、我が家のステッカーを数えても、次に役場に行く必要があるのは、私達夫婦が積極的にゴミを捻出したとして、早くとも10ヶ月以上先です。

仕方がありませんので、私は、妥協案としてこう言ってみました。
「うちにまだたくさんステッカーがあるから、1シート(10枚組み)譲りましょうか?」
この提案は、お婆ちゃんの気に入った様です。
「ああ、それは助かるわ。じゃ、うちのはまだ何枚か残っているから、それが全部なくなったら、改めて言うわね。もちろん代金は払うから」

しかしどういうわけか、その後もお婆ちゃんは、我が家のステッカーを買う事に関して、何も言って来ません。
「ステッカー、まだありますか?」と聞くと「大丈夫」という答えが返ってくるだけなのです。
2〜3ヶ月にも渡って、私に「いつ村役場に行くか?」と聞いていたのは、何なのでしょう?

毎日開いているレストランまで行き、お婆ちゃんのためにステッカーを買うべきか?
お婆ちゃんが言う前に、我が家のシートを1枚売るべきか?
それとも、このまま黙って待つべきか?……

それについて考えている事自体が、段々苦痛になって来た私は、ある日決心して、電話帳とステッカー1枚を手に、お婆ちゃんのドアを叩きました。

「私、そろそろ何だか居心地が悪くなっちゃって。毎回ステッカーを買いに行くのは忘れちゃうし、私自身は当分役場に用がないし、ついでに買いに行くのは無理だから、お婆ちゃん、自分で役場に電話した方が良いと思うの。G氏は本当に気さくな人だし、それが仕事でもあるんだから。あと、うちのステッカーを1枚持って来たから、もし急ぎだったら、これを使って」

そう言って私は、半ば強引に、お婆ちゃんに村役場の営業時間と電話番号をメモさせると――実際にお婆ちゃんは、ぐずぐずとして、メモを取りたがりませんでした――ステッカーを1枚置いて、帰ろうとしました。

「これ、幾ら払ったら良いかしら?」
「いえ、これは買いに行けなかったお詫びだから、使って下さい」
「でも、悪いから払うわよ」
「いえ、良いんです。それに、たった1枚だし、幾らでもないから」

「みんつは、役場には行かないの?」
「私自身の用事は、本当に全然ないんです。お婆ちゃんのステッカーを買う為に行くつもりでいたけど、いつもいつも忘れちゃって、段々後ろめたくなって来ちゃって。このままずるずる行くと申し訳ないし、安請け合いするのも良くないし、お婆ちゃんが自分で電話を入れた方が、早いですから」

ところがお婆ちゃんは、今度はこう言います。
「そう。みんつが買いに行かないのなら、xxに頼む事にするわ」
xxとは、近所に住む、お婆ちゃんの弟夫婦の名前ですが、私の知る限り、お婆ちゃんよりは若いとしても、この2人も既にお年寄りです。

「私が行かないと、別のお年寄りが行く事になる」という考えは、私には、やはり居心地の良いものではありませんでした。
いえ、正直に言うならば、新たな罪悪感を植え付けられている様にすら、感じました。

お婆ちゃんは、何故、それ程まで、自分で村役場に行くのが嫌なのでしょう?

そしてこの時、私はもう一つの事実を思い出しました。

                〜次回に続く〜

2007年10月29日 (月)  ごみと老人 5

              〜前回からの続き〜

村役場の営業時間は、火曜日と木曜日(両方とも数時間のみ)ですが、実は、お婆ちゃんの娘であるM嬢が、毎週木曜日の午前中に訪ねて来るのです。
木曜日、役場の営業時間は8〜14時です。

お婆ちゃんは何故、ゴミ袋用ステッカーの買い出しを、毎週丁度良い時間にやって来る自分の娘ではなく、単なる隣人である私に頼むのでしょうか?

M嬢は車で、お婆ちゃんを訪ねる為に、この村へ来ます。
この時にもちろん、お婆ちゃんの世話をある程度するわけです。
ついでに、5分先の役場に寄ってステッカーを買う事は、私には、至極簡単に思えますが。

ところが、お婆ちゃんにとって、事の難易度はこんな感じです。
「みんつに行かせる」<「弟夫婦に行かせる」<「自分で行く」<「娘に行かせる」<「電話をしてG氏に来て貰う」

この時点で私は、ステッカーを買うという一見単純に思える事柄の裏に隠れている、色々な思惑について、思い当たりました。

これは、あくまでも私の感じる事、そして、それによる推測ですが……

スイス人は、自己の能力を否定される事を、酷く嫌います。
老人にとっては、若者から「年寄りだから自分で出来ない」という扱いを受けるのは、屈辱なのです。
(実際、スイスの若者も、それが自分の親だとしても、老人をまるで小さな子供か知能遅れ、とでもいう風に扱いますし。)
ですから老人は、それが自分の子や孫であっても、若者には頼りたくないのです。
=「娘に行かせる」は嫌。

スイス人は、企業等に電話で問い合わせをする、という様な事を嫌います。
たとえ幾らか値段が高くなったとしても、見知らぬ会社相手に電話をするよりは、既に知っている所に頼む方が楽ですし、知人にやってもらえるなら、より好都合です。
また、お婆ちゃんの様な古い世代の酪農家にとっては、役場だの役人だのというのは、敷居の高いものなのではないでしょうか?
=「電話をしてG氏に来て貰う」「自分で行く」のが嫌。

それに比べ、弟夫婦は自分よりも位置の低い立場ですから、幾らか気楽でしょう。
ましてや、自分の家に住まわせてやっている店子などは、もっと下の立場ですから、自分がやりたくない事を頼んでも、それ程は気にならないわけです。
事実、お婆ちゃんの牛小屋と土地を借りて――多分、賃貸料は払っていると思いますが――酪農業をしているR氏も、事あるごとに小間使いにされています。

今回私は、理由は分らなかったものの、何となく居心地が悪かった為、結果としてお婆ちゃんに「本来自分ですべき事は、手伝わない」という方向で、事を終らせました。
もちろん、お婆ちゃんはこれを気に入りませんが、私は、ただ気が乗らないという理由では、本人がすべき事を代りにやる気は、ありません。

私は、「自分で出来る事は自分ですべきだ」と考えますし、お婆ちゃんにとって、今後も村役場の職員と一切関わらないで生きて行くのは、良い事だと思いません。
簡単であるという事と、本人の為になるかどうかは、同じでない場合もあるのではないでしょうか。

さて、その後お婆ちゃんがステッカーをどうしたのか、私は知らずにいたのですが、更に数ヶ月経ったある日、つい先日の事です。

畑で収穫をしていると、お婆ちゃんが出て来て、言いました。
「みんつが買いに行ってくれないから、自分で行かなくちゃ」

この台詞、お婆ちゃんはもちろん、冗談のつもりで言ったのでしょうし、私も合わせて笑って置きましたが、正直に言うならば、「ええっ、まだ根に持っているの?!」と思いました。

……それにしてもお婆ちゃん、やっぱり自分で行けるんじゃん。駄目だよ、横着しちゃ。

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