2008年11月11日 (火)  薪割りにおける人間考察。 1

去年までは森のどこか、丸太が置かれている場所で、最後まで薪割りをしてから、我が家の納屋に薪を運んでいました。
つまり、家に持ち帰った薪は、そのまま煖炉にくべられる大きさになっていたわけです。

ところが今年は、夫B氏に時間の余裕がない為、私が一人で薪割りを済ませられる様にと、丸太を輪切りにした状態で、近所の酪農家のトラックを借り、全ての木を運んで来ました。
ですから我が家の駐車場は、車2台分の広さがあるのですが、半分以上の空間を木が占領しています。

そして、その私の背丈程にも積まれた木の横で私は、天気さえ良ければ毎日の様に、アルプスの山々へ「スコーン、スコーン」と快音を響かせているわけですが・・・・・・

我が家の駐車場は、村の主要道路――といっても、村にはこの道路しかありませんが――の脇に突き出た、単なる空き地です。
またそれは、村の入り口すぐの所にあります。

ということは、私の薪割りの様子は、この村を通る人全員の目に入るという事です。

村の住人は元より、山歩きに来た都会からの観光客、バスの運転手、たまたま村の誰かに用事があった業者等々、天気の良い平日の午後にこの村を訪れた人達は、皆、どろどろになったつなぎを着て斧を振り上げている、小柄なアジア人女性を見かけるわけです。

皆さん、それぞれに色んな反応をします。
まぁ、そうですね、確かに私の姿は、珍しい光景ではあるかも知れませんからね。

そして私はといえば、そんな人達の反応を見ていて、ある事に気付きました。
同じ種類に属する人達が、同じ様な反応をするのです。

今回はそんな話しを、何回かに分けてしてみようと思います。

まずは、観光客から。

休暇なり週末の遠出なりで、都会から来た(=この周辺に住んでいない)人達は――車のナンバーや着ている服装で、何となく分ります――幾分驚き気味に、それでも好意的な眼差しで、私の姿を見詰めながら通り過ぎます。

分りますかね?
私の姿を認めると、まるでパンダでも見付けたかの様に、車の中から首を180度ぐるーっと回す様にして、私を見詰めながら通り過ぎて行くのです。
彼らは一様に、まずちょっとした驚きを示し、その後ある種の賛成といった感じに変わります。

彼らは薪割りなどしないでしょうし、した事があるとしても、基本的に薪割りは男性がする重労働ですから、私の様な、見るからに外国からやって来た、まして小柄な女性がしているという事に、「本当に出来るのか?」という驚きと、スカーンと割れた薪を見て「なかなか頑張っているじゃないか。それなら温かい目で見守ってやろう」とでもいう感じの賛成、となるわけです。

そりゃ、そうですよね、車を運転している男性本人も、その隣の奥様らしき女性も、なんなら後ろの席の仲間達も、皆私よりもずっと背が高くがっしりした体格ですから、そんな自分達がしない力業を、ずっと小柄な私がしているのを見て、面白いと思うのでしょう。
中には車を止めて、声を掛けてくれる人もいます。

ふふふ、彼らが休暇を終えて家に帰ったら、知人に「いやぁ、びっくりしたよ。xx村で女性が、手で薪を割っているのを見たよ。小柄なアジア人なんだけどさ、結構上手いこと割っていたなぁ」とでも話しているのではないでしょうか。

・・・・・・みんつは、村の観光事業に一役買っています。

                        〜次回に続く〜

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