2007年12月3日 (月)  スーパー主婦への道(前)

       (文字数制限の関係で、今日の日記は2つに分けました。)

ここ一ヶ月ぐらいの間、私は、自分の時間が上手に取れずにいます。

それは何故か?
答えは簡単、「夫B氏が自宅で仕事をしているから」ですね。

私の様な、普段遊んでばかりいる手抜き主婦にとっては、夫が毎日朝から晩まで家にいるということは、=家事に追われててんやわんや、という事なのです。

子供の頃よく母に「今日の夕飯は何がいい?」と聞かれ、「今お昼ご飯を食べたばかりなのに、分かんないよ。何でそんな事聞くの?」と苛々したりしたものですが、今の私には、あの頃の母の気持がよ〜く分ります。

日に3回食事を作るという事は、ものすごくクリエイティブな事なのですね。
そして、それを何年間も続けるという事は、偉大な芸術家の域に達してすらいる、という事ではないでしょうか?
私の様な凡人には、到底真似出来ぬ事なのです。

……が、

私は、このホーム・ページを始めてからインターネットを通じて、たくさんの主婦の方々と知り合いました。
皆さん、私とは違い、母でもあったり、職業を持っていたりもするのに、この主婦業を見事にこなしています。

そういうサイトを見ていて、最近私は、本気で反省をしたのです。
「このままではいけない。B氏に対しても、申し分けなさ過ぎる」
そして私は、決心しました。
「スーパー主婦になろう!」と。

そういうわけで私は、スーパー主婦になる為の計画を立てる事にしました。

まずはPCのマイ・ドキュメントを開いて、ファイルのタイトルを付けます。
『スーパー主婦への道』
次にワードを開き、すべき事を箇条書きに打ち込みます。
『−洗濯 −掃除 −炊事……』
そして、それらの項目の下に、それぞれ注意事項を入れます。
『−洗濯
  ・週に2回ぐらいを目安に。
  ・溜まったらその都度やる。……』
最後に私は、エクセルを開き、その日毎にすべき事を織り込んだ、1週間分のスケジュール表を作成しました。

これで、下準備はばっちりです。
私は既に、『スーパー主婦への道』を1歩踏み出したのです。
後は、そのままスケジュールに従って、行動するのみ。

私はまず、「毎日3食決まった時間に食事を出す」&「洗い物は溜めず、食後すぐやる」から始める事にしました。

いやぁ、人間腹を括ってしまえば、案外何とかなるものですね。
今までだらしなかった台所は綺麗に片付き、それに伴い、毎食の調理もスムーズに取り掛かれる様になりました。

その上、真摯な気持で料理を作る様になったせいか、今まで夜に重くなりがちだった献立が、昼にきちんと食べ、夜は軽くと、健康的なものに変りつつありました。

そう、我が家の生活は、素晴らしいものへと変りつつあったのです。

               〜(後)に続く〜

2007年12月3日 (月)  スーパー主婦への道(後)

               〜(前)からの続き〜

ある晩の事です。

『スーパー主婦への道』が思いの外順調に進んでいた私は、この日、ちょっとばかり気を抜いていた様です。

「何か、デザート食べたいなぁ」
そう言う私に、ここ数日間下にも置かない扱いを受けた上、そこそこお酒も回って、ご機嫌になったB氏が言いました。
「俺がチョコレート・ムースを作る!」

頑張っている私としては、これ位のご褒美は、貰っても良いですよね?
一晩ぐらい、夫にデザートを作ってもらっても――しかも、インスタントの簡単なものですし――まだ、スーパー主婦を目指す権利はありますよね?

ということで、この晩の私は、気持ちよく酔っぱらい、B氏が作ったデザートを食べ、洗い物の事はすか〜んと忘れて、眠ってしまいました。

さて、翌朝。

「あぁ、まずい。昨日は、すっかり後片付けを忘れちゃった。スーパー主婦への道は、まだまだ遠いなぁ」
そんな事を思いながら、台所のドアを開けた私は、愕然としました。
「酷い。酷過ぎる……」

つい昨日までは、きっちりと片付き、綺麗に拭かれていた台所が、流し、コンロ、調理台、壁に至るまで、汚れているのです。
大袈裟ではなく、朝のコーヒーを淹れるにも、台所内には、カップを置く場所すらない状態です。

昨夜B氏が作ったチョコレート・ムースは、牛乳に粉を入れてホイップし、冷蔵庫で冷やしたら出来上がりという、至極単純なものだった筈ですが……

必要数以上のあらゆる道具がその辺に散らかり、その隙間を埋める様にチョコレートの粉が振りまかれ、それが入っていた箱や袋はそのままで放り出され、それら全ての上プラス壁に、ホイップされたムースが飛び散り、乾いているのです。
調理台の隅に置いてある調味料類や、壁に掛っているお玉などにも、所々チョコレートのコーティングが。

……そういえば以前、スプーンを取ろうと思って引き出しを開けたら、ホイップされた生クリームがたっぷり入っていた、なんて事があったっけ。あ〜ぁ、B氏にやらせちゃ、駄目だったんだよな。

「いえ、私はスーパー主婦になるのよ。このぐらいの事じゃ、負けないんだから。夫の後始末ぐらい、にっこり笑って捌けないとね」
萎えそうになる気持を奮い立たせ、私は、台所に足を踏み入れました。

が、その時、私のサンダルの下で床が……
「ぬちゃ」

「B氏ぃー! ちょっと来てぇーっ!!」
私に懇々と説教をされ、台所を片付けるB氏。

……スーパー主婦への道ですが、私、適性検査を忘れていました。

2007年12月5日 (水)  掛け布団の法則

理由は知りませんが、我が夫B氏にとって、「夫婦が一つのベッドで一緒に寝る」という事は、重要な事です。
旅先のホテルでも、値段等の交渉をする私の横で、B氏がする質問はいつも「ベッドはダブルか?」ですから、これはかなり重要なのでしょう。

B氏が言う「一つのベッド」とは、マットレスも掛け布団も一つという意味で、ツイン・ベッドをくっ付けて一つにしたもの、一つのベッドだけどマットレスや掛け布団は各自別々という様なものは、認められません。
また、寒くて毛布等が必要な場合、やはりその毛布も一つでなければいけません。

しかし、スイスで一般的なのは、私の知る限り、ツインをくっ付けるという形です。

少し考えれば分りますが、身長も体重も全く違う男女が、同じ硬さのマットレスで寝るというのは、快適な睡眠を考えた場合、どちらかが犠牲になるわけですからね。
実際、私達夫婦がマットレスを買った時も、店員は当然の様に、私には私の、B氏にはB氏の身体に合わせて、商品を薦めていましたし。

ところが、普段殆ど自己主張しないB氏が、この時ばかりはこう言張りました。
「2人一緒でないなら、買わない!」

で、我が家はどうなったかといいますと……

マットレスは特別注文の2x2,5m、掛け布団と毛布は、既製品最大サイズの2,4x2,4m――カバー類の値段が、高くて困ります――です。
ベッドに至っては、「その大きさになると、作る事は出来るけれど、保証書は上げられない」と言われ、マットレスに合わせて、B氏が自分で作りました。

さて、そんなベッドで私達は、案外快適に過ごしているわけですが――昼間はこの大きなベッドを、猫のM氏が独り占めです――私は、ほんのたまにですが、「別々のベッドも良いかも知れない」と思う時があります。

それは例えば、
B氏が無理矢理突っ込んだ腕枕で、首の血管が圧されていたのか、深夜に頭の半分が痺れて目覚めた時とか、スキーの夢でも見ているのか、B氏の寝返りが激し過ぎ、私の掛け布団が少しだけになった時とか、B氏が大量にかく寝汗で、私の寝ている部分まで湿った時とか……

「一つのベッド」が嫌なわけではないのですが、「こんな時、別々のベッドなら起こされないよなぁ」と思ったりもするのです。

さて、先日、2人でテレビを見ていた時の事です。

先程、我が家には大きな毛布があると書きましたが、これは現在、居間のソファーに置いてあります。
何故かというと、真下の部屋が1階2階共全く使われていない為、居間にいると足下が寒い、そして、B氏の体温が高い為、ベッドでは毛布が必要ないと分った、からです。
はい、簡単な話、2人分の膝掛けとして使っているのです。

ところが、この日は寒かったので、B氏は、膝掛け様毛布に首まですっぽりくるまって、テレビを見ていました。
で、番組に夢中になっている内に、毛布をどんどんたぐり寄せ、私の足下には毛布がない、という状態になりました。

「ちょっとぉ、B氏、私の毛布を取らないでよ」
「ははははは、取ってないさ。まだそこに、十分あるじゃないか」
「あのね、この毛布は四角いの。ということは、単純に計算しても、一人二角使って良いって事よね。B氏は、三角も使ってるじゃん」

「角が幾つかなんていうのはな、重要じゃないんだ。余ってる所は一杯ある。そこを使うんだよ」
「そういう使い方だと、毛布がくしゃくしゃってなって、気持ち悪いじゃん。ベッドでもいつもそうだし……もう、いっそ掛け布団類は、各自1枚にしようか? そうしたら、お互い好きな様に使えるしさ」

するとB氏は、急に私の方に向き直り、真剣な顔で言いました。

「みんつ、良く聞くんだ。掛け布団を別々にしたら、次はマットレスが別々になる。マットレスが別になったら、次はベッドが別になり、いつの間にか寝室自体が別になる。寝室が別になったら、後は離婚だ。どうせ離婚になるなら、そんなに長くて面倒なプロセスを踏むのは、時間の無駄だ。分るか? 掛け布団を別にするなら、そんな手間は省いて、さっさと離婚をした方が良いんだよ。みんつは、離婚したいのか?」

……ええと、私はただ、四角い毛布を四角く使いたいだけです。

2007年12月7日 (金)  酪農家見習い (序章)

週に2日、夕方4時半になると、私は作業着を着て、近所の酪農家H氏の牛舎(2箇所)に行きます。

牛舎1は、大きな扉を開けると、真ん中にトラクターが入れる幅の通路があり、その奧は干し草(乾燥させただけの緑色のもの)置き場になっています。
通路の両側には、牛の餌を置く溝とその後ろの柵が沿ってあり、柵の向こう側は牛達の空間です。
牛が餌を食べる時は、この柵から頭だけを出します。

扉から見て通路の左側には、手前3分の2に大人の雌牛、奧の3分の1に仔牛がいます。
特別な仕切りはありませんが、いつもそんな配置になっています。

右側は、手前3分の1が生まれ立ての仔牛と母牛、真ん中の3分の1が水飲み場、奧の3分の1が若い雌牛(だと思います)です。
こちらは、柵や壁で仕切られています。

そして両側とも、牛の空間は、またその外にある空間へと続いています。

牛舎2は、L字型の建物で、「|」の部分が牛の空間、「−」の部分が納屋になっていて、この2つの結合部に柵と長方形の大きな桶が置かれ、牛達(大人の雌牛)はやはり頭だけを柵から出し、桶の中の餌を食べます。
そしてこの納屋も、トラクターが乗り入れられる大きさです。

私の仕事は、こんな感じです。

まず牛舎1で、大人牛と若い牛の前の溝にある、餌の食べ残しをざっと掃除します。
溝の片端から、食べ残しが多い場合はシャベルでがーっと押し、少ない場合は竹箒で掃いて、反対の端へ積みます。

その後、真ん中の通路に置かれた、圧縮されて畳の様になった干し草を、大きな熊手で羽毛の様にふんわりと膨らませ、この掃除した溝にたっぷり入れます。

牛舎1の牛達が餌を食べている間に、牛舎2へ行きます。
こちでは、納屋の真ん中に置かれた畳状の干し草を、食べ残しのある桶の中に、そのまま追加します。
そして、牛の空間に藁を敷きます。

再び牛舎1に戻ると、先程の餌は殆どなくなっていますから、同じ物をもう一度与え、水飲み場へ柵を乗り越えて入ります。
ここでは、シャベルで床に溜まった牛糞を、一旦、外に続く空間へと出します。

外側の空間は、屋根のある奧半分に藁が敷かれ、もう半分は、柵で覆われただけの、剥き出しです。
この剥き出し部分の糞もシャベルで集め、先程の物と一緒に壁の一画に積んだ後、屋根のある部分に、新しい藁を敷きます。

それが終ると、牛舎1の牛達へ3度目の餌です。
牛舎奧から緑の干し草を大量にかき出し、溝の中へたっぷり入れます。
こちらは元々ふんわりしているので、そのまま与えます。

各牛に十分な量があるかどうか、食べ具合を見ながら干し草を追加し、牛達が「そろそろ満腹だな」という状態――食べ方が遅くなったり、乾し草で遊び出します――になったら、
私の仕事は終りです。

この間、大体1時間半〜2時間です。
汗びっしょりになり、牛舎独特の臭いをまとった私は、懐中電灯を照らしながら、我が家へ帰ります。

とまあ、現在私がしているのは、こんな具合なのですが……

これがね、もう本当に、滅茶滅茶きついんです。
はっきり言って、くじけるかも知れない。

そんなお話しを、この次に。

                 〜次回へ続く〜

2007年12月14日 (金)  酪農家見習い 1

             〜前回からの続き〜

「彼の職業は何? みんつちゃんに農業は、無理だから」
これは、私が夫B氏と出会い、「スイスに行く」と行った時、私の妹が最初に発した言葉です。

実際当時の私は、お酒の飲み方とピン・ヒールでの歩き方ぐらいしか知らない、お気楽極楽な都会のオネエチャンだったのですから、まあ、妹なりに心配したわけですね。
しかし、そんな私が今、趣味の範囲とはいえ、酪農業を手伝っているわけですから、人間どうなるか分りませんね。

私が酪農家見習いを始めて、つくづく感じているのは、力仕事をする為の基礎的な身体が全く出来ていない、という事です。
簡単な話ね、筋肉がないのです。

シャベルも熊手も既にそれ自体が大き過ぎ、力のない私は、これらを操るだけでへろへろになります。
腕は重いし、尻や腰(の辺りの筋肉)は痛いし、最初の30分間ぐらいで本当にへろへろなのです。

それなのに、私が必死で持ち上げた干し草や糞の量は、酪農家H氏やその夫人M嬢から見ると、小さな子供のお遊び程度です。
私には2時間かかる作業、彼らは20分ぐらいで終ってしまうのではないでしょうか?
はっきり言って、私が手伝わない方が、彼らの仕事は早く終る気がします。

それから、牛が大きい。

ええ、ええ、もちろん牛が大きいことぐらい誰でも知っているでしょうが、私が育った環境では、動物といえば犬と猫、籠の中の文鳥ぐらいで、牛は本やテレビで見たことがあっただけ、なのです。
で、実際に見る牛は、産まれたばかりの仔牛ですら、私より大きい。

「例えばこいつらが、自分の糞かなんかで足を滑らせて、よろっとなってもたれ掛かって来たら、私はコンクリートの壁と牛に挟まれて、重体になるな」

内心そう思って、幾らかびびっている私に、H氏は気軽な調子で言います。
「みんつ、牛は恐くないよな?」
もしくはこんな事を。
「子供を産んだばかりの雌牛は、気が立っているから、危ない時もあるけど、ま、平気だよな?」

……あの、私、今まさに、その牛の空間を掃除していますけど。小さな仔牛を従えた、滅茶滅茶大きな雌牛が、ゆっくり立ち上がりましたけど。ひょっとして、背中向けたらやられる?

これね、「恐い?」とか「平気?」というニュートラルな言い方ではなく、「恐くないよな」「平気だよな」という、「大丈夫であるという事が前提」の文法で聞かれるんです。

本音を言えば、大丈夫ではありませんが、そこは私、自称『ハード・ボイルド主婦』です。
「いいえ、恐いですぅ」なんて生っちょろい返事は、出来る筈がありません。
「へへへへ」と笑って、牛のいる柵の中に入るのみ、です。

そんな風にして、1ヶ月が経ったのですが、最近私はある変化に気付きました。

やはり動物というのは、「こいつは敵じゃない」とか「この人は餌をくれる良い人だ」とか、段々分ってくるのでしょうね。
ある嬉しい変化が、起こったのです。

それは何か、ですか?

……ふふふふふ、H氏宅の牡猫がね、触らせてくれる様になったんです。

                    〜次回に続く〜

2007年12月19日 (水)  酪農家見習い 2

              〜前回からの続き〜

牛舎の手伝いを始めて、最も予想外だったのは、その臭いです。

牛舎の中自体へは、過去に何度か入った事がありますが――もちろん、スイスに来てからの話です。――その時は、特に臭いが気になった記憶はありませんから、きっと、牛乳を貰いにちょこっと入るのと、そこで何時間も作業をするのとでは、大きな違いがあるのでしょう。

そしてこの臭いですが、ずばり言ってしまうと、糞の様な臭いです。

いえ、いえ、「糞の“様”な」と書いた通り、それは牛糞の臭いではありません。
干し草が餌である牛の糞は、少なくとも新鮮な間は、案外臭わないものです。
それは、どちらかというと、人間のものに近い臭いなのです。

この臭いは、これは私の推測ですが、例の畳の様に圧縮された干し草から出ているのではないでしょうか?

作業工程を知りませんので、私はここで干し草と書いていますが、それは実際には、高菜の漬け物――漬け方が違うのか、単に酸化したのか、ほら、緑色の綺麗な物ではなく、茶色っぽくなっているのがありますよね、あんな感じです。――の巨大なヤツ、と言った方が近い様な代物です。
……発酵とか、させているのかも知れない。

ただ、不思議な事にこの臭い、作業中はしないのです。
では、いつ臭うのか?

家に帰って来るとね、髪の毛から服、履いていた靴に至るまで、全てが臭くなっています。
ですから私は、玄関で作業着を脱ぎ、それをそのままそこに吊って、風呂場へと直行するのですが、これがまた何日経っても、側を通ると「ぷゅ〜ん」と臭うのです。

映画かなんかで、田舎の気の良い酪農家の青年が、村一番の美女に告白して「あんたは臭いから」という様な場面を見た事がありますが、あれは、こういう事だったのですね。
その場面を観た時は、「酷いこと言うなぁ」と思いましたが、ホント、作業から戻った私は、洒落にならないぐらい滅茶滅茶臭いんです。

で、スイス人とはいえ、町育ちでそんな事情を知らなかった夫B氏が、先日言いました。
「ん? 何か臭いぞ。M氏じゃないよな? 他所の猫がやったのかな? それとも、みんつ、おならした?」

……えぇっ、なんて事を! 全く失礼な。でも、満更ハズレでもないか。

                   〜次回に続く〜

2007年12月24日 (月)  年末のご挨拶。

皆様へ。

日記の方、シリーズの途中で申し訳ありませんが−−といっても、話自体はその日毎に完結していますので、まあ、問題なしですけど−−スイスはクリスマス休暇に入り、我が家も少し忙しくなっています。

ですから日記の更新、思い切って、来年までお休みする事にしました。
(掲示板や画像の更新、皆様のサイトへの顔出しなどは、まだすると思いますが。)

ということで、少し早いですけど、この場を借りてご挨拶を。

今年も、私とお付き合いいただき、ありがとうございました。
来年もまた、どうぞよろしくお願いします。

では、メリー・クリスマス&良いお年を。

                      みんつ

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