2008年2月6日 (水)  離れていても

我が夫B氏の仕事は不規則でして、1ヶ月間ずっと家にいるかと思うと、週末しか帰って来なかったり、場合によっては、チベットの山奥に何ヶ月も籠もったり等という時もあります。
(まぁ、今のところ、チベット行きの話は断っていますが。)

そして、そんな夫を持つ私は、ここ数週間、また一人暮らしの様な生活をしているのですが……

前からうすうす気付いてはいましたが、私、主婦に向いていない様な気がするのです。
かといって、「じゃぁ、きちんとお勤めが出来るのか?」と言われれば、それもやっぱり怪しいのですが、はっきり言ってしまうと、「あんた、手、抜き過ぎ」という感じなのです。
あのね、一人でいると、殆ど家事をしていないのです。

例えば料理ですが、B氏が出掛けた月曜日、午後になると私は、冷蔵庫に残っている材料を使えるだけ使い、大きな鍋満タンに何かを作ります。1品だけ。
今週は酢豚ならぬ酢鶏、先週はカレー、そのまえは確か野菜一杯のミート・ソースを作りました。
そして私は、それを一週間食べ続けるわけです。

毎日毎食同じ物であるとか、炊いたご飯が昨日の物であるとかは――むしろ私は、炊きたてより、昨日の冷たいご飯が好きですし――全く気にならないのです。
夕飯などは、私はお酒が好きですから、近所の酪農家から貰った干し肉をつまみにビールを飲んで終り、なんて日も多々あります。

ですから、週末にB氏が戻ると、冷蔵庫を開けてこんな事を言うわけです。
「あれ、まだxxも○○も残っているじゃないか。みんつ、ちゃんと食べているのか?」
……だって、キュウリはミート・ソースに合わないから。

さて、日記にも書いた様に、現在私はB氏の確定申告用に、帳簿整理をしています。

去年まではB氏、自分でこの帳簿付けをしていたのですが、私の日記をいつも読んで下さる皆さんはもうご存知ですが、B氏、算数が苦手ですね。
簿記なんて、B氏にしてみれば、「計算が合わない方が普通」です。
そんな様子を見ているのは、あまりに不憫な為、今年から私がやる事にしたのです。

スイスでは、領収書の習慣がありませんので――頼めば書いてもらえます――この帳簿に残す書類は、普通のレシートで良いのです。
今私は、レシートの内容を一枚ずつ確認して、コンピューターに金額等を打ち込んでは、紙に貼り付けて、種類毎にファイルに綴じているのです。

そしてこの地道な作業ですが、どうやら私、向いている様な気がするのです。
やっている内にどんどん凝って来るというか、B氏がしていた大雑把な分類では、物足りない感じなのです。
「もっと細かくきちんと計算して、何なら二重帳簿ぐらい付けてやるぞ」という気分なのです。

そんな私の貼り付けたレシートは、日付は元より、同じ店の物は一つの台紙に、隙間無く整然とまとめられています。
税理士さんから「はなまる」が貰えるぐらい、きっちりです。

……ふふふふ、B氏は、いつもこのレストランでお昼か。ここ、美味しいのかな? 案外他になかっただけかな? ホテルは、あ、この日はおまけして貰ってる。この電話番号は、頻繁に掛けているけど、番号の切りが良いところを見ると、業者だな。こんなんじゃ、浮気したらすぐ分るな。帳簿付けを女房にやらせるなんて、B氏は呑気だなぁ。

そんなことを思いながら、レシートの束を見ていた私は、あることに気付きました。

「メニュー1。ミネラル・ウォーター 5dl。コーヒー。27,70フラン」
「メニュー1。ミネラル・ウォーター 5dl。コーヒー。27,70フラン」
「メニュー1。ミネラル・ウォーター 5dl。コーヒー。27,70フラン」……

毎日同じレストランで、毎日同じ物を食べ、毎日同じ物を飲む、そんなレシートが、何十枚もあるのです。
2、3回違う日があるかと思うと、それは、ミネラル・ウォーターが「5dl」から「3dl」になっているだけなのです。

……あぁ、私達って夫婦だわ。

2008年2月11日 (月)  私は望み過ぎなのか?

何度も書いていますが、私が住んでいる所は、店も何もない山の上の小さな村です。

ここでは、仕事だの買物だのに行く場合、車が必要です。
バスもありますが、日本の様に頻繁に走っているわけではありませんので、やはりそれでは不便だからです。

我が家には車が1台しかありませんから、その車は、当然仕事をしているB氏が使います。
ですから、我が家の普段の買い物は、B氏の担当です。

まぁ、私は元々、車の運転も買い物も好きではありませんし、キャベツだのトイレット・ペーパーだので、週末が1日潰れてしまうのは勿体ない。
しかも、B氏は仕事でどうせ町に出ますので、ガソリン代を考えても、B氏が仕事帰りに買い物をする方が、我が家には都合が良いのです。

という事で、「週に1回、B氏がまとめて日用品を買う」という生活は、我が家では既に5年位続いています。
そう、5年……
どんな意味に置いても、十分な時間ですよね?

ところが、週末開けの今日、月曜日の我が家の事情はこうです。
ちなみにB氏は、金曜日に買い物をしました。

玉葱、極小サイズ1個。人参2本。トマト2個。茄子、キュウリ、ペパロニ、各1本。にんにく、1,5個。
牛乳、1Lパック1つ(B氏は、毎日1L位牛乳を飲みます)。
バター、250gx5個。
チョコレート・バー、お徳用840g入り1袋。
クラッカー類、6袋(その内1つはお徳用)。
キャット・フード(カリカリ)、4,5kg入りが、味違いで2袋(チキンとビーフ)。

家にあるそれらの品を眺めながら、私はこう思います。

玉葱が足りない。野菜は、どっちにしても、もう少し必要だな。
お菓子はなぁ、私達、確かダイエット中でしょう?
おぃおぃ、バター多過ぎ。
キャット・フード……何考えてんだ、あいつは?

そして今朝の事です。

毎朝私は、起きるとまず、ブラック・コーヒーをカフェ・オ・レのカップにたっぷり淹れます。
我が家には、スイス人がモカ・マシーンと呼ぶ物があるのですが、これは簡単な話、下に水、真ん中にコーヒーの粉を入れて火に掛けると、上にコーヒーが出来上がって来るという代物です(日本にも確か、ありますよね?)。

この器具は、下の2層と上の出来上がったコーヒーが溜まる場所との間に、ゴムの輪があるのですが――多分、器具がしっかり嵌って水漏れしない為だと思います。――我が家のそれはそろそろ古くなり、買い換えの時期でした。

もちろん私は「今度の買い物の時に買って欲しい」と伝え、先週の金曜日、B氏はそれを買って来てくれたのです。
本当は、もう少し早く欲しかったのですが、私は「他人に頼む以上、その人のペースに合わせる」という事をモットーとしていますから、何も言わずに何週間か待っていました。

そして金曜日、遂に、欲しかった物が来たわけです。
大げさな言い方ですが、このゴムが古くなると、コーヒーが何となくゴム臭くなって、やはり美味しくないのです。
ですから、週末は朝から用事があり、家でコーヒーを淹れていなかった私は、今朝のコーヒーを楽しみにしていました。

古いゴムがくっ付いて、開き難くなっているモカ・マシーンを渾身の力で開け、「けっ、お前はもう用なしさ。今まで我慢していたけど、新しいやつが来たのさ」と独りごち、そのゴムの輪を気持ち良くゴミ箱に放り込み、新しい物に付け替え……る筈でしたが。

はい、ゴムのサイズが小さ過ぎて、使えませんでした。
このモカ・マシーンはもう何年も使っている物で、ゴムの輪は、定期的に変えているのに、です。
B氏が買い物担当になってからの5年間でも、何度も交換した筈なのに、です。

がっくりと肩を落とし、ゴミ箱からゴムの輪を拾う私。

……こういう事って、うちだけ? 世の中の旦那様は、もっと買い物上手なの? ねぇ、教えて!

2008年2月18日 (月)  正しい洋画の見方。

スイスで暮らしていると、日常の細かい事の中で「そうか!」とか「これだ!」と、思う時があります。
私の日常は、いわゆる白人、西洋人社会の中での生活ですから、やはり日本人のものとは違いますし、場合によっては、全く正反対であったりもします。

何の話かと言いますと、

例えば、アルフレッド・ヒッチコック監督の作品に『サイコ』というのがあります。
若い世代はもう知らないかも知りませんが、実際に起こった猟奇殺人事件を元にして作られた映画で、サイコ・サスペンスのパイオニアと言っても良い作品ではないでしょうか。

この映画、中でも有名なのは例の場面ですね。
「♪ヒュンヒュン、ヒュンヒュン♪」という不協和音と共に、包丁をもった手がシャワー・カーテンに近付き、中でシャワーを浴びている女性が……というやつです。
今でもホラー映画のパロディーなんかでは、良く使われていますよね。

この、ヒッチコックの『サイコ』が私のスイス生活と、何の関係があるのか?
こういう事です。

こちらの生活様式は、あの映画の様にシャワーが主で、湯船に浸かるというのは、少しばかり特別な事です(家によっては、浴槽自体が全くない家もあります)。
そして、シャワーはトイレや洗面場と一緒で、普通の1室内にありますから、ああしてシャワー・カーテンを引いて、水が外に飛ばない様に使わなければいけないわけですが……

使用後のシャワー・カーテンは、もちろん濡れています。
濡れているカーテンを乾かすには、どうするか?
広げておく、簡単ですね。
さて、そうすると何が起こるか?

例えば夜中、トイレに行ったとしましょう。
目の前にあるシャワーは、カーテンで仕切られていて、その向こうが見えません。
敢えて、透明だのごく薄い色のカーテンを選べば別ですが、そうでない場合――そして、大抵の場合はそうでないのですが――カーテンの後ろに何かが隠れていても、分りません。

そうです、ここに恐怖の心理が働くのです!

実は、こちらの子供が、閉まったシャワー・カーテンの後ろを怖がる事は、珍しい事ではないのです。
かくいう我が夫B氏も、子供の頃一人でトイレに行くと、まず勇気を振り絞ってシャワー・カーテンをがばっと開けてから、用を足していたそうです。

『サイコ』のあの場面は、日本人には分りませんが、元々こちらの人々にある恐怖心理を上手に扱ったというわけですね。
あの映画があんなに有名なのは、案外その辺かも知れませんよ。

もしくは、こんな事もそうです。

やはり映画の話ですが、小さな子供や女性が大人の犯人から逃げる時、ベッドの下やドアの陰に隠れたり、たくさん並んでいる机の下にもぐったりする場面は、皆さんも見た事があるのではないでしょうか。

私もね、以前でしたら「そんなわけないだろう」「絶対見えるって」と、画面に向かって突っ込んでいましたが……今は違います。
これはね、本当に「有り」なのです。

背が高くガタイの良い大人の男性にとって、扉の後ろのあんな小さな隙間は、人間が入れるとは思い付かない場所ですし、ベッドや机の下は、いわゆる足下の死角となって、見逃してしまうのです。

ふふふふ、何故そんなことが分るのか、ですか?
もちろん、我が家にいる大柄の男性で、全部実験済みですとも。

同じ様な状況で私達日本人は、むしろ高い所に隠れますよね。
その証拠に、忍者はいつだって、天井にへばりついていますものね。
でもこれは、私達が基本的に小柄である為、今度は逆に、上の方が死角になるという事ではないでしょうか?
そして、そんなトリックが西洋人には、案外新鮮に映るのかも知れませんね。

……そうそう、こちらの男性が泣いている女性にハンカチを差し出すのは、私達日本人にはロマンティックに写りますが、鼻をかむためですからね、念の為。

2008年2月19日 (火)  2008年度『ミスター・スイス』開始!

このサイトを訪れて下さる、女性の皆様、お待たせいたしました。

そう、2月といえば、『ミスター・スイス』の季節ですね。
今年ももちろん見せますよ、彼らの裸体を。

ただね、今年は少し趣向を変えてみました。

毎年一挙大公開では、些か胸焼け気味ですよね?
少しずつの方が、ゆっくりと吟味&検討も出来ますでしょう?
(何枚もの裸を一気に画像処理するのが苦痛、という噂もありますが。)

ということで、今年はけちって小出しにします。

では、今日の候補者4名をどうぞ!

『候補者1番から4番を見る。』
(時間が経った為、リンクは外しました。)

2008年2月20日 (水)  2008年度『ミスター・スイス』 コンテスト 2

『ミスター・スイス』候補者の画像、4枚追加です。

もちろん皆さんお脱ぎになってますから、PCの周囲に誰もいないかどうか、しっかり確認してからクリックして下さい。

では、どうぞ。

『候補者5番〜8番を見る。』
(時間が経った為、リンクは外しました。)

2008年2月21日 (木)  2008年度『ミスター・スイス』 コンテスト 3

本日も4名追加です。

彼らの鍛えられた身体、ご堪能下さい。

今年の候補者は、ジムで作った筋肉でない人も何名かいる様な気がしますが、どうでしょう?

では、どうぞ。

『候補者9〜12番を見る。』
(時間が経った為、リンクは外しました。)

2008年2月22日 (金)  2008年度『ミスター・スイス』 コンテスト 4

今日は、最後の4名をどうぞ。

『候補者13〜16番を見る。』
(時間が経った為、リンクは外しました。)

皆さん、どの候補者がお好みでしょう?
週末にでも、全員通して、ゆっくりご覧になって下さい。

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さて、日曜日のテレビ出演ですが

いつも通り夫B氏も隣で手伝いますし、ひょっとしたら、ちょっと喋るかも(まだ未定です)知れませんので、
「みんつなんてどうでも良いけど、B氏が見たいのよねぇ」
というB氏ファンの方、是非お楽しみに。

ちなみに今回は、B氏の全身(立ち姿)が写る予定です。

2008年2月26日 (火)  テレビのおまけ

日曜日『地球アゴラ』を見ることが出来なかった方へ、ちょっとだけサービスです。

私は「冬の楽しみ」というテーマで、ソリについて紹介しました。

私の住む州内では、大人も子供も(スキーやスノー・ボード以外に)ソリを楽しむのですが、我が家から車で少し行った所に、電車で螺旋を描きながら山を登り、夏場は自動車道として使われている道を、ソリで滑り降りて来るコースがあります。

ここは、この辺では有名なコースでして、国内はもちろん外国からのお客さんもたくさん来ます。
私が行った日も、電車内では地元の言葉だけでなく、仏、伊、英、タイ語etc・・・・・・「ここは何処?」といった感じでした。

テレビでは、この様子をビデオで流したのですが、今日はテレビを見られなかった方に、写真をお見せします。

こんな感じです(↓)。



(もう少し見たい方は、左のメニューから『みんつの暮らし』→『そり』をどうぞ。)

2008年2月27日 (水)  最後の戦略 1

我が家には、ナンバー・ディスプレイ(ND)機能の付いた電話機があります。

これは対姑戦に置いて、嫁にとっては欠かせないアイテムの一つと言われていますが、我が家が何も問題のない、十分使用可能な電話機を処分してまでこれに買い換えたのは、やはり戦が激化し出したからです(興味のある方は、過去の日記2005年11月17〜19日『恐怖の誕生日』をどうぞ)。

我が家がND機能を使うのは、私が義母の電話を取りたくないからです。
私が義母の電話を取りたくないのは、義母が頻繁に用のない電話を、私が出るまで掛けるからです。

我が夫B氏は携帯電話を持っていますので、私が家の電話に出なくとも、義母が困る事は何もありませんし、B氏の予定を聞かずに我が家の予定は組めませんから、私に電話を掛けるのは、二度手間以外の何ものでもないのです。

「お義母さんは、みんつさんと話がしたいんでしょう?」
そう思う方もいるかも知れませんが、電話に限らず、義母との会話が盛り上がった事、楽しかった事は、残念ながら過去13年間一度もないのです。
義母自身、私の話に興味がある様子は、全くありませんし。

それでも私は、礼儀正しい嫁として、B氏を通して交わされた約束は、きちんと果たしていますから、それで良いじゃないですか。

そして電話を買い換えてからの約2年間、小競り合いこそありはしたものの、我が家の紛争は、このまま落ち着くかに見えました。
そう、簡単な事ですよね、「お互いに尊重し合い、健康的な距離感を持って、大人同士としての付き合いをする」というだけですからね。

しかし、問題が解決したと思っていたのは、私達夫婦だけでした。

あれは確か、先月です。
ある日、我が家の玄関ブザーが鳴り、私が扉を開けると、そこには義父が立っていました。
「この間一緒に注文した、野菜の種が届いたから、持って来たんだ」
道の向こうに止まっている車の中に義母が乗っているのは、確認しなくとも分ります。

こういう突然の訪問は、嫁にとって非常に困るのです。
理由は、部屋を掃除していないからです。

嫁にとって世界中で唯一人、我が家の惨状を見られたくない人間、それが姑なのです。
だってそうでしょう「こんなだらしない嫁、私の大切な息子ちゃんには、失格よ!」と思われたら、まずいじゃないですか。

玄関口で私が、引きつった笑顔で対応していると、義父は――基本的に義父は、義母の言う事をやっているだけなのです。そうしないと、「ぎゃーぎゃー」うるさくされるからです。――察したのでしょう、「じゃ、用があるからこれで」とか何とか言いながら、そのまま帰って行きました。

もちろん私は、その事をB氏に報告しました。
「お義母さんは、私が普通の大人の女として、二人にお茶ぐらい出して持てなしたいと思っているとは、考えないのかしら? あんな風に急に来られても、うちはお茶菓子なんて常備してないし、部屋を片付ける余裕もないし、本当に困るのよ。貴方の携帯に電話して、お互いが都合のつく日に約束すれば良いだけなのに」

その晩は、特に解決案も出ないまま、それでも「まぁ、そんなに何度も突撃してくる理由はないし、大丈夫でしょう」と、私達夫婦は簡単に考えていました。

さて昨日です。

我が家の玄関ブザーが鳴り、私が扉を開けると、そこには義父母が立っていました。
「これね、店で見付けたんだけど、みんつも使うんじゃないかと思って、買って来たの」
そう言って義母は、『趣味の園芸セット』とでもいう様な物を出しました。

確かに野菜作りは私の趣味ですが、突然の訪問は、はっきり言って迷惑なのです。
今日の我が家は、洒落にならないほどの有様ですから。
大体私は、可能な限り無農薬で畑を作っていますので、そういう化学肥料の様なセットは、使いません。
その事は義父母も知っていますから、これは我が家に来る為の口実です。

さて、どうしましょう? 

              〜次回へ続く〜

2008年2月28日 (木)  最後の戦略 2

              〜前回からの続き〜

私の知る限り、我が家の周辺に義父母の知人はいません。
義父母がこの近くに来る理由は、仮にそれが私でないとすれば、この時期はスキーですが、二人の服装は雪山に行くには軽装過ぎます。
もちろんこの近辺の商店街は、自宅近くにもっと大きな町がある義父母には、不要です。

とりあえず私は、帰る気配の全くない義父母に聞いてみました。
「今日は、この辺に何か用事でも?」
すると、義母からはこんな答えが。
「いいえ、みんつがいるかな、と思って」

自分の掛ける電話にすら出ない相手が、自分の突然の訪問を喜んで迎えるとでも、義母は本気で信じているのでしょうか?
それともこれは、何かの罰ゲームでしょうか?

「本当はお二人に上がって頂きたいんですけど、今B氏が居間をアトリエ代わりに使っていて、誰も通す事が出来ないんです。そうだ、天気も良いし、一緒に散歩でもしましょうか? すぐ支度をしますから、ここで5分だけ待っていて下さい」
そう言うと私は、義父母の返事を待たずに玄関の扉を閉め――もちろん、勝手に入って来ない様にです。――階段を急いで駆け上がりました。

運の良い事に、今日は牛小屋を掃除する日です。
部屋で腕時計を見ると、その時間まで2時間弱。
1時間ぐらい散歩に連れ回し、場合によっては途中のレストランでお茶でもして、「後は用がありますから」と言ったら、この突然の課題、何とかクリア出来そうです。

私は財布をポケットに突っ込むと、ジャケットも羽織らず――陽のある内に戻るつもりだ、という表示ですね。――義父母と散歩に出ました。

散歩の間中、私は何とか話題を見付け、義父母と話をしましたが……

簡単な話、義父母と私には「B氏という人物」以外に共通点がないのです。
自分で選んだ友達でもなければ、同じ環境に暮らすご近所でもありません。
生まれ育った国も世代も全く違いますから、価値観や文化習慣、個々の背景、興味の対象やそれへの取り組み方など、互いに相手に興味を持ち、理解しようとする努力なくしては、共有出来るものがないのです。

そして、幾ら私が話題を探しても、話は膨らむ事なく消えて行くのです。
次から次へと、まるで警察の尋問か街角のアンケートとでもいった具合に、ただ個人情報を流しているだけです。
たった1時間弱の散歩で、私達は、幾つのテーマについて無意味に触れたでしょうか?

散歩から戻った私は、正直に言うならば「これから半年先ぐらいまで、義父母とは何も話す事柄がなくなった(ネタ切れ)」という気分になりました。

「実は私、今から牛小屋掃除に行かなくてはいけないんです。ですから今日は、これでお暇しますね」
義父の車の前でそう言う私に、義母が最後の尋問です。
「あら、牛小屋で働いているの? それは良い事だわ。牛小屋で働いているのは、何曜日?」
「火曜日と、木曜日ですけど?」
「火曜日と木曜日ね、分ったわ」

……あぁ、どうやら私は、個人情報をまた一つ、無駄に流してしまった様です。この情報は、きっと悪用されますね。そう、この次の突撃は、月曜日とか水曜日になるのでしょう。

義父母の行動で、私には理解出来ない事が幾つかあります。
・何故、私と“B氏抜きで”会いたいのか?
・何故(何度も欲しい物はないと言っているのに)物をくれるのか?
・何故、私が要らないと分っている物――園芸セットの様に、私の好みや方針とは相反する物――をくれるのか?
・そもそも義父は、何故自分の妻を止めない、もしくは「一人でやれ」と言わないのか?

この時点で、私が分っている事は一つです。
・義母の電話を取らなければ、義父母はアポイント無しで我が家にやって来る。

かといって、義母の電話に付き合っていたのでは、私はカウンセリングを受ける羽目に陥ります。

さて、どうしましょう?

                〜次回へ続く〜

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