2008年3月3日 (月)  最後の戦略 3

               〜前回からの続き〜

「大切な夫の親とは、何とか上手くやって行きたい」

今まで私は、出来るだけ穏便に事を処理しようとしていましたが、どうやらそれは無駄な努力だったのでしょう。
事実から考えると、義母にとって重要なのは、「兎に角みんつと接触する」という事の様です。

私が不快に感じるとか、私の都合が悪いとか、私にも私の予定があるとか、私は家庭を持った一人の大人であるとか、そういった諸々は、義母にとって重要ではないのでしょう。
そして義父は、結果的に他人に嫌がらせをしている、自分の妻をとめる気はない様です。

そういう態度の義夫母に、私が「一個人として尊重されていない」と感じたとしても、不思議ではありませんよね。
自分を尊重してくれない相手に対して、礼儀正しく振る舞い、相手を尊重し続けるのは、果たして利口な大人のする事でしょうか?

これは私個人の考えですが、コミュニケーションというのは、相手が理解出来るやり方で伝えなくては、例えそれがどんなに良いものであっても意味がありません。
幼児には、至極簡単な言葉や身振りを交えて話さなくては何も伝わりませんし、大学の教授相手には、専門用語だの外国語だのを散りばめた会話が必要な場合もあるでしょう。

そしてもう一つ、私が常に思うのは「自分の置かれた状況が自分にとって不都合なら、自分を変えるしかない」という事です。
世の中に、「私が居心地良く感じる様に変ってくれ」と言うのは、まあ、死ぬまで待っていても起こりませんよね。

それでは仕方がありません。
私はもう一度、私の態度を変える事にしました。
そう、義母に対して違ったやり方をする事にしました。

義母がいつも口にするのは「私達は家族なのよ」です。
どんな押し付けも、この一言で美化されます。
それなら、私もそうする事にします。

「私達は家族」ですから、義母は、私を実の娘の様に思ってくれているのでしょう。
でしたら私は、義母に対して本当の母親に対してするのと同じ様に、振る舞うのが良いでしょう。

ふふふ、義母は息子二人しか育てた事がありませんからね、娘というものが、時には如何に憎たらしいものか、全く分っちゃいないのです。

嫁に行った実の娘が、実家に帰った時にするのは、「うんと楽をする」ですよね。

私が一人暮らしをしていた時、たまに実家に帰ると、最初の台詞は「ただいま! あぁ、お腹減った。お母さん、今日のご飯は何?」でしたっけ。
着ていたジャケットだの靴下だのをその辺に脱ぎ捨て、溜まった洗濯物を鞄ごと洗濯機の前に置き、どかりと座り込んでテレビを点ける。

もしくは、母が支度の途中である鍋を片っ端から覗き、「ええ、xxより今日は、○○が良かったなぁ」と文句を付け、冷蔵庫にある父のビールを勝手に飲み、来客用に備えてあるお菓子の袋を全部開け……

そういえば私は、デザート用に買った数種類のケーキだのドーナツだのを、全て一口ずつ味見するので、よく嫌がられたりもしましたっけ。

実の娘というのは、そういうものですよね。

義母の夢の家族、一人ぐらい欲しかっただろう娘、実の親のように甘えて来る嫁……
ええ、ええ、今年からこのみんつが、全て叶えて差し上げますとも。

……さぁ、覚悟しろよ!

2008年3月4日 (火)  続・最後の戦略 1

「こうなったら、実の娘の様に振る舞ってやる!」
私がそう決心した途端、チャンスが向こうからやって来ました。

「みんつ、今週末にC氏(義母の長男です)が泊まりで来るのだけど、貴方達も夕飯に来ない?」
……もちろん行きますとも!
しかし、即答したいところをぐっと堪えて、私はこう言います。
「そうですね、夫B氏に相談しないと、予定は立てられませんので、今夜にでも話してみますね」

だってそうでしょう、その場で、私の独断で「はい、伺います」なんて言ってしまったら、義母は「やっぱり、みんつに話を通せば済むのね」と考え、以降我が家の電話は鳴りっ放しになります。
貴方の娘は、電話が嫌いなのですから、「用があるならB氏の携帯に掛けろ!」という事です。

その晩、私から話を聞いたB氏は、不安そうな顔で聞きます。
「で、俺は何と返事したら良いんだい? みんつは、行きたいのか?」
「ふふふ、行くわよ。もう私は、今までの私とは違うのよ。これからはお義母さんに、本当の娘がどういうものか、堪能してもらう事にしたの」
「???」

「遠慮せず、やりたい放題、言いたい放題するって事よ。良いわよね?」
「おぅ! やれ、やれ!!」
「最初の課題は、『食前酒にビールを飲む』よ。お義母さんは絶対、例のおかしな飲み物とか用意しているけど、地下倉庫にビールがあるのを私は知ってるわ。あれを飲んでやる!」

実はスイスでは、ビールは些か下品な飲み物と考えられる傾向があります。
教養のある、洗練された大人は、食前酒にはカクテルやシャンパン、白ワインを飲み、食事中は赤ワインを飲むのが良しなのです。
でもね、私は甘いお酒が好きではないだけでなく、ビールが大好きなのです。

義父母宅の地下倉庫には、何故かいつも、ビールの小瓶が買い置きされています。
お上品な義母が、下品な飲み物を来客に出す筈はありませんから、これは義父の仕業です。
義母は決して認めようとしませんが、私の見るところ、義父はビールを飲むのです。
いえ、多分飲むだけではなく、好きなのだと思います。

というのは、何かの機会があって、誰かがビールを飲むと――その誰かは大抵、私かB氏なのですが――義父も一緒にビールを飲んでいるのです。
大体来客用でもなく、誰も飲む筈のないビールがこっそりと、しかし常備されているのは、おかしいですよね。

さて当日。

意気込んで出掛けた私に、義母がやはり聞きます。
「食前酒は、何が良いかしら? うちにあるのは白ワイン、カンパリ、オレンジ・ジュース……」
義母の話を遮ると、私は勇気を振り絞って、言いました。
「ビール、ありますか?」

一瞬固まった後、義母が取り繕う様に言います。
「ええ、もちろんあるわよ。そうよね、喉が渇いている時は、強いお酒よりもビールの方が良いものね」
この言い訳の様な話を再び遮ると――義母にしてみれば、ビールの様な下品な食前酒を頼むには、納得出来る理由が必要なのでしょう――私は再び、きっぱりと言いました。
「私、ビールが好きなんです」

そしてもう一度、義父にビールを取りに行かせ様とした義母を、私は遮りました。
「ああ、自分で取って来ます。何本持って来たら良いかしら? お義父さんも飲みますか? B氏は車だからジュースね?」
階段を下り掛ける私に、義母が言います。
「ビールを飲むのは、みんつだけだと思うわ。少なくともお義父さんは、飲まないわ」
……ふん、義父は絶対に飲むね。多分、後から来るC氏も飲むな。

4本のビールを手に戻った私を見て、義母が抗議するかの様に言います。
「そんなにたくさん持って来たの?」
「ええ、誰が飲むか分らないし、その度にいちいち倉庫まで行くのは面倒だから。冷蔵庫に入れて置けば、問題ないでしょう?」

その後は私の予想通り、義父もC氏も食前酒に迷わずビールを飲みました。

『食前酒にビールを飲んでやる!』
こうして『実の娘になろう作戦』、第一の課題は無事クリアです。

              〜次回に続く〜

2008年3月5日 (水)  続・最後の戦略 2

               〜前回からの続き〜

第一の課題がクリアとなれば、向上心のある私は、次へと進みます。
第二の課題は『食事中に赤ワインを2本空けてやる!』です。

この日記でも何度か書いていますが、私はお酒が好きですし、量も結構飲めるのです。
そしてその事は、当然義父母の前でも、何度も話しています。
が、どういうわけか義母は、私がお酒に弱いと信じています(そう思い込みたい様です)。

例えば、町の祭りに一緒に行き、休憩時に私が、ビールを注文したとします。
スイスのグラス・ビールは大抵3dl入りですから、食事を一緒に取っている場合――スイスの食事は塩辛いですし――私は、二杯目が必要になります。
すると義母は、立てた人差し指を左右に振って、「ちっ、ちっ。そんなに飲んだら酔っぱらうわよ」とやるのです。
……はぁ? 私、ビールなら3Lでも飲めますが?

もしくは、大おばさんの誕生パーティーで、食前酒に白ワインが出たとしましょう。
陽の当たる眺めの良いテラスで、久しぶりに会う義親戚達とグラスを片手に歓談していると、ウェイトレスが廻って来て聞きます。
「ワイン、もう一杯如何ですか?」

ワイン・グラス一杯なんて、せいぜい2dlからね、もちろん私はお代りを頂きます。
すると義母が、すかさず言います。
「みんつ、そんなに飲んで大丈夫? 気分が悪くなるんじゃない?」
……ええっ? 私、ワインなら2本でも飲めますが?

そんな調子ですから、義父母宅での食事中に出るワインは、今まで4人で1本すら空いた事がないのです。
そう、もっと飲むかどうかさえ、聞いてもらえないのです。

仕方がないので私が、他の人のグラスに注ごうとすると――スイスでは、自分がもっと飲む場合、まず他の人に注ぐのが礼儀ですから――義母は「あぁ、私はもうたくさん」と大袈裟な身振りでグラスを覆い、「私は良いから、みんつが飲みなさい」という義父の言葉には「みんつ、お酒はカロリーが高いのよ」と牽制が入ります。

しかし、実の娘が実家に行ったら、酔っぱらおうがどうしようが、飲みたいだけ飲みますよね。
実の両親が飲まなくたって、娘は勝手に飲むものです。

ええ、この日の私は、飲みましたとも。
義父やC氏のグラスには、何も聞かずに勝手に注ぎ足しましたし、義母が席を立った時には、彼女のグラスにも、気付かない位の量を毎回足して置きました。

1本目が空になった時、義父が言いました。
「ワイン、もう1本取って来ようか?」
「私はもう十分よ」そんな義母の声に重ねる様に、私は元気良く言いました。
「Na klar!(ナ、クラー:もちろん!)」

そんな私を支援するかの様に、主菜を食べ終えたB氏が言います。
「あぁ、美味い前菜だったな。で、次は何?」
少々狼狽え気味で、デザートを取りに行った義母の背中に、C氏も冗談を言います。
「お袋、汚れた皿は、今すぐ洗わなくて良いから!」

そう、皆、気軽に和気あいあいと食事を楽しみたいだけなのです。
それこそ家族なのですから、肉がちょっと位焦げていたって、高級レストランの様な支給でなくたって、誰も何も思いませんよね。

その後、デザートの飲み物について訳の分らない質問を始める義母にも、私は断固とした態度を取りました。
「ぁ、私がやります。うちではね、B氏がどのハーブ茶を飲むかなんて、一切聞かないんですよ。だってね、そんなどうでも良い事、聞いたって答えないし、出せば何でも飲むんですから」

そして私は、台所にあった一番大きなティー・ポットにたっぷりお茶を作ると、マグカップを全員に出しました。
義理家では誰もお茶に砂糖を入れないのですから、もちろんスプーンもなしです。

こうして、私の『実の娘になろう作戦、第一回』は無事終了しました。
ちなみにこの日の会食、義母は戸惑い気味な場面もありましたが、他は全てスムーズに流れました。

……やるぞぉ〜、次はもっと飛ばしてやる!

2008年3月7日 (金)  みんつ家の朝食。

ある日、コーヒーを片手にインターネットをしていると、夫B氏が、私に朝ご飯を持って来てくれました。

基本的に私は、朝食を摂らないのですが、誰かが作ってくれたものは、ありがたく頂きます。

が……

これはちょっと微妙。



お茶碗に、野菜炒めと洋ナシ2切れって、どう?

……しかも、何か少ないし。

2008年3月10日 (月)  一難去って、また一難 1

私は最近、少しばかり困っている事があります。
それは、下の階に住むお婆ちゃんとその猫C氏の事です。

お婆ちゃんの猫の飼い方は、この辺りの酪農家にありがちな――彼女自身、元酪農家です――「猫は、ねずみを捕っていれば死にはしないし、寒ければ牛舎で寝れば良い」という具合で、愛玩ではありません。
ですからC氏は、年間を通して、餌の時間(朝8時と夕方5時の2回)以外家の中には入れてもらえません。

C氏は、ねずみ取りに置いてはとても優秀ですし――コウモリも狩れる程です――仔猫の時からずっとそうやって生活してきましたから、お婆ちゃんの飼い方でも特に問題はありませんでした。
そう、今までは。

ところがここに、もう1匹の猫が現われました。
その茶トラ猫M氏は、上の階のみんつに飼われているのですが、どうやらそこでは、好きな時に好きなだけ家の中に入れる様なのです。

雪の降る日、C氏は餌の時間になると、室内のお婆ちゃんが気付くまで、ドアの外で鳴いていなくてはいけませんが、M氏は、一日中部屋の中にいます。
その上お婆ちゃんは、幾らか耳が遠いので、長い時間鳴いていてもドアが開かなかったり、どこかに出掛けていて、餌の時間になっても戻らなかったりします。

今まではずっと独りでしたから、それが普通だと思っていましたが、M氏が来た今、C氏は、少しばかり疑問を抱く様になりました。
「猫でも、家の中で暮らして良いのだろうか?」

そんなある日、C氏は、みんつ宅の猫用ドアが壊れて、飽きっ放しになっているのに気付きました。

本当は、今までもそのドアは開いていたのですが、プラスティックの板が嵌っていた為、C氏には、そこを通る事が出来るのかどうか、自信がなかったのです。
しかし今、目の前のドアはプラスティック板が外れていて、ただの穴が開いているだけです。

冬の寒い夜、お腹の空いたC氏は、思い切ってみんつの部屋に入ってみました。

「みゃぁ〜」
「あらC氏、いらっしゃい」
いつでも急いで引き返せる様、ゆっくりと慎重に歩みを進めるC氏を見て、みんつは笑います。
「やっぱり外じゃ、寒いよね」
そう言ったきりみんつは、特にC氏を構うでもなく、今までやっていた事に戻りました。

恐る恐る部屋の中を見て回ると、M氏はベッドから片目を開けて、C氏を確認しただけですし、暖かい部屋の壁際には、餌の残りが無造作に置いてあります。
「このカリカリを食べたら、怒られるだろうか?」
C氏が躊躇していると、何かを察したみんつがやって来て、目の前の皿に餌を追加しました。
「どうぞ」

その日からC氏は時々、お婆ちゃんがなかなかドアを開けてくれない時や、深夜にお腹が空いた時に、みんつの所へ行く様になりました。

ある風の強い晩、やはり深夜にお腹の空いたC氏は、みんつの所に行きました。
前から気付いてはいたのですが、みんつの部屋には、猫用のベッドが置いてあります。
それは、暖房器具のすぐ横で、牛舎で寝るよりも心地よさそうです。
そしてM氏は、人間用のベッドで寝ています。

「このベッドで寝たら、怒られるだろうか?」
不安な面持ちでC氏が、そっとベッドに入ってみると、誰も何も言いません。
みんつはちらりとこちらを見ましたが、また何か、やっていた事に戻っただけです。

その晩C氏は、狐や他所のオス猫に襲われる心配もなく、みんつの部屋で眠りました。

さて、そんな風にして数週間が過ぎたある日、下のお婆ちゃんが言いました。

「みんつ、最近C氏が変なのよ。餌を少ししか食べないのよ。でも、痩せていってるわけでもないし、毛の艶も良いし、病気ではなさそうなのよね。それに、前ほど牛舎臭くもないのよ。どうしたのかしら?」

             〜次回に続く〜

2008年3月11日 (火)  一難去って、また一難 2

              〜前回からの続き〜

C氏が我が家に来るのをお婆ちゃんが好まない事は、以前から知っています。
理由は、C氏がお婆ちゃんより私になついてしまうのが、嫌なのです。
しかしお婆ちゃんは、C氏により好いてもらう為に何かをする気は、毛頭ありません。

お婆ちゃんの年齢(86才?)を考えると、一緒に遊んでやれとまでは思いませんが、せめて寒い日は家の中に入れてやるとか、もつれやすいその長い毛をまめに梳いてやるとか、何か、C氏との触れ合いを増やす様な事は、お婆ちゃんにとって考慮の余地はないのです。
猫を入れると家の中が汚れますし、毛がもつれたら切ってしまえば良いだけですから。

これは余談ですが、お婆ちゃんは目も幾らか悪い為、C氏のもつれた毛を切る時に、皮膚まで切ってしまうのです(これをやられるとC氏は、2〜3日返って来ません)。
私もこれだけは何とかしたいと思い、お婆ちゃんと話してはいるのですが、私の上げる案は、今のところどれも気に入ってもらえません。

簡単な話、お婆ちゃんは何もしないで、C氏の一番でいたいのです。
「C氏は私の猫である」=「C氏は私を一番愛すべきである」=「C氏により好かれてしまいそうな人物は、自ら距離を取るべきである」が、お婆ちゃんの考えです。
ですからお婆ちゃんは、こう言います。
「みんつの家には、C氏を入れないでちょうだい」

でもこれは、無理な話です。
我が家の猫用ドアは、センサー付きではありませんので――センサー付きドアは思うところがあって、使う気はありません――C氏どころかどの猫でも入れますし、大きささえ合うなら、いたちでもタヌキでも誰でも入れるのです。

C氏が来たらその都度追い払うというのも、あまり現実的だとは思えません。
深夜、私達が寝ている間にこっそりやって来たら、どうしますか?

大体私は、これっぽっちも、C氏を追い払いたくなどないのです。
近所で飼っている猫同士を適当に可愛がるのは、お互い様でしょう?
我が家のM氏が他所に行った時、そこの家の人にも可愛がってもらえたら、私は嬉しいですし、その地域に住んでいる事に安心します。
ですから、我が家に来るご近所の猫も、M氏と上手くやってくれるなら、追い払う気はないのです。

何よりも、C氏が我が家で寝れば、お婆ちゃんの部屋は綺麗なままですし、C氏の毛もさほど汚れませんから、もつれは減りますよね。
ということは、C氏がお婆ちゃんに切られて怪我をする事も、なくなりますよね。

「C氏は何故、うちで餌を食べないのかしら?」
お婆ちゃんのこの問いに、私はこう答えました。
「さぁ、何ででしょうね? でも、病気でないなら、良いじゃないですか」
私達がそんな話をしていると、向かいの羊小屋前に車が止まり、酪農家R氏が降りて来ました。

「R氏、うちのC氏にまだ餌をやっている?」
お婆ちゃんの声に負けない大声で、R氏が通りの向こうから答えます。
「否、あんたが帰って来たから、俺はもうC氏の餌は置いてないよ」
「C氏、うちで全然餌を食べないのよ」
「他所でもらっているんだろう。今、冬休みの最中だから、この辺に休暇に来ている人達とか、子供も一杯いるからな。都会じゃ猫なんて飼えないから、可愛がってもらってるんじゃないかい?」

……あぁ、これは良い考えだ。この案に便乗させてもらっちゃおう。
そう思った私は、一応何かあった時の為の前振りとして、こう言って置きました。
「この時期は、色んな人が来てますからね。C氏、ご飯の残りとか、もらってるのかも知れないですね。ひょっとしたら、時にはうちに来てるかも知れないし」

「え、みんつの所に行っているの?」
「いえ、来ているかどうかは分りませんけど、可能性はゼロじゃないかな。ほら、うちには猫ドアがあるから、どの猫でも入れるし」
「でも、以前はそんな事、なかったわよね」

そうなのです、C氏が最近になって我が家に来だしたのには、猫ドアが壊れた事以外にも、もう一つ理由があるのです。
少なくとも私には、「それが理由だ」と思える事があります。
ただ、「猫は死ななきゃそれで良い」的な飼い方をしているお婆ちゃんは、気付いていない様ですが。

                 〜次回に続く〜

2008年3月12日 (水)  一難去って、また一難 3

                 〜前回からの続き〜

以前は、お婆ちゃんが家を留守にする時、C氏の餌やりを私に頼んでいました。
朝夕の2回、いつもと同じ時間に、お婆ちゃんの家の中のいつもの場所で、私はC氏に餌をやっていました。

しかし、最近お婆ちゃんは、留守中の餌やりをR氏に頼む様になりました。
R氏は、羊小屋こそ私とお婆ちゃんの住む家のすぐ向かいにありますが、自宅は別の村ですから、毎日C氏の為だけには、この村に来ません。
そして、お婆ちゃんとR氏の取り決めは、こうです。
毎日1回、R氏が羊小屋に仕事で来た時、小屋内の隅に餌をたくさん置いておく。

お婆ちゃんが何故「C氏は毎晩R氏の羊小屋で寝ているから、そこに餌を置けば良い」と考えているのか、私には分りません。

我が家の周りは全て家畜小屋ですから――R氏の羊小屋以外に、少なくとも3つの牛舎がこの家と向かい合わせで建っていますし、その後ろにも、またその後ろにも、家畜小屋は幾つもあるのです――C氏が、R氏の羊小屋で寝ている確率は、多くても25%だと思うのですが。

また、C氏に羊小屋で餌をやるにあたって、お婆ちゃんはその場所をC氏に見せたわけでもありませんし、R氏が餌を何度か与えて慣らしたわけでもありません。
ただ人間が二人で、話をしただけです。
しかもこの小屋には、この辺の全ての猫や野生動物が、自由に出入り出来ます。

私は専門家ではありませんから、絶対にそうだとは言えませんが、この状態でC氏が自ら羊小屋の餌を発見し、この餌は自分用だから安心して食べても良いと理解するのは、難しいのではないでしょうか?
C氏が理解するのは、「お婆ちゃんはドアを開けてくれない」=「餌はもらえない」と「羊小屋に盗める餌がある」だけではないのでしょうか?

羊小屋の餌を盗んで良いのなら、何故、みんつの家の餌を食べてはいけないのでしょう?
少なくともみんつの家なら、M氏以外の動物は来ませんし、盗みではなく安心して食べられます。
飼い主が餌をくれないのですから、他所で餌がもらえるなら――しかもここは同じ家の中で、1階上なだけです――そこに行くのは、ごく自然の事ではないでしょうか?

しかしこれは、お婆ちゃんには理解出来ません。
C氏はお婆ちゃんの所有ですから、お婆ちゃんが手配した様にすべきなのです。
お婆ちゃんが「今日から1週間、羊小屋で餌を食べろ」と考えたら、C氏はそれをテレパシーで感じて、その通りにすべきなのです。

たとえその羊小屋に、昼間2匹の犬がいようが、餌を置いて行くR氏やその助手が、C氏と全く接触がなかろうが、そんな事は問題ではありません。
飼い主であるお婆ちゃんがそう決めたのですから、C氏はそれに従うべきなのです。

さて、この状況で、私はどうしましょう?

私は、お婆ちゃんの都合の為にC氏を追い払う気は、ありません。
私は、お婆ちゃんがC氏の毛を切るのが、気に入りません(皮膚まで切るから)。
私は、C氏の飼い方について、お婆ちゃんを説得出来るとは、思いません。
私は、動物(や小さな子供)が幸せでないのを見るのは、不愉快です。

黙っているわけにもいきませんので、私は、とりあえずこう言ってみました。
「最近、うちの猫ドアが壊れて、開きっ放しになっているんですよ。そのせいかも」
それに対して、お婆ちゃんはこう言います。
「それじゃ、猫ドアを直さないといけないわね」

「いえ、猫ドアを直す気はありません。特に不自由はないですし、プラスティック板があろうがなかろうが、実際どの猫でも入れますから」
「でも、他所の猫が入ったらまずいでしょう?」
「別に。M氏と喧嘩しない限り、私は構わないですよ。大体、夜中にこっそり入って来る猫は、どうにも出来ませんし」

「でも、C氏がみんつの所で餌を食べたら、まずいじゃない」
「どうしてですか? うちの餌は安いカリカリですから、幾らでもないし、私は構いませんよ」
するとお婆ちゃんは、これ以上話す気はないという調子で、強く言い切りました。
「猫ドアは、直さないとね」

この瞬間、私の心が決まりました。

                〜次回に続く〜

2008年3月13日 (木)  一難去って、また一難 4

                 〜前回からの続き〜

「嘘を吐こう!」
私は、迷わずそう決めました。

C氏が私の猫ではない以上、何かあった時に責任を取るのは、私ではありません。
そして、飼い主であるお婆ちゃんが望んでいない以上、私には、お婆ちゃんの飼い方に口出しする権利は、ありません。
それと同時に、私には、お婆ちゃんの飼い方を手伝う義務も、ありません。

そう、私は、他所で飼われている猫を観察し、その行動を飼い主に報告する趣味などありませんから、C氏が毎日何処で何をしているかなど、興味はないのです。

C氏が、R氏の羊小屋で寝ているのか、はたまた裏の牛舎で寝ているのか、ひょっとしたら2〜3軒先の親切なご近所の庭先で寝ているのか、もしくは我が家のM氏用ベッドで寝ているのか、そして、その時にちょっとM氏の餌を食べているのか、そんな事は、私の知った事ではないのです。

私はお婆ちゃんとの会話をそのままにして、部屋に戻ると、夫B氏に言いました。

「私は今日から、C氏に関して嘘を吐く事にした。今までは、全部は話していないけど嘘も吐いていない、というやり方で来たけど、C氏がより惨めな生活を送れる様に、お婆ちゃんの手伝いをする気にはなれないから、私は嘘を吐く。B氏まで嘘を吐く必要はないから、今後C氏に関しては、無関係でいてくれると助かる。お婆ちゃんに何か聞かれても、貴方は何も知らないの」

「俺、嘘は苦手だからな」
「嘘を吐く必要はないわ。ただ、何も知らないのよ、B氏は」
「でも俺、知ってるじゃん」
「いいえ、貴方は、私が毎日何をしているか監視なんてしないから、C氏を家に入れているかも知れないし、入れていないかも知れないし、そんな事は興味がないし、知らないの」

「うーん、それは、嘘を吐く事じゃないのかい?」
「お婆ちゃんに、『C氏が、お宅に行っている?』と聞かれて、『来てません』と答えるのは嘘だけど、『どうでしょうね?』と言うのは、厳密には嘘ではないわ。まして『うちでC氏が餌を食べないのよ』というお喋りに、『はぁ、そうですか』と相槌を打つのは、嘘でも何でもないわ」
「俺、出来るかなぁ?」

「じゃぁ、B氏は、お婆ちゃんに何もかも話す? C氏が、私達が寝ている夜中にこっそり来ないように、常に見張って追い払う? そうしたいなら、私は構わないけど」
「否、それはしたくない」
「どっちにしても、貴方は殆どお婆ちゃんと接触がないし、私が何をしているか、知らずにいてくれれば良いのよ。でないと私は、お婆ちゃんと喧嘩するか、大家に告げ口しないといけなくなるわ」

実は、我が家の大家はお婆ちゃんの長女で、彼女も私に負けない猫好きなのです。
私が「M氏を飼っても良いか? もしかすると、2匹になるかも知れない」と聞いた時、彼女の答はこうでした。
「猫なら、2匹でも20匹でも、好きなだけ飼って良いわ。私は、猫がライデン(leiden=苦しむ、我慢する、耐える、被害を受けるetc)しているのは、嫌なのよ」

C氏の毛がもつれた時、お婆ちゃんが勝手に切ってしまわない様に、「獣医に連れて行く」と言ったのも、私が連れて行く事になった時、「請求書はうちに送って」と言ったのも、この女性なのです(興味のある方は、過去の日記2007年5月7〜15日『都会の人、田舎の人1〜5』をどうぞ)。

その後、私とB氏は少し話し合い、「その方が、B氏の気が楽になる」という理由で、猫ドアを直す事にしました。

猫ドアを直したら、B氏は、家の中ではC氏に一切関わらず――外では撫でたりしますが、私達の部屋内では、存在していないかの様に振る舞うそうです――お婆ちゃんへの対応は、可能な限り私がし、もし何か起こったら、私が責任を持って処理する、という事で合意しました。

                 〜次回に続く〜

2008年3月17日 (月)  一難去って、また一難 5

              〜前回からの続き〜

私の方針はこうです。

積極的にC氏を招き入れはしないが、来ても追い払わないし、M氏のベッドを使おうが餌を食べようが、好きにさせる。
また、お婆ちゃんがアドヴァイスを求めるなら、その時は私の考えを率直に言うが、そうでない限り、私の方からC氏の話題には触れない。

そしてこの状態は、私がこの家に住み、C氏がそれを望み、お婆ちゃんが自分のやり方を変えない限り、続きます。
それをお婆ちゃんがどう感じるかは、彼女の自由であって、私には関係のない事です。

そう決めた矢先、買い物に行こうとしていた私達夫婦に、またお婆ちゃんが言いました。
「最近C氏が、うちで全く餌を食べないのよ」

お婆ちゃんのこの言葉、私は、100%は信じません。
私は、複数の家庭から餌をもらう習慣のある猫を何匹も知っていますし、安心して餌が食べられる場所を、動物が自ら好んで拒否するとは、思えません。

多分C氏は、お婆ちゃんの所で前ほどは食べないだけで、ある程度は食べているのだと思います。

それに、C氏は今でも夕方5時になると――朝の8時は、私は寝ていて知りませんが――お婆ちゃんの玄関ドアの前にいるのです。
ただお婆ちゃんが、それに気付いていないだけでしょう。

お婆ちゃんがもっとC氏に家で食べて欲しいなら、毎日決まった時間に、C氏が鳴く前にドアを開け、自分から餌の時間だと知らせれば良いだけです。
お婆ちゃんの家できちんと餌がもらえるなら、C氏は、我が家には暖を取りに来るだけでしょう。

自分の取るべき態度を決めれば、すべき事は自ずと明らかになります。
私は、お婆ちゃん側に立つのを止めたのですから、こう言いました。
「あら、でもC氏は、毎日5時になるとドアの前にいますよ。それは、餌を食べに来ているんでしょう?」

それに対するお婆ちゃんの答は、こうです。
「家には入ってくるのよ。でもね、餌はあんまり食べないのよ」

ほらね、「全然食べない」という表現は、嘘でしたね。
正解は「前ほど食べない」ですね。

とりあえずこの日は、宣戦布告ですから、私は、もう1発かまして置く事にしました。
「あら、都合の良い時に可愛がれて、餌代が掛らない猫なんて、便利で良いじゃないですか。毛の艶も良いから病気ではないし、お婆ちゃん、ラッキーですね!」

私は大きな声で笑うと、B氏を促して――もちろん、お婆ちゃんがこれ以上この話を続けて、B氏が困った状態にならない様にです――買い物に出掛けました。

「これからはやり方を変える」と決めたのですから、もう今までの私とは違います。
様子を見ながら手加減はしますが、私は、こうやってジャブを打ち続けるつもりです。
「C氏にもっとなついて欲しいなら、自分のやり方を変えるしかない」
お婆ちゃんがそう分るまで、私は何も手伝いません。
いえ、それどころか、お婆ちゃんの話すら笑い飛ばしてやりますとも。

さて、C氏はというと、
みんつの部屋には、好きな時に入って良いし、餌も食べて良いと分ったのか、最初の頃の様な、意味もなく頻繁に出入りする状態は落ち着き、天気の良い日は、ほんのちょっぴり餌の補給に来る程度です。

このまま夏になれば、お婆ちゃんの玄関が開いている事も、ねずみを捕る機会も増えますから、私としては、なし崩し的に「C氏は、みんつ家に行っているのか?」問題が、お婆ちゃんの中でうやむやになる事を願っているのですが……

……甘いかな?

2008年3月19日 (水)  知らないということ (前)

昨日私は、ヤフーのサイトである記事を見付けました。
まずは、その記事を読んでみて下さい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080317-00000621-reu-ent

(何故か直リンになってしまうので、大変お手数ですが、アドレスをコピーして、飛んで下さい。)

皆さんは、どう思いましたか?

勿体付ける様で申し訳ありませんが、今日は、敢えてこれだけにしますね。

                 〜次回へ続く〜

2008年3月25日 (火)  知らないということ (後)

                    〜前回からの続き〜

この記事は、「米国での就職面接時に、求職者達がした非常識な態度」を「失敗」として挙げているのですが、これを読んだ日本人の感想は、コメント欄を見るとこんな感じでした。
・日本ではあり得ない(+日本も最近は…)
・アメリカ人はバカだ
・信じられない……etc

リンク先に飛んでこれを読まれた皆さんも、似た様な感想を持たれたのではないでしょうか?
私も、多分そう感じただろうと思います、もしスイスに住んでいなかったなら。

私がスイスで暮らしていて、いまだにはっとさせられるのは、「日本での常識が、スイスでもそうであるとは、限らない」です。
いえ、もっと極端に言ってしまうなら、「スイスでの常識は、日本人の私にとって、受け入れ難いものもたくさんある」という事です。

そして、その事から私が常に用心しているのは、「スイスだけを取ってみてもこんな様子なのだから、世界中にあるたくさんの国の事実が、それぞれに全く違う事だって、あり得なくはないだろう」です。

簡単な話、私は、世界中にあるごく僅かな国の中で、ほんの少しの事実しか知らないのだから、気を付けて物事を判断しないと、思いも付かない真実を無視しかねない、という事です。

では、この「米国の就職に関する失敗」記事を読んで、私がどう考えたのか?
私が、真っ先に考えたのは、「この面接に来た人達は、本当に採用されたかったのだろうか?」です。

もし、貴方に何かの事情があって、その面接で落とされたい(=自分から断ってはいけない)としたら、どうしますか?
不適切な服装や言葉遣い、態度……例えば「経理の仕事に応募して、対人の仕事が好きと言う」なんていうのは、割と簡単に出来ますし、不採用の確率も高そうですよね?

「えぇ、でも、どうしてそんな面倒な事をわざわざするの?」
日本にいる皆さんは、そう思われますよね?

米国の事情は知りませんが、実は、スイスでこれは、さほど珍しくないのです。
というのも、スイスの失業保険制度が、失業者をしっかり守ってくれるからです。

個人の事情によって幾らか違いはあるでしょうが、一例を挙げると、スイスの失業保険では、以前の賃金の80%が保証されます。
役所に届けを出して、定期的に係りの人間の所へ顔(と書類)を出せば、そのお金はもらえます。

ただ、もちろん係りの人は就職先を斡旋しますから、(求職者のフリをしている)失業者は、面接に行かなくてはいけません。

しかし、ここで下手に働いてしまうと、80%も出ていた失業手当はなくなりますから、条件の良い仕事でない場合――そして、役所が紹介する仕事は、以前の職場より大抵条件が下がるのですから――受かりたくないのが人情でしょう。

また、斡旋された仕事を自分から断ると、失業保健の申請をする資格は失われますから、求職者は、会社側から断わって来る様に仕向けるわけです。
そこで、そう、ある程度非常識な態度や、やる気のない素振りを見せる、という事になるわけですね。

では、そういう事実を考慮して、先程の記事を読むとどうでしょう?
非常識な「失敗」ではなく、「成功」なのではないでしょうか?
ここで私が言いたいのは、「あの記事は間違っている」ではありません。
「米国での実情を知らない私には、本当のところは分らないが、その可能性もあるのではないか?」です。

真実というのは、個々が置かれている立場等によって、違ってくるものだと思います。
私達は、自分の置かれている背景を元に、物事を判断しなくてはいけません。
しかし、それしかないと決め付けてしまうのは、やはり愚かな事ではないでしょうか?
ある程度自分の考えで判断し、それでもまだ、未知の可能性に対する余白を空けておく、という事が大切なのではないでしょうか?

……自分が如何に知らないか、これが分った時、私達の視野は少し広がるのかも知れませんね。

2008年3月28日 (金)  天使の翼

似た者夫婦とか、われ鍋に綴じ蓋等という言葉がありますが、我が夫婦は、見掛けはもちろんのこと、性格、好み、考え方と、殆どが正反対と言っても良い程です。

例えば、夫B氏が一番好きなアイス・クリームはピスタチオ味ですが、私は、これだけは食べません(もちろん、美味しくないからです)。
私は、ドライ・フルーツの入ったお菓子を好んで食べますが、B氏は、これが嫌いです。

もしくは、喫茶店などで待ち合わせをする時、私は、入り口を入ってすぐのテーブルとか、窓際とか、一番目に付きそうな席で待つのですが、B氏は、トイレ前の観葉植物の裏とか、私から見ると「隠れているの?」という場所にいます。
ちなみにB氏は、そういう所にいる私を、決して見付けられませんし、場合によっては、手を振っている目の前を素通りして行きます。

または、B氏は、スイス人としても身体が大きく、厳つい感じであるにも関わらず、非常に気が弱く、私は、スイスでは何処でも大抵一番小柄であるのに、相手が怖がります。
映画の様に酒場での殴り合いになったら、多分私は、嬉々としてその中に飛び込んで行くでしょうが、B氏は、ショックによる心臓麻痺で倒れるのではないでしょうか。

他にも色々と、日常の様々の場面で、私達夫婦は全く違った反応をします。

さて、先日の事です。
食べ過ぎか、胃の具合が悪いのか、どうにも背中が凝って仕方がなかった私は、B氏にマッサージを頼みました。

胃の調子が悪くて背中が凝る、“指圧の国日本”の方ならそう聞いただけで、どの辺をどう揉んで欲しいのか分かりますよね?
そう、肩甲骨の内側の下半分、ぐらいですよね。

しかし、残念ながらB氏はスイス人です。
揉む場所も力加減も全く見当違いですから、私は、その都度細かく指示を出さなくてはなりません。
「もうちょっと下。そこは肩だから。否、凝っているのは背中で、腰じゃないんだ。もう少し弱く。1点をずっと押し続けたら、息が出来ないから……」

「お前はわざと、揉んで欲しいツボを外しているのか?」と、言いたくなる様なマッサージに苛々しながら、床にうつ伏せたまま私は、どう説明したらB氏にツボの場所が伝わるか、考えました。

肩甲骨の内側を骨に沿って揉んで欲しい……ん、内側って言ったら、こっちでは、背骨を真ん中と考えての内側か? それとも、肩甲骨自体の内側か?……肩甲骨の中を揉まれても困るし……大体、肩甲骨って、ドイツ語でなんて言うんだ?……

「ああ、そこじゃなくって、もうちょっと右。否、それは左だから」
「ここか?」
「うーん、なんて言ったら分るかな? ……あ、分った!! あのね、天使の翼の付け根に沿って、揉んで欲しいの!」

完璧ですよね、この説明。
キリスト教の国スイスで、その国民であるスイス人に「天使の翼」と言ったのですから、絶対に分る筈ですよね。
大きな翼を広げたミカエルも、マリアに「あんた、妊娠してるよ」と言うガブリエルも、スイスでは、あちこちで見られますからね。
何てぴったりな表現でしょう。

「これでマッサージを堪能出来る」
そう思った私は、安心して床に伸びました。
ところがB氏は、首の付け根両脇とでもいうか、鎖骨の裏の辺りを、小さな半円(テニス・ボールぐらいの大きさ)を描く様に揉み始めたのです。

くり、くり、くり、くり……
「???」
くり、くり……
「ええと、B氏、何やってんの?」
「天使の翼の付け根、だろ?」
くり、くり、くり……
「????? あっ! もしかして!!」

そうです、B氏が想像しているのは、私の様に大天使ではなく、例の、裸の、赤ん坊の天使なのです!!
B氏の翼は、「ばさっ、ばさっ」ではなく「パタ、パタ、パタ」なのです。

……B氏よ、君は想像の世界でも、控え目なんだね。

2008年3月31日 (月)  毛皮市場

皆様へ。

先日近くの町で開かれた、毛皮市場の様子をアップしました。

が・・・

なにぶん獣の毛皮丸まる一匹の取り引き&その祭りですから、狩猟文化に抵抗のある方には、向かないかと思います。

その辺を考慮した上で、興味のある方は、こちら(↓)からどうぞ。

『毛皮市場の様子を見る。』

尚、左のメニューからも入れます。
その場合は、『スイスの色々』→『文化、習慣』→『毛皮市場』と、順にクリックして下さい。

            みんつ

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