2008年3月3日 (月)
最後の戦略 3
〜前回からの続き〜
「大切な夫の親とは、何とか上手くやって行きたい」
今まで私は、出来るだけ穏便に事を処理しようとしていましたが、どうやらそれは無駄な努力だったのでしょう。 事実から考えると、義母にとって重要なのは、「兎に角みんつと接触する」という事の様です。
私が不快に感じるとか、私の都合が悪いとか、私にも私の予定があるとか、私は家庭を持った一人の大人であるとか、そういった諸々は、義母にとって重要ではないのでしょう。 そして義父は、結果的に他人に嫌がらせをしている、自分の妻をとめる気はない様です。
そういう態度の義夫母に、私が「一個人として尊重されていない」と感じたとしても、不思議ではありませんよね。 自分を尊重してくれない相手に対して、礼儀正しく振る舞い、相手を尊重し続けるのは、果たして利口な大人のする事でしょうか?
これは私個人の考えですが、コミュニケーションというのは、相手が理解出来るやり方で伝えなくては、例えそれがどんなに良いものであっても意味がありません。 幼児には、至極簡単な言葉や身振りを交えて話さなくては何も伝わりませんし、大学の教授相手には、専門用語だの外国語だのを散りばめた会話が必要な場合もあるでしょう。
そしてもう一つ、私が常に思うのは「自分の置かれた状況が自分にとって不都合なら、自分を変えるしかない」という事です。 世の中に、「私が居心地良く感じる様に変ってくれ」と言うのは、まあ、死ぬまで待っていても起こりませんよね。
それでは仕方がありません。 私はもう一度、私の態度を変える事にしました。 そう、義母に対して違ったやり方をする事にしました。
義母がいつも口にするのは「私達は家族なのよ」です。 どんな押し付けも、この一言で美化されます。 それなら、私もそうする事にします。
「私達は家族」ですから、義母は、私を実の娘の様に思ってくれているのでしょう。 でしたら私は、義母に対して本当の母親に対してするのと同じ様に、振る舞うのが良いでしょう。
ふふふ、義母は息子二人しか育てた事がありませんからね、娘というものが、時には如何に憎たらしいものか、全く分っちゃいないのです。
嫁に行った実の娘が、実家に帰った時にするのは、「うんと楽をする」ですよね。
私が一人暮らしをしていた時、たまに実家に帰ると、最初の台詞は「ただいま! あぁ、お腹減った。お母さん、今日のご飯は何?」でしたっけ。 着ていたジャケットだの靴下だのをその辺に脱ぎ捨て、溜まった洗濯物を鞄ごと洗濯機の前に置き、どかりと座り込んでテレビを点ける。
もしくは、母が支度の途中である鍋を片っ端から覗き、「ええ、xxより今日は、○○が良かったなぁ」と文句を付け、冷蔵庫にある父のビールを勝手に飲み、来客用に備えてあるお菓子の袋を全部開け……
そういえば私は、デザート用に買った数種類のケーキだのドーナツだのを、全て一口ずつ味見するので、よく嫌がられたりもしましたっけ。
実の娘というのは、そういうものですよね。
義母の夢の家族、一人ぐらい欲しかっただろう娘、実の親のように甘えて来る嫁…… ええ、ええ、今年からこのみんつが、全て叶えて差し上げますとも。
……さぁ、覚悟しろよ! |
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