2006年4月11日 (火)  戻りました。

皆様へ。

気付いたらもう4月。早いものですね。

我が家は、夫B氏の休暇もあと1週間になりました。

私の方は、スキーの特訓や旅行の合間に、夏の畑仕事に向けて種を植え、天気が良ければマウンテン・バイクで走らされと、普段の何倍もの行事をこなしています。
家に夫がいる妻というのは、何とも忙しいものですね。

・・・・・・日記が書けずにいる言い訳です、これ。

そうそう、ここアルプスには昨日、また雪が積りました。
うーん、春はまだなようです。

さて、今日は大きくなって来たトマトの鉢をかえるかな・・・

       みんつ

2006年4月12日 (水)  皆様へ

今回みんつはどこに旅行したのか?

そろそろ秘密にしておくのも嫌みっぽい感じがしますので、公表することにします。
というか、画像の更新と一緒にその話をしようと思っていたため、何だか内緒にしているような状況になってしまっただけで、特に隠していたわけではないのです。

今回は、大都会に行きました。
『花の都 パリ』です。

田舎生活にすっかり慣れてしまった私は、たった4日間の滞在でへとへとになってしまい、「他はまた次にしようよ」と山奥に逃げ帰りました。
ですから、画像なんかもあまりないと思っていたのですが……

一回でアップはとても無理なので、小出しにすることにします。
今週一杯は、日記も書けそうにありませんから、ちょうどいい気もしますし。

そうそう、明日はちょこっと『リヒテンシュタイン&オーストリア』に買い出しに行きます。
大型冷凍庫が届いたので、幾らか物価の安いお隣で、食料品を買い込む予定です。

ですから、パリの続きは明後日です。

では、良かったら今日の分をご覧下さい。
(左メニューの『みんつの旅』からお入り下さい。)

2006年4月13日 (木)  お知らせ

今日は、食料品の買い出しに行く予定でしたが・・・
面倒になっちゃって、止めちゃいました。

ということで、『パリ 街の様子2』を更新しました。

良かったら覗いて下さい。
(左メニュー「みんつの旅」からお入り下さい。)

2006年4月16日 (日)  画像日記 9

今日は、復活祭の日です。

英語では「イースター」と言いますが、ドイツ語は「オーステン(Ostern)」です。
正確には、最後の「テ」と「ン」の間に、軽く舌を巻くような「r」の発音が入るのですが・・・
ま、良いですね、そんなことは。

さて、そんな復活祭にスイス人は何をするのか?

カソリック教徒だと、この日はクリスマスよりも重要で、家族が全員揃って祝ったりもするようですが、一般的には、
両親が家の中や庭に隠したチョコレートを、子供が探して食べたり、
色柄を付けたゆで卵をぶつけ合って、割れた方が負けとしてその卵を食べたり、
その後、家族で一緒に食事をしたり・・・

我が家は何もしませんが(夫B氏は、朝からどこかに出掛けてますし)、チョコレートのうさぎを食べました。

こんなんです(↓)。


これは復活祭限定のチョコレートなのですが、月曜日(祝日です)を過ぎると、半額になったりします。

我が家では、復活祭後に食べるうさぎの方が、もちろん多いです。

2006年4月19日 (水)  みんつ家、平常に戻る。

スイスはイースターも終わり、今日の午後から、夫B氏はやっと仕事に行きました。

いやぁ、はっきり言って、長かったです。
今回は、特に何もしないのんびり休暇ということで、1ヶ月間気の向くままに毎日を過ごしていたわけですが、ただぼんやりと家にいたという日は、数えるぐらいしかないほどでした。

スキー、小旅行、友人達とのパーティー、庭仕事の準備、日曜大工、普段出来ないでいた大きな買い出し、知人の娘との日本語の授業、マウンテン・バイク、義父母との会食、将来家を買う時のための近村の下見……

「今日は溜まっている雑事も片付けたいし、家にいようよ」
そういう私にB氏は、新聞を見せて、得意気に言います。
「ここにこう書いてあるぞ。『スイスに居る外国人は、あまり体を動かさない』 みんつもそうだな」
……あのねぇ、あんたらスイス人が、動き過ぎなんだよ。

そんな1ヶ月が過ぎ、改めて私は、B氏が私とは違うタイプの人種であると認識しました。
いえいえ、国とか文化とか、そんなたいそうな話ではないのです。
もっとこう、生物としての根本的な違いとでも言いましょうか……

例えばB氏は朝目が覚めると、さっとシャワーを浴び(休みの日、B氏は朝晩2回シャワーを浴びます)、溌剌とした調子で野菜炒めなどを作り始めます。
そして、ベットの中で今起きようか、もう少し経ってからにしようかと、ぐずぐずしている私にチャーハンとコーヒーを差し出し、言います。
「はい、食べて下さい」
……まだ起きてもいないのに、チャーハンはちょっと……しかも、コーヒーとは合わないし。

別の日はこんな具合でした。
掛け布団にくるまって、隠れるようにして寝ていた私を見て、既にスキー・ウェアを着ているB氏が、日本語で言いました。
「みんつ、見〜付け! みつけ……まつけ?……まつけん…… ♪マツケン・サンバ〜♪」
……朝から歌うなぁ! 

こんなこともありました。
そろそろ天気も良くなり、アルプスも春らしくなって来ましたから、私達はマウンテン・バイクを始めることにしました。
「今日は、今年初めてのマウンテン・バイクだから、平らな所をならすぐらいにしようね」
そう言う私に、B氏は大きく同意します。
「初めの内は無理をしないで、もう少し出来るかな、ってぐらいのところで止めた方が良いんだ。大切なのは、頻繁に走ることだよ」

その日、道の途中でB氏は私に聞きました。
「どうだい、みんつ、もう少し走れそうか?」
最初の約束通り、殆ど坂のない道を走っていましたので、私は楽勝という風に答えました。
「うん、まだ大丈夫」

ところがその後は、行けども行けども道が終わらず……
午後3時ぐらいに家を出て、帰って来たのは夜8時過ぎでしたでしょうか?
この時期のスイス、夜の8時はまだ明るいのですが……5時間走り続けで、最後の方は私、本気で泣きが入りました。
「こんなの全然楽しくないよぉ。もう嫌だぁ。ビール飲ませてくれ〜」
そう言いながら走る私の横で、B氏は笑いながら、余裕のジグザグ運転などしていました。

そして今日、午後1時から出勤というB氏が言いました。
「みんつ、そろそろ昼ごはんにしない?」
はっとした私が時計を見ると、既に12時35分です。
「そりゃ、すっかり忘れていた私が悪いけど、B氏、もう少し早く言ってよぉ。まだ、支度が出来てないよ」
「仕方がないさ。毎日仕事に行っていないと、時間の感覚っていうのは、なくなるものだからね」

……これじゃぁ私、何だか良いとこなしみたいじゃない。

2006年4月20日 (木)  全てお見通し。

今までに何度か書いていますが、下の階に住むお婆ちゃんは、以前、我が家の合い鍵を持っていて、私達夫婦が留守にすると、頼まれてもいないのに部屋に入り、何か不備はないかと気を配ってくれていました。
貸しているとはいえ、ここはお婆ちゃんの家ですから、店子がきちんと生活しているかどうか、家を駄目にしはしないかどうかが、気になるのでしょう。

しかしお婆ちゃん、自分からは「この間、留守の時に家に入ったからね」とは、決して言いません。
では、私達が何故それを知っているのか?
これは至極簡単な話で、世間話の合間に「家の中を見たものでなければ知る筈がない」というようなことを、お婆ちゃんがぽろっともらすのです。

最初の内は我が夫婦、これを笑って放っていたのですが、ある時留守から戻ったら、かなり重い箪笥が動かされていて、それ以来、「どうやって鍵を取り戻すか?」が課題になっていました。
そんな時、ジュネーブに住む友人夫妻が、泊まりがけでやって来ました。
「友人夫妻が、私達に気兼ねなく出掛けられるように」
彼らに単独行動の予定は、全くありませんでしたが、これを口実にして私は、お婆ちゃんから鍵を取り上げました。

その後何度かお婆ちゃんから、「みんつ家の鍵が、手元にあると安心なんだけど」というような事を遠回しに仄めかされましたが、「鍵をまたくれるかしら?」とははっきり言いませんでしたので、私はそのままにしていました。

そして今回、パリに出掛けるにあたって、「鍵をお婆ちゃんに渡すかどうか?」が、また我が家の話題に上りました。
夫B氏は「渡さないで行こう」と言いましたが、私は少し迷っていました。
というのも、我が家には今、かなりたくさんの野菜の苗があるからです。

私達の予定は、「4〜5日間位パリに行こう」というだけで、帰りの日は決めていませんでした。
素敵な街なら長く滞在するし、そうでなければ早目に帰ってくる、というわけです。
4日間位なら、出発直前と帰宅直後に水をやれば、何とかもつのではないかと思うのですが、旅行が一週間になった場合、小さな植木鉢の苗は、確実に枯れてしまいます。

「鍵を渡して行けば、安心して長居が出来るよ」
そう言って私は、お婆ちゃんに鍵を預けることにしました。
ただし、戻った時にまた返してもらいやすいように、わざとキー・ホルダーを幾つも付けたままの「私の鍵」を渡しました。
そして、お婆ちゃんが余計な部屋に行かないよう、苗は全て私の部屋に集めてあることを告げ、他の部屋のドアを閉めて置きました。

「私達が留守の間、お婆ちゃんはきっと、何度もうちに入るよね? 他の部屋も覗くのかな?」
そんな冗談を交わしながら、私達はパリに発ちました。

さて、私達が帰宅した日です。
「とても小さな苗だから、みんつの留守中に、駄目になっていないか心配なんだけど」
何度もそう言うお婆ちゃんに、私はお礼を言って、鍵をもらいました。
「お婆ちゃんが見てくれなければ、どっちにしても皆枯れていたんですから、気にしないで。それに、種はまだ一杯あるから、大丈夫」
「そう? 一回分を少な目にして、頻繁に水をやってみたけど、それで良かったかしら?」
「はい、ありがとうございます」

そんな会話の合間に、お婆ちゃんが言いました。
「それにしても貴方達の部屋は、綺麗に整頓されたね。落ち着いた雰囲気で、良い感じになっていたわね」

我が家は古い建物で、居間の床は木が張ってあるのですが、その木の間がかなり開いていて、隙間風が入り込んでいたのです。
今回のんびりと家で休暇を取っていたB氏は、絨毯をメーター買いし、自分で居間に引き詰め、新しいソファーと手作りのテレビ棚を備え付けていました。
もちろん、お婆ちゃんの言う「落ち着いた雰囲気の整頓された部屋」というのは、そこしかありません。
だって他の部屋は、まだぐちゃぐちゃですから。

……やっぱりね。

2006年4月24日 (月)  出発前日

少し時間が経ってしまいましたが、ちょっとパリ旅行のお話など。

パリに発つ前日、私はざっとですが、部屋の掃除をすることにしました。
私個人の好みとしては、昨日の延長に今日があるように、アルプスでの日常生活の延長に旅先のホテルの数泊があるという風でいたいので、普段は旅行に出るからといって、特別な事は一切しないのですが、今回は少々考えたのです。

というのも、留守中の苗の水やりを、下の階に住むお婆ちゃんに頼んでいるからです。
このお婆ちゃんが我が家に入り、水やりのついでに色々な所を見て回るであろう事は、容易に想像が付きましたので、部屋を散らかしたままにして出掛け、余計な不安を抱かせるのは、店子として得策ではないだろうと思ったのです。
ですから私は、各部屋の物をこざっぱりと片付け、軽く掃除機をかけ、お婆ちゃんが水を汲みに行くであろう台所と風呂場の床(タイル張り)を、水拭きすることにしました。

ところが、私が掃除を始めると、夫B氏が何やかやと側に来て、別の用事を頼んだり、訳の分らないことを聞いたりするのです。

B氏の用事というのは、「ダウン・ロードした日本の歌のタイトルを教えてくれ」とか「この間注文した、冷凍庫のパンフレットはどこだ?」とかいう様な、どれも全くパリ旅行とは関係のない、「何故そんな話しを“今日”する?」というようなものなのです。

最初の内は私、黙って掃除を中断してB氏に付き合っていましたが、正直に言って、どの用事も急ぎではありませんし、大体、旅行前の慌ただしい中で敢えてする様なものでもないのです。
もっと言うなら、「私がいなくても出来ること」なのです。
あまりに何度も掃除を中断させられた私は、段々苛々して来ました。

……B氏よ、ちょっと見れば、私が何をしているのか、分るだろう? ……ちょっと考えれば、何故それをしているのかも、分るだろう? ……大体、そんなことの前に、することはあるだろう? ……何なら、あんたが掃除を手伝ってくれれば、私の手が空くのも早くなるんだぞ……

私がそんな風に思い出した頃、B氏がまた言いました。
「みんつ、電気ブレーカーのどのスイッチが、どこに繋がっているか知りたいから、手伝ってくれ」
……こいつは、私が掃除機をかけているのが、目に入らないのか? 今ブレーカーを落としたら、掃除機も動かないだろう!

「B氏、それは今じゃなくちゃ駄目なの? 私、掃除機をかけているのよ。今ブレーカーを落としたら、掃除は出来ないわ」
苛立ちを隠さずにいる私に、B氏が申し訳なさそうに答えます。
「今の内に場所を決めておかないと、旅行から戻ったら、冷凍庫が届いちゃうから。一旦置いた場所が駄目だった場合、俺一人じゃ、冷凍庫を動かせないし……」

「B氏、冷凍庫が届くのは来週よ。パリに行くのは、明日。来週と明日、どっちが優先か、分るわよね?」
「……掃除なんかしなくても、別に良いじゃないか」
「あのねぇ、下のお婆ちゃんにこのままの部屋を見られたら、『こんな店子に貸しておいて大丈夫か?』って思われるわよ。材木だの工具だの、貴方の物が散乱しているだけでも、スイス人の感覚で言えば、十分酷い有様なんだから、お婆ちゃんの入りそうな部屋ぐらい、綺麗にしておかないと……大体、明日持って行くものとか、荷造りは終わったの? そういう方が先なんじゃないの? 貴方ね、いつもぎりぎりになって色々言うけど、そういうのは一人でやってよ」
私に怒られたB氏は、その後、何やら一人でごそごそとやっていました。

さて、その日の夜、夕飯の後片付けをしていた私の所に来て、B氏が言います。
「みんつ、そろそろ寝ない?」
「そうね。これだけ片付けちゃうから、ちょっと待っていて」
そう言って、汚れた食器を洗浄機に入れたり、残り物を冷凍している私に、B氏が続けます。
「食器なんか、そのままにして行けば良いじゃん」
……お前はまだ言うか?

「あんたね、物事を繋げて考えるってことが出来ないの!? 昼間私が、台所を掃除したのは何故? その台所に、今夜の汚れ物を置きっ放しで旅行に行ったら、いくら床を磨いたって、意味がないでしょう。……そういうことばかり言っているとね、殴るわよ。手伝えって言っている訳じゃないんだから、せめて邪魔しないでよ」
「へへへ、冗談だよ。ちょっと言ってみただけさ」
そう笑いながらB氏は、台所を出て行きました。

……否、あれは本気だったな。

2006年4月25日 (火)  フランスも美味しい

昨日に続き、パリ旅行の話をもう少し。

パリ旅行は、どちらかというと私が希望したものでした。
「いつか、ルーブル美術館を見に行きたい!」
スイスに暮らし出してから、何かの機会がある度に、私は夫B氏にそう言っていました。

皆さんも聞いたことがあるかも知れませんが、この美術館は非常に大きくて、1日ではとても回り切れませんから、私達は何度もそこに足を運ぶつもりで、ルーブル美術館まで歩いて行かれるホテルに泊ることにしました。
(ちなみにガイド・ブックには、ルーブル美術館の全作品を見るには、9ヶ月間必要だと書いてあります。)

さて、パリに着いた私達夫婦ですが、この泊るつもりでいるホテルが、なかなか見付けられなかったのです。
ガイド・ブックにきちんとマークされていますし、住所だって合っているのですが、何故かホテルが見つからず、同じ界隈を私達は、随分長い間ぐるぐる回りました。

そして、ホテルを探しているはずの私達は、違うものを見付けました。
「B氏、見て! あそこに和食レストランがあるわ」
「刺身定食が幾らするか、チェックしておこう!」
「へぇ、お寿司と焼き鳥があるんだ」
「刺身スペシャルは、24切れの刺身でみそ汁も付いていて16.50ユーロか。……みんつ、これって何フラン?」
「26フランちょっと、かな」
「おぉ、スイスよりずっと安いぞ。今夜はここに来よう!」
「あ、見て、あっちには中華もあるわ! お、あそこには、タイも。この界隈、アジア系レストランがたくさんあるみたいね」
「みんつ、何を言っているんだ。刺身が食べられる機会なんて、この次いつになるか分らないんだぞ。ここでは、刺身を食べるんだ!」
「はいはい、分りました。今夜は刺身ね。さ、早いとこホテルを見付けよう」

ところが、再びホテルを探し始めた私達が、見付けたものは……
「あ、B氏、ここにも和食レストランがあるよ!」
「おぉ、こっちの刺身定食は幾らか、チェックしよう! こっちは24切れで16ユーロ。こっちの方が安いな。みそ汁は……ああ、付いているな」
「でもさ、向こうは何の刺身かちゃんと書いてあったけど、こっちはただ、24切れってだけだよね。サーモンばっかりって可能性もあるんじゃない?」
「それもそうだなぁ……ちょっと向こうのメニュー、もう一回見てきても良いかな?」
「あ、待って! あっちにも和食屋があるよ」
「おぉ、メニューをチェックしよう!」
ホテル探しなどすっかり忘れて、あちこちにある和食屋のメニューを見比べている私達。

そんなわけで、パリ滞在の間、私達は刺身を食べ続けました。
フランス料理など一切なく、毎日刺身です。
「天丼も美味しそうだなぁ」などと私が言おうものなら、B氏からは「何を言っているんだ。天丼なんて、スイスに帰って自分で作ればいいだろう。今の内に刺身を食べておけ!」とのお言葉。
最終日など、寝台列車の発車時間が迫っているというのに、時計を睨みながら最後の刺身です。

……私達、パリまで何しに行ったのかしら?

2006年4月27日 (木)  パリの土産 1

引き続き、パリ旅行の話をもう一つ。

スリが多い、フランス人はフランス語しか話してくれない、働かずにストライキばかりしている……私が聞いていた話とは全く違い、パリ観光は何の問題もなく、すんなりと終わりました。
後は夜行列車で、アルプスに帰るだけです。

私達が夜通し揺られる予定の寝台車両は、6人用になっていたのですが、正直なところ居心地が良いとは言えない作りでした。
身長160cmの私でも、いささか狭く感じましたし、備え付けてあるのは、毛布に枕、寝袋状になった紙と布の中間といったようなシーツだけです。
「同じ車両の乗客が、あまりいないと良いね」
私達はそう考え、敢えて平日の夜の便を選びました。

その選択は正しかったようで、同じ部屋には、私達以外にもう一人、30代と思われる白人男性が乗ったきりでした。
その男性は穏やかな物腰で、フランス人の車掌と流暢にフランス語を話しています。
しかし、10年以上スイスで暮らす私の感触では、この男性はフランス人ではありません。

何がどう違うとは、はっきり言えないのですが、着ている服の感じ、身のこなし、話し方、眼鏡の雰囲気……私達日本人が、中国人と韓国人を何となく違うと感じるように、私は彼をフランス人ではないと感じたのです。
私の推測では、ずばり、「フランス語系のスイス人」です。
そう、スイス人特有のお行儀の良さ、みたいなものを感じたのです。

こういう状況で、同室にいるのがスイス人である場合、これは歓迎すべき事です。
どういうことかと言いますと、ある種の事柄において、スイス人は、日本人とよく似ているのです。
・公共の場で、他人に対して迷惑を掛けないように行動する。
・身だしなみ(清潔面です)に気を使うので、体臭などが比較的少ない(香水よりも消臭を好みます)。
・他人の物を盗まない。
・礼儀正しくはするが、初対面の人と迷惑がかかるほどには話し込まない。……等々

さて、列車が動き出すと、彼が私達に幾らか訛りのあるドイツ語で言いました。
「ちょっと歯を磨いて来たいのだけど、荷物をこのままにして行っても良いかな? 見ていてもらえる?」
彼も、私達が荷物を盗まないと考えているのです。
多分、夫B氏がスイス人であることが分るのでしょう。
「ああ、もちろん!」
B氏が答えると、その男性はトイレに行きました。

はい、決まりです。私としては、これは完全にスイス人です。
そう、例え電車の中であっても、スイス人は歯磨きを忘れません。
私がB氏に出遭った時も、彼が食後すぐに歯を磨くことに、びっくりしたものです。
「こんなに丁寧に歯を磨く男性は初めて見た」
私がそう思うほど、B氏はゆっくりと念入りに、毎食後歯を磨きます。
これ、実はスイスでは、歯医者は保険が利かないからです。ですから皆さん、歯医者に掛からないようにと、歯磨きは念入りにするのです。

彼の姿が見えなくなるのを待って、私は言いました。
「彼、絶対スイス人だね。電車が出発するなり歯磨きなんて、いかにもスイス人っぽいよね?」(ちなみに、停車中のトイレは使えません。)
「ああ、そうだな。ただ、あの方言は何処のだろう?」

暫くすると、戻って来た彼がまた言います。
「Tシャツを着替えたいのだけど、ここでしても良いかな? トイレだと狭いから」
彼はつまり、公衆の場(私達の目の前)で下着姿になっても構わないか、ということを聞いているのです。
「ああ、構わないよ。どうぞ遠慮なく」
B氏が言い、私も付け足しました。
「あ、何なら、全裸でもオーケーです」

それにしても、着替えまでするなんて、この男性、スイス人としてもかなり念入りです。
私の頭の中で咄嗟に、試合中に何度も着替えをするスイス人テニス選手、ロジャー・フェーレラー氏の姿がよぎります。

「パリは、旅行で? 今回が初めて?」
和やかな雰囲気で、私達はどちらからともなく、会話を始めました。

             〜次回に続く〜

2006年4月28日 (金)  パリの土産 2

            〜前回からの続き〜

パリ旅行は、夫B氏が2回目、私は初めてであることを告げると、彼は言いました。
「今回は恋人に会いに行ったんだけど、僕は以前、仕事でパリに数年間住んでいたんだ。今は、チューリッヒに住んでいるけど」

……やっぱり彼はスイス人か。
私がそう思っていると、B氏がすかさず聞きました。
「チューリッヒは地元かい?」
「否、チューリッヒも仕事の関係なんだ。僕はリヒテンシュタイン人だよ。フランスの国籍も持っているけど」
……ああ、そういう手もあったな!

皆さんもご存じでしょうが、リヒテンシュタインというのは、スイスとオーストリアに挟まれたとても小さな国で、色々な部分で、スイスのシステムと共存している国です。
彼の雰囲気がスイス人と似ていても、不思議はないですね。

その後彼は、丁寧にいとまを告げると、寝台に横になりました。
私達も彼に倣い、各々自分の寝台によじ登ります。
寝台は左右に3段ずつ付いているのですが、両方の一番上に、私とB氏がそれぞれ横たわり、私の側の一番下にリヒテンシュタイン人が寝る形になりました。

寝台の狭い空間でB氏はパンツ1枚になると、脱いだ靴下をくんくんと嗅ぎ、言いました。
「うぇ、臭い」
そして、その靴下を枕元に吊すと、大きな体をバナナのように曲げて、毛布の中に潜り込みました。
「ええっ、B氏、臭い靴下を枕元に置いて寝るの?」
私は笑いながら、B氏の真似をして、自分の靴下も嗅いでみました。
「げっ、臭い」
私は、靴下を脱いだジャケットと靴の間に押し込むと、寝袋のようなシーツの中に急いで足を隠しました。

その後私達は、室内の電気を消して眠りについたわけですが……

元々乗物の苦手な私は、やはりこういう場では、余りよく眠れません。
何度も寝返りを打ったり、トイレに起きたりと、半分起きているような状態の睡眠しか取れませんでした。
ですから翌朝早く、同室のリヒテンシュタイン人が、まだ寝ているだろう私達に気を使って、暗闇の中で身支度をして電車を降りて行ったのも、私は何となく気付いていました。

「B氏、そろそろ降りる駅だよ」
何処でも平気で熟睡出来るB氏を起し、私も身支度を始めました。
「あれ? ないな。何処に行っちゃったかな?」
毛布やシーツを振っても、リュックサックの下を覗いても、何処にもありません。
「ええ、何で? 昨日ここに置いたのに……」
下の寝台や床との隙間を覗いても、やっぱり何処にもありません。
「B氏、あり得ないとは思うんだけどさ、B氏の方に私の靴下が一本まぎれてないか、ちょっと見てくれる?」
そうなのです、何故か私の靴下が片方、見つからないのです。

「否、こっちにもないぞ」
「昨日、ジャケットと靴の間に入れた筈なんだけど」
「下に落ちたんじゃないか? 寝台と床の間とか、見たか?」
「うん、何処にもなかった。……あぁ!!! 多分、夜中にトイレに行った時、落ちたんだ。多分、リヒテンシュタイン人の所に落ちたんだ。彼、暗闇で身支度していたから、私の靴下も鞄に入れちゃったんだよね、きっと。……今頃私の靴下は、チューリッヒかな? それとも、週末だから彼は、そのままリヒテンシュタインに行くのかな? 彼のママが鞄を開けて、私の靴下を見付けるのかな?」

……よれよれの見知らぬ臭い靴下が片方だけ。とんだパリ土産ですね。

5月の日記へ