2007年4月2日 (月)
バターの正面
昨日、朝食の用意をしていて、ふとある事を思い出しましたので、今日はそのお話を。
私が、まだスイスに来たばかりの頃の事です。
ある時私は、知人夫妻宅で朝食を摂っていました。 その日そこにいたのは、確か、知人夫V氏、その子供3人、私、共通の友人U氏の6人で、朝食のメニューはパンにバター、ジャムや蜂蜜という、まあ、スイスではごくごく一般的なものでした。
V氏は、小さい子供達に食事をさせるので手一杯でしたし、その家は、当時皆の溜り場の様になっていましたので、私もU氏も、勝手知ったる我が家とでもいう風に、各々皿やナイフを取って来ると、朝食のテーブルに参加しました。
そして、数分後。
V氏が突然、声を上げました。 その様子は、怒鳴るという程ではありませんが、不機嫌というか、強い語調です。 「バターを反対側から使ったのは、誰だ?!」
当時の私は、さほどドイツ語が出来ませんでしたが、それでもV氏が何を言ったのか、文法的には理解しました。 ええ、文法的にはです。 「誰が」「バターを」「反対側から」「使いました」「か?」といった具合にです。
しかし、その問いにどんな意味が含まれているのか、何故彼がそんな事を聞くのか、彼が不愉快そうな声を出したのはどうしてなのか、そういった事は、全く理解していませんでした。 ただ、「どうやらその問いは、誰かを非難している様である」という事だけは、声の調子から分りました。
U氏は、少し驚いた感じで、食事の手を止めると、V氏の発言の真意を理解しようとしています。 私は……
まず、「バターを反対側から使う」、この意味が分りません。 バターの反対の側というのは、どういう事でしょう? バターには、正式な側と、そうでない側があるのでしょうか? もしそうだとすると、その目印は何でしょう? 私にはただ、使いかけた薄黄色い長方形の固まりが、プレートの上に乗っている様に見えるだけです。 また、仮に、バターには正式な側があるとして、反対側から使うと、どんな不都合があるのでしょうか?
私たちが黙っていると、V氏はもう一度、今度は静かな調子で聞きました。 「バターを反対側から使ったのは、誰?」 U氏は、戸惑った顔で私を見ます。 私も真意が分らない以上、迂闊には返事が出来ませんから、とりあえず、こういう場合の時間稼ぎ、「質問には質問で答えよ」作戦です。
「反対側っていうのは、何処?」 「バターは、最初、こっちの側から使い始めてあったよね。使っていなかった方の側から、バターを取ったのは、誰?」 「バターを反対側から使うと、何かまずい事があるの?」 「僕は、バターを両側から使うのは、嫌なんだよ」
「両側から使うと、傷みやすいとか、そういう事?」 「そうじゃないけど、バターは、片側からだけ使いたいんだ」 「両側から使っても、不都合があるわけじゃないのよね?」 「バターは、片側から使うもんなんだ」
何の事やらさっぱり分らないまま、私は、恐る恐る告白しました。 「こっちからバターを取ったのは、私だけど……」 すると、U氏が間髪を入れずに言います。 「アウスレンダー(Auslaender:外国人)だよ!」
これで私たちは皆笑い、V氏も「まあ、どうでも良いことなんだけどね」と、自分の大人気ない態度を恥じる様に弁解していましたが……
……スイス人宅で食事の際には、その家の主に「バターに正面があるかどうか」、一応聞いて置きましょう。 |
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