2007年5月1日 (火)  主婦道?級

例えばキャンプに行き、釣った魚をその場で手際よく捌いて、皆に食べさせてくれる様な男性を格好良いと思う女性は、たくさんいるのではないでしょうか。
そして、捌く魚が大きければ大きい程、その男性の評価も、上がるのではないでしょうか。

それと同じ感覚で、アルプスに住む私としては、仔牛の1匹もちゃちゃっと捌ける主婦は、やはり格好良いのではないか、と思うのです。
ましてや私は、自称ハード・ボイルド主婦なのですから、いずれは狩った鹿や猪なども、粋に捌いてしまいたいものです。

ということで私は、酪農家と知り合う度に、「屠殺の際には、是非私も呼んでくれ」と言っていたのです。
ええ、ええ、皆さん笑ってOKしましたとも。
しかし、本当に呼んでくれた人は、今まで誰もいませんでした。

ところが先日、我が家の電話が鳴りました。
毎週一緒にバレー・ボールをしている、酪農家H氏からです。

「みんつ、前に言っていた屠殺の件は、まだ有効かい? 実は、屠殺はもう済んでしまったのだけど、その後の袋詰め作業が残っているんだよ。それじゃ、駄目かな?」
「うーん、駄目じゃないと思う」
「じゃ、やるかい? ただ、肉がものすごく大量に置いてあるんだよ。気分が悪くなったりしないかな?」
「どうだろう? 分かんないけど、とりあえずやってみる」

「じゃ、明日の朝7時40分に、俺の家の前で。女房が同行するから」
「え、7時40分?!」
「まずいかい?」
「まずくないけど、起きられるかなぁ」

こうして私は、金曜日の朝、H氏夫人と一緒に屠殺場の一室で、150kgの肉に囲まれる事になりました。
ちなみに、この日捌かれた仔牛は、H氏のお気に入りだったため、H氏はこの作業をしたくなかったのです。

今回の屠殺は、個人宅の購入用として特別に捌いたもので、これは、各家庭の冷凍庫にそのまま保存出来る様にして、届けられます。
簡単に言うと、こういう具合です。

大体一家庭15kg前後を目安にして、10家庭位から注文があると、仔牛を1匹屠殺します(注文家庭数が少なければ、今回の屠殺は見合わせ、となります)。
その後、肉は部位毎に切り分けられ、それぞれの家庭に平等に分配されます。

つまり、一家庭には、ヒレ肉から挽肉まで、全ての部位が振り分けられるのです。
全体量を多目に買うか少な目にするかは注文出来ますが、スーパーではありませんから、ステーキ肉だけ買うというわけにはいかない、という事です。

そして、私の仕事は、台の上にずらーっと置かれた肉を、例えば一家族が四人構成なら袋一つに四人分、二人家族なら二人分にして詰め、ラベルを貼り、真空パックにするのです。
購入者の手元に肉が届いた時には、既に「その家庭での食事一回分用に、肉は袋詰めされている」というわけです。

さて、私達が作業をしていると、何度もH氏夫人の携帯が鳴ります。
「みんつは大丈夫か?」「貧血で倒れたりしていないか?」「気分が悪かったら迎えに行くから、無理をしない様に言ってくれ」……
H氏の心配とは裏腹に、夫人は言います。
「貴方とやっている時よりも、ずっとスムーズに行くわよ。みんつは、一袋300gと言ったら、ちゃんと300gにしてくれるわ。貴方みたいに、350gになったりしないわよ」

その言葉通り、私達の作業は快調に進み、私は報酬の代りに、数パックの肉とH氏宅での昼食を頂く事になりました。
「みんつ、今日詰めた肉、ステーキで食うか?」
「食べる!」
「焼き具合は?」
「ミディアム・レアぐらいで。あれ、奥さんの分は?」
「私は、あの作業後にお肉は、ちょっと」

その後、血の滴る分厚いステーキを完食した私を見て、H氏は言いました。
「みんつ、見くびって悪かったな。この次は、豚の屠殺にでも呼ぶよ」

……どうやら私、第一次試験は合格したようです。

2007年5月2日 (水)  夫が外国人だと感じる瞬間

皆さんもご存じの通り、私は「外国に住んでいて」「外国人の夫と暮らしています」。
まあ、正確に言うならば、ここスイスでは、私が外国人ではありますが。

しかし、日常生活において、「私はスイスに住んでいるのねぇ」だの「国際結婚しているんだわ」等と感じることは、99%ありません。

簡単な話、私はただ生活をしているだけですし、夫は単に夫であって、別に何人であるか等という事は、忘れているのです。
皆さんが、普段の生活で「私の夫は日本人だわ」とは考えない様に、私も夫B氏を「スイス人だわ」とは、意識していないのです。

ところが、そう、上に99%と書いた様に、時々ふと何かの折りに、「ああ、B氏は日本人じゃなかったっけ」と感じる瞬間があるのです。

そしてつい先日、そんな瞬間がありました。

私は、毎週金曜日の夜にバレー・ボールをしています。
我が家は私が専業主婦ですから、この時間は、B氏にとって唯一「自分の家で、妻無しで過ごせる時間」です。

夫の「今日は、夕飯は要らない」という台詞が、妻にとってチャンス・カードであるのと同様、妻の「今夜は出掛けてくる」は、夫にとってチャンス・カードなのでしょう。
B氏も金曜日の夜は、いそいそと計画を立てているようです。

まあ、計画といっても、「それぞれのパートナーから解放され、男だけで羽目を外す」――スイスでは、何処に行くにもカップルはいつも一緒ですから、そういう機会は少ないのです――というだけのものですが。

ということで、金曜日の夜になると、我が家ではよく『男だけのパーティー』が開かれます。
私が出掛ける頃には、我が家の冷蔵庫はビールで一杯になり、台所からは良い匂いがし始める――私は、一人で適当に軽食を取って行きます――というわけです。

先週の金曜日も、私はそんな風にして家を後にしました。
そしてその翌日、昼食時の事です。

「B氏、昨日炊いたご飯、まだ余ってる?」
私、昨晩B氏が米を炊いた事は、台所から漂う匂いで気付いていたのです。
「おう、余ってるぞ」
「じゃ、お昼はチャーハンにするね」
我が家では、鍋で米を炊きますから、保温は出来ません。
で、残ったご飯は、翌日チャーハンになるわけです。

私は普段通り、冷蔵庫から卵や葱を出すと、残りご飯の入った鍋の蓋を開けました。
「げっ!!!」

いえ、いえ、ご飯は上手に炊けていました。
私好みの、少し固めのご飯が、鍋の中でしっかり立っていましたとも。

が、お米と一緒に……







……茄子が炊いてある。しかも、味付けなしで。

2007年5月7日 (月)  都会の人、田舎の人。 1

最初に断って置きますが、ここで使われる「都会」だの「田舎」だのという表現は、他にぴったり来る言葉が思い付かなかった為、便宜上そういう単語を使っているだけです。
「都会の人だからどうだ、田舎の人だからこうだ」という事ではありませんし、「どちらが良くて、どちらが悪い」等と言うつもりも、全くありませんのでご了解下さい。

では、本題。

アルプスのこんな小さな村で生活していると、時々、人々の価値観に戸惑いを感じる事があります。
乱暴な言い方を許して頂けるなら、いわゆる「田舎の価値観」にです。

私は、千葉の新興住宅地でサラリーマンの家庭に育ちましたから、どちらかと分けるなら、都会の人間に分類されると思います(私が現在住む村では、「この村、もしくはその付近で生まれ育ち、酪農業を営んでいる」という様な背景の人が多いのです)。
そんな私が、ごくごく普通にしたり、考えたりする事が、ここでは違う仕組みになっている、という場合が多々あるのです。

例えば先日、こんな事がありました。

下の階に住むお婆ちゃんは、アンゴラという種類の猫を飼っています。
皆さん、アンゴラうさぎはご存じかと思いますが、お婆ちゃんの猫C氏は、あのうさぎの様に、細くて柔らかな長い毛を持っています。
そしてこの毛は、毎日梳かしてやらないと、もつれて固まってしまい、まあ簡単に言えば、「レゲエのおじさん」みたいになってしまいます。

ところがお婆ちゃんは、ここ2ヶ月ちょっとの間体調を崩していて、入院したり、娘宅で療養したりしていた為、C氏の世話が出来ませんでした。
留守宅を預かっていた私も、家の中の事(花の水遣りや掃除など)だけで、餌やりは頼まれていませんでしたから、C氏については、何も考えずに過ごしていました。

ですから、私が気付いた時には、C氏の毛はもつれを通り越し、防弾チョッキでも着ているのか、という状態になっていました。
どういうことかと言いますと、もつれた毛が全て一体になり、胴体全体がまるで固い鎧を着ているみたいになってしまったのです。

こうなると、櫛で梳かすのは不可能ですし、ハサミで毛を切るにしても、鎧と皮膚の境目を見付けるのは大変です。
ましてや、C氏がじっとしているのは、せいぜい数分間が良いところです。

「獣医の所に連れて行き、麻酔を掛けて、剃ってもらう」
それしかないと考えた私は、お婆ちゃんが帰宅した日に、彼女とその2人の娘達にそれを告げ、こうも言いました。
「今週なら夫B氏が家にいるから、車がある。私達が近村の獣医の所へ、連れて行きましょうか?」

C氏を獣医に連れて行く為だけに、娘達が、わざわざ車で何十分もかかるこの村までやって来るのは、大変だろうと思ったのです。

私のこの申し出に、娘達は感謝をし――お婆ちゃんは、自分でC氏の毛を切ると言張り、全員に却下されました――、「どの獣医に行くか、いつ行くか等、全てはみんつが行い、その請求書(獣医代)は長女宅宛に送る」という事で、一旦話は終わりました。

ところが翌日、お婆ちゃんが私の所に来ました。
「C氏の件だけどね、私は無料でやってくれる獣医を知っているから、そこに頼みたいの」

私自身は、近くであるなら――C氏の車に乗らなければいけない時間が、少なくて済む場所なら――どの獣医でも構いませんが、お婆ちゃんの言う獣医は、何故か電話帳に載っていません。
「私は構いませんけど、その獣医の電話番号を教えてくれますか?」

この時点では、「お婆ちゃんが電話番号を調べて、後で私に伝える」という話になりました。

                  〜次回に続く〜

2007年5月9日 (水)  都会の人、田舎の人。 2

             〜前回からの続き〜

その翌日、畑で水遣りをしている私に、お婆ちゃんは言いました。

「今朝獣医に電話をしたら、今週一杯は都合が悪いらしいの。また時間が出来たら、電話をくれるって事になったわ」
「あの、一昨日も言いましたけど、来週になるとB氏は遠くで仕事ですから、C氏を連れて行く事は出来ませんよ。それに、そろそろ暑くなって来ているし、C氏の為にも、早い方が良いんじゃないかしら?」

実際この時点でのC氏、自分で無理に毛を剥ごうとしているのか、首の回りの皮膚が、少し傷付いて(赤剥けっぽくなって)いたのです。

しかしお婆ちゃんは、言います。
「B氏がいなかったら、酪農家のR氏に頼むわ。無料でやってくれる所があるのに、有料の獣医にかかる必要はないから」

これ以上は、私の管轄ではありませんから、この日の話では、こういう事になりました。
「お婆ちゃんが、自分で全てを手配するから、みんつはこの件から手を引く」

これでこの件は、普通なら終わるのでしょうが……
そうです、ここはスイスですから、後で何が起こるか分りません。

私は念の為、獣医の請求書を送る予定になっていた、長女宅に電話を入れ、事の次第を説明し、こう付け加えました。
「一応隣村の獣医に聞いてみたのですが、そこは、明日の夜やってくれるそうですし、C氏の状態を見ないとはっきりとは言えないけれど、料金は50〜100フラン(4000〜8000円位?)の間だそうです」

私が隣村の獣医に電話を入れたのは、1日も早く、C氏を不快な状態から解放してやりたかったからですし、さほど高い料金でなければ、お婆ちゃんも了解するのではないかと考えたからです。
しかしお婆ちゃんは、C氏を2週間待たせたとしても、無料の獣医を使いたいとの事でしたし、娘に払ってもらうのも嫌だと言います。

C氏はお婆ちゃんの猫ですから、どうするかは飼い主が決めるべきですが、私がこの時点で、しっくり行かない気持になったのも事実です。

自分の可愛い飼い猫の一生で、1回ぐらい1万円を払っても、良いのではないでしょうか?
しかも、私達夫婦が労力を出し、娘が料金を払うと言っているのに、何故獣医代をけちる必要があるのでしょう?

実は、「酪農家は計算高い」とは、スイス人がよく言う事ですが、彼らの習慣に、例えそれが価値のない物であっても、「ちょっとでも得をしよう」とか「1円たりとも損はしたくない」という傾向があるのは、実際否定出来ない感があるのです。

さて、そのまた翌日です。
今度は、電話が鳴りました。

「みんつ、今夜の7時に獣医の所に行かなくちゃいけないんだけど、大丈夫?」
「え?」
「今夜7時に、B氏は行ける?」
「……」

お婆ちゃんは、「自分で全部手配する」と言ったのではなかったっけ?
私は、この件から手を引く事になっていたのでは?
今夜の7時に“行かなくてはいけない”って、普通は、こっちの都合を聞いてから予約しないか?

色々な考えが一瞬頭によぎりましたが、私はそれらを呑み込みました。
首の回りに所々赤剥けを作っている、C氏の毛をどうにかするのが、最優先です。

「今、B氏の携帯に掛けてみますから、ちょっと待っていて下さい」
私はB氏と電話で話した後、結果を報告しに、階下に行きました。

              〜次回に続く〜

2007年5月11日 (金)  都会の人、田舎の人。 3

           〜前回からの続き〜

「今夜の7時で、大丈夫だそうです。6時半過ぎに私、籠を持ってC氏を捕まえに来ますね。そうだ、医院の電話番号と場所、教えて下さい。あ、それとも、獣医宅まで一緒に行きますか?」

C氏はお婆ちゃんの猫ですから、獣医が何をどうするのか、自分で聞いておきたいのではないでしょうか?

するとお婆ちゃんは、獣医宅を口頭でさっと説明し、言いました。
「今ね、客が来ているのよ。じゃあ、また後で」
玄関のドアを閉めるお婆ちゃんの態度は、まるで私に邪魔をされている、とでもいう風です。
……いきなり電話して来たのは、お婆ちゃんなのに。

私が、私の夫に頼んで、我が家の車を出して、我が家の猫の籠で、お婆ちゃんの猫を獣医に連れて行くというのに、居間に座っている知人を5分間待たせる事の方が気になるとは、どういう事でしょう?

ええ、ええ、分っています。
お婆ちゃんに悪気はないのです。

私が掛けているだろう時間や手間は、「せっかく来てくれた客を、退屈させてはいけない」という気持の陰で、見えなくなっているだけなのです。
ましてや、「全部自分でやるから、みんつはもう何もしなくて良い」と言った事などは、頭から抜けているのです。

……気にしない、気にしない。C氏を早く楽にしてやるのが、最優先。
私は自分にそう言い聞かせ、部屋に戻りました。

さて、夕方です。

B氏と共に籠を持参して、C氏を捕まえに降りて行くと、お婆ちゃんは私に言いました。
「獣医の所だけどね、私は行かないわ。昼間に客が来ていたから、疲れちゃったの」
「……そうですか。C氏にどのぐらい時間がかかるか、獣医宅に行ってからでないと分らないけど、じゃ、戻ったらまた来ますね。C氏、麻酔を掛けられるだろうから、今夜は家の中に入れた方が良いでしょう?」

実は、お婆ちゃんは1年を通して、餌をやる時以外には、C氏を家に入れません。
理由は、家の中が汚れるのが嫌だから。
しかし、C氏が代りに私の部屋に入るのも、気に入りません。
理由は、C氏がお婆ちゃんより私になつくのが嫌だから。
もちろん、C氏自身は家に入りたがっています。

普段はまあ、それでも良いですし、私も干渉せずにいます。
この辺は牛小屋もたくさんありますし、寒くて凍えるという事もありません。

でも今夜のC氏は、車に乗せられて、麻酔を打たれて、禿にされるのです。
一晩ぐらい家に入れてやっても、罰は当たらないでしょう?
それに、汚れた部屋に掃除機をかけるのは、私ですし(お婆ちゃんは、身体に負担を掛ける家事は、医師から止められています)。

そんな私の思惑をよそに、お婆ちゃんは答えます。
「ああ、戻って来たらC氏は、適当にその辺に放してくれたら良いわ。C氏はいつも外で寝ているし、家に入れると部屋が汚れるから」
「……」

さすがにこれには、考えるところがあるのでしょう、車に乗るとB氏は言いました。
「今晩ぐらい、C氏を家に入れてやれば良いのに。酪農家には、猫も牛と同じなんだよな。ペットじゃなくて家畜って感覚だな」
「ちょっと可哀想だよね、C氏」
「こっそり俺たちの部屋に入れるか?」
「そうだね」

そんな風にして私達は、C氏を獣医宅へと運びました。

                〜次回に続く〜

2007年5月14日 (月)  都会の人、田舎の人。 4

                 〜前回からの続き〜

私達夫婦が獣医宅に着くと、戸口に現われた夫人が言います。

「貴方達、うちの義母と電話で約束なさったんですよね? 彼女、夫のスケージュールをきちんと把握していないんですよ」
「?????」
訳が分らない、という顔をしている私達に、獣医夫人は続けます。
「夫、まだ戻っていないんです。今何処にいるのかも分らないし、いつ戻れるのやら」

どうやら、ここにももう一つ、問題があるようです。

しかしこの問題は、たとえ何処からお金が支払われようと、ある種の人々に対しては無料であろうと、プロである以上、私には関係のない事です。
私は、もう十分お婆ちゃんに振り回されているのですから、挨拶も無しにこんな口の利き方をする獣医夫人には、気の毒ですが、臨戦態勢を取ります。

「そちらの家庭事情は知りませんが、私は7時に予約を取ってあると聞きました。貴方の旦那さんが、A夫人(下の階のお婆ちゃんです)に電話をして、そう言ったのだと思いますよ。私達は、あくまでも手伝いで猫を運んできただけですから、そんなことを言われても困りますね」

私の強い態度に、夫人は幾らか慌てたようで、「ちょっと夫に電話をしてみます」と言うと、家の中へ消えて行きました。
……おい、おい、私達は外で待つのかよ。

暫くすると、夫人が再び現われました。
「今から戻るそうです。どのぐらいかかるか分りませんが、中で待ちますか?」
「ああ、そうさせて下さい。外だと、猫が落ち着きませんからね」

しかし、私達が通されたのは、待合室でも診察室でもなく、単なる玄関です。
ええ、そうです。部屋ではなく、ただの空間です。
仕方がありませんから私は、籠に入ったままのC氏を床に降ろし、しゃがみ込んで獣医を待ちました。

こういうやり方が通用するのは、この獣医が無料だからではないでしょうか?
別の村へ少し足を伸ばせば、小動物が専門で、丁寧にやってくれると評判の、女性獣医もいるのですが――我が家の猫はここで去勢してもらいました――そこは無料ではありませんから、近村の酪農家達は皆、この獣医を利用している様です。

さて、全てが済み、所々赤剥けにされ、まだ麻酔から覚めきっていない――それでも自力で逃げ出したいのか、よろよろと床をはっている――C氏を連れ、私達は家に戻りました。

「お婆ちゃん、先生が言っていたんですけどね、今夜はC氏、家の中に入れて置く様にって。このまま外に出すと、車に轢かれたりするから。それから、餌は麻酔がすっかり切れるまで、やっちゃ駄目とも言ってました。喉に詰って、窒息する事もあるそうです」

「獣医の先生が言った」となれば、お婆ちゃんでもむげには出来ないはずです。
そんな私の予想通り、お婆ちゃんは「そうなの。じゃ、仕方がないわね」と、C氏を家の中に入れました。

                    〜次回に続く〜

2007年5月15日 (火)  都会の人、田舎の人。 5

               〜前回からの続き〜

こんな風にして、今回のC氏騒動は、一件落着となりましたが、私には正直なところ、度々違和感がありました。
お婆ちゃんを代表とする、いわゆる田舎の価値観にです。

「ただで使えるものや、自分から頭を下げなくても良いものは、使わなければ損だ」
「みんつが借りている部屋は、“私の家”だから、ある種の恩がある」
「動物に手間やお金を掛けるのは、勿体ない」……

こういう感覚が、店子である私より、獣医や訪問客の時間を優先させる、というお婆ちゃんの態度に繋がるのです。
彼らはただではありません。
つまり、待たせたり煩わせたりしたら、お婆ちゃん自身が恩に着なくてはいけない(と、お婆ちゃんは感じるのです)人達だからです。

また、娘に獣医代を払ってもらうのも、やはり借りを作る事になりますから、避けたいと考えますが、動物にお金を払うのも、何だか勿体ない。
そこで、たとえ猫が不自由な思いをしていても、無料の獣医の時間が空くまで、待たせる方を選びます。

こういう事は、お婆ちゃん以外の相手とも、日常的に起こります。
村の人達は、程度の差こそあれ皆、そういう習慣で生活が成り立っているのです。
一つ一つは、気にもならない程些細な事ですが、それが積もると、やはり私には、ストレスに感じる場合もあります。

田舎で暮らしたければ、これは呑み込んでしまうしかないのですが、正直なところ、私は、いまだに完全には馴染めずにいます。
否、本当は、こういう感覚に慣れたくない、と思っているのです。

例えばこんな時、都会の人は、多少のお金がかかったとしても、大切なペットですから、1日でも早くやってくれる獣医、丁寧にやってくれる獣医、と考えるのではないでしょうか?

もしくは、幾分面倒だとしても、出来るだけ他人を煩わせない方法、と考えるでしょう。
でなければ、最初に気持ち良くやってくれると言った人に、「ありがとう。お願いします」と任せるでしょう。

田舎の人は、いわゆるタダで使えるこね、が優先します。
権威のある獣医が、親切な隣人より優先します。
自分の煩わしさが、ペットの状態――もちろん、緊急ではないからかも知れませんが――より優先します。

私の知る限り、他人同士が一緒に暮らす都会では、事がスムーズに進むような知恵があります。
「多少お金がかかっても、それで解決するならば、そっちの方が安い」と考え、必要な事にはお金を使う習慣があります。

田舎の人は「もちつもたれず」とでもいう感じで、お互いを使い合います。
その為、私には、純粋なる人間関係が、成り立ち難い様に見えます。
「どこかで、誰もが、何らかの利害関係にある」という具合で、よそ者の私が、単なる善意で何かをする事は、その利害関係を害する場合があり、ある意味で危険なのです。

でもね、その利害というのは、例えば何十年も前の、埃を被った熊のぬいぐるみであったり、日に焼けて黄ばんでしまったレースのカーテンだったりと、私のような都会人にとっては、無価値としか思えないものをめぐって、だったりするのです。

……こんな日は、「人間ってくだらねぇ」って思っちゃいます。

2007年5月18日 (金)  どうだ!

水曜日、近村でバレー・ボールのトーナメントがありました。
これは、この辺りの習慣らしく、夜通しで行われます。

試合の状況によって、毎年終了時間は変りますが、今年は18時半過ぎに始まり、1時前ぐらいで終わりました。
去年は、明け方4時までかかったそうですから、今年は早く終わった方ではないでしょうか。

さて、このトーナメント、もちろん我がチームも参加したのですが、去年の暮れからメンバーになった私にとって、これは(スイスでの)初体験です。
「どんなチームが来るのかな?」「他所は、うちよりもずっと強いのかな?」「本当に上手な人達とやったら、私の腕はどのぐらい通用するかな?」……

参加が決まった時点から、この日が楽しみで仕方がない私は、チーム・メイトに会う度に質問をしました。
「去年は何位だったの?」「景品が出るって、どんな物?」「他所のチームのレベルは、どのぐらい?」「私達は、もっと本格的に練習した方が良いんじゃない?」……

その結果分ったのは、「本気で勝ちに行こうとしている奴は、どうやら私だけである」という事です。
……うーん、どうしましょう? 私、負け戦はしない主義なんですけど。
そりゃ、結果的に負けてしまうのは仕方がありませんが、最初から「負けても良いや」と思って参加するなんて、自称ハード・ボイルド主婦のプライドが許しません。

こうなったら皆にハッパを掛けるしかありませんから、私は公言しました。
「私、優勝するつもりだから!」
そんな私に皆は笑います。
「優勝は無理だよ」「去年は25チーム中15位だったんだよ」「否、25チームもいなかったぞ」「和気あいあいと、楽しくやろうよ」……

それでも私は、練習日毎に言い続けました。
「ふん、楽しきゃ良いなんて、嫌だね。私は、勝つつもりだから」
こうなったら、各自の自主性に任せてなどいられません、私は個人攻撃に出ました。

いえいえ、個人攻撃といったって、本当の攻撃ではありません。
それぞれの得意分野で、より力を出せるような練習をさせよう、と考えたのです。
というのも、悪いところを直すほどの時間は、残されていないからです。

我がチームのメンバーは、女性5人男性3人です。
女性陣は皆、ある程度のプレーが出来るのですが、身長があまりありません。得に、私を含めた3人は、全く攻撃が出来ません。
男性陣は、背が高いから何とかなっているものの、バレーの基礎においては、てんでなってません。

で、私の計画では、女性陣はこのままより正確なプレーを、男性陣はアタックとブロックを練習するという、簡単な事だったのですが、やる気を出した女性陣とは裏腹に、何故か、男性陣が尻込みし始めたのです。
得に、攻撃の要になるであろう、背の高い2人が。

「否、俺には出来ないよ」
「出来るって! 私は普段のプレーを見て言ってるんだから、とにかく試してみなよ」
「でも、ひじが悪いからさ」
「ああ、貴方の身長なら、強烈なアタックなんか打たなくても、狙いさえコントロール出来れば楽勝だよ。ひじに負担はかからないよ」
「うーん、ブロックに毎回飛ぶ必要はないだろ?」
「本来ならね。でも、毎回飛んでタイミングを合わせる練習をしておかないと、本番で飛べないでしょう」……

……ええい、やかましい! つべこべ言わずに、練習しろ! 最初から出来るなんて、誰も思っちゃいないんだよ。練習しないで出来る奴なんて、いるわけないだろが。

さて、こんな風にして本番当夜を迎えた私達。
どんなに勝てないと分っているチームが相手でも、私は言いました。
「私は今日、優勝しに来ているから!」
正直な話、心の中では「5位ぐらいになれたら良いな」と思っていましたが、口ではそう言い続けました。

その結果、なんと私達は、4位になりました!!
1、3位は経験者のみ、2位は大柄男性のみのチームですから、私達は皆大喜びです。

……そして私は、チーム・メイトから「シェフ(Chef:ボスの意)」という称号を与えられました。

2007年5月22日 (火)  お知らせ

皆様へ

只今みんつは、夫B氏の会社(自営です)の帳簿付けをさせられております。
今年から、税金の申告は、私がする事になるそうです。

B氏ね、数字アレルギーとでもいいますか、私に帳簿の付け方を説明してくれようとするのは良いのですが、見ていると、B氏自身が間違えているのです。
……そのせいで、余計な時間が取られます。

ということで、私は日記の更新が出来ずにいます。

明後日(木曜日)からはまた、B氏は現場に行きますので、私も簿記から解放されると思います。
申し訳ありませんが、日記はそれまでお待ち下さい。

さて、B氏のどんよりした雰囲気を(簿記が嫌だから)、なんとか盛り上げなくては!
 
                      みんつ

2007年5月24日 (木)  みんつファンに捧ぐ

日曜日、みんつは遂にテレビに出ます!

既に皆さんもご存じでしょうが、もう一度、詳しい内容をここに記して置きます。

出演予定日:5月27日(日)

放送局:NHK BS1

放送時間:日本時間の22時10分〜22時59分
(野球が延長の場合、時間がずれます。)

番組名:地球アゴラ

公式サイトはこちら
http://www.nhk.or.jp/agora/index.html 

正直に言うと、私はビジュアル系ではありませんので、「テレビはどうかな?」という思いもあるのですが……

せっかく出演するのなら、どうせ知らない人に見られちゃうのなら、今まで長い間このサイトで、私のくだらないお喋りに付き合ってくれている皆さんに、見てもらいたい。
そう思って、まあ、宣伝をしているわけです。

だってね、前回のラジオもそうですが、私が今回テレビに出られる事になったのは、局の方々がこのホーム・ページを見付けたからなのです。
で、このホーム・ページがこうして今も存在しているのは、ここに来て下さる皆様が、応援してくれているからです。

ということで、私は「いつもサイトに来て下さる皆様だけに、何か出来ないか」と考えました。
もちろん、NHKに迷惑がかかるのはまずいですが、何かこっそり、みんつファンだけが分る、秘密の暗号みたいなものを送れたら、と思ったのです。
(ぁ、NHKの方、もしここを見ていましたら、見逃して下さい。)

ふふふ、ありましたよ。

本番当日、私は自分の部屋の中から映像を送るのですが――夫B氏も隣に座る予定です――私の背後、部屋の壁に1枚の絵を掛けます。
これが、私の日記を読みに来て下さる方だけへの、ちょっとしたプレゼントです。

当日、偶然番組を見た人には分りませんが――ここを読まれた皆さんは、にんまりと微笑んで下さい――実はその絵、『B氏画伯』の作です。

そう、B氏は趣味で絵を描きます。
そんな絵が何枚も、我が家には飾ってあります。
その中の1枚を、テレビを通して、皆さんにもお見せしようと思います。

どんな絵かは、ここでは敢えて、言わずに置きますね。
その方が、楽しみが増えるでしょう?

……では皆さん、日曜日にお会いしましょう!!

2007年5月28日 (月)  『地球アゴラ』のおまけ。

昨日『地球アゴラ』を見る事が出来なかった皆様へ。

いつも私のサイトに来て下さっているのに、番組が見られないばかりに、「何か不公平だよなぁ〜」とか「ちぇっ」と思っている方も、いるかも知れません。

そんな方に、私からほんの気持ですが、トップ(サイトの表紙)の画像を送ります。
(1週間ぐらいしたら、別の物に替える予定です。)

これは、昨日番組放送中、私の背後に掛けていた「B氏画伯」の絵です。

昨日テレビの画面で、良く見る事が出来なかったという方も、もう一度こちらでお楽しみ下さい。

日記の更新は、明日から通常に戻ります。

では。    

             みんつ

2007年5月29日 (火)  その頃、TVの裏側では… 1

今回の『地球アゴラ』、如何でしたか?

私自身は、家にBS放送がない為、まだ見ていないのですが――後ほどNHKから、録画されたものがもらえるそうです――終始穏やかな雰囲気で、特に問題もなく、行われたのではないでしょうか。

普段TV番組がどんな風に作られて行くのか、全く知らない私には、今回の状況が普通なのかどうか、計る術はありませんが、私がちょろちょろっと感知した限りでも、実は、本番ぎりぎりまで、ハプニング続出だったのです。

今回は、そんな話を幾つかしようと思います。
(NHKの方、もし見ていたら、見逃して下さい。だって、美味しいネタなんですもの。)

最初のハプニングは、私からです。
これは、聞けば皆さんも「あぁ、やっぱりスイスだよぉ」と呟きたくなる様な、お馴染みのものです。

番組で流れた村の映像は、私と夫B氏が、我が家のビデオ・カメラで撮影し、日本に送ったものなのですが、スイスと日本の輸送関係はまだまだ未発達で、簡単に言ってしまうなら、現金着払いだの外貨での支払いだのといった、細かい作業を扱える会社となると、選ぶ権利が殆どないというのが、現状です。

で、私はNHKが指定した、ある運送会社を使用する事になったのですが……

この会社はもちろん、こんな山の上の寒村にお得意さんなどいません。
ですから私は、ややこしい電話を何度か掛け、事務のお姉ちゃんと殆ど喧嘩になりながら、それでも荷物を取りに来てくれる様にと、約束を取り付けました。

約束の日時は「明日、8時から13時の間」との事です。
時間の開きが大きいのは、私の住む村まで車で5時間かかるから、だそうです。
まあ、これは仕方がありません、私は翌日早起きをし、何処にも出掛けずに待ちました。

でもね、私はもうこの時点で、おかしいとは思っていたんですよ。

だってね、車で5時間スイスを走ったら、その会社がスイスの西端にあるというのでもない限り、国境を越えてしまいますから。
そしてその可能性は、スイス一の大都会チューリッヒが、我が家から車で2時間半位の場所にあるとなると、かなり低いのではないかと思います。

しかも、大まけにまけて、スイスの西端から来るとしても、朝の8時に我が家に着くとなると、運転手は会社を少なくとも明け方の3時に出発する、という計算になります。
午前3時に仕事をするスイス人が存在するなんて、私は信じませんね。

となればいつも通り、この事務のお姉ちゃんは何にも分っちゃいない、つまり、信用出来ないという事です。

そして、その予感は見事的中。
翌日、15時まで待った私は、この会社に苦情の電話を入れました。
もちろん15時まで、向こうからは、電話の1本もなしです。

電話口に出た事務のお姉ちゃんは、こう言いました。
「運転手はお宅の近くまで行ったのですが、家が分らずに帰って来たそうです。今日はもうじき定時なので、これからそちらには行けません」

ええ、100%すっぽかしです。
日本では信じられませんが、ね、ここはスイスでしょう? 

でも今回は、私にはあまり時間がありませんし――編集などの時間を考えると、どうしても今日明日に発送しなければ、間に合いません――昨日の電話対応で既に頭に来ていますから、いきなり臨戦態勢です。

「もしそれが本当なら、あんたの会社は、阿呆を雇ってるね。ガキの使いじゃあるまいし、5時間も掛けて来て、『家が分りませんから、帰ります』なんて、ここは発展途上国か! そっちの事情なんてどうでも良いから、今すぐ来い!!」

                   〜次回に続く〜

2007年5月30日 (水)  その頃、TVの裏側では… 2

           〜前回からの続き〜

かなり怒っている(という芝居をしている)私に、電話の向こうのお姉ちゃんは、慌てて言いました。

「本当に申し訳ありません。明日は、絶対に行かせます。誓いますから」
「あんたの誓いなんて、何の役にも立たないじゃない。明日来るって、どうやって信じろって言うのよ? 至急送らなくてはいけない物だから、貴方の会社を使っているって事ぐらい、分っているわよね?」

「ええ、もちろん。明日は私が、絶対行かせます。私の名前は、xxです。もし明日も問題がある様なら、私に直接電話をして下さって構いませんから」
「じゃ、もう一回だけチャンスを上げる。もし明日も来なかったら、貴方の会社は、一生使わないからね。で、何時に来るの?」
「8時から13時の間に」
「……」
「何かご予定がありますか?」

「あのね、はっきり言うけど、8時からって事は、8時に来る可能性もあるって事よね。となると、運転手は3時から働いている事になるわよね。そんなのあり得るの?」
「いえ、運転手も普通の時間から働きます」
「じゃ、8時に来る筈なんてないじゃない。どっちかっていうと、13時寄りって思っていて良いのよね?」

「私には、それはちょっと分りません。ただ、8時から13時の間としか」
「あんた、今日一日、私の時間を無駄にしたんじゃない。明日も、どう考えたって来る筈のない8時から、早起きして待てって言うの?」
「何処かにお出掛けなさるなら、携帯電話の番号を教えて頂ければ……」
「ああ、もう良いわ。じゃ、明日待ってますから」

私は一応、最悪の事態に備え、番組のスタッフ宛にメールを出しました。
スタッフからの答えは、「もう一日、あの会社を信じて待ちましょう」です。
……日本人って、ホント優しいですよね。

さて、翌日13時。
ええ、もちろん来ませんよ。電話もありません。
スイスなんて、こんなもんです。

普通の時間に出社して、5時間かけて運転して来るとなれば、伝票だの他の荷物だの連絡事項だの、出発前の仕事だってあるでしょうし、どう見積もったって、うちに着くのは午後でしょう?
13時なんて、一番早く来られたら、の時間ですよね。

それでも、約束は約束です。
しかも、向こうが指定した時間ですから、NHKが許しても私は許しません。
私は、14時まで待って来なかったら、会社に電話を入れ、事務のお姉ちゃんではなく、責任者と話すつもりでいました。

そして、14時2分前。
滑り込みセーフといった感じで、でっぷりと太ったおばちゃんが、小さな車を運転してやって来ました。

私はこの、肝っ玉母さんの様な女性を見た瞬間、「あぁ、仕事を分っていないのは、完全に事務の方だな」と思いました。
実際後から分ったのですが、このおばちゃん、事務の方から間違ったアドレスを渡されていました。

私は、今後の事もありますし、おばちゃんに思い切って聞いてみました。
「あの、事務の方は8時から13時の間に来ると言っていましたけど、車で5時間かかるとなると、この予定には無理がありませんか?」
そんな私に、おばちゃんは共犯者の微笑みを浮かべ、言いました。

「事務は何も分かってないのよ。現場の人間は、午前中に仕分けなんかがあるから、会社を出るのは早くても11時以降よ。それと、各自に担当の地域があるから、みんな本社からやって来るってわけじゃないし、5時間はかからないわ」

こうして、皆さんが見た村の映像は、日本に無事届けられたわけですが……

この後に続くハプニングと比べれば、これは、ほんの小さな出来事に過ぎませんでした。

                  〜次回に続く〜

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