2004年5月3日 (月)  野菜

ヨーロッパの中でもスイス人は、野菜をたくさん食べる方なのではないかと思います。
レストランには、野菜だけのメニューがありますし(ヴェジタリアン用)、フィットネス・メニューという、軽めのステーキにサラダたっぷりの料理もよく見かけます。
普通のサラダだけを頼んでも、お腹が一杯になるぐらいの量があります。

スイス人というのは、どういう訳か『健康に良い』という言葉に、神経質な程の反応を示します。野菜や果物をたくさん取るのは、そのせいでしょう。
「1日5つ、果物を食べましょう」とか、「肉を減らして魚にしましょう」なんていうポスターが、お医者さんの壁にも貼ってあります。
野菜は、ビタミンを損なわないように、出来るだけ生(サラダ)で食べるという人もたくさんいます。

今ではすっかり慣れましたが、義母の家で生の人参が食卓に出てきた時には、驚いたものです。
それ以来、私はどこかに食事に呼ばれると、色々と観察をしました。
人参は、サラダ用野菜らしく、圧倒的に生で食べる人が多いです。
他にも、白菜、カリフラワー、ブロッコリー、根セロリ、カブなども生でサラダに入っています。
ピーマンは、日本のものに比べ、大きく肉厚で、水分もたっぷり入っていますので、ほぼ100%サラダ野菜です。
玉葱や長ねぎは、サラダ用にも調理用にも活躍します。ちなみに長葱の緑色の部分、こっちでは捨ててしまいます(私は使いますが)。

さて、日本では、歩きながら物を食べるというのは、はしたないと思われるようですが、ここスイスでは、あちこちで見かける光景です。
ちょこっとお腹が空いた時、食事時間がちゃんと取れなかった時、皆さん歩きながら物を食べています。
圧倒的に多いのは、お国柄、チョコレート・バーの類ですが、健康に気を使う人などは、リンゴ、バナナ、生の人参などを齧っています。
そう、生の人参は、とってもポピュラーな歩き食い食品なのです。
歯が生えかけているのでしょうか。乳母車(今でもこう言います?)に乗せた幼児に、生の人参を齧らせている、なんて光景もよく目にします。

ある日のことです。私は、夫B氏と電車に乗っていました。
確か、義理の両親を訪ねるか何かで、当時住んでいたベルンから、3時間ぐらい電車に揺られていました。
お昼時になり、チョコを齧る人、ワゴンを押してくる売り子さんから何か買う人、私たちのように食事持参の人と、車内のあちこちで軽食が始まりました。

私が、サンドイッチを齧りながら、何気なく向かいの席を見ると、そこには20代初めぐらいのほっそりした女性が、熱心に教科書のようなものを読んでいました。
片手には、生の人参が握られています。

『やっぱり人参だ。美容や健康に注意していそうなタイプだものな』 私は、見るともなしに、その女性を見ていました。
人参を食べ終わった彼女、足元のバッグをごそごそとかき回し、カットされたピーマンを取り出しました。
『ああ、今度はピーマンだ。彼女、ヴェジタリアンかなぁ』 ピーマンを食べ終わった彼女、やはりカットされた、リンゴを食べ始めました。
『ありゃ、完全に健康フリークだわ』 私、心の中で呟きながら、次に彼女が取り出す食品に、興味津々。
『バナナあたりかな』・・・・・・大正解。
それにしても、そんなにたくさんのものを用意してくるあたり、かなり徹底した食事管理をしている様子です。
今度は彼女、色違いのピーマンを齧り出しました。
これはもう、軽食などではなく、れっきとした食事です。

『まだ何か入っているのかしら』 気になって、足元のバッグに視線を落とすと、中身が見えました。
!!!・・・・・・何と、大根が丸ごと一本入っています!
ピーマンやリンゴは、食べやすいようにカットされていたのですから、大根が丸ごと一本で入っているという事は、あのまま齧るに違いありません。
ああ、神様、どうか私が電車に乗っている間に、あの人が大根を齧りますように!

・・・・・・今までで、一番ドキドキした、電車の旅でした。

2004年5月4日 (火)  テディー・ベアの苦悩

子供の頃から私、寝つきが非常に悪い質なのです。
その上、眠りが浅いのか、ちょっとしたことで、夜中に何度も目を覚まします。
それに比べて、我が夫B氏、寝つきにかかる時間、2秒です。
電気を消して、「いち、にぃ、ぐぅ〜っ」です。催眠術でも、3秒は掛かるのに・・・・・・

そして、鼾、寝言、高笑い、おなら、引き攣り、派手な寝返り等々、人間が寝ながら出来るかと思われることは、B氏、全てやってのけます。
自分のかく鼾の大きさに驚いて起きる、なんて荒業もありです。
しかしB氏、夜中に起こったことは、翌朝全く憶えていません。

我が家には、夫婦円満の為のルールというか、何となく二人ともその方が良いと思うので、実行していることが幾つかありまして、その一つに、『夜、ベッドに一緒に入る』というものがあります。
片方がどんなに眠くなくても、ある一定の時間が過ぎたら、毎晩一緒にベッドに入ります。まあ、99.9%眠くないのは私なのですが。

二人で呑み過ぎたり、深夜映画を見たというのでない場合、ベッドの中で電気を点けたまま、B氏は10分ぐらい新聞に目を通しながら、私とくだらない話をします。
この時点で、上手に眠くなってしまえば、私の勝ちなのですが、そんなことは1年に1度あるかどうか。
で、以前に書いたように、どちらが電気を消すかの戦いになります。

さて、電気を消し、寝る態勢に入る時、B氏は毎晩必ずすることがあります。
私を引き寄せて、がっしりと羽交い絞めにするのです。

あ、今、「良いわねぇ、ロマンティックで」なんて思った方、いますでしょう。
大きな勘違いです。
そうですねぇ、チャーリー・ブラウンの毛布、と言ったら分かるでしょうか?
寝る時に、何か決まった物がないと眠れない方、いませんか?
B氏にとって、私がまさにその物なのです。
掛け布団を抱え、両足で挟んで眠るように、B氏は私を抱えて眠ります。
この際、私は動いてはいけません。でないとB氏、眠れないと文句を言います。

私たちの身長差、26cm。体重差、約35kg。
私、動きたくても、動かせるのは肘から先と、膝から下だけです。
ただでさえ寝つきの悪い私、毎晩そんな状態で、肘から先と膝から下を、眠くなるまでぱたぱた。
耳元には大音響の鼾、うなじには寒いぐらいの鼻息。
仰向けの状態で抱えられた日には、私の吸う空気、B氏の鼻息です。一酸化炭素中毒ならぬ、二酸化炭素中毒で、翌朝目が覚めないのではないか、と思うこともしばしば。

B氏が寝入ってから、そっと罠を抜けようとすると、「せっかくの獲物、逃がしてなるか」とばかりに、手足に力が入ります。
ベッドでの私、まるで、『子供を失った母ザルに、さらわれた仔猫』状態です。

朝起きて首が痛いなどというのは、日常茶飯事で、夜中に頭が痺れて起きる(B氏の腕が、私の首の血管を圧迫していたのです)などということも、良くあります。

「B氏、私はテディー・ベアのぬいぐるみじゃないんだからさ、そんな風に抱えて寝るのは、無理だよ。これじゃあ私、長生きしないと思うなぁ」 と言う私に、
「良いなぁ、みんつは。眠っている間も、俺に愛されていて。俺も、そんな風にされたいなぁ」と、とぼけた答え。
更に「そういえば俺さ、子供の頃、テディー・ベアをいっぱい集めていたんだよなぁ。あれ、どこに行ったんだろう?」

・・・・・・お義母さん、B氏のテディー・ベア、捨ててないですよね?!

2004年5月5日 (水)  あんまり見たくないもの。

スイス人は、人前で裸になることに、割と無頓着です。
公共のサウナ(男女共同です)やシャワー室など、何も隠さず、みんな堂々としていますし、夏になるとそこいら中で、上半身裸で泳いでいる女性を見かけます。
屋外プールなど、更衣室があるにもかかわらず、みんなその辺で着替えます。

かくいう私も、根が大雑把なのか、簡単に適応してしまいまして、今では更衣室など使いません。
まあ、私の場合は一応日本人ですから、タオルなんかでちょっと隠しつつで、スイス人のように、ふるふるになって着替え、ということはしませんが。
そういう訳ですから、私、友人たちの裸体を結構見てしまっているのです。

さて、その裸体目撃体験の極め付きを、今日は書きます。
それは、私と夫B氏が、日本に行った時の事です。

なかなかスイスに帰る様子のない私たちに、不安を抱いた義母と、登山が趣味で、世界中の3000m以上の山の制覇を、ライフ・ワークとしている義父。
目的こそ違え、『日本行き』、合意に達したようで、2週間の予定で、私の実家にやって来ました。

ハハハ、私たち二人、頭を抱えました。
「2週間べったりはきつ過ぎる」ということで、まずは義父母に、1週間の京都旅行を勧めました。
『日本にじかに触れるため』という名目で、これは、2人だけで行ってもらい、その後の1週間、車を借りて一緒に富士山方面へ。
義父には富士登山で喜んでもらい、私たちは温泉と美味しいご飯を、という作戦です。義母に関しては、最愛の息子が1週間お供ですから、他には何も要りません。

さて、一応シーズン外だったので、役場に届出をして、厳重な注意を受けてから向かったものの、義父母は2時間もかからずに、富士山を昇り降りしてしまいました。
まあ、スイスの山と義父の経歴を知っている私たち、別に驚きもしませんが、メイン・イベントは、呆気なく終了です。

それでも大満足の義父母と一緒に、その後は温泉めぐりをしました。
ある日、道に迷ってしまった私たちは、暗くなってからやっとの事で、一軒だけある宿泊所を見つけました。
いわゆる、健康ランドのような所で、宿泊も出来るようにはなっていますが、大抵は、地元の人が一風呂浴びに来る、というような所です。

あまり使われていないのか、部屋も綺麗でしたし、お風呂も大きい。
「案外、ラッキーな発見かもね」などと言いつつ、私たちは早速、お風呂に向かいました。
脱衣場で、初めて義母と一緒に裸になり、お風呂へ。
大きなお風呂には、私たち以外には、殆ど誰もいません。

が! そこに居た数少ない人たち、B氏と義父です!
そうです。そこは、混浴だったのです。
スイス式に慣れてしまっていた私も、スイス人である私のファミリーも、みんなふるふるです。
今さら隠すわけにも行かず、私、義父と裸の付き合いをしてしまいました・・・・・・。

ああ、大和撫子として、こんな事で良いのでしょうか?
それとも、嫁として、正しい選択を下したのでしょうか?
・・・・・・私、実の父にも見せていないのに・・・・・・

ちなみに義父、日本の温泉と固焼きそばが、いたく気に入ったようです。

2004年5月6日 (木)  if you want

ドイツ語系スイス人男性と付き合っているアジア系女性にとって、一番最初に悩まされ、尚且つ、最も大きな誤解を生む台詞の一つが、タイトルではないかと思います。

【if you wont】:君がそうしたいなら。
ここでは、こんな風に訳しておきましょうか。

スイス人男性が、この言葉をどう使うかというと、
You can come to my room,if you want.(僕の部屋に来ても良いよ、もし君がそうしたいのなら)
We can go to cimema together,if you want.(一緒に映画に行っても良いよ、もし君がそうしたければ)
これらの台詞は、日常的に出て来ますし、
We can marry,if you want.(結婚しても良いよ、もし君がそうしたいなら)
なんていうのも、それ程珍しくありません。

こんな風に言われたら、皆さんならどう思いますか?
「彼がそれ程乗り気じゃないなら、私は止めておく」「私とどこかに行きたいなら、もっと情熱的に口説いてくれなくっちゃ」「ええ、そんなどうでもいい感じで結婚なんて、嫌だわ」
そんな感じでしょうか?
ところがこれ、全くの誤解なのです。言葉ではなく、文化の誤解です。

スイスの女性は、ある面とても強いです。
ですから、男性たるもの、ごり押しをしてはいけないのです。
もし気に入った女性を見つけたら、出来るだけ相手の意見を尊重するように心掛け、彼女の人間性を高く評価しているふりをするです。

つまり、「映画に行こうよ」なんて誘い方をすると「私の時間が、全て貴方のものだとでも思っているの? 馬鹿にしないでちょうだい。私はそんなに暇じゃないのよ」と、なってしまうので、「もし君さえよければ」というのが、お尻に付く訳です。

では、この「if you want」、実際の彼らの心情を入れて、ちょっと意訳してみましょうか。
「君が僕の部屋に来てくれたら、素適だろうなぁ。でも強引過ぎて嫌われるといやだしな。イエスと言ってくれないかなぁ」
「映画に一緒に行って、君と仲良くなりたいなぁ。自信がないんだけど、君もそう思ってくれていると良いなぁ」
「僕としては、いつでも結婚OKさ。後は君の気持ち次第だよ」
と、まあ、こんなところでしょうか。

押しの強さも男の魅力。これは、『マッチョの国』日本ならでは、です。
『ソフティーの国』スイスでは、女性に主導権を渡すのが、良しなのです。

「それでも私は、やっぱり熱烈に口説いて欲しいわ」とか「私に魅力があるなら、向こうから来てくれる筈」という、撫子さんたち。
悪い事は言いません、ドイツ語系のスイス人は、パスしておいた方が良いです。
だってね、結婚までは何とか強引にやってもらったとしても、その後の長い生活の全てにおいて、彼らの習慣を変えさせるのは、無理ですよ。
それに、そういうやり方では、他のスイス人たちと、上手くやって行けませんしね。

「なんだ、そんなら簡単じゃん」と言われる、大和子さんたち。
今度スイス人男性に出会ったら、撫子魂はしまって置いて、大和魂でどんどん主導権を握っちゃって下さい。
無駄な遠慮なんかしないで、一番良い男に、声をかけてください。

そしていつの日か、スイスでお会いしましょう。

2004年5月6日 (木)  緊急速報

皆さんへ

どうやら、レンタル掲示板先『メビ桃』さんのデーターが、おかしくなったようです。
出来るだけ急いで、代わりの物を探しますが、今現在は掲示板使用が出来なくなっております。
ご迷惑をおかけしますが、しばらくお待ちください。

それでも、どうしても私と話がしたいという、みんつ中毒末期症状の方、メールの方に書き込みを下されば、返信するなり、後日掲示板に載せるなりいたします。

では、今夜はもう遅いですので、掲示板探しは明日にします。
おやすみなさい。

        みんつ

2004年5月7日 (金)  悲しきチェリー・パイ

大抵の女性にとって、洋食のコースの中で、一番嬉しいものと言ったら、デザートではないでしょうか。
ここスイスでも、デザートはやはり食事のシメ。これがなくては、今ひとつ物足りない、という人もたくさんいます。

しかし、そのデザート、スイスに来たばかりの頃の私にとって、大きな悩みの種だったのです。

洋食のコースが、正確にはどんなものか、私、お恥ずかしながら知らないのですが、大体こんな感じではないでしょうか?
スープ、サラダ、メイン・ディッシュ、デザート、コーヒー、シュナップス(あっています?)。

我が義母、日本人の私に気を使ってくれたらしく、当初はレストランでやるようなスタイルで、食事を出してくれていました。
つまり、一つのお皿が終わると、次のお皿が出てくる、というやつです。

これ、私、困りました。
というのも、今日は何品出て来るのか、分からないからです。
各皿毎に、お代わりを聞かれ、後何品出てくるのか分からない私は、「ここでちょっとお代わりをして置くべきか、それとも、ここは少な目にして、最後のデザートでお代わりするか」の見極めが、出来なかったのです。
なぜなら、デザートはない日もあるのです。
全品残さず食べないと、失礼だと思っていましたし、まさか「今日の食事、何品ですか?」などと聞く訳にもいきません。

ある日の事です。
私たちが義父母の家に行くと、テーブルの上にはチェリー・パイが乗っていました。
ふふ、今日のお昼は、デザート付きのようです。
「メイン・ディッシュは控え目にして、パイを2切れ食べちゃおう」美味しそうなパイを見て、私は迷わずそう決めました。

ところが、全員がテーブルに着くと義母は、そのチェリー・パイを切り始めました。
そして、「紅茶とコーヒー、どっちが良い?」と聞きます。
どうやら、まずパイを食べるようです。

「あ、そうか! きっと、料理がまだ出来ていないんだ。だから、まずパイを食べて、お腹が空き過ぎないようにするんだ」
義母だって、いつもいつも完璧に出来る筈はありません。今日は、支度が間に合わなかったのでしょう。
私はお皿に乗った、いくぶん大き目なパイを、ゆっくり食べました。

「お代わりは?」
私以外は全員、2皿目に取り掛かり、義母が私に聞きます。
「あ、もう良いです。十分です」
食事前にパイを2皿も食べたら、後は何も食べられませんものね。
大食漢のB氏は、後のことなど構わず、どんどん食べています。
彼の昔のあだ名は、『ごみ箱』(他人の残り物を全部食べるので)ですから、パイの3皿や4皿、後の食事に何の影響も出ません。

全員パイを食べ終わり、お茶を飲みながら、お喋りが続きます。
??? 義母が席を立たないのは、何故かしら? オーブンを使って、タイマーにしてあるのかな?

「もっと紅茶が欲しい人は?」
全員が首を振ると、義母は、テーブルに出ていた食事セットを片付け始めました。
いつものように、義父もB氏も手伝いますので、事の次第が飲み込めないながらも、私、動きます。
食器だけでなく、敷物まで片付けられてしまい、テーブルには花瓶に入った花だけが残りました。

そうです! チェリー・パイが・・・・・・それだけが、今日の昼食だったのです!
どうしましょう。この後、少なくとも数時間は、家族団欒に付き合わなければいけないというのに、私のお腹、中途半端に刺激されて、食欲満々です。
ああ、どうか、お腹が鳴ったりしませんように・・・・・・
私、半泣き状態で、その午後を乗り切りました。

それ以来かなり長い間、他所で食事の際には、私のバッグには、必ず非常食が用意されていました。

2004年5月11日 (火)  鍋の中の虹

魚などを捌く習慣がないせいでしょうか、スイスの台所に付いている流しは(シンクと言うのかしら?)、驚くほど小さいです。
どの位の大きさかと言いますと、ちなみに我が家の物は34cm四方で、これ、ごく標準のサイズです。
我が義母宅のお洒落な台所などは、もっと小さなものが、隣同士に2つ付いています。

彼らが、この小さい流しで、どうやって食器や鍋を洗うかと言いますと、
まず、その流しに栓をして、水(もしくは、ぬるま湯)を張り、そこに食器用洗剤を溶かし、泡立てます。
この中に、汚れた食器を一つずつ入れ、歯ブラシの大きい物、というような感じのブラシで、ごしゃごしゃ、とやって終り。
その後は、適当に水気が切れるのを待ち、タオルで拭いて、食器棚に収めます。

お気付きになりましたか? そう、“すすぎ”は、なしです。
スイス人にとって、洗剤というのは、乾けば消えてなくなる物のようです。
中には、熱めのお湯でこれをし、全く洗剤を使わない、などという人もいます。

いくら汚れの少ない物から洗うとはいえ、前の食器を洗った水の中で、次の物を洗う訳ですし、大きな歯ブラシで、ごしゃごしゃ、ですから、洗い残しがあるなどということは、しょっちゅうです。
フォークの歯の間に、前回のご飯が残っている、なんてことも珍しくありません。

私がスイスに来た当初は、これがどうにも気になったものです。
他所に食事に呼ばれ、こっそりとテーブル・クロスの裾でフォークを拭ったり、レストランで、カップの口紅が付いていない縁からコーヒーを飲んだり、なんてことをしていました。
せめて自分の家だけは、と思った時期もありましたが、友人とパーティーなどをすると、決まって気の利く誰かが、食器を洗ってくれます。

西洋人が、お皿に残った美味しいソースをパンで拭って食べる、なんていうシーン、どこかで見たことのある方は、大勢いると思います。
そのお皿、洗剤はすすいでいないんですよね。
その美味しいソースを煮たお鍋、さっきまで、底が虹色に光っていましたっけ。
蕩けたチーズやリゾットなんかは、フォークの間から取れ難いものですしね。

・・・・・・ふふふ、「マナーなんかくそ食らえ!」でしょう?

2004年5月13日 (木)  国際結婚と義母の夢 (前)

我が夫B氏には、3つ年上の兄C氏がいます。
実はこのC氏、やはり外国人の女性と結婚しています。

可愛い息子たちには、勝手のよく分かった、気立ての良い同国人の嫁を、と思うのは、何も我が義母だけではない筈です。
ところが、長男C氏は、ヨーロッパの西外れ、島国イギリスから、知性が売り物の、気の強い女性、J嬢を選びました。
そして、次男B氏は、世界の東外れ、これまた島国日本から、知性の程は分かりませんが、長男の嫁に負けず劣らず気の強い女性、Mを貰いました。
これが、義母の苦悩、そして三つ巴の争い、の始まりです。

この女3人、全く違う母国語を操り、それぞれが各自の文化こそ最高、と思っています。
一応嫁二人は、夫の母国語だという理由で、共通の言語として、義母の言葉を理解しますが、それは、意志の疎通がきちんと出来ている、という意味ではありません。

義母は今までずっと真面目に暮らし、将来の準備をし、それに合う夫を選び、良い母をこなして来ました。
大きな冒険などありませんでしたが、安定した生活と、真っ直ぐに育った息子たち、その孫たちがいます。そして、今では引退した夫と、趣味の登山旅行で世界中を周れるぐらいの蓄えはあります。

長男C氏は、安定という意味においては、両親の血を引いたようで、スイス人には珍しく、最初に勤めた職場で今も働き、なかなかの給料とポジションを得ています。
そして、彼が選んだJ嬢、結婚前はニューヨークのマンハッタンにオフィスを構えていたほどのキャリア・ウーマンで、息子3人の世話にはベビー・シッターを、家の中の雑用には家政婦を雇って、自分は働いています。
親戚内に流れている噂では、J嬢の給料、C氏の何倍もあり、彼らがチューリッヒ郊外の高級住宅地に家を買えたのは、ひとえに彼女のおかげだとか何とか。
ちなみにJ嬢、料理などもしないようで、彼女の作れる食事は、3品だけです。

代わって次男B氏、若い頃は、暇さえあれば放浪していたらしく、家族の一大事も、親戚の祝い事も、いつも旅行中です。
挙句の果てには、嫁まで旅行中に見つけてきました。
真面目さは両親から受け継いでいるので、他人に迷惑をかけたりはしませんが、義母にとっては、今ひとつ扱い難い息子です。
そして、B氏の嫁Mは、一見穏やかですが、何をやらかすか計れない、家族内における小さな爆弾、といったところで、彼女の呑気さを見ていると、息子の将来が心配になってきます。

さて、義母の望みとは正反対な嫁を貰ったC氏とB氏、この二人が上手くやっているかというと、これが問題なのです。
二人の嫁たち、うまが合いません。

J嬢は、仕事は出来るし、物質的には義母よりも高級な生活ですので、口出し無用、といった雰囲気です。
それに比べM、放って置いたら、自分の結婚式にジーンズで来るような非常識者。
こちらは、何やかやと、世話を焼かない訳には行きません。しかし、この世話焼き、どうも歓迎されていない様子。
その上、義母にとってもっと厄介なのは、息子が、2人とも嫁の尻に敷かれている、ということです。

さて、『この二人の嫁の間に立ち、どちらとももめずに事を運ぶ』、義母はこれを自分の使命と考えたようです。

          〜次回に続く〜

2004年5月14日 (金)  国際結婚と義母の夢 (後)

普段は、皆別々に暮らしているので何もありませんが、年に数回、家族間の行事になると、決まってこの嫁二人、面倒を起こします。

その中でも、義母にとって、毎年頭痛の種になるのが、クリスマスです。

義母としては、一年の内で最大のイベントですから、息子たちが各自の家族を連れて、クリスマス・イブから新年にかけて、休暇を彼女の家で祝う、というのが理想です。
そのために、ツリーは毎年丁寧に飾り付けますし、料理だって、レストランのフルコース並みのものを作ります。
ツリーの下のプレゼントは、色とりどりの包装紙で包み、各自に宛てた、小さなカードを添えるのも忘れません。

ところがJ嬢、こんな事を言い出します。
「次男の誕生日がクリスマスに重なるし、小さな子供を三人も連れて行くのは大変なので、クリスマスは我が家でやることにしました。良かったら、お義母さんたち、25日の夜にでも、うちに来ませんか?」

一年に一度ぐらい、孫達を連れて泊まりに来ても良いのではないかしら、とは思うものの、J嬢はもう決めています。義母としては、駄目という訳にも行きません。
かといって、J嬢「休暇を家で過ごしませんか?」とは言いません。
あくまで、25日の夕食を一緒に、というだけです。
しかも、彼女のレパートリーは、3品のみ。

どうしたものかと考えていると、今度はMが、こんな事を言います。
「私たち、休暇はスペインに行きますので、今年のクリスマスは、一緒に祝えません」
確か去年のクリスマスは、トルコに行っていたし、その前はインド、その前は・・・・・・。
Mは、クリスマスを、完全になめています。
いくらクリスチャンではないからといって、クリスマスは、スイスの伝統行事でもあるのです。それを、毎回ボイコットするなんて。
それでも、年に数回しかない休暇に旅行をしたい、と言われれば、やはり駄目とは言えません。
何せ、次男B氏とMは、旅行中に知り合ったぐらいですから、旅行は二人の趣味。
息子の趣味を邪魔するような義母ではありません。

・・・・・・一人前になった息子たちが、揃って母を訪ねてくる・・・・・・暖炉の側の、きらきら光るツリーの前での、家族団欒・・・・・・腕によりをかけて作った晩餐を、美味しそうに食べる皆の顔・・・・・・プレゼントに喜ぶ孫たち・・・・・・

義母の記憶の中で、そんな光景にとって代わるのは、
・・・・・・「今年のクリスマスは、伝統的な肉ではなく、魚料理が良い」と無理を言うJ嬢・・・・・・その魚を見て、「死んで何日も経った魚なんか、美味しくない」と言うM・・・・・・どの家で祝うかの争いに嫌気が差して、「今年はやらない」と言い出すM・・・・・・その言葉に、泣きながらトイレに駆け込むJ嬢・・・・・・あまりに多過ぎるプレゼントに、全く関心を示さない孫たち・・・・・・

最後にイースターを、家族一緒に祝ったのは、いつだったでしょうか?
家族の中では、誰の誕生日も、もう何年も祝っていません。
母の日は、数年に一度、偶然思い出した誰かが、電話をかけてくるぐらい。

・・・・・・ああ、国際結婚というのは、何と難儀なものでしょう。

2004年5月17日 (月)  ウーマン・リブとトイレの使い方

大変申し訳ありませんが、今日はばっちいお話です。

結婚していなくても、男性と暮らしたことのある女性なら、一度は経験していることだと思います。
父親、兄弟、息子、彼氏・・・・・・彼らがトイレを使った後、便器の縁、または外にまで飛び散っているおしっこ、気になったことはありませんか?

同棲したてや新婚当初は、それほど気にならなかった彼らのおしっこも、月日が経つにつれ、段々と厄介なものになって行きます。
愛するパートナーのものでさえそうなのですから、父親や兄弟、ましてや他人のものなど、やはり汚いだけ。
何で私が掃除をしなくちゃならないんだ・・・・・・終わった後に、自分でちょっと拭いてくれれば良いのに・・・・・・そもそも男というのは、何で便器の外にするんだ・・・・・・
などと思うのが、正直な女心ではないでしょうか。

さて、それはここスイスでも、やはり同じようです。いえ、実際は、もっと強烈かも知れません。

いつも書いていることですが、スイスは男女平等の国。何事にも、女性がかなり幅を利かせています。
そして、このトイレでも、やはり彼女たちは強かった。

「何で私が・・・・・・」何ていうのは、今のところ聞いたことがありませんし、
「汚したら自分で掃除して」などというのは、普段から女性の恐さを知っているスイス人男性、言われなくてもしています。

彼女たちは、もっと簡単な手段を使います。
『我が家のトイレ、立ちション禁止』
面倒なやり取りなどせず、これで全ては解決です。

初めて家を訪ねて来た客に、堂々と「トイレを使う時は、座ってやって下さい」と、言います。
言われた方も、特に驚くでもなく、「はい、分かりました」。
中には、自主的にそうしている殿方もおられます。

今、「あら、それ良いわ」などと思った方、いませんか?
もう一度だけ、ようく考えてみてください。
というのも、男性方、それを喜んで受け入れている訳ではないのです。
どちらかというと、ギャーギャー煩くされるより、っていう風です。

我が家では、もちろん『立ちション禁止』などという、狭い了見はありません。
理由は簡単。
もし私が男なら、この特権、絶対に放棄しませんから。

我が夫B氏が、立ったままシャーとする時、実に良い表情をしております。
あれを見る度に私は、一度やってみたいものだ、と思うのです。

ある日の事です、B氏が嬉しそうに帰って来て、言いました。
「今日、偶然ボスと、立ちションの話になったんだ。ボスが『お前のかみさんは、座ってやれと言うか?』って聞くから、『うちのは、自分が男だったら、絶対に座らない、って言ってる』って言ったんだ。するとボス、『お前は、良い女房を貰った。絶対逃がすなよ』だって」

・・・・・・私、良い嫁です。

2004年5月18日 (火)  春が来た。

ここアルプスもやっと春らしくなって来まして、ここ数日、やりかけだった畑仕事に追われています。

私が野良仕事をしていますと、まあ恒例のことですが、近所の子供たちが集まって来ます。
「みんつ、何しているの?」
  見れば分かるだろう、と思いつつも、この毎回の質問に「土を起こして、石をふるいにかけているのよ」と答える私。
「ここには、何を植えるの?」これもお決まりの質問。
「何が良い?」と聞くと、子供たちはいつものように声をそろえ、「いちごぉー」 そんなやり取りをひとしきり済ませると、「ねえ、手伝ってあげる」が来ます。

これ、あんまり嬉しくないのです。
というのも、彼らはまだ10歳にも満たない子供たち。こまっしゃくれたことは言いますが、手伝うというより、邪魔をしているだけ。
しかしこの申し出、断わるのはほぼ不可能ですので、今まで私としては、諦めつつ好きにさせていました。

ところが今回は、ちょっと違ったのです。
今まで参加していなかった男の子が一人加わりまして、まだ幼稚園生の彼、猛然と土を掘り出したのです。
「おお、良いぞ。君は力持ちだね」
私がそう言いますと、今まで邪魔をしていた他の子たち、誉めてもらいたさに頑張り始めました。
そして、予定外の速さで、畑は出来上がり。
側でトマトを植えていた我が夫B氏も、ご機嫌。

「日も暮れてきたし、今日はこれでお終いにしようか」私が言いますと、「えー、もっとやるぅー」と、子供たち。
「でもね、お腹空いたし、そろそろ夕飯にしないと」
終りにするために、何気なく言ったのですが、その一言、失敗でした。
「じゃあ、夕飯作り、手伝ってあげる!」

・・・・・・急遽、予定外のスパゲッティーとサラダを作る私。
家にある人参を、1本残らず皮むきしてくれる子供たち・・・・・・

次の日、やはり子供たちはやって来ました。
「手伝ってあげるぅー」
「はいはい、昨日耕した所の石を、このバケツに入れて」

「今日の夕飯は何時?」
そら来た。今日は、その手には引っ掛からないぞ。
「何時かなぁ。B氏が帰って来たら、かな」
「B氏、何時に帰るの?」
「さあ、何時だろうねぇ」
のらりくらり作戦に出た私に、子供たち、いきなりストレート・パンチ。

「私たち、今日から毎晩、みんつの夕飯作り、手伝ってあげる! でね、私たちもその後一緒に、みんつと夕飯食べる事にする」
おいおい、うちの食費も考えてくれ。毎晩、家にある人参を全部むかれたんじゃぁ、たまらないよ。
「そうだねえ、それはまず、君たちのママと話をしないとねぇ」
「ママが良いって言ったら、良いのね!」
そう言うなり、私の答えも待たずに、家に走る子供たち。

・・・・・・ああ、この試練、冬が来るまで続きます。

2004年5月19日 (水)  大自然の中

前回のトイレの話、なかなか好評なようでしたので、第2段。

街を歩いていると気付くことですが、スイスには、公衆のトイレというものが殆どありません。
日本ですと、大抵のお店にはトイレがありますし、コンビニなんかでもちょこっと借りれますよね。
私の記憶では、日本で、外でトイレに行きたくなって困った、などという事はありませんでした。

しかし、ここスイス、よく困ってしまうのです。
小さなお店には、全くと言って良いほど、客用トイレはありませんし、従業員用のトイレを客に使わせる習慣もありません。
あるとすれば、よほど大きなデパート内か、運がよければ街のどこか隅っこに、薄暗い公衆トイレがあるだけです。
しかもこれ、有料の事もあります。

では、どうするのか?
レストランでコーヒーなどを飲んで、そこのトイレを使うか、大きなデパートまで我慢するのでしょうか?
でもね、大きなデパートにしても、薄暗い公衆トイレにしても、どの街にもあるって訳ではないのですよね。
そういうものがあるのは、ある程度の都会のみです。

そういう環境で、スイス人が出来るだけ水分を取らないようにしているか、と言えば全く逆で、彼ら、よく飲みます。
1日に2.3Lは飲むようにしている、なんていう人、よく聞きます。

実はスイス人、外でもよおすと、意外と簡単に森の中に入って行き、しゃーっとやって来るのです。
自然はここ、一杯ありますからね。
女性でも平気で、「ちょっと行ってくるわ」とどこかに消え、さっぱりした顔で戻って来ます。
特に親しいもの同士でなくても、平気でそうやっています。

トイレに行きたくなったから、散歩を切り上げて家に帰る、などという考えは最初からないようで、今日初めて会った人と一緒でも、あっけらかんと、して来ます。

大自然の中で生きているスイス人、人間の生理的な行為には、どうやら寛大なようです。

2004年5月19日 (水)  お知らせ

明日20日(木)は、キリスト教徒の祝日で、スイスは休日。
我が家では、金曜日もお休みを取りまして、週末にかけて4日間、オーストリアの知人を訪ねてきます。
天気が良ければ湖でキャンピング、そうでなければ家でバーベキューだそうです。

こういう時、スイスは本当に便利です。
どの方向に行っても、3時間程度で外国旅行が出来ますから。

ということで、来週まで日記はお休みです。

なんか、私ばっかり遊んでいるようで、ホント心苦しいのですが……、ひひひ、楽しんできま〜す。
ザッハ・トルテなんて、食べたりしちゃおっかなぁ〜。

2004年5月24日 (月)  大和撫子はパーフェクト?

背が低いせいでしょうか、それとも、顔の造作が素朴だからでしょうか、ここスイスでも日本人は、一般的に実年齢より若く見られます。

私個人の体験では、欧米の成年者から、彼ら自身より年上だと思われたことは、一度もありません。
近所の10歳の女の子に、「あなた、8歳?」と言われた時は、さすがに絶句しましたが、10代の子供たちから同年代に思われることも、珍しくありません。
時には、明らかに中学生以上ではないと思われる男の子たちから、幼い流し目を送られる事もありまして、「きっと私、貴方のママと同じ年よ」と心では思いつつ、彼らの夢を壊さないように、微笑み返したりもしています。
あ、ちなみに私、身長は160cmありますし、日本人としては、決して童顔でもありません。

さて、そんな風ですから、時々スイス人女性から、容姿に関する不思議な質問を受けることがあります。
彼女らにしてみれば、ごく純粋な疑問なのでしょうが、私にとっては「それは、日本人だから」、としか答えようのない質問なのです。

例えば、どんなものかというと、
「皺がないのは何故? 魚に含まれる、xxx(なにやら難しい名前)が良いのかしら? xxxは薬局に売っているけど、今から飲んでも遅いかしら?」
私、魚は大好きですけど、そのxxxが良いのかまではちょっと……。

他には、「どうしたら、そういう小さいお尻になるかしら?」
……180cmも越しているようなドイツ系女性が、日本人のようなお尻になるのは、単に不可能かと。

夏になり、日焼けをすると「私の肌、貴方のような小麦色にはならないのよ。しかも、焼けてもすぐ落ちちゃうし」
まあ私、元々色付きの黄色人種ですし、体内の色素まではどうにも出来ません。

道を歩いていた時や、スーパーで買い物をしていた時に、「どのシャンプーを使ったら、貴方のような髪になるの?」と、聞かれたこともあります。
彼女たちも黒髪でしたが、やはりそこはヨーロッパ人。腰のない、ウェーブのかかった髪です。
私、その辺のスーパーの、特売品を使っています。
しいて言うなら、ロング・ヘアーですので、リンスかトリートメントは欠かせない、というぐらいですが、これも普通のもので、特にお金をかけている訳でもありません。

そういえば、「日本人男性に禿が少ないのは、何故?」なんて質問もありました。
確かに、スイス人の髪質は細く柔らかいので、薄くなる人が多いのでしょうが、やはりこの質問も専門家ではありませんので、「髪質の違いでは」ぐらいしか言えませんよね。

そういうことが、好奇心でいる間は良いのですが、中には、「華奢で可愛いアジア女性が、男性には好まれる」と信じている女性もいまして、そうなると、実に厄介なのです。
そういう彼女たちの拠り所は、「自分たちの方が、頭が良い」という事なのですが、これ、何の根拠もない思い込みです。
私たちが幼く見えるので、そう思い込んでいるようです。

日本人の教育レベルって、高いんですよね。
言葉が通じないうちは良いのですが、その障害が減るに連れ、彼女たち、焦り始めます。
この小さい日本人が、自分より頭が良いと認めたくないのです。だって、それでは彼女たち、「良いとこなしの女」になりますものね。

海外に興味があり、世界的に可愛い日本女性の皆さん、『欧米女性を刺激しないxx語会話』なんていうのも、ぜひ身につけてくださいね。
いつかきっと、それが必要になる時が来ますから。

2004年5月25日 (火)  またやってしまいました。

ゴトッ、という階下からの音で、目がさめた今朝の私。
???何だ、今の音は? 夢か?
半分眠った頭で考えていると、ドスドスドス、と誰かが階段を上がって来ます。
靴音からすると、底の厚い作業靴でしょうか。音も大きいので、男性のようです。
つまり、郵便配達をしている隣の女性ではないし、近所の子供でもなし、です。

???誰だ?
我が夫B氏が、お昼に戻って来たのでしょうか? えっ、ということは、もう12時?
本気で焦る私。
いや、B氏はごつい体格に似合わず、静かに歩きます。よく、彼が帰って来たのに気付かず、飛び上がるぐらいですから。

すると、その靴音の主、「よう!」とか何とか、よく分からない声を発し、台所に入りました。

あ! しまった!!
今日は、半年に一度の、煙突掃除人が来る日だったのです。
この時点でもまだベッドに寝ている私、一瞬、「このまま気付かぬふりをして、もう一度眠ってしまおうか?」などと考えます。
実は私、前回の掃除の時は、全く気付きませんでして、掃除人の「終りましたぁ」の声で起きたのです。

前回も今回も、アポイントは取れているのです。
前回は確か、恒例の時間で、6時だか6時半。すっかり寝過ごした私に気を使ってくれたのか、今回は8時です。

ああ、またやってしまいました。
半年に一度しかない約束の時間、守れない私って……
それとも、半年に一度しかないからこそ、寝過ごしてしまうものなのでしょうか。

もそもそと着替え、明らかに寝起きの頭で台所に行くと、既に仕事を始めている掃除人「おはよう!」と、爽やかに挨拶をしてくれました。
「あ、おはようございます」
ぼんやりした頭で、とりあえず何かしている所を見せなくては、と思い、掛け布団を乾しました。

余談ですが、この掛け布団、昨日も乾したのです。しかし、取り込むのをすっかり忘れてしまいまして、夜、寝ようと寝室に行き、掛け布団がないことに気付いたしだいでして……お恥ずかしい。

さて、煙突掃除に台所は占領されているので、居間に行き、何気なくPCの前に座りました。
そして、まあ、習慣でやはり何気なく、皆さんのHPなどを覗きました。

「すいません、支払いは請求書を送りますか? それとも、現金で?」
仕事を終えた掃除人が聞きます。
「あ、請求書を送ってください」
「分かりました。では、よい一日を」
爽やかに出て行く掃除人を見て、この時気付きました。

煙突掃除人、かなり若い青年です。
20代前半でしょうか。黒いユニフォームに身を包み、鼻の頭やおでこに煤をつけ、金髪のポニーテールを垂らした、なかなかの好青年です。
かたや私、彼に起こされ、ぼさぼさの頭のままPCの前に座り、何やらにやにや笑っている、おばさん。
……人間失格……

あ、でもひょっとすると、次回の掃除は、もう2時間遅くなるかも!
……え? またどこか、ずれてます?

2004年5月27日 (木)  大人の木登り

Tシャツ、ジーパン、スニーカー・・・・・・これ、我が夫B氏の、昔のトレードマークでした。
しかし最近のB氏、あまりこの格好はしなくなり、普段着でもお洒落な感じが加わり、必要とあらばスーツも着、靴などは、TPOに合わせた革靴が揃いだしました。

これ、ひとえに私のおかげなのです。
あ、違いますよ。今、「あら良い奥さんね」と思われた方、いますでしょう。

どういう事かと言いますとね、
まず、B氏の母、つまり我が義母は、きちんとしたレディーでして、二人の息子を行儀よく育てようと、ずっと心を配ってきたのです。
ところが、どこもそうでしょうが、母親の管理が強すぎると、息子というものは反抗したくなるのでしょうね。
大きくなったB氏、義母の頭痛の種になりました。
髪や髭をだらしなく伸ばしてみたり、親戚のパーティーに、おかしな格好で現れたり、自分の結婚披露宴を、お金は出してやると言ったにもかかわらず、庭でバーベキューにしたりと、事前にどんなに注意しても、言う事を聞きません。

さて、そのB氏、何故変わったのでしょう?

私が初めて、家でB氏と夕飯を食べた晩のことです。
食器を洗っている私の元に来たB氏、深刻な顔で言いました。
「その食器、後で絶対ちゃんと拭いて仕舞うから、もうちょっと休んでいて良い?」
私には、何のことだか分かりません。
「食器、何で拭くの? このままここに置いておけば、自然に乾くじゃない。そうしたら、仕舞えば良いんじゃない?」
このときのB氏の顔、今でも忘れません。ぱーっと、花でも咲いたかのように明るくなり、
「そうだよね。ここに置いておけば、乾くよね。拭かなくても、良いよね!」
そう、義母は、『毎回洗った食器は、即拭いてしまうように』と躾ていたようです。

別の時には、こんなこともありました。
「みんつ、TVでxx(映画の名前)がやるよ。夕飯の時間とぶつかっちゃうけど、どうしよう」
この世の終り、といった顔です。
「??? TV見ながら食べれば良いじゃん」
「え、TV見ながら食事しても、良いの?」
しばらくの間、TVディナーは、B氏のもっとも幸せな時間になりました。

また別の時には、
「子供の頃から、ずっと憧れていたことがあるのだけど、一度やっても良い?」
「・・・・・・何?」
「お祖父ちゃんがね、机の上にじかに芥子を出して、そこに、手掴みでソーセージを付けて、食べていたんだ。お皿もフォークもなしなんだ。あれ、やってみたいんだけど・・・・・・」
「・・・・・・やれば」

ビールをビン飲みする、食事中に大きなげっぷをする、ベッドの中で寝転がったまま物を食べる、バターを好きなだけパンに塗る、etc・・・・・・
私と暮らしだした最初の数年間、B氏は、義母の元では許されなかった、あらゆるタブーを破りました。
側で見ていて、楽しそうでしたよ。

さて、私たちは今年で、一緒になって9年目です。
B氏、大人の木登りもすっかり満喫したようで、最近では、自分からお気に入りのビール・グラスを買ったり、フォーマル・ウェアーに気を使ったりし始めました。
・・・・・・案外、そんなもんです。

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