2004年6月1日 (火)  神様の忘れ物

スイスの国教は、キリスト教(プロテスタント)です。
カソリックでも、仏教でも、イスラム教でも、一応何でも認められていますが、キリスト教徒の場合は、宗派に関わらず、地元の教会に税を収めなくてはいけません。
そしてこれは、役所に何らかの届出を出した時点で、記入しなくてはいけない項目で、外国人でも同じです。

スイス人にとって、異教徒を受け入れるという事は、まあ問題はないようですが、無宗教という観念は、理解し難いようです。
以前私が役所で、無宗教だ、と言った時、役所のお姉さんは、
「無宗教って・・・・・・貴方、死んだら誰の所に行くの? イエス、仏陀、アラー?」
などと言い出しまして、
「誰の所にも行きません」
と言う私に、しぶしぶ、といった感じで、許可を下ろしました。

ちなみに、我が夫B氏ですが、彼も彼の家族もプロテスタントです。
・・・・・・というのは、仕事の都合上の建前でして、彼自身は「仏陀の方が好きだ」などと言っていますし、周りからも「B氏には、オレンジ色の袈裟が似合う」などと言われております。
彼の家族にしても、日曜日に教会に行く訳でもないですし、どちらかというと、家系の宗教がそうだから、そのままにしている、という風です。
周りの知人にも、特に神様を強く信じている、という人物はいません。

さて、そんな状態でありながら、彼らがキリスト教の教えから、無意識に強く影響されている観念、というか生活習慣がありまして、それが私には、いつも苦労の種なのです。

それは、【Schuld:罪,(負い目としての)責任,過ち】の観念です。

何かまずい事があると、彼らが真っ先に口にする言葉は、「誰がやった?」もしくは「それ、私のせいじゃないわよ」です。

これ、私、嫌いですが、彼らには重要な事なのです。
何故なら、罪は償われなくてはいけないから。
大袈裟に言えば、やった犯人を突き止めて、その過ちの償いをさせるのです。
ですから彼ら、謝るという事が出来ません。
謝ったら最後、その責任を取らなくてはいけないのですから。

このせいで、日常の些細なミスでも、事が大きくなります。
「私が家の鍵を忘れたのは、出掛けに貴方が話し掛けたからいよ。私のせいじゃないわ」とか
「君があの時ああ言ったから、僕はこうしたんじゃないか。これは、君の責任だ」 と言う風に、スイス人は常に、責任のなすり合いをします。
問題が解決する事よりも、誰が悪いのかを突き止める方が、重要なのです。

「私は、キリスト教徒じゃないから、罪はどこにもないの。誰がやったかなんて、興味ないわ。さあ、これからどうするかを考えましょう」
私がこう言うと、皆、本当にびっくりします。
誰も罪の責任を取らなくて良い・・・・・・この考えが、彼らにはひどく新鮮であり、そういう風に人間関係が成り立つ事が、驚きなのです。

「間違いは誰にでもあるから、謝ってくれればそれで良い」
「本当に、それだけで良いのか?」
「うん、ごめん、の一言で気が済む」
「・・・・・・ごめん」
「OK、じゃ、このことはもう終りね」
「本当にそれで終りか!? 他に、何もしなくて良いのか? もう、怒ってないのか?」
「そうよ、私、日本人だもの」
これ、随分前の、我が家の会話です。

2004年6月2日 (水)  天敵?

義母から電話がありました。
「今、xx村(近所の村)に居るのだけど、叔父と伯母と私たち夫婦の4人で、これから遊びに行っても良いかしら?」

ひぇ〜っ。
私、今朝起きた時に、その辺にあった服を適当に着ただけの格好ですし、部屋なんか散らかり放題です。
その上、ほら、我が家には猫が2匹も居ますから、例え、仮に、もし、いくらまめに掃除していたとしても、やはり家の中は、毛だらけです。

しかも、義母の狙いは分かっています。
私たちの住んでいる家、かなり古い建物でして、当のスイス人にとっても、珍しいのです。
つまり、民族博物館並みの家を、叔父伯母に見せたいのです。
と、いうことは、寝室からトイレから、全ての部屋をくまなくご紹介、ということなんです。

せめて、1時間ぐらい前に連絡をくれれば、何とか取り繕う事も出来ますが、xx村は、ここから車で5分ほどです。
ええ、車以外の交通手段はないですし、歩いて来られる距離ではないですので、義母たちは当然、車で来ているに決まっています。
5分で、この家の有り様を何とかする・・・・・・絶対に無理です。

「駄目です。そんな急に言われても、困ります」
そう言えてしまえたら、どんなにか楽でしょう。
が、私は所詮、か弱き嫁でして、そんなことは言える訳がありません。
ほんの一瞬の間に、私の頭はフル回転で、言い訳を探します。
そうだ! 我が夫B氏をだしにしよう!

「あぁ、残念。B氏、たった今、出て行ったところなんですよ。あ、そうだ、明日にでも、B氏と一緒に、そちらにお伺いしますよ。B氏だって、叔父さんと伯母さんに会いたいでしょうし」
義母の申し出に直接駄目とは言わず、別の申し出をすることによって、話題を変える。
しかも、今夜と言わないところが、我ながら、なかなかのものです。

「ああ、明日はね、登山に行くのよ」
「あら、それじゃあ、皆が帰って来る頃に合うように、夕飯の準備をしておきますよ」
「そうねぇ、明日はねぇ・・・・・・。今から、ちょっとだけ、お邪魔しちゃ駄目かしら?」
「うーん、そうですねぇ・・・・・・。B氏もね、きっと叔父さん伯母さんに、会いたがると思うんですよ。せっかくですから、ちょっとなんて言わないで、明日、皆で、ゆっくり会いましょうよ」
そんなやり取りがしばらく続き、義母はどうやら、周りになだめられて、この訪問を諦めたようです。

義母、自分は明日の予定も調節する気がないのに、何で私に即アポを要求するのでしょう。
いつも、この調子なのです。
自分は予定が一杯だけれど、私たちは義母のためなら、いつだって十分に時間がある、もしくは、どんな予定も変更する、そう思っているようです。

私と義母、別に仲が悪い訳ではありません。
まあ、どちらかといえば、上手く行っている方なのではないかと思います。
でも、所詮、義母は夫の母です。
世界中の誰に、このだらしない部屋を見られても良いですが、義母だけは別です。
どうしてそういうことが、分からないのでしょうか?
彼女は義母で、私は嫁、なんです。
利害関係があるのだから、仕方がないじゃないですか。

・・・・・・ねぇ、そう思いません?

2004年6月7日 (月)  オスの奇行?

男性にとって、女性の匂いというのは、何か特別な意味があるものなのでしょうか?

TVや映画なんかでも、年頃の男の子が女の子の部屋を訪れ、そっと匂いを嗅ぐ、なんてシーンがありますが、実は我が夫B氏、しょっちゅう私の側にやって来ては、くんくんと匂いを嗅ぐのです。
で、必ず「臭いぞ、臭い」と言います。

私、日頃から香水などは付けませんし、人里離れた山の上で、ひっそりと暮らしていますから、まあ、いつもシャワーを浴びたての石鹸の香り、という訳でもありません。
しかし、
「私、そんなに臭い?」
と聞くと、毎回返って来る答えは、
「ああ、女臭い」
???・・・・・・どうやら、ネガティブな意味合いではないようです。

暑い日や、一緒にスポーツをした時など、このくんくん攻撃、頻繁になります。
そしてやっぱり、
「ああ、女臭い」
これは一体、何なのでしょう?

週末、久し振りに天気が良かったので、友人カップルを誘って、サイクリング&河原でバーベキューをしました。
男性陣は素っ裸で川で泳ぎ、女性人は靴を脱いで足だけ水浴び。
その後、河原に座り込んで、美味しく焼けたソーセージを齧りながら、楽しくお喋りをしていると、B氏が聞きました。
「みんつ、その新しい靴、履き心地どう?」
つい先日、私は、マウンテン・バイク用に靴を買ったのです。
「うん、すごく軽いし、良い感じ」
「ちょっと、見せて」
スポーツ・シューズ好きのB氏、私の靴を手に取ると、入念にチェックし始めました。
「うん、ほんとに軽いな、これは。素材が網状になっているのも、通風に良いし、マウンテンバイクには、快適かもな」
そう言うとB氏、おもむろに靴の中を覗き、くんくんと匂いを嗅ぎました。

えっ!?
・・・・・・あのぉ、いくらなんでも、それは行き過ぎです、B氏。

2004年6月8日 (火)  帰れない理由

ご存知の方もたくさん居ると思いますが、スイスは永世中立国です。
ですから、紛争地帯からの難民受け入れなども、割と積極的にしている国だと思います。

これは、私がまだベルン(首都です)に住んでいた時の話です。
当時私は、外国人用のドイツ語中級クラスに通っていました。
クラスは確か、全員で11人。一組の夫婦を除けば、皆、違う国の出身です。

その夫婦、クルディスタンからの難民でした。(クルディスタンとトルコは、紛争中です。)
旦那さんの方は、かなり強いどもりがあり、学習能力も私たちのクラスに付いて来られるかどうか、怪しい感じでした。

一回目のコースが終了し、二回目のコースの申し込みの際、ちょっとした問題が持ち上がりました。
クラスの何人かが、そのクルド人男性とは別のクラスにして欲しい、と言い出したのです。
彼らの見解では、クルド人男性が、クラスの足を引っ張っていて、クラスの進みが遅くなっている。
確かに、私の目から見ても、「違う」とは言い切れない状況がありました。
「同じお金を払っているのに、自分たちがベストな状態で学べないのは、おかしい」
そういう彼らの意見にも、一理あるのは確かです。

実は私、何故か彼になつかれていまして、クラスではいつも隣に座っていたのです。
そして、そのせいで、彼の奥さんとも話をする機会が、他の人よりはたくさんあったと思います。

二人の話を聞いていると、どうも彼ら、クルディスタンではエリート階級に属する出身のようで、親戚家族は皆、医者か教師です。
そして、旦那さんの家族は、父親と兄3人が、彼の目の前で、トルコ人に銃殺されたそうです。
彼、取るものも取らずに、スイスに逃げてきたのです。
奥さんの話では、「彼は世界中どこにでも行く事が出来るけれど、自分の母国にだけは、もう行かれない。国に帰った時点で、多分、父親や兄のように殺される」とのこと。

私、親戚中でお金を集めて、家族一の出世頭だけを、何とかスイスに逃がした、というタミル人の知人もいます。
彼も、国の土を踏んだ時点で、拘束されます。
紛争で家族を失い、爆撃によって住んでいた家もなくなった、というクロアチア人も何人か知っています。
アフリカの紛争地帯からの難民とも、何人か知り合う機会がありました。

そのクルド人男性が、どもるようになったのも、記憶に少しばかり障害が出るようになったのも、家族が銃殺されたショックからだったのです。

彼と別のクラスにして欲しい、そう言ったメンバーは皆、いわゆる先進国の人たちでした。
彼らは、私たち日本人のように、日々の生活が安定し、有り余る物質の中で育った国民です。
私にしても、もし偶然、クルド人男性の事情を知っていなかったなら、彼らのように他のクラスを望んだかも知れません。

私、改めて、無知であるということは、時によっては、これほどまでに無神経になり得るのだと知り、自分たちの幸運の上に成り立った無神経さを、恥ずかしく思いました。

このことを思い出すたびに、「私はまだ、日本には帰れないな」と思います。
ここには、私の知らないことが、多すぎますから。

その後、コースの最終日に、私たちは全員でさよならパーティーをしました。
女性の多かったクラスの男性陣が引き揚げたあと、クルド人女性がおもむろに、髪を隠している例の頭巾を外しました。
つやのある長い黒髪を垂らした彼女に、私、聞いてみました。
「一枚、写真とっても良い?」

彼女の写真、今でも私のアルバにム貼ってあります。

2004年6月9日 (水)  何処に行くのですか?

昔、スイスのある町に、一人の日本人の男の子がいました。

彼は、健康な身体と、それに見合う知能を持っていました。
彼には、ごく普通の両親と、姉、双子の兄がいました。
姉と兄は、既に所帯を持ち、それぞれに独立していましたので、彼のお母さんは末息子の彼を、ほんの少しだけ心配し、そして多分、やはりほんの少しだけ甘やかしました。

しかし、彼はいつも、自分は不幸だと思っていました。
何故なら、彼の髪は黒く、金髪ではなかったし、瞳もブルーではなかったからです。
その上、彼は身長が、175cmしかありませんでした。
「こんなことでは、女の子にもてる筈がない。」
彼はそう思っていましたし、実際、彼を好きになってくれる女の子も、なかなか現われませんでした。
何とか知り合いになれた、綺麗な女の子たちも、どういう訳か、彼の元を去って行きます。

「僕は何故、ブラッド・ピットに生まれてこなかったのだろう? あんな男に生まれてさえいれば、全ては上手く行った筈なのに」
彼はそう思っては、自分を醜く産んだ母親を恨んでいました。

ある日、一人の女の子が、彼を好きになりました。
彼女は、ありのままの彼を受け入れ、そういう彼に好意を持ってくれました。
しかし、彼は、彼女の申し出を断わりました。
何故なら、彼女は日本人で、背も高くなければ、金髪でもないし、すらりと伸びた長い足も持っていなかったからです。

彼の恋人になる女性は、何としても、世界一の美人でなければならなかったのです。
世界一の美人さえ手に入れば、彼自身の価値はぐんと上がり、ひょっとすると、誰よりも素晴らしい男になれる。
誰がなんと言おうと、彼はそう信じ、来る日も来る日も美人を探し続けました。

「彼女、顔は綺麗だけど、髪の色が今一つダークだしな」「あの子は、胸が少し小さいよ」「僕は、背の低い女の子はダメなんだ」「あんなブス、連れて歩く男の気が知れないよ」「何であんな貧弱な男が、あんな美人と付き合えるんだ?」

彼はどんどん孤立して行き、周りにいる仲間は、妖しげな連中ばかりになりました。
「他のやつらは、何も分かっちゃいないのさ。皆、ばかだからな。今にものすごい美人をつかまえて、皆を見返してやる」

・・・・・・数年前、彼から突然電話がありました。
「スイスはダメだ、皆、農民だからな。僕は、ドイツに行って、一旗あげる事にした」
似たような台詞を、彼は、日本にもアメリカにも言っていました。

2004年6月10日 (木)  てんてこ舞いです。

以前私は、スイスのフレンチ・レストランでウェイトレスをしていた事があります。
そのレストランは、4つ星ホテル内にありましたので、まさに世界各国からお客さんがやって来ましたし、働いているスタッフも、実に国際色豊かでした。
ざっと上げれば、ウェイター・ウェイトレスだけでも、ドイツ・オーストリア・マセド二ア・クロアチア・韓国・中国からの出身者がいて、レセプションやキッチン、ルーム係を入れると、もっと色々な国の人がいました。

そして、いくらか厄介だったのは、各自母国語の他に、西ヨーロッパ系は、ドイツ語とほんの少々の英語、東ヨーロッパ系は、かなりぶっきらぼうなドイツ語とフランス語、アジア系は英語のみ、という言語環境でした。
そうです、言葉での意思疎通が、容易には成り立たない環境にあるわけです。

で、どうしていたか?
不思議な事に、どうにか成ってしまうものなのです。
もちろん、仕事中のテーマは、「この料理を何番テーブルへ」とか、「あそこのお客さん、お会計」だけですから。
ただ、時々、ややこしい注文などを出すお客さんが来ると、ハプニング発生です。

さて、そんな時、皆はどうしていたか?
ここに、日本人の親切な女性が働いています。彼女、英語とドイツ語を話します。
「みんつぅ〜、ちょっとxxに、これ説明してぇ」となります。
私が、それをどう処理していたかと言いますと、こんな具合です。

例えばある時、スタッフ二人が、何やらもめています。
「ちょっと、みんつ、こっち来て」
「何、どうしたの?」
二人とも、言葉が通じず、眉間に皺を寄せて睨み合っています。
片方のドイツ語をもう片方に英語で、その英語をまたドイツ語に直して・・・・・・。
何とかトラブルを処理するために、もちろん途中で、私の意訳が混ざります。
その内、私の方がこんがらがって来て、ドイツ語しか話さない人に英語で、英語しか話さない人にドイツ語で事情を説明。
二人とも、目が点です。
「まあ、みんつ、落ち着いて」
やり方はどうあれ、険悪な雰囲気はなくなりました。

そして、私、ちょこちょこしていたせいか、お客さんからも色々頼まれました。
それは、どう処理していたかというと、

例えば、ある時イタリア人が、ものすごい勢いで言いました。
「xxxxxxx」
私、イタリア語は「シー(はい)」と「プロント(もしもし)」ぐらいしか分かりません。
「ちょっと待ってください」
何とかそこを離れると、大急ぎでキッチンに行き、イタリア語を話す料理長に、今言われたことをそのまま伝えます。
「シェフ! 今、『xxxxxxx』と言われました。何を言ったのでしょう?」
「スパゲッティーにかける、粉チーズが欲しいんだ!」
「はい、分かりました!」
私、粉チーズを手に戻ります。お客さんは大満足で、また別の人がイタリア語で
「xxxxxxx」
まさに、伝言ゲームです。

そうこうしている内に数ヶ月が過ぎ、ややこしいお客さんは、いつの間にか全て私の担当になり、世界各国の同僚からは、『日本人は良く働く』という、お褒めの言葉を頂きました。

・・・・・・あれで良かったのでしょうかねぇ?

2004年6月11日 (金)  お国柄

前回に続き、レストランでの話をもう一つ。

世界各国からのお客さんの相手をしていると、何とはなしにですが、国による傾向というものが、いくらかあることが分かって来ます。
それが、私には、とても興味深かったので、今日はそんなお話を、少ししようと思います。

ある時、30人ぐらいの団体客が来ました。
どうやら中国系のようですが、何人でしょうか? 同僚の中国人ウェイターは、中国語(マンダリン?)で話をしているようです。
食事が終わり、後片付けをしている彼に、聞いてみました。
「今の人たち、中国人よね?」
彼、にっこり笑って言いました。
「いや、シンガポール人だよ。みんつ、テーブルの灰皿を見てごらん。どの灰皿も、全く使っていないだろう。あれは、シンガポールだ」
シンガポールでは、公共の場での喫煙習慣は、ないようです。

別の時には、ある国からの団体予約が入っていました。
私、偶然知っていたので、同僚たちに言いました。
「今日は、メニューにスパゲッティーが出るけど、ナイフも付けて」
皆、おかしな顔をします。私だって、おかしいと思いますよ。だって、スプーンならともかく、スパゲッティーをフォークとナイフで食べるなんて。
どこの国の人だと思います? ・・・・・・アメリカ人です。
彼ら曰く、細かく切った方が食べやすいし、ソースも良くからまる。

ちなみにスパゲッティー、イタリア人はフォークとスプーンに、粉チーズたくさん。
ドイツ語系のスイス人は、ほぼフォークのみ。チーズは、あれば使うし、なければ別にそれで構いません。
同僚の中国人は、我が家でスパゲッティー・トマトソースを出したら、「お箸、ある?」と言ってました。私の父と同じです。

ロシア人のお客さんも、良く見えました。
彼ら、大使館員だったようで、いわゆるお金持ちの部類に入るのかと思います。
で、彼らの特徴は、お昼でも一人1本の割合で白ワインを開けるが、それぐらいでは酔っ払わない。
そして、高い料理を食べきれないほど机の上に並べ、見事に残して帰る。

これは、インド人もそうです。
お金持ちは、ご馳走を未練もなく残して帰る、というのが良いのだそうです。
それと、インド人はとかく、“エキストラ”が好きです。
ボールペン1本だろうが、目玉焼きの黄身なしだろうが、何でも良いのです。
とにかく、何か特別な事を要求します。

スイス人は、お行儀が良く、ウェイトレスにとっては、簡単なお客さんです。
あまり無理は言わず、食べたらさっさとお金を払って出て行く。
料理が多少口に合わなくても、時には、注文と違うものが出てきても、黙って食べます。
普段、あまり良いサービスを受けていないせいでしょうか。少し気の利いた支給をすると、驚くほどのチップを出してくれます。

まだまだ色々ありましたが、
・・・・・・さて、日本人はどうでしょう(笑)?

2004年6月13日 (日)  嫁いびり?

日本では見たことがなかった野菜で、スイスでは良く食べるものの一つに、ランデというのがあります。
赤カブの一種でしょうか? 拳ぐらいの大きさがあり、濃い赤紫色の野菜です。
このランデ、そのままサラダにしても良いですし、茹でたり蒸したりして食べても美味しいです。

これ、私の一番好きなサラダなのですが、とにかく色がすごく、切る度に手もまな板も真っ赤になります。
たくさんこれを食べた翌日には、・・・・・・ふふ、その結果も真っ赤です。
しかも、そんなに手間のかからない野菜らしく、去年の夏は食べきれないほど庭に生えまして、毎日毎日、病気にでもなったかと思うほど、トイレの中まで赤くする日々が続きました。

さて、我が義父母も庭の畑仕事を趣味の一つとしていまして、まあ、ランデを植えている訳ですが・・・・・・
義母、これが私の好物と知ってか、私たちが行くと必ず、食卓にランデ・サラダ、お土産にもランデをくれます。
気持ちは嬉しいのですが、私の庭には、本当に食べきれないほどのランデが、生えているのです。
しかも、義母のくれるものよりずっと立派なやつが。

私、それとなく、何度も会話に出してみました。
「うちのランデ、ものすごく豊作で、お義母さんのランデより、3倍ぐらい大きいです」とか、
「ランデの酢漬けって、どうやって作るのか知っていますか? うちね、もう食べきれないぐらい育っているんですよ」とか、
「庭のランデがあんまりにもたくさんなので、今、友達にも食べてもらっているんですよ」なんていう風に。
しかし、去年の夏は、ゴミ袋いっぱいの在庫ランデをかかえつつ、同じぐらいたくさんのランデを、義母からもらいました。

さて、今年も私は当然、庭のランデには十分の場所を与え、今から育つのを楽しみにしています。
義母にも、そのことは何度か話しました。

先日、たまたま借りていた地図を返しに、義父母宅を訪ねました。
共通の趣味である、庭仕事の話で盛り上がっていると、義母が言いました。
「そうそう、忘れないうちに言って置くわね。みんつの好きなランデ、苗が育っているから、帰りに持って行くと良いわ」
そして、庭の隅には、私にくれるためのランデの苗が、たくさん置いてあります。

・・・・・・だから、ランデはうちにもあるって!

2004年6月15日 (火)  深夜の対戦相手

うすうすお察しの方もいるかと思いますが、私、大の猫好きです。

子供の頃から、実家では何匹も猫を飼いましたし、一人暮らしをしていた時も、こっそり野良猫を部屋に入れていました。
そして、今も二匹飼っています。正確に言うなら、今飼っている二匹は、友人の猫ですので、預かっている、ですが。
時には、ヘミングウェーのように、小島を買って猫たちに囲まれて暮らす、なんてことも夢見る程です。

さて、我が家の二匹ですが、実は行動様式が全く異なりまして、あちらを立てればこちらが立たず、という具合で、私としてはいくらか困っているのです。
その中でも一番参っているのが、夜です。

白猫I氏は、恋の季節ですので、殆ど家にいませんが、帰って来た時には、私たちのベッドに入れる訳には行かない有り様です。
ですから私たち、寝室のドアは閉めて寝ます。
それに比べ、黒猫のL氏は、一日中半径2m以内で私をストーキングしていますので、夜も当然、一緒に寝たがります。

しかし、L氏、ずっと家にいますので、夜は眠くないのです。
L氏を寝室に入れて、I氏が入れないようにとドアを閉めると、私は夜中に何度も起きて、L氏のためにドアを開けてやらなければなりません。
ですから、L氏も夜は、一人で寝てもらっています。

これ、当然L氏は気に入りません。
あの手この手を使って、私たちの寝室に入り込もうとします。
で、最近あみ出した技が、なんとも厄介なのです。

私、夜中に何度かトイレに起きるたちでして、毎晩寝ぼけ眼で薄暗い廊下を往復します。
この時を狙って、L氏はこっそりと寝室に入るのです。
で、私が戻り、ベッドに入るまで、物陰に隠れています。
L氏、黒猫ですから、そっと忍び込まれると、半分寝ている私の目には、映らないのです。
そして、私が再び寝入り出すのを見計らって、ベッドに上がって来ます。

しかし、しばらく経つと気が変わるのか、ドアの前で鳴き始めます。
ここからは、毎晩、根気の勝負です。
一度ドアを開けてしまったが最後、その晩は、ドア・マンをやり通さなくてはならなくなります。
「ミャー、ミャー、ミャー・・・・・・」
「L氏、うるさい! 勝手に入って来たのだから、朝までいなさい」
「ミャー、ミャー、ミャー・・・・・・」
「止めてぇ! 自業自得でしょう」
「ミャー、ミャー、ミャー・・・・・・」
ああ、何時間でもこれが続きます。

昨夜もこの勝負、行われました。
「ミャー、ミャー、ミャー・・・・・・」
「止めろ、バカ」
「ミャー、ミャー、ミャー・・・・・・」
「鳴くな! 眠いんだ、私は」
「ミャー、ミャー、ミャー・・・・・・」
どのぐらいこれが続いたでしょうか、かなり長い勝負をしていると、突然、ガチャ、という音とともにドアが開きました。

そうです! L氏、ドアを自分で開けられるのです!!
毎晩、私のしていたことは、何だったのでしょう。

・・・・・・L氏、絶対許さないからな!

2004年6月16日 (水)  記憶にございません。

皆さんは、他人の名前や顔を憶えるの、得意なほうでしょうか?

私、決して苦手な方ではないと思うのですが、それでも、ここスイスでパーティーなどに呼ばれ、いわゆる横文字の名前を同時に幾つも聞いた場合、やはりお手上げです。
特に好みのタイプだったり、何かを連想させるなど、特別な印象のある人でもない限り、憶えられません。
というか、パーティーが盛り上がり、皆が席を移り始めた時点で、完全にアウトです。
せっかく、端から順番に憶えていたのに・・・・・・

そんな時、皆さんならどうします?
あ、今、「旦那様がいるじゃない」なんて思った方、いませんか?
駄目です。我が夫B氏、全く役に立ちません。
何度も会っている筈の、自分の知人の名前を、私に聞くぐらいですから。

簡単な話ですが、何とか名前を呼ばないようにして、会話を続けます。
実は私、義父母のことを最初から「パピィ、マミィ」と呼んでいるのですが、ここだけの話、当時言葉の不自由だった私、彼らの名前を発音出来なかったのです。
で、苦し紛れに、B氏の真似をして「パピィ、マミィ」です。

では、逆はどうか?
私の名前、日本ではごく普通の名前ですが、ドイツ語系の方には非常に聞きなれない名前らしく、1回聞いただけで憶えられた人は、今までにたった一人です(英語系の方は、何の問題もなく覚えます)。
ちなみにその人の職業、神父さんです。

一度など、こんな事がありました。
友人宅でピザ・パーティが開かれ、10人ぐらい、初対面の人たちが集まりました。
そして、たまたま隣に座った、スイス人の女性と、話が弾みました。
彼女、知人に日本人がいるのでしょうか、『なおみ』さんの話しをしているのですが、どうも何かが変なのです。
それとなく、探りを入れてみたところ、『なおみ』というのは、どうやら私のことのようです。
『なおみ』さんの話で、すっかり盛り上がってしまっていた私たち・・・・・・
その日は私、『なおみ』で通しました。

別の時には、こんな事もありました。
ある男性が、私のことをいつも特別な愛称で呼んでいました。
彼が自分で考えた、何となく可愛らしい呼び方だったので、私は特に気にしていませんでしたし、どちらかと言うと、気に入ってすらいました。
ところがその男性、知り合ってから3ヶ月ほど経った頃、すごく恥ずかしそうな顔で言いました。
「ごめんね。本当に申し訳ないのだけど、やっぱり聞いておいた方が良いと思うんだ。・・・・・・君の名前、本当はなんていうの?」

・・・・・・!!!
  彼が、私に愛称を使っていたのは、私の名前が憶えられなかったからなのです!
その男性、私としょっちゅう会っていたのですよ。
いくらなんでも、3ヶ月は酷いと思いませんか?
だってね、その男性・・・・・・

・・・・・・既に一緒に暮らしていた、B氏なのです。

2004年6月18日 (金)  夏の目覚まし時計

ここアルプスも、今日から夏です。

いえ、特に何がどう変わった、と言う訳ではないのですが、私には、密かな夏の定義がありまして、今日からそれが始まったのです。

それは何か?
私の夏用目覚まし時計が、動き始めたのです。
今朝8時、それが鳴りました。
うーん、去年の夏は、確か9時だったのですが、今年は1時間ばかり早いようです。

普段なら、9時前には絶対起きませんし、早起きをしなければいけない日など、子供のようにぐずっている私ですが、この目覚ましだけは、特別です。
何故か、気持ち良く起きられます。
今朝も、目が覚めると、1時間早いにも関わらず、さっと窓を開けました。
一日の始まりには、絶好の青空です。

便利な事に、その目覚まし、電池も要らなければ、前の晩にセットする必要もありません。
そして、「ゴロン、ゴロン、モー、ダック、ダック、ダック、モー」と鳴ります。
分かりましたか?
  ・・・・・・そうです、牛です。
「ゴロン、ゴロン」は、牛が咽喉に着けている大きな鈴の音、「ダック、ダック」は、足で地面を蹴る音です。

夏になると、我が家の寝室の前を、毎朝決まった時間に、牛の群れが通るのです。
彼ら、朝に牛舎を出て、草原で日中を過ごし、夕方になるとまた、牛舎に戻ります。
我が家は、その通り道なのです。

そこいらじゅうに糞をして行きますし、時には車にぶつかり、凹みをつけて行ったりもしますが、何故か私、彼らが好きなのです。

牛たち、夕方、私が畑仕事をしている時間に、戻って来ます。
うちの畑には、雨水を貯めてある、大きな容器があるのですが、牛たちはいつも、そこで水飲み休憩をして行きます。

実は私、その雨水に、ある草を入れているのです。
その草を入れた水を畑に撒くと、小さな虫が付かない効果があるそうですが、これが牛にとっては、美味しいハーブ・ティーなんです。
ですからいつも、牛の群れは私の畑の前で、お茶をして行きます。

そのあと、農夫の「ヤァッ!」という掛け声とともに、彼らは家路に着きます。

こうして夏の間中、私は牛たちの出勤と共に起きるのです。

2004年6月21日 (月)  ボーダー・ライン

スイスは寒いせいなのか、それとも、標高が高いせいか、日本で聞くような雑菌や害虫が、あまりいないようです。

本当かどうかは分かりませんが、菌などは、やって来たとしても、冬が越せないので繁殖しない、などと言う人もいます。
ちなみにゴキブリは、いない訳ではありませんが、一般家庭で見かけることはありませんし、一匹でも見かけた日には、駆除業者を呼んで、大騒ぎになります。

そういう環境で育つせいでしょうか、スイス人の衛生観念は、私たち日本人から見ると、ギョッとするような所があります。

私がスイスに来た当初は、台所の隅に置かれた紙袋に、剥き出しで突っ込まれている古いパンを見て、びっくりしたものです。
日本なら、カビが生え、ゴキブリやねずみなどが来、大変な事になりますよね。
でも、スイスでは、そのパンは乾燥し、日に日に固くなっていくだけです。
そういう、食べ残しのパンは、ある程度ためて置いて、それなりの料理を作ったり、豚の餌用の収集場所に持って行ったりします。

さて、我が夫B氏、実は、なかなかのお料理上手です。
彼の作るスパゲッティーなど、レストランも真っ青の美味しさです。
しかし、既婚女性の方ならお分かりでしょうが、やはりそこは男の料理。
B氏が調理した後は、そこいら中、ギトギトの滅茶苦茶ですし、調味料などは、鍋の外に振っているのかと思うほどです。

ですから私、B氏が料理をするときは、出来るだけ見ないことにしています。
どうせ、後始末の大変さは変わらないのですから、せめて食べ終わるまでは、何も見ずに楽しみたいのです。

それでもやはり、全然見ない、と言うのは無理です。
同じ家に住んでいる訳ですし、B氏が料理を始める度に、逃げる訳にも行きませんので、少しは見えてしまうこともあります。

・・・・・・はい、見てしまいました。

「え? ちょっと待って! 何、それ? 何やっているの!?」
B氏、まな板も使わずに、机の上で丸ごとのチキンを開いて押し潰し、マリネにしています。
ええ、机に直置きで、です。しかもその机、木、です。
別の日には、まな板なしで、トマトを切っていました。
そりゃぁ、机は拭いてあるけど・・・・・・

パンをお皿なしで食べるのは、もう慣れました。
海苔巻ぐらいまでなら、私も机の上で直に作ります。
でも、やはりチキンは・・・・・・

B氏、机の上に直置きは、・・・・・・乾き物だけ、にしてもらえないかなぁ?

2004年6月22日 (火)  強くなって下さい。

「職業に貴賎はない」とはよく言いますが、ここスイスでそれは、残念ながら、単なる建前に過ぎません。

スイスには、完全なる職業訓練システムがあり、義務教育以降の教育は、職業に従事するための教育である、というのが一般的です。
つまり、義務教育が終わったら、将来何の職に就きたいかを考え、その学校に数年間行くのです。

ですから、スイスで職を探す場合、その人の専門が(何を勉強したか)、まず問題になります。
例えば、エンジニアに成るための教育を受けた人が、お店の販売員として働く、などということはまずありませんし、その逆は不可能です。
そして、その教育の難易度によって、社会における地位というものが出来上がります。
簡単に言うなら、保険会社の事務員は、ウェイトレスより偉い(というイメージがある)のです。

イメージの良い専門を持っている人は、まあ、社会に於いて生き易いですし、そうでない人は、コンプレックスを持っていて、より下の人を馬鹿にする傾向があります。
また、全ての職業間で、微妙な上下関係があり、自分の専門より下の職業に就く事は、やはり格落ちを意味しますので、スイス人は、失業手当で生活する方を好みます。

さて、自分の想像と実際の仕事がうまく合った人の場合、これはとてもよいシステムです。
勉強さえすれば、キャリアは上がりますし、待遇の良い所への転職も容易です。

逆に、現実と想像が合わなかった場合、これは惨めな事になります。
当然の事ですが、自分の専門より上の仕事に就くのは無理ですし、下の仕事はプライドが許さない。
かといって、自分の専門は、学校を終えてみて、好きではない事が判ったのです。
今から別の学校に行き、歳下の若者に混ざって、もう一度ゼロから勉強するのは、誰だって気が進みません。

そういう人たちは、どちらかというと、スタートの時点でつまずいた状態になってしまい、不本意な生活状況に甘んじる事になります。
そして残念なことに、そのストレスは、より下へと向かいます。

スイスの社会は、足の引っ張り合いの社会です。
自分の位置を上げる努力の代わりに、すぐ上にいる弱そうな者を引っ張り下ろします。
そして、物事の判断基準は、往々にして「強い=正しい」です。
何処かの国の政治みたいですね。

欧米は自己主張の国。
これは、日本人が良く耳にする事ですが、その主張、いつも正しいとは限らないのです。

2004年6月23日 (水)  シビアな現実

皆さんを不快な気分にさせるつもりはありませんが、昨日の続きをもう少しだけ、書きたいと思います。

スイスの子供は、日本でいう所の高校に上がる時点で、自分の就きたい職業の見込みを付け、それぞれの職業学校に通います。
この年頃では、自分の希望がはっきりと分かっている子供の方が、少ないのではないでしょうか?
ですから、やはり親の意向が、かなり大きな影響を与えます。

親が子供の性向をしっかりと把握している場合、問題はないでしょうし、そういうタイプの子供は、多分初めから、はっきりした方向性を持っているのではないでしょうか。

例えば、我が夫B氏がこのタイプです。
彼は、どちらかというと不器用なタイプで、自分に出来る事が少ないのを知っていました。しかし、幸運なことに、その少ない『出来ること』は、『好きなこと』だったのです。
彼は今、2番目に成りたい職業に就いています(ちなみに、1番目は画家です)。

しかし、これはラッキーな例えです。
多くの場合、親というのは、子供が安定した生活を送れるように、と考えるものだと思います。
ですから、子供には出来るだけ着実な専門を身に着けさせようとします。

私の友人たちを、例にしてみましょうか。
友人M氏は、商業学校に行きました。
そこでは、コンピューターや簿記など、オフィスで働くために必要な事を全て習います。まあ、一言で言ってしまえば、サラリーマンになるための学校です。
彼、学校を終えて銀行マンになりましたが、その仕事が大嫌いだということが分かりました。
今は、生活に最低限必要なお金を稼ぐためにだけ、障害のある子供用の施設で、週に3日働いています。

別の友人U氏は、父親と同じ、マシン・エンジニアになりました。
これには、かなり高等な教育が必要で、日本の専科大学のようなところを出ました。
彼の趣味はサーフィンで、以前は一年の内半分をオーストラリアで暮らしていましたが、毎回スイスで職を見つけるのに、何の苦労もありませんでした。
半年間サーフィンだけをして生活が出来るのですから、この職業、お給料もかなり良い筈です。
しかし、彼もやはり、自分の仕事が好きではないようです。
彼がその専門で働くのは、他の仕事をするにはあまりにも、待遇が良いからでしょう。

さて、日本にはこういったシステムがありません。
採用になるかどうかは別として、やる気のある者には、窓口が開かれています。
しかし、ここスイスでは、そういう訳には行きません。
別の職種に就きたかったら、ティーン・エイジャーに混ざって、もう一度学校に行かなくてはならないのです。

日本とスイス、どちらが良い、などと言うつもりはありません。
どちらのシステムも、完璧ではありません。
ただ、知っていて欲しいのは、例え高度の教育を受けていようと、大抵の外国人は、まず底辺層に組み込まれる、ということです。

雑誌などを見ていると、『海外で働く日本人』なんていう記事を、よく目にしますよね。
真っ白なテーブル・クロスが貼られた、素適なレストランでのウェイトレス。・・・磨き上げられたショー・ケースと高級時計に囲まれた、販売員。・・・異国情緒たっぷりな、観光名所を案内する地元ガイドさん。・・・・・・etc.

・・・・・・格好良く見えるのは、日本の雑誌に紹介されているからです。

2004年6月24日 (木)  敗北の日

HPを始めてから、座っている時間が多くなったせいか、お腹の肉がたるんで来たような気がします。

以前にも書きましたが、私は去年の暮れからダイエットをしています。
冬の間、登山靴にゲートルを付け、膝上まである雪の中を、毎日知らない犬と歩きました。
そのかいあって、あと1・2キロ、というところまで落ちていたのです。

こんなことでは、いけない。あの辛い日々は、何だったのか!
・・・・・・本当は、結構楽しかったのですけどね。
今日は久々に良い天気ですし、私はもう一度、気合を入れ直すことにしました。

さて、私には、いくつかのお気に入り散歩コースがあります。
その日の気分や体調に合わせ、1時間コース、1時間半コース、2時間コースの3つを用意してあるのです。
今日は、思い切って、2時間コースに出ることにしました。

できるだけ早足で、ぜーぜー言いながら、森を歩き、山を登ります。
すると、いつも通っているハイキング道に(といっても、道標があるだけで、殆ど人の手の入っていない森です)、柵が張られ、牛が放たれています。
10〜20匹の牛が、私の歩く道一杯に、草を食んでいるのです。

どうしたものでしょう?
退き返そうか、という考えも浮かびましたが、ここで止めては、お腹のたるたるはもっと増えて行く筈です。
困ってうろうろしていると、農夫が隣の草原で、草刈りをしています。
「おじさん、この中は通れないよねぇ?」
私、聞いてみました。ひょっとしたら、草原を突っ切らせて貰えるかも知れない、と思ったのです。
すると、その農夫、
「ああ、大丈夫、大丈夫。あいつらは、何もせんよ」

・・・・・・そりゃあ、あんたの牛だもの、そんなことも言えるでしょうよ。もしものことがあって、酷い目にあうのは、私なんですからね。
心ではそう思いつつも、そこはハード・ボイルド主婦の私、
「あ、そうなの。じゃあ、中通らせてもらうね」
にこやかに笑い、牛たちの中へと入りました。

急に柵を乗り越えてきた私に、牛たちがいっせいに注目。
・・・・・・今日、オレンジ色のジーパン履いてるんだけど、大丈夫かなぁ。
出来るだけ刺激しないように、それでいて、私がボスだと分からせるように、牛たちに「ホイ!」(年長者が、年少者にする挨拶です)などと言ってみます。
ああ、こんな急斜面で追いかけられたら、絶対逃げ切れません。

戦いの基本は、敵に背を向けないこと!
何とか、背中を見せないようにして、牛を遠巻きにしながら、森を登り切りました。

が! 出口付近には、さらに牛が!
皆、気持ち良さそうに座り込んで、草を食んでいます。
外へ出るには、文字通り、牛と牛の間を歩かなくてはなりません。
と、私に気付いた2頭が、ゆっくりと立ち上がりました。

ああ、大きい・・・・・・
他の牛たちも、私に気付き、次々に立ち上がり始めます。

・・・・・ハード・ボイルド主婦、敗れたり。
私、反対側の柵を乗り越えて、腰丈まである草むらの中に逃げました。

・・・・・・明日は、せめて、普通のジーパンを履いて行こう。

2004年6月25日 (金)  頑張ってくれ!

映画『ラスト・サムライ』を見た。

トム・クルーズが好きでない私が、敬遠していた1本。
しかし、色々な所でその評判を聞き、友人がDVDを貸してくれると言うに至り、それでも見ないでいる理由は、何処にもないように思えた。

ストーリー自体は、取り立ててどうということのない、ハリウッド映画だったのだが、
・・・・・・参った。
TVの小さな画面で見ているのが、惜しくなった。

真田広之の見事な太刀さばき、渡辺謙の大きな体から溢れるような見得、『のぶただ』役の青年が、傷付きなお両腕に刀をかかげ、天を仰ぐシーンでは、「頼む、背を着かせないでくれ」と祈った。

「日本人は、サムライ・スピリットを失なった」
スイス人である私の夫に、そう言った、日本人男性がいる。

着流しより、リーバイスが格好良いなんて、誰が言った?
ミニ・スカートから覗く、小麦色の膝小僧が、長襦袢の襟元からこぼれた、白い肩より色っぽいなんて、誰が言った!

私たちは、あのほんの少し頭を下げるだけの会釈から伝わる、深い思いを、いつから軽視するようになったのか?
信念の為に命をかける必要のない時代、になったという事か?

スイスに来て、そろそろ10年目になる。
西洋の文化が、薄っぺらに感じられる今日この頃。

2004年6月27日 (日)  空腹時の人間性

お恥ずかしい話ですが、私、決してよそ様に誇れるような性格ではありません。

しかし、そのことは私自身良く心得ていますので、日頃から、他人に期待を抱かせるようなことはしないよう、心掛けています。
約束はしない、良い人だと思われるような事はしない、気さくな人物だと思われないようにする、etc・・・・・・それなりに伏線を敷いて、生活しています。
特に子供には、理由などなくても、気安く「良いよ」とは言わないようにしています。

さて、今日は夫B氏が、庭にトマトの小屋を作ってくれました。
トマトは、直接雨にあたる事が、嫌いらしいのです。
私はその側で、植木鉢のトマトを、植え替えていました。

私の日記を読んでいて下さる方には、もうお分かりでしょうが、はい、来ましたよ、子供たち。いつもの事です。
私一人でも寄って来るのですから、B氏と二人で庭にいて、来ない筈がありません。
私、いつもの調子で、適当にのらりくらりとさばいていました。
と、子供の一人が、B氏に聞きます。
「家に上がっても良い?」
これも、毎度の質問ですし、答えは決まっています。
「うーん、今日は駄目かな」が、正解です。

ところがB氏、何を血迷ったのか、「ちょっとだけだよ」
・・・・・・!!!
頭を左右にぶんぶん振る私と、嬉々として家に入って行く、子供たち。

困ったことになりました。
まだ、夕方の6時半です。彼らがベッドに入る時間は、9時ですし、夕飯はもう済んでいます。(何故私は、そんな事まで知っているのでしょう?)
ということは、あと2時間半、私たちは夕飯にありつけない、ということです。

私、今朝は遅めの朝食を取ったきり、何も食べていません。
もう、いい加減お腹が空いて来ていますし、これから子供たちの相手をする気力は、殆ど残っていません。
しかし、「夕飯にするから帰って」などとは、決して言ってはいけません。
そんな事を言ったら、「手伝ってあげる!」攻撃が始まり、私の仕事は通常より増えます。

仕方がありません。今日は私、奥の手を使う事にしました。
子供たちを退屈させ、この家はつまらないと思わせるのです。そうすれば、子供たちも自主的に帰って行く筈です。
ちょうど、葉を摘んでしまわなくてはならない、ハーブ・ティー用の木の枝をたくさん貰ってありましたので、私、床に新聞を強いて座り込み、持久戦に出ました。

とB氏、ここでまたもや、重大ミスを犯します。
「腹減ったな。夕飯、どうする?」
ああ、大喜びの子供たち、「手伝ってあげるぅ〜」の声と共に、台所にまっしぐらです。
・・・・・・B氏よ、今日は、お前が全部やれ。

心なしか不機嫌な私に気付いたB氏、慌てて言い足します。
「お腹空いたよね? みんつは、何食べたい?」
お腹が空いたどころか、私、くらくらしているぐらいです。
時計はもう、8時を回っています。
「何でも良いから、大量に作って。子供たちも、よろしくね」
B氏、やっと理解したようです。

そりゃあ、そうです!
いつだって、B氏が「良いよ」と言って、家に入れるくせに、子供たちの面倒を見るのは私なんです。
お腹が空いている時に子供の相手が出来るほど、私、人間が出来ていません。

・・・・・・B氏よ、頼むから、もっと空気を読んでくれ。

2004年6月29日 (火)  運も実力のうち?

私が、スイスに来てから始めた事の一つに、マウンテンバイクがあります。
皆さんご存知でしょうが、マウンテンバイクとは、簡単に言ってしまえば、ギアのたくさん付いた、前傾姿勢で乗る、スポーツタイプの自転車です。

私が今住んでいる地方は、スイスの中でも最もスイスらしいと言われている所で、文字通り山(マウンテン)だらけですから、普通のお買い物用自転車では、まあ、ここは走れません。
ここの人々にとって、平らな道とは、ゆるい坂を指します。

普段は私、近所を走っているだけですが、週末で天気が良いと、夫B氏と友人U氏の三人で、ちょっと遠出をします。
このU氏、スポーツ万能でして、マウンテンバイクの腕は、B氏も一目置くほどです。

大男2人を従えて、先日「ラスト・サムライ」を見たばかりの私、今回は気合が入ってます。
私には、どう見ても獣道にしか見えない山道、……人が一人通れる幅で(これ、ラッキーな場合です)、地面には木の根や岩が飛び出ていますし、片側はいつも絶壁です……登りましたよ。
途中、彼らでも自転車を降りなくてはならない所が幾つかあり、そこでは、その都度どちらかが、私の自転車を運んではくれたものの、ほぼ、完走です。(あ、もちろん、彼らよりずっと遅い走りですが。)

へろへろで、歩く方が早いのではないか、という状態で自転車を走らせる私に、散歩中のスイス人は、皆、声援をくれます。
……私の状態を見た彼ら、毎回、素早く脇の草むらに避けてくれました。

さて、やっとの事で山頂近くの折り返し地点に着くと、急に視界が開け、何とも良い景色が広がります。
アルプスを背景に、草原で草を食む牛たち。ちょうど皆さんが、絵葉書なんかで見る景色です。
これが良くて、マウンテンバイクをしている……今、そう思った方、いませんか?
あはは、外れです。実際、こんなちょっとじゃ、報われません。

さて、後は下りです。楽なもん……ではないのです、これが。
登りは、大変ですが、誰にでも出来ます。ペダルを漕いでいれさえすれば、いつか上に着きます。
しかし下りは、テクニックのない場合、危険です。ブレーキをかけ過ぎると、岩や木の根にタイヤを取られますし、かけないで行くには、坂が急すぎます。
で、テクニックのない私、今まで何度か、自転車から転げ落ちました。

今回も私、恐怖心を抑えつつ、地面と格闘です。
と、何を思ったのか、U氏、私のすぐ後ろを走り始めました。
自転車を降りずに走りきれるか分からない状態なのに、すぐ後ろでは、U氏の勢いの良い、タイヤの音がします。

……私、プレッシャーに負けました。
ブレーキを強くかけた途端、後輪が横滑りし、私の自転車が倒れました。
ああ、まずい、やってしまった!
ザザーッ、という音と共に、自転車が藪の中に滑り落ちて行きます。
あ、これ、私の自転車ではありません。

……今回、自転車から転げ落ち、藪の中に立ち尽くしたのは、私ではなく、U氏でした。

2004年6月30日 (水)  B氏の心配

夫B氏は、考えていることをあまり口に出さないタイプです。
何か問題があった場合、頭の中で何度も考え、私にはその結果だけを話します。

今では私、こういう『結果だけ報告』も慣れましたし、B氏が次にどんな行動に出るかは、大体予想がつきます。
ただこれ、『何を』するかが分かるだけで、『何故』するかは、未だに、全く分かりません。

昨夜私たちは、あるプランについて、話し合いました。
ごく簡単なことです。
注文していたサングラスが出来上がったので、私、仕事に行くB氏の車に便乗して、朝、町へ行き、その後、自転車で義父母の家に寄り、B氏が夕方迎えに来るまで、庭のさくらんぼを収穫しようと思ったのです。

義父母、週末から1週間の旅行に出ていまして、その間にさくらんぼか駄目になってしまうのを心配した義母が、私に「好きなだけ摘んで良い」と言ったのです。
さくらんぼは、私の大好物です。

しかし、このプランに、B氏は浮かぬ顔です。
「明日、一緒に行くのはまずいの?」
「いや、そんなことはないけどさぁ……」
この、語尾の「さぁ……」が曲者です。何か、思惑があるのです。
B氏は、さくらんぼがそれほど好きではありませんが、私が、私の食べる分を摘むのですから、問題はない筈です。
「そうだ、朝方みんつを実家で下ろすから、先にさくらんぼを摘んで、その後、自転車で町に来れば良いんじゃないか?」
とB氏、名案だとでも言うようにいます。
「そんなの、2度手間じゃん。先に眼鏡を取りに行って、さくらんぼはその後で、貴方が迎えに来るまで摘み放題、が効率的だよ」

私の反対に、B氏、ぼそりと呟きました。
「……梯子がなぁ……」
!!! 梯子は、車と一緒にガレージの中です。きっと、私が義父の新車を傷つけるのが、心配なのです。
「梯子、重いの? お父さんの車、擦っちゃうかな?」
「いや、梯子は、大きいけどアルミ製だから……」
アルミなら、私でも運べます。この煮え切らない言い方は、何故でしょう。
「……落ちないように、気を付けてね」
え? どうやらB氏、私が一人でいる時に、梯子から落ちるのが心配な様です。
朝方さくらんぼ摘みをすれば、少なくとも午後に眼鏡を取りに来た時点で、B氏は、私の無事を確認出来る、と考えたようです。
「あははは、子供じゃあるまいし、この歳で梯子から落ちて怪我するなら、自業自得だよ。大丈夫、ちゃんと気を付けるから」

B氏、しばらく考えた後、「町から実家までの地図を書いてあげるね」と、紙を取りに行きました。
??? 戻ってきたB氏の手には、A4用紙が、何故か10枚近くもあります。

難しい顔をして、地図を書き始めるB氏。
ん? 何? 何だそれ?
見ていると、A4用紙はどんどん継ぎ足され、最後には1mx50cm程の大きさになりました。
町から実家までは、たかだか10kmほどです。
吹き出す寸前の私に、B氏、ほとんど直線しかない道のりを、真剣に説明してくれます。

……B氏がなぜ、このプランを嫌がったのか、やっと分かりました。
実は私、酷い方向音痴でして、B氏は、私が町から実家まで、たどり着けないと思っているのです!
この、直線しかない道のりのどこかで、酷い間違いをしでかし、永遠に姿を消してしまうかも知れない、と思っているのです!!

その後、仕事仲間からタイミング良く電話があり、明日の仕事は、町でではなく、近場になりました。
「悪いな、みんつ。明日は町に行かなくなった」
露骨にほっとしている、B氏。

……昨夜は久し振りに、涙を流しながら笑わせてもらいました。

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