2005年5月2日 (月)  最後の晩餐の後

外国人の好きな日本食を上げたら、豆腐は、かなり上位に来るのではないでしょうか。
かくいう我が夫B氏も、豆腐は大好物です。

日本にいる間、B氏はいつ何処で買って来るのか、毎日のように冷や奴を食べていました。
そして、B氏の用意する冷や奴は、必ず絹ごしで、かつお節と生姜の他に、何故かみじん切りのピーマンが乗っていました。
しかし、一丁の豆腐を一人で食べるのは、さすがに多いのでしょう。
B氏は大抵、家で一緒にいる時間の多かった、私の妹に「K子、豆腐、食べますか?」と聞き、分けていました(私は、豆腐が苦手ですので)。

さて、今夜で日本滞在も最後という日のことです。
私には、どうしても最後に、自分で作って食べたいものがありました。
日本に行ったらこれを食べたい、と思っていたものの多くが、実は諸々の事情で食べることが出来ずに終わってしまったのですが、これだけは、どうしても食べたかったのです。
この日の朝、私は家族に宣言しました。
「今夜は、私が『ぶり大根』を作るから」

その日は、「今日が私たちの日本滞在最終日だ」と知った、たくさんの友人が、朝早くから「もう一度会いたい」と電話をくれました。
その結果、朝は近所に住む幼なじみと、彼女の出勤前に急いで会い、昼食はB氏も一緒に、今回の滞在中いつも私たちの居酒屋に付き合ってくれたH氏と取り、その後、私がB氏と出会った時、一緒に旅行をしていたA子ちゃんに会い、家族と最後の団欒を持ち、夜の十時頃に、仕事から帰って来る幼なじみともう一度会う、という段取りになりました。

この日の私は、まるで、売れっ子芸人のようなスケジュールです。
しかも、この他に私個人の都合として、スイスではお尻の大きさが合わずに買うことの出来ない、大人用セクシー・パンツが欲しい、というのもありました。
『ぶり大根』は、ことこと煮込んでこその一品です。一体そんな時間は、あるのでしょうか?

考えた末、遅刻魔A子ちゃんとの待ち合わせは下着売り場にし(その間にパンツ購入です)、その後、A子ちゃんと我が家で『ぶり大根』を煮ながらお喋りをし、別の友人宅から返って来たB氏、及び家族と夕飯となりました。
こうして、慌ただしく過ぎた「最後の晩餐」でしたが、思った以上に『ぶり大根』は上出来でした。

翌朝です。
昨夜私に目覚まし役を頼まれた、家族一早起きの甥っ子M太は、普段なら寝起きの悪い弟Y太を後ろに従え、6時前に私たちを起こしてくれました。二人の母である私の妹も、続いて起きて来ます(父は、既に出勤しています)。
「ああ、みんな起きてくれたのね。ありがとう」
「うん、最後だからさ。写真でも、取ろうよ」
私たちがそんな会話を交わしていると、何やら冷蔵庫を開けに行ったB氏が、聞きました。
「K子、豆腐、食べますか?」

!!!!!
私は、最後の晩餐までしか考えませんでしたが、B氏は、なんと、最後の朝食まで計画していたのです。
しかも、こんな朝早くから、冷や奴です。
「お前ってやつは!」
姉妹二人の見守る中、B氏は、最後の豆腐を大切そうに食べ終えました。

・・・・・・スイスに戻ったB氏の鞄には、『手作り豆腐用にがり』が一瓶、ひっそりと入っていました。

2005年5月4日 (水)  ウェルカム・ホーム

1ヶ月間の日本滞在を終え、スイスに戻った私たち夫婦を迎えてくれたのは、まず、義父母でした。
空港のゲートも出ない内から、手を振っている義父母が目に留まり、私たちは顔を見合わせて微笑みました。
13時間の長旅で疲れ切っていた私たちにとって、この後また数時間も、夜の電車に揺られずに済むのは、何ともありがたいことです。
私の頬も、自然とゆるみます。

「ただいま!」
「お帰り。日本はどうだった? 暖かかった? お父さんは元気?……」
立て続けに繰り出される、会話というよりは尋問に近い義母の問に、機内で寝ていなかった私は、いつにない躁状態で答えます。
「はい、良かったです。暖かかったです。家族はみんな、元気でした……」
そして、車に乗って30分と経たぬ間に、私が日本滞在について話せることは、もう何もなくなりました。

「お腹は空いているのかい?」
しばしの沈黙があり、運転していた義父が聞きました。
「いや、俺は機内で食べたから。でも、みんつは、空いているんじゃないかな」
そう言って、夫B氏が私を見ます。
私、自転車以外の乗り物は全て苦手ですので、飛行機に乗っている間は、殆どまともに食事が出来ないのです。しかもあの機内食、どうも喉を通りません。
いっそのこと、食事抜きで良いから、チケットを安くしてくれないかと思うほどです。
「はい、空いています」
「じゃ、レストランが閉まる前に、どこかに寄って行こう。みんつは、何が食べたい?」
「ポム・フリットゥ(=フライド・ポテト)!」
どうやら私の身体は、既にスイス態勢に切り替え始めているようです。

次に私たちを迎えてくれたのは、やはりスイスならでは、のものでした。
ドライブ・インで食事を終え、再び高速道路を走っていると、ちらほら雪が舞い始めたのです。
「雪だ。……私たち、スイスに戻って来たのね。日本では、シャツ一枚で良かったのに」
そういう私にB氏も言います。
「俺たちの家、寒いだろうな。1ヶ月も薪を焚いていなかったんだから、すぐには暖まらないぞ、きっと」

この後、「今夜はうちに泊まれば?」という義母の申し出を断り、かなりの覚悟と共にアルプスに戻った私たちを待っていたのは、何と、暖房が程良く効いた、暖かい部屋だったのです。
「えっ、暖かい。何で? あ、薪が焚いてある!」
そうです、下の階に住むお婆ちゃんが、今夜私たちの戻るのを知っていて、薪を焚いておいてくれたのです。
何とも嬉しい出迎えです。
「朝になったら、挨拶に行こうな」
その晩私たちは、居心地の良い我が家でぐっすり眠りました。

さて翌朝です。
私たちは朝食を終え、下の階のお婆ちゃんに挨拶に行くことにしました。
「ありがたいよな、こういう親切は」
「そうだね。でもさ、お婆ちゃん、きっと何回もうちに来ていたよね。うちの居間で、テレビ見たりとか、してたりして」
冗談を言いながら玄関を開けた私の目に、あるものが飛び込みました。
「……ああ、これこそ、スイスに帰って来たって感じだわ。B氏も見てごらん、まさに、ウェルカム・ホームよ」
「おお、小振りのバケツ一杯はあるな。みんつ、良かったじゃないか。俺のお婆ちゃんはな、子供の頃、これを集めに行ったらしいぞ。畑に、良いんだってさ」

スイスに戻った私がまずしたことは、旅行中に着た服の洗濯でもなければ、荷物の整理でもありませんでした。
……玄関前にこんもりと盛られていた、まだ出来たてかと思える、馬糞の掃除でした。

2005年5月6日 (金)  お知らせ

皆様へ。

スイスには、ゴールデン・ウィークなるものはありません。
しかし、昨日がカソリックの休日、明日・明後日が週末ということで、我が夫B氏は、今日もお休みを取り、4連休にしたようです。

そうなると私は、ゆっくりPCの前に座る時間が取れません。
いつものように日記を書いて、皆さんとお喋りをしたいのですが、さっきご飯を食べたと思ったら、もう次の食事の支度です。

ですから、残念ですが、日記は月曜日までお休みします。
掲示板の方は、時間の空いたときに、ちょこちょこっとお返事をするつもりではいますが、私なしでも、いつも通り皆さんで楽しんでいて下さい。

では。              みんつ

2005年5月9日 (月)  畑と収穫

随分前に書いたので、皆さんはもうお忘れかと思いますが、今日は、私が趣味としている野菜畑の後日談です(過去の日記、2004年10月6日『引っ越し前日(前・後)』参照)。

大家夫人がどちらにも良い顔をした結果、私と酪農家R氏の間には、土地の使用をめぐる問題が持ち上がっていました。
簡単に言うと、私が畑として使えるはずの土地は、既にR氏が馬の放牧に使っていた場所の半分で、R氏は、何としてもそこを守ろうとしていたのです。

さて、そろそろアルプスの季候も良くなり、私にとっては、畑仕事が待ち遠しい時期になりました。
私と夫B氏は相談の結果、R氏が「ここなら、好きなだけ使って良い」と言った、裏の土地で譲歩しようと決めました。
素晴らしい景観はなくなりますが、地元の人ともめるのは、今後の生活に支障を来さないとも限りませんし、私にとって畑は趣味ですが、R氏にとって馬の放牧は仕事ですから。

さて、両者笑顔の元に話はまとまり、あとは地元の誰かに、トラクターで土地を耕してもらうだけとなった時です。
「みんつ、裏の畑なんだけどね……あの土地、使えないことになったの、聞いている?」
下の階に住んでいるお婆ちゃんが言いました。
彼女はこの家の持ち主であり、元は酪農家です。そして、この村の土地を所有している、酪農家の住人は、多かれ少なかれ皆、彼女と親戚関係にあるようで、その方面から、私とR氏の話は、全て聞いているようです。
彼女が言うにはこうです。
R氏が私に提示した土地は、彼自身借りているに過ぎず、所有者がそこを畑にすることを了解していないというのです。
どうやらR氏、土地の使用に関して、きちんと話を付けた訳ではないようです。

「困ったわね。どこかに空いている場所がないか、私も聞いてみてはいるんだけどね。……それにしても、R氏は、貴方に土地を渡すべきよ」
何故かお婆ちゃんは、私に畑がないことを公正でないと感じているようで、村中の人に聞いて回ってくれているようです。
そのうえ、「小さいけど、とりあえずここを使いなさい」と、自分の庭をくれました。
私としては、今回は誰とももめない方針ですので、まるで他人事のように、「どうしましょうかねぇ」などと言いながら、のらりくらりとしていました。

大家夫人といいR氏といい、きちんとことを処理すべき当人は、問題をよそに押し付けたまま、黙りを決め込んだようで、その後全く音沙汰がありません。
お婆ちゃんだけが時々、「あそこの土地がもしかしたら使えるかも知れないけど、今聞いているから待っていてね」と、私に気を遣ってくれていました。

そして、先日のことです。
「みんつ、すぐ上の土地だけどね、使って良いってよ」
お婆ちゃんが、ほっとしたように言いに来ました。
「本当に、良いんですか? 私、他の人の楽しみ、取り上げたくないですから、本当に使わないのでなければ、お婆ちゃんの庭だけでも良いですけど……」
そういう私に、お婆ちゃんは笑いました。
「ああ、ここの持ち主もね、私ぐらい年でね、畑なんて別にやりたくないのよ。それと、ジャガイモを植えるなら、彼女がくれるって言ってるわよ」

私のもらえた土地は、すぐ隣で、お婆ちゃんの庭と私道を挟んで向かいです。その上、塀の上になっていますので、日当たりは抜群です。
しかも、私さえその気なら、隣の家との境界まで、好きなだけ畑を広げて良いということです。さすがにトラクターは要りませんが、それでも小さな家が建つぐらいの広さはあります。
私はさっそく、今ある畑を均すと種を植え、雑草の生えている場所を掘り起こし始めました。

「あんた、隣の柵まで耕す気かい?」
「さて、どうしましょうかねぇ」
「ジャガイモ、もっと要るかい? 玉葱もあるよ」
私が畑に出ると、その土地をくれたお婆ちゃんが、必ずお喋りにやって来ます。
「雑草、短く刈ってやろうか?」
下のお婆ちゃんも、何かと理由を付けては、私と一緒に時間を過ごします。
どうやら、一言の文句も言わず、暢気に待っていて、大正解だったようです。
私、一番都合の良い場所に畑をもらえた上、二人のお婆ちゃんの『お気に入り』になったようです。

……ふふふ、案外これが、最大の収穫だったりして。

2005年5月10日 (火)  ドイツ語講座(味覚編)

今日は、味覚に関するドイツ語の単語を使った、面白い言い回しです。

味覚を表す言葉を人間に使うと、どういう意味になるのか、割と良く耳にしますので、上げてみました。

【süss(スース):甘い】

『貴方は、süssだね』

日本語に直訳すると、「貴方は甘いね」です。何やら、馬鹿にされているような感じがしますよね。
ところがこれ、ドイツ語では、「貴方は可愛いね」になります。
süssは、人に対してだけでなく物にも使え、日本語の「かわいい」と全く同じ使い方です。

「やだぁ、これかわい〜ぃ」の代わりに、「やだぁ、これス〜ス」なんていうのは、如何でしょう。

【bitter(ビッター):苦い、渋い】

『彼は、bitterだ』

リチャード・ギアのような、ナイス・ミドルなおじさまを示すのではありません。
これを人間に使うときは、「彼は不機嫌だ」という意味です。

私がまだ知らないだけかも知れませんが、ドイツ語には日本語で言うような、良い意味での「渋い」という表現はないようです。
bitterなおじさまは、こちらではもてません。

【sauer(サウアー):酸っぱい】

『彼女は、sauerだ』

「酸っぱい彼女」とは、どんな状態でしょう?
これもbitterとほぼ同じで、「不機嫌、腹を立てている」といった意味ですが、日常会話では、sauerの方が良く使われているように思います。

「みんつ、ひょっとして今、俺に対してsauerなの?」
こんな風に、我が家では使われます。

【scharf(シャルフ):辛い、スパイシー】

『彼女、scharfだな』

「辛い」と聞くと、ぴんと来ないかも知れませんが、「スパイシー」=「ホットな彼女」と言ったら、もう分かりますね。
「彼女、セクシーだな」です。

ただしこれ、少々注意です。
というのも、「その気になっている」という意味合いで使われる場合もあるのです。
気心の知れた相手と使うのが、無難かも知れませんね。

ちなみに、物に使う場合は、「セクシー」意外には、「鋭利な、尖った」などという意味で、「包丁」や「二枚目俳優の顎のライン」などは、scharfです。

【salzig(サルツィッヒ):塩っぱい】
これには、上のような使い方はありませんが、参考までに書いておきました。

2005年5月11日 (水)  ミスター・スイス決定

今日は、皆さんが待ちに待った、ミスター・スイスの発表です。

写真写りの良さと実物との違いなどもありますが、優勝者は、私たちが全く予想もしなかった男性です。

テレビに映った彼は、他の男性より一回り小柄で、シャイでもありましたが、なかなかチャーミングでした。
受賞の理由の一つに、こげ茶の髪に青い目という、こちらの方には幾分エキゾチックな色の組み合わせ、というのもあるのかも知れません。
ご存じの方、あまりいないかも知れませんが、ドイツ人俳優のティル・シュヴァイガー氏に感じが似ています。

尚、彼の出身は、現在私の住んでいる州でして、友人宅でバーベキューをしながら、私は、ティーン・エイジャーの少女たちと一緒に、彼が選ばれた瞬間、大騒ぎをしました。

ちなみに、2位は候補者16番、3位は皆さんからもっとも人気のあった、候補者4番です。

では、下をクリックしてください。
『2005年度ミスター・スイスを見る』
(時間が経った為、画像は外しました。)

2005年5月16日 (月)  椅子取りゲーム

先日、大小母さんの誕生会があり、我が義理の親戚が一堂に会しました。
この誕生会は、我が義理家にとって、「年に一度、親戚全員が集まる場」でもあります(ちなみにスイスの誕生会は、主役本人が、全てを支払います)。

皆、普段より着飾り、良いレストランで食前酒から始まるコース料理を食べながら、歓談するのですが……どうも私には、理解出来ないことがあるのです。
我が義理家全員、特に上流階級の大金持ちでもありませんし、かといって底辺層のかつかつ暮らしという訳でもありません。「ごく一般的なスイス人」に属すると思います。
その一般的なスイス人が、親戚だけが集まる、くつろいだ筈のパーティーで何をするのか、今日はそのお話しをします。

晴天の下、テラスでの食前酒も終わり、食事になりました。
レストラン内には、10人ずつ座れる長いテーブルが2台用意され、各席ごとにセッティングも済んでいます。
私と夫B氏が、何気なく空席に座ろうとした時です。B氏の兄であるC氏が強い調子で、言いました。
「ここ4つは、もう埋まっている」
訝しく思いながらも、別の場所に移動すると、幼児用の椅子を持って来たウェイトレスが、
「そこにお子様の椅子を置くと、私たちが支給する時に通れなくなりますので、こちらにお願いします」と、私たちの座ろうとした場所をC氏に示します。
困った私たちは、C氏の顔を見ますが、C氏は何故か頑として譲りません。
「C氏、そこは無理だよ。こっちなら十分場所があるからさ……」
そういう私に、義母が耳打ちしました。
「C氏とJ嬢は、年配者のテーブルに座りたくないのよ」
そう言われてみると、片方のテーブルには年配者、つまり私たちの両親世代以上が座り、もう片方には、若者たちが座っています。

C氏とJ嬢は、私たち夫婦同様、ちょうど中間の年齢ですが、子供が3人いることを考えると(椅子の件もありますし)、年配者の席に着くのが順当かと思われますが、彼らの考えは違うようです。
すると、誰かが気を利かせたつもりなのか、今まで席に着いていた年配者全員に、テーブルを移動するように言いました。
これで、問題は解決と思ったのですが、今度は義母の様子が変です。
見ると、若者テーブルに1席、年配者テーブル3席空きがあり、座っていないのは、私たちと義父母だけです。義母は義父と離れて座るのが嫌なのでしょうか?

「あ、じゃあ、B氏は若者の方に座って。私は、お義母さんの隣に座るから」
今度こそ問題解決の筈ですが、義母はまだ浮かない顔をしています。
「でも、そうすると、みんつとB氏が離れちゃうから……」
「ああ、そんなの構わないですよ。さ、奧に行って下さい。私は邪魔にならないように、一番端に座りますから」
「でもねぇ……」
もう私には、何が問題なのか分かりません。
しかし、このまま座らないでいるのも、そろそろ気まずい感じです。図々しいかとも思いましたが、ぐずぐずしている義母には構わず、私は、思い切って奧に座りました。
すると、案外あっさりと、義母は席に着いたのです。
どうもおかしな具合ですが、結果的に私は、今日の主役である大小母さんの目の前、パーティーの中心に陣取る形になりました。

パーティーが和やかに終わり、家に戻った私は、B氏に尋ねました。
「今日の席取り、なんか変だったよね」
「ああ、あれは、我が家では毎度のことなんだ。いつも、誰が何処に座るかでもめるんだ。俺は、あれが嫌いだ」
B氏は、吐き捨てるように言いました。
B氏の説明によると、比較的仲の良い、話の弾む相手のそばに座ることが、重要なことらしいのです。
これ、見知らぬ人ばかりのパーティーでは、よく見かける光景ですが……。
「でも、お義母さんは、何でなかなか座らなかったんだろう?」
「お袋は、みんつの隣にいた女性が、好きじゃないんだよ」

私の隣にいたのは、義父の弟の元奥さんで、正確には、今はもうファミリーの一員ではありませんが、誕生会に呼ばれていた息子が、彼女を連れて来たのです。
義母の考えでは、彼女は来るべきではない人物のようです。
何ともややこしい話ですが、そんなことを言うなら、恋人はまだファミリーではありませんし、妻の連れ子も、前夫の姓を名乗っているという意味において、ファミリーではありません。
名字が同じと言うだけで、呼ばれたり呼ばれなかったり、皆思いはあるでしょうが、ここは大小母さんの誕生会です。目的はあくまでも、彼女の誕生日を祝うことです。
一年に一日ぐらい、話の弾まない人の隣に座ったって、大したことではないし、これを機に、より良い親戚付合いが始まることだってあるかも知れないのに。

……家族間で駆け引きのある関係って、疲れないのでしょうかね。

2005年5月18日 (水)  ポケモンの毒

前回の日記の大小母さんは、今年91歳になったのですが、まだかくしゃくとしています。
日々の食事などにも気を遣い、健康を心がけて生活していますので、年齢から来る衰え以外には、何処も問題はないそうです。

例えば大小母さんは、毎日無理のない程度に散歩をし、コーヒーではなくハーブ・ティーを飲み、暴飲暴食は避け、食品添加物なども極力取らないようにしています。
そして、頭の方も、若い頃はなかなかの才女だったのではないか、と思わせる活発さで、じっくり話をすると、興味深い人物です。
彼女は、様々なことに自分できちんと判断を下して、健康管理をしているのです。

スイス人というのは概して、健康に良いかどうかということに敏感でして、コンピューターはもとより、携帯電話や電子レンジが出す有害派についてなどは、良く話題になる事柄なのですが、彼女はそういうものに対しても、それなりに読んだり聞いたりしているようです。
(ちなみに、パソコンや携帯電話は、広く普及していますが、私の知る限り、スイスの家庭で電子レンジは、あまり使われていないようです。)

さて、大小母さんの誕生会で、私は自然と目の前に座る大小母さん、そしてその次に年長者である女性二人と話をしていました。
デザートも終わり、皆がいくらか席を移動したりし始めた頃です。
甥っ子二人が、私の元へやって来ました。

20人近くいる親戚の中で、彼らがこの私の元に来、2度と離れなくなる理由は、たった一つです。
『みんつ叔母さんは、ファミリーの中で唯一ポケモンを理解する人』だからです。
ポケモンの国からやって来たみんつ叔母さんは、単にピカチュウが分かるだけでなく、自分たちがまだ見たことのない、伝説のポケモンについても知っています。
期待に目を輝かせた二人の手には、それぞれゲーム・ボーイが握られています。

「みんつ、ボクね、今ミューツー(伝説のポケモンの一つ)を探しているんだ」
「ええ、ミューツーは難しいんじゃない。滅多に現れないでしょう」
こんな会話が、二人は大好きなのです。
こうなると私は、膝の上の次男S太と隣の長男H太から、サラウンドの「見て、見て」攻撃を受けることになります。

私のコーヒーがすっかり冷め、喋りすぎで喉が嗄れて来た頃、見かねた義母が横から助け船を出してくれました。
「ほら、大小母ちゃんにも、見せて上げたら。彼女は、ゲーム・ボーイなんて見たことないのよ」
「うん、分かった。みんつ、すぐ戻って来るから、ちょっと待っていてね」
そう言うと二人は、向かいの大小母さんのところへ行きました。
両側から2台のゲーム・ボーイを差し出され、それが何のためのものか分からない大小母さんは、義母に聞きました。
「これは、何?」
「ゲーム・ボーイっていって……小さいコンピューターみたいなものよ」

第一次世界大戦の年に生まれた大小母さんにとって、コンピューターというのは、何やら若い人たちが使う、便利ではあるが、身体に悪い電波を出すものです。
身体に悪い電波とは、どんなものなのでしょう?
大小母さんは、真剣な面持ちでゲーム・ボーイを睨み付け、言いました。
「コンピューターと同じだとすると……これは、毒なのかい?」

……大小母さん、いつの日か、一緒にメール交換しましょう。

2005年5月19日 (木)  高価な秤

偏屈なのかも知れませんが、私は、他人から物をもらうのが苦手です。
いえ、はっきり言ってしまうなら、飲食物以外は、嫌いなのです。
何故か?
答えは簡単です。好みが合わないから、です。
私、子供の頃から殆ど物欲のないたちでして、滅多に欲しい物がないのです。そして、その代わりというか、欲しい物が出来た時には、融通が利かず、他の物では駄目なのです。
ですから、私はいつも周りの人に言います。「贈り物は、食べ物が良い」(体格の良い男性には、「ビールをワン・パック」)と。

さて、そんな私に毎年2度、欲しい物を聞く人がいます。
はい、皆さんはもうお分かりでしょうが、義母です。
誕生日とクリスマス用に、毎年欲しい物を聞かれるのですが、私には、これが何とも厄介なのです。
最初の年は、義母の作る人参のケーキが美味しかったので、それをリクエストしたところ、「ケーキは、どっちみちみんなで食べるのだから」と、却下されました。
次の年は、ドイツ語の練習に良いと思い、「私でも読めそうな本」と言ったら、「アルプスの植物図鑑」をもらいました。この本は、当時日本人旅行者相手にハイキング・ガイドをしていた、知人に譲りました。
夫B氏から、「それだけは絶対に着ないでくれ」と言われた、下着をもらったこともありますし、ほとぼりが冷めた頃、「恵まれない人用」の寄付箱に入れられた服もあります。

そんな風に月日が過ぎ、私は、普段から欲しい物を探しておく癖が付きました。
どこかで「これがあったら便利かも知れないけど、自分じゃ買わないな」と、思う物を見つけた時、義母にそれとなく言うのです。
雑誌で見かけた「蓋付きの氷を作るケース」とか、取っ手をくるくる回すだけで簡単に出来る「ホイップ・クリーム用のタッパー」など、安過ぎたのか、無言で却下された物もありますが、肉料理にかける「ソースの作り方の本」のように、我が家で、いつの日かの活躍を待っている物もあります。

去年のことです。
私は心機一転、ダイエットをする決心をしました。
ある日偶然、自分の裸を鏡で見て、「これでは、あまりにB氏が可哀想だ」と思ったのです。
私、毎日規則正しく何年間も、というようなことは出来ませんが、短期集中型の極端な行動は、案外出来るのです。
その日から私は、食べる物全てを量り、カロリーを計算しました。

そして、ふと思ったのです。「台所用のちゃんとした秤が、あったら良いなぁ」
それまで私は、B氏が仕事で使う小さな秤で、材料を何度にも分けて量っていたのです。
誕生日の近かった私は、さっそく義母に言いました。
「ダイエット用に使うから、たくさん量れる必要はないが、細かい目盛りがある物が欲しい。バッテリーではなく、昔ながらのタイプで、物を乗せる部分は出来るだけ平らで、普通のお皿でも乗せられるような物が良い。常に机に乗っていても邪魔にならないように、小さくて軽く、洗うのも簡単な物が良い」
皆さん、大抵どこかで見たことがあると思いますが、プラスティックの簡単な秤がありますよね。私はあんな感じの物をリクエストしたのです。

さて、数日後です。
持ち運びに両手を必要とし、受け皿はお洒落な金属で、瀬戸物を乗せると傷が付き、一目盛りが25gで5圓泙芭未譴襦義母曰く「これは高いのよ」という秤が、我が家に来ました。

使ってみると分かりますが、ダイエットが目的ではなくても、25g単位というのは、困った物です。大抵の材料は、5gとか10gで量るのです。
しかも、大きくて場所を取りますので、使い終わったら毎回しまうのは、難儀なことです。
ましてや、「これは、良い物だから大切に使ってね」などと念を押されては、何でもかんでも量るわけには行きません。

そして、言い訳ではありませんが、この秤が来てから私は、何故かダイエットをしていません。
秤が来てから、そろそろ1年が経ちます。もう秤の話題は、誰の口にものぼらなくなりました。
薄着の季節にもなりますし、私、またダイエットを始めたいのですが。

・・・・・・どなたか、プラスティックの簡単な秤と私の物、交換しませんか?

2005年5月23日 (月)  どちらがお好き?

これは私の勝手な推測ですが、世の中には、比較的『料理の好きな女性』と『掃除の好きな女性』がいて、両方が同じぐらい好きということは、少ないのではないかと思うのです。

というのも、料理が好きでしたら、台所というのは常に片付かない場所でしょうし、掃除が好きな方にとっては、使用後の台所ほど汚れている場所は、他にないでしょうから。
(もし、「私は両方好き」という殊勝な方がいましたら、是非、我が家にお越し下さい。)

かくいう私は、どちらかというならば、『料理好き』の方に入るでしょうか。
そもそも、我が母方の家系は、祖母にしろ母にしろ『料理自慢の掃除下手』でして、我が家の食卓がひもじかった記憶も、家の中が整然と片付いていた記憶も、私にはありません。

そんな私が、どういう風に家の秩序を保っているかといいますと、ある程度汚れるまで放って置いて、これ以上は限界となったら、徹底的に掃除をします。
尤も、私個人の所有物はあまりありませんので、我が家の散らかり放題は、専ら夫B氏の成せる技なのです。
そして、そのことに対して、何も言わない私を、『掃除好き』の母に育てられたB氏は、「寛大な妻だ」と勘違いしているようです。
これは単に、まめに掃除をしないので、普段は気にならないだけなのですが、夫のこういう美しき誤解は、私でなくても、主婦ならそっとして置くでしょう。

さて、先日、その限界が来まして、私は家中をぴかぴかにする決心をしました。
床から天井まで掃除機をかけ、タイル張りの所は水拭きをし、水道の蛇口や鏡は、洗った後に乾拭きで磨き上げるのです。トイレなどは、「便器の蓋の上で、食事が出来るようにしてやる」ぐらいの勢いです。

ところが、掃除機をかけ始めて何分も経たない内に、私はあることに気付きました。
掃除の度にきちんと整理している筈の場所に、また新たな物が置いてあるのです。
そうです、B氏の物です。
B氏の部屋は、私の部屋の倍ぐらい広く、棚なども十分にあります。そして、それとは別に、作業道具置き場がお風呂の裏に、汚れ作業の出来る場所が廊下の踊り場あり、その両方を合わせると、やはり私の部屋よりも広いのです。
そうそう、玄関に続く階段にも、各段にB氏の木材コレクションが置いてあります。
これだけの場所があるにもかかわらず、あちこちの床の上に、B氏の物が溢れているのです。

掃除機をかけるには、それらの物を一々退かしては、元に戻さなくてはいけません。
「確かこの間、ここにあった物は棚に入れた筈」と思う一角に、どこから現れたのか、また別の物が置いてあるのです。
そして、すぐ目の前の棚には、それを入れるだけの十分な空きが、まだあるのです。

これは一体、どういうことでしょうか?
どこかから物を持って来て、床の上に置くのも、棚の上に置くのも、労力は同じではないでしょうか? 
それとも、棚をガラガラにして、床一杯に物を置くのは、趣味なのでしょうか?

見ると、引っ越しの度に持ち運ばれているだけで、一度も開けてすらいない段ボール箱もあります。
中に何が入っているのかは分かりませんが、過去何年も使わなかった物は、将来何年も使わないのではないでしょうか?
掃除機をかけながら、私は、だんだん腹が立って来ました。

「これ、失くなっても、分からないんじゃないかなぁ……」
私は、厳重にテープで巻かれた、小さな箱を、そっと持ち上げてみました。
かなり重いです。

「もし私が、うっかりして、これを壊してしまったら……これだけ色々な物が床に置いてあったら、いくら注意していたって、つまずいてしまうことだってあるかも知れないし……そう、こんなに重いとは思わないで持ち上げて、落としちゃったりとか……そうなったら……
捨てるしかないよなぁ」

……B氏よ、ピンチだぞ。

2005年5月24日 (火)  両刃の剣

「絶対にそうでなければ嫌」という程ではないにしても、身体の大きな男性を魅力的だと思う女性は、結構多いのではないでしょうか。

私にしてもやはり、「大きな男って、悪くないな」ぐらいには思うのです。
そして、そういう男性と実際に生活してみると、案外特典があることにも気付きます。

例えばどんなことかと言いますと……
身体の大きな男性を夫にしていて、まず何よりも安心なのは、私がどんなに太っても、決して彼の体重を超えないことです。
夫より体重が多いって、女性にとっては居心地の悪いものなのです。
小柄な男性と洋服を共有できる楽しみは、あくまでも自分のサイズの方が、心持ち小さい間です。夫や恋人に、自分のぱつぱつなジーンズを、いとも簡単に履かれてしまうのは、男性には分からないかも知れませんが、かなりのダメージなのです。

次に良いのは、高いところの物を取る際、台が要らないことです。
普段より少しだけ高い声で、「ねぇ、あれ取ってぇ〜」などと言えば、大きな男性は、面倒臭がるどころか、「みんつは、ちびだからなぁ」と、満更でもなさそうです。
「あ、ついでに、これをそこに乗せておいてぇ〜」と付け足しても、こき使われているとは、夢にも思わないのです。

他にも、重い荷物を遠慮なく持ってもらえる、立っているだけでボディー・ガードに見えるなど、大きな男性は、その体格と力をいかし、日々活躍してくれます。

ところが、ここに思わぬ落とし穴があったのです。

女性なら誰しも経験があるでしょうが、瓶の蓋が開かない、などということは、時々起こります。
こんな時、私はやはり「これ、お願いしま〜す」と言って、自分の手を痛める代わりに、夫B氏に瓶を渡すのですが、ここで気を付けなくてはいけないのは、蓋は、開けてもらうだけにする、ということです。閉めるのは、自分でするのです。

どういうことかと言いますと、私にとっては「固くて開かない蓋」でも、B氏には「普通の力で開く蓋」ですから、B氏にとって「普通の力で閉めた蓋」は、私には再び「固くて開かない蓋」になるのです。
私が蓋を開けたい時には、いつもB氏が家にいる、とは限りませんからね。

私が気付いた時にはもちろん、「緩く閉めてね」と言うのですが、何しろB氏にとっては普通なのですから、忘れた頃にまた、それは起こります。

朝起きて、水道やシャワーの蛇口が開かないことは、よくあります。
B氏は既に出勤してしまいましたから、私は、シャツの裾を手に巻いたりして、必死に水を出します。
また、スイスは乾燥していますので、我が家では加湿器をかけて寝るのですが、この水を入れるタンクの蓋は、開かないことの方が多いのではないでしょうか。
そのためタンクの水補給は、普段はB氏の仕事ですが、何かの都合で彼が留守をした翌朝は、私の喉はからからです。

それでもこれらは、まあ、笑える話です。
しかし、私には一つ、本当に心配なことがあるのです。
それは、マッサージです。

私、腰痛持ちですので、どうにもならなくなると、B氏にマッサージを頼むのですが、そして毎回「軽くで良いからね。ほんとに軽〜くね」と念を押すのですが、これがかなりきついのです。
あんまり言い過ぎると、機嫌を損ねてしまいますので、ある程度は覚悟を決めて頼むのですが……

……私、いつか背骨を折られそうです。

2005年5月25日 (水)  押して駄目なら

もう5年も前のことですが、夫B氏が初めて日本に行くとなった時、やはり日本人女性を妻に持ち、何度か既に来日経験のあったT氏が言いました。
「B氏よ、先輩として、俺が忠告してやれることは、たった一つだけだ。もし、一人の時に、何がどういう仕組みになっているのか、全く見当もつかないものに遭遇したら、兎に角、スイスでやっているのと正反対をしろ。そうすれば、きっと上手く行く」

成田空港についてまず、それは起きました。
電車の自動切符販売機です。
スイスでは、まず行き先のボタンを押します。すると料金が表示され、お金を入れると切符が出て来ます。日本では、そう、正反対です。
「切符の買い方を習いたい」というB氏にやらせたところ、「ああ、T氏の言う通りだ」と、大喜びでした。

次は、私の実家でした。
玄関で鍵を入れると、ひねる方向が、やはり日本とスイスは逆なのです。
水道の蛇口(レバー式。スイスでは、持ち上げると水が出ます)も見事に反対で、手を洗った後に蛇口を閉めたつもりが、水が勢いよく出て来て、などということが度々起こりました。

車の装備なども反対で、これはB氏、スイスに戻って来てからの方が、苦労していました。
コメディー映画みたいですが、左折後に対向車線を走っていたり、ウィンカーを出すつもりでワイパーが動いた、などということが本当にありました。

そして、そんな違いを経験した私たちにとって、「スイスと日本、迷ったら逆をしろ」というのは、今でも語り種になっているほどです。

さて、先日のことです。
B氏が、嬉しそうに報告に来ました。
「みんつ、鋸だけどね、スイスも段々日本式になって来たよ。現場で働いている職人さんたちがね、引くと切れる鋸を使っているんだよ」

工具集めが趣味なのではないか、というB氏は、日本からたくさんの鋸やかんなを持ち帰りました。
スイスのそれらは、押すと切れるようになっているのですが、日本の物は逆ですね。
それが、よほど珍しかったのか、
「引いて切った方が、ずっと簡単だ。日本人は、頭が良いな」
そう言ってB氏は、ホーム・センターで大きさの違う鋸やかんなを、いくつも買っていました。そして、帰国後は、スイスの友人や仕事仲間に、それらを自慢げに見せていたのです。

ファッションや流行にてんで関心のないB氏、どうやら工具だけは、先見の明があるようです。

2005年5月27日 (金)  女の気持ち

「Ich habe keine Ruhe mehr!(イヒ ハーベ カイネ ルーェ メーァ!)」

天気が良いので、家中の窓を開け放って、ホーム・ページの文字化けと格闘していた私の耳に、突然、年配男性のいらだった声が飛び込んできました。

日本語に意訳すると、「うるさくてしょうがねぇや!」とでも言いましょうか。
直訳すると「私は、これ以上、少しも平穏(静けさ)を持っていない」となり、「誰(何)かがガチャガチャと、不愉快に彼を煩わせている」ということです。
これ、はっきり言って、かなりきつい表現です。
その証拠に、言われた女性は息をのむように何か言いかけ、黙り込んでしまいました。

こんな時、俄然好奇心の湧いてしまう私は、そっと窓を閉める代わりに、一言でも多く聞き取ろうと、全身を耳にします。
暫くして、年配女性二人の話し声が聞こえてきました。
こちらは、静かな声ですので、内容までは、はっきりと聞こえませんでしたが、どうやら一人が、相手に何か家庭内のことで、愚痴を言っているようです。

すると、先程の男性の声が、再び荒々しく割り込んできました。
「私、不満なのよ」
少し怯えた、それでいてかたくなな声で、女性が返します。
「不満だなんて言ったってな……」
男性は、威圧的な口調でまくし立てた後、
「俺は、お前みたいに文句は言わないんだ。嫌なことがあってもな、黙って気分転換をするんだ。自分で、楽しくなるようにするんだよ!」
そう言い放ち、どこかに行ってしまいました(へへ、窓からこっそり覗いたのです)。

確かに、男性と女性は、やり方も違えば、考え方も違います。
私は、もめ事の原因を知りませんので、二人のどちらが正しくて、どちらが間違っているなどとは言いません。
結局のところ、両方にそれぞれの言い分があるのだと思います。

しかし、私も女性ですから、彼女の気持ちは推測できます。
あんな大きな声で、荒々しく言われては、何も言い返せません。いえ、彼があんな話し方をするのは、女性に何も言わせないためで、納得させるためではないでしょう。
つまり、一方的に彼女をやっつけることが目的、だとしか思えません。
彼にそこまでさせたのは彼女だ、という言い分もあるかも知れませんが、それでは勝ち負けの問題になるだけで、お互いの幸せには結びつかないでしょう。

女性というのは、男性から見ると、とかく文句を言う生き物です。
男性というのは、女性から見ると、ただのお喋りを文句と捉える生き物です。

「私、不満なのよ」
女性がこう言う時、これは、「貴方が気に入らない」という意味でもなければ、「改善しなくてはいけないことがある」という意味でもありません。ましてや、「貴方のやり方は、間違っている」などという避難では、決してありません。
簡単に言ってしまうなら、「ちょっとお喋りに付き合って欲しいの」という意味です。
うん、うん、と頷いて聞いてくれ、「お前も大変だなぁ。良く頑張っていると思うよ」と言ってもらえれば、気が済むのです。

その後、残された女性二人は、神妙な声でその問題について語り合い、始まった時とは全く違う、さっぱりとした声で別れを告げていました。
もちろん、何も解決はしていません。
それでも、話しただけでさっぱりとした声になるのが、女性なのです。

国が違っても、年が違っても、女は女ということでしょうかね。

2005年5月30日 (月)  品種と傾向

今までずっと書きませんでしたが、実は、私が今住んでいる家にも、猫がいます。
しかも、前の家にいたL氏そっくりの猫です。
(興味のある方は、過去の日記2004年3月19日『危険な同居人』等をどうぞ。)
下に住んでいるお婆ちゃんが飼っている、その猫C氏とL氏の違いは、「C氏の方が、色が薄い」です。

つまり、こういうことです。
L氏とC氏は、同じ品種の猫です。
L氏は黒い毛を持ち、C氏は少し灰色っぽい黒い毛です。C氏は、ちょうど「埃まみれになった黒猫」のような色です。
そして、両方とも去勢された雄です。

初めてC氏を見た時、L氏のストーカー振りに悩まされつつも、居なければ居ないで、寂しく感じていた私たち夫婦は、顔を見合わせて笑いました。
「みんつ、L氏が居るぞ!」
「時々うちに連れて行っても良いか、お婆ちゃんに頼んでみようか?」

その後、我が家にねずみ騒ぎがあり、『C氏を我が家に』計画は、俄然真実味を帯びて来ました。
お婆ちゃんは、私たちがC氏を好きなことを喜び、我が家に連れて行くこと、もしくは出入りすることを、快く承諾してくれました。
私たちは早速、C氏の機嫌を取ろうと試み、ことあるごとに彼の名を呼び、餌を与えたり、撫でたり、晴れた日には玄関のドアを開けておいたりしました。
夫B氏の目撃談によれば、C氏は一度、我が家への階段を数段登ったそうです。
そして数日後、私たちはC氏から、歓迎のプレゼントをもらいました。
ある朝、ドアを開けてみると、玄関マットの真ん中に、ちょこんと「首なしねずみ」が置かれていたのです。

ここまでは、全て順調に行きました。
しかし、やはりC氏は、L氏に似ていました。
そう、姿だけでなく、性格もです。

C氏、私たちの姿を見かけると、かわいい声で「みゃ〜」と鳴きます。
しかし、私たちが撫でようと近づくと、さっと逃げます。そして、私たちが届かない距離で止まり、また「みゃ〜」。
これが延々と続く様は、まさに、L氏そのものです。

「この品種は、おかしいのか?」
私たちのその疑問に、偶然同じ品種の猫を持つ、友人N嬢はきっぱり言いました。
「私は、何匹も猫を飼ったけど、この品種はおかしい」
私自身もまた、たくさんの猫を飼いましたが、この品種には首を傾げるばかりです。

仕方がないので私は、長期戦に出ることにしました。
C氏のおかしな遊びに辛抱強く付き合い、機会がある度に少しでも撫で、ねずみを咥えている時には、必ず褒めました。
そして最近では、私の背中で爪を研いでみたり、階段から転げそうになりながらも、万歳のポーズで、お腹を撫でさせたりするようになりました。
庭仕事のため、外にいる時間の増えた私にも、C氏は満足のようです。

さて、つい昨日のことです。
庭に植え替えた紫蘇の具合を見ようと、外に出た私は、何となく視線を感じ、振り返りました。
そこには、草むらで、腹ばいになっているC氏がいました。
「C氏、そこにいたの」
そういう私をじっと見つめたまま、C氏は、首を静かにすくめ、その草むらに隠れる素振りをしました。
「……」
そこの草は、せいぜい15cmほどで、C氏の姿は丸見えな上、私たちの目はばっちり合っているのに、です。
「C氏、何やっているの?」
C氏は声も立てず、さらに身を屈めます。
まるで、そうしていれば、私からは見えないとでも思っているかのように。

ゆっくり動けば、私たちに気付かれないと思っていた、L氏。
草の丈より頭を下げれば、目が合っていても、見られていないと思っている、C氏。

……君たち、本当に大丈夫なのかい?

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