2005年6月1日 (水)  人生色々

W氏は、警備会社に勤めていました。
地元の陸上でマラソン選手を務めている彼は、派遣先のデパートで万引きがあると、必ず犯人を捕まえることが出来ました。
W氏は足が速いだけでなく、仕事中に無駄口も叩きませんので、上司からも派遣先からも絶大な信頼を受けていました。

ある時、W氏が派遣されているデパートで、深刻な問題が持ち上がりました。
決算期が来てみると、売り場のオーディオ製品が、ごっそりと失くなっていたのです。
どうやら、定期的に何者かが、店の商品を少しずつ盗んでいるようなのです。
W氏と同僚は、以前にも増して万引きに目を光らせました。

数週間後、W氏に比べうだつの上がらなかったその同僚が、犯人を捕まえました。
自宅の部屋に、盗んだ品を箱も空けずに置いていたW氏は、こっそり後をつけて来た同僚に、取り押さえられたのです。

X氏は、もうかなりの高齢です。
定年してから既に何年も経ちますので、家でのんびりする以外には、特にしなくてはいけないことも、もうありません。
自然の中で鍛えられたその身体は、今でも健康ですし、昔から勤勉だったX氏にとっては、何もしないでいるというのは、何とも難しいことです。
ですからX氏は、薪を割ります。

納屋には、天井まで何層にも積み上げられた薪があり、今年だけではなく、この先何年間も冬を過ごせるぐらいの量ですが、X氏は、薪を割り続けるのです。

ただ、X氏には一つだけ、問題がありました。
薪を切り出すのに必要な、チェーン・ソーのエンジンが掛けられないのです。
チェーン・ソーは、付いている紐のようなものを勢いよく引くと、エンジンが掛かる仕組みになっているのですが、この紐が、高齢でやや手先の震えるX氏には、上手に引けないのです。

ですからX氏は、チェーン・ソーのガソリンを買う近所のガレージに行き、そこの店員にこの紐を引いてもらいます。
そして、エンジンが掛かり、うなりを上げているチェーン・ソーを手に、森へと薪を切り出しに行くのです。

Y氏は、ある晴れた冬の日、一緒に住んでいる両親に言いました。
「ちょっと、スキーに行ってくる」
そしてそれっきり、Y氏は、家に戻りませんでした。
心配した両親は、冬山に捜索隊を出しましたが、ついにY氏は見つかりませんでした。

それから7年後、Y氏の両親に、連絡が入りました。
「Y氏は、イタリアで暮らしている」と。

7年前のあの日、Y氏は、家を出た後、裏山に穴を掘ってスキーを埋め、イタリアに行ったのです。
家庭でもめていた訳でも、両親にイタリア行きを反対されていた訳でもありません。
ただ、そうしたのです。

ある日、新聞の死亡欄に、まだ若いZ氏の名前が載りました。
厳粛な葬儀があげられ、将来有望な若者の死に、知人や家族は驚きを隠し切れませんでした。

しかし、元銀行員であったそのZ氏は今、救急車の運転手をしています。
あの死亡記事は、Z氏が自分で出したものだったのです。
高速道路で交通事故があると、Z氏はサイレンを鳴らし、颯爽と怪我人を助けるべく出動して行くのです。

……これ、全員、夫B氏の知っているスイス人です。

2005年6月2日 (木)  知られ過ぎた女

もう皆さんもご存じのように、私は、早起きが苦手です。
若い頃は、それでも色々と努力をしたのですが、これはもう、誰が何を言おうが、出来ないものは出来ないのです。
毎朝6時に起きる方が、毎晩6時まで起きているよりも、私には遙かに大変なのですから。

困ったことに、早起きが苦手ですと、世間では「怠け者」と呼ばれます。
心優しい方は、にっこり笑って「ちょっと変っている」ぐらいで留めてくれますが、どちらにしても、「素晴らしい」とは誰も言いません。
仕事をしている訳でもなければ、学校に送り出さなくてはいけない子供がいる訳でもないのに、世間では、早起きは正しいこと、と決まっているようです。

そして、こんな田舎に住んでいますと、大抵誰が何をしているかは、村中に知られています。
スイス人は、とかく他人の生活を知りたがりますので、私が朝早く起きない、というようなことは、絶対に隠してはおけません。
まして、今住んでいるところは、下の階に老婦人が住んでいるのですから、「私が昨夜何時に寝、今朝何時に起きたのか」、時間までかなり正確に、知られていることと思います。

こういうことは、居心地が良いとは言いませんが、それなりに慣れました。
幸い、下の階の老婦人とは、良い付き合いが出来ていますので、今のところ、特に心配するようなこともないようです。

ところが、先日のことです。

庭先で、いつものようにお喋りをしていると、老婦人が思い出したように言いました。
「この間、郵便配達の女性が、ぼやいていたわよ。『あのこは、9時だというのに、まだ起きて来やしない。書留があるのに、全く、いつまで寝ているのかしら』って。
だから私は、『そりゃあ、早起きなんか出来る訳ないわよ。あのこは毎晩、随分遅くまで起きているんだから』って言って置いたからね。
ところであんた、夜遅くまで、仕事でもしているのかい?」
「……」

老婦人は、私を庇ってそう言ってくれたようです。
私が何か、夜中に大切なことをしている、とでもいう風に。

実は今、仕事の関係で、夫B氏は週末だけしか帰って来ないのです。
そして、典型的な夜型である私の生活は、少しずつ世の中との間に、時差を産んでいるようなのです。

それにしても……。
老婦人は、笑って言いましたが、私が遅くまで起きているのを知っているということは、彼女もまた、遅くまで起きているということでしょうか?
ひょっとして、私のせいで、眠れないのでしょうか?

……ああ、一刻も早く、彼女の寝室の位置を調べ出さなくては!

2005年6月3日 (金)  コントロール症候群

E嬢は、小学校で管理人をしています。
スイスでは、小学校にしろ職場にしろ、公的な場所を自分たちで掃除する習慣がありませんので、彼女の仕事は、簡単に言ってしまうなら、学校の掃除と日本の用務員がする雑務です。
スイスの場合、そういう人たちは、学校に住んでいます。
学校には、なかなか立派な部屋が付いていて、給料が安い代わりに、その部屋の賃貸料も安い、という仕組みになっているのです。

都会では、学校は決められた時間に、決められた用事でしか使用されないのでしょうが、E嬢が住んでいるような村では、学校は唯一の公共の場ですから、あらゆることに使用されます。
村の子供たちは常に校庭で遊び、教室は授業から大人たちの趣味の集まりにまで使われ、村祭りの際には、農夫たちが明け方まで宴会をし、まだ酒の飲み方を知らない青年たちは、トイレだけでなく校庭の隅にも、E嬢へのお土産を残して行きます。

先日、E嬢の住む村でスポーツ大会が行われました。
競歩とマラソンが、成人男性、成人女性、子供の部に別れて行われ、学校は当然のことながら、その中心地となりました。
参加者のスタートとゴール地点がここなら、見物者がソーセージを囓りながらビールを飲むのもここですから、校庭の柵が外され、広い会場が作られました。

そして数日後。
E嬢は、仕事の契約をしている団体から、電話をもらいました。
「大会が終わったのに、柵が元通りになっていない」
女教師の一人が、団体に苦情の電話を入れたそうなのです。
ちょうど、板の数本が痛んでいましたので、話し合いの結果、新しいものと取り替えることになり、E嬢は、柵を付けないままで置きました。

するとある日、村の男性が一人、突然柵を付け始めたのです。
その男性は、業者でも学校関係者でもなく、何と、苦情電話を入れた女教師の夫でした。
(ちなみに、この夫婦も村の住民です。)

不審に思ったE嬢が、校庭に出てみると、その男性は、彼女の顔を見るなり、すごい勢いで怒り始めました。
「いつになったら柵を付けるんだ! 俺が昔、管理人をしていた頃は、こんないい加減なことは、一度だってしなかったぞ!」
「こんな良いお天気の日に、言い争いをするのは止めませんか?」
場の雰囲気を和ませようとした、E嬢の努力もむなしく、その男性は、怒鳴り、柵を付けると帰ってしまいました。

私の推測では、これはきっと、こんなようなことだと思います。

毎日教室から、校庭の柵が元通りになっていないのを見る度に、例の女教師は苛々していました。
「元々あった柵は、外したら元に戻すべきだ」これが、彼女の考えです。
そこが、彼女の家ではないことも、柵がなくても誰も困らないことも、彼女には大切ではないのです。ただ、「そこに柵を戻すべきだ」、という思いが適えられないことに、不満なのです。
そして、そのことを家に帰っては、夫に愚痴っていました。

最初のうちは、「もう、俺には関係ないから」と思っていた夫も、日が経つにつれ苛立って来ます。
女房にこう頻繁に愚痴られて平気な夫は、あまりいないでしょう。
「E嬢は、何故柵を戻さないんだ? 大会はとっくに終わっているのに、あれでは仕事をさぼっているのと同じではないか? 噂によると、E嬢は、かつての自分よりも高い給料をもらっているらしい。それなのに、自分がしていた頃より、ずっと手を抜いている。こんなことは、許されない。柵は、一日も早く戻すべきだ。俺は、あの女のようにいい加減ではないぞ」

そして、工具を片手に学校へ勇んで……

自分が良いと思うように事が運んでいないと、スイス人は、穏やかではいられません。
たとえそれが、自分には全く関係のない、他人の家の中のことでもです。
適当に聞き流し、笑っていられるだけの許容量がないと、私のような外国人には、とても暮らして行くことが出来ないのです。

……さて、そろそろ私も、一ヶ所に集まって生え過ぎた、苗の植え替えでもしましょうか。
でないと、下に住んでいるお婆ちゃんが、安心して私の畑を眺められないでしょうから。

2005年6月7日 (火)  もう一つの現実

これは、私がベルンで働いていた時の話です。

ある晩、仕事中の私の元に、同僚のN嬢がやって来ました。
彼女は、香港からの留学生で、休日の今日は、スイス人の恋人とデートの筈です。
神妙な顔で立っているN嬢に、どうしたのかと聞くと、彼女はいきなり泣き崩れました。
「彼に、殴られたの!」
これは、ただごとではありません。
私は、N嬢を座らせ、話を聞きました。

どうやら、N嬢と恋人の間に、今夜別れ話が持ち上がったようなのです。
学生としての研修期間が終わり、そろそろビザが切れそうになっているN嬢は、恋人との結婚を望んでいました。
そうすれば、恋人と離れないで済む上に、スイスでの滞在や就労が合法になるからです。
それに比べ、恋人の方は、ビザが切れる以上、N嬢は一度香港に戻るものだと思っていたのです。

こういうケースは、正直に言えば、スイスではよくあることです。
貧しい国や政治の安定していない国から来た外国人にとって、スイスというのは、どうにかしてパスポートを取得し、永住したい国ですし、先進国の外国人の多くにとっては、ステイタス・シンボルになる国です。
ですから、スイス人の恋人との結婚を安直に望む外国人は、私たちが想像する以上に、ずっと多いのです。

しかし、スイス人にとっては、これはかなり居心地の悪いことです。
少し想像すれば分かると思いますが、自分は相手が好きだから結婚しているのに、相手は自分のお金や対外的なイメージ、もしくは永住権を欲しがっているだけなのです。
それは、悲しいことではないでしょうか?
結婚して数年経ち、パスポートを取得したら、「はい、さようなら」などということは、良く耳にしますし、酷い場合ですと、婚姻関係中に出来た子供が、実は妻の愛人の子供で、それに気付かなかったために、離婚後も養育費を払い続けているという人もいます。

N嬢にとって、恋人と離れたくないという気持ちは、もちろん第一にあるのでしょうが、スイスで暮らすということは、香港で暮らすよりも響きが良いことも確かでした。
実際、ビザの切れかかっているN嬢は、何とかしてスイスに留まろうとしていました。
そんなN嬢が、別れ話を持ち出され、何とか恋人を繋ぎ止めようとしてすがった行為が、彼を怖がらせ、怒らせたようです。

どんな理由があっても、男性が女性を殴るのは、絶対に許されませんが、私が困惑したのは、それでもN嬢が、彼との結婚を望んでいたことでした。
自分を殴る男性と結婚しても、先は見えているのではないでしょうか?
それでも、スイスに留まる方が、香港でキャリアを築くよりも、魅力的なのでしょうか?
当時の香港は、決して貧しくもなければ、政治的に不安定でもありませんでした(恥ずかしながら、今の香港の情勢を、私は知りません)。

その晩、N嬢の部屋に泊った私は、彼女から恋人との話を詳しく聞きました。
どんな付き合いをしていたのか、どんな風に話がこじれたのか、どんな風に彼が殴ったのかなどを。
そして、話の合間に彼女は、何度も繰り返しました。
「私は、あんなに尽くしたのに、何故彼は私と結婚したくないの? 彼の部屋はいつだって綺麗に掃除をして置いたし、仕事から帰って来たら、温かい料理が出来ているようにしたわ。洗濯だって、アイロンだって、みんな彼のためにやったのよ。私は、良い妻になれるわ」

彼女には気の毒ですが、私の知る限り、スイスの若い男性は、そんなことは自分で出来ます。そういうことのために妻を探す男性は、きっと香港や日本の方が多いでしょう。
将来良い職に就き、良い仕事をし、良い暮らしをするために、N嬢は、わざわざスイスにまで来たのではなかったのでしょうか?
一人の女性として自立し、自分の人生を豊かにするための留学ではなかったのでしょうか?
そんな女性に、N嬢の恋人は、魅力を感じたのではないでしょうか?

好きな人の側にいたい。好きな人と結婚したい。
これは、男だろうが女だろうが、当たり前のことです。
また、生活の安定や社会的な地位のための結婚も、私は、悪いことだとは思いません。
スイスのビザが欲しいから結婚したい、これだって、ちっとも構わないと思います。
結婚に何を求めるかは、個人の自由です。
ただ、それは、相手も合意の上で、ではないでしょうか?

「こんなにお祈りしているのに、どうして神様は願いを叶えてくれないの?」
敬虔なキリスト教徒であるN嬢は、泣きながら、無宗教の私に聞きました。
……多分、神様は彼女を守ったのでしょう。でなければ、N嬢には、惨めな将来が待っていた筈ですから。

2005年6月8日 (水)  スイス式畑の作り方

他人から、『spiessig(シュピーシック):俗物的な、偏狭な、視野が狭い』と言われることを、スイス人は非常に嫌がります。
「あいつは、シュピーシックだ」と言った場合、ここには必ず、相手を蔑む気持ちが含まれています。
しかし、スイス人は皆、私の知る限り「シュピーシック」なのです。しかも、かなりです。

今年、畑を始めるにあたって、私は夫B氏に宣言しました。
「今年から、畑は可能な限り、シュピーシックに作るわ」
スイス人であるB氏は、やはりこの言葉にもごもごと反論を試みましたが、「スイスで一番シュピーシックな畑作りを目指す」という私に、苦笑いを見せました。
そして、その言葉通り、まだまだ改良の余地はありますが、私の畑は、なかなかきっちりと出来上がったのではないかと思います(興味のある方は、左メニューの『みんつの暮らし』→『畑』をクリック)。

では、私が何故、シュピーシックな畑にこだわるのか?

理由の一つは、その方が楽だからです。
種を蒔く時に、きちんとラインを作っておけば、生えてきた芽が雑草なのかそうでないのか、一目瞭然です。
経験のある方は分かるでしょうが、雑草というのは何故か、似たような姿の物の中に紛れて生えますし、出て来たばかりの芽は、どれも同じに見えます。

また、畑の幅を自分の身体に合わせて揃えておくと、収穫時に便利です。
ごちゃごちゃと生えた奥の方の野菜は、取り難いばかりでなく、傾斜した上半身に重心の掛かる姿勢が続くと、腰痛の原因にもなります。
私は既に腰痛持ちですので、これは、案外大切なのです。

それから、私の畑は今、3ヶ所に別れていますので、ある程度何処に何を植えるか統一しておかないと、「ちょっとハーブが欲しいな」などという時に、あっちにもこっちにも行かなくてはならなくなります。
大した手間ではありませんが、私は面倒臭がりですから、簡単な方が良いのです。

そして、もう一つの理由は、……ここがスイスだからです。

スイス人というのは、不可解な人種でして、自分の本質を否定する発言をする傾向があるのですが、では、その否定している本質を変えるのかというと、そうではないのです。
これは、かなり厄介で、私たち外国人には分かり難いのですが、簡単に言うとこういうことです。

「シュピーシック」であることを毛嫌いするスイス人は、本人自身が「シュピーシック」であり、それを認めることは決してありませんが、変えることも決してないのです。
いえ、変えたいとすら、思っていないのです。
そして、何かを大雑把に行っている人、つまり、シュピーシックでない人を見ると、落ち着いてはいられないのです(日記、6月3日『コントロール症候群』参照)。

仮に私が、いい加減な畑を作った場合、この村での評判は、まあ、簡単に想像が付きます。
ですから、私は、可能な限りシュピーシックな畑を作りたいのです(あ、これ、実際のところは楽しんでいますから、ご心配なく)。

さて、その畑ですが、やってみて分かったのは、村の人たちは誰も、私が本当に畑をやれるとは信じていなかった、ということです。
実は、以前にも畑を欲しがった女性がいて、その人は、もらった畑を結局、全く使わなかったらしいのです。どうやら、私もそうだろう、と思われていたようです。
ところが、蓋を開けてみてびっくり。
この小さなアジア人は、当初の分では足りず、草の生えている所まで掘り起こし、石を除き、誰が見てもシュピーシックな畑を作ったのですから。

畑をくれた二人のお婆ちゃんから始まり、私の様子を見ていた、その娘たちや夫たち(この辺は、みんな親戚なのです)が、私に言いました。
「あんたの畑は、ティップトップ(tipptopp:最高の、ものすごく良い)だ」
最近では、いっぱいに生え出している野菜を見て、
「あんたは、緑の親指を持っている(園芸の上手な人を指します)」とまで。

つい先日、余所の村のパーティーで、偶然そばに座った夫婦と畑の話になりました。
「畑は、出来るだけシュピーシックな方が良い。その方が便利だし、何よりも見た目が綺麗だ」
そう私が言うと、やはり畑が趣味らしい奥さんが、嬉しそうに言いました。
「そうよね! ほら、あんた、彼女だってそう言っているじゃない」

……スイス人と仲良くするには、シュピーシックな畑が、一番のようです。

2005年6月9日 (木)  冷夏の怪

おかしい、絶対におかしいのです。

6月だというのに、ここアルプスは、まだ寒いのです。
天気は良いのですが、冷たい風が吹き、「今年は、夏が来ないのか?」と思うほどです。
村の人々も、「この時期に、こんなに寒いのはおかしい」と言い、6月に薪を焚くことが、果たして正しいことなのか、決めかねているようです。
そして、この自称「ハード・ボイルド主婦みんつ」ですら、散歩の途中で手足がすっかり冷えてしまい、慌てて戻って来るという有様です。

そのせいかどうか分かりませんが、我が家の玄関先にも、不可解な現象が起こっているのです。

ここ数日、私が新聞を取りに行くと、玄関の内側、ドアのすぐそばの床に、見たこともない物が落ちているのです。
何か、植物の蕾を細長くしたような、もしくは、大きなおたまじゃくし(アメリカン・おたまじゃくし?)の頭を細長くしたような感じの、灰色とも薄茶色ともつかない物体が3、4粒、毎朝そこで干からびているのです。
見た目にあまり感じの良い物ではありませんので、毎回掃いて捨てているのですが、翌朝にはまた、同じものが3、4粒、玄関に転がっています。

これは、何でしょう?

私、天気が良い日は、いつも家中の窓やドアを開け放って置きますので、風に運ばれた植物か何かが、玄関の中に入ってしまうのでしょうか?
そう考えると、そのおかしな物体は、玄関の前に植えてある、薔薇の蕾に似ていないこともありません。
薔薇の蕾の方が、ずっと丸味がありますが、ひょっとしたら、上手に成長できなかった蕾が、落ちて乾き、風に飛ばされているのかも知れません。

最初の内は、私、無邪気にそんなことを考えていたのです。
しかし、何気なく薔薇を見て、気付いてしまいました。
我が家の玄関先の薔薇は、まだ、蕾すら付けていなかったのです。

翌日、あまり気が進みませんでしたが、やはり玄関の内側で干からびている粒たちを、私は、少しだけよく見てみました。

それは、蕾ではないようです。
花びらやがくのような切れ目は一切なく、その代わりに、薄い横線が何本か、皺のように入っています。
そして、茎だと思っていた部分は、どちらかというと尻尾に近く、簡単に言うなら、まだ手足の生えていない、うんと小さいねずみの胎児、というような姿です。

それが、ねずみの胎児でないことは、私にも分かりましたが、どうも薄気味の悪い物体でしたので、私は、それを掃いて捨てると、玄関の鍵を一日中しっかり閉めて置きました。

ところが、翌朝新聞を取りに行くと、またあの物体が3、4粒、玄関の内側に落ちています。
どうやらその粒は、自力でドアの中に入って来ているようです。
ということは、つまり、これは、「生き物である」ということです。

そいつらは、私の知らない間に、ドアの隙間から我が家の玄関に無理矢理入り込み、何の理由でか、そこで干からびるのです。
それを、毎日繰り返しているのです。
手足がありませんから、横縞だと思っていた線を蛇腹のように動かして、ゆっくり進んで来るのでしょう。

スイスで暮らすようになって、アブのように大きいハエも、「部屋男」という名の付いた、足の長いクモも、小さな魚のような形で、壁を勢いよく走る、ウィリアム・バロウズの幻覚にでも出て来そうな生き物も、時間と共に、それなりに受け入れました(クモは、夫B氏に頼みますが)。

しかし、こいつらは、気味が悪いです。
出来れば、関わり合いたくない気分です。
虫なのか、動物なのかすら分からないこいつらは、毎朝、干からびるためだけに我が家に入ってくるのです。
動いているところを誰にも見られないように、多分深夜から早朝に掛け、3、4匹で一つのチームを作り、ゆっくりと、しかし、断固として、我が家の玄関に侵入するのです。

……おい、おまえらの目的は、一体何なんだ!?

2005年6月13日 (月)  自信と自惚れの距離

ヨーロッパ諸国の多くがそうですが、スイスでも多重国籍が認められています。
簡単に言ってしまうなら、結婚や仕事などの事情で、スイスに規定年数以上滞在していると、自動的にスイスの国籍が取得出来るのです。
ただ、日本人の場合、日本側が多重国籍を認めていませんので、スイス国籍を受け取った時点で、どちらの国かを選び、もう一方を放棄しなくてはいけません。

ちなみに、興味のある方もいると思うのでお話しますが、私の場合は、スイス滞在年数や結婚期間など、実際のところ規定年数に達しているのではないかと思うのですが、長期間スイスを離れていたことがありますし、何度か住民票も抜いていますので、まだ通知は来ていません。
そして、私は日本人であることを放棄するつもりはありませんので、日本側が多重国籍を認めるまでは、日本国籍のみに留まります。
つまり、スイスでは、一生外国人として暮らして行く予定です。

以前にも少し触れましたが、そういう状況ですから、スイスの国籍を取得したい外国人はたくさんいまして、スイス人から見ると、時には、あまり感じの良くない方法で取得した、と言いたくなるような方もいます。
ですから、スイスのお役所などは、外国人が何かの申請に来た場合、必ずしも好意的な方ばかりとは言いかねるのが実情です。

私の経験でも、「どうせ、スイスのパスが欲しいのでしょう」と、言わんばかりの人もいました。
それでも、彼らのサイン一つで自分の生活が左右されると思うと、私も最初の頃は、外国のお役人を前に、やはり緊張していましたが、そういうスイスの事情を知った今は、少し違います。

役所に行くと、私は、まずはっきりと言います。
「私は、日本人で何不自由していない。外国旅行の時など、場合によっては日本のパスポートの方が、スイスのそれよりも歓迎される。日本国籍を放棄して、スイス人にならなくてはいけない理由がないどころか、特にメリットがあるとも思えない」
何とかしてスイスの国籍を取得したがる外国人に慣れていた役人にとって、これは、新鮮な驚きであるようで、皆さん、はっとした顔をします。
「そうだ、スイス以外にも、裕福な国はあったんだ」とでもいうように。

残念なことですが、外国人がたくさん住んでいるということは、スイス人にとって、良いことばかりではなかったのです。
増えつつある凶悪犯罪の大半は、外国人によるものですし、困難な国からの移民を積極的に受け入れ、直接ではないにしろ、自分たちの税金で援助をしているにもかかわらず、「スイス人は冷たい」などと言われては、うんざりしても仕方がないでしょう。
余所者は、自分から何かを取ろうとしている、そんな風に考えがちのスイス人にとって、私のように「貴方たちのものに興味はない」と言い切る外国人は、別の意味でショックなのです。

それと同じように、普段はあまり感じませんが、やはり時々、「少しばかり自惚れているのでは?」と、思えるようなスイス人に出遭うことがあります。
「日本からスイスに来て、きっと、随分カルチャー・ショックを感じたでしょうね」
こんな風に言う方がいます。
もちろん、悪気はないのですが、こういう人の頭にあるのは、「遠いアジアなどから、先進国の中でも最先端にあるスイスに来て」という先入観です。
面白いことに、こういうことを言うのは、何故か知識人階級にいる人です。

単純に「日本とスイスは違う?」と聞かれれば、私も楽しい話をします。いくつでも失敗談はありますし。
しかし、根が意地悪な私は、「こういう思い上がりは、少し叩いておいた方が良いかな」などと思うのです。賢くあるべき筈の人には、ちくりとやっておくのです。
「はい、かなりびっくりしましたね。ヨーロッパって、日本よりずっと進んでいるのかと思っていましたけど、皆さん、私の祖母の時代のような暮らしなんですね」

スイスと日本は、国の状況や経済的な立場などが、よく似ています。
どちらも地下資源がなく、人の技術で成り立っている国です。
そして、ヨーロッパ一勤勉とされるスイス人は、自国の教育水準や仕事ぶりに誇りを持っています。
これは、良いことですよね。
ただし、余所を知らないで自分たちが一番だと思ったら、大間違いです。

……自分を知らず、いつも余所の方が優れていると思うのも、やはり間違いですけどね。

2005年6月15日 (水)  隣の息子

この村に越して来た当初から、私には、気になっていることがあるのです。

この村は、スキー場がある関係か、外国人や都会に住むスイス人の別荘が、いくつも建っています。
そのせいでしょうか、村の地元民は、余所者に対して、幾分閉鎖的な感じがあります。
入れ替わりやって来る見知らぬ者に、一々愛想など振りまいてはいられない、というところでしょうか?

それはまあ、仕方のないことですし、そのこと自体は、何も問題ではないのです。
私はここに住んでいるわけですし、要は、ゆっくりと時間を掛けて、理解し合って行けばいいことです。
ですから、出来るだけ私の方から愛想を振りまき、機会があれば「良いお天気ですね」などと言って、立ち話の一つも出来るよう、心がけてはいるのです。
その成果があったのか、村の老人たちとは、少しずつですが、最近お喋りが出来るようになって来ました。

しかし、ここに一人、不可解な男性がいるのです。
隣家の息子です。
彼は、30代後半から40代前半というところでしょうか。いつも父親らしき人物と一緒に、牛の世話をしています。
ちなみに、父親らしき人物は、ぶっきらぼうではありますが、ごくごく普通の田舎のおじさんで、我が夫B氏などは、「村で一番、気の良い爺さんだ」と言います。

では、この息子の何がおかしいのかといいますと……
私は毎日、夕方になると畑の野菜に水をやるのですが、その水を取る場所が、隣家と共同の蛇口なのです。
長いホースをぶら下げて、隣家の壁際にある水道に行く私は、当然のことですが、牛舎で働いているこの息子と、良く顔を合わせます。
「こんにちは。水、今私が使っても、大丈夫ですか?」
私は、毎回にっこりと微笑んで、こんな風に言うのですが、彼はうんともすんとも言わないのです。
たまに、機嫌が良いのか、ぼそぼそと挨拶が帰って来ますが、それでも何やら気に入らないといった顔付きなのです。

一体私が、何をしたというのでしょうか?

つい先日も、通りに出ている彼に、「こんにちは」と言ってみました。
しかし彼は、怪訝そうに私の顔を見ると、何も言わずに行ってしまいました。
いくら余所者に閉鎖的だといっても、これは少しおかしいのではないでしょうか?
1mそこそこの距離で挨拶をされて、しかも完全に自分しかその場にはいなくて、その挨拶を無視するというのは、どういうことでしょうか?

「B氏、隣の息子だけどさ、外国人嫌いなのかなぁ?」
少し不安に思った私は、ある日、B氏に聞いてみました。
「え、あいつ、みんつに対しても感じが悪いのか? 俺さ、この間挨拶したら、無視されたんだよな。すぐ目の前だったから、気付かないなんてことは、絶対ないのに。……変なやつだよな」

どうやらこれは、私自身に問題があるのではないようです。
その後も気になった私は、今まで通り挨拶を続け、それとなく彼の反応を観察してみました。

私の挨拶に答えない時、彼の表情は、攻撃的というよりは、むしろ、戸惑っているという感じです。
なんというか、「出来れば、挨拶などして欲しくない」とでもいった風です。
そして、一度だけですが、向こうから挨拶をしてくれた時も、やはり同じ表情をしていました。
しっかりと扉を下ろして、無愛想の仮面でそれを守っている、とでもいいましょうか?

しかし、何故そんなことをするのでしょう?
ひょっとすると、この息子は本当に、単なる変わり者なのでしょうか?

そうやっていつも観察していた私に、最近ふと、ある考えが浮かびました。
私の知る限り、酪農家の人たちは、大抵家族全員で、時には子供も総動員で、牛の世話やら草刈りをするのですが、彼が父親以外の人といるところを、私は見たことがありません。
頑なに閉ざされたような表情や、気軽なお喋りを拒むような雰囲気……

……あんた、ひょっとして、まだ嫁がいないのかい?

2005年6月16日 (木)  言葉の意味

皆さんの中で、自分が生まれ育った所とは違う土地で暮らしている方は、どのくらいいるのでしょう?
今の土地は、故郷からどのくらい離れていますか?
そこで使われる言葉は、皆さんが慣れ親しんだものと、どのぐらい違いますか?

私は、毎日、全く違う言葉の中で暮らしています。
言葉自体が違うことは元より、その表現方法の基盤が違います。
そして、言葉の持つニュアンスが分かってくるようになるにつれ、幾分戸惑いも増えつつあります。

どんなことか、いくつか具体的に例を上げてみましょうか。

まず、人々の使っている言葉の語彙が、貧しいように感じます。
「悪くない」「まあまあ」「私は気に入った」「とても良い」「素晴らしい」「最高」……。
同じ「良い」でも、たくさんの言葉があります。
普段から言葉を選んで使う人が、「あの絵は素晴らしかった」と言ったら、私は、その美術館に行ってみたいと思うでしょう。
また、何かを勧める時に、「私は気に入った」と言われたら、例えそれが私の好みに合わなかったとしても、楽しむことが出来るでしょう。
しかし、何を聞いてもいつも「super(スーパー):素晴らしい」では、その人が本当に何かを感じているのか、疑いたくなります。

次に、人に何かを頼む時に、適さない単語を使う、もしくは、使うべき単語が欠けていることが多いように思います。
例えば、「bitte(ビッテ):お願いします」と言う人が少ないのです。
子供が大人に何かを頼むのに、この言葉が入りません。
そして、大人自身も、子供にそれを言うように促すどころか、そこに気付いていないようです。

逆に、「nicht(二ヒトゥ):否定に使う」は不要です。
本人は遠慮しているつもりなのでしょうが、何かをして欲しい時には、「xx出来る?」と聞く方が「xx出来ない?」と言うよりも、素直に「良いよ」と答えられます。
ましてや、「mussen(ミュッセン):〜しなければならない」は、既に頼み事ではありません(正確には「u」の上に「・・」が付きます)。

そして、何よりも私が気になるのは、汚い単語を使うことです。
分かりますでしょうか? 
下ネタを表すような単語が、日常会話の中で、単なる感嘆詞やちょっとした強調として、頻繁に使われるのです。

子供達が一過性の流行として、そういう言葉に興味を示すとか、気のあった仲間内でふざけて使うというのなら、日本でもそうでしょうし、笑って聞き流せますが、いい年をした大人が、そういう言葉で普通の会話を飾ることに、私は、どうしても抵抗があるのです。

一つ例に出すなら、大人も子供も男も女も、皆、「hure(フーレ):売春婦、女性を罵る言葉。転じて、すごい、というような意味に使います」なのです。
どんなに綺麗に着飾っても、こんな言葉では、興ざめではないでしょうか?

ところが、スイス人に聞くと、彼らはこう言います。
「私たちは、そういう細かいことには、こだわらないから」

私は何も、上品ぶって気取った会話をしたいわけではありません。
ただ、せっかくあるたくさんの言葉を、その時々の状況や気持ちに合わせて、使い分けたいのです。
例えそれが、私の母国語ではないとしても、です。

町を歩いている時、パーティーなどに行った時、不意にこの手の言葉が私の耳に入ります。
テレビを見ていても、ドラマの俳優たちが、そういう台詞を日常的に使います。
これは、スイス人にとって、面白いことなのでしょうか?

……そういう細かいことが、人間性の形成に必要だと思うのは、私だけでしょうか?

2005年6月20日 (月)  夫の趣味

夫B氏は、現在仕事の関係で、週末だけ家に帰って来ます。
私は、独身気分で、久しぶりの独り暮らしを満喫しているのですが、スイス人は面白いもので、皆さん「まあ、独りぼっちで可哀想に」とか「夜、部屋に独りでいるなんて怖くない?」といったような、私自身は全く考えてもいなかったことを、聞いて来ます。

「いいえ、全然怖くないですよ。独りだと、好きな時にだけ家事をすれば良いから、気楽です」
私が毎回そう答えているにもかかわらず、同じ人から同じ質問が、度々繰り返されます。
正直言ってこの質問は、そろそろうっとうしいのですが、どうすることも出来ませんので、毎回阿呆のような問答を繰り返しています。

「この間なんか、すっかり忘れて、玄関を開けっ放しで寝ちゃいました」
ここは一つ、笑いでもとって、この質問にけりを付けようと、こんな風に答えようものなら、本気で驚かれてしまいます。

うーん、夫が家にいない妻は、独りで寂しくて、怯えていなければいけないのでしょうか?
しかし、こんな田舎で、熊が出るわけでもないし……ひょっとすると、スイスの女性は、恐がりなのでしょうか?

さて、そのB氏ですが、帰って来ると必ずコンピューターを開け、何やら神妙な顔付きで、机に向かっています。
インターネット回線をずっと取られてしまうので、私としては少しばかり困るのですが、仕事のレポートか何かを書いているのでしょうから、文句は言えません。
私は、邪魔をしないように、静かにしていました。

しかし、毎週末、長時間に渡ってインターネットを使用していますし、場合によると、夜の間もコンピューターを起動させたままです。
仕事のレポートなら、そんなにインターネットは要らないはずですが。
B氏は、一体何をしているのでしょう?

毎週末のことに、何だか気になって来た私は、この間、難しい顔をしているB氏の肩越しに、コンピューターの画面をそっと覗いてみました。
すると、B氏が言いました。
「お、みんつ、ちょっと椅子を持っておいで。良いもの聞かせてあげるから」
私は言われるままに、自分の部屋から椅子を取って来て、B氏の隣に座りました。

クリック、クリック、クリック。
B氏の操作に合わせ、アルプスに軽快な音楽が、響き渡りました。
『♪オレ〜、オレ〜、ジャカジャカジャン、マツケン・サンバ〜♪』
「あっ!!!」
なんと、B氏は「マツケン・サンバ」をダウン・ロードしていたのです。

「そうだ! みんつ、これを歌っているあの侍の人、何ていう名前か教えてくれないかな。あの、ゴールドの着物の写真があると、良いと思わないか?」
そんなことを聞かれても、松平健氏の画像の使い道など、私には思い付きませんが……

「B氏、もしかして、あのダンスも踊れるようになりたいの?」
「ああ、あのダンスか……そうだな、踊れたら面白いかもな」
「……」

3月に帰国した際、確かに日本のテレビでマツケン・サンバを何度か見ましたし、2歳の姪っ子もあの曲で踊っていましたが、まさかB氏まで、あれを気に入っていたとは。
そういえばB氏、その前の帰国では、『慎吾ママ』の歌を覚えていましたっけ。

その後、週末に戻ってくると、私に色々と注文を出し、日本の歌手の名前をたくさん聞き出したB氏ですが、……昨日の夕方は、キョンキョンを聞いていました。

……ええと、B氏を日本に連れて行ったのは、本当に正解だったのでしょうか?

2005年6月21日 (火)  苦労って何?

スイスで暮らすようになってから、日本にいたらきっと出会わなかっただろう人たちと、たくさん知り合いました。
スイス人も日本人もいましたし、それ以外の国からの人もいました。
母国ではおそらく上流階級に属していただろう人もいれば、その逆の人もいました。
皆それぞれに事情があり、その背景から成り立つ現在があります。

自分で言うのも何ですが、私は、苦労を知らずに育った方だと思います。
両親はごくごく普通の父母ですし、心身共に不自由もありません。また、学校や社会で酷い目にあったこともありませんから、苦労と言えるようなことは、特に思い当たりません。

さて、スイスで知り合ったそんな人たちの中で、私にはどうしても首を傾げざるを得なかった人が、何人かいました。
その人達は、多分、私には想像も出来ない苦労があったのでしょう。
本人自身も、そういったことを折に触れ、口にしていましたから。

苦労というのは、経験だと思います。
他人がしないような苦労をして来た人は、その経験から、深い人間性や包容力、柔軟性といったものを養ったことだろうと思います。
他人が知らないことを知り、見ないことを見ているのですから、そういう人物にはそれなりの豊かさがあっても、不思議ではないと思うのです。

ところが、残念なことに、そうとばかりも言えないようです。
苦労をしたが故に、世の中はいつも自分の敵だと思い、苦労をせずに何かを得た人を羨んでいるような人たちもいました。
何かが思い通りに行かなかった時、誰かが自分に共感しなかった時、
「ああ、あんたには、苦労した人間の気持ちは分からない」
と、彼らにとって苦労とは、まるで特別な切り札か何かのようでした。

もちろん、苦労をしていない人間にとって、苦労をした人の気持ちなど、分かる筈はありません。それは、単に未知のものですから。
しかし、苦労をした人には、それをしていない人が、そのことについて想像は出来ても、理解は出来ないということが、分かるのではないでしょうか?
何しろ、経験者なのですから。

スイスは少し違いますが、ヨーロッパには貴族制度などの名残のある国もあり、生まれながらにして、何もせずに生活出来てしまう人たちがいます。
また、大人になっても何年間も学生を続け、親元で生活するような人もいます。
これは、良い悪いではなく、そういうことの出来る環境が、その人の家庭にも、社会にもあるということです。

「親のすねを囓って大学に行くような人、私、大嫌いなのよね」
ある男性の親が、彼の学費を出していると聞き、即座にこう言った人がいました。
その人は、それ以上、そのことについて知ろうとすらしませんでした。
私は偶然知っていたのですが、彼は、自分のお金で学校に通えるだけの貯金をしてから、大学に入り直したのです。たまたま、彼の両親に経済的な余裕があり、両親が学費を払うことになっただけです。

また別の人は、少し狡いやり方で商売をしている人を、警察に通報しようかと考えていました。
きちんとした方法でやる方が良いのは当前ですが、世の中には、そういう風に成り立ってしまっているものがあるのも事実です。
通報したいのなら、私は、したら良いと思いますが、その線引きは何処でするのでしょう?
100%合法でない人全部を通報するのか、その人だけを通報するのか?

「何故その人だけが、そんなに気になるのですか? 道徳観の問題なら、通報すべきだと思いますが、その人が、苦労もなく良い思いをしていることが悔しいのなら、もう一度客観的になって、考えた方が良いと思いますよ」
相談されて、私がそう答えたところ、
「やっぱり、貴方のようにスイス人と結婚して、こっちに住んでいる人には、私のような人間の苦労は、分からないのですね」
と言われ、それきり連絡がなくなりました。

苦労って何でしょう?
「若いうちの苦労は、買ってでもしろ」などとも言いますが、そのせいで人間性が歪んでしまうような苦労なら、私は、しない方が良いのではないかと思います。
全く苦労を知らず、野に咲くひまわりのように、大らかで明るい人の方が、人の成功を妬む苦労人より、ずっと素敵ではないでしょうか?

「みんつさん、知らない土地で、随分苦労もあるんでしょうね?」
時々、そんな風に言って下さる方がいます。
いいえ、苦労なんて言うほどのことは、何もありません。

……でも、経験値は、上がっていると良いなぁ。

2005年6月22日 (水)  テレビ事情

地方局については良く知りませんが、スイスには、テレビ局が2つあります。

この2局、やはり朝から夜まで放送しているのですが、時々「え、これって休憩なんじゃないの?」と思うような番組もあります。
例えば、普通の時間なのに、スイスの地方の風景やスカイ・ダイビングをしている人を、解説も何もなしに上空からずっと映しているだけ、といったものです。

正直に言えば、スイスのテレビ局は、興味の湧く番組など滅多に放送しませんので、私は、普段殆どテレビを見ないのですが、たまに食事の間とか、ちょっと試しにといった感じで、つけることがあります。
そして、いくつか面白いものを見つけましたので、今日は、そんな番組を紹介してみます。

まず、一番強烈だったのが、『アルデンテ』という料理とクイズを合わせた番組です。
これは確か、3人の視聴者が料理をテーマにしたクイズに挑戦し、優勝者は地元スーパーの商品券がもらえる、といった内容です。
そして、そのクイズの合間に、2人のスイス人コックが料理を作るのです。

さて、何が面白いかといいますと、このクイズ、殆ど正解が出ないのです。
司会者が問題を読むと、日本のクイズ番組でしたら、我先にといった具合に出場者がボタンを押し、見ている方もその博識ぶりに感心しますよね。
しかしこちらは、問題がすっかり読み終えられても、会場はシーンとしたままで、仕方なく次の問題へ行く、というような場面もしばしば。
また、出場者が競ってボタンを押し、全員不正解、ということもあります。
もしくは、何とか番組を盛り上げようと、司会者はボタンを押していない人にも聞いてみたりするのですが、これが見事にはずれ。

我が家では、夫B氏と二人で、「こんなに正解の少ないクイズ番組も珍しいよね」と、この番組出場者の正解率が、これ以上あがらないことを、心から願っています。

最近始まった番組で、『ディール、オア、ノー・ディール』もなかなか味があります。
これは、26個の鞄の中にそれぞれ違った金額が書いてあり、一般人出場者は、最初にその中の1つを選びます。
この鞄は、最後まで開けませんので、中の金額が幾らかは、誰にも分かりません。
そして出場者は、残りの25個を次々と開けていくのですが、途中で視聴者(多分、視聴者だと思います)は電話をかけて、この最初に選ばれた鞄を買うことが出来ます。
出演者はここで、ディール(取引する)かどうかを決めるのです。
自分が選んだ鞄が、提示金額よりも安いと思った場合、ディールすればより多くのお金がもらえますし、その逆の場合は、電話をかけた人が得をするのです。

この番組、上手く行くと大金がもらえるのですが、そのためにするのは、25個の鞄を開けることだけです。
問題に答えるのでもなければ、何か難しいことをするのでもありません。
つまり、単なる運です。

時々、放送時間終了よりも大分早くディールする出場者がいます。
もちろん、初めの方に開けた鞄の金額が大きかった場合、自分が選んだ鞄は安いのですから、欲張らずに手頃な額でディールした方が良いわけです。

そして、ここが「スイスだなぁ」と思うのですが、その後、放送終了時間まで何をするかというと、「もし、ここでディールしていなかったら」という前提で、そのゲームを続けるのです。
これ、面白いですか?
もう、視聴者がわくわくする部分は過ぎましたし、「もしディールしていなかったら」と言われても、もうディールしたのですから、意味があるとも思えません。
上手に編集して、もう一人早目にディールしてしまった挑戦者を、見せれば良いだけだと思うのですが。

『カッセンシュトゥルツ』は、ためになります。
毎回いくつかのテーマを決め、実際に実験したり、誰もが知っている商品の品質検査をしたり、悪徳業者を名前入りで放送したりします。

ある時は、避妊に関して、こんな実験をしていました。
「男性の精子は、本当に高温で死ぬのか?」
数名の男性協力者が、毎晩例の大切なブツをお湯に30分間浸け、2週間後に精子を検査するのです。

実は、スイスのテレビでは、全部見ることが出来まして、男盛りの協力者たちが、浮かないようにとブツに重りを付け、お湯に浸しているところは、可愛らしくすらありました。

……いかがです、スイスのテレビ番組は?

2005年6月23日 (木)  ああ、勘違い

ついさっき、義母から電話がありました。
何となく気分の良かった私は、ご機嫌な声で「はい、みんつです」と、電話を取ってしまったのです。
いえ、私は、義母からの電話を避けているわけではないのですよ。
ただ、何というか、大体予想が付きまして、これが私には、厄介な内容なのです。

以前にも書いたように、現在夫B氏は、平日家に戻りません。
見知らぬ国……山の上の店も何もない村……夫が帰ってこない……
「みんつは、毎日することもなく、独りぼっちで、寂しい思いをしているに違いない」
これが、どうやら、周囲のスイス人の私に対するイメージのようです。
特に義母に至っては、私が引き籠もりのような生活を強いられている、とでも思っているようなのです。

こうやって心配してもらえるのは、とてもありがたく幸せなことですが、日本の主婦の「亭主元気で留守が良い」の感覚は、全く想像すら出来ないようで、何度「一人で気楽にやっています」「全然怖くないです」「毎日楽しいですよ」と言っても、『可哀想なみんつ』のイメージを変えることが出来ないのです。

今日も、ひとしきり世間話をした後、いつもの展開になりました。
「で、どう? 一人で大丈夫?」
「はい、大丈夫です。毎日楽しくやっています」
「ずっと独りじゃ、寂しくない?」
「ええと、案外独りでもないのです。畑に出れば、お婆ちゃん友達がいますし、散歩に行っても、近所の人とお喋りしますから」
「そうなの。でも、その村はお店がないでしょう?」
「お店があっても、買うものがないですから」
「毎日の食事とか、何かちょっとしたものは?」
「野菜は、食べきれないほど庭に生えていますし、パンは、下のお婆ちゃんがくれます」
「牛乳がないでしょう?」
「あの、ここ、酪農家だらけですけど。スーパーに行くよりも、新鮮な牛乳が買えます」
「ああ、そうだったわね。でも何か、ちょっとしたものとか。例えば、ほら、今は暑いから、アイス・クリームなんか欲しいでしょう?」
「それは、ダイエットの天敵です。それと、お肉はB氏が金曜日に街で買って来てくれますから、冷凍庫に一杯入っています」
「そう、特に買い物は困らないのね。でも、たまには一緒に街に出て、喫茶店なんかでコーヒーでも飲みながら、通りを行く人を眺めましょうよ」
「ええと、お義母さんがそうしたいなら、私は付き合いますけど、私のために言って下さるのなら、私、そういうのは、正直なところ興味がないんです」
「あら、でもたまには良いものよ。ただ喫茶店に行って、街の雰囲気を感じるのは、気晴らしになるでしょう?」
「……」

スイスの街なんて、はっきり言って、眺めるものなどないのです。
喫茶店に行ったって、ウェイトレスは無愛想だし、通りを歩く人のファッション・センスなんてないに等しいですし、何よりも義母が相手では、そういう場合の最大の楽しみである、「おぉ、あの人格好い〜い」とか「ひゃぁ、あの人、絶対勘違いしているよねぇ」などという、おすぎとピーコ風会話は到底無理です。

私は一体、どうすれば良いのでしょう?

「お義母さん、いつも心配して下さるようですけど、私、本当に独りで困っていませんから」
「そうなの? そうだわ! みんつがそうしたいなら、一緒に山歩きに行っても良いわよ。そんなに難しくない所が、近場でもたくさんあるし」
「ははは、そうですね。ちょっと今は、やることもあるし、時間が上手に合うかどうか、考えてみます」
「あら、やることなんてあるの?」
「……」

夫がいなくても、私は、テレビの前で泣いている訳じゃないんです。
大体、義父母と一日中ハイキングに行く方が、独りでのんびりするよりも好きな嫁なんて、この世にいるのでしょうか?

……ひぇ〜、誰か、助けてくれ〜!!

2005年6月24日 (金)  家族の絆

私の部屋の下に住んでいるお婆ちゃんが入院して、一週間以上が経ちました。
左の鎖骨と胸の間に腫瘍が出来、切らなくてはいけなくなったのです。
他界した家族の殆どが心臓の病気で、自分自身も手術をしている彼女にとって、心臓病の覚悟はしていたものの、癌というのは、かなりショックのようでした。

入院前、彼女は私に、猫C氏の世話、窓辺のゼラニウムの水やり、郵便物の取り込みを頼み、「冷凍庫のパンをいくつか持って行くように」と言いました。
そして、「退院しても、すぐに元の生活に戻れるかどうか分からない。もしかしたら、娘の家に暫く厄介になるかも知れない」と、不安そうな顔をしていました。
「簡単なことなら、私でも協力出来るだろうから、言ってね」
私はそう言い、水曜日の朝、窓から手を振って、車に乗り込む彼女を見送りました。

土曜日、病室のドアを開けた私と夫B氏を見て、彼女は「あら、村からお出ましね」と、驚いた様子でもなく微笑みました。
「手術に8時間も掛かったのよ。一度切ったところを、もう一度切り直したらしいわ。まあ、やるべきことは、さっさと済ませないとね」
言葉には出しませんが、お婆ちゃんの不安は、私のよく知っているものと、同じ種類のそれでした。
私の母も、彼女に似たところがあり、やはり弱音を吐かなかったのです。
「家のことは心配しないで。C氏もお花も、元気にしているから」
「ああ、それは心配していないわ。みんつがちゃんとやるのは、知っているから」

「それと、もし私が退院して、手伝いが必要だったら、貴方に頼んでも良いかしら?」
「もちろん」
「リハビリなんかも、しないといけないと思うんだけど……」
「専門知識のいらないことなら、私にも手伝えると思うけど。何なら、毎日一緒にやっても良いし。私にも、良い柔軟体操になるんじゃない?」
「ありがとう。難しいことはプロの人を頼むけど、ひょっとしたら、貴方にもお願いするかも知れない」
そんな話をして、私たちは病院を後にしました。

お婆ちゃんには、2人の娘がいます。
2人共、車で30分ぐらいの距離に住んでいますし、子供達も成人していますので、部屋の余裕などもあります。
村の住人には、彼女の兄弟や親戚が何人もいます。多分、近隣の村にも。

それなのに、お婆ちゃんが、退院後に自分の娘や兄弟姉妹の世話になるよりも、私に面倒をみてもらいと考えるのは、何故でしょう?
単に上の階に住んでいるだけの、自分たちの言葉すら完全には理解しない、外国人の私にです。

私には子供がいませんが、将来年を取り、誰かの世話にならなければいけないとしたら、真っ先に頭に浮かぶのは、やはり日本に住んでいる妹たちです。
13時間も飛行機に乗らないといけない、遠い国の家族です。

スイスには、子供が老齢の親と同居する習慣はありません。
老人は、可能な限り一人で暮らし、それが出来なくなると、老人ホームに行きます。
もちろん、中には子供と同居する人もいますが、それは一般的とは言えないようです。
そのせいでしょうか、スイス人には、老人を敬うという習慣もないように思います。

私が、お婆ちゃんの手伝いをするかも知れないと言った時、義母が真っ先に言った言葉はこうでした。
「みんつ、気を付けなくてはいけないわよ。ただで利用させちゃ、駄目よ。そういう場合には、お金を払ってプロを頼むものなのだから」
義母の弁護をするのではありませんが、これは、他の人でもそう言うのだと思います。
こう考えることが、この国では、多分普通なのです。

……何だか、寂しいですね。

2005年6月27日 (月)  ミス・スイス

タイトルの通り、2005年度『ミス・スイス』コンテストが、始まりました。

先日の『ミスター・スイス』で、「何だ、野郎かよ」と思った男性の皆さん、今日は、思う存分鼻の下を伸ばしてください。

「えぇ〜、女じゃつまんないわぁ」と、思っている女性の皆さん、まあそう言わずに、「この程度なら、私の方が綺麗だわ」と、更なる自信を付けてください。

では、下からどうぞ。

私は、『ミス・スイス候補者』を見る。
(時間が経った為、画像は外しました。)

2005年6月29日 (水)  大人になろうよ。

我が家には、車2台分の駐車場があるのですが、それは、公道からひょこりと突き出た空き地なのです。
ですから、プライベートのプレートが貼ってあるにもかかわらず、他所から来た人などは、「ほんの短時間なら良いだろう」と思うようで、頻繁に無断駐車がされています。

確かに昼間、夫B氏は車を使っていますので、駐車場は空いています。
しかし、そこは私たちがお金を払って借りている場所ですし、これが都会であったなら、他人の駐車場に止めているわけですから、さっさとレッカー車で移動されているのではないでしょうか?
どうやら都会から来る人は、田舎は場所が余っているのだから良いじゃないか、と思っているようです。

それでもこれは、ある意味仕方がないと思えます。
知らない土地に来て、何処に車を止めて良いのか分からない時に、空き地があったら、まあ、止めますよね。

私が気になるのは、地元の人がこれをやることなのです。
ここは小さな村ですから、その場所がB氏の駐車場であることは、誰もが知っている筈ですし、私が昼間家にいることも、誰でも知っています。
そして、その駐車場は、私の家のすぐ目の前です。我が家の窓から見える位置です。

外の景色を眺めたり、窓辺のハーブに水をやる時、無断で駐車されている車が、よく目に入ります。
私には、それが誰の車か、分かることもあります。
今は外も暖かいので、私は一日中、家中の窓を開けています。
下から大きな声で呼んでくれれば(この辺の人は、みんな声が大きいので、普通の声でも大丈夫ですが)、私の耳に届きますし、横の玄関に回っても、駐車場から20mそこそこです。

それなのに、誰も私に聞きに来ません。
ほんの一言、「今、ちょっと止めても良いかな?」と聞いてくれれば、もしくは「B氏の使わない昼間、たまに借りても良いかな?」と言ってくれれば、私はにこやかに承諾します。
たった一回それをするだけで、その次からは後ろめたさを感じずに、堂々と駐車できるのに、彼らは何故それをしないのでしょう?

酪農家R氏の納屋は、その駐車場の隣にあります。
R氏とは、時々お喋りをしますし、全く知らない同士というわけでもありません。
そして、彼のトラクターやジープは、しょっちゅうB氏の駐車場に止まっています。
私が庭に出た時にでも「止めさせてもらっちゃったけど、良いかな?」と聞くことは、そんなに大変なことでしょうか?
R氏は快活なタイプで、スイス人の多くがそうであるように、どちらかというと、大口を叩く傾向にあるような人物です。
その彼が、私にたった一言聞くことが出来ずにいるのです。

下の階に住んでいるお婆ちゃんの娘や、その婿たちが彼女を訪ねてくる時にも、同じことが時々起こります。
お婆ちゃんと私は、ほぼ毎日顔を合わせていますし、お互いに留守の時は、家のことを頼み合ったりしています。
そしてもちろん、B氏が駐車場にお金を払っていることも、知っています。
娘や婿自身もそうですが、なぜ、「ちょっと良いかしら?」が言えないのでしょう?

村の人たちも、私の玄関の前を通って、ちょっと車を止めてあるその駐車場に行きます。
ついでに玄関の呼び鈴を押すことは、大仕事でしょうか?
私は何も、了見の狭いことを言いたいのではありません。
ただ、コミュニケーションが不足している、と言いたいのです。

スイス人はシャイです。
皆さんが思っている以上に、そして、彼らが自分自身で意識している以上に、シャイなのです。
まるで人見知りをする子供か何かのように、たった一言私に聞きに来ることが、出来ないのです。
そこまでは、私も受け入れます。
そのぐらいのハンディをあげても、大したことではありませんからね。

……でもね、そんな風で大口を叩くのは、止めた方が良いですよ。

2005年6月30日 (木)  ラッキー・カラー?

天気の良い日が続くと、散歩に出るのも楽しくなります。
最近購入したデジタル・カメラを片手に、「今日は、どの道にしようかな?」「この間は蕾だったあの花、もう咲いているかしら?」などと、代わり映えのしない道なのに、毎回私は好奇心一杯で山を歩きます。

この間のことです。
「今日は、軽く流すぐらいの距離で、楽な道にしよう」
そう思った私は、スキー場へと向かう道を歩くことにしました。
このコースを逆回りすると、特に険しい登り坂もなく、1時間ぐらいで帰って来られるのです。
隣の村にのんびりと向かい、生まれて間もない子山羊や、背中に赤や青のインクで何やら書かれている羊たちと挨拶を交わしながら、私は森に入りました。

広い草原から眺める、アルプスのパノラマも素敵ですが、私は何故か、森を一人で歩くのが好きなのです。
今まで聞こえていた生活の音がなくなり、風が草木を撫でる音、川の水、鳥の声に替わる時、一種独特な静寂が訪れます。あの静けさが、私は好きなのです。
森の中で立ち止まり、自然を感じながら耳を澄ませると、枝から松ぼっくりが落ちる音、ミツバチが花の周りでせわしなく働いている音も聞こえて来ます。
時には、リスや鹿などが、私がいることに気付かず、ひょっこり現れたりもします。

さて、コースも終盤に入り、森もあと少しで終わりというところで、私は、目の前に電線の柵が引かれているのに気付きました。
これは、酪農家が、牛が逃げないように張っている、針金に弱い電気を流したものです。
私の歩いていたのはトレッキング道ですが、酪農家はお構いなしに牛を放つのです。

あながち的はずれでもないと思うのですが、私の予想では、多分こういうことです。
自分の所有地に牛を放つと、当然牛はそこの草を食べます。そうなると、冬のために蓄えることの出来る草の量が減ります。冬用の草が足りなければ、買わなくてはいけませんが、これは出来るだけ押さえたい。
隣のトレッキング道には、誰のものでもない草が、じゃんじゃん生えています。
「うちの牛が、ちょっとぐらいそれを食べたって、特に困ることもないだろう」

確かに、こんな田舎の散歩道には、あまり人は来ませんから、牛が放たれていても誰も困りません。
しかも、その柵の何ヶ所かは、外せるようにしてありますから、そこを通りたい人は、柵を外して中に入り、また閉めれば良いだけのことです。
ということで、私もそうして中に入りました。

が……
何メートルも行かない内に、一頭の仔牛が私に向かって走り出しました。
好奇心剥き出しのその表情は、可愛らしくすらありますが、困ったことに、その仔牛を追って、他の大きな牛たちも、私めがけて走って来たのです。

10頭近い牛が、一斉に私の方へ向かって来ます。
彼らが何もしないことは分かっていますが、ここは山ですから、地面は平らではありません。
もし、その中のどれかがバランスを崩し、私に倒れ込んで来たら? いや、先頭の仔牛がつまずいて、後続の牛たちが、次々と私になだれ込んで来たら?
後10m……8m……5m……

あっ!!! 今日は、私、オレンジ色のTシャツを着ている!
彼らが走っているのは、本当に好奇心でしょうか?
次の瞬間、私は慌てて四つん這いになると、柵の下を潜り抜けました。

その様子を見ていた酪農家のお爺さんは、笑いながら言いました。
「牛が怖いのかい?」
「……」

前回はオレンジ色のジーパンでしたが(興味のある人は、過去の日記、2004年6月24日『敗北の日』をどうぞ)、私、別にオレンジ色の服ばかり着ている訳ではありません。
それどころか、オレンジ色の服は、この2枚だけなのです。

……確率が、高過ぎる気がする。

7月の日記へ