2010年6月1日 (火)  近所付合い 1

ここがスイスだからか、それとも田舎とはそういうものなのか、はたまた私が外国人だからか、ここ数年間私は、対人関係で似た様な問題を何度も繰り返していました。
そしてその都度「私は、スイスでの生活に向かないのではないか」と感じていました。

ただ、手前味噌ではありますが、私の頭の片隅には「これだけどっぷり浸かって暮らしている私が、ここの生活に向かないのであれば、誰が向くのか?」という自負もあるのです。
実際ね、良くやっていると思うんですよ、私は。

とはいうものの、そういう問題が起こる度、私の気持ちは疲れていきますし、スイス人に対して失望していくのも事実です。
そして私は、また最初の問いに戻るのです。
「スイスの生活は、私に向かないのではないか?」

ところが先日、偶然にもこの問いに答えが出たのです。

問題は全く解決していませんが、それでもそれが「私に解決できる類のものではない」こと、「私が原因で起こっているのではない」こと、「私だけに起こっているのでもない」ことが分ったのです。
つまり「スイス人同士でもよく起こる、ありふれたトラブル」なのです。

となれば、私に出来ることはただ一つ「出来るだけ影響を受けないように自衛し、後は放っておく」です。
でもね、これが分っただけでも、気持ちは随分晴れました。

さて、その偶然に出た答えですが、それは知人達の何気ないお喋りからでした。


【M氏の場合】
M氏は、2〜3年前から、庭付きの一軒家を賃貸しています。

それは、村の中のちょうど鉢の底の様な場所に建っていて、敷地の片側、庭の一辺が家の2階より高い位置にあります。
分りますでしょうか?
敷地が傾斜しているため、家の玄関側にある道路が鉢の底、庭側にある道路が鉢の縁という具合になっているのです。

で、どういうことが起こるかというと、M氏が庭でくつろいでいると、近所の人達が鉢の縁から中を覗き込み、話しかけます。

彼らは、本当は好奇心を満たしたいだけですが、「新人が村に馴染むのを助ける」という大義名分の元、相手がそれを歓迎しているかなどは、気に掛けません。

また、その会話にしても、親しさの度合いなど関係なく、全てを根掘り葉掘り聞き出そうとするか、「親切なアドヴァイス」と称する、相手の権利を無視した要求です。
でなければ、殆ど言いがかりとも思えるような、世間話です。

例えばM氏は、こんな世間話をされました。
「私は、細かいことは気にしないけど、貴方が来る前、あの道路の雑草はいつも綺麗に刈られていたのよ。雑草がない方が、気持ち良いと思わない?」
はい、暗に「刈れ」と言っているわけですね。
ちなみにその道路は、完全にM氏の敷地外の公道ですから、雑草を刈るのは役場の仕事です。

彼らのこういった“近所付合い”は、庭にいる度に行なわれますから、次第にM氏は、「近所の人に何か言われるから、庭に出たくない」という気持ちになります。
自然が豊かな地域で庭付きの一軒家を借りたのに、そんな気持ちに追い込まれるというのは、どうなんでしょうね?

ぁ、でもご心配なく、M氏は、柔ではありません。
この状態に嫌気がさしたM氏は、何と、敷地の境界に沿って、高さ2m程の目隠し用柵をずら〜っと張り巡らせました。
これでもう、誰もM氏の庭を覗くことは出来ません。

「私は、柵がなかった時の見晴らしが、気に入っていたのよね」
そんな台詞には、M氏はこう返します。
「僕は違います」

現在のM氏は、庭に小さなジャグジーを設置し、夏になるとBBQをしたりのんびり湯に浸かったりと、楽しんでいるようです。

              〜次回に続く〜

2010年6月4日 (金)  近所付合い 2

               〜前回からの続き〜

【N嬢の場合】

この辺では良くあることですが、N嬢の住む村でも時々、牛舎で仔猫が生まれます。

酪農家の中には、仔猫が欲しいわけではないけれど、その仔猫を産んでいる彼らの飼い猫自体を去勢する気もない、という人達がいるのです。

理由は人それぞれですが、まぁ、彼らはあちこちに広い土地を持っていますし、冬の間暖を取れる牛舎もありますから、猫たちが何匹かその辺をうろついていても、問題はないのです。

そんな半野良猫に対して、近所の人達はどうかといえば、直接の被害がない限り気に止めませんし、私のようにそんな猫を引き取って、飼う人もいます。
かくいうN嬢もそんな風にして、常時数匹の猫を飼っています。

ところが、最近N嬢の村でその半野良猫たちが、問題になりました。

ある酪農家の牛舎で、去勢をしていない彼の飼い猫が仔猫を産み、その仔猫らが成長してまた仔猫を産み……という具合になり、近所に迷惑が掛かり始めたのです。
簡単な話、増え過ぎたのですね。

N嬢や近所の人たちは、そんな仔猫の里親をせっせと捜しましたが、「村の猫好きは、既に全員猫を飼っている」という状態になってしまいました。

N嬢は、思いきってその酪農家に言いました。
「お宅の猫たちを去勢してくれないか」と。
彼の答えはこうでした。
「この猫たちは、わざと繁殖させているんだ。俺は猫のブリーダーなんだ」

という割には、彼が猫の世話をしている様子はありませんし、猫たちはあちこちの野良と掛っていますから、全部ただの雑種です。
そう、これは単なる放ったらかしの言い訳ですね。

「皆が迷惑している」
何度訴えてもこの酪農家は、知らん顔です。
その間にも仔猫たちは増え、近所の庭を荒らしたり、他所の家でマーキングをしたり、餌を盗んだりします。

彼の態度に業を煮やしたN嬢は、猫を皆捕まえると、黙って去勢をしました。
実は、この辺の住民用に都会の老婦人が作った動物用私設財団があり、指定の獣医に連れていけば、酪農家の猫は無料で去勢してもらえるのです。

「俺の大事な猫を勝手に去勢したのは、誰だ?!」
戻ってきた猫たちを見て酪農家は騒ぎましたが、N嬢はもちろん村人達も――皆、うすうす誰の仕業か分っているようです――口をつぐみます。

さて、これで猫問題は片付き、村に平和が訪れるはずだったのですが……

数日後、その酪農家が、近所の飼い犬を撃ち殺しました。
何故かは分りませんが、彼はその犬を「お宅の犬が気に入った」とわざわざ買い取ってから、射殺したのです。

で、村の誰かが警察と動物愛護団体に連絡を入れ、彼の猫達は元より家畜も全部、取り上げられたそうです。

こうしてN嬢の「ご近所問題」は幕を閉じましたが、ここまで来ると狂気の沙汰ですね。

                   〜次回に続く〜

2010年6月7日 (月)  夕方4時、庭にて。

今日は、先週の続きを書くつもりでいたのですが……

たった今、私はやらかしました。

またしてもトラブルです。
しかも今回は、怒鳴り合いの喧嘩です。
私、言い訳できないぐらい、相手を罵ってしまいました。

なんかね、吹っ切れちゃったというか、「もう、どうでもいいや。やるならやったる」って感じで、がんがん言っちゃったのです。

ここまで来ると、これも一種の才能でしょうかね?
ただちょっと、野菜を取りに出ただけなのになぁ。

ということで、これを機に、みんつはきっぱり宣言します。
「私、スイスの生活には向いていません!!」

……けっ、上等じゃ!

(ぁ、それでも私は分別のある大人ですから、ご心配なく。)

2010年6月11日 (金)  近所付合い 3

             〜前回からの続き〜

【みんつの場合】

庭の芝刈りについて私が、下の階に住むお婆ちゃんともめたことは、既に書きましたが――興味のある方は過去の日記、2009年6月19日(金)〜7月21日(火)『所有欲1〜7』をどうぞ。――その時、大家であるお婆ちゃんの長女と私達夫婦の取り決めは、こうでした。
「私の庭に関して、今後一切お婆ちゃんは干渉しない」

しかし、その約束が守られたのは、たったの2〜3週間ほどでした。

もちろん私は以前と同じか、もしくはそれ以上にきちんと庭の手入れをしていましたから、お婆ちゃんの監視がなくなったからといって、庭が荒れるようなことはありませんでしたし、実際私は、自由に使えるようになった庭を、以前よりも楽しんでまめに手入れしていたのに、です。

それは、こんな風に起こりました。

私の庭には、柵に沿って小木がずらりと並んでいるのですが、その中の1本に少々厄介なものがありました。
その木の花(花粉?)が肌に触れると、皮膚か赤くなり、ちくちくするのです。
しかもその木は、他のものより随分元気に枝を伸ばしています。
そのため私達夫婦は、庭の一角、その木が生えている辺りには、あまり近寄れずにいました。

しかし私は、大家に「貴方の庭だから、好きにして良い」とお墨付きをもらったのです。木が駄目にならない程度に、しかし思い切って、枝を刈り込むことにしました。

夫B氏が日本で買ったノコギリを借りた私は、子供の手首ぐらいある枝を手で一本ずつ切り落とし、とりあえず隅の邪魔にならない場所に積んでいました。
先に木全体の形を整えてから、落とした枝の処分をする――30cm位に切りそろえて煖炉の薪にする――つもりだったのです。

ところが、その様子を見たB氏が言いました。
「土曜日まで待ってくれれば、薪用の長さに切るのは、俺がやるよ。全部手で切るんじゃ、大変だろう?」
我が家にはチェーン・ソーがありますから、私は喜んでB氏に頼みました。
確かその日は週の半ばで、土曜日まで3日ぐらいあったと思います。

問題はありませんよね?
庭の隅の誰も通らない場所、否、注意しなければ視界にすら入らない柵と木の陰に、数日間枝が置いてあったって。
そうです、私は敢えて庭全体の見栄えも考えて、誰かが偶然見ても気付かないような場所に、その枝をきちんと揃えて、隠すように積んで置いたのです。

ところが土曜日、庭に出たB氏が言いました。
「あれ? 枝がないぞ」
私には、ぴんと来ることがありました。

私が枝を切った翌日、お婆ちゃんが村の男性と話しているのを、私は偶然見ていたのです。
その男性は、薪の手配などをしている人で、以前私が割った薪のくずを、トラックに積んで捨てに行ってくれたことがあります。

その男性とお婆ちゃんは、私の庭のすぐ隣で何か話していたのです。
私が枝を隠しておいた、そのすぐ隣で、です。
その時私は、何も思いませんでしたが、お婆ちゃんはきっと「この枝を捨ててくれ」と話していたのでしょう。

私は、大家夫妻に告げました。
「お婆ちゃんは、どんなことがあっても私の庭への干渉を止める気はないようですから、私が庭を諦めます。幸運にも私には、もう一つ近所の人から借りている庭がありますから、この家の庭からは一切手を引きます」

結果として私は、お婆ちゃんに「庭から追い出された」形になりました。
この部屋は、庭付きだから借りた物件ですので、「何も感じない」と言ったら嘘になりますが、これで良かったと思います。
少なくとも今の私は、嫌がらせのようなお婆ちゃんの干渉から、解放されました。

こうして私は、お婆ちゃんと縁を切りました(最低限の挨拶のみ)。
何年間にも渡って、嫌なことばかりしていたのですから、仕方がないと思います。
人生の最後の数年間をどう過ごすか、それはお婆ちゃんの自由です。

2010年6月25日 (金)  捨てる神あれば拾う神あり 1

今年のアルプスは、時々ちらっと日が射すことはあっても、5月に入ってからずっと天気が悪く、気が滅入る日々が続いていました(昨日からやっと晴れました)。

皆さんもご存知のように、私の趣味の一つは家庭菜園ですが、連日の霧と雨でまだ地中にあった種は腐ってしまいましたし、芽を出していた野菜はナメクジの餌に。
すくすくと育っているのは、雑草ばかりです。

そんなある日、雨が止んだすきに私は、畑へ出ました。
毎日家に閉じ込められていては、いい加減落ち込んできますので、少しでも身体を動かしたかったのです。

がっかりするような畑を眺めながら、それでも生き残っている野菜を間引きしたりしていた私は、近付いてくる聞き慣れた音に手を止めました。
牛の移動です。

食肉用の牛は夏の間ずっと草原に放たれていますから、多分これは毎日搾乳が必要な乳牛だと思うのですが、村内の数件の酪農家は、毎朝牛たちを牛舎から草原に連れて行き、夕方になるとまた牛舎に戻します。
そしてそんな牛たちが、我が家の前を通ります。
私はこの光景が好きでして、この日もそれを眺めていました。

牛たちがぞろぞろと眼下を行き、最後尾では牧羊犬が、立ち止まったり列から外れようとする牛を調整しています。
その後ろから少し間を開けて、酪農家の夫人かと思われる中年女性が、片手に長い棒きれを持って歩いてきます。
村のごく普通の日常です。

が……

私はいつも感心するのですが、動物というのはその主人である人間がどの程度の能力であるか、如実に示すのです。

例えばある酪農家は、口笛一つで牛の群れ全体を見事に目的地まで連れて行きますし、別の酪農家は、大声を上げて棒きれを振り回し、牛のお尻を叩いても、上手くいうことを聞かせられません。
牧羊犬も飼い主がやはり無能だと、あまりきちんとは働かないようです。
で、まぁ、一頭が群れから外れて、我が家の玄関に向かったわけです。

ただこれはよくあることで、牛たちは機会があれは、脱走しようとします。
それ自体は問題ありません。
ほんのちょっぴり群れから外れて、その辺の草を食んだらまた群れに戻るだけで、本気で逃げ切り野生になろうなどと考えている牛は、いませんから。

ですから慣れた酪農家なら、ゆっくりと歩いてやって来て、牛を列に連れ戻します。
ところが彼女は違ったようで、ヒステリックな声を上げて、牛を追いかけ回し始めました。

「うーん、ちょっとまずいんじゃないかな? あんな風じゃ、牛は驚いて逃げると思うけど」
そうは思いましたが、私は全くの素人ですから、彼女が牛をどう扱おうが、私が口を挟むことではありません。
どっちにしても、我が家は三角形の土地に建っていますから、そのまま行けばぐるりと回って元の道に戻るだけで、大したことではありませんし。

ところが彼女は、牛の前に回り込むと、道を塞いでしまいました。
しかもヒステリックな声を上げ、棒を振り上げながら。

彼女としては、牛をUターンさせるつもりでいたのでしょうが、驚いた牛は通路脇の花壇に踏み込むと、塀の低くなっているところを登って、私の畑へと続く道に上がってきてしまいました。

まぁ、それでも実際は、大したことではありません。
私の畑は行き止まりにありますし、脇道もありませんから、牛は来た道を戻るだけです。
そしてその道は、三角形の二辺のどちらかに行くだけで、そのどっちを通っても牛が元々行くべき牛舎へと続いています。
その上牛は、どうしたものかと戸惑っているだけで、特に逃げる様子もありません。

が、……が、なのです。

彼女は完全にコントロールを失ってしまったのか、叫びながら牛の後を追って、走って来ました。
こうなると牛は、最後に残された道を行くしかありません。
そう、私の畑へと向かってきました。

             〜次回へ続く〜

7月の日記へ