2009年7月3日 (金)  所有欲 4

               〜前回からの続き〜

ところが翌日、4年半もに渡る私の努力は、何の意味もないただの自己満足であった事が分りました。

この日は、朝からQ子が来ていました。

Q子に対する私の印象は、多少警戒はしていましたが、この日まで決して悪いものではありませんでした。
「幾らか粗野な感はあるものの、朗らかで社交的」というのが、彼女の印象でした。

私が今、「多少警戒をしていた」と書いたのは、スイス人に関して、理解は出来ませんが経験から知っている事が、もう一つあるからです。
「スイス人は、本来の自分とは正反対の人物を演じる傾向がある」

これは劣等感から生まれた鎧、つまり本当の自分に自信がないから、自分とは逆の「こんな人物なら、他人から良しとされるのではないか」と思う人物を演じているのではないか、そしてこれが、スイス人は上辺だけの付き合いしか出来ない、という悪循環を生み出しているのではないか、というのが私の率直な感じなのですが……

さて、この日も私達夫婦は、外で昨日の続きをしていました。

するとQ子がやって来て、こんな事を言いました。
「B氏のせいで、母が神経を高ぶらせているの」

それは、形こそ「貴方達に相談がある」という風でしたが、最初から批判的なものでした。
Q子は、私達の話を一切聞かずに、その後すぐ「母に合わせられないなら、何処か他所に部屋を探すしかないわね」とすら言いました。

私達の大家で、自分の姉でもあるP子を通さずこんな事を言うのは、Q子には権利がないだけでなく、他への尊重も欠けていますが、そう、Q子もO嬢と同じで「ここは私の家だから」という感覚なのでしょう。

これは、話し合いではありませんね。

それでもまだ私達は、理解は出来ないけれど、多くのスイス人がそうである事は知っていますので、やはりもう一度、それをそのまま受け入れて、今まで通り上手くやって行こうとしました。

「誤解がある様ですけど、それでO嬢の気持ちが収まるなら、気分を害した事に関しては謝罪します。O嬢を呼んでもらえたら、直接謝りますけど」
B氏の言葉に気を良くしたQ子は、家の中にいたO嬢を連れて、戻って来ました。

「貴方の気分を害した事に関しては、謝ります。あれは冗談で言っただけで、僕はにっこり笑いながら言ったし、そんなつもりではなかったんだけど、でも、上手い冗談ではなかった様ですね。すいませんでした」

もう良いですよね?
B氏は、十分正しく振る舞いましたよね?

ところがそう、ここはスイスで、スイス人は謝らないのです。
B氏が、こんなに簡単に謝罪してしまったのは、明らかに私の影響です。
「相手が謝ったら全て水に流し、その後はより良い関係が築ける」は、日本人のやり方で、スイス人は「謝る=罪を認める=罰を受ける用意がある」でしたね。

「隣人に虐げられ、傷付いた弱い老人」を装って出て来たO嬢は、いきなり態度を変え、B氏を攻撃し始めました。
「いいえ、あれは決して冗談なんかじゃなかったわ! 貴方は酷い態度だったわ。私は、みんつが『芝を刈らない』と言ったから、P夫に頼んだのに……」

「ちょっと待って!」
O嬢の嘘に、私は思わず口を挟みました。

                 〜次回に続く〜

2009年7月7日 (火)  所有欲 5

              〜前回からの続き〜

「私、芝を刈らないなんて、一度も言っていません。私が定期的に芝刈りをしている事は、O嬢、貴方が一番良く知っている筈です。あそこは私達の庭ですから、もちろん私は芝を刈りますよ。ただ、私には私の生活があるから、私の都合でやります。それは前にも言いましたよね。『O嬢には、少し気長に待って欲しい。ちゃんとやるから』って。Q子さんも娘さんと一緒に、あの時いましたよね。笑って『ママは、少し待つという事を習わなくちゃいけないから、良い機会だわ』って言いましたよね」

そう言う私に、O嬢が醜い顔を向けました。
「じゃ、いつ刈るつもりだったの? 秋かしら? 貴方の庭がだらしないから、私は恥ずかしい思いをしているのよ」

こんな事を書くのは、抵抗があるのですが、その顔は本当に醜かったのです。
魔女が本性を露わにしたその瞬間を、私は見てしまったのです。

私は過去4年半、雪が積もっていない間は、定期的に芝刈り機を押し、庭バサミで縁を揃え、実際今回も1〜2週間前に芝を刈っていて、それは、常に私の行動を監視しているO嬢ももちろん知っていて、今までは「みんつは、綺麗に刈っているわね」と言っていたのですが……それは皆、嘘だったのですね。

私は、他人を傷付ける事だけを目的として言葉を使う人が、嫌いです。
どんなに激しい喧嘩の最中でも、人としての尊厳は、蔑ろにされて良いものだとは考えません。
ですから私は、相手の心を痛めつける為だけに言葉を選ぶ人とは、関係を絶ちます。

「もうたくさん! O嬢、そんなものの言い方は、私は誰にも許しません!! 貴方がそういう態度を取るなら、今後は全て私達の大家であるP子さんを通して、書面で送って下さい。もう貴方とは、一切関わりたくありません。これ以上私に干渉するのは、止めて下さい」
こう言って私は、その場を去りました。

私の妹が以前、こんな事を言ったことがあります。
「西洋の物語では、悪は絶対的な悪で滅ぼすべきものなのね。日本の話だと、悪い人にはそうなってしまった理由があって、その部分が愛によって解決されれば、隠れていた良い部分が顔を出すのよ。だから子供に見せるのは、日本のアニメの方が良いわね」

もちろんこれはたとえですから、100%その通りだなどと言うつもりはありませんが、それでも私は、今回つくづく感じたのです。
「悪い魔女は火あぶりになり、村人達は再び幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」的なこちらの物語は、あながちそういった背景がないわけでもないのだな、と。

というのも、それでもまだO嬢は、そこに残ったB氏を相手に、こんな事を言っていたそうです。
「私は、今までずっと我慢して、貴方達に合わせて来たのよ。それがどれだけ大変な事か。みんつは、私が何か言ってもやらないし」

相手に合わせて我慢をしているのは、お互い様ですよね。
私の日記を読んでいる皆さんは、よくご存知ですものね。
でもこれは、私が自分で選んでして来た事ですから、私は、O嬢に文句を言うつもりなどさらさらありません。

しかし、「みんつは、私が何か言ってもやらない」は、いただけません。
第一に、私は彼女の召使いではありませんから、命令を聞く義務はありません。
彼女は私に「頼む」もしくは「聞く」べきなのです。

第二に、これが一番重要ですが、O嬢は過去四年半の間、私に何かをはっきりと言った事がありません。
つまり、今回の事があるまでO嬢は、私に何も言っていないのです。
何も言われていない私が、どうやったら彼女の望みを叶えてやれますか?

これも経験から気付いた事ですが、スイス女性は「相手が自分の心を読んで、自分が口にする前に、その願いを叶える」という状態を期待している人が、多い様に思います。
そしてそれが成されないと、彼女達はストレスを溜め、相手を責め始めます。

「誰かに何かをして欲しいのなら、きちんと言葉にして頼みなさい。地球は、貴方を中心に回っているわけではないのよ」
私は、そう躾られましたから、そんな『甘えたちゃん』は察してやりません。

さて、こうして私は、計らずもO嬢に絶縁宣言をしたのですが、彼女の娘であり私の大家であるP子は、この時点ではそれを全く知らないわけで……

               〜次回に続く〜

2009年7月9日 (木)  所有欲 6

                〜前回からの続き〜

人間というのは案外単純なもので、何年間も頭で考え、そうすべきだと思いしてきた事よりも、一瞬の心の判断の方が正しい事がままあり、この時の私は、スカッと空が晴れた様な気分になりました。
「あぁ、これでもう、我慢しなくて良いんだ」と。

そうです、「隣人と上手くやって行こう」とか「大人として振る舞おう」と考え、「それをしている自分は、正しい事をしている」と信じようという努力は、私が本当に望んでいたものではなかったのです。

心の底で私が、ずっと望んでいたのは、「そんなのヤ〜ダね」と言ってしまう事だったのです。
今までそれが言えなかったのは、私に勇気がなかったからです。
「他人から良い人だと思われたい」という、エゴがあったからです。

ずるいですよね。
この状況で「嫌だ」と言えば、誰がどう見たってO嬢に非があるわけで、私は誰からも責められずに済みますものね。
本当に相手の事を考えているなら、その人が聞きたくない事や場の雰囲気が壊れる事でも、その時に言うべきですよね。
4年半もの間、私もO嬢もそれが面倒で、お互いに避けていたのです。

それに気付いた私が、最初に行なったのは、もう一度O嬢の所に行く事です。

否、否、仲直りの為ではありません。
私は、もう自分の気持ちに気付いてしまったのですから、好きでない人と仲良くなりたいとは思いません。
もちろん、隣人としての最低限の礼儀、挨拶ぐらいはしますが、それで十分です。

私がもう一度O嬢のもとに行ったのは、緊急時の連絡先から我が家を外してもらう為です。
冷たい言い方かも知れませんが、私は、良い関係にない他人の母親の命には、責任が持てませんから。

ところが、この私の頼みを――私はわざと「どうかお願いですから、外して下さい」という言い方をしました――家から出て来たQ子は、断っただけでなく、「嫌なら、電話を取らなければいい」とすら言いました。

心臓に問題があるO嬢が倒れて、最後の力でブザーを押し、そのブザーで我が家の電話が鳴り、私がその電話を取らない……
もちろん何回(10回? もっと?)かのコール後、その電話は自動的に次の家に行きますが、その人達がここまで来るのには、更に時間が掛るわけです。

幾ら仲が良くなくたって生死に関わる事ですから、私は、Q子が言った様に無視するなんて、しません。
だからこそ、気まずい中を敢えて頼みに行ったのに、Q子は、自分の母親がどうなるか気にならないのでしょうか?

「B氏、一つ頼みがあるんだけど良いかな? ちょっと芝居を打って欲しいの」
部屋に戻った私は、B氏に、P子に電話をする様に頼みました。

「みんつがO嬢ともめて、かなり気が高ぶっているので、今は詳しく話せませんが、『緊急時の連絡先から、今すぐ我が家を外してもらいたい』と言っているので、申し訳ないけど手配してもらえませんか。Q子さんには頼んだのだけど、取り合ってもらえなかったもので」と、言う様にと。

これはある種のテストでもありました。
大家であるP子がどう出るかによって、私は、引っ越しも考えるつもりでした。

P子が、O嬢側に立つのは、私としては理解が出来ます。
彼女が、「自分の母親と上手くやって行けない店子は要らない」と考えたとしても、仕方のない事です。
私が、B氏に「電話ではもめ事の内容を話さない様に」と言ったのも、彼女の母親の悪口(に聞こえる事)は、私達の口から言うべきではないと考えたからです。

もしP子が、Q子と同じ様に私達の話を聞かず、私達を非難するのであれば、大家としては不適切ですから、引っ越そうと思いました。
P子が、両方の話を聞いて判断したいと考えたら、正直に事実を話して、彼女の判断に任せようと思いました。

ところがP子は、電話口でこう言いました。

                〜次回へ続く〜

2009年7月21日 (火)  所有欲 7

               〜前回からの続き〜

「私も老人ホームで見ているから、老人が時には酷く厄介なのは分っています。何があったか知りませんが、母の事は私から謝ります。それと、非常時の連絡先に関しては、今すぐ会社に手配してみますが、いつ番号を変えて貰えるかは分りません。それで良いですか?」

この返事には、正直私達夫婦の方がびっくりしました。
P子は、何も聞かなかっただけでなく、謝ってすらくれたのです。

P子には、どちらかというと暗く閉鎖的な印象を受けていた私ですが、それでも私は、何となく心の何処かで「さほど悪い人ではないのではないか?」とも感じていたのです。
スイス人は、本来の自分と反対の人物を演じる傾向にある……やっぱり、そうなのかも知れませんね。

その2〜3日後、私達夫婦は、再び驚かされる事になりました。

私達は、P子が説明を求めて来るまで、今回のO嬢とのもめ事に関しては、私達の方からは触れないと決めていましたが、もちろん彼女が望むなら、引っ越しも仕方がないと思っていましたし、それなりの話し合いにも応じるつもりでいました。

ところが、電話を寄こしたのはP夫のみで、話はいとも簡単に済みました。
「今回の事は、私もうすうす感じていたんだ。私が勝手に貴方達の芝を刈るのは、良くないって。私は、今後一切手出しをしないから、これからもそちらのペースで頼むよ」

はい、全く問題なしです。
それ以外の事は話題にすらなりませんでしたし、その後大分経ちますが、私達夫婦は静かに暮らしています。

どうやらO嬢が独りで騒ぎ、Q子がそれを鵜呑みにし、仲介するどころか更に大きく騒ぎ立てた、という事の様です。
大家であるP子は、私達に普通の店子以上の事は、求めていない様です。

そしてもう一つ不思議なのは、あの時以来、O嬢だけでなくQ子も、私達とまともに挨拶すら出来なくなった――自分からは目を合わせ様ともせず、私達が普通に挨拶をすると、おどおどと返事をします――という事です。
そう、明るく社交的なQ子は、仮面だったのですね。

「日本人は感情を表わさないから、今まで親切だった人が突然背を向けて去り、自分達はそれが何故なのか理解出来ず、戸惑ってしまう」
こんな感じの台詞を私は、いわゆる西洋人(白人)から何回か聞いたことがあります。

スイスに暮らすまでは、「日本人の繊細な感情表現は、彼らには分かり難いのだろう」と思っていましたが、今なら私はこう言います。
「お前らは、日本人が相手にしたくもないと思うほど、くだらないんだよ!」

今回の私もそうですね、結果的にはO嬢に背を向けたわけです。
でも私は、はっきりと言い切れます。
私は、ここに至るまでにたくさんの努力をしたし、色々な形で気持ちを伝え様ともして来たと。
私に残っていた唯一の台詞は、後は「うるせぇ! 黙れババア!!」だけでしたからね。
そして、そんなレベルの喧嘩をするぐらいなら、私は背を向ける方を選んだのです。

現在の私は、O嬢に対して特に何も思っていません。
怒ってもいなければ、確執もありません。
87才にもなった立派な大人が、自分の人生をどう終えたいと決めたのかは、自己の選択であって、誰の責任でもありません。

ただ、仲良くしたいとも思いません。
普通の近所同士として、会えば挨拶はしますが、彼女に対して得に興味もありませんから、それだけです。
それだけの仲ですから、O嬢がきちんとした態度で接して来るなら、私には拒む理由はありません。

しかし、以前の様な無礼な物言いは、認めません。
一人の大人が別の大人と話す時に必要な、最低限の礼儀は、要求します。
その結果、現在の様にO嬢が私を恐れ、話しかける事が出来なくなったとしても、それは彼女の問題です。
そして、そう決めてからの私の生活は……

……ふふふ、滅茶滅茶快適じゃーっ!
こんな事なら、もっと早くケツを捲っとくんだったな。

                 〜完〜

2009年7月27日 (月)  山の天気

ある日の午後。

突然外が暗くなり、ゴロゴロと怪しい音が。
窓を開けてみると、びっくりするほどの風が吹いていて、目の前にはこんな景色が広がっていました。

あまりにドラマチックだったので、写真を撮りました。



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