2011年7月4日 (月)  ラベンダーの香 1

いきなりですが、私は香水を付けません。
理由は簡単で、香水を付けるとくしゃみが出たり、頭が痛くなったりするからです。

また髪が長い為、私の側によると多分、シャンプーやリンスの匂いがするだろうと思うので、石鹸やクリーム、洗濯用洗剤類もあまり匂いのしないものを選んでいます。
だってね、たとえ一つ一つは良い匂いだとしても、身体のあちこちから別々な匂いがしているというのは、何だかおかしな気がするのです。

ですから長い間、私が使っているボディーソープは、スーパーで売っているどうということのないものでした。
老若男女、別に誰が使っても構わないような、特に何の面白味もない、「それ良い匂いだね、どこで買ったの?」などとは決して聞かれない、普通の固形石鹸より少し爽やかかな、ぐらいの匂いです。

ところが、時々私が買い物に付いて行くと――基本的に我が家の買い物は、夫B氏が仕事の帰りにしてくれます。――B氏が満面の笑顔で言うのです。
「みんつ、これなんてどうかな?」
手には、花だの果物だのといった、いわゆる女性的な香りのボディーソープが握られています。

「それはB氏用?」
「もちろん、みんつにだよ」
「ほら、匂いを嗅いでみろ」と言わんばかりに、ボトルのキャップを開けて差し出すB氏に、私は言います。
「うーん、良い匂いだけどさぁ、私は髪が長いから、シャンプーが結構匂うでしょう。ボディーソープまで主張のあるやつを使うと、わけ分かんなくならない?」
「あぁ、そうだな」

その時はそれで納得するのですが、何日か経つとまた、キャップを開けたボディーソープをワインのソムリエさながらに掲げ、B氏が微笑みます。
「みんつ、この匂いはどうかな?」
ひょっとするとB氏は、私に女性的な香りのソープを使って欲しいのでしょうか?

そんなことが何回か続いたある日、帰宅したB氏がニコニコと言いました。
「みんつ、特売だったから、これ買って来たよ」
手には、3本1パックになったボディーソープが、2種類握られています。
1つはバニラ、もう一つはココナッツの香りです。

「私に?・・・だよね」
「そうだよ。良い匂いだろう?」
「あぁ、そうだね、うん、ありがとう」
まぁ、必要がないから使わなかっただけで、絶対に嫌だというわけでもありません。
せっかく買ってくれたのですから、使いましょうか。

ということで、その日から私は、髪の毛も身体も別々の甘い匂いをさせることにしました。
これで「みんつは、B氏と幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」となる筈だったのですが、……

B氏がね、何も言わないのです。
否、何も言わないどころか、気付いてすらいない様なのです。
普通、自分が選んで買った香を妻が身に着けていたら、夫として何か反応しませんか?
褒める程ではなくても、満足気な表情とか、「ぁ、使ってるんだね」とか、何かあっても良いと思いませんか?

試しに、特に良い匂いでも何でもない元のボディーソープに戻してみたりもしましたが、B氏は、どれを使っても全く気付きません。
これは一体、どういうことでしょう?

それでも暫くの間、私はB氏が買ってくれたボディーソープを使っていましたが、いつまで経っても無反応です。
当の本人が気付かないのなら、私としては、意味がありません。

ということで、バニラとココナッツは気分転換用にして、普段はまた元のものを使うことにしました。

              〜次回に続く〜

2011年7月6日 (水)  ラベンダーの香 2

            〜前回からの続き〜

さて、私が元のボディーソープに戻して、暫く経った頃です。

今度は、別の問題が起こりました。
B氏が私用のボディーソープを買わなくなったのです。

否、正確に言うならば、B氏が買ってくるボディーソープの種類を変えたのですが、それは買い置き用も含め、全てが何となく男性的な香なのです。
以前のものは、二人共通で使っていたのに、です。
これは「バニラとココナッツを使い切れ」ということなのでしょうか?

ただ、B氏の普段を見ている私としては、B氏が私のボディーソープの在庫数を知っているとは、到底思えません。
自分の分の在庫すら知らず、同じものを何度も買って来るB氏が、妻の持ち物を把握している筈など、あり得ませんよね。

B氏に言えば、きっとまたバニラやココナッツの香を買って来てくれることでしょう。
以前の品を頼んだとしても、多分……
「みんつが言っていたのより、こっちの方が良い匂いだったから、こっちを買って来たよ」
誇らしげにボディーソープを差し出すB氏が、目に見えるようです。

特に大好きな匂いでもなければ、使っていても何の反応もないボディーソープをまた買って来てもらうというのは、どんなもんでしょうね?
かといって、仕事帰りに一人で買い物をするB氏に、「別の匂いを選んでくれ」と言うのも、何となく悪い気がします。

ということで私は、一度買い物に付いて行き、自分で別の物を探すことにしました。
そして、B氏がよく行くスーパーで売っていて、値段も手頃な、ほのかにラベンダーの香がするボディーソープを選びました。

要は、妻が何となく女性的な香を発していれば良いわけですものね。
花の香なら女性的ですし、シャンプーの多少人工的な甘酸っぱい匂いとも、喧嘩しないでしょう?

で、結果から言うと、これがビンゴでした。
使った初日、お風呂から出て来た私に即「お、良い匂いだね」とB氏。
その後もシャワーからあがる度に「その香、良いよね」ともB氏。

これで、妻は風呂上がりの身体から湯気と共に素敵な香を放ち、その芳香に癒された夫は妻を優しく労り、我が家には愛に満ちた日々が流れ……
なぁんてことは、このみんつ家に起こる筈がありません。

今度は夫B氏、何を思ったか私のボディーソープを使い始めました。

身長190cm近くある、見るからに厳ついB氏が、風呂上がりにその毛深い身体からもくもくと湯気を立て、ラベンダーの香を漂わせながら徘徊しているのです。
そして満足げに一言。
「このボディーソープは、良い匂いだな」

ぁ、言い忘れましたが、B氏は、いつもお風呂から出ると身体の湿気が乾くまで、全裸で家の中をうろうろします。

B氏のボディーソープは、いつまで経っても手付かずで残っているのに対し、私のものは、あっという間に無くなってしまいました。
しかも、ラベンダーの香が無くなるとB氏は、何事もなかったかの様に、自分のボディーソープを使い始めたではありませんか。

仕方がないので私は、取って置いたバニラやココナッツの香をまた使い始めましたが、何だかしっくりしません。
B氏が花の香をさせているというのも、変ではありますが、まぁ、それは百歩譲って良いとしましょう。
でも、私の分を使ったのですから、無くなったら買って来くれてもいいですよね。

シャワーの度に腑に落ちない気分になっていた私は、ある日B氏に聞きました。

                   〜次回に続く〜

2011年7月11日 (月)  ラベンダーの香 3

            〜前回からの続き〜

「あのさ、今棚にあるボディーソープの買い置きだけどさ、あれってみんなB氏用だよね?」
「俺専用ってわけじゃないけど……」
「じゃ、私も使って良いの? ただ、あれは結構男性的な匂いだよね。私がそういう匂いをさせていても、B氏としては構わないのかな?」
「否、それは構うな」

「だよね。じゃ、私のは?」
「あぁ、そうだな。みんつ用のボディーソープも必要だよな」
「うん。っていうかさ、私用のもあったんだよ。でも、B氏が全部使っちゃったんだよね」
「???」

「ラベンダーのやつ。良い匂いだって言って、B氏、あればっかり使ったでしょう。だから、もうないんだよね。私のを使うのは良いんだけどさ、無くなったら買って来て欲しいな」
「そうか、悪かったな」

「じゃ、これからは二人共ラベンダーの香にするの? 私は、B氏が気に入っているなら別に構わないけど、ちょっと女性的な香じゃない? 大人の男性がラベンダーの香をさせているって、どうなんだろう? 格好良いとは言われないよね、多分」
「だな。俺は、今使っているやつがあるから、ラベンダーの香はみんつ用にしよう」
「じゃ、今度買い物に行ったら買って来て」
「おぅ」

ということで、B氏はフレッシュだとかフィットネスだとか書いてあるやつ、私は
ラベンダーの香のボディーソープを使うことに決まった筈なのですが……

現在我が家のバスルームには、B氏用と私用、2種類のボディーソープが置いてあります。
買い置き品が入っている棚の中にも、やはり2種類のボディーソープが入っています。
ところが、私用のボディーソープばかりが、どんどん減って行きます。
我が家では、風呂好きなB氏の入浴回数の方が、私のそれより圧倒的に多いのに、です。

「B氏、私のボディーソープの方が良いの? それなら使っても構わないけど……」
「否、俺は、ちゃんと自分のがあるから」
「でも、いつも私のを使っているよね?」
「否、使ってないよ」

「でも、B氏のやつは全然減ってないじゃん」
「否、そんなことはない」
「私のボディーソープ、減りがすごく早い気がするんだけど、気のせいかな?」
「うん、それは気のせいだ」

「私は別に、使うなって言ってるんじゃないからね」
「否、俺は自分のを使うから」
「でも、現に今も私のを使ってるじゃん。B氏、ラベンダーの香がしてる」
「これは、たまたま俺のが切れていたから、みんつのを借りたんだ」
「ふぅ〜ん」

現実として、B氏は、ほぼ毎回私のボディーソープを使います。
しかし、聞くと必ず「みんつのを使う気はない」と答えます。
そして、明らかに私のボディーソープは、減りが早いのです。

この間は、こんなこともありました。
私がシャワーを浴びていると、ラベンダーの香のボディーソープを手にしたB氏が現われ、こう言いました。
「みんつの切れていたから。はい、これ」

B氏は、自分のものが空になっていたって、気付く様なタイプではありません。
それなのに、これは何なのでしょう?

「B氏、私のボディーソープの方が好きなら、使っても良いからね。なんなら、B氏のやつはもう買うの止めて、ラベンダー1本にする?」
「否、俺は自分のが気に入っているから」
「……」

……じゃぁ、何であんたは今、湯上がりにラベンダーの香をさせているのさ?!

2011年7月13日 (水)  みんつが最近気になるスイスの男子 2

常々私は、このサイトを通して「スイス人てどんな感じなのかなぁ?」ということを、皆さんに伝えたいと思っているのです。

ですから、まぁ、スイス人とのあれやこれやをこの日記に書いているのですが、具体的なイメージ、特に外見的なものとなると、これがなかなか難しい。
スイス人と一口に言っても、ドイツ系、フランス系、イタリア系、ミックス等々、色々なタイプがあるわけで。

皆さんがスイス人と聞いて思い浮かぶのは、テニスのロジャー・フェーデラー氏、マティーナ・ヒンギス嬢、フィギュアスケートのステファン・ランビエール氏あたりではないかと思うのですが、「スイス人ってどんな感じ?」を想像するにも、これだけではあまりに少な過ぎますよね。

ということで今まで私は、ミスター・スイスだのミス・スイスだのを紹介していたのですが、ここ何回か、すっかり雑誌を買い忘れていまして・・・・・・

その代りといいますか、ただいい男の話をしたいだけという噂もありますが、私が個人的に気になっているスイス人を、勝手に紹介してみようと思います。

で、今回はこの方、プロ自転車ロードレース選手です。

【ファビアン・カンチェラーラ(Fabian Cancellara)】氏

1981年3月生まれ
身長186cm、体重80kg

オフィシャル・サイトはこちら。(↓)
http://www.fabiancancellara.ch/
(お手数ですが、アドレスをコピーしてジャンプして下さい。)

自転車ロードレースの選手って、ほっそいイメージがあったのですが、意外に体重がありますね。


ちなみに“みんつが最近気になるスイスの男子 1”は2011年6月28日(火)の日記『みんつ、今日から頑張る!』に載っています。
興味のある方はどうぞ(スクロールして下さい)。

2011年7月18日 (月)  この村を今一好きになれない理由。

いつ行ってもゴミ置場内が荒れている。

「畳んで縛ってから出せ」と張り紙があるのに、ダンボールは箱のまま投げ捨てられているし、積み上げられた新聞紙は雪崩を起こしている。

「小さな金属のみ」と大きな字であるのに、下手すりゃ自転車が捨ててあるし、大量の空き缶は洗われてもいないが、潰していない為、こんなに人口の少ない村なのに、あっという間にコンテナからあふれ出す。

「捨ててはいけないゴミ」として、ペットボトルとドアの注意書きに載っているのに、常に大量のペットボトルが、指定のゴミ袋にも入れずに−−これに入っていれば、少なくとも普通のゴミ扱いになる−−堂々と置かれている。

そして、普通のゴミ。

十分に広さがあるゴミ置場内なのに、皆手前の方ばかりに置くため、踏み込めない奥に大きな空間を残したまま、入りきれないゴミ袋がドアの方まで崩れて、床に何やら分らぬ液体の染みを作っている。

どの家を覗いても、タンポポ一つ生えていないような、整然とした庭を維持しているのに、公共のゴミ置場はこの有様。

民度低すぎ。

2011年7月21日 (木)  友人の引っ越しにおける私的考察 1

「土曜日はM氏の引っ越しだけど、みんつも手伝いに行くだろう?」
「うん、行くつもりだよ。ただ、私は腰が悪いから、重い物は持てないし、あんまり役に立たないけど、良いのかな?」
「引っ越しなんてのは、少しでも人数が多い方が良いし、細々した荷物だってあるだろう。重い箱は俺たち男が運ぶから、みんつは小さいのを運んでくれれば、十分役に立つよ」
「みんなが作業の合間にちょっとつまめる様に、サンドウィッチかなんか用意していく?」
「否、M氏がそういうのは用意してあるらしいから、俺らは手ぶらで良いってさ」

ということで、我が夫B氏の幼馴染みであるM氏と彼のパートナーE嬢、彼女の息子A太の引っ越しに、私達夫婦はかり出されました。
で、その当日。

「おみそでも、いないよりはましかな」
そのぐらいの気持ちで着いた私に、M氏が挨拶もそこそこで切り出しました。
「みんつには特別な仕事があるんだ。こっちに来て」
台所に通された私に、M氏があちこちの棚を開けて見せます。
「食器、まだ一切梱包してないんだ」

見回すと、台所は食器が梱包されていないだけでなく、全く手が付けられていないようです。
朝食で使ったらしき皿や鍋などが、汚れたまま流しにありますし、その横には、蓋が開いた調味料や油のビン、コーヒー・クリームの空容器などが置いてあります。
引き出しの中は、何かの部品と思しき小さなプラスティックや金属、食べ切らなかった飴の残り、処分して良いのかどうか、他人には分らない雑多なものが、一緒くたに混ざっています。
試しに開けてみると、食器洗浄機の中にも、洗ったのかどうか定かではない、食器が残っていました。

そう、簡単に言ってしまえば、つい先程まで普通に生活していた、そのままの状態です。
どうやら私、おみそどころか本日の最重要人物のようです。

「E嬢は時間がなくて、荷造りできなかったんだ。今日も仕事で、引っ越し作業は出来ないし。悪いけど、台所は任せて良いかな。ダンボール箱と新聞紙はここに置くね。じゃ、宜しく」
まぁ、良いけどさぁ……

私、スイス人が頻繁に使う台詞で、常々気になっているというか、あまり好きではないものがあります。
それは「私には時間がない」です。

私の考えでは、この世の中にあるもので唯一、皆に平等に与えられているのが、“時間”です。
どんなにお金持ちでも、偉いとされている人でも、他人より長く時間を持つなんてことは出来ません。
皆平等に“1日24時間”です。

時間というのは、あったりなかったりするものではなく、自分で調整するものです。
物事の優先順位と自分の能力を判断し、何にどのくらい時間が掛かるかと、割り当てるものです。
ましてや引っ越しなどという、随分前から決まっていただろう事柄に関しては、時間がないなんてあり得ません。
こういう場合「私には時間がない」ではなく、「私は、その為に自分の時間を割けるよう、手配する気がない」が正解です。

ですから私は、誰かに「xxをやって欲しいのだけど、時間ある?」と聞かれると、わざとこう答えます。
「私、お金も地位も名誉も物質も大抵の人よりないけど、時間だけは、みんなと同じだけ持ってるんだ。問題は、やる気があるかどうかだな」
もちろん、笑いながらですよ。
すると、私に興味を持ってくれているスイス人は、少しはっとしたように言い直します。
「みんつ、xxやってくれる?」

これだけを聞くと、皆さんはきっと「みんつって、理屈っぽくて面倒臭い女だな」と思うのではないでしょうか。
ええ、確かに私は、いささか面倒臭い女の部類に入るでしょう、もし貴方が、ずるをしたいなら。
でも、貴方が何も画策せずに、真っ直ぐに「みんつ、手伝って!」と言うならば、私は、大抵のことを快く引き受けます。

               〜次回に続く〜
          (中途半端なところですまん。)         

2011年7月25日 (月)  友人の引っ越しにおける私的考察 2

            〜前回からの続き〜

私には時間がない、だから、代りに貴方がそれをすることを私が望んでも許される。
こういう自己正当化的な言い訳が、私はあまり好きでないのです。
「すまん、だがやってくれ。礼は、感謝の気持ちだ」
私は、こういう人が好きなのです。

「みんつ、これやって」
「いいよ」
「ありがとう」
「うん」
私が求めている人間関係は、これだけです。

しかしスイス人は、その言葉が全ての免罪符でもあるかのように、こう言います。
「私には時間がない」
……ふ〜ん、で? 貴方に時間がなくて、必要なことが出来なかったとして、それと私と何の関係があるんすかぁ?

しかも、ぶっちゃけてしまうと、前回の引っ越しも同じ状況だったのです。
前回は、E嬢と一緒ではありましたが、台所以外にもE嬢の部屋、M氏の部屋のものを荷造りし、掃除もしました。
今回は、掃除はしなくて良いし、荷造りは台所だけのようですが、代りにE嬢がいません。

こういう場合、前日に電話の一本もくれないものでしょうか?
我が夫B氏越しではなく、私に直接「引っ越しの準備、全然出来ていないのだけど、頼んで良いかな?」と。
私が行かなかったら、彼らはどうしていたのでしょう?

いきなりこんな状況に置かれ、何となくだまし討ちされたような気分になるのは、私だけでしょうか?
仮に、本当にE嬢の都合がつかなかったとしても、M氏もA太(14歳)もいるのです。
多分私は、最初から、その要員に数えられていたのではないでしょうか?

その上、M氏が寄こしたダンボール箱や新聞紙は、明らかに少なすぎます。
否、ダンボール箱2つと普通の新聞紙の半分の大きさのものが2〜3日分では、少なすぎるというより、ないに等しいと言った方が良いかも知れません。
せめて昨日の夜に電話をくれれば、うちにあったものを持って行けたのに。

「何だかなぁ。一言、前もって言ってくれれば、気持ちよく引き受けるのに」
そんな風に思いながら、それでも全てを片付け、引っ越しが終った頃には、作業に熱中したためか、だまし討ちにあったような気分は、私の中でほぼ昇華していました。
ま、ある意味一番役に立ったのですから、来て良かったのかな、なんて。

そして、皆で労働後のカナッペをつまみ始めた頃、E嬢が帰宅しました。
「みんつ、ありがとう。貴方には今度、私が働いている店の服を何か一つプレゼントするわね」
いきなりE嬢が言いました。

こういうの、私には分りません。
多分、私に問題があるのでしょう。
私がきっと偏屈なのでしょう。
他の人達は皆、喜ぶのでしょう。
そうすることが、人として正しいやり方なのでしょう。

でもね、私は嫌なのです。
スイス人のこのやり方が、とても嫌なのです。
だってね、このプレゼントで自分の罪悪感がチャラになる、ってことでしょう。
別に私は、罪悪感を持ち続けろと、言いたいわけではないのです。
ただ、もので釣るような感じが嫌なのです。
E嬢は「ありがとう」と言ったのですから、もうそれで良いのです。

ですから私は、もちろん言いましたよ。
「あぁ、それは必要ないから。やりたかったからやっただけだし、役に立って良かったわ。気にしないで」

                      〜次回に続く〜
                (今回も何だか中途半端だな。)

2011年7月28日 (木)  友人の引っ越しにおける私的考察 3

              〜前回からの続き〜

幾らこちらが「気にしないで良い」と言っても、スイス人は、これでは駄目なのです。
彼らは「他人に甘える=借りが出来た」と感じるようで、相手が喜ぶかどうかよりも、借りは作らないということの方が重要なのです。

私が何故こんな言い方をするかというと、もしE嬢が「みんつに甘えちゃって、悪かったな。何か、お返しがしたいな」と純粋に思ったのなら、仕事帰りに何処かにちょこっと寄って、例えば、普段食べているものより、ほんのちょっぴりお洒落なチョコレートか何かでも買ってくれば、それで済むからです。

以前にも何度か書いていますが、私には、物欲が殆どありません。
何故かは分りませんが、子供の頃からそうなのです。
欲しい物が全然ないのですから、他人から物をもらうのも、やはり好きではないのです。
後に残る物は特に困ります。
そしてそれは、E嬢も十分知っている筈です。

しかしE嬢は「私がE嬢の勤務日に合わせて、わざわざ遠い町まで出掛け、彼女が働く店に行って、彼女の社員割引きが利く洋服を買ってもらう」ことを望んだのです。
そうすればE嬢が喜ぶから、私は彼女のために、欲しくもない物をもらいに行く。
これって、私へのお礼ではないですよね。

……引っ越し、手伝わなければ良かったのかな?
っていうか、M氏がもう「ご苦労様」のカナッペを用意してくれたのだから、それで十分なんだけど。

「気にしてるんじゃないの。私が、みんつに何かプレゼントしたいのよ。うちの店、結構良いもの置いてるから」
「そう。じゃぁ、今度街に行ったら寄るね。ありがとう」

こんなことで言い合いはしたくありませんし、スイス人のこのやり方はいつものことですから、そう答えましたが、私には、自分がその店に行かないであろうことが、分っています。

別に良いのです、そう、いつものことですから。
「今度ね」「うん、そのうちね」と先延ばしにして、なかったことになるまで、のらりくらりとやれば良いのです。

ただね、こういうことが起こる度に「あぁ、この人も、自分の気が済むことが重要なだけで、本当に私を好きなわけじゃないんだな」とがっかりするのです。

で、私は時々思うわけです。

どれだけ誠心誠意説明したって受け入れられず、結局要らない物をもらわなければいけないのなら、ましてや、本当に友達だとも思われていない、単なる上っ面だけの関係相手なら、いっそのこと遠慮なく良いもんもらって、ネットで売りさばいて、小遣い稼ぎでもする方が利口かも知れない、なんて。

……スイスにいると、性格が歪みそう。

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