2004年8月2日 (月)  建国記念日

昨日、8月1日は、スイスの建国記念日でした。

数日前、私たちの元に、一つ下の村に住んでいるご夫婦から、『建国記念日のパーティー』の招待状が届きました。
今まで一度もこの祝日を祝っていなかった私達、今年は村のパーティーに参加してみる事にしました。

飲み物、パン、サラダ、スナック、デザートは用意してあるので、バーベキュー用の肉のみ各自持参。パーティーは、夕方6時から食事が始まり、空が暗くなった時点で場所を移し、火を囲んでお祝いということです。

私達は、外に並べられたテーブルに着き、この小さな村で、まだ知らない人がたくさんいたことに驚きつつ、和やかに食事をしました。
新しい人たちと知り合いになり、偶然隣に座ったおじいさんに喜ばれ(私、村の中では、『若い娘』の部類に入るようです)、夜の10時も過ぎた頃でしょうか、集まった人たちは各々、ちょうちんやたいまつを持って、場所を移動しました。

火を焚く、と聞いていたので、キャンプ・ファイヤーなどを想像していたのですが……形こそ、キャンプ・ファイヤーの火ですが、その大きさ、小振りの家一軒分ぐらいありました。
しかも、火の勢いが良かったのでしょうか、2mぐらい離れて積んである、足し木にする予定の材木も燃えていますし、周りの藪にも火が回っています。
何処を見ても、バケツの水すら置いてありませんし……
「周りの草も燃え出しているけど、火事の心配は、大丈夫なのかなぁ?」
と言う私に、
「村の消防団の連中は、ここに全員いるよ」
と、呑気なB氏。
どうやらこれは、スイスでは普通の事のようです。

大きな焚き火を前にして、子供たちは恒例の花火を打ち上げていたのですが、これがまた、勝手な所から、勝手なタイミングで打ち上げられますので、なかなかスリルがありました。

と、一人の女の子が、甘えるようにして、頭を私のお腹にすり寄せて来ました。
この子は確か、パーティーを主催したご夫婦の子供です。
先程、食事の前に挨拶で握手をした時も、彼女は私の名前を知っていましたし(まあ、これはもう、驚きませんが)、何故か私の手を握ったまま、放したがりませんでした。
可愛らしいので、私はそっと抱き寄せ、髪を撫でて上げました。

そういえば前日、もう一人別の女の子と知り合いました。
友人N嬢の家で夕飯に呼ばれたのですが、彼女の子供3人の他に、もう一人、8歳ぐらいの女の子がいました。
その子の名前が、『アマイ』。
不思議に思った私が聞いてみたところ、お母さんが日本語の名前を付けたとのことです。
そう、『アマイ』は『甘い』なんです。ドイツ語では、『甘い』に『可愛い』という意味もあります。
以前日本に行った時、B氏が、外国語の苦手な私の妹に、『君は可愛いね』と言いたくて、『君は甘いね』と日本語で言い、ブーイングをされてましたっけ。

で、『アマイ』の由来を聞いた私とB氏、同時に、
私:「可愛い名前ねぇ」
B氏:「気の毒な名前だなぁ」

……おい、B氏、日本語のもう一つの意味、アマイちゃんには言うなよ。

2004年8月3日 (火)  猫デビュー?

どうも最近、我が家の黒猫L氏の様子が変です。

L氏と暮らすようになって、1年半近くになりますが、ここ数日の行動は、今までなかったものなのです。
何が変かと言いますと、ええと、『猫みたい』なのです。
私の日記を読んでいて下さる方は、もうご存知だとは思いますが、L氏、『犬のような猫』だった筈です。

で、ここ数日のL氏のおかしな行動は、
・昼間、どこかに出かける。
・ちょっと良い餌を、ソースを舐めるだけでなく、肉まで食べる。
・牛小屋の臭いをさせて、帰ってくる。
・牛乳を飲む。
などです。
ここ3、2日に至っては、夜中もどこかに出かけているようです。

以前は、私をストーキングしているとしか思えない行動で、1日中、私の半径2m以内から出ようとはしなかったのに、一体どうしたのでしょう?

この間などは、私と夫B氏がTVを見ていますと、L氏、可愛いねずみを咥えて戻って来まして、居間全体を使って、私達に『逆トムとジェリー・ショー』を見せてくれました。
「みんつ、見ろ! L氏、ねずみを咥えているぞ。どうする?」
「ああ、猫は、獲物を飼い主に見せるのよ。誉めてもらいたいのよ」
「……L氏、よくやった。偉いぞ。ショーはその辺で良いから、ねずみ、食べなさい。……L氏、もう良いよ。ねずみ、食べなさい。……ああ、早く食べてくれ。……みんつ、ねずみまだ生きてるのかな? L氏は食べるよな?……L氏、良い子だね、ねずみ、お食べ……」

先日、丸1日、L氏が戻って来ませんでした。
いくらなんでも、おかし過ぎます。
L氏の行動範囲は、せいぜい家から10mというところの筈です。
朝になっても戻らないL氏が心配になり、私、探しに出かけました。

「L氏ぃ〜、L氏ぃ〜」
名前を呼びながら、家の周りを探していると、何処からか、「ミャー」という声が聞こえました。
「L氏ぃ〜、どこにいるのぉ〜?」
「ミャー、ミャー……」
「L氏ぃ〜?」
「ミャーッ!!」

L氏、隣の酪農家の、牛小屋に閉じ込められていました。
きっと隣の人は、牛小屋を閉める時に、L氏がいることに気付かなかったのでしょう。

牛小屋の臭いがする、お腹を空かせている、何時間も戻って来ない……
……L氏、あそこに閉じ込められたの、初めてじゃないでしょう?

2004年8月4日 (水)  ゴミ事情

スイスでは、かなり徹底したゴミのリサイクル・システムが、取られています。

まず、各家庭は、国が指定しているゴミ袋を買い、自治体が指定している有料ステッカーを貼り(ゴミ袋の容量によって、値段が違います)、ゴミを出します。
このゴミの中身ですが、リサイクル出来る物は全て除いた後、の物です。

では、リサイクル出来る物は、どうするのか?

各地域の大きさによって規模は多少異なりますが、どの地域にも、リサイクル・ゴミ置き場が設けられていて、幾つかのコンテナが置かれ、次のような物が捨てられます。

【ビン】:透明、緑、茶色に分けて、捨てるようになっています。
【ペットボトル】:お酢と油の容器以外は、何でも可。中の空気を抜き、潰して捨てます。
【缶】:アルミとそれ以外、に別れています。コンテナの取っ手を回すと、缶が潰れて小さくなるように出来ている物もあります。
【古着】:下着や破れているような物は、不可。不要な服をここに入れると、貧しい人やホームレスの人たちの元に届けられます。

上記以外のリサイクル品は、次のようになっています。

【乾電池】:スーパーや商店に渡すと、処理してくれます。
【薬など】:賞味期限の切れた薬や、壊れた体温計は、薬局で引き取ります。
【靴やベルトなど、革製品】:まだ履ける古い靴などは、指定の日に配られた袋(無料)に入れて出しておくと、やはり困っている人の元に配られます。
【古紙】:定期的に、地域の子供たちが回収し、所定の場所へ持って行かれます。
【生ゴミ】:地域によって、回収車が来る所と、生ゴミ捨て場があるところがあります。庭のあるスイス人は、自分の家で肥料にするのが一般的です。
【大型ゴミ】:指定の日に出すか、役所に電話をして取りに来てもらいます。

こうしたゴミは、大抵どのスイス人も分別します。
もっと細かい分別が出来る地域もあります。
格好付けたい年頃のティーンエイジャーが、食べたヨーグルトの包装をはがし、古紙として分別している、なんてこと、スイスでは普通です。

ゴミを出さない努力としては、

【野菜や果物】:量り売りになっている物が多く、各自が好きなだけ袋に入れて、レジに行きます。
【買い物袋】:有料。大抵のスイス人は、買い物バッグを持参します。
【包装紙など】:特に頼まない限り、ありません。プレゼントは、各自できれいな紙を買い、自分で包むのが一般的。

リサイクルの徹底しているスイスでは、最近、家庭ゴミに含まれる紙の量が足らず、ゴミが燃えなくなっている、などという話も聞きますが・・・・・・日本のお役所の方々、一度、研修に来られては如何?

2004年8月5日 (木)  普通で良いんです。

日本にいた時に、いわゆる『洋食のマナー』などというものを、見たり聞いたりしましたが、あれってどこの国のマナーなのでしょう?

そのマナー、私の記憶では、確かこんな感じでしたが・・・・・・

・ナイフを右手に、フォークを左手に持ち、それらが食器に当たる際、消して音などは立てない。
・スープは、手前から向こう側に向かってすくい、残り少なくなったら、お皿を向こう側に傾けて、すくう。
・ご飯は、フォークの背に乗せて食べる。
・レモン・ティーを飲む場合、レモンはスプーンに乗せ、軽くお茶にくぐらせたら、さっと引き揚げる。
・スパゲッティ−などは、スプーンの上で、一口大に丸める。・・・・・・などなど。
そうそう、バナナはナイフで皮に切れ目を入れ、実もナイフとフォークで食べる、なんていうのもありましたね。

正直な話、スイスに来て色々な国の人を見ましたが、そんなことをしている人は、見たことがありません・・・・・・イギリス人である、義理の姉、以外は。
あれは、イギリスのマナーなのでしょうか?
でも、イギリスって、スイスなんかでは、食文化が貧しいことで有名ですけど・・・・・・

もちろん、皆さん基本的には、ナイフを右手、フォークを左手に持ちますが、左利きの人で、逆に持つ人もいますし、食べ物を切った後、フォークを右手に持ち替えている人もいます。
お皿の音は、結構気にせず立てていますし、仲間内だけのパーティーなど、美味しい料理が出た場合、お皿に付いたソースを舐めている人もいます。
スープは、私の見たところ皆、向こう側から手前にすくい、お皿は手前に傾けます。
こちらのご飯はさらっとしていますので、フォークの背には乗りませんし、調理法によっては、スプーンが出て来ます。
レモン・ティー・・・・・・飲んでいる人自体、あまり見かけませんが、レモンを絞ったり、カップの中で潰したりする人もいます。砂糖などをかき回した後、スプーンは、かなり多くの方が、ぺろり、と舐めてから、受け皿に起きます。
クロワッサンを、ミルク・コーヒーにジャブジャブ浸けて食べる人も、そこいら中で目にします。
以前にも書きましたが、スパゲッティーをナイフで切って食べる国の方もいます。
バナナに限らず、果物は大抵、手を使っていますし、リンゴや梨など、そのまま丸齧りしているなんてことも。

日本で、イタリアンやフレンチのレストランに行くと、堅苦しくて食べた気がしない、なんてこと、ありませんか?
帰りに、ラーメンを食べたり、なんて。

私の知る限り、欧米人も、食事はわいわいがやがやと楽しんでいます。
食べた後に、床やテーブルが汚れている事だってあります。
お寿司は、手で食べても良いと聞き、大喜びしたスイス人を、私、何人も知っています。

私達も、そんなに気取る必要、本当は、ないのではないかしら?
お店の人だって、美味しく食べてくれるのが一番嬉しいだろうし。

日本の皆さん、もっと気軽にいってみませんか?

2004年8月6日 (金)  Wの悲劇

我が家は、ダブル・ベッドで寝ています。

こんな風に言うと、ロマンティックな響き、ありますよね。
しかし、今日の私、寝不足で頭が痛いです。
何故か?

毎晩のことなのですが、我が夫B氏、起きている時よりも、寝ている間の方がうるさいのです。
まず、鼾がすごい。音が大きいだけでなく、かなり不規則なため、聞いている私の方が、本気で心配になることもしばしば。
鼾をかいていない時は、B氏、声を立てて笑うか、話します。これが、寝ているとは思えない状況で、私と会話をすることもあるのです。
そして、寝相が悪い。寝返りを打つと、その勢いでマットレスが弾み、私の体が浮きます。
これらを上手に組み合わせ、コンビネーションを変えて、一晩中やってくれます。

昨夜は、よっぱど楽しい夢を見たのか、運動不足の補いか、一際強烈な夜でした。
どすん! ぼよん、ぼよん、ぼよん・・・・・・
B氏の、あまりに勢いのある寝返りに、私、文字どうり飛び起きました。
隣を見ると、なにやらB氏、寝ながら微笑んでおります。

・・・・・・こいつ、楽しそうだなぁ。全く、びっくりさせて。
私が、再び寝入ろうとすると、B氏、反対側に寝返りを打ちました。
どすん! ギシッ、ぼよん、ぼよん・・・・・・
いつもより激しい動きに、驚いてB氏の背中を眺めていと、日本語が聞こえてきました。
「私はねぇ・・・・・・あ、ははははは」
どうやら、夢の中で、私と話しているようです。楽しいのは良いけど・・・・・・

と、またB氏、今度は私の方に寝返りを打ちました。
B氏が動く度に、ベッドが壊れそうな音を立てて、軋みます。
今日のは、いくらなんでも激しすぎます。
「B氏、うるさいよぉ」
ちょっと腹が立ち、そう言って小突いた私に、B氏、寝ながら手を伸ばしました。
・・・・・・おっと、危ない。
ここでB氏につかまると、私は羽交い絞めにされ、身動きが取れなくなりますので(過去の日記、5月4日『テディー・ベアの苦悩』参照)、さっとベッドの端に逃げました。

・・・・・・もう、うるさいよぉ。これじゃ眠れないじゃん。
私が眠れずに、いっそ居間のソファーにでも行こうか、と考えている間も、B氏は、笑ったり、動いたりしています。
どうしたものか・・・・・・

仕方がないから隣の部屋で寝ようか、と決めかけた頃、B氏がやっと仰向けになりました。
今がチャンスです!
これ以上動かせないように、私、脚をB氏のお腹に乗せました。はい、出来るだけ重みが掛かるように、脚全体を乗せました。

B氏、動きを止め、笑うのを止めました。
そして、少しずつおかしな呼吸を始めたかと思うと、力の無い声で、「うー、うー」とうなされ出しました。
どうやら、恐い夢を見ているようで、胸の上に自分の手を乗せ、お腹に私の脚を乗せ、動けないでいます。
私、B氏に寄り添い、ついでに腕もお腹に乗せて、やさしく囁きました。

・・・・・・「お休み、B氏」

2004年8月10日 (火)  リンゴ様

我が家では、夫B氏と私、それぞれに専用のPCを持っています。
文字を書く以外に、殆ど使用目的がない私は、日本で買ったウィンドウズを、仕事柄グラフィックの作業が多いB氏は、マックを使っています。

正直な所、私のPCの知識はゼロに近いのですが、特に難しいこともしませんので、問題はありません。
それに比べ、私から見ると色々とややこしい操作をしているB氏、しょっちゅう問題を起こしているようです。
実を言うとB氏、あまり機械関係が得意ではないのです。
いえ、苦手、と言っても良いかも知れません。

大抵の家庭では、電化製品のことは、旦那さんなり息子さんなりと、男性がやるのではないでしょうか?
しかし我が家では、ビデオの操作をするのも、TVやステレオの配線をするのも、私です。
B氏が得意とする電化製品の扱いは、その大きな身長を生かした、電球の取替え、のみです。

そして、厄介なことには、B氏、フリーランスの形態をとって働いているのですが、経理など、自分でやらなくてはならない事務があり、このてのPCソフト、大抵がウィンドウズ用なのです。

今日もB氏、マックに簿記用ソフトをインストールしようと、朝から奮闘しておりました。
が、やはりその努力は報われず、夕方近くになり、情けない顔で私の所に来ました。
「みんつ、やっぱりこのソフト、ウィンドウズじゃないと駄目みたいだ。君のPC、貸してくれないかな?」

過去にもB氏、時々私のPCで作業をしたのですが、何やら私には分からない事をしていまして・・・・・・後でプログラムを開けると、私のPCなのに、私にはいじれないファイルがあるのです。
本当は、あまり貸したくないのですが、仕事の事となれば、嫌とは言えません。

PCを取られた私、仕方がないので、夕飯用に庭の野菜を取りに行きました。
大根を抜いていると、またもやB氏が現れます。
「インストールしたら、住んでいる地域を変えろって出たんだけど、スイスに変えても良いかな?」
「・・・・・・それ変えると、何が起こるの?」
「うーん、言語が、ドイツ語になるんじゃないかな?」

私のプログラム、インターネットを繋いだ時点で、ブラウザーが食われてしまったようで、既に、半分ドイツ語になっています(日本語とドイツ語が、混ざっているのです)。もう少しドイツ語が増えても、大した違いはありません。
「良いよ。貴方が使い終わったら、また戻して置いてくれれば」

私が画面の日本語を通訳し、B氏、地域を変えました。
と! 突然画面が、小さくなってしまいました。『最大化』を押しても、大きくなりません。
B氏、???のまま、小さな画面で作業を続けます。
すると今度は、画面が固まってしまいました。何処をどうやっても、何も起こりません。
「B氏、駄目だよこれ。一回、電源切っちゃうしかないよ」
B氏、電源を落とし、最初からやり直しますが、やはり同じ事が起こるだけです。
終いには、画面から色まで飛んでしまいました。

「えぇ、ちょっとぉ・・・・・・私、HPのネタとか、まだ保存してないんだよ。飛んだら困るよぉ」
B氏、諦めたようで、どこかに電話をかけ始めました。
どうやら、近くに住んでいる友人に、PCを使わせてもらうことにしたようです。

「みんつ、今日は夕飯いいや。今からちょっと、M氏の所に行って来る。帰りは何時になるか分からないから、一人で夕飯食べてくれ」
そう言うとB氏、すっきりした顔で、出かけて行きました。

・・・・・・おい、私のPCはどうするんだよ。この、色が飛んで小さくなった画面は、どうすりゃ良いんだよ。

今日の日記が遅れた理由は、そういう事です。

2004年8月11日 (水)  お詫び

皆さんへ。

今週、来週と我が夫B氏が、夏休みを取りました。
今年の夏は、スイスを満喫しようと、2人で山歩き、マウンテン・バイク、川や湖で泳ぐなど、アウト・ドアを楽しんでおります。

家にいる間は、大食漢B氏のおさんどんに追われています。
しかも、インターネットは常に占領されており・・・・・・

という訳で、なかなか日記を書くことが出来ません。
B氏の隙を狙って、更新をするつもりではいますが、二週間ほど、不定期更新になりそうです。

掲示板の方は、出来るだけ毎日お返事を書きますが(私も、皆さんとのお話、楽しみにしていますので)、日記の更新が遅れがちになること、お許しください。

・・・・・・これ、今日の日記がない言い訳です。

2004年8月16日 (月)  山羊をめぐる冒険 (前編)

「xxから2時間位山を登ると、明け方、シュタイン・ボック(アルプスに生息する、野性の山羊)が見れる所があるよ」
最近知り合いになった、ご夫婦が言いました。

xxとは、私達夫婦が住んでいる山の、一番上にある村です。
「行こう。シュタイン・ボック、私、まだ見た事ないもの」
「みんつ、そんなに早起き出来るか?」
「前の日に行って、野宿すれば良いんじゃない? そうすれば、暗い中を歩かないで済むしさ」
私達は早速、登山が趣味の義父母宅に、テントと寝袋を借りに行きました。

「寝袋なら私、良いのを持っているわよ。−20度まで大丈夫なの」
そう言う義母に、義父がフンと鼻を鳴らします。
「今の時期、そんな重装備はいらないさ。重い荷物は、登山の負担になる」
「でもね、夜は冷えるわ。寒過ぎるよりは、暑過ぎる方が良いし、暖かいことは、重要よ」
義父母が珍しく言い合う中、「みんつは寒がりだ」と言う夫B氏の一言で、一件落着しました。
その後、義父からテントと寝袋の下に敷く断熱マットの扱い方を教わり(義父の登山用具は、やや特殊なのです)、準備完了です。

さて、当日。
天気予報通りの良い天気の中、私達はいくらも歩かないうちに、穴からひょっこり頭を出している、マーモットを見つけました。
ヒューッ、という鳴き声で、仲間に合図を送っています。
よく見ると、あっちにもこっちにも、マーモットがいます。のんびりと、歩いているのもいたりして・・・・・・。
初めの内は珍しかったマーモットも、あまりにたくさんいるので、次第にどうでもよくなりました。

そして、夕方6時ごろ、目的地に到着です。
ここでテントを張る訳ですが・・・・・・義父の言葉が蘇ります。
『平らな場所を選ぶ』→ 軽量化のため、化学繊維で出来ている道具類は、傾斜があると、寝ている内にずり落ちて行きます。
『テントの下に、石がないようにする。場合によっては、その辺の草を抜き、下に敷く』→ 痛いから。

「ああ、何てこった!」
良さそうな場所を見つけ、リュック・サックを開けた途端、B氏が言いました。
山の上方を見ると、牛がたくさん放たれています。
『牛のいない所を探す』→ 牛が鼻面を突っ込んで来たり、テントに寄りかかったりするので。

「ここは駄目だわ。見て、牛の糞があるもの。あいつら、夜になったら降りて来て、テントの周りで寝るわ」
要は、牛も、平らで石のない所の方が良いのです。
「もう少し歩いて、牛のいない所まで行くか?」
「うーん、時間的にきついと思う。出来たら今、テントを張っちゃいたいな。暗くならない内にテントを張って、ゆっくりしたいよ」
「でも、ここはまずいだろう」
そうこう話していると、牛達が、斜面を降りて来ます。
「ああ、やっぱり駄目だ。どうする、みんつ?」
「牛が降りて来るって事は、上では寝ないって事よね? 牛がいた、上に行く? この先に行っても、良い所があるか、分からないしさ」
私達は、降りてくる牛とすれ違うように、斜面をもうひと登りしました。

テントを張り、持参のサンドイッチを食べている内に日が暮れ、すっかり冷えてしまった私達は、まだ辺りは明るいのですが、寝袋に入る事にしました。
私達が、テントから少し離れた小川で歯を磨いていると、
「B氏、牛が! あいつら、下では寝ないんだ!!」
牛達、カウ・ベルを鳴らしながら、どんどん登って来ます。
「ああ、牛がテントの方に!」
「俺、ちょっと行ってくる」
B氏、急いで戻ると、テントに群がった牛たちを、追い立て始めました。
「ここで寝るの、まずいんじゃない?」
「いや、大丈夫」
B氏は、根拠もなく言い切ると、牛をもっと上の方まで追い立てました。
一応、牛は遠くに行きましたが、柵がある訳でもありません。その気になれば、いつでも戻って来られます。
寝ている間に牛が来て、私の上に乗ったらどうしよう? 死なないにしても、あの体重じゃ、内臓破裂ぐらいするんじゃないかなぁ・・・・・・
ちょっと不安なまま、私はテントに入りました。

カウ・ベルって、何の役に立つんだろう? 日頃そう思っていた私、この時初めて、それを有り難く思いました。ベルの音が遠くに聞こえる限り、牛は、近くにいない訳ですから。

その夜私は、テント内でずり落ちながら、何度も寝たり起きたりして、過ごしました。
            〜次回に続く〜

2004年8月17日 (火)  山羊をめぐる冒険(後編)

          〜前回の続き〜

朝5時に、目覚ましが鳴りました。
「シュタイン・ボックを脅かしてはまずい」と思った私、いつになくさっと起き、目覚ましを止めます。
テントのチャックを開け、外を覗くと・・・・・・まだ真っ暗。星も出ています。
シュタイン・ボックは夜行性ではないでしょうから、外が明るくなってから活動する筈です。
「B氏、まだ夜だよ。日の出は、何時なの?」
B氏が目覚ましを5時にセットしたのは、何となく、だったようです。
いつ日が昇るか、ひょっとしたら、その辺にシュタイン・ボックが現れるのではないか、と気になった私、テントの中から空を見詰め、夜が明けるのを待ちました。

しばらくすると、私はトイレに行きたくなりました。
思い切って暖かい寝袋を抜け、靴を履いてテントの外に出ます。
と、ぐしゃっ、という音がして、私の体が傾きました。下を見ると、私の片足が水の中です。テントのすぐ隣は、湿地帯のようになっています。
「げ、昨日はここ、乾いていたのに。・・・・・・革靴を履いて来て、良かった」
暖かい寝袋も革の登山靴も、少し大袈裟かとは思いましたが、役に立ちました。

空が明るくなり出すと、私は待ちきれなくなって、シュタイン・ボックを探しに行くことにしました。
残念ながら、テントの周りには1匹もいません。まあ、牛がたくさんいるし、無理だろう、とは思っていましたが。
「B氏、どっちに行く? 前の丘か、後ろの山か・・・・・・」
「丘に行こう。あそこから、湖が見えるんだ。シュタイン・ボックが、水を飲みに来ているかも」
B氏の支度も待たず、私、丘を登り始めます。
丘の上から見ると、向かいの山はピンク色になり、日の出が迫っているようです。
「B氏、いないよ。全然なし。ゼロだよ」
「見ろよ、みんつ。日の出が綺麗だぞ」
「私達の目的は、シュタイン・ボックよ。日の出なんかに見とれてる場合じゃないわ」
「・・・・・・お前は、ロマンがないなぁ」
ぼやいているB氏を追い立てるようにして、私は山に向かいました。

もう少しで尾根に着くという頃、カラン、カランと、遠くで岩が崩れる音が聞こえました。
隣の山を見上げると、頂上に何かいます。B氏が、慌てて双眼鏡を覗きます。

いました!!
山の頂上に、3頭のシュタイン・ボックが立っています。1頭はどうやら、子供のようです。
と、別の方角から、また、カランと音がします。
急いで尾根に行き、岩の陰から下を見ます。
「いる、いる! B氏、あそこに一杯いるよ!」
先程のより、ずっとりっぱな角を持ったシュタイン・ボックが13頭、悠々と草を食んでいます。

カーン、今度は、一際高い音がアルプスに響きました。反射的に目をやると、もう一度、カーンと音がします。
「すごい! TVで見るのと同じだ」
2頭のシュタイン・ボックが、角をぶつけ合っています。
「B氏、大漁だよ。来て良かったね」
私がそう言うと、B氏は、シュタイン・ボックの群れを指して言いました。
「この次は、あそこにテントを張ろうぜ」

・・・・・・えっ、この次? ええと・・・・・・私は、一回見れば良いです。

2004年8月18日 (水)  男達の戦い

夫B氏の夏休みも、折り返し地点を過ぎましたが、ここ数日、我が家には新たな問題が持ち上がっています。

普段から早起きはしない私と、夏休みで朝寝坊を楽しみたいB氏、毎日思う存分惰眠を貪っている、と言いたいところなのですが、実は、違うのです。
私たちの朝寝坊を快く思わないものが一人、ここにいるのです。
そう、黒猫L氏です。

以前にも書きましたが、L氏が私達を起こす理由は、餌が欲しい訳でも、咽喉が乾いた訳でもなく、『注目を浴びたいから』です。
L氏、毎朝決まった時間に、寝室のドアの前に立ち、鳴きます。
B氏が夏休みでも、それは変わりません。
その上、最近ではL氏、ドアを開ける技を編み出した様で、時には部屋の中に入って来て、鳴きます。

そして、L氏のこの攻撃に、反撃すら出来ないでいる私に代わって、夏休み中のB氏、何と、戦いに挑む事にしたようです。
ベッドの下に来て鳴いているL氏を、騙して捕まえると、B氏、無理やり抱え込んで、一緒に寝ようとします。
L氏は、何とかB氏の罠から抜け、私達を起こそうとします。
はい、そうなんです。L氏、部屋から逃げては行かないのです。
毎朝、寝ボケている私の横で、静かな戦いが繰り返されます。

ガチャ、トコトコトコ
「ミャー、ミャー」
「L氏、おいで・・・・・・ほら、捕まえた。一緒に寝よう」
「ミー、ミー」
ぐるぐるぐる・・・・・・L氏、嫌がりながらも何故か、咽喉を鳴らします。
「L氏、良い子だね。もう少し、寝ようね」
ぐるぐるぐる・・・・・・
「あっ、逃げられた。L氏、おいで。L氏・・・・・・ひひひ、捕まえた。バカだな、こいつ」
「ミー」
ぐるぐるぐる・・・・・・
こんな戦いが、何時間も続きます。

笑ってしまうのが、B氏に捕らえられたL氏、『そっと動けば、私達に気付かれない』とでも思っているのか、スローモーションの様にほんの少しずつ動いて、B氏の腕の中から出ようとするのです。
そして何故か、上手い具合に出られたとしても、逃げずにまた鳴いているのです。
つまり、『私達が起きるか』『L氏が寝るか』の戦いが続きます。

そして、まあ想像に難くないことですが、L氏は絶対に寝ません。
運が良い日には、L氏、私の頭の上に座り、少し咽喉を鳴らしていますが、このくだらない戦いの後では、私達はもう眠くなくなっています。
それなのに、何故この戦いが、毎朝繰り広げられるのか?

・・・・・・男のロマン、女には一生理解出来ないものなのでしょうね。

2004年8月23日 (月)  仕方がない事?

夏も終りに近付いているのでしょう、ここのところ我が家の白猫I氏、家に居る時間が少しずつ増えて来ています。

滅多に帰省しない息子が来ると、ついつい構い過ぎてしまう母親のように、我が夫婦、I氏を甘やかしております。
餌を何度でもたっぷり与え、牛乳も飲ませ、甘えてくる間は、抱きっぱなしです。 多少のお行儀の悪さも愛嬌で、I氏、またもや王様状態です。

そんなI氏が、先日、私達に何をしたか?

昼間にお腹を空かせて帰って来たI氏、いつものように、私の脚に鼻面を擦りつけ、おねだりします。
私も、いつものように餌と牛乳をあげ、居間に戻りました。

しばらくすると、餌を食べ終わったI氏が、隣の部屋に入るのが見えました。
そこは、居間と続き部屋になっていて、夫B氏が書斎として使っています。

この部屋だけは、B氏、好きなように使って良い事になっていまして、まあ、簡単に言ってしまえば、散らかり放題な訳です。
机の上だけでなく、棚や引出しも一杯になっているのか、B氏の書斎には、常に床に何かが置かれています。
書類、鞄、ファイル、洋服、工具etc……あっちの隅、こっちの隅と、部屋中に小山が出来ていています。
風邪を通すために窓を開けると、紙が部屋を舞い、コメディー映画のようになります。

その部屋にI氏が入って行ったので、何となく気になった私、居間から隣の部屋を見ていました。
I氏、書斎を歩いて、色々と匂いを嗅いでいるようです。
と、床に放り出してあったリュック・サックの所で、足を止めました。
そのリュック・サックは、先日シュタイン・ボックを見に行った時に使ったもので(8月16〜17日、『山羊をめぐる冒険』参照)、返って来てからそのまま1週間近く、床に放り出された状態になっています。

え、何故片付けないかですか?
B氏の部屋、手を出したら最後です。
今後の私の生活は、B氏の放り出したものを拾って歩く人生になってしまいます。
B氏が、居間に積み上げる小山を、書斎に戻すのですら、私には「きーぃ!」となる仕事なのですから。

さて、リュック・サックの周りを歩きながら、くんくんと匂いを嗅いでいたI氏、意を決したように立ち止まり、毅然とした表情で背を向けると、
!!!
「ピピッッ」と、リュック・サックにマーキングをしました!

「I氏、何やっているの! そんな事していると、あんたの大事なの、切らなきゃならなくなるじゃないの!」
私の大声に驚いたI氏、急いで外に出て行きました。

……やっぱり、牛臭かったんだろうなぁ。

2004年8月24日 (火)  出来て当たり前。

『青い目の外人さん』と結婚したいという、日本の若い女性が、よく言う台詞があります。
「みんつさんの旦那さんは、家でお料理とかしてくれるんでしょう? 私も、そういう男性が良いんです。日本の男性は、『料理は女の仕事だ』何て言うけど、今は男女平等の時代ですよね。女だから料理をしなくちゃいけないなんて、不公平だと思うんです」

はい、その通りです。
スイス人男性には、料理だけでなく、『家事は女の仕事』という観念はありません。
共稼ぎの家庭が普通のスイスでは、手の空いている方が家事をしますし、奥様の稼ぎの方が良い場合、夫が専業主夫をやる家庭もあります。

ただし、これは、男が料理を作って、女はしなくて良いという事ではありません。
男女平等というのは、どちらもが、家事をこなせる事が前提であり、料理の出来ない貴方が、男性に料理を望むのは、単なる甘えです。
はっきり言ってしまうなら、貴方がかなりなお金を稼いで来るとでもいうのでない限り、料理が出来ないという事は、結婚の対象になるべき大人の女として、スタート・ラインにすら立っていない、という事です。

しかも、貴方が『青い目の旦那様』を望む場合、どういう事が起こるかというと……

スイスなどで、誰かと知り合いになりたいと思った場合、一番良く使われる手段が、『ホーム・パーティーを開く』です。
例えば、貴方がスイスで語学学校に行ったとしましょう。
お友達を作る良い機会ですので、貴方はクラスの皆を自宅に呼び、手料理でもてなします。
場合によっては、貴方が呼ばれて、各自1品持参などという事もあります。
そういう場合、『日本人である貴方』が、スパゲッティーだの、冷凍ピザだのを出す事は、かなり難しいです。

何故かといいますと、今、和食は『最も健康的な食事』という事で、スイスで(欧米で?)注目されています。
貴方の開くパーティーに、喜んで来るようなお客さんは、大なり小なり、貴方が作るであろう『和食』に釣られてやって来るのです。

仲の良い友達になり、何十回も食事に呼んだとでもいうのなら、『今日は手抜きで』スイスの料理も出せますが、そこに行き着くまでは、他の国の人はともかく、貴方だけは、ある程度和食に近いものを作る事が、期待されています。

そして、結婚後はどうかというと……
貴方の『青い目の旦那様』は、貴方が作る『和食もしくは、アジア食』が美味しい事が自慢です。
友人を呼んだり、会社の同僚を連れて来て、彼らの奥さんには作れない、貴方の『美味しい和食』を食べさせたいと考えます。
例えば、我が夫B氏、お料理は彼自身とても上手ですが、仕事関係の重要な人を呼ぶ時は、必ず私に料理を頼みます。

スイス人の男性にとって、自分のパートナーが何かに秀でているという事は、とても鼻が高いことなのです。
夫が会社の上司を自宅に呼んだ場合、『寿司を握れ』とまでは言いませんが、ある程度気の利いた料理を出せるぐらいの手腕、男女平等のスイスでは、女性も出来て当たり前なのです。

さあ、これを読んだ、料理の苦手な『青い目の外人さん希望』の大和撫子さんたち、今すぐ『お母様』か、『おばあ様』の所へ行って、料理を習って下さい。
お金をかけて、料理学校に行く必要はありません。
むしろ、『田舎のお祖母ちゃんの料理』の方が良いのです。
料理学校で習うのは、レシピがあり、その通りに作るものが多いでしょう。
そこに書いてある材料の多くが、スイスでは手に入らない物です。
その点、『おふくろの料理』は、その日冷蔵庫に入っている物との相談です。
こういう技を使いこなせる方が、咄嗟の場合、役に立つのです。

男女平等の国で育ったスイス人男性は、優しい日本人男性とは違いますので、料理が出来るというだけでは、女性に一点も与えません。
それすらも出来ない貴方、日本の男性批判はもう止めて、今日から、お母さんと一緒に食事を作りましょう。

それに、一生外国で暮す場合、貴方自身、いつか和食が恋しくなる時が来ますから。

2004年8月25日 (水)  日曜大工のやり方

日本もそうでしょうが、スイスで一番お金が掛かるのは、やはり『人件費』です。
尚且つスイスの場合、日本でならサービスでやってくれるような事も、お金を取られます。
ですからスイスでは、かなり大掛かりなことでも、自分でやる人が多いです。

で、今日は友人N嬢のお話です。

N嬢は、大きな庭のある3階建ての持ち家に、3人の子供と恋人とで住んでいます。
彼女がこの家を手に入れるに至った経歴は、まあ簡単に言えば、『上手くやった』ということなのですが、この話はややこしいので、今日はしないで置きます。

さて、このN嬢の家ですが、遊びに行く度に、大きくなっているのです。
どういうことかと言いますと、壁を自分で抜いて部屋を広くしたり、勝手にテラスを付けて、家を広げたりしてしまうのです。
これ、地震のないスイスだから出来るのでしょうが、私はいまだに驚かされます。

そのN嬢宅、今度は台所、居間、その続きの部屋の大改造が行われています。
全ての壁が抜かれ、床も剥され、セントラル・ヒーティングの管は、剥き出しになっています。
N嬢のプランによると、台所をテラスに続くようにし、それ以外の部分を併せて、オープン・スペースにするようです。
さすがに、配管やドアの取り付け等は、業者に頼んだようですが、それ以外は全部自分でやるそうです。

そしてここに、「夏休みをぼんやり自宅で過ごす」と言っている、みんつ夫妻がいました。
はい、お声がかかりました。
「夕飯をごちそうするから、床張りを手伝って欲しい」との事です。
大工仕事が大好きな夫B氏と、自称ハード・ボイルド主婦の私、もちろん行ってきました。

天井から、外されたドアの代わりにビニールが下がり、剥き出しになった床下の梁の間には、クッション代わりの砂が詰め込まれ、壁や天井は、欠けた部分に継ぎ接ぎをしたのか、斑になっています。
そして、部屋の隅には、何枚もの長い床板が重ねて置かれています。

「すごい。これ、全部仕上げたら、かなり素適な部屋になるね!」
そう言う私に、N嬢、満足そうです。
今日の仕事人は、N嬢と私達夫婦の他に、N嬢の恋人U氏、N嬢の元恋人A氏です。
現恋人と元恋人が、彼女の家の改築を一緒に手伝う……この辺が、やり手N嬢の秘密です。

さて、仕事が始まりました。
見ていると、仕事の仕方に、それぞれの個性が出ています。
A氏は、どうやら何事も完璧でないと嫌なようで、何から何まできっちり計算し、1mmの隙もないように仕事をします。
B氏は、どちらかというと職人肌で、その時々の床や壁の歪みに合わせて、といった感じです。
U氏は、意外にも、細かいことには拘らず、さっさと終わらせたい、という様子です。ちなみに、彼が料理をする時は、どんな細かいこともきっちりとしたいようで、誰かが手伝う事を嫌がります。
N嬢は、上手にその間を動いていました。

と、私、あることに気付きました。
彼らが床に手を伸ばす時、誰も膝を曲げないのです。
分かるでしょうか?
立ったまま、腰だけを曲げて、床の上で物を取ったり、印を付けたりするのです。
ちょうど、お尻が突き出た感じになり、何とも不恰好です。
B氏だけは、私の影響でしょうか、何故か、その格好はしていませんでした。

そういえば、湖畔で地面に布を敷くおばちゃんたち、いつもお尻を突き出していました。
太っているから、しゃがむのが大変なんだと思っていましたが、どうやらこれは、おばちゃんだけではないようです。

こうなると私、それが気になってしまい、床張りなどそっちのけで、彼らを観察しました。
彼らが床に手を伸ばす時は、毎回必ず、両足を肩幅に広げ、膝は一切使わず、上半身を腰の所で折るようにしています。
何とも不思議な眺めです。
スポーツマンで、すらりとした体型の持ち主であるU氏がやっても、やはりおかしな格好です。

……ふふふ、スイス人の新たな秘密、発見です。
皆さんも、機会があったら、チェックしてみては如何?

2004年8月26日 (木)  現地ガイドの内情

以前私は、ベルン市内の観光ガイドをしていたことがあります。

ご存知の方もいるかと思いますが、ヨーロッパ旅行のパッケージ・ツアーに申し込むと、『ロマンチック街道10日間の旅』とか『パリ―ウィーン何やらの旅』などと銘打った企画があり、ドイツやフランスから入って、オーストリアやイタリアに抜けたり、オーストリアから入って、フランス、イギリスなどから出る旅行が、組まれています。

地図を広げると分かりますが、その途中の、どうしても通らなくてはならない小さな国が、スイスです。
で、多分、旅行会社としては、ただ通り抜けるのは勿体無いから……かの有名なユングフラウ・ヨッホもありますし……2日ぐらいを、スイスに当てるのです。
更に、ベルンというのは、スイスのほぼ中間にありまして、どこに出るにも、交通の便が良いので……ユネスコ世界遺産に登録されている、旧市街もありますし……ちょっと寄ろうか、という具合になって、オプションに組み込まれることが多いのです。

ツアーのお客様としては、知らない町で放り出されても、何をしたら良いのか分からない、という方が多いようで、このオプションに申し込む方が殆どです。

さて、このオプション、私の経験では、夕食前の2時間が殆どでした。
しかしこの企画、おかしな事に、毎回必ず、市内観光が終わった時間と、レストランの予約時間の間に、1時間の『空き』があるのです。

私達に支払われるお金は、2時間分ですから、「そんなの、私の知ったこっちゃないわ」と言ってしまっても、まあ、間違っている訳ではありませんが、正直な話、日本から来ている添乗員さんも、各国の全ての都市を知っている訳ではありませんので、この1時間、放り出されると困ってしまうのです。

で、「どうしましょうか?」と聞くと、必ず「レストランの予約時間まで、お願いします」という答えが返ってきます。
そうです。この1時間は、私達からのサービスでして、旅行代理店も知らない、無料の仕事なのです。
もうひとつ言ってしまうと、私達現地ガイドは、約束の時間の最低でも30分ぐらい前には、待ち合わせ場所に行き、待っているのです。

何故だと思いますか?
ツアーのバスは、隣の国から、大抵はスイス人でない運転手さんと共に来ます。そして、交通事情というのは、いつ何があるか分かりません。
自分達が到着した時に、それが例え約束の15分前だったとしても、そこに誰も待っていなかったら、お客さんは皆さん(場合によっては、添乗員さんさえも)、場所を間違えたのではないかと、パニックになってしまうのです。

はい、2時間の仕事に、1時間半の無料奉仕です。

では、何故そんな仕事をしているのか、と思いますでしょう?
以前にも書きましたが、日本人(外国人)がスイスで就ける仕事というのは、かなり限られています。
大雑把に言ってしまうなら、観光地のお土産物屋もしくは日本食材店の店員、和食レストランのコックやウェイトレス、日本人観光客向けの現地ガイド、といったところです。
時には、翻訳や通訳の仕事が周って来ることもありますが、これは、収入としては、全くあてにならない程度です。

正直なところ、仕事があるだけでも有り難い、というのが本音なのです。
ですから、「無料奉仕なんかやってられないわ」と言って、お客さんを放り出すことは、出来ないのです。
万が一、その時間に何かがあった場合、理屈では私たちの責任ではないですが、多分、仕事は二度と来なくなると思います。

もし、旅行に来た皆さんから、私達が楽しそうに見えるとしたら、それは、働けるのが嬉しいからでして、うはうはな商売、という訳ではないのです。

これから、ツアー旅行に来て現地ガイドさんを見たら、皆さん、優しくして上げて下さいね。
ひょっとしたらその女性、……私かも知れないですから。

2004年8月27日 (金)  報われない親切心 (前)

〜(HPの文字制限上、今日の日記は、2つに分けました。)〜

何かが起こった時、スイス人というのはどうも、1つと1つをつき合わせて2つにする、ということが出来ないようです。

自分の都合や感情が、あまりにも強く優先してしまい、相手が『何故そう言うのか』、『何故そうするのか』を考えられる人が、少ないように思います。

今日の日記は、その一例です。
登場人物は、私と夫B氏、友人J氏、その両親T氏とT夫人です。

私達が今の家に住むようになってから、約1年半が経ちます。
この家は、T夫人が育った家で、私達が借りる前は、J氏が住んでいました。
実は今回、T夫人がこの家に戻ることになり、私達は、一つ後ろの山にある、似たような村に部屋を見つけ、10月になったら引っ越すことになっています。

さて、今住んでいる家は、過去の日記にも書いたように(3月10日、『遊びに来ますか?』参照)、冬は薪を焚いて暖を取ります。
そして、その薪は、毎年今頃の季節になると、村の林務官に注文するのですが、これは、今年ではなく、来年の冬用に充てられます。
つまり、毎年夏になると、1年先の薪を注文するのです。
理由は、今年切り倒したばかりの木は、薪としてはまだ、乾燥が足りないからです。

簡単に説明しますと……
薪の注文には、2つの方法があります。

一つは、そのまま暖炉にくべれば良い状態にされているものを買う、です。
これは便利ですが、お値段も良いのです。

もう一つは、私達がしている方法です。
林務官に『何立方メートルの樹が欲しい』と注文すると、彼は、森自体が不要とした為、既に切り倒してあった樹を集め、ある場所まで運んで置いてくれます。
私達はそこへ行き、丸々1本の樹を、チェーン・ソーと斧で持ち運べる大きさに切り、車で家に持って帰ります。
そしてこれを、1年間乾燥させ、次の年になったら、斧で更に細かく割り、暖炉にくべられる大きさにします。

『今年の冬用の、既に乾燥させてある木を細かく割る』と『来年の冬用の樹を、森から運んでくる』、この二つが、毎年この時季にすることなのですが、これははっきり言って、『こんな村の、こんな古い家に住む者だけがする』ことです。
普通の家庭には、ちゃんと、セントラル・ヒーティングがあります。

                  〜次に続く〜

2004年8月27日 (金)  報われない親切心 (後)

               〜前からの続き〜

去年の夏、私達が森から樹を運ぶ時に使ったチェーン・ソーは、J氏がずっとそうしていたように、T氏から借りました。
そして、その木は、夏休み前にB氏が、細かく割りました。

分かりますか?
T夫妻が今度の冬に使うための薪は、既に細かくされ、暖炉にくべれば良いだけの状態になっている、ということです。

私達は、T夫妻の年齢や、この家に戻って来るのが冬になってからだ、ということを考え、来年の冬の分も、樹を注文しました。

はい、そうです。
私達は、1冬分の薪を使い、2冬分の薪を買ったのです。
……なかなか親切な若者たち、でしょう?

さて、森に置かれている『T夫妻のための樹』、を持って来るには、またチェーン・ソーが必要です。
友人J氏は、当然のことのように、「親父のを使えば良い」と言い、T氏のチェーン・ソーを持って来てくれました。

と、T夫人から電話がかかり、
「うちでもチェーン・ソーが必要だから、返して欲しい。J氏がそれを持ち出したから、T氏は怒っている」
とのことです。

私達は、何だか分かりませんが、とりあえず、チェーン・ソーを返しに行くことにしました。
我が家からT氏宅までは、車で45分ぐらいかかります。
仕事が終わったB氏と私、夕飯も取らずに、T氏宅へ向かいました。

チェーン・ソーを持った私達を見て、T氏の口から出た台詞は、これだけです。
「こんなチェーン・ソー、たかだか10万円ぐらいだ。誰にだって買えるだろう!」
「……」
B氏、暫し固まっておりました。
私は、友人の父親だ、というだけの理由で、何か言うのは控えましたが……

『あんたらが、来年使う樹を切るんだよ! そのためだけに、10万円出して、チェーン・ソーを買えってか? そして、その新品のチェーン・ソーは、もう必要ないから、あんたん家に置いて行きます、とでも言えってか? だいたいな、その樹だって、私達がお金を払ったんだよ! そういう事言ってるとな、森に積んである樹、放置するぞ。自分で切りに行って来い!!』

……全く、良い歳してバカが多すぎる、この国は。

2004年8月30日 (月)  最強の武器

昨日は天気が良かったので、ちょっと思いついて、イタリアに行って来ました。

こう書くと、何かすごく贅沢な暮らしをしているように思えますよね。
実は、私の住んでいる村から一番近い国境までは、たったの25kmなのです。
で、何故そこに行ったのかというと、そこには大きな湖があり、散歩をするのに良い景色だからです。
これ、湖と書きましたし、実際そういう風に見えるのですが、本当のところは、ダムなのです。

面白いのは、このダムの堤防だけがスイス国内で、それ以外は、イタリアなのです。
簡単にいうと、スイスが、イタリア国内の川の水を、自国に流れるようにして堤防を作り、ちゃっかり利用しているのです。

そのダムは、ちょうど二つの山に挟まれるように作られていて、散歩コースは、ダムに沿って山の麓を歩けるようになっています。
もっと歩きたい人用には、山の上まで道が続いていますが、昨日の私達は、ちょっとした日光浴がてらの散歩がしたかっただけですので、山には登りませんでした。

さて、いくらすぐ近くとはいえ、そこは一つ山を超えますし、完全にイタリアですので、やはり違いがありました。

こんな近くのスイスとイタリア、何が違うか?
一番簡単なのは、言葉の違いですが、何と言うか、やはり見掛けが違うのです。
イタリア人の方が、洋服の着こなしなどが、断然おしゃれなのです。
顔付きや体型などだけ見たら、そんなに違いはないのですが、かけている眼鏡のデザインとか、ジャケットの襟の立て方とか、ほんのちょっとした所に、スイス人にはないセンスがあります。

そして、昨日の私は、もっと完全なる違いも発見してきました。

お昼過ぎに思いついて、何の支度もなく出かけた私、ダムの周りを散歩しているうちに、お腹が空いてしまいました。
いつもなら用心して、リンゴの一つも持って来るのですが、昨日は
「イタリア、行こうか?」
「うん、いいね」
というノリで出てしまいましたので、何も持っていませんでした。

で、私、お腹が空くと待てないたちでして……血糖値の関係でしょうか、急に力が抜けてしまって、ひどい時だと、冷や汗が出たり手が震えたりするのです。
しかも、もっとまずいことには、酷く不機嫌になります。
それを知っているB氏、私の「お腹空いちゃった」という一言に、慌てました。

見ると、ダムの向うにレストランらしき建物が見えます。
「みんつ、後どのぐらいもつ? あそこまでは行けそうか?」
「うん、行けるけど……あそこが閉まっていたら、戻りの体力はないかも」
「賭け、するか? それとも、車に戻って、どこか他所に行くか?」
駐車場は、今私たちの立っている所と、レストランらしき建物のちょうど中間にあります。

「うーん、イタリア人て、こんな時間にご飯食べないよね。レストランが開いていたとしても、食事はなし、ってこともあるよねぇ」
「そうだな。ただ、こんな所のレストランだからな、観光客相手に、何かちょっとしたものは置いてあるかもな」
「あの建物、レストランじゃない、ってこともあるよね」
「やっぱり、止めておくか?」
「いや、賭ける!」

背中に冷たい汗をかきながら、その建物に着くと、有り難い事にそれはレストランで、営業中でした。
イタリア人が、イタリア語でわやわやとやっています。
私、イタリア語は全く分かりません。
余裕のある時なら、適当に自分でやりますが、今は緊急時です。ある程度イタリア語を話す、B氏にお願いしました。

ところが、私の所に戻ってきたB氏、困った顔で言います。
「皆、忙しそうでさ、声かけるすきもないんだよ」
やれやれ、B氏、なんとも押しが弱いのです。
「トイレにも行きたかったし、ついでだから、私が言って来るよ」
そうは言ったものの、私の頭の中には、作戦など何もありません。

こういう時は、直感に頼るのが、私のやり方です。
私、従業員の中で、そこそこ若くて、一番好みのタイプの男性の所へ行きました。
そして、にっこり笑って、知っているイタリア語を、たった二言。
「イル・バンニョ(トイレ)? マンジャーレ(ご飯)」
はい、その男性、私に付いて来てくれ、トイレの場所を教えてくれた後、メニューを持って来てくれました。

「B氏、外国人にとって、イタリアで一番役に立つもの、何だか分かる?」
「……なんだ?」
「女であること!」

イタリア人男性とスイス人男性の一番大きな違いは何か?
……そうです。イタリア人男性は、女に弱い!

2004年8月31日 (火)  もてる男

ご存知の方も多いでしょうが、我が夫B氏、その男前の面持ちや、すらりと伸びた体躯を持ってしても、女性に全くもてませんし、その男性的な骨格や、黙ってさえいれば、厳つくすら見える風貌を持ってしても、他の男性方から、軽くあしらわれてしまうのです。

しかしここに、ある種の特質を備えた人々がいます。
そして、その人々の間では、B氏、かなり人気があるのです。
その人たちのB氏に対する態度は、妻の私から見ても、下にも置かない、といった感じです。

仮にここで、そういう人々を『シュヴール(schwul)』と、呼ぶことにしましょう。
あ、辞書はまだ、引かないで下さい。(ドイツ語の知識がある方には、もう分かってしまったでしょうが、にっこりと微笑みながら、続きをお読みください。)

最近、こんな事がありました。

B氏が今手がけている仕事が、地方新聞で紹介されることになり、記者やカメラマンがやって来て、B氏を含め、同僚たちにインタヴューをし、写真を撮って行きました。
しばらくして、地元紙には、その記事が、B氏だけの写真と共に載ったのです。
B氏の控え目な性格を知る同僚たちは、不服という程強い反応は示しませんでしたが、それでも「どうしてB氏だけ?」と、首を傾げていました。

ある日、私がいる席で、そのことが話題に登りました。

「みんつ、xx新聞、見た? B氏の写真が載ったやつ。……っていうか、B氏の写真しか、載っていないんだけど」
B氏の同僚で、その仕事場では紅一点である、R嬢が言いました。
「見てないけど……。何で、B氏だけなの? カメラマン、皆の写真は、撮って行かなかったの?」
「撮って行ったわよ。……新聞記者なんて、まあ、自分の好きなように記事を載せる、ってことよね」
R嬢、心なしか、不満そうです。

確かに、これは変です。
女性が口喧しい、スイスの風潮から行くと、紅一点のR嬢が載るのが、一般的かと思います。
「私の写真を載せるには、私は年をとりすぎなのよ、きっと」
推定50歳代と思われるR嬢の発言、全く根拠がないとは言えませんが、この仕事で若いということは、それほどプラスだとは思えません。

!!!
と、突然私の頭に、ある考えが浮かびました。
「ねえ、その記者、シュヴールじゃない?!」
私の突飛な言葉に、その場の全員が笑いました。

「みんつ、急に何?」
「あのね、B氏、シュヴールに異様にもてるのよ。もし、その記者がシュヴールなら、B氏の写真を見て、自分の書いた記事に付けるには、一番良いと思う筈だわ。見栄えが良いって事なら、J氏だって、若くてハンサムじゃない」

数日後、仕事関係のパーティーで、私を見つけたR嬢、私達を隅の方に引っ張って行くと、言いました。
「みんつ、貴方すごいわ! この間の推理、ぴったりだったわよ。例の新聞記者だけどね、やっぱりシュヴールだったのよ!」

パーティー会場の隅で、大笑いする女二人と、「またか」とばかり、がっくりとうな垂れるB氏。

さあ、皆さん、ドイツ語の辞書を引く時間です。
『シュヴール(schwul)』とは、何を指すのでしょう?
正解は、明日の日記で(笑)。

9月の日記へ