2004年9月1日 (水)  もてる男 

昨日の日記の正解ですが、『シュヴール(schwul)』とは、ずばり『同性愛者』です。
まあ、レズビアンの女性が、我が夫B氏に興味を示す訳はありませんから、ここでは、男性が好きな男性、のことです。
B氏、どういう訳か、シュヴールの男性には人気なのです。

今日は、そんなB氏のエピソードを少しばかり。

日本と比べると、スイスの店員は一般的に、無愛想です。
客がどんなに困っていようと、自分が何かをしている途中では、絶対に声をかけたりしませんし、こちらから聞こうものなら、露骨に嫌な顔をする人さえいます。
それが例え、私用電話の最中だとしても、です。

ところがシュヴールの男性たち、B氏を見ると、さっと寄って来て、最高の笑顔で「お手伝いしましょうか?」と、きます。
お客さんと注文の電話をしている最中でも、受話器を手で抑え「今すぐ参りますから」と、やはり、これ以上はないという笑顔が出ます。
隣に立っている私なぞ、眼中になし、です。

私の知人にも、シュヴールの男性が何人かいます。
彼らは皆、『私の知人』で、『私を通して』B氏と知り合いました。
にも関わらず、彼ら、私が一人で遊びに行くと、がっかりした様子を隠すでもなく、
「B氏は、どうしても来れないの?」
……あんた、他人の旦那に会って、どうする?

ある時は、こんなことも。
私達は、シュヴールのカップルと、川に泳ぎに行きました。
B氏と二人っきりで川に入った知人、戻って来て、うっとりとしております。
「今ね、ちょっと溺れそうになっちゃって、B氏に助けてもらっちゃった。B氏、こうやって、ぐっと腕を引っ張ってくれて……男らしかったなぁ」
……お前は……そのまま流されて来い。

他にも典型的なのは、彼ら、私だけと話している時は、普通の口調なのですが(といっても、いわゆる男性の話し方、ではありませんが)、B氏が来た途端すっと立ち上がり、1オクターブ上がった声で、
「お腹は空いてない?」「のどは渇いてない?」「ビール? それともワイン? あら、車なら、お茶の方が良いかしら?」
と、甲斐甲斐しく動き出します。
私との会話は、B氏がそこにいる限り、永遠に途切れたままです。

というように、例を上げたら限がなく、経験から、『自分に、必要以上に親切な男性は、まずシュヴールだ』ということ、B氏も知っております。

……B氏、もてる男は、つらいねぇ。

2004年9月3日 (金)  義母の誤算

以前少し触れましたが、我が夫B氏には、兄が1人います。
そのC氏、J嬢夫妻とは、お互いの妻のせいで、残念ながら、親しい付き合いはして来ませんでした。

ところが最近、この2組の夫婦に、歩み寄りの気配が見えて来たのです。
理由は、大きく分けて2つですが、今日はその1つについて、お話します。

何処の親でもそうでしょうが、我が義母にも、ほんのささやかな夢がありました。
優しい息子、気立ての良い嫁、可愛い孫たちに囲まれた、幸せな家族です。
しかし、息子2人が選んだのは、なんと、2人共『バツイチの気が強い外国人女性』でした。
この時点で義母は、夢の軌道修正をするべきだったのでしょうが、そこは頑固なスイス人、強引に進む道を選んだようです。
その結果、当然の事ながら、義母の『夢の家族』は、現実とのずれに、所々継ぎ接ぎが必要になりました。

義母が、どんな風に継ぎ接ぎをしているかというと、こんな具合です。

スイスでは子供が産まれると、親しい人物を男女1人ずつ選んで、代父母に成ってもらう慣わしがあります。
これは、子供の両親に何かあった場合、この2人がその子の面倒を見るという、昔からの習慣です。

C氏の所に三男が産まれた時、この代父にB氏が選ばれました。
上の子2人の時に断わったB氏、今回は色々な圧力もあり……決め手は義父の一言、「C氏には、友達がいないんだ」だと、私は密かに思っています……引き受けることにしました。
正直な話、C氏夫妻は裕福な生活をしていますので、子供はうちに引き取られたら、確実にランク落ちの生活になるため、B氏は不適格人物かと思いますが。

さて、その三男T太の洗礼式が近付いた頃、義母は再び、『夢の家族』へのパッチワークを始めました。

私とB氏を自宅に招いた義母、夕飯の席で切り出します。
「B氏、T太の洗礼日のプレゼントは、何にしたの?」
「えっ? 洗礼日に、プレゼントなんているのか?」
「そりゃぁ、そうよ。代父として、何かの記念日にプレゼントを用意するのは、当たり前の事よ。ほんのささやかな物で良いのよ。T太を気にかけている、っていう事が分かれば」
「……T太、まだ赤ん坊だぞ。何か貰ったって、分からないだろう」
「あら、今は分からなくたって、もう少し大きくなった時に、思い出になるわ。小さな物で良いのよ。何か記念になるもの……そうね、例えば金のブレスレットなんて、一般的な贈り物よ」
「金のブレスレット! そんなもの、子供には、価値が分からないじゃないか。大人の自己満足だろう」
「でもね、J嬢だって、きちんとして欲しい筈よ」
「J嬢がそう言ったのか? 金のブレスレットを贈って欲しいって?」
「そういう訳じゃないけど、親はやっぱり、そういうものを望むものなのよ。子供の小さな腕に、綺麗なブレスレットを付けてあげたら、可愛いじゃない。貴方が何をあげたいかじゃなくて、こういうものは、慣わしだから。皆そうするのよ」
「……」

家に戻ったB氏、納得が行かないという顔で、私に聞きます。
「みんつ、金のブレスレット、買った方が良いと思うか?」
「そうねぇ……私はキリスト教徒じゃないからさ、はっきりとは言えないけど、私が子供だった時は、アクセサリーなんて邪魔で嫌だったけどね」
「そうだろう! 兄貴もJ嬢も、形ばっかりで、心がないんだよ。俺は、大人の見栄なんかより、子供自信が喜ぶ物をやりたい」
「いっそのこと、電話で聞いてみれば? もし、C氏たちが親の立場として、どうしてもそうして欲しいって言うなら、それはそれで必要なことなんじゃないの?」

電話の結果、C氏、J嬢共、プレゼントの事など全く考えていなかったことが分かりました。
それどころかJ嬢は、こう言ったそうです。
「こんな小さな子に何かあげたって、勿体無いだけよ。あ、でも、もしくれるなら、スイス・アーミー・ナイフが良いわ。男の子だから、いずれ欲しがるでしょう? 名前でも入れてあげて」

「全く、お袋が間に入ると、いつもこうだ。彼女の希望が途中で挟まるから、事がややこしくなる。これからは、兄貴たちとは、直接話すことにする」
B氏のこの言葉が、歩み寄りのきっかけでした。

……自分の次男が、長男の息子の洗礼式に、素適なプレゼントを携えてくる。ドレスアップした家族が教会に集まり、厳粛な式があげられて……義母にとっては、これこそ『夢の家族』です。
例え、息子や嫁たちが『それに全く関心がない』としても……

教訓
腹を割って直接話せば、昨日までの敵も案外良い奴……かも知れない。

2004年9月4日 (土)  子はかすがい

昨日の日記で、私たち夫婦と、夫B氏の兄である、C氏夫妻との関係が、改善され出した理由の一つを書きましたが、今日はもう一つの理由をお話します。

C氏・J嬢夫妻には、息子が3人います。
確かその3人、7歳、4歳、2歳だったと思います。

年の近い男の子が3人……子供のいない方でも想像に難くないでしょうが、C氏夫妻、常にてんてこ舞いです。
あちらを立てればこちらが立たず、ではないですが、1日中声を張り上げ、誰かを叱っています。
しかも、J嬢はキャリア・ウーマンですので、子供たちと過ごせる時間が限られてもいます。

そんな毎日を送っている子供たちにとって、叔父夫妻の訪問は、普段不足気味の、『特別な注目が与えられるひと時』なのです。
しかも、叔父夫妻には子供がいませんので、2人共、この時とばかりに相手をしてくれます。
特にみんつ叔母さんは、子供たちに人気で、長男H太も次男S太も、彼女の側から離れたがりません。

つまり、こういうことです。
私達がC氏夫妻と一緒にいると、3人の子供のうち2人は、私にべったりですし、残りの1人は、代父であるB氏が可愛がっていますので、C氏・J嬢共、手ぶらでいられるのです。

実は、この子供たち、3男以外は、いささか癖があるのです。

長男のH太、食事を一切取りたがりません。
彼に何とか食べさせるため、C氏は食事の間中、「これだけは、食べなさい。これを食べ終わるまでは、席を立ってはいけない」など、H太を叱らなければなりません。
それでもH太、殆ど食べません。

次男のS太は、元気があり過ぎる子供で、両親もほとほと手を焼いています。
J嬢などは、異常ではないかと、本気で心配しています。
一度など、遊んでくれていた祖父(C氏の父)のみぞおちを、何の前触れもなく、力いっぱい殴ってしまいました。

さて、ある時、85歳になる大叔母さんの誕生会が開かれる事になりました。
親戚中が集まり、素適なレストランで、食事をするのですが、私達と同じテーブルに座ったC氏夫妻、息子たちがやはり気がかりです。

ところが、蓋を開けてみてびっくり。
H太とS太は、みんつの両脇に座り、誕生会の間中、お行儀良くしていました。
H太は、メイン・コースの魚こそ残したものの、ほぼ完食。
S太は、食事の後も、みんつの膝にちょこんと座り、今まで見たこともないぐらい、静かに遊んでいます。
これには、C氏もJ嬢も、心底驚いたようです。

それ以来我が家に、C氏夫妻側から、時々お誘いが掛かるようになりました。
「なんなら、泊まって行っても良いわよ」
などという、J嬢のお言葉まで付いて来ます。
更に、今ではC氏、私達と一緒に別荘を買いたい、などとまで考えているようです。

……子供の相手は良いんです。全く問題なしです。
でもね、一緒に別荘は、いくらなんでも、無理かと思います。

C氏、J嬢……分かんないかなぁ。うちは、貧乏なんだってば。

2004年9月6日 (月)  株、上がったかな?

私の知る限りスイスでは、職場の仲間との私的な付き合いは、稀です。

以前にも書きましたが、スイスの職場はで、他の人間を引っ張り下ろして自分の地位を確保する、という傾向が強いですから、仕事が終わったら、そういうストレスからは解放されて過ごしたいので、職場の人間との私的な付き合いは、避けるのです。

ところが、我が夫B氏の仕事、何故か職場関係の付き合いが多いのです。
同僚や上司とだけでなく、場合によっては、自治体のお偉いさんや町の住民との、政治的なお付き合いもあります。

スイスの場合、何処でもパートナー同伴が普通ですので、B氏の仕事関係者とは、私も会っていますし、この手の事が人一倍苦手なB氏に代わって、時には私が、誰とどう関わって行くべきか、判断を下すこともあります。

今日は、そんなお話を一つ。

つい最近、B氏の元に、お偉いさんの一人から、またとはない申し出がありました。
B氏の仕事では、プロジェクトが持ち上がると、それに掛かる費用を何人かが入札し、一番安い価格をつけた人物に、その仕事が任されるという方法が取られる事が多いのですが、この入札をしてみないか、という電話を貰ったのです。

B氏、引き受けてはみたものの、自分の経験不足に不安を感じていたらしく、私に相談に来ました。
B氏の不安とは、こうです。
自分には、経験がないから、間違った見積もりをする可能性が大である。高過ぎる価格を付け、プロジェクトが落札できない場合は良いが、安すぎる価格で万が一落札してしまった場合、自分は倒産することになる。

「あはははは、B氏、考え過ぎだよ。貴方、職人としては、他の人に比べて良い仕事をするけど、決して手が速いタイプじゃないわ。貴方の出す時間は、他の人より多い筈よ。ということは、見積価格が高くなることはあっても、安くはならないわ。
大体、見当違いなほど安過ぎたら、向うだっておかしいと思って連絡して来るわよ。始めたプロジェクトが、貴方の倒産で宙ぶらりんになるんじゃ、仕事を出したほうだって困るでしょう? 今回は、『若いの、やってみるかい?』って程度だから、心配要らないわよ」
「そうだよな。自治体だって、誰かを倒産させたら困るよな」
そう言いつつもB氏、落ちつかない様子です。

「もしもね、そんなに不安なら、誰か、経験があって、尚且つ貴方が信頼できる仕事仲間で、このプロジェクトと全く利害関係のない人に、貴方の見積もりをチェックしてもらうと良いわよ。……A氏に頼めると、本当は一番良いけどね」
「A氏かぁ、そうだなぁ……。誰に頼むにしても、まずは一人でやってからにする。良い経験だよな」
それでもB氏、その晩は眠れなかったようです。

数日後、意外にも呑気なB氏に私、ちょっと心配になって聞きました。
「B氏、例の見積もり、誰にチェックしてもらうか、決めたの? 誰にしろ、今日頼んで明日って訳には行かないから、早めに頼んだ方が良いわよ」
「あれ? 俺、言わなかったっけ? A氏が、チェックしてくれる事になったんだ。みんつの言う通り、A氏に率直に話して良かったよ」

A氏というのは、現在B氏に仕事をくれている人で、どういう訳か今度のプロジェクトに関しては、お声が掛からなかったのです。
経験の浅い自分だけが申し出を受けたことに、居心地の悪い思いをしていたB氏に、私は言ったのです。
「A氏は、今のプロジェクトでは貴方の上司だけど、貴方は自営なんだから、立場は対等な筈よ。貴方が良い仕事をもらえたら、A氏を雇えば良いし、彼が良い仕事をもらえたら、貴方に声が掛かる、で良いのよ。おかしな引け目なんか持たず、A氏に本音のところを話してみたら? 彼が手伝ってくれれば、どっちにしても一番良いのだし」

「みんつが、俺の仕事関係者と積極的に関わってくれるから、ホントに助かるよ。第三者の目から見たアドバイスは、貴重だからな。俺は、人の性格とか見るの、苦手だしさ。……そうそう、A氏な、もし落札して一緒に働く事になったら、自分の方が経験豊富だから、安い給料では嫌だってさ」

……都会育ちの世間ずれした妻、こんな田舎でも、たまには役に立つようです。

2004年9月7日 (火)  素適な週末のために

土曜日の午後、義母から電話がありました。

「あら、こんなに良い天気なのに、家にいるの?」
電話を取った私の耳に入った第一声は、これです。
……私が家にいないと思ったのなら、何で電話を掛ける?

「ははは、そうですね。後で、散歩にでも行って来ます」
力なく答える私に、義母が言いました。
「月曜日は、何するの?」
「月曜日? 特に、予定はありませんけど」
「B氏の誕生日だけどね、ちょっと、一緒に祝えそうにないのよ。日曜日から月曜日にかけて、泊まりで登山に行くから……月曜日の夕方、帰りにそっちに寄るのなら、出来そうだけど」

しまった! 私、夫B氏の誕生日を、すっかり忘れていました。
というか、私達夫婦間では、どちらの誕生日も何もしませんので、忘れていても構わないのですが、『義母の大切な息子の誕生日を忘れている』のを知られるのは、些かまずいです。
だって、薄情な嫁だと思われますでしょう?

「あ、その、月曜日はですね、B氏、普通に仕事ですから……その後、何かするっていうのも、まあ何ですし……お義母さんたちに夕方来てもらっても、B氏、何時に帰って来るか分からないし……。ちょっと、今夜B氏が返って来たら、聞いてみます」
私、何とか取り繕い、その日は電話を切りました。

日曜日の朝、私達が遅い朝食を取っている所に、電話が鳴りました。
「おはよう。こんなに良い天気なのに、家にいるのかい?」
今度は、義父の第一声がこれです。
……だから、家にいるのが意外なら、何で電話する?

「はあ、後で、ちょっと出かけることにします」
「B氏の誕生日だけどね……」
「あ、ちょっと待って下さい。B氏に代わります」
私、そそくさと、B氏に受話器を渡しました。

電話を終えたB氏の話では、義母が前日私と話したのと全く同じ内容を、義父も言ったそうです。

義父からの、こういった訳の分からない電話が、うちには定期的に掛かって来ます。
実は私達、義父母宅で偶然見てしまったのですが、義父は、私たちの家に電話をして、これとこれを話すように、というリストを、義母から渡されているのです。

義母にとっては、週に一度は電話をし合い、お互いの近況を連絡するのが、家族たるものですが、我が家は二人とも、電話が苦手ですので、用もないのに掛けるということは、殆どしません。
まして、いつも、こちらから掛けようと思うよりも早く、向うから掛かって来ますので、結果的に、私達は全く電話を寄越さない、ということになってしまうのです。

その上、最近では、いつも自分ばかりが電話をしていることに抵抗のある義母、待てなくなると義父を使います。
そして、毎回、「あら、いたのね」という調子で話しますが、私達が電話に出るまで、義母が何度も掛けていること、私達は知っています。

「B氏、誕生日に、お義父さんとお義母さんを呼ばないと、まずいかなぁ?」
「えぇ? 俺、何にもする気、ないよ。もう、誕生日なんて嬉しい歳でもないし」

月曜日の夕方、仕事から戻ったB氏が、目を輝かせながら言いました。
「みんつ、職場のI氏だけどな、日曜日は、電話を一切取らないんだってさ。鳴っていても、放って置くらしいぞ。カッコ良いと思わないか?」

……B氏、貴方がいつも私に「電話に出てくれ」って言うのは、自分が出たくなかったからなのね。
これからは、天気の良い週末には、電話線を抜いちゃおうか?

2004年9月8日 (水)  親愛なる殿方たち

スイスに来たばかりの頃、私はあることで、本気で悩みかけました。
それは……スイスの男性から全く見向きもされない、ということでした。

今なら、それがどうしてか、分かります。
スイスの男性は、女性をジロジロみたり、声を掛けたりすることを、非常に失礼なことだと考えるからです。何故なら、スイスの女性がそれを嫌がるのです。

ところが、当時30歳を目の前に控えていた私、「女としては、そろそろ駄目なのかも知れない」と、本気で思いかけました。
「ひょっとすると、私は小柄過ぎて、大人の女に見られないのではないか」とも思いました。
私、日本でモテモテだった訳ではありませんが、それでもそれなりに、日本の男性は接してくれていましたので、「スイスでは駄目なのかなぁ」と思った訳です。

それと時を同じくして、私の頭に白髪も出始めたのです。
実はこれ、スイスの水が硬水の為、一時的にそうなるらしいということが、後で分かりましたが、当時はかなりショックでした(ちなみに今は、柔らかい髪にはなりましたが、白髪はありません)。

そんな私の気持ちを救ってくれたのは、スイス人以外の男性でした。
はい、お声が掛かりました。
フランス人、イタリア人、スペイン人……恋の国で有名な殿方たち、スイスでも活躍しています。
そしてもう一国、クロアチアの殿方も頑張ってくれました。

この広い世界の中で、たった4ヶ国ですから、『世界のみんつ』になるにはまだまだですが、この殿方たちが、どんな風に女性に声を掛けるか、興味のある方もいるのではないかと思いますので、今日はそんなお話を。

一番勇敢だったのは、フランス人です。
フランスの殿方、フランス語以外は理解しないにも関わらず、身振り手振り、片言の英語を混ぜて、お茶なりドライブなりに誘ってくれました。
まあ、言葉も通じずにお茶に行っても、どうにもなりませんので、丁寧にお断りしましたが、中には、「旦那と喧嘩した時には、僕を思い出してくれ」と言って、連絡先をくれた方もいます。

ユニークだったのは、イタリア人でしょうか。
なんと、通訳が入りました。
ある男性がイタリア語で、知人に何か言います。その知人が私に英語で話し、私の返事をまた、イタリア語に戻します。
このときは、ホテルの部屋へのお誘いでしたが、まさか、通訳付きでという訳にも行きませんし、これも、丁寧にお断りしました。

情熱的だったのは、スペイン人です。
「今すぐ旦那と別れて、僕とスペインで暮らそう!」
……今知り合ったばかりの人にそう言われても、ちょっと無理です。

ロマンティックだったのが、クロアチア人です。
私のポケットに、こっそりラブレターもどきのメモなどを入れたりして、楽しませてくれました。
ただ、クロアチアの殿方は、どうも浮気にさほどの罪悪感がないようでして、この辺は、何処かの国の殿方と似ているかも知れません。

さて、スイスも10年になろうとしている今、スイスの殿方の、ものすごく気弱なアプローチも、いくらかは分かるようになって来ましたが、
……スイスの男性、恋の駆け引きを楽しむのは、苦手なようです。

2004年9月9日 (木)  添乗員の憂鬱

これは、私がベルンで現地ガイドをしていた時の話です。

ある日私は、翌日の打ち合わせということで、ツアー・グループの添乗員に会いに行きました。
4つ星の、改築したばかりの綺麗なホテルに着くと、ロビーに背広を来た40歳代かと思われる男性がいました。
他に日本人はいませんし、彼が添乗員なのは、その雰囲気で間違いないとは思いましたが、何となく、様子が変です。
難しい顔をして、ロビーを行ったり来たりしているのです。

何か、トラブルかな? 私の手におえない事でなければ、良いけど……
その男性の元に行き、挨拶をすると、やはり添乗員だった彼、言いました。
「ちょっと、内密に話が出来ませんか?」
「ええ、構わないですけど……」
そういう私を、ロビーの隅に連れて行った彼、初対面だというのに、ものすごい勢いで喋り出しました。

要約すると、こういうことです。
『俺は、添乗員であって、通訳じゃない。旅行ガイドでもない。ましてや、修理屋なんか、とんでもない。何でもかんでも俺に頼むな』

ひとしきり吐き出した彼は、すっきりした顔で、
「すいません、初めての方に愚痴っちゃって。でも、どこかで出さないと、ぎりぎりだったもので」
「いえ、……こんなことでお役に立てるようでしたら、いくらでもどうぞ。添乗員さんも、大変なんですね」

別の時には、こんなこともありました。

市内観光が終わり、レストランにツアー・グループを連れて行った私、ここで仕事は終わりですので、帰る前に、添乗員の若い女性に挨拶をしに行きました。

「ちょっと良いですか?」
その女性、思いつめた顔で私の腕を掴むと、返事も待たずに、私を外に連れ出しました。

夏のスイスでは、大抵のレストランが、外でも食事が出来るようにと、通りの端にテーブルを出しているのですが、彼女、私をそこに座らせると、切羽詰ったように言います。
「一緒に食事をして行ってください。支払いは、私が自腹を切りますから」
「あの、それは構わないですけど、……大丈夫ですか?」

と、彼女、堰を切ったように泣き出しました。
『辛い。お客さんの雰囲気が悪く、何をやっても気に入ってもらえない。初めてのヨーロッパで、自分自身も勝手が分からない緊張の上に、自分の両親ほどの歳の、お客さん同士のもめごと処理までは、荷が重過ぎる』

苦手なサウアークラウト(酢キャベツの煮物)などを食べながら、私、泣き続ける彼女を何とかなだめました。
彼女、始めたばかりの仕事を、辞めたいと言ってましたが……

語学が堪能で、世界中を飛び回り、華やかなホテルにも泊まり慣れ、高級レストランでもあがらない。そんなイメージの旅行添乗員。

……いやあ、かなりきつい仕事のようです、実際は。

2004年9月9日 (木)  一万人を記念して。

おかげさまで、このHPも1万人を記念する事が出来ました。

いつも日記を読みに来て下さる皆様に、改めまして、心よりお礼申し上げます。

さて、『日記のお題リクエスト』にご協力して下さった方々、その内容は、次の通りです。(お名前は、あいうえお・アルファベット順です。)

アメリカンroomさん、うめさん、おーりさん、すみれさん、そうめんさん、そら豆さん、まーみさん、美也子さん、Chicchiさん、noeさん、Nonさん、Qさん、Rie(UAE)さん、SAKURAさん、TOMさん、YOUさん。

・一番驚いた、日本とスイスの文化の違い
・お勧めスイスのお土産
・観光地に於ける洗濯物の干し場
・近所付き合いの実態
・香水の習慣
・スイス人の食生活
・スイスに住む決意をした時のこと
・スイスの生き抜き方
・スイスのお家事情
・都道府県別、国際結婚、恋愛のパターン
・匂いをかぐ癖、続編
・日−欧、看板の違いについて
・日本語を話したい欲求はあるか
・日本の新鮮な活字に飢えないか
・待ち合わせの時間厳守
・みんつ家の食卓、一週間
・みんつの少女時代
・みんつの実態暴露
・みんつ夫妻、もしくはB氏の後ろ姿の写真公開
・レディーファースト
・B氏との馴れ初め
なお、欠食児さんからは、お祝いのファビコンを頂きました。

皆様、本当にありがとうございました。

実は、この中で、既にいつか書こうと思って、下書きをしてあるネタも幾つかありまして……
今回は、全くの更から選ばせて頂きましたので、ひょっとすると、今後、平常の日記で似たようなテーマが取り上げられる事もあると思いますが、その辺は皆様の広いお心で、お見逃し下さい(笑)。

では、今後も今まで通り、ご贔屓にお願いします。   みんつ

2004年9月10日 (金)  リクエスト日記 

         『みんつの少女時代&実態暴露』

私のプロフィールには、今見直すと、殆ど何の情報も乗っていない事が分かります。
これは、何か意図があった訳ではなく、単に、私自身に興味のある方がいるかも知れない、ということを考えなかったからです。

今回のお題募集で、似たようなリクエストを2つ頂きましたので、ちょうど良い機会ですから、私の年表などを少し、書く事にしました。

【196X年11月】
−千葉県の新興住宅地に、3姉妹の長女として生まれる。
かなり偏食であった事以外は、さほど手のかからない子供だったらしいです。
ちなみに、サラダばっかり食べていたようで、「うさぎのようだ」と言われていました。

【小学校〜高校時代】
−地元の学校に通う。

−制服のスカートを履いていてさえ、男の子に間違われるほどの凛々しさで、同級下級の女子から、告白を受ける。

−バレンタイン・デーには、毎年幾つものチョコレートを貰い、クラスのもてる男子数人から、ライバル視される。

−中学3年の時点で、既に、仲の良い男子から「他の奴には内緒だぞ」と、お宝のポ○ノ小説を貸してもらう程の、男前振りを示す。

−高校に入り、映画に目覚める。
ロードショーの封切り日と重なる為、土曜日は、あまり学校に行かなくなる。

−進路相談で、「刑事になりたい」と言い、警察官の母を持つ教師の勧めで、少林寺拳法を習うも、初段を取った時点で気が済んでしまい、それっきり道場には通わなくなる。

【高校卒業〜1994年】
−在学中にした、校則違反のアルバイトで貯めたお金で、一人暮らしを始める。

−幾つかの職場と恋をこなし、お酒や煙草も習い、経験値を上げる。

この期間、アパートこそ借りていたものの、殆ど部屋には帰らない生活が続き……毎晩、飲み歩いていました……職場の同僚からは、「みんつさんは、毎朝違う駅から出勤しているようですが、何処にお住いなんですか?」などと聞かれました。

【1994年】
−1度目の結婚。
夫の親戚、家族、知人からは、出来の良い姉さん女房だと喜ばれましたが、何故か私の友人たちは、「目を覚ませ」と言っていました。

【1995年6月】
−離婚。
「最初から、そう言っただろう」という言葉と共に、友人たちから祝杯をあげてもらいました。

【1995年9月】
−インドネシアの海岸で不機嫌にしていた所、スイス人と出会い、そのままスイスへ渡る。

−数々のトラブルを起こし、経験値をさらに上げる。 

【1998年5月】
−現在の夫B氏と、2度目の結婚。         現在に至る

……こんなもんで如何でしょう?
あ、質問、受け付けます。

2004年9月13日 (月)  リクエスト日記 

            『みんつ家の食卓、一週間』

他所の家が、毎日何を食べているのか、主婦ならこれは気になります。
まして、それが他所の国ともなれば、主婦でなくとも、気になるのではないでしょうか。
ということで、この『お題』を頂く事にしました。

しかし、1週間の食事をメモして感じた事は、「こりゃ、まずいな」です。
我が家、ろくな物を食べていません。毎日のメニューの中身、殆ど同じなのです。
健康やバランスではなく、庭で育つ野菜の順番が、優先されているのです。
皆さんがこれを読んで、何か得があるとしたら、「ああ、家はもう少しましだ」と、安心出来ること位でしょうか。

なお、平日の朝・昼食は、私達夫婦、別々に取りますので、ここに記すのは、夕食です。(興味のある方もいるかと思いますので、食材で、庭の畑から取れたものは、青色で記しました。)

ちなみに、私たちの朝・昼食は、大方次の通りです。
【朝食】
夫B氏:牛乳をかけたシリアル、ビタミンの錠剤を水に溶かした物(シュワーッとなるやつ)
私:牛乳を入れたコーヒー2杯

【昼食】
B氏:パン、乾し肉またはハム、果物、水(仕事場の前にある噴水の水、だそうです。)
私:パンまたは昨夜の残り物
*パンは、いつも私が焼きます。

では、我が家の食卓、思い切って公開です。

【9月4日(土)】この日はB氏、特別に仕事でした。
・ピザ:モッツァレラチーズ、ソース(トマト缶、玉葱、にんにく、マッシュルーム、ぺペロンチーニ、浅葱、ディル、パセリ、コリアンダー)、黒オリーブ、サーディン
・ビール


【9月5日(日)】
ブランチ:
パン、バター、蜂蜜、チーズ、リンゴジャム(義母宅のリンゴで作りました)、オレンジジュース、コーヒー

おやつ:泳ぎに行った、湖畔で食べました。
メロン、リンゴ、プルーン、オレンジジュース

夕飯:友人宅でBBQ
ソーセージ、ジャガイモ、マカロニとツナを炒めた物、人参サラダ、トマトとレタスのサラダ、
ワイン(赤・白)
メレンゲのお菓子

【9月6日(月)】B氏の誕生日
・煮込みハンバーグ:鳥挽肉、玉葱、ぺペロンチーニ、マッシュルーム、にんにく、パセリ、浅葱、コリアンダー、トマト缶
春菊のおひたし
・はるさめのシーフードサラダ中華風
・ギリシャ風サラダ:レタス、水菜、人参、ディル、胡瓜、黒オリーブ、フェタチーズ
・ご飯
・ビール、ホルンダーシロップ
・メレンゲのお菓子

【9月7日(火)】
・ハンバーグスパゲッティー
・ギリシャ風サラダ(6日と同じ材料)
・野菜炒め:インゲン、さやえんどう、葱、春菊、ペペロンチーニ
・ビール、のミルクシェーク
・ぶどう、バナナ、プルーン

【9月8日(水)】
・カレー:大根、葱、春菊、インゲン、さやえんどう、玉葱、ぺぺロンチーニ、ココナッツミルク、タイカレーペースト
・ギリシャ風サラダ:胡瓜、トマト、人参、玉葱、パセリ、ディル、フェタチーズ
・ご飯
・ビール
、プルーン、バナナ

【9月9日(木)】
・豚のステーキ生姜焼き風
・蒸かしたジャガイモ
・野菜炒め:玉葱、人参、葱、ぺぺロンチーニ、にんにく
・サラダ:ランデン(赤カブの1種)、パセリ、ディル
大根の塩もみ
・ビール
・ぶどう

【9月10日(金)】スパゲッティーは、B氏が作りました。
・スパゲッティーゴルゴンツォーラ:ブルーチーズの一種を牛乳で延ばしたソース
・野菜をオーブンで加熱したもの:ジャガイモ、玉葱、葱、ほうれん草、トマト、パセリ、ディル、にんにく
・ビール、ホルンダーシロップ
・プルーン
・チョコクッキー
・コーヒー

……簡単に出来るお勧めレシピ、喜んで受け付けます。

2004年9月14日 (火)  リクエスト日記 

           『スイスに住む決意をした時のこと』

現在の夫B氏と共にスイスへ来た時、私は、二人の関係が長く続くかどうか、全く問題にしていませんでした。
ただ、B氏とは試してみるだけの価値がある、と考えていただけです。

B氏と出会ったとき、私はこう言ったのです。
「情熱的な楽しい時間を過ごすだけの恋は、もう十分にした。私が今求めているのは、情熱が去った後も一緒にいたら、その次には何が起こるのか、一緒に手探りして行くパートナーである。人は、どうして20年も30年も連れ添うのか、私はそれが知りたい」
そんな私に、B氏はただ一言、こう言いました。
「それは良いな」

B氏と恋に落ちた時、舞い上がる気持ちとは別のところで、私は、彼が自分に相応しい男性かどうか、観察しました。
……B氏、見事に100点満点でした。
もちろん、これは『私にとって、一緒に試してみる男性として、100点』です。

当時、離婚したばかりだった私には、一つの決意がありました。
「もう、したくもない妥協は、絶対しない。100点満点の男性がいないなら、ずっと一人で生きて行く」と、本気で思っていたのです。
それが、こんなにも簡単に見付かってしまうのですから、世の中とは不思議なものですが、多分、この決意がなかったら、私はB氏と出会っていなかったと思います。
たとえ出会っていたとしても、見抜けていなかったと思います。

さて、スイスで暮らし始めた私、もしB氏が、私の見込み違いであったなら、いつでも日本に戻る覚悟でいました。
この時点ではまだ、『スイスに住む事』については、考えていませんでした。
まず、私の見込んだ男性が本物か確かめ、もしそうであるなら、スイスで数年生活した後、日本でも数年生活し、2人にとって一番良い場所で暮らそう、と考えていました。

私が本当の意味で『スイスに住む決意』をしたのは、実は、日本でです。

私たちが、千葉の実家で普通の生活をし始めて、1年と少し経った頃の事です。
私たちの生活は、思ったよりも順調で、そろそろアパートを借りて独立しようか、という話をしていた頃でした。
ある晩、スイスからB氏の元へ、1本の電話が入りました。
「良い仕事があるから、帰って来い」
それは、B氏のキャリアにとって、絶好のチャンスに思えました。
ところが、その電話を受けたB氏は、こう答えました。
「妻と相談して、後日、こちらから電話をします」
自分のチャンスを妻と相談して決めるなんて、正直な所、私には驚きでした。私が逆の立場なら、B氏に相談する前に、その仕事、承諾していると思います。
B氏から話を聞いた私、何の迷いもなく、その場でこう言いました。
「さ、スイスに帰ろう」

この時が、『私がスイスに住む決意をした時』です。

私達は、日本とスイス、両方の国で、それなりに暮らすことが出来るのを知っています。
スイスで暮らす事にしたのは、その方が、B氏のキャリアに有利だからです。
そして、この決断は、間違ってはいなかったようで、B氏の仕事、私たちの期待以上に順調です。

私は今、B氏の承諾の元、数年間のお休みをもらって、専業主婦をしています。
自分なりに、何か打ち込める事を見つけ、チャレンジするための時間です。
それがお金に繋がるのか、そうでないのかは、幸いな事にあまり問題ではありません(私自身としては、お金に繋がった方が嬉しいですが)。
そしてもし、それが日本でなければならない事であれば、私達はもう一度話し合います。

私がスイスに住む決意をしたのは、今現在の状況では、二人にとって、それが一番幸せな選択肢だからです。
夫婦の形は、人それぞれだと思いますが、私達夫婦にとっては、夫の場所=妻の場所、ではありません。
2人がお互いに、一番自分の可能性を出せる場所が、私たちの場所で、今のところそれがスイス、というだけです。

……ただ、定年後は日本に戻りたいかな。
スイスは、歳を取った身には寒そうですから(笑)。

2004年9月15日 (水)  リクエスト日記 

           『お勧めスイスのお土産』

ご存知の方も多いでしょうが、スイスの製品で有名な物には、次のような物があります。
【時計、カランダッシュの色鉛筆、バリーの靴、刺繍製品、アーミー・ナイフ、チョコレートetc・・・・・・】
これらは、観光地の土産物店に行けば、必ず売っています。

しかし、この“みんつ”に聞くぐらいですから、そういった物以外、つまり、スイスに住んでいればこそ、のお土産を意味するのだと理解しました。
ということで、色々考えた結果、かなり偏っているかも知れない危険性を警告した上で、ご紹介します。
(なお、日本国内持ち込み等に関しては、各自でお調べください。)

【スーパーで買える手頃な品(千円以下)】
―乾し肉やソーセージ:塩分が多少大目ですが、お酒のつまみには抜群です。乾し肉はそのままで、ソーセージは調理して、お召し上がりください。

―チーズ:乳製品はどれも美味しいのですが、持ち帰りにはこれが楽。

―ミュースリー:いわゆるシリアルですが、種類が豊富で、ドライ・フルーツなども色々と入っています。

―お茶、コーヒー:ハーブ、フルーツなどのお茶がたくさん。コーヒーは、イタリアの影響もあり、濃い目の美味しい物が揃っています。

―ジャムや蜂蜜:スイス産の蜂蜜は、輸入物より値段が高めですが、それでも千円ぐらいです。

―台所の小物:日本の物とは違う、面白い物がいくつかあります。ジャガイモの皮むき器など、小型ナイフのような形で、安全な上、使いやすいです。

―乾麺:スパゲッティーやマカロニなど、色形ともに様々で、お料理好きな方には良いかも。

【酒屋で】
―ワイン:スイス産のワイン、悪くないです。

―リンゴ酒:軽い酸味の入った、アルコール度のかなり低いお酒です。場所によっては、レストランでも飲めますので、興味のある方はお試しを(アップル・ワインです)。

【その他の店で】
―香水:実はこれ、今が旬だと、私は睨んでいます。
どういうことか・・・・・・
この香水、現在世界No1のテニス選手(スイス人)の製品なのです。
その名もずばり、『ロジャー・フェーデラー』。
ウィンブルドンの芝だか何だかの香りに、レモンや男性的な香りを混ぜ、スポーティーで爽やかな匂いだとかどうとか。
1本6〜7千円位だったと思いますが、男性へのお洒落なお土産ではないでしょうか。

―エーデルワイスの種:野に生えているエーデルワイスは、保護植物なので、つむ事は禁じられていますが、たまに種が売られています。
花の種を売っている店を見かけたら、チェックしてみてください。

―モペット:ペダルつきの小型バイクですが、その手の物がお好きな方には、面白い一品では。(但し、手続き等があるでしょうから、時間に余裕のある方向き。)

・・・・・・こんな所で如何でしょう?

余談ですが、ベルンに行かれる方で甘党の方、旧市街にある『ヌガーの店』をお勧めします。
店内に、体の不自由な、かなりハンサムな青年がいましたら、彼がオーナーで、私の結婚立会人です(笑)。

2004年9月16日 (木)  リクエスト日記 

              『スイスの家事情』

スイスに来て9年間で、私は11回引越しをしました。
そして今、12回目の引越しを、来月に控えています。

そんな経験を元に、今日は、『日本人の私から見た』スイスでの部屋探しのポイント、を書いてみようと思います。

ちなみに、部屋の値段などは、日本とほぼ同じ位と考えて良いと思いますが、こちらの方がやはり、1部屋の大きさが幾分大き目です。
敷金礼金の制度は、基本的にありませんが、貸家人と借家人が共同の銀行口座を開き、敷金に当たる物を、借家人が入金しなくてはいけない場合もあります(これは、部屋に破損がなければ、出て行く時に戻ります)。

空き部屋があるかどうかは、新聞、インターネット、スーパーや大学などの掲示板で見付けることが出来ます。
興味のある物件情報を見付けたら、電話をして、部屋を見に行く訳ですが、スイスの場合、1部屋に2人で暮らすことを嫌がる大家もいますので・・・・・・スイス人の感覚では、2人なら3部屋というのが、どちらかというと一般的です・・・・・・ご注意を。

では、物件を見るときの注意です。
【ボイラーは十分量があるか】
スイス人は、朝、10分位のシャワーをさっと浴びるのが習慣ですので、お湯をたくさん使うということがありません(湯船のない家もあります)。
私たち日本人が、普通にシャワーを浴びると、小さなボイラーでは足りません。
十分大きなボイラーか、でなければ、温度調節が変えられるか、しっかり確かめてください。
何家庭かが共同で1つのボイラーを使うような物件は、避けた方が良いかも知れません。

【お風呂は、何時までOKか】
寝しなにお風呂に入る習慣のないスイスでは、深夜の入浴音を、うるさいと嫌がる人もいます。
アパートによっては、夜十時になるとお湯が止まってしまう所もあります(これが常識的な時間、だそうです)。

【洗濯日】
アパートの住人は、共同の洗濯機を使う事が一般的で、予定表が組まれていたりします。
大きな建物になる程、各自が洗濯機を使える回数も減ります。
各自で洗濯機を買うことを禁じているアパートも少なくありませんので、どのくらい頻繁に洗濯が出来るか、必ず聞いてください。
一週間に1日、この辺が妥協できる回数、かと思います。

【契約期間】
スイスのアパートは、日本のようにいつでも解約出来る、という訳には行きません。
一般的なものは、確か4月と10月の年2回で、3ヶ月前に書面で通知します。
しかしこれは、大家によって差があり、最初の数年間は、解約出来ない所もあります。
後々どんな問題が起こるか分かりませんので、あまり長期の拘束期間があるものは、避けた方が良いかと思います。

次は、比較的住み心地の良い部屋を見付けるポイントです。

【窓辺から、退屈そうに外を眺めている住人がいないか】
大袈裟に言ってしまうと、この人は、貴方の一挙手一投足を監視することを、唯一の楽しみとしています。
もちろん、この人物は、貴方の行いを誉めるためにそうしているのではありません。
この人物が、大家もしくは管理人の場合、その建物は避けた方が無難です。
ちなみに、大家が同じ建物に住んでいる物件は、私は、借りません。

【外国人の住人がいるか】
これは、絶対そうとは言い切れませんが、大きな建物で、外国人の全く住んでいないアパートは、要注意です。
契約以外の、住人同士による細かい決まりが多く、窮屈な場合が多いです。
私の経験では、アジア系や南ヨーロッパ系の住民が住んでいる建物は、割と気楽でした。

最後に、契約期間が終了し、部屋を出て行く場合です。
【掃除】
借家人は、部屋中をピカピカに磨いて行かなくてはいけません。
オーブンの中から、窓ガラスの外側、ブラインドの1本1本まで磨き上げ、壁に開けた穴は、目に留まらないように塞ぎます。
このとき、日本人が気付かないのは、洗面所などにある、棚の下です。
部屋に備え付けてあるいくつかの収納棚は、何と、動きます。
天井まであるような大きな物は別として、ひょっと動かせる程度の棚は、その下も掃除して下さい。
意地の悪い大家の場合、トラブルになります。

さて、日本でアパート経営をされている方、外国人はとかく敬遠しがちでしょうが、スイス人はお勧めの借家人です。
彼らが出て行く時、貴方のアパートは、事によると、彼らが入居した時よりも綺麗になっているかも知れませんから。

2004年9月18日 (土)  お礼

5つのリクエスト日記、如何だったでしょうか?
何だか、書かせて頂いた私の方が、楽しんだような気もしますが・・・・・・

今回この5つを選ぶにあたって、厳選なる抽選、などというものは一切していません(笑)。
どういう風にしたかというと、
皆さんのリクエストを、紙にずらーっと書き写し、思いついたものから書いただけです。

以前お話したように、中には既に、私が前から書こうと思い、PCに下書きのあるものもありましたし、偶然、掲示板で書いてしまっているものもありました。
それらのものは、今回、外させて頂きました。

ということで、企画週間、終わりです。
リクエストを下さった方、日記を読んでくださった方、もう一度ここで、お礼を言わせて頂きます。ありがとうございました。

来週からは、また通常どおりです。

では、良い週末を。

2004年9月20日 (月)  男のお洒落

スイスでは、髭を生やしている男性をよく見かけます。
彼らにとって髭は、お洒落のセンスをアピールする道具です。

かくいう我が夫B氏も、口の周りから顎にかけて髭を生やしていますし、義父などは、山男よろしく、顔中髭だらけです。
しかしこの髭、ただだらしなく伸ばしているのではありません。

B氏が鏡を覗いている時間は、私よりずっと長いですし、義父の髭にしても、頬の上の部分は綺麗なラインが出るように剃られていて、不揃いに伸びている事など、見たことがありません。
友人でも、揉み上げから顎にかけて、顔の輪郭に沿って細い一本線を作ってみたりと、色々お洒落をしているようです。

そして、女性に人気があるのが、『3日髭』です。
これ、いわゆる『無精髭』という意味なのですが、この無精髭は、男のワイルドさをさり気なく演出したもので、決して剃るのが面倒だから、という訳ではありません。
むしろ、毎日、ちょうど3日目ぐらいに見えるようにするため、彼らは手入れをしているのです。

先日のことですが、B氏の職場で人手が足りなくなり、私は簡単な仕事を手伝って来ました(スイスでは、パートナーがお互いの職場に出入りするのは、さほど珍しい事ではありません)。
仕事が一段落し、私たちは、近所のレストランに休憩に行きました。
メンバーは、私、B氏、B氏の仕事仲間のJ氏とI氏です。

このI氏ですが、一風変わった髭を持っています。
唇の上下に黒々とした髭を生やしているのですが、上の髭がかなり長く、完全に唇を隠しているのです。
I氏にとってこのスタイルは、何やら意味があるようで、長く伸びた上の髭は、下唇と顎の真中あたりで、いつも真っ直ぐに切り揃えてあります。
その髭のおかげで、I氏は、まるで学者か何かのように見えます。

さて、レストランに着いた私たち、それぞれにコーヒーやホット・チョコレートなどを飲みながら、和やかにお喋りをしていました。

が!!!!!
私の目は、I氏に釘付けです。
そうです。あの長い上唇の髭、I氏がコーヒーを飲む度に、カップの中にどっぷり浸かってしまうのです。

I氏、ゆったりとした感じで、コーヒーを一口飲むと、慣れたように、唇だけで髭を口に含み、チューッ・・・・・・
うーん、正直な所、かなり気味が悪いです。
しかもそのコーヒー、ミルクが入っています。

こうなるともう、私の頭の中は、会話などそっちのけです。
スパゲッティー・ミートソースはどうやって食べるのか・・・・・・ポタージュのようなスープは、どうなるのだろう・・・・・・フォンデュのチーズは、えらい事になってしまわないだろうか・・・・・・奥さんとキスをする時、あの髭は手で持ち上げるのだろうか・・・・・・etc。

・・・・・・一度、I氏の家の夕飯に、呼ばれてみたい。

2004年9月22日 (水)  最初の戦い (前)

私の知る限り、外国語に対してコンプレックスを持っているのは、日本人だけではありません。
私たちから見れば、かなり上手に外国語を話すと思える、ヨーロッパ人でさえ、完璧でないという理由で、出来れば外国語は使いたくないのです。
『彼らが外国語を話さないのは、母国語に対する誇りがあるからだ』などという、まことしやかな隠れ蓑が、日本では通用しているようですが、私の経験では、彼らは単に失敗を恐れているのです。

今日は、そんなお話をひとつ。

あれは、私がスイスに来て、3ヶ月も経っていない時でした。
年末もそろそろ近付いて来たという頃、我が夫B氏に、一通の招待状が届きました。
『大晦日をかねて、30才の誕生会を開きます。パートナーと一緒に、ぜひ、泊りがけでお来し下さい』
オーストリアに住む、B氏の知人T氏からです。
T氏は、妻、二人の息子と一緒に、ウィーンのそばの小さな村に住んでいます。

ウィーンの観光もしたかった私たちは、クリスマスの後から大晦日にかけて、確か4泊、彼の家に滞在する事にしました。
T氏の家に宿泊するのは、私たちの他にもう一人、スイス人男性がいるだけで、後の知人は、大晦日の夜にやって来るという事です。
かなり大きなパーティーを開くようで、T氏の奥様は、見るからに緊張していました。

小さな子供たちと、パーティーの準備で忙しい奥様を家に残し、T氏は連日、私たち3人を車で観光に連れ出してくれたのですが・・・・・・

当時の私、理解できたドイツ語は、「こんにちは」と「ありがとう」ぐらいでした。
そして、観光の間中、T氏はオーストリア訛の強いドイツ語を話していました。
はい、私、彼ら3人が話す言葉、一言も理解出来ませんでした。

最初のうちは、良い聞き取りの練習になる、と思った私、何も言わずに彼らの話に耳を傾けましたが、『1日24時間、毎日、一言も理解出来ない』という状態は、さすがに疲れます。
唯一ほっとするのは、T氏の家で、二人の小さな子供と、大きな犬といる時間でした。

奥様もオーストリア訛のドイツ語のみを話していましたので、何か手伝おうにもどうして良いか分からなかった私は、「私が子供の面倒を見ていれば、彼女もパーティー準備に専念出来る」、と思ったこともあり、進んで子供たちと遊んでいました。

ところが、そんな状態が3日も続いた頃、B氏が困った顔で私に言いました。
「みんつ、シャワーを浴びる時、ちょっとお湯を節約してもらえないかな? T氏の奥さんがね、シャワーのお湯が足りなくて困る、って言うんだ」
「どういうこと?」
この時の私、ヨーロッパのお湯事情を知りませんでしたので、日本の感覚でシャワーを浴びていたのです。
B氏の説明を聞いた私、びっくりしました。
「うん、気を付ける。・・・・・・でも、奥さん、何で貴方に言うの? 私、毎日顔を合わせているのよ。いくら彼女が英語を話せなくても、そのくらいは直接言いに来て欲しかったな」

これが、私の正直な感想でした。
コミュニケーションというのは、伝えたいという意思があれば、どうにかなるものではないでしょうか?
たとえ結果的には無理だったとしても、まずは、試して欲しかったです。
何故なら、こういうやり方では、私が彼らと直接知り合う機会が、失われてしまいますから。

この日まで、私たちは毎日、朝食と夕飯をT氏の家族と一緒に取り、昼間はT氏の案内で、観光をしていたのですが、その間、T氏夫妻が私に言葉をかけたのは、最初の日の、挨拶の時だけでした。
「子供たちの世話をしてくれて、ありがとう」と言われる代わりに、私は、まるで存在しないかのように扱われていました。

それでも私、黙っていました。
理由は、一つだけです。
『ドイツ語を話す国に来て、ドイツ語を理解出来ないのは、100%私個人の問題だ』と思っていたからです。

〜後に続く〜

2004年9月22日 (水)  最初の戦い(後)

〜前からの続き〜

大晦日当日、夜にT氏の誕生会を控え、私たちは、ウィーンのお城に繰り出しました。
そこには、たくさんの絵画や、天井にまで飾りを凝らしたダンス・ホールなどがあり、ヨーロッパに来たばかりだった私には、どれもこれも、珍しい物ばかりでした。

4人で一部屋ずつゆっくり回り、全体の半分弱を見た、という頃でしょうか、B氏が私に言いました。
「みんつ、そろそろ帰らないといけないらしい」
「何で? 予定でもあったの?」
「いや、車を駐車場から出さないと、まずいらしい。駐車料金を少ししか払っていないから、車を出さないと、罰金取られるんだ」

「・・・・・・私、まだ、全部見てないわ。せっかくこんな所まで来て、こんな大きなお城にまで入って、駐車料金が足りないから、私は諦めなくちゃいけないのね。誰のための観光なの? T氏は、いつでもまたここに来られるけど、私はそうは行かないわ。こういう建物に入る場合、あらかじめ十分な時間を計算するのは、貴方たちの習慣にはないの? 大体、どうして貴方が言いに来るの? 貴方は、私の通訳じゃないわ」

B氏、困った様子で言います。
「俺にそう言われても・・・・・・俺は、T氏が伝えてくれって言ったから、やっただけで。自分で、言ってくれないかな」
不本意だったでしょうが、最後の一押しを、B氏はしてしまいました。
階段の下で待っているT氏たちにも聞こえる声で、私、怒鳴りました。

「私には『自分で言え』って言えるのに、何故T氏にはそう言わないの。大体、時間に制限があるなら、どうして最初から言わないの。貴方たちが、どうでも良いような物ばっかり見ていた間に、私は一人で回れたのよ。誰も私と話をしないでいて、こういう時だけ、私に規制をするのは、どういうこと! 私は、最後まで見ますからね。車が気になるなら、貴方たちは外で待っていれば良いわ。今までずっと、私が待ったのだから、今度は、貴方たちが私を待つ番よ!」
最後の台詞は、T氏に向かって言いました。

私は、ゆっくりと時間をかけて、お城の隅から隅まで見て回りました。

ロビーで待っていたT氏、私が降りて行くと、急に英語で話し掛けてきました。
「お腹、空かないかい? 近くのレストランで、休憩しようって話になったのだけど、どう?」
英語が出来ないと思っていたT氏、私よりずっと流暢に話します。
レストランにいた間も、家に着いてからも、全員が英語で話します。
そうです、奥様も英語、話せました。
これは、どういうことでしょう? 今までの3日間は、何だったのでしょう?

この時、私は理解しました。
ここでは、弱者はないがしろにされる。そうされたくなければ、まず、最初にがつんと、鼻面を殴り付けて置くのが、ここのやり方だ。

夜になり、パーティーには大勢の人が集まりました。
30〜40人ぐらいいたでしょうか、皆、地元の人です。
私は、敢えて、彼らをテストしました。
ドイツ語を理解しない私に話し掛けてきたのは、たった一人だけでした。
オーストリアに住んで何年にもなるという、フィリピン人の女性でした。

パーティーが無事終わり、T氏宅を後にした私、B氏に言いました。
「彼らが、間違った英語を使うのを恥ずかしく思う気持ちは、私にも分かるわ。だからつい、母国語だけになってしまいがちなことも、受け入れられるわ。でも、私が本気で怒るまで放って置いたのは、どうかと思うわ。あまり、良い性格とは思えないわね。
そして、何よりも嫌だったのは、私が強く出た途端に、みんなが英語で話した事よ。分かる? 彼ら、私の機嫌取りに、英語で話したのよ。
強い物には迎合して、弱い物はないがしろにする。こういう文化は、日本人として私、持ち合わせていないわ。
私がいつか、ドイツ語を話すようになったら、彼らはきっと、私と友達になるのよ。でもね、私は今回の事、決して忘れないわ。彼らがどういう人間か、私は見たわ。
そして、あんな友達、こっちからお断りよ。この次からは、貴方一人で行ってね」

T氏夫妻のような人物は、残念ですが、ここにはたくさんいます。
私のような思いが嫌な人は、彼らが貴方の理解しない言葉を使った時点で、はっきりと言って下さい。
「あ、それは止めて。私には分からないから」と。
気後れなどせず、周りがしらっとなるぐらい、強く言って良いのです。
それがここのやり方ですから。
・・・・・・私は、私のやり方で行きますが。

え、どんなやり方かですか?

その人たちをじっと見て、一言でも良いから聞き取ろうとします。
頻繁に出て来る単語があったら、どういう意味か聞きます。
全く分からない会話に、敢えて、口を挟むのです。
私が彼らの言葉に興味を示すのを知ると、彼ら、私にも分かる言葉で話し出します。

2004年9月23日 (木)  ママ、ミア!

「お昼にピザを焼くから、食べに来ない?」
ある日の遅い朝、ひとつ下の村に住む、知人のE嬢から電話がありました。
このE嬢、スイス生まれのスイス育ちですが、イタリア人なのです。
イタリア人から手作りピザの申し出、誰が断わりますか?

「12時に、息子が小学校から戻るから、その時間に来てくれる?」
・・・・・・ん? 何故、きっちりその時間なのだろう?
ちらっとそうは思ったものの、まあ、私はいつも暇ですから、何時でも構いません。
私は、彼女とお茶でも飲みながら、ゆっくりお喋りするのも良いかと思い、言われた時間に、E嬢宅を訪れました。

私がのんびりピザを食べていると、E嬢、何となく落ち着かなそうで、息子をさっさと学校に送り出して、言いました。
「今日、これから行く所があって・・・・・・急がせるようで悪いのだけど、1時には、ここを出たいの。良いかしら?」
良いも悪いも、私に選択の余地はなさそうです。
・・・・・・忙しいのなら、わざわざ私を呼び出さなくても良いのに。
しかし、既に来てしまったものは、仕方がありません。私は、急いでピザを飲み込むと、答えました。
「もちろん。じゃあ、私は帰るわ」

するとE嬢、慌てて言います。
「ああ、帰らなくて良いのよ。大した用事じゃないから、一緒に来ない? 実はね、誕生会に呼ばれているのだけど、良く知らない人なのよ。お義理で、ちらっと挨拶だけしたら帰るつもりだから、その後、どこかでお茶でもしない?」
E嬢が行くと言うxx村には、幾つかのレストランがありますし、小さいながらも、買い物の出来る店もあります。
たまには、そういう所に行くのも良いかも知れません。私は、付いて行くことにしました。

xx村へは、歩くと2時間位かかりますが、行きは下りだけですので、食後の良い運動にもなりますし、私たちは歩いて行きました。

「ちょっと挨拶するだけだから、一緒においでよ」
目当てのアパートに付くと、そう言われた私、E嬢と一緒に、彼女の知人宅へ行きました。
玄関のチャイムを鳴らすと、同じ年頃の女性が現れ、
「あら、よく来てくれたわね。中に入って」
と、私たちを居間に案内してくれました。

「こちら、友達のみんつさん」
E嬢に紹介されるまま、私は誕生会の主である、その女性に挨拶をしました。
「まあ、座ってお茶でも飲んで行って。ケーキはそこにたくさんあるから、好きなのを取ってちょうだい。シャンペンはどう? それとも、コーヒーの方が良いかしら?」
「え? あ、いえ、シャンペンで結構です」
シャンペンとケーキを渡され、私、居間のテーブルに合流しました。
そこには、既に数人が座っていて、楽しそうにお喋りをしています。
「こんにちは、みんつです」
ぎこちなく皆と握手を交わすと、「さあ、奥に座って」とばかりに席が開けられ、私は、そのテーブルの中心ともいえる位置に、座る形になってしまいました。

皆、突然現れたこのおかしなアジア人に、好奇心一杯のようです。
『・・・・・・どこから来たの? あら、ここに住んでいるの? まあ、旦那さんがここの人なのね。どう、ここの住み心地は? まあ、家を探しているのね。私、良さそうな物件を知っているわよ。電話してみれば?・・・・・・・』
一通り質問がなされ、自動的に答えているうちに会話は進み、私、地元の人でなければ知らない、家を売りに出している人物の電話番号すら手に入りました。

そして、話しているうちに判明した事ですが、そこのテーブルにいた人たちは、誕生会の主の両親、義理の妹、従姉妹といった具合に、全員、親戚家族でした。
はい、そうです。
E嬢、顔見知り程度の知人の誕生会に、一人で行くのが嫌で、私をだしに使ったのです。

ピザ1枚に釣られて、全く知らない人の家で、全く知らない人の誕生日を、全く知らない家族と共に祝った、私。
しかも、帰りが遅くなったということで、やはり全く知らないそこの家の旦那さんに、車で送ってもらいました。

・・・・・・見事にしてやられました。

2004年9月25日 (土)  これも愛?

ここ数日、我が家の黒猫L氏との新たな戦いが続いており、私、少々へばり気味です。

L氏、毎晩2〜3時間おきに、寝室の前で鳴き、ドアを爪で引っ掻いています。
私たちの寝室に入りたいのです。
しかし、私の日記を読んでくださっている皆さんには、もうお分かりでしょうが、それは出来ません。
そんな事をしたら、私は一晩中眠れませんから。

そもそもL氏、外に行きませんので、昼間はずっと寝ているのです。
今も、部屋に積まれた引越し用ダンボールの間に収まって、鼾だか寝言だか、おかしな声を上げています。
ですから、夜のL氏、元気でして、彼の望みは、私も起きて一緒にいる事なのです。
L氏、人間も眠るとは、思っていないようです。

さて、そんなL氏、何とか私のすきをついては、毎晩寝室に潜り込もうと試みます。

まず、私たちが寝室に向かうと、まるで、いつもそうしている、とでもいうように付いてきて、さり気なく部屋に入ります。
もちろん、私がL氏を捕まえて、廊下に出しますが、部屋に入ったL氏、毎回ベッドの下などに隠れて、私の目を誤魔化そうとします。

そして、廊下に出されたL氏、一旦は居間に引きあげますが、2時間ぐらいするとまたやって来て、寝室のドアを開けようとします。
ここの家、かなり古いので、ドアは力を入れてしっかり閉めておかないと、L氏ががりがりやっているうちに、開いてしまうのですが、我が夫B氏、時々そのことを忘れます。

がりがりやっても開かない場合、L氏は鳴いて、私を起こします。
私がドアを開けないのは知っているのに、わざと鳴きます。
そして、これを数時間おきに繰り返します。

私が夜中にトイレに起きる場合、それはL氏にとってチャンスを意味します。
黒い身体をいかし、暗闇に紛れて、私の開けたドアから入り込もうとします。
朦朧とした頭で、ドアを慎重に開け、L氏の確認をしながらトイレに行くのは、毎回上手く行くとは限りません。
そしてL氏、私が再びベッドに入るまで、やはり物陰に身を隠しています。

そんな夜が続いた先日、失敗を覚悟で、もう一度だけL氏を寝室に入れてみました。

私が寝入って少し経った頃でしょうか、L氏、枕元で私の顔を覗き込み、鼻先2cmぐらいのところで、鳴いてくれました。
驚いた私が目を覚ますと、満足そうに咽喉を鳴らし始めます。
これがまた、うるさいのです。
普通、猫が咽喉を鳴らす音って、良い感じではないでしょうか?
ところがL氏のそれは、大音響でして、私、眠れません。

「L氏、うるさいよ」
私に追い払われたL氏、足元の方でうずくまりました。
しばらくして、私が再び眠りだした頃、今度はL氏、掛け布団から覗いている、私のつま先を舐めてくれました。
「ギャッ、何?」
突然濡れたものが足を撫で、文字どうり私、飛び起きました。
「やめてよ、L氏」
私に足でベッドから押し出されたL氏、仕方なく、居間に戻ったようです。

・・・・・・ガリッ、ガリッ、グシャッ、ぺちゃぺちゃ、ガリッ・・・・・・
今度は私、おかしな音で目が覚めました。
?????・・・・・!!!

「ひぇ〜っ、L氏、何でぇ。何でここでなの!? もう、勘弁してよぉ」
L氏、ベッドの脇の、私の頭のすぐ下で、ねずみを食べていました。

・・・・・・この試み、完全に失敗でした。

2004年9月28日 (火)  スイス人との遭遇 

子供の頃から乗り物が大の苦手だった私、日本にいた時は、旅行など全く関心がありませんでした。
一番の遠出は、高校時代に修学旅行で行った京都でしたし、大人になってからは、社員旅行の伊豆がせいぜいでした。
そんな私が、今ではスイスに住み、旅行が趣味なのですから、何と不思議なものでしょう。

その転機は、ある日偶然、向うからやって来たのです。

国内旅行ですらまともにした事のなかった私に、妹の友人A子ちゃんから、電話がありました。
「みんつちゃん、私と一緒に、バリ島に行かない? 20日間、ビーチで何にもしないで過すけど、どう?」
「うん、良いよ。じゃあ、本を持って行くね」
この2秒が、まさしく私の人生を変えました。

後で分かった事ですが、これは、妹の粋な計らいだったようです。
当時の私、離婚をしたばかりでして、A子ちゃんから旅行に誘われた妹は、
「良い気分転換になるだろうから、お姉ちゃんを誘ってあげて」
と言ったそうなのです。

さて、何も考えずに、本と現金だけを鞄に詰めて旅行に出た私、目的の島に着いて、機嫌が悪くなりました。
一緒にいたA子ちゃんが、私よりもずっと可愛い気がして、何だか落ち込んだのです。
正直な話、私は全然可愛いタイプではないですし、可愛さを売りにしていた事は、一度もなかったのですが、この時は、何故かそれが気になったのです。

「今日は、バンガローに篭って、1日中洗濯をする」
そんな自分の頭を冷やそうと、島に着いた翌朝、私はA子ちゃんに宣言しました。
その日は、誰にも会うつもりがなかった私、寝起きのぼさぼさ頭のまま、眼鏡をかけ、コーディネートも何もなく、Tシャツとショート・パンツを着、バケツで洗濯を始めました。

1時間位経った頃でしょうか、A子ちゃんが困り切った顔で戻って来ました。
「みんつちゃん、30分で良いから出て来てよ。もう、参っちゃうよ」
話を聞くと、私達と一緒に島に着た、インドネシア人の青年Y氏が、A子ちゃんをしつこく口説いているらしいのです。
「嫌だよ。今日は、誰にも会いたくないんだから」
Y氏がA子ちゃんを口説くのを、横で眺めているなんて、この日の私の気分からは、勘弁してもらいたいところです。
「頼むよぉ、30分で良いからさ」
無理やりA子ちゃんに手を引かれ、洗濯途中のまま、私はビーチに行きました。

ビーチに着くと、A子ちゃんもY氏も、むすっと黙り込んだままそっぽを向いています。
私、とりあえずその場に腰を下ろすと、この険悪な空気をどうしようか、と考えました。

「ヘイ、マン! どっから来たんだい?」
Y氏が突然、誰かに話し掛けました。
隣を見ると、白人の男性が一人で座っています。
「スウィッツァーランド」
その男性、そう答えると、座っていた敷き物をずらし、私達の側に来ました。

             〜次回に続く〜

2004年9月29日 (水)  スイス人との遭遇 

             〜前回からの続き〜

私、何気なく、その男性を観察しました。
ほっそりした身体に、海水パンツ一枚で、髪の毛はきれいに剃られているようです。
胸元には、イルカのペンダントと鍵が下がり、片方の耳には、金のピアスが付いています。
彼が座っている敷物には、黄色、ピンク、オレンジ、水色という配色で、たくさん魚が描かれているのですが、彼はその派手な布を音も立てずにそっと扱い、四隅まできちんと皺を延ばして広げ、幾分横座り気味で、腰を下ろしました。

・・・・・・ゲイ(同性愛者)だ。
私の第一印象です。

さて、その男性、私達のすぐ隣に座ったものの、話し掛けた当のY氏も、しつこく口説かれて機嫌が悪くなったA子ちゃんも、全く相手をしようとしません。
咄嗟に、「何か話さなくては」と思った私、その男性との会話を引き取る形になりました。
初めて見るゲイの人にも、ちょっと興味があったのは事実です。

ところが、話しているうちに私、何だか落ちつかなくなりました。
その男性、仕草や雰囲気はとても静かなのに、視線が強いとでも言ったら良いでしょうか、こう、何か特別なのです。
目そのものは、やはりソフトなのですが、視線が男を感じさせ、とにかく私、どぎまぎして来ました。
そして、気が付いた時には、今日の夕日を一緒に見に行く、という約束をしていました。

その島には、ちょっとした丘があって、そこに登ると、島の反対側に沈む夕日を見ることが出来るのです。
そこには昨日、一緒にいたY氏が、私たちを連れて行ってくれたのですが、実は私、かなりの方向音痴でして、誰かに連れて行ってもらったような場所は、再度一人では行けません。
どこをどう通ったか、全く憶えていないのです。
ですから私、Y氏に、夕日の見える丘までの道順を聞きました。

この時は全く気付きませんでしたが、私とそのスイス人男性が丘に行くのをやっかんだY氏、、私に嘘の道を教えました。
A子ちゃんに気があると思っていたY氏、目の前でもう一人の女である私が、他の男性に連れて行かれるのを見て、どうやら惜しくなったようです。

その後、私は一旦バンガローに戻り、「シャワーを浴びて、着替えて来る」と言ったスイス人男性を、待っていました。
バンガローのポーチで、A子ちゃんとお喋りをしていると、例のスイス人男性が歩いて来るのが見えました。

げっ!!! この人、かなりカッコ良い。
この時、私、はっきりそれを意識しました。
彼、すらりと背が高く、急ぐ様子もなく堂々と歩いています。
インドネシアの民族衣装らしい、白地にオレンジで模様が描かれた、薄い生地のズボンを履き、やはり地元の何かのシンボルが印刷されたTシャツを着ています。
小綺麗な感じの服とは対照的に、履き慣らされた皮のサンダルと、そこから覗く素足の踝が、男性的な印象を与えています。
彼のお洒落のセンスも、私の気に入りました。

「お待たせ。さあ、行こうか」
間違った道を教えられた私達、何も知らずに丘に向かいました。

              〜次回に続く〜

2004年9月30日 (木)  スイス人との遭遇 

                    〜前回からの続き〜

夕日までには、まだ十分時間があります。
私達は、気軽にお喋りをしながら、丘までの道を散歩するつもりでいました。
ところが、先を進むにしたがって、道がどんどん未開になって行くのです。
何となく、ここを通れば良いのかな、という程度の筋は付いているものの、両脇は藪に覆われ、草をかき分けて歩く、というような状態です。

「おかしいなぁ。昨日来た時は、普通に歩ける道だった筈なんだけど。どこかで、曲がる道でも間違えたかしら?」
そう言う私に、スイス人男性も、首を傾げつつ言います。
「でも、ここまで道、一本しかなかったと思うよ」
「そうよね。間違えられる場所なんて、なかったわよね。でもこの道、何となく自然消滅して行ってる気がしない?」

かといって、他の道もないので、私たちは先に進みました。
「あっ!! これ、絶対違う。昨日の道じゃないわ」
目の前には、丘が聳え立っていて、その上に行くには、ごつごつ突き出た岩の間を、両手を使ってよじ登らなくてはなりません。
「どうする? 戻るかい?」
「・・・・・・戻ったら、夕日には間に合わないわよね」
「登るかい?」
「ここ登ったら、せっかくシャワーを浴びたのに、泥だらけになっちゃうわよ」
「ハハハ、そうなったら、またシャワーを浴びれば良いさ」

私たち、そこを登り始めました。
すると、私には、ほぼロック・クライミングかと思われるその丘を、彼は簡単に、ひょいひょいと進んで行くのです。
「ちょっと! 貴方、紳士じゃないわね。こういう時、普通の男性なら、女性に手ぐらい貸すもんじゃないの?」
いきなり私に文句を言われた彼、困った様子で戻って来ました。
「スイスの女性はね、男がそういう事をすると、嫌がるんだよ。『私にこの位のことが、出来ないとでも思っているの』って、噛み付かれるんだ」
「ねえ、私、スイス人に見える? せっかくの男性にエスコートしてもらえるチャンス、拒否するなんて、スイスの女性はどうかしているわね」

私は、そのスイス人男性に手を引かれ、時には身体をしっかり支えてもらいながら、その丘を登りました。
彼、痩せてはいるものの、かなり背が高く、骨格もしっかりしています。
彼の胸の辺りまでしかない私の身体など、軽々と片手で抱えることが出来、私は、軽い驚きを覚えたと同時に、何だか良い感じがしました。
そして、彼の助けなしには、私には登れそうにもない丘なのですから、私達は何の躊躇もなく、スキンシップを楽しむ事が出来ました。

私達が丘の上に着いた時には、夕日はすっかり沈んでいて、あたりは暗くなっていました。
「夕日、間に合わなかったね。もう一度、明日来なくちゃいけないね」
私達は、夜の丘に座り、明日もう一度会う約束をしました。

この夕日を見るという約束が、単にもう一度会うためだけの口実である事は、二人とも既に分かっていましたが、そのことは、どちらも口にしませんでした。

                〜次回に続く〜

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