2005年8月2日 (火)  違うんじゃないの?

【Emanzipation(エマンツィパツィオン):男女の同権化、女性の解放・自立】
スイス人(特に女性)を語る上で、この概念は決して欠かせない、最も重要なものです。

『男女の価値は平等な筈』→『女だって、男と同じことが出来る』→『女だからというだけで、男に馬鹿にされちゃいけない』→『男は機会がある毎に、女を下に見ようとしている』……。
スイス人女性のこの考えは、日常生活の些細なことに至るまで強く根を張っています。
また男性は、女性がそう考えていることをよく知っていますので、余計なことをして反感を買わないよう、神経を尖らせています。

男女の同権化……
このこと自体は、当然のことでしょうし、女性の社会進出が妨げられているとか、職場で同じ仕事をしているのに給与の差があるなどというのは、やはり改めなくてはいけないことだと思います。
しかし、私の目に映るスイス人女性のそれは、正直に言って、首を傾げてしまうことなのです。

いくつか例を上げてみましょうか?

バック・パッカーとおぼしき、白人のカップルが、男女とも大きなリュック・サックを背負い、汗びっしょりになって歩いているなどというのは、旅行先で見たことのある方もいるかと思います。
これだけでは何も不思議ではありませんが、私が首を傾げるのは、女性の方が遙かに大きな鞄を持っている、もしくは、男性は小さいリュック・サック1つなのに、女性は前と後ろに2つの大きなリュック・サックを背負っているというような場合です。
こんな状況で、身軽にすいすいと歩いていく男性の後ろを、女性が真っ赤な顔で必死に追っている、などという光景を見かけるのです。
仮に彼が「持とうか?」と聞いても、彼女たちは「いいえ、自分で持てるわ」と、つっけんどんなぐらいに答えます。

もしくは、前回一緒にマウンテン・バイクを乗りに行った女性が、その後いくら誘っても、良い返事をしないなどということもあります。
彼女が何故一緒に行きたくないのかは、決して教えてもらえません。

あるいは、ある日突然、一緒に暮らしている女性が言い出します。
「今日からは、お互いに自分の洗濯物は、自分ですることにしましょう」
一緒に洗っても手間は同じ筈なのに、何故でしょう?

これは全て、このEmanzipationと関係しているのです。
重い鞄を絶対に自分で背負い通すのは、「女だって男と同じことが出来る」ということを言いたいのです。
それを証明するためでしたら、彼女たちは、20圓離札瓮鵐搬泙世辰董喜んで担ぐことでしょう。

マウンテン・バイクに二度と行かないのは、彼と同じスピードで、彼と同じ危険なコースを、彼のように楽しんで走ることが出来ないからです。
「私には、ちょっと難しいみたい」とか、「少し加減して走ってくれないかしら?」などというのは、プライドが許しません。
例え彼の方が、はるかに大きな体をしていても、そんなことは関係ありません。女だって、男と全く同じことが出来る筈なのです。

洗濯を分けるのは、濡れた洗濯物の入った重い篭を持って、アパートの階段を上るのが嫌だからです。
「これ、部屋まで運んでくれる?」などとは、口が裂けても言いません。
それどころか、「彼がそれを自発的にしないのは、洗濯は女の仕事だとでも思っているからではないか?」とすら疑っているのかも知れません。

男女同権というのは、私の考えでは、『男性と女性の違いを同じ価値として認めること』だと思うのですが、スイス人女性にとっては、『男性がしていることを女性もする』ということのようで、ともすると『女性らしさは捨て、男性のようになる』という風にすら見えるのです。

そのせいか、こちらの女性はいつもぴりぴりしていて、何かというとヒステリックな調子が入ります。
また上手に主導権を握って、男性を手の内で遊ばせるなどという芸当は、思いつきもしなければ、実際出来もしないようです。
(西洋のウーマン・リブがアジアに根付かない理由は、この辺にあるのではないでしょうか?)

……賢い日本人女性の皆さん、この際、天下を取っちゃいましょうか?

2005年8月3日 (水)  黄色いズッキーニ

この間日記にも書いたように、私は先週の月曜日、義父母宅を訪れました。

日本へ出張に行った義兄が戻り、家族(妻、3人息子)を連れて来るので、遊びにおいでと言われたのです。
夫B氏はいませんでしたし、義理の家族の中に一人きりというのは、あまり気の乗らない誘いではありましたが、義父が車で迎えに来るとなっては、断ることも出来ません。

さて、義父母宅で私たちは、一緒にお昼を食べたのですが、それはこんな具合でした。

まず、出て来た料理は、マカロニ、それにかける鶏肉の入ったクリーム・ソース、サラダ、メロン、ロール・ケーキです。
ロール・ケーキは、昨日の内にでも作ったのでしょか、既に出来ていましたので、この中で調理のいる物は、クリーム・ソースだけです。
鶏肉を炒めて、クリームを入れて味付け、といったところでしょうか?

ところが、一応嫁の礼儀として、私が「何か、手伝うことはありますか?」と台所を覗くと、義母はてんてこ舞いといった感じで、ストレス100%のオーラを出しています。
これは大変ですから、私は、テーブル・セットや出来上がった物を運んだりして、義母の仕事を減らすことにしました。

料理が出来上がり、皆がテーブルに着くと、いつものように長男H太がぐずっています。
彼は食事に興味がないようで、何かを食べさせるのは、毎回一苦労なのですが、今日は熱もあるようです。
H太は、ここぞとばかり甘えて、寝椅子に横になったまま、義兄が日本から買って来たポケモンのお弁当箱に、食事をちょっとずつ詰めてもらっています。
一方、三男M太は、食べきれない程のマカロニを皿一杯に盛り、義母からもらったケチャップを、そのマカロニよりも多く出しています。
義姉は、マカロニをたった三本だけ皿に取ると、まるで普段誰とも話す機会がないとでもいうように、自分の言いたいことを一方的に話し出しました。

私は、義兄の日本滞在中の話が聞きたかったので、義姉の話が一段落しそうになると、それとなく話題を振っていたのですが、毎回途中で義姉の大声が割って入り、全く関係のない話にすり替えられてしまいました。
そして食事の間中、義父は子供と遊び、義母は義姉の話に相槌を打っていました。

そんな昼食が終わると、義兄は歯医者へ、義姉と子供たちは街へ行き、私は一人きりで義父母と家に残されました。
「一緒に、その辺を散歩でもする?」
汚れ物を食器洗浄機に入れ終わった私に、義母が聞きました。
「はい、行きます」
家の中で義父母と座って、真っ向からお喋りをするよりは、外でも歩いていた方が気楽ですので、私は義母の提案に乗ることにしました。
一時間ぐらい散歩をしたら、頃合いを見て、家に送ってもらおうと思ったのです。

散歩に出ると今度は義母が、義姉のいる間に出来なかった分を取り戻そうとでもするかのように、私の興味などお構いなしに、話をし始めました。
仕方がないので私は、暫く耳を傾け、「この辺かな」と思うところでは驚いて見せ、和やかな一時になるように気を配りました。
その成果があったのか、散歩が終わる頃には、それなりに本音の話も出来、期待したよりは楽しい時間になりました。

そして、そろそろ家が近付いて来た頃、義母がぼそりと言いました。
「みんつは、黄色いズッキーニを植えたのね」
急な誘いで何の用意もなかった私は、家を出る時に、庭からズッキーニを二本取って、義母に持って行ったのです。
「本当のことを言うとね、私も黄色の方が美味しいと思うのよ」
「??? 味の違いはよく知りませんが、ズッキーニぐらい黄色にしないと、うちの食卓は緑一色になっちゃうと思って……」
「ああ、それも一つの理由よね。私の夫はね、『うちはいつも緑のズッキーニを植えていたのだから、今年も緑で良いんだ』って言って、黄色を植えてくれなかったのよ」

……お義母さん、ええと、これは、ひょっとして、重大発言なのでしょうか?

2005年8月4日 (木)  B氏流、快適睡眠法

男性がよくやることで、私にはどうしても苦手なことが一つあります。
それをされると、百年の恋もいっぺんに冷めてしまうというか、蹴ってやりたいぐらいの衝動にすら駆られるのです。

『ソファーでリモコンを片手に、テレビを点けっ放しにしたまま、居眠りする』……これが、何故かは分りませんが、私は生理的に嫌いなのです。
あ、一言付け加えておきますが、昼寝なら良いのです。これを、夜、布団に入るべき時間にやられるのが、どうにも駄目なのです。

皆さんもご存じのように、我が夫B氏は、現在週末だけ帰宅します。
平日にすっかり夜更かしの癖が付いている私としては、金曜日の夜は、「今日は美味しい物を作って、B氏と深夜映画でも見ちゃおうかな」という気分なのですが、何故かB氏は、9時にもならない内にぐったりとしているのです。
そして、上に書いた、ソファーでの居眠りを始めます。

「ちょっとB氏、眠るなら、寝室に行ってよね!」
まさか本当に蹴るわけにも行きませんので、私はいくらか乱暴にB氏を突きます。
「え? 寝てないよ、俺は」
「うそだね。今、目を閉じていたもの。歯を磨いて、ベッドでちゃんと寝なよ」
「本当に寝てないよ。薄目を開けていたのさ」
「へぇ〜、B氏って、起きたまま鼾がかけるんだ。すごいねぇ〜」
「俺、鼾かいてたのか!?」
「ほら、寝てたんじゃん。もう、止めてよね、ここで寝るのは!」
我が家ではこんな会話が、週末になる度に繰り返されていました。

そりゃあ、B氏は仕事で遠くに行っていますが、泊っているホテルは、職場の目の前です。
以前は、毎朝1時間近くかけて出勤していましたし、夜だって12時過ぎまで起きていたのに、こんなことはありませんでした。
一体B氏は、平日に何をやっているのでしょう?

「B氏、そんなに疲れて帰って来るのは、おかしいんじゃないの? 毎日、何時に寝てるの?」
「9時ぐらいかなぁ」
「起きるのは何時?」
「7時半かな」
「10時間半……。仕事の後に、口うるさい妻の相手はしていないんだし、レストランに行けば食事は出てくるし、掃除や洗濯だってないし……前とは違って、今平日は、仕事をしているだけよね。何でそんなに疲れるの? 何なら、無理して週末に戻って来なくても良いのよ」
「いや、それはちょっと……ホテルじゃさ、何かよく眠れないんだよ。眠りが浅いって感じでさ」
「そのホテルの周り、うるさいの?」
「いや、全然」
「……」

さて、今週はB氏、研修に参加するため、昨夜も家に戻って来ました。
「へへ、今週は一晩多く、ぐっすり眠れるぞ」
そう言うとB氏は、隣で横になっている私の下に腕を無理矢理通し、まるでぬいぐるみを抱えるかのように、私を力任せに引き寄せました。
「ちょっと、痛いよぉ。私はテディー・ベアじゃないんだから、関節は、逆には曲がらないよ。髪の毛だって、絶対今抜けたと思うな。もう少し気を付けてよね」
「おお、悪い、悪い。でもさ、こうしていると、よく眠れるだろう?」
そう言ったかと思うと、やはり2秒で高鼾をかき始めました。
そして今朝、6時に起きたB氏は、爽快に家を出て行きました。

……B氏よ、あんたと一緒だと、痛いし、狭いし、うるさいし……私は、一人の方がずっと良く眠れるよ。

2005年8月5日 (金)  何か怪しいぞ

私には、まあまあ仲良くしているお婆ちゃんが、二人います。
一人は、大家さんの母親であり、この家の持ち主でもある、下の階に住んでいるお婆ちゃんです。
仮に彼女を、A婆ちゃんと呼ぶことにしましょうか。
このA婆ちゃんは、私が畑に出ると必ずやって来て、何やかやと理由を付けては、私と一緒にお喋りをしようとします。
正直に言うならば、たまにはさっさと浅葱だけ摘んで、家に入りたい時もあるのですが、私はかなり不定期に食事をしていますので、「ちょっと今、ご飯を食べるところだから」とは言い難い時間帯の場合が多く、私は毎回にこやかに、空き腹でお喋りなどをしています。
まあ、このお婆ちゃんのおかげで、多分私は、誰にも意地悪をされずに済んでいるのではないかと思うので、これぐらいしても罰は当たらないでしょう。

もう一人のお婆ちゃんは、仮にE婆ちゃんとしましょうか。
E婆ちゃんは、私に畑を提供してくれたお婆ちゃんで、彼女も私が畑に出ると、時々お喋りをしにやって来ます。
そして、私がはっきり断れないでいると、まだ耕している途中の場所に、じゃんじゃんじゃが芋を植えてくれたり、「あんた、ナメクジの退治をしたいんだってね」と言って、バケツ一杯の砕いた卵の殻を、ズッキーニの周りに蒔いてくれたりします。
このお婆ちゃんは、いつもある程度用が済むと「じゃ、これ以上は、あんたの邪魔をしないからね」と言って、さっさと帰って行きます。

私は、それぞれのお婆ちゃんと、それぞれの付き合い方をしているのですが、何度も会っている内に、二人がかなり違うタイプの女性なのではないか、という気がして来ているのです。
A婆ちゃんは、面倒見の良い気丈な姉御肌タイプですが、一人で家にいることが怖かったり、植えている花の色がオレンジやピンクのところを見ると、本当は、案外繊細なのではないでしょうか?
そして時々、「xxは、こうあるべき」というスイス人特有の気質が、顔を覗かせます。
「ああ、いつもそんなにきちんとしなくても良いわよ」とは言ってくれますが、私の本能みたいなものが、「きちんとしておいた方が良いぞ」と言うのです。

E婆ちゃんは、一見可愛らしい感じの女性です。
柔らかい女性的な雰囲気で、私に対しても、どこか遠慮している風があります。
初めて私の所に来た時に、自分の土地であるにもかかわらず、「あんたの畑に入っても良いかい?」と聞いたのです。
しかし、元々そこに植えてある果物の枝など、私が好き放題に切ったりしても何も言いませんし(一応、「切っても良いか」とは聞きました)、私が何かを質問しても、「ああ、心配要らないよ。放って置いても、いつかその内ちゃんと生えてくるよ」といった風で、見かけよりもずっと大らかな性格のようです。

さて、この二人のお婆ちゃんですが、実は一つおかしなことがあるのです。
それは、これほどしょっちゅう二人と顔を合わせているのに、私はまだ、二人一緒にお喋りをしたことがないのです。
A婆ちゃんが私と一緒の時には、E婆ちゃんは姿を見せません。その逆に、E婆ちゃんが私の畑にいる時は、A婆ちゃんは家から出て来ないのです。
ね、何かおかしいでしょう?
しかも、E婆ちゃんはたまに「A婆ちゃんは、家にいるのかね?」と、私に聞くのです。
これは、何でしょうかね?

そうそう、言い忘れましたが、この二人は義理の姉妹です。
A婆ちゃんの弟の嫁が、E婆ちゃんです。
二人とも、もう長い間未亡人で(20年ぐらい?)、大きな家に一人暮らしです。そして、この2つの家は、目と鼻の先です。
隣村に住んでいるA婆ちゃんの別の義妹は、よく遊びに来て、一緒にゲームなどをしているのですが、E婆ちゃんのそういう姿は、まだ見たことがありません。

……そういえば、私も義姉とは、気が合わないんですよねぇ。

2005年8月7日 (日)  お知らせ

皆様へ。

月曜日は、ちょっと街に行って来ます。
ですから、日記の更新は、火曜日になります。

せっかく覗きに来てくださったのに、申し訳ありませんが、もう一日待って下さいね。

みんつ

2005年8月9日 (火)  簡単なこと

昨日は、朝起きると向かいの山が、うっすら白くなっていました。
8月だというのに、日本の皆さんは、35度を超えるような暑さの中で、ひーひー言っているというのに、アルプスには雪が降ったのです。
我が家の標高では(1200m)雨でしたが、もっと上の山にいる牛たちは、きっと寒い思いをしたのでしょう。

そんな天気の中、私は今、太陽が出ると表へ行き、熟れて落ち出しているスグリの収穫をしているのですが、この木、かなり茂っていまして、実を取るには枝を刈らなければいけないのです。
どうせ切らなくてはいけないのなら、来年のために、いっそすっきりさせてしまおうと思った私は、実の付いていない枝も切り落としているのですが、これは、基本的に生ゴミ扱いです。
我が家の場合生ゴミは、酪農家R氏の堆肥置き場に捨てていて、これは後ほど機械で細かくされ、草原に撒かれるのですが、この枝は機械に入れるには、少し大きいかも知れませんので、私はR氏に確認することにしました。

「R氏、この枝は、堆肥置き場に捨てても良いですか?」
私は、通りの向こうにいるR氏に、枝を1本見せました。
「ああ、良いよ」
「このまま捨てちゃって良いの? それとも、細かく切りましょうか?」
「いや、そのままで大丈夫。大体親指より細かったら平気だけど、それ以上のものは、機械が詰まるから捨てちゃ駄目だ」
「親指って、R氏の? それとも私の?」
そう言って親指を立ててみせる私に、連れの男性は笑っています。

長閑な午後です。その筈でした。
ところが、R氏が、それを台無しにしました。
「そうそう、ビニール袋は捨てないでくれよ」
「??? これは、ただの枝ですけど……」
「この間、堆肥置き場に紙皿だの何だのが入った、ビニール袋が捨ててあったんだ。あそこには、そういうゴミは捨てないでくれ」
「それ、私じゃありません。誰か、別の人です」

私は、さらりと流して会話を終わりにしましたが、正直に言うなら、がっかりしました。
「まただ」というのが、最初に思ったことです。
10年もスイスに暮らしていて、日本だってスイス以上の先進国なのに、R氏は、私がゴミの捨て方も知らないと思っているのです。
去年の10月に引っ越して来てから今まで、一度だってそんなことはなかったのですから、少し考えれば分ることなのに、何か不都合があると、真っ先に外国人である私が疑われるのです。
つい先日は、良い雰囲気でレタスとソーセージの交換について話したばかりなのに。

残念なことですが、これは特別なことではありません。
多分、何年暮らしていようが、この無意識の差別は、なくならないのだと思います。
私が、完全にスイス人と同じように、受け入れてもらえることは、一生ないのでしょう。
これは、スイスだけではないでしょうから、ある意味で覚悟はしていますが、それでも寂しいものです。
こういう時私は、外国で暮らしていることが、少しだけ嫌になります。

しかし次の瞬間、こう思いました。
「良いじゃないか、放っておけ。自分だけの小さな世界しか知らない人は、大目に見てあげたって、大したことじゃない」
これは、仏教思想の影響でしょうか。私が常に感じる、日本人としての強さです。
こう思った瞬間、全てがまたいつも通りに戻ります。

日本に暮らしている外国人も、今では随分増えているのではないかと思います。
皆さんの周りにも、きっとそんな人がいることでしょう。
今日は、そんな皆さんに、私からのお願いです。

もし通りでそんな外国人を見かけたら、にっこりと挨拶をしてあげて下さい。
何も、夕飯に招待して面倒を見ろ、とは言いません。ただ普通に、「こんにちは」と言ってあげて下さい。
そして、もし機会があったら、日本語で構いませんから、ほんの少しでもお喋りをして、その人がどんな人か理解しようと試みて下さい。
そうすれば、その人が「ゴミの捨て方ぐらい知っている」かどうか、分ります。
皆さんが、その人を無駄に疑わなくても済みます。
もしその人が、何か分っていないようでしたら、間違える前に教えてあげて下さい。
そうすれば、その人は、無駄に嫌な思いをしなくても済みます。

そうすれば、お互いに居心地の良い生活が出来ますから。

2005年8月11日 (木)  ミス・スイス 

今日は、『2005年度、ミス・スイス』の中間報告です。

ミスター・スイスがパンツまで見せてくれるのなら、ミス・スイスだって、この位はしてもらわなくてはなりません。

あ、男性の皆様、最初に言っておきますが、スイスの女性は、想像するほど「どっかーん、ぼよよん、ぼよよん」ではないのですよ。
そして、女性の皆様は、「ふん、現実はこんなものよね。お〜ほっほっほっ」と、余裕の高笑いをなさって下さい。

では、どうぞ。

『おう、見せてもらおうじゃないか!』
(時間が経った為、画像は外しました。)

2005年8月12日 (金)  さらば、あいつ

みんつファンの皆さんは、タイトルだけで既に何の話かお分かりでしょうが、「あいつ」がまたやって来ました。
「もう秋なの?」というような毎日が続く中、やはりあいつも寒いのでしょうか、夜中になると我が家の居間に現れるのです。

今度のあいつは、先代の子供か孫でしょうか、最近の若者の例にもれず、少しばかり礼儀が悪いようで、私がソファーに座って深夜放送のボリウッド映画(インドの歌あり、踊りありの映画)などを楽しんでいるというのに、目の前を走り回るのです。
そして、先代の時に荒らされ、それ以降は一切食べ物の置いていない、台所の棚に何度も入り込んでは、お土産を置いて行くのです。
先代の時は、一度やられただけで、その後特に被害はありませんでしたから、私たち夫婦もそのままにしておいたのですが、今度のあいつは、残念ながら放っておく訳には行かないようです。

「お土産置いて行くようじゃ、退治しないと駄目だな」
夫B氏も、今回は仕方がないという風です。
「退治って、やっぱり毒団子とか?」
「いや、毒はちょっとな。棚の裏の分らないところで死なれても、嫌だろう? 罠にしよう」
「玄関に猫用の出入り口を付けてさ、近所の猫に来てもらうっていうのは、どうかな? だってさ、罠って、ばちんって挟むやつでしょう? トムとジェリーじゃないんだし、板くっ付けたねずみが歩き回ったりしたら、気味悪いんじゃない?」
「板じゃなくて、檻のやつだよ。捕まったねずみは、野原にでも放しに行けば良いだろう」
「放しに行けばって、B氏は平日いないんだし、檻に入ったねずみを持って村の中をうろうろするなんて、何か私、心優しき良い人みたいじゃん。ちょっと恥ずかしいなぁ」
「もちろん、檻は袋に入れて行くんだよ。それとも、ねずみ捕獲は週末だけにするか?」
「……いや、今やる。ねずみは、私が放しに行くよ」
こうして私たちは、あいつと決別することにしました。

「ねずみ捕り、下さい」
「殺すのですか? それとも生け捕り?」
「生け捕りの方を下さい」
「それは、よろしい! で、色々とありますけど、どんなタイプがご希望ですか?」
「どんなタイプが良いのでしょうかね?」
「そうですね、どんなチーズを餌にするのかにもよりますけど」
「チーズではなくて、xxで釣ろうと思っているのです」
「貴方、それは大正解ですよ。私も色々試しましたが、それが一番有効です。捕まえたねずみを放す時は、家から離れた所に行って下さいね。……別の家の前、っていう手もありますけどね、ひひひ」
店員とこんなやり取りをして、先日B氏は、ねずみ捕り用の檻を買って来ました。

「みんつ、買って来たぞ。見ろよ、これでばっちりだ」
「何か、随分素朴な檻だねぇ」
「それと、これはねずみの餌だから、食べちゃ駄目だぞ」
そう言うとB氏は、ねずみの餌をそっと冷蔵庫にしまいました。
「ええ、ちょっと待ってよ。それ、冗談でしょう? いくらスイスのねずみだからって、それは……」
「いや、本気だよ。皆に聞いたんだけどな、全員口を揃えて、これが良いって言うんだ」
「私のこと、かついでいるんじゃないわよね?」
「違うよ」
「じゃあ貴方、騙されているのよ。皆、にやにやしてなかった?」
「してないよ。本当に、これが良いんだよ。店員だって、そう言ったんだぞ」
「本当かなぁ……」

皆さん、信じられますか?
B氏が買って来た餌は、『リンツのミルク・チョコレート』なのですよ。
私が普段食べているのより、高いやつだしなぁ……

2005年8月15日 (月)  1日の始まり

みんつ家の朝は、楽しく始まります。
「あれ、みんつさんて、朝弱いんじゃなかったっけ?」
今そう思われた方、大正解です。
では、何故楽しく始まるのでしょうか?
それは、こんな具合なのです。

毎朝一人で起き、ミュースリー(シリアル)に牛乳をかけ、一人でもそもそ食べ、仕事に行く夫B氏に対して、私は日頃からとても感謝していますし、それと同時に、申し訳ないとも思っているのです。
しかし、どんなに気持ちはあっても、やはり起きられないものは起きられませんから、せめてもと思い、私は前夜の内にちょっとした工夫をしておくのです。

例えば私は、翌朝のために用意してある、B氏のミュースリーの横に、醤油や胡椒などを置いてみたりします。
それを見たB氏は、多分ちょっと笑い、お返しに、私が朝起きるとまず点けるPCの横に、油漬けイワシの缶詰などを置いて、出勤します。
それを見た私が、夜にまたこっそりと、ミュースリーに今度はマヨネーズなどを添えて置くと、翌朝私のPCには、玉葱が乗っていたりするのです。
ね、くだらない夫婦でしょう?

最近は、平日B氏が帰宅しませんから、この朝の行事は月曜日しかありません。
そして、平日と週末の生活があまりに違うため、私は月曜日の朝、ほぼ意識のない状態でB氏を送り出します。
B氏が出掛けに、「気を付けてね」とか「頑張ってね」とか、何やら言って行くのは分っているのですが、どういう意味なのかまでは理解出来ずに、「うん、またね。行ってらっしゃい」と返事するのが、私には精一杯の状態です。
そして、その後目が覚めると、私の上には、綺麗に広げたB氏のTシャツが、掛けてあったりするのです。
どうやらB氏、寝ぼけている私で遊んでいるようです。

さて、今朝のことです。
いつものようにベッドの中からB氏を見送り(少なくとも私は、そのつもりなのです)、数時間後に目が覚めると、私の右手には、バットのような物が握られていました。
「??? 何だ、これ?」
見るとそれは、先日薪割りの最中に先が欠けてしまい、新しいのと代えた、斧の柄です。
先の割れた古い斧の柄が、寝ている私の手に、握らされていたのです。
もちろん、B氏の仕業です。

「もう、朝から何やってんだよ、B氏は」
私は着替えながら、今朝B氏が、出掛けに言ったことを思い出しました。
「悪いやつに、気を付けるんだぞ」
「……」

悪いやつに気を付けろで、斧の柄を握らせたとなると、誰かが入って来たら、これで殴れとでもいうことでしょうか?
そりゃぁ、斧の柄を取り替えた時に、冗談で私は、
「B氏がいない時に悪い人が来たら、これで膝の皿を割って、一生車椅子の生活にしてやる」
などと言って、何度か素振りをして見せましたが……

……寝ぼけている私にこんな物を握らせたら、一番最初に殴られるのは、B氏、きっとあんただよ。

2005年8月16日 (火)  チャーム・ポイント

お恥ずかしい話ですが、私は、お風呂が嫌いです。
本を持って何時間も湯船に浸かる、というようなことは好きですので、正確に言うならば、生活の中のしなくてはいけないこととして、ちょこちょこっとシャワーを浴びて来る、というのが嫌いなのです。
その上、こういう田舎の生活をしていますと、空気が綺麗ですので、身体はさほど汚れた感じがしませんし、顔を合わすのは牛や鶏ばかりですから、身だしなみとしてお風呂に入ることは、ますます億劫になります。

あ、それでも分別ある大人として、社会に適応出来る程度には、お風呂に入っていますし、街に行く時や誰かに会う時などは、きちんと前の晩にシャワーを浴びていますので、皆さん、ご心配なく。
ただ、必要最低限とでもいいましょうか、簡単に言ってしまうなら、毎日こまめにお風呂に入っている訳ではない、ということです。

アルプスは、ここのところ肌寒い雨の日が続き、畑仕事で汚れることも、散歩で汗をかくこともない私は、夫B氏が家にいないこともあり、この面倒なお風呂に入るという作業を、省略することが多い生活を送っていました。
定期的に入るというよりは、「今日は、入らなきゃまずいだろう」という感じでやっているのです。
そして今日は、その「今日は、もう限界だろう」という日で、朝から「今夜は、お風呂に入るぞ」と、気合いを入れていました。

さて、夕方になり、ほんの少し日が差したので、私は急いで夕飯用の野菜を取りに、畑へ出ることにしました。
そのついでに、先日下に住むお婆ちゃんから借りた、お皿を返しに行きました。
いつも通りちょっとしたお喋りをし、畑に行こうと私が背を向けた時、お婆ちゃんは溜息をつくように言いました。
「みんつの髪は、本当に綺麗ね」

私たち日本人が、金髪の巻き毛をちょっとばかり素敵だと思うように(ちなみに私は、直毛の方が好みですが)、スイス人は、私たちの強くて真っ直ぐな黒髪に、幾らかの憧れがあるのです。
実は私、日本人としても、かなり真っ黒なしっかりした髪の毛をしていまして、しかもそれを長く伸ばしていますので、白人にとっては、どうしても気になるらしく、よく髪の毛を触られるのです。
特に男性は、引っ張らずにはいられないようです。

そして、お婆ちゃんも、私の背中に垂れている髪に、そっと手を伸ばしました。
「何か、特別な手入れでもしているの?」
「いえ、普通のシャンプーとリンスだけです。その辺のスーパーの、安いやつですよ」
「この黒い色は、オリジナルよね? それとも、染めているの?」
「オリジナルです。昔は赤く染めたりもしましたけど、今は何もしていません」
「まあ、赤だなんて! 自然のままの方が、ずっと綺麗よ」
「私もね、そう思ったんです。それに、スイスにいると、黒い方が珍しいし」
「良いわねぇ。強いし、艶々しているわ」

……今日の髪、ちょっと脂っぽかったかも。

2005年8月18日 (木)  気になるのです。

スイスで映画を見る場合、映画館でもテレビでも、ビデオやDVDにも、全ての作品に年齢制限が設けられています。

「この映画は、21歳未満の者には不適切です」とか、「16歳以上向き」という様に、暴力やお色気などの度合いによって、対象年齢が決められています。
子供用のディズニー作品などにも、「6歳以上向き」などと書かれていて、その年齢に達していない者は、映画館には入れてもらえませんし、両親もその情報を基準にして、子供に見せる映画を決めます。

簡単な例を上げるなら、『007シリーズ』は、小学生は見てはいけないのです。
ほら、ジェームスは、いささか女性の出入りが激しいでしょう?

私の個人的な意見としては、これを単なる目安にするのでしたら構わないと思いますが、子供というのは、必ずしも同じ年齢だからといって、同じように精神的にも成長しているとは限りませんし、逆に言えば、自分の子供に見せる映画を他人が決めることにもなりかねませんので、親の判断に任せれば良いのではないか、とも思いますが。

ただ、そういう決まりがあるせいか、どこの家庭の親も、自分の子供に見せるべき番組などについて、日常的にチェックする習慣があり、子供が勝手に好きなものを見られるわけではないということは、良いことだと思います。

ハリウッドのアクション映画がいかに暴力的か、そういうことを分った上で見るのか、それとも、垂れ流し状態で見ているのかでは、子供の精神衛生上、確かに影響があるのではないでしょうか?

さて、そんな風に気を配っている筈のスイスのテレビで、私には、首を傾げてしまうことがあります。
それは、コマーシャルです。
はっきり言って、どれも購買意欲をそそらないという点に於いては、皆同じなのですが、私がおかしいと思うのは、コマーシャルが視聴者に与える影響については、それほど吟味されていないように思えることなのです。

例えば、洗濯用洗剤でこんなコマーシャルがあります。
行楽地の海辺で両親はビーチに横になり、寛いでいます。5歳ぐらいの男の子が、お小遣いをもらい、側のスタンドに3人分(両親と自分)のフライド・ポテトを買いに行きます。
その子は3つのポテトを一度に持てず、ちょっと困った後、「そうだ!」と思い付いたような顔をします。
場面が変わり、両親の元に戻って来た男の子は、着ているTシャツの裾を広げた中に3人分のポテトを入れ、得意そうに立っています。
母親は、油でべとべとになったTシャツを見て苦笑いした後、洗剤の宣伝です。
「この洗剤なら、こんな汚れも真っ白!」

これ、まずいでしょう?
揚げたてのポテトをシャツのお腹に入れたら、火傷しますよね。
これを見たもっと小さい子供が同じことをしたら、命に関わることにだって、成りかねないのではないでしょうか?

別の宣伝では、母親に向かって男の子がケチャップを掛け、「ご安心を。この洗剤なら、そんな染みも残りません」。
これ、洗剤どうこうの前に、躾の問題ですよね?
母親役の女性は、まるで「こんな汚れ、大したことではないわよ」とでもいう風に、息子役の男の子に微笑むのです。

「ママ、お腹空いた!」という子供たち一人一人に、箱ごとチョコレートを与える優しい両親や、子供のお弁当に、ランドセルにそっとチョコ・ビスケットを入れる母親……

まだまだたくさんありますが、こういうのをおかしいと思うのは、私だけでしょうか?
何も、こういう宣伝を見たら苦情電話を入れろ、とは言いませんが、コマーシャルを作る側の意図が、これではやはり、ずれているのではないでしょうか?

「そんな小さな事に目くじらを立てなくても」とスイス人は言いますが、垂れ流しになってしまうコマーシャルこそ、気を付けなくてはいけないのではないかなぁ……

2005年8月19日 (金)  作品番号1、無題

以前にも書きましたが、私が夫B氏と出会い、スイスに行くと決めた時、私たちはバリ島にいました。
私は確か、どこかの電話ボックスから日本の実家に電話を掛け、「私、スイス人の男性と一緒に、スイスに行くことにしたから」と家族に告げたのです。
その時電話を取った末の妹が、開口一番で聞いたのは、「その男性、農家の人?」でした。
彼女曰く「みんつちゃんには、野良仕事は無理だから」。

今になって思えば、当時の私はスイスと聞いて「ええと、……中立?」という程度の知識しかありませんでから、「スイス=農業」(正確には酪農業ですが)という発想のあった彼女は、案外大したものなのかも知れません。
ちなみに、その時私と一緒にいた、小柄で可愛らしいのに何故か男言葉を話すA子ちゃんは、「スイスかぁ……俺、ハイジ好きなんだよな」と言いました。

そんな私が、今では酪農家だらけの村に住み、畑で野菜など作っているのですから、人間というものは、どこでどう変わるか分らないものです。
そして今日、私はまた、新境地を開拓しました。

何をしたのか、ですか?
ふふふ、芝刈りをしたのです。

あ、今、「ええ、みんつさんって、芝刈りもしたことなかったの?」 そう思った方、いませんか?
正直に言うならば、日本にいる間の私は、芝刈りなどしたことはありませんでしたが、……いえ、正確に言えば、私の実家では、庭に芝を植えたことは植えたのですが、おてんばの長女が近所の男の子を引き連れ、常にその上を転げ回っていましたので、刈る程までには伸びなかったのです……スイスに来てからは、既に何度も芝刈り自体はしています。

しかし、今日私が初体験をした芝刈りは、そういったものとはちょっと違うのです。
まず、芝を刈った場所は、かなりの斜面になっていますので、我が家にある、押して歩く器械の類では、不可能ではありませんが、簡単には刈れません。
その上、天気の悪い日が続き、放ったらかしにしておいた芝は、やはり我が家の器械で刈るには、向かないほど伸びていました。

では、どうやって芝を刈ったのか?
アルプスの酪農家が草原を刈る時に使う、大きな鎌で刈りました。

ほら、西洋画の死に神が、片手に大きな刃の付いた鎌を持っていますでしょう。あんなやつです。
実際の鎌には、あれに、右手を添える突起が付いています。
その、私の背よりも大きな鎌を持って、畑の横の斜面に生えている芝を刈ったのです。
「なんだ、そんなことか。俺(私)が子供の頃は、みんなそうしたさ」と思う方もいるでしょうが、そんな方は、ひよっこの戯言と笑いながら読み流して下さいね。

正拳中段突きの構えで鎌を持ち、肩幅に広げた両足の内側に重心を据え、腰を中心にして、ちょうど子供がいやいやをするような感じで、鎌の刃を静かに地面と平行に滑らせます。
何となく、格闘技の心に通じるものが……。
鎌自体は、それほど重くないのですが、刃先を地面に突き立てないように、斜面と平行に動かすのが、案外上腕の筋肉を使い、芝刈りが終わる頃には、私は汗をかいていました(スイスは、今日も涼しいのにです)。

「みんつ、あんたは前に、鎌を扱ったことがあるの?」
私に鎌の使い方を教えてくれた、下の階に住んでいる、元酪農家のお婆ちゃんは、少し意外だという様に聞きました。
「いいえ、今日が生まれて初めてです」
「あら、それにしちゃ、上手じゃない。初めての人は、大抵力任せに鎌を振って、刃を壊すのよ。あんたは、とても静かにやっていたから」

お世辞だとしても、経験何十年の玄人に褒められるのは、嬉しいものです。
本当は、私が今日刈った場所は、トラ刈りになっているのですけどね。
そういえば、『酪農家の芝の刈り方は、それぞれに違う。上手く刈れた草原は、芸術ですらある』なんていう宣伝が、近所の村に立っていましたっけ。

……今日から私も、アルプスの芸術家に仲間入りかな?

2005年8月22日 (月)  お祭り

週末に街で祭りがあり、心優しき私たち夫婦は、義父母を誘って出掛けて来ました。

祭りといっても小さな街ですので、特に何があるということでもないのですが、スイスの様子が、少しは分るのではないかと思いますので、アップしてみました。

ということで、今日の日記は、画像です。

『祭りへ』

・・・・・・食べ物ばかりになっちゃったけど、楽しんでもらえるかしら?

2005年8月24日 (水)  過去の記憶

皆さんは、昔どんな子供だったのでしょうか?
思い出は、たくさんありますか? 
たまには親しい人と、子供時代の話をしますか?

私はごく普通の子供でしたが、それでも一晩や二晩、面白可笑しく盛り上がれる程度の思い出話はありますし、実際、時々話したりもします。

いつも男の子に間違われ、デパートでトイレに行こうとしたら、見知らぬ小母さんに「男の子はあっちよ」と睨まれたとか、小学校の時に、女友達の間でラブ・レターを書くのが流行り、私も成り行きで他所のクラスの子にラブ・レターを出したところ、その子は偶然、私の隣の席に座っている男の子の従兄弟で、翌日「お前がxx君に出した手紙、俺も読んだから」と言われたとか、友達の家に遊びに行くと必ず紅茶が出て、その子のお母さんがいなくなると、棚に飾ってあるいかにも高そうなブランデーを、こっそり入れて飲んでいたとか、そんな話です。

大抵の人は、そうなのではないかと思うのですが……。

ところが、知人のスイス人に、子供の頃の記憶が殆どない男性がいるのです。
特別に辛い境遇に育ったとか、知的障害を引き起こす様な病気にかかった訳ではないのですが、何を聞いても「よく憶えていない」ということなのです。
両親は至って普通の人たちですし、彼自身も、穏やかな人から好かれる性格をしていますので、精神的なトラウマがあるということでもないようです。
彼は単に、ひどく記憶の悪いたちなのでしょうか?

それでも時々は、ちらりちらりと記憶の断片といった感じの話が出ますし、私も根気よく質問し続けていますので、少しばかりの情報は集まりました。
そして、いくつかの話が、私には「ん? 何か怪しい」と思えるのです。

例えば、彼は子供の頃、猫を飼っていたそうです。
それは、彼の両親がどこかからもらって来た雑種の猫で(スイスには、野良猫はいませんので)、彼はそれなりに可愛がっていたそうです。
ところがある日、彼の母親が、深刻な顔で打ち明けました。
「実はあの猫だけどね、貴方がこの前、学校の旅行に行っている間に、死んでしまったのよ」
「……」
でも、彼の家には、今まで飼っていたものと同じ猫がいるのです。大きさも色も、何もかも同じように見える猫が。
この猫は、一体どこの猫なのでしょう?

小学生のある時、彼は友達と近所の森を歩いていて、おかしなものを見付けました。
中年の男性が、大きな木の根元に座って、うなだれているのです。
友達と側に寄って見てみると、その男性の首には、縄が掛かっていました。
その後彼は、多分、急いで家に戻って母親に報告をしたのだと思うのですが、この辺からの記憶が、どうも曖昧なのです。
森の様子、男性の首の角度や縄の感じなど、彼にしてみれば、かなりはっきりと憶えているのですが、母親に聞くと「そんなことは、決してなかった」と言うのです。
これは夢であったのか、本当に起こったことなのか、いまだに彼は、確信が持てないでいます。

彼の両肩は、骨が幾分突き出たような感じになっていて、普通の人に比べ、脱臼し安いそうです。
いつからそうなっていたのかは分りませんが、彼が気付いた時には、既にそういう肩だったそうです。
ある日ふざけて彼は、母親に言いました。
「本当は、俺が赤ん坊の時、お袋が落としたか何かしたんじゃないのかい?」
彼は、「何、ばかなこと言っているの」という、笑いが返ってくると思っていたのですが、母親は、はっと息をのみ、話を変えました。
ひょっとして、彼はポイントを突いてしまったのでしょうか?

……今度私に、こっそりと真相を教えて下さいね、お義母さん。

2005年8月25日 (木)  こんな時だからこそ

日本のニュースでも流れているようですが、スイスは今、洪水だの土砂崩れだのと大変なことになっているようです。
「……ようです」というのは、私の住む山の上では、毎日霧雨の天気が続き、寒く鬱陶しい状態ではありますが、特に変わったこともなければ、危険を感じる風でもないからです。
つまり、私自身も日本の皆さんと同じで、新聞やテレビのニュースを見ているだけなのです。

テレビのニュースでは、洪水関係の特別枠が出来、毎日長々と各地の映像を流していますし、その中のいくつかの場所は、私も訪れたことがありますので、出来るだけ被害が少ないこと、一日も早く復興することを願ってはいるのですが……

実は、少々うんざりすることもあるのです。

私がまだ日本にいた時、国内の自然災害のニュースで、「『こんな状況なのに、誰も壊れた店から盗んだりしないし、お互いがきちんと協力し合い、静かに配給の列を作ったりしている日本人は素晴らしい』と、外国人ジャーナリストたちからのコメントが入っている」ということを、聞いた覚えがあります。

当時の私は、「へ? そんなの、当たり前の事じゃないの?」と思っていましたが、今、スイスで似たような状況に立たされた人々のことを聞くにつれ、それが、こっちの人にとっては驚くべきことだというのが、少しずつ分って来たような気がします。

どういうことかといいますと、ニュースを見ていると、毎回のようにジャーナリストのこういうコメントが入るのです。
「避難命令が出ている地域住民の内、x人が避難を拒んでいる」
「危険なため、立ち入り禁止区域指定をされている場所に、住民が勝手に入り、x人が行方不明になっている」
また、避難した住民へのインタヴューでは、こんな声も聞かれます。
「出来れば、家に残りたかった」
「十分な世話がされていないのは、軍の手配が悪いせいだ」
「知人が家に来て良いと言ってくれるが、あそこは狭いから、行きたくない」

もちろん、そんな人ばかりではありませんが、これ、皆さんはどう思われますか?

避難や立ち入り禁止の勧告は、国民の命を守るのに必要だから出ているのです。
それを勝手に破って事故が起きたら、そのためにレスキュー隊なり軍隊なりが、余分な仕事をしなくてはならなくなるとは、スイス人は考えないのでしょうか?
こんなに各地で災害が起こっていたら、しかも急なことですし、十分ではないにしても、援助物資が早く届いたことに、感謝する気持ちはないのでしょうか? 他所だって、きっと困っているのです。
多くの地域では、偶然そこに居合わせた旅行客が、町の掃除を手伝っているところもあると聞きます。
「あの家は狭いから」……ええ、確かに狭いでしょう。でも、申し出をしてくれた家族だって、貴方たちが来たら不自由になるのを承知で、言ってくれたのですよ。何も、テレビでコメントしなくても良いでしょう?

こんな事を毎日見ていると、災害時ですら日本人がいかに他人を思いやれるのか、驚くべき事ですよね。
そういえば、アジアの津波災害の時にも、こんなコメントはなかったように思います。

スイスは、保険が行き届いた国ですので、大抵の損害はある程度(全部?)保証される筈です。
今は不自由でしょうし、思い出の品などがなくなったことは、ショックなのも分ります。
そう言う人に、酷いことは言いたくないですが……

怪我もなく避難出来たのですから、少し待ちましょうよ。
不便な部分は、みんなで協力して、何とかしましょうよ。被害にあったのは、自分だけではないのですから。
「うちにおいで」と言ってくれる人がいたことを、喜びましょうよ。

……まったく。

2005年8月26日 (金)  田舎の先生たち

私たちの生活は、数字で動いています。
「今は12時だから、お昼ご飯を食べなくちゃ」「もう5月の中旬だから、そろそろ野菜の種を撒く頃ね」「今夜の気温はx℃になるから、プランターは家に入れた方が良いかも」……。

昔の賢い人たちが、月や太陽や影の長さや色々なものを観察して、皆の生活に共通の基準を作り、それはとても便利なものですから、私たちは大いに活用しているわけですが、今日私は、玉葱を収穫していてふと思ったのです。

野菜はカレンダーなど知らないけれど、いや、元々脳がないのですから、考えるとか本能で感じるなどということもないわけですが、それでもきちんとすべきことをしているのです。
寒い夏なら、葉を茂らせることはせずに、小さいままで花を咲かせて種を落とすし、暑い夏なら遠慮なく伸びて、やっぱり種を落とします。
間違えたりしないのですよね、野菜は。

「茎が倒れているし、雨が続いてばかりだから、もう収穫しちゃわないと、地面の中で腐ってしまうかも知れない」
近所のお婆ちゃんがそう教えてくれたので、私は今日玉葱を掘ったのですが、面白いぐらいちゃんと玉葱が出来ていました。
そして、腐っていた玉葱は、たったの1個だけでした。
お婆ちゃんが教えてくれなかったら、せっかく大きくなっていた玉葱も、腐ってしまったかも知れません。

このお婆ちゃんの判断基準は、「x月x日だから」という数字ではありません。
まあ、大まかな目安として「x月頃」というのはあるのでしょうが、それでも最終的な判断は、自然に合わせてです。
「ああ、私が畑に魅せられる理由は、こういう事なのかも知れないな」と思ったのです。

茎の倒れ具合で収穫を決め、ツバメの飛ぶ高さで水撒きを止め、xxの隣に○○を植えてアブラムシを防ぎ……こういう事を知らなくても野菜は出来ますが、知っていると、より良い野菜が出来ます。
そういう知恵は、それぞれが各自の経験を通して得たもので、唯一無二のものではないのです。
しかも、新米のこの私が知っていて、畑歴何十年のベテランが知らないことだって、たまにはあるのです。
それは、各々のした経験が違うからですよね。

自然というのは、私たちの都合には合わせてくれません。
私たちが、妥協していくしかないのです。
そして、私たちがきちんと学んだことに関しては、ちゃんとご褒美をくれます。ずるは通用しません。
美味しい野菜が欲しかったら、野菜の都合を受け入れなければいけないのです。

……でもね、これがぱちっと合った時、プロもびっくりの野菜が取れるんです。

2005年8月29日 (月)  お詫び

皆様へ。

今日は、久しぶりにいくらか良い天気でしたので、庭仕事に精を出してきました。
思わぬ所から、植えた覚えもないピンクのじゃが芋が出て来たりなどして、有意義な午後でした。

あっという間に夕方になり、お風呂で汗を流し、喉が渇いたので当然アルコールを飲みました。
「さあ、何を書こうかなぁ」
と、PCの前に座ってはみたのですが、心地良い労働の後の空きっ腹にアルコール……

へへへ、気分は良いのですが、頭が集中しません。

ということで、大変申し訳ありませんが、日記は明日までお待ち下さい。

            みんつ

……さあ、これで遠慮なく飲めるぞー。

2005年8月30日 (火)  苦手なんです。

本音と建て前という言葉は、日本人を表すものとして良く使われますが、これは、スイス人にも当てはまります。
日本人の場合、これはあくまでも、礼儀正しく振る舞わなければいけない相手との関係に置いてだけだと思うのですが、スイス人の場合は、幾分ややこしいのです。

彼らの中には、「これは正しいこと」「これは正しくないこと」という基準があり、その「正しくないこと」に属する意見や気持ちは、「言うべきでないこと」として、家族や友人間でも隠される傾向にあります。
しかしこれは、「正しくないこと」であるから「望まないこと」であるのかというと、やはりそこは人間ですから、そんなに簡単には割り切れていないのが事実です。

例えば、今年の春、下の階に住むお婆ちゃんは、私に自分の畑を使って良いと言ってくれました。
その時彼女が言ったのは、「自分はもう年で畑仕事はきついし、膝も悪いから、貴方がやってくれるなら助かるわ」です。
私の大家であるお婆ちゃんの娘が、いい加減な態度を取ったために、私が使えるはずの畑がなくなってしまったことを、後ろめたく感じていたからか、本当に畑を誰かが使ってくれると、都合が良いと思っていたところだったのかは、私には分りません。

そして夏の間中、畑に出ている私を見ては、「みんつがやってくれて、本当に助かったわ」とか「うちの娘たちも、貴方が畑をしてくれるので、喜んでいるのよ」などと言っていましたが、これも本当にそう思っているのかどうか、私には分りません。

私が何かを推察できる事実は、それでもお婆ちゃんはトマトを植え、雑草を抜き、たくさんの花の世話をしている、ということです。
これに関しても、多くのスイス人同様、何もしないでいられないからしているだけなのか、本当は庭仕事がしたいのか、私には分りません。

さて、スイスはもう秋のような気候で、主な畑仕事は、収穫から冬前の準備へと移り出しています。
野菜のなくなった部分を軽く掘って、土を再び軟らかくしておくのです。
これは正直に言うなら、お婆ちゃんがそうしろと言うのでしているだけで、私としては、放って置いても良いのではないかと、思っているのですが。

「秋の畑は、やることがいっぱいあって大変なのよ。今年はみんつがしてくれるから、助かるわ」
お婆ちゃんはまた、そう言いました。
「今年はよく分らなかったから、適当に色々植えましたけど、来年は一緒に相談して、お婆ちゃんの好きなものも植えましょうね」
こうすれば、お婆ちゃんも遠慮なく庭の野菜が取れるでしょうし、私としては、彼女が今まで買わずに済んでいたものは、今後も買わないで済むようにしたいのです。
我ながら、良い案ではないかと思ったのですが・・・・・

「来年もやるの!?」
お婆ちゃんの口から真っ先に出た言葉は、こうでした。
これは、「来年は自分でやるつもりだったのに」なのか、「1年で音を上げると思っていたのに、大したものだわ」なのか、どちらでしょう?

「ええと、もし差し支えないのなら、来年もやろうと思いますけど。でも、お婆ちゃんがまた自分でやりたいなら、私は他所に十分な場所がありますし、ここは返します」
「ここは、もうやりたくないの?」
「いえ、そんなことはないです。ただ、お婆ちゃんの楽しみを取り上げたくないから」
「ああ、私はもう畑はやりたくないのよ」
……でも、トマトやお花植えて、毎日庭仕事してるじゃん。

「私、上の畑を広げるつもりですから、場所は十分過ぎるほどありますので、もしお婆ちゃんが自分でやりたいなら、本当に問題はないですよ」
「私は良いのよ。それに、来年はもう、畑なんて要らないかも知れないし」
「え、何で?」
「死ぬかも知れないから」
「ハハハ、そんなこと……大丈夫、お婆ちゃんはまだ、艶々していますから、当分死なないですよ」
……大体、お婆ちゃんが死んだら、私たちだって追い出されるでしょう。
「あら、そう?」
「本当に畑は、要らないんですか? 私に気を使っているなら、不必要ですよ」
「ああ、みんつがやってくれると助かるわ」
「じゃあ、私がやりますけど、何を植えるかは、一緒に考えましょうね」

……ひゃ〜、分かんないよぉ、ホントに。

2005年8月31日 (水)  それは無理です。

人に言うほどでもありませんが、私は読書が好きです。
そして多分、読むのも早い方で、普通の小説なら1日に3冊ぐらい読めます。
ですから、スイスに来た当初、私が常に恋しがった日本のものは、家族でも友人でも食事でもなく、実は本だったのです。
当時は、コンピューターなど持っていませんでしたので、当然インター・ネットで注文も出来ず、活字に飢えた私は、友達が送ってくれたプレゼントの包み紙に使われていた新聞を、広げて読んだりしていました。

ところがここ数年、私は、読書をあまり楽しめなくなっている自分に気付き出しました。
これは、年齢につれて経験が増えたため、作品に共感でき難くなって来ているのか、スイスに住んでいるため、別の視点から同じものを見るようになり、以前ほど素直に作者の言うことが信じられなくなったのか、それとも何か別の理由があるのか、私自身よく分りません。
ただ、読んでいて「えぇ、それ本当かよぉ」というように感じることが、増えたのです。

そして今日、私はまた一つ、そんな体験をしてしまいました。

皆さんもご存じのように、今年のスイスの気候は雨が多いので、少しでも天気が良くなると、私は畑に出て、既に来年への準備を始めています。
何をしているのかというと、ずばり、畑を広げています。

今使っている畑の一つは、隣にまだ耕されていない空き地があり、そこには芝が生えています(興味のある方は、左のメニュー「みんつの暮らし」→「畑」をクリック)。
私はその芝を抜き、土をふるいにかけて石を除きたいのです。
そして、その作業の途中で、「ああ、これでまた、本がつまらなくなるな」と思うことがあったのです。

今日の午後私は、数時間をかけて、2.5x1mぐらいの土地の芝を切り取り、裏返しにするという作業をしました。
「そんな少し?」と思われるかも知れませんが、雨が続いて湿った土は、想像よりもずっと重いですし、何年もそこに根を張っている芝や雑草は、そう簡単には剥がれません。
その上、私の拳よりも大きな石が、ごろごろ出てくるのです。
「フォークの大きいの」という感じの道具を、地面に突き立てる度に石に当たり、私は何度も小休憩を入れなければなりませんでした。

この作業でしみじみ分ったことは、こういう事です。
よく推理小説を読むと、死体を裏庭に埋めている犯人がいますよね。
これは、かなり綿密に計画を立てた場合でなければ、無理です。

まず、死体を埋めるには、どのくらい土を掘る必要があるでしょうか?
幅1mx長さ2mx深さ2mぐらい?
私が今日の午後出来たのは、幅1mx長さ2.5mx深さ10cmぐらいです。
しかも、その剥がした芝は、土が付いたまま、そこに放り出してあります。

深夜の数時間で裏庭を掘り、死体を埋めて、何事もなかったように元通りにする……土木工事が本職の男性でも、無理でしょうね。
また、土を掘る道具の先が石に当たる度に、かちっかちっと良く響き渡る音を立てます。
隣近所に気付かれないように掘る……これは、忘れてください。

偶然にも晴れが続いたある日に殺人を犯し、草や石ころなど全くない、普段から常に掘り起こされて柔らかくなっているような土地に住み、隣近所は誰も夜更かしをせずに熟睡する環境にいる人だけが、多分、この犯罪は可能です。
その上、次の日も筋肉痛や疲れた様子もなく出社するとなると、普段からばりばりに鍛えている人でなければ、難しいでしょう。
大体、こういう作業で使う筋肉は、ジムのマシーン・トレーニングとは違うでしょうし、計画犯罪でない上にオフィス・ワークの人物だとすると、私は別の方法を勧めます。

……こんなことを考えながら畑を耕しているから、楽しそうに見えるんだろうな、私。

9月の日記へ