2005年9月5日 (月)  レストランで飲む理由

遅れていた夏がやっと来たのか、先週からここアルプスは、晴天の日が続いています。

夏の終わりから秋にかけては、空気が一番澄んでいる時期で、昨日は山歩きをするには絶好の日和でもありましたので、私たち夫婦は、ポケットに50フラン紙幣(五千円札ぐらいの感覚です)を一枚だけ突っ込み、昼過ぎからふらりと、少し長目の散歩をして来ました。

3〜4時間ぐらい歩いたでしょうか。
途中で出会ったのは、牛と小柄な猛禽類(隼?)のみで、そこら中に生えている茸を一々「これは、食べられる?」と聞く私に、時には苦笑いをし、時には無理矢理手を引いて歩かせ、何度かは「うん、1週間ぐらいカラフルな世界に暮らせるよ」と言う夫B氏も、楽しい一時を過ごしたようです。

そして、そろそろ我が家も近付いてきた頃、私たちは一軒のレストランを見付けました。
「何か飲んで行く? それとも、もういくらもないし、家まで待つ?」
「ああ、何か飲もう。どんなレストランか、チェックしようぜ」

こぢんまりしたテラスのパラソルの下では、二人の中年男性が別々のテーブルに座り、ビールを飲んでいました。
「こんにちは」
私たちがそう言うと、客だと思った男性の一人が、「いらっしゃいませ」と立ち上がりました。

「昼間からオーナー自身がビールを飲んでいるレストランなんて、親近感が湧くねぇ」
私たちは、リンゴのワインとフライド・ポテトの大皿を注文し、再びビールを飲み出したオーナーともう一人の客と、ぎこちないながらも世間話を始めました。
二人とも暇を持て余していたのか、そんな私たちに、進んでお喋りをしてくれました。

客の方の男性は、レストランのすぐ側に住んでいて、どうやら常連のようで、私たちとの話の合間には、新聞を読みながらビールをラッパ飲みしています。
そして時々、「おお、xxの洗剤が安売りになっている。この製品は良いんだ」などと、独り言ともつかない声を上げています。

「みんつ、彼は酔っぱらっているのかな?」
客の男性がトイレに立ったすきに、B氏が小声で聞きました。
「違うよ。あれは、寂しいんだよ。ああやって、私たちの注意を惹いているんだよ。あの感じでは、彼は一人暮らしだね。多分、奥さんに逃げられたんじゃないのかな。それ以来ずっと独りなんだよ」
「そうかぁ……」

そんな話をしていると、小さな看板が私の目に留まりました。
「『ホッペンxxx』……。ホップ(hopp:ぴょんぴょん跳ねる)なんて、面白い名前だね」
私が何気なく言うと、B氏は苦笑しました。
「違うよ、あれはポッペン(Hopfen:ビールのホップ)だよ」
「ああ、そうか! そりゃ、そうだよね。ここ、レストランだもんね。へへへ、間違えた」

すると、トイレから戻っていた例の客が、すかさず言いました。
「ホップもモルトも失う」
今度はB氏、声を上げて笑いました。
「みんつ、これは慣用句だけど、意味分るか?」
「分かんない」
「ホップとモルトは、ビール造りに欠かせないものだろう。これが両方なくなったら、もう誰も何にもしてやれない。つまり、もうどうしようもないって事だよ」
「へぇ、面白い表現だねぇ。ホップもモルトもなくなった……ふーん、だから皆レストランで飲むのね」
冗談を言う私に、客の中年男性は、またもや呟きました。
「俺は、ホップもモルトも失ったことがある」
「……」

……あ、それは、説明は要りません。見れば大体分りますから。

2005年9月7日 (水)  ちゃんと言って! (前)

「郷に入っては郷に従え」というわけではありませんが、スイスで暮らしていると、やはり日本のやり方では通用しないと、思うことが多々ありますし、私自身さほどこだわりのあるタイプでもありませんので、大抵のことは「そうした方が上手く事が運ぶから」という理由で、譲歩しているつもりなのですが、スイス人(特に女性)のすることで、私には一つだけ、どうしても馴染めず、頑固に自分流を通していることがあります。
それは、「ものの頼み方」です。

おかしなやり方で頼んでくるのは、いつもスイス人の方ですので、これに関しては、私が自分流を通しても、幾分居心地の悪い空気が一瞬流れるだけで、特に困ったことはありませんから、「みんつには、それでは通じないよ」というように、彼らに理解してもらおうと考えています。

では、その「ものの頼み方」がどんな風か、具体的な例を上げてみましょうか。

【N嬢の場合】
N嬢は小学生以下の3人の子供を持ち、恋人U氏と暮らしています。
ちなみにU氏は、子供たちの父親ではありません。
U氏はもちろんですが、彼女自身も働いていますので、子供の世話は、ある程度ベビー・シッターを頼んでいるようです。

ある時、N嬢の妹の三男が危篤になり、入院しました。
私はその妹には一度会っただけですが、身内が入院している大変さは、ある程度分っているつもりですので、N嬢に電話をしました。
「妹さんの子供、どう? 私に出来ることがあったら言ってね。例えば、N嬢が付き添いを替わっている時に、貴方の子供を見るぐらいなら私にも出来るし、場合によっては2〜3日預かるわよ」

それから数日後、N嬢から電話が来ました。
「みんつ、x曜日だけど、何か予定はある?」
「ないけど、何?」
「私、急に仕事が入っちゃって、ベビー・シッターを探しているの。いつもの女性は、もううちでは働かないって言うし……子供が昼に帰って来るから(スイスの学校では、子供は昼食時に家へ帰ります)、その時家にいて、昼食を食べさせれば良いだけなんだけど……貴方、やりたい?」
「?????」

確かに私は、ベビー・シッターをすると言いましたが、それは、N嬢の妹の子供が関係した、緊急の場合の話です。
ただ仕事に行くからというのは、少し意味合いが違いますし、彼女の職場は、家から歩いて三分ほどです。急な仕事なのですから、昼食時ぐらい融通を付けてもらうことは、母子家庭の母として、出来るのではないのでしょうか?
しかも、いつものベビー・シッターを頼めなくなったのは、その女性の元恋人が、N嬢の同棲相手だからです。

こういう背景は、もちろん私には関係のないことかも知れませんが、私が子供の世話をすれば、N嬢は仕事に行けて、尚かつベビー・シッター料も払わずに済みます。
一度引き受けてしまったら、この次からは、こういう事が続くのではないでしょうか?
そして、何よりも気になるのは、「貴方、やりたい?」という聞き方です。
これは、頼み事ではありませんよね?
何故、「頼めるかしら?」とか「やってもらえる?」と、言わないのでしょうか?

「貴方が仕事に行けるように、私にベビー・シッターをして欲しいのね?」
私は、敢えて言葉を換えて聞き直しました。
「お昼にちょこっといれば良いだけなのよ。うちの子は手も掛からないし。みんつはベビー・シッターをやりたい?」
N嬢は、私の質問には答えず、再び同じ言い方をしました。
これでは駄目です。私は、「このやり方は、みんつには通じない」と理解してもらうことにしていますので、ねばりました。
「貴方が私に頼みたいと言うなら、私は喜んで引き受けるけど、私にやりたいかと聞くなら、やりたくないわよ。貴方は私に頼みたいの?」
「私は、みんつがやりたいなら、そうしてもらうけど……」
「……」
「ベビー・シッター、やりたい?」
「やりたくないわよ。でも、貴方が誰も見付けられなくて、私に頼みたいというのであれば、やるわよ」

こんな押し問答が続き、結局N嬢は最後まで、私に「お願いできるかしら?」とは言いませんでした。
N嬢が他の人を見付けたのか、仕事を断ったのか、私は知りませんし、それ以来二度とベビー・シッターは頼まれていません。

明日は、もう一つ別の女性の例を上げてみます。

2005年9月8日 (木)  ちゃんと言って! (中)

         〜昨日からの続き〜

【E嬢の場合】
E嬢は小学生の息子と恋人M氏の3人で、以前私が住んでいた村の側で暮らしています。
ちなみに、この息子もM氏の子供ではありません。

ある日、友人たちが皆、E嬢宅に集まり、パーティーをしていた時のことです。
「みんつ、たまには一緒に町でお茶しない?」
E嬢がにこやかに言いました。

皆さんも既にご存じのように、私自身は、町にも喫茶店にももう興味はないのですが、E嬢はそういうことが好きらしく、時々この山の上の小さな村を出て、都会の空気に浸りたいらしいのです。
多分、一人でコーヒーを飲んでもつまらないのでしょう。
その相手として、私に誘いが掛かったのは光栄なことですし、女同士のお喋りも悪くないと思った私は、気軽に答えました。

「そうね。時には女だけっていうのも良いわね」
「来週のx曜日なんてどう? 何か予定ある?」
「大丈夫よ。あ、でも、午後からの方が良いな」
「じゃあ、x曜日のお昼過ぎに一緒に街に行きましょうよ」
「うん、良いよ」
「息子のA太も一緒で良いわよね?」
「もちろん良いわよ」
子供のいる女性とお茶をするのに、二人きりでのんびりと、などということが無理なのは、私にもよく分っていますから、私は快く承諾しました。

「これでこの話は決まりね」と思っている私に、E嬢は続けて言いました。
「その日ね、私、ちょっと医者の予約が入っているのよ。ほんの20分かそこらで終わると思うから、その間A太と待っていてくれないかしら?」

20分ぐらいということは、多分、定期検診か何かでしょう。
そのぐらいの時間なら、全く問題はありませんし、私たちの住んでいるような村から町へ行くのは、車のない場合、あまり気軽なことではありませんので、どうせ行くのなら色々な用事を片付けてしまいたい、と思う気持ちもよく分ります。
私自身、ついでに食料品の買い出しをしようと、思っていましたし。
まして、子供を連れて医者に行くのは面倒でしょうし、これも私は承諾しました。

ところが、E嬢はまだ続けました。
「あ、それとね、x曜日までに返さないといけないビデオがあるんだけど、私が医者に行っている間に、ちょこっと返してもらえるかしら?」
「……」

この辺りで私はやっと、何かがおかしいことに気付きました。
E嬢の目的は、私とお茶をすることだとばかり思っていたのですが、はっきりとしている事実は、次のことだけです。

x曜日にE嬢は町で……
・ 医者に行かなくてはいけない。
・ ビデオを返さなくてはいけない。
・ その間、誰かがA太を見ていると助かる。

何となく嫌な気分になり始めた私は、待ち合わせ時間を決めようとするE嬢に言いました。
「あ、ちょっと待って。私、そんなに先の待ち合わせって苦手だから、前日になったらもう一度言ってもらえる? その時に私がまだその気だったら、一緒に行きましょうよ。せっかく町にまで行ってお茶するのなら、晴れている日の方が良いし」

すると、今までからりとした雰囲気だったE嬢の態度が、少し変わりました。

               〜明日に続く〜

2005年9月9日 (金)  ちゃんと言って! (後)

                〜昨日からの続き〜

「実はね……私、その日に中絶をするの。だから、A太がいない方が良いのよ」
E嬢は身を乗り出すと、他の皆には聞こえないように、小さな声で囁きました。

これでは、話が全然違います。
中絶をするのに「ちょっと医者に行く」という表現は適当ではありませんし、その後町でお茶など、出来るわけもありません。
場合によっては、その日は病院に泊るということだって、あり得るのではないでしょうか?

簡単に言ってしまうなら、E嬢はx曜日にベビー・シッターを探していて、そのベビー・シッターがビデオも返しに行ってくれると都合が良い、ということです。
お茶に誘ったのは、そこに焦点を当てて、頼み事の重要度を軽く見せるためでしょうか?

「中絶しなくてはいけなくなったのだけど、その日、子供を見てもらえるかしら?」
そう聞かれたら、私は迷わずに引き受けたと思います。
ビデオは、医者に行く前にE嬢が自分で返したら良いでしょうし、私が彼女の家でA太を見ていれば、彼女も気兼ねなく自分のことに専念出来ると思うのですが、彼女は何故そう聞かないのでしょう?

「M氏はその日、休みは取れないの? 彼がいれば貴方も車で行かれるし、その子、彼の子でしょう? 確か、これで2度目よね。M氏にも中絶が不愉快なことだと知ってもらうために、彼に付いて行ってもらった方が、良いんじゃないの?」
私は、二人がきちんとした避妊をしていないことを知っていたので、出来るだけきつい口調にならないように気遣いながらも、はっきりと言いました。
「でもこれは、ほら、事故みたいなものだから」
しかしE嬢は、そう言って、けらけらっと笑いました。

中絶そのこと自体は、人にはそれぞれの都合があるでしょうから、私はとやかく言うつもりはありません(当時のスイスで中絶は、まだ合法ではありませんでしたが)。
しかし、いくら何でもこういう場合は、きちんとしたやり方で頼んで欲しいと感じるのは、私だけではないと思うのですが。

「やっぱりその日は、止めておくわ」
私は、彼女と一緒に笑う気にはなれませんでしたので、断りました。
すると、私たちの様子をどこかで見ていたのでしょう、今度はM氏が私に聞きました。
「気乗りしないかい?」
「しないわ」
M氏のこの言い方も、頼みではありませんよね。
「俺、どうしても休めないんだけど、E嬢に付いて行ってもらえないかな?」と言うことは、そんなに大変なことでしょうか?

その後もE嬢は何度か、別々のことで似たような頼み方をしましたが、私は毎回断っています。
「x曜日は予定ある?」
こう聞かれた時点で、「なぜ? 貴方は何かあるの?」と言うことにしています。

「指を1本差し出すと、腕ごと持って行かれる」こういう表現を、スイス人はよく使います。
「利用されないように、気を付けるのよ」と言う人もいます。
こういう言葉がよく聞かれるということは、私がスイス人の頼み事の仕方に困惑しているように、彼ら自身も決してそれを居心地の良いものと感じているわけではない、ということだと思います。

下の階に住むお婆ちゃんが入院する時、彼女はこう言いました。
「退院して、身体の調子があまり良くなかったら、家のこととか手伝ってもらうこと、出来るかしら?」
それを聞いた義母は、こう言いました。
「そういうのは普通、お金を払って人を雇うものだから、ただで利用させちゃ駄目よ」
でも私は、こういう風にはっきり聞いてくれたなら、例え普通がどうであろうと、利用されているとは感じません。
その逆に、いくらコーヒーや食事をおごってくれたとしても、E嬢のようなやり方では、利用されていると感じます。

……違いは簡単です。相手の気持ちに対する、公平な尊重があるかどうか、ですよね。

2005年9月12日 (月)  連敗記録更新中

我が家では、私がボスです。

女性がパートナーとして男性に求めるものは、人それぞれでしょうが、私のそれは「それが間違いでない限り、黙って私の好きにさせてくれる」です。
この点だけに関して言えば、我が夫B氏ほど、適材はいません。
私自身しっかりと自覚しているのですが、もしB氏と上手くやって行けないようなら、私は、他のどの男性とも上手くやっては行けないでしょう。
それは私の家族や友人も恐れていることのようで、皆口を揃えて「あんな良い人を粗末にしたら、罰が当たるからね」と、私に釘を刺します。

ところが、B氏もやはり男性ですので、本能が騒ぐのでしょうか、無意識にではあるようですが、定期的に私とボス争いの勝負に出るのです。
そして、それが昨日、再び起りました。

我が家には、知人から譲り受けた、古い箪笥があります。
これは大きくてかなり重い代物ですので、引っ越しの度に私たちは、力のある男性を調達し、B氏と共に運んでもらっていました。
しかし、前回の引っ越しの際、置く場所がないこと、古いために幾分繊細な環境が必要であることを考慮して、しばらくM氏宅に置かせてもらうことにし、今回の引っ越しでは、すっかりそれを忘れてしまっていたのです。

今の部屋に越して来てから私は、何度となく「箪笥を取りに行って欲しい」とB氏に頼み、その度に「ああ、分った」という返事をもらっていたのですが、箪笥を置こうと思っている部屋の一角は、いまだに空いたままです。

昨日私は、また箪笥のことを思い出し、何気なく、「B氏、箪笥はいつ取って来てくれるの?」と聞きました。
すると、B氏はこう言いました。
「俺だって、助っ人さえ見付けられれば、とっくに箪笥を取りに行っているさ」
助っ人になりそうな人物で、近くに住んでいるのは、私の知る限りたったの3人です。
そして、その3人には、この部屋に越して来てから、会うなり電話をするなりと、何度となく連絡を取っていますが、やはり私の知る限り、B氏は誰にも箪笥のことを聞いていません。

「やる気がない」「うっかり忘れていた」「もう少し待ってもらえるか?」「自分で手配してくれないか?」……
これらの返事には、私は快く承諾をしたことでしょう。
例え、「もう面倒になっちゃったんだよ」と言われたとしても、仕方がないと諦めたことでしょう。
人間ですから、そういうことがあるのは、私だって受け入れます。
しかし、B氏のした返事はそのどれでもなく、その場しのぎの嘘です。
これが、今日まで何度となく繰り返され、いまだに箪笥はM氏宅に置いたままなのです。

虫の居所でも悪かったのでしょうか? 昨日の私は、いとも簡単に着火しました。
「じゃあ、貴方は一生あの箪笥をあそこに置いておく気なの!?」
いつも通りなあなあのまま行くと思っていたらしいB氏は、私の剣幕に驚いて、背筋を伸ばしました。
「私の知る限り、貴方は誰にも連絡していないわ。引き取る気がないのなら、私が業者を呼んで処分してもらうから、はっきりそう言って! これ以上は、もう待たないからね」

怒った私が、昼食も作らずにいると、B氏がおずおずとやって来ました。
「あのさ、引き出しなんかを全部外せば、俺とみんつでも運べるかも知れないから、今から取りに行こうと思うけど、良いかな?」
実は私、腰が良くありませんので、出来れば重い物は持ちたくないのですが、この期を逃したら、またいつになるか分りません。
「良いわ。でも、M氏にまず電話してちょうだい。行ってみて誰もいなかった、何ていうのは嫌だからね」
そういう私にB氏は、その場でさっと電話をかけました。

こんな簡単に事が運ぶなら、今まで何ヶ月も待ったのは、意味があったのでしょうかね?
私個人の考えとしては、いつも指図されていたのでは嫌だろうから、B氏の自主性にまかせて、などと思っていたのですが。

……B氏の「対みんつ権力闘争」は、こうして今回も負けに終わりました。

2005年9月14日 (水)  叔母たち

私の義理の家族は、いささかややこしい構成なのですが、簡単に言ってしまうなら、私には、義理の叔父と叔母が二人ずついます。
叔父は義父の弟たちで、叔母はそのパートナーたちなのですが、四人とも全員初婚ではなく、このパートナーの一人は未亡人で、義母の妹でもあります。
その上、それぞれに前妻やら前夫やら、今のパートナーやらとの子供がいて……

そんな家族が、今回また、一堂に会しました。
義父のすぐ下の弟の、前妻との間の娘が、……つまり、我が夫B氏のいとこです……結婚式を挙げたのです。

皆それなりの正装をし、教会に集まり、牧師の話を聞いたり歌ったり、結婚を象徴した小さなパンを食べたりしました。
新郎新婦は、まだ結婚の誓いも済まないうちに手を繋いでいて、牧師から注意を受けましたし、その牧師は、冗談をふんだんに散りばめた説教で、参加者を笑わせ、誓いの言葉の時には、二人とも声を詰まらせるなどという、感動的な場面もありました。

ちなみにスイスのプロテスタントの教会では、誓いの言葉は牧師ではなく、新郎新婦がそれぞれに文を読み上げていました。
永遠の愛を誓い、「貴方の妻(夫)になれることを誇りに思います」などということを言っていました。

さて、式が無事に終わり、私達は向かいのレストランに移ると、アペリティフ(ちょっとした軽食と飲み物)を取る事になりました。
するとそこに、式には参加していなかった、義父の末の弟とその妻が、顔を出しました。
実はこの叔母が、子宮関係の手術をしたばかりだったので、夫婦共に式には出なかったのです。

「叔母さん、大丈夫ですか? 今日は、病院から来たの?」
私がびっくりして言うと、叔母は、苦笑いしました。
「もう退院して、自宅療養なんだけどね。ほら、夫がいると、ゆっくり療養もしていられなくて……」
「ああ、主婦っていうのは、休めないですからね。叔父さんに夏休みを取ってもらって、パラグアイにいる息子の所に送っちゃえば良いのに」
「ここだけの話だけどね、私も本気でそう思ったのよ」
そう言ってよろよろ歩く叔母は、レストランに着くと私の隣に座り、
「今日はワインが飲めるように、薬は飲まないで来たわ」
と、テーブルの瓶から手酌で、白ワインをじゃんじゃん飲んでいました。
車の運転がある夫たちが、ミネラル・ウォーターのペットボトルを取って来ると、空になったワインの瓶を見て、「ああ、水じゃねぇ……」などとも言っていました。

アペリティフも終わり、皆が家に帰るために駐車場に行くと、花嫁の父である叔父のパートナーで、義母の妹でもある、もう一人の叔母は、車のドアを開けるのももどかしげに、ハイヒールを脱ぎました。
そして、裸足のまま頭だけ車に突っ込み、サンダルを取り出すと言いました。
「ああ、これでほっとしたわ」
側に立っていた叔父も、早々にネクタイを緩めています。
「実は私も、車に運動靴が入っているんです」
そう言う私の背中を叩くと、叔母は共犯者のような微笑みを浮かべました。

……ああ、この二人の十分の一でも、義母が気楽になってくれたら良いのに。

2005年9月15日 (木)  甘い時間

以前にも書きましたが、スイスの風呂場というのは、トイレ、洗面所が一緒になった部屋のことで、その部屋の一角に浴槽が備え付けてあるだけです。

風呂に浸かりたい場合には、その浴槽に湯を張り、出来るだけ静かにその湯の中で身体を洗います。
今「え?」と思った方、いますよね。
そうです、湯船の中に泡の立つ洗剤を入れ、その泡で身体を洗うのです。まるで、洗濯物みたいですね。
静かに洗うのは、お湯が湯船の外に流れた場合、そこはタイル張りではあるものの(木や絨毯の所もあります)、普通の部屋のように出来ていますから、排水溝はありませんので、自分で雑巾で拭くことになるからです。

シャワーを浴びる時には、浴槽の中に立ち、ビニールのカーテンを閉めて、やはり水が床にこぼれないようにします。
大きな風呂場で部屋中を濡らすことに慣れている日本人にとって、このスタイルは、正直なところ、窮屈ですし、あまり入った気がしません。

そんな風呂でも、夫B氏と一緒に暮らし始めた頃は、2人で入ったりしていたのですから、恋の力というのはすごいものです。
しかし、月日が経ち、それに比例するように皮下脂肪の蓄えも付くと、恋は愛に替わり、残念ながら愛には、ただでさえ狭い浴槽に、2人で入らせるほどの力はないようです。
それでもB氏は時々、遠い昔を懐かしむかのように、「今日、一緒にお風呂に入ろうか?」などと私に聞き、「狭いから嫌だよ」と色気も含みも何もない返事をもらっています。

さて、我が家の「B氏は週末だけ帰って来る」という生活は、ちぐはぐながらもそれなりに機能し、私は殆どぐうたらな毎日を送っているわけですが、先日何となく、「こんなに楽をさせてもらっているのに、少しはサービスしないとまずいかな」という気分になり、私は、もう何年もしていなかった、B氏の喜ぶことをすることにしました。
はい、お風呂に一緒に入って、身体を洗ってあげたのです。
へへへ、たまには、甘い一時があっても良いでしょう?

狭い浴槽に2人で立ち、時々シャワー・カーテンが肌にぺたりと張り付く不快さも、ものともせず、私はB氏を丁寧に洗いました。
すっかりご機嫌のB氏は、「みんつが終わるまで待っている」と、シャワーのお湯出し係を買って出てくれました。

それではと、頭を洗い始めた私は、さっそくB氏に頼みました。
「シャンプーが泡立つように、後頭部にちょっとだけお湯をかけて」
私が頭を下げると、お湯が「ピロロロロ〜」という感じで頭にかかりました。
??? ピロロロロ〜?
シャワーを少しだけ出すと、普通は「シャッ」という感じにお湯が来るのではないでしょうか?

何となくおかしく思いながらも、私は後頭部の髪を泡立てると、また言いました。
「B氏、今度は前にかけて。あ、もう少しいっぱいお湯を出しても、大丈夫だからね」
すると今度は「ピュー」という感じで、前髪にお湯がかかりました。
??? ピュー??
シャッ、ではないのは何故でしょう?
「ええと、もう一回前にかけて」
そう言って私は、泡の間から薄目を開けました。

あっ!!!
何とB氏、シャワーのお湯を口に含んで、私の頭をめがけて吹き出しているのです。
「あぁ、何やってんのよぉ!」
そう言う私に、B氏はげらげらと笑い出しました。
「もう、自分でやるから、出てってよ。せっかくサービスしてあげたのに、この仕打ちはどういうこと?」
浴槽から追い出されたB氏は、身体を拭きながら楽しそうに言います。
「今日の風呂は、良い風呂だったな」

……ああ、甘い一時なんて思った私が、一番甘かった。

2005年9月19日 (月)  それでも (前)

スイスのレストランで働く場合、基本的に給仕(ウェイター、ウェイトレス)は、自分に割り当てられたテーブルの客にサービスをします。
客をテーブルまで案内し、注文を取り、食事を運び、会計をし、次の客に備えてテーブルをまた綺麗にセットする。
これが、仕事の簡単な流れですが、それをどう処理するかは、個人の力量によりますし、その違いは大抵、客からのチップとなって現れます。

給仕は、それぞれに自分の財布を持ち、客のテーブルに行って会計をしますので、チップが多ければ、自分のお金は増えますし、精算ミスなどをした場合は、自腹を切ることになります。
釣り銭を両替したり、財布の中にいくらの現金を常備させるかなどは、個人で管理をし、仕事が終われば、その財布は家に持ち帰ります。
ですから極端な話、自分のテーブルさえ上手く回っているなら、他がどうであろうと、文句を言われる筋合いはない、ということです。

以前私が働いていたレストランに、オーストリア人男性T氏がいました。
T氏は、歳の頃なら五十代半ばといったところでしょうか。清潔そうに刈り上げられた、ブロンドの髪はまだ十分豊かですし、背も高く、容姿は決して悪くありません。
給仕としての経験もその年数を見れば、豊富であろうことが分ります。
それにも関わらず、彼は、誰からも好かれていませんでした。いえ、どちらかというなら、皆に疎まれていたと言った方が、近いと思います。
「仕事を怠ける」「他の従業員を助けない」「けち」などというのが、同僚の彼に対する意見でした。

T氏に対する私の第一印象も、正直に言うなら、「何となく気味が悪い」でした。
何がどう変だとは言えないのですが、全体的に上の空とでもいう風で、幾分頭のおかしな人を連想させるような感じがありました。
一緒に働き出して気付いたのは、T氏が常に何かを呟いていて、動きが他の従業員より緩慢だ、という事です。
店に支障をきたす程ではありませんが、忙しい時間になると、彼のテーブルが上手に回っていないことは、新米の私にも分かりました。

それとは別に、もう一つ私が気になった事は、給仕間のチーム・ワークが全く取れていないということでした。
てんてこ舞いで働いている人の隣で、お喋りをしている給仕がいるのですが、彼らの言い分は、「そこは自分のテーブルじゃない」です。
私にとってこの考え方は、受け入れ難い事でした。
直接自分の利益に繋がらなくとも、店の雰囲気は全員で作るものですし、それの悪い店に好んで来る客はいないでしょう。そして、客が来なければ、私たちは失業します。
客にとっては、どこが誰のテーブルかなどということは、関係のないことです。
そう言う私に彼らは、「どれだけ働こうが、月給は同じなのだから」と言いました。

スイス生活十年目に入った今では、それが、彼らの経験から来る知恵の一種である事も分かるのですが(このお話は、また別の機会にでも)、当時の私には、それは理解出来ませんでした。
そして、私がしたことはもちろん、同僚のテーブルを手伝う、です。
「何かする事ある?」
そう聞く私に皆、喜んで仕事をくれました。時には、彼ら自身がするより、たくさんの仕事を。

ところが、私がT氏のテーブルを手伝う時だけは、違いました。
「みんつ、T氏を手伝うのは、止めた方が良いわよ。あいつ、わざとサボっているんだから」
必ず誰かが、そう言うのです。
確かに、T氏が真剣に働いているようには見えませんでしたが、私に言わせれば、皆五十歩百歩です。

誰かを手伝うのは、店全体を良くする為ですから、私は同僚の言うことなど構わずに、T氏を手伝い続けました。
そして当然と言えば当然ですが、「私の手が必要なのは、いつもT氏」という状況が、次第に出来上がって行きました。
ちなみに、T氏からの見返りは、皆が言ったように、何もありませんでした。

             〜次回に続く〜

2005年9月20日 (火)  それでも (中)

             〜前回からの続き〜

ある日、仕事が終わった私にT氏が、話し掛けてきました。

「みんつが手伝ってくれるようになってから、仕事に来るのが少し楽になったよ。今まではずっと、何か酷いミスをするのではないかと、不安だったんだ」
「でも、貴方は経験もあるし、私なんかと違って、学校でちゃんとサービス業を勉強したんでしょう。何も心配する事なんてないじゃない」
「そうなんだけど・・・・・・。ちょっと今、時間あるかな?」
そう言うとT氏は、突然自分の過去について話し出しました。

彼がスイスで暮らしているのは、かつての恋人が、スイス人女性だったからだそうです。
その恋人には、いくらか精神的に問題があったようで、毎晩睡眠薬を飲まなくては、眠る事が出来ませんでしたが、それでも、特に生活に問題はなく、彼らは幸せに暮らしていました。
ところが、ある日のことです。
仕事が長引き、その日の内に帰れなくなったT氏は、ホテルで仮眠することにしました。
そして、翌朝早くに帰宅したT氏が見たものは、風呂場の浴槽で溺死している、自分の恋人でした。
自殺なのか事故なのか、T氏に分かる術はありませんが、彼女が睡眠薬を飲んで、入浴したのは確かです。
しかも、一晩中水に浸かっていた為、彼女の亡骸は、見るに堪えないものだったそうです。
T氏は、「それ以来、何かが変わった」と言いました。漠然とした不安が常に付きまとい、何をするにも自信がないそうです。

そんな体験をした、ずっと年上のT氏に、私が何を言えるでしょう?
「毎晩その同じ部屋に帰って、シャワーを浴びるのは、辛くない? お風呂に浸かっていた彼女、忘れられないでしょう? 出来れば、綺麗な時の彼女で憶えていたくない?」
「本当は、そうなんだけど・・・・・・」
T氏は、途方に暮れたような顔をするだけでした。

それ以来、T氏は何となく、私になついたようになりました。
私が出勤すると、
「みんつ、今日はどのシフト? 一緒に仕事が出来るかな?」
と聞きますし、私の休みの前日には、こう言います。
「ああ、明日はみんつがいないんだね。一人でどうしたら良いんだろう?」
私が何か、安心するような言葉をかけると、T氏は落ち着いて仕事に戻ります。

そんな状態が暫く続いたある日、私の財布の小銭が足りなくなりました。
お客さんは、お釣りを待っています。
「T氏、後ですぐ両替に行くから、今だけこの10フラン紙幣、小銭に替えてくれない?」
何気なくそう言った私に、周りの同僚は皆、「バカだな、みんつ」という顔をしました。
誰もが知っている事ですが、T氏が誰かを助けたなどという事は、今まで一度もないのです。

ところが、T氏、にこやかに言いました。
「僕は今日、たくさん小銭を持っているから、返さなくても良いよ」
私の10フラン札を両替するT氏に、皆が目を丸くしています。
その日以降も、私が困ると、T氏は助けてくれました。自分の小銭がぎりぎりでも、とりあえず私に貸してくれましたし、手の空いている時には、進んで手伝いに来てくれます。

「みんつ、どうやったの?」
不思議そうに聞く同僚に私は、
「さあ、私がいつも彼のテーブルを手伝っているからじゃないの?」
と答えましたが、本当の所は私にも分かりません。

           〜次回へ続く〜

2005年9月21日 (水)  それでも (後)

             〜前回からの続き〜

暫くして、T氏はちょっとした事で、クビになりました。
上司に「給料を上げて欲しい」と言ったら、「不満なら、もう来なくて良い」と言われたのです。
「もう一度働かせてもらえるように、謝るべきだと思うか?」と聞くT氏に、私は思い切って言いました。
「あの部屋を引っ越す、良いチャンスだと思う。貴方がスイスに留まる理由は、もうないんじゃないかしら。どうしてオーストリアに帰らないの?」
「実は随分前から、母親にも帰って来て欲しいって、言われているんだ。……もう、オーストリアに帰った方が、良いのかも知れないね」
その話を最後に、T氏は職場を去りました。

数ヵ月後、T氏がひょっこりレストランに現れました。
「ああ、良かった。今日は出勤なんだね。近くに用があったから、みんつに会いに来たんだ」
そう言うT氏は、以前より明るくなっていました。
「なんか、前より調子良さそうね? 良い職場が見付かったの?」
「そうなんだ。今の職場は、ずっと居心地が良いよ」
T氏は、スイスの観光地にある、山の上のレストランで働いていると言いました。近くに来たら、遊びにおいでとも言ってくれました。
T氏が本当に幸せになったのか、単に新しい場所だから良く思えるだけか、私には分かりませんが、現実は多分、そう簡単ではないでしょう。

今まで私は、スイスで暮らしたいと望む、多くの人を見て来ました。
貧しい国の人もいましたし、戦争で他に行き場を失なった人もいます。日本人もいましたし、欧米圏のいわゆる経済大国からの人も、たくさんいました。
人それぞれに、事情なり夢なりがあります。
しかし、私の知る限り、皆が抱く夢と現実は、かなり違います。知らないからこそ美しい、という誤解や幻想がたくさんあります。
そして、何故その幻想にしがみ付かなければならないのか、私から見ると理解出来ない人も、たくさんいました。

夢を持ち、そこに向かう事は素晴らしい事です。勇気のいる事でもあると思います。
それと同じ様に、その夢に軌道修正が必要になった時、現実を真っ直ぐに見据え、必要な事をするというのは、やはり勇気の要ることです。
しかし、夢に向かう努力に比べて、また、その夢のイメージが持つ華やかさを保つ努力に比べて、夢の軌道修正をする努力は、ないがしろにされている場合が多いように思います。
興ざめな現実を受け入れ、対処して行くのは、確かに地味な仕事ですが、そういう地味な作業の積み重ねが、自己の満足や将来の幸せに繋がるのだと、私は思うのですが。

「勝手の分っている、一番有利な筈の自分の土俵で勝てないやつが、他所に行ったって勝てる訳がない」
ある知人はこう言いました。
両足をしっかりと地面につけて、真っ直ぐ前を向いて現実を見据える勇気。
私も肝に銘じておこうと思います。

2005年9月22日 (木)  一杯の水道水

私があるレストラン(昨日の日記に書いた店とは、別の場所です)でウェイトレスをしていた時、午後三時頃になると五〜六人でコーヒーを飲みに来る、20代半ばの若者のグループがいました。
雰囲気やちらちらと耳に入る話の内容から、彼らがレストランの近くにある大学の学生であることは、私にも分りました。
毎日ほぼ同じ顔ぶれで、お茶を飲みながら三十分ぐらい団欒をすると、また学校に戻って行くようでした。
その中に一人、必ずエスプレッソと水道水を頼む男性がいました。

スイスのレストランでは、食事だろうがちょっとした休憩だろうが、席に着くとまず飲み物の注文を取られます。
黙っていても水やお茶が出てくる日本とは違い、スイスでは、客が敢えて頼まない限り、水道水は出て来ません。その上、飲み物を頼まない客や、無料の水道水を頼む客には、露骨に嫌な顔をする店も少なくありません。
これは、店の経営者がよく言う、「飲み物が一番儲かる」という考え方があるからだと思います。

私が働いていた店の経営者もやはりそのくちで、私が水道水を持って行こうとすると、「有料のミネラル・ウォーターを注文するように言いなさい」とか、「一番小さなグラスで持って行きなさい」と、毎回不愉快な顔をしました。

レストランに来て水道水だけを頼む人は誰もいませんし、ただの水を運ぶために何度もテーブルを行き来するのでは、それこそ元が取れません。
私の知る限りサービスというのは、直接収益に繋がらなくても、いずれは戻って来るものです。水道水ごときをけちって、客に居心地の悪い思いをさせたのでは、食事に来る人もいなくなるでしょう。

ですから私は、毎回「はい、分りました」と答え、経営者がいなくなると、水道水を頼む全ての客に、たっぷりと水を運んでいました。
また、スイス人にとって無料のものを注文することが、どれだけ居心地の悪い事なのかも、私は分っていますので、一度水道水を頼んだ人には、二度目からは黙って出していました(スイスでは、エスプレッソと水道水を一緒に頼む人が多いのです)。
上記の学生にも、私はそうして、毎日エスプレッソと水道水を運んでいました。

そんな風に何ヶ月か経ったある日、珍しくいつもとは違う時間に、その男性が一人でやって来ました。
いつもと様子が少し違うとは思いましたが、私は愛想よく微笑んで「いつものですね?」と、エスプレッソと水道水を出しました。

彼は本を読みながら、一人でゆっくりとコーヒーを飲み終えると、支払いのために私を呼びました。
「xxフランです」
お金を受け取る私に、彼は言いました。
「僕、今日を最後に、ここにはもう来られないんです」
「え、残念ですね。どこかに引っ越しでもされるのですか?」
私が何気なく聞くと、彼は、少し恥ずかしそうに、それでいて何か踏ん切りをつけたように言いました。
「実は昨日、学校の試験に合格したんです。僕、医者になるんです」
「それは、おめでとうございます! ああ、それじゃ、お仕事の関係で引っ越すのですね」
「そうなんです。今日は、それを言おうと思って、ここに来ました」
「わぁ、ありがとうございます。ちょっと寂しくなりますけど、他所に行っても、頑張って下さい」
「はい。こちらこそ、今までありがとうございました」
彼は私と握手をすると、爽やかに、いつもとは違う道を帰って行きました。

……たった一杯の水道水で、こんな素敵な瞬間がもらえるのですから、サービスはけちっちゃぁいけません。

2005年9月23日 (金)  親子の方程式

私は、子供が苦手です。
「あれ? でも確かみんつさんて、しょっちゅう子供に囲まれていなかったっけ?」
いつも私の日記を読んで下さる皆さんの中には、今、こう思われた方もいるのではないでしょうか?
はい、その通りです。
私は何故か子供、特に小さい子供によくなつかれますし、知人の子供たちの間では、私は大抵彼らの一番のお気に入りになっています。

親自身ですら手こずっている、暴れん坊の甥っ子S太は、私の膝の上ではいつもおとなしくお喋りをしてくれますし、反抗期なのか、親の言うことをなかなか聞かないM美も「今日は、みんつが来るわよ。早く支度して」と言うと、さっと動くそうです。
友人のB嬢などは、小学校に上がりたての息子A太がどこからか覚えて来た、人種差別的な発言を直させるのに、私を持ち出したぐらいです。

A太:「xx(近所のインド人の少女)は、有色人種だから臭いんだ」
B嬢:「あら、本当にそうかしら? じゃあ、みんつは日本人だけど、臭い?」
A太:(きっぱりと)「いや、臭くない」
B嬢:「でも、日本人は白人ではないわよ。つまり、xxちゃんと同じ有色人種よね? どう思う?」
A太:(もっときっぱりと)「みんつは臭くない!」
B嬢:「それじゃ、有色人種は臭いっていうのは、正しくないわよね?」
A太:「うん、正しくない。……でも、みんながそう言うんだ」
B嬢:「みんなはきっと、本当のことを知らないのよ。この次誰かがそう言ったら、そんなことはないって教えてあげると良いわ」
A太:「うん、そうする」

それでも私は、やはり子供が苦手なのです。
その上、自分自身に子供がいませんので、今ひとつ確信が持てずにいるのですが、あることがずっと気になっているのです。

よく「子は親の鏡」とか「この親にしてこの子あり」とか「蛙の子は蛙」などという、親子の相関関係を示す表現がありますが、これは、現実にそうなのでしょうか?

というのは、私の知っているスイス人の子供の中に、ある男の子がいます。
彼T太は、8才だったでしょうか、私の知る限りとても元気がよく、いつもお腹を空かせています。
しかし、乱暴であるとか、大人から見て煩わしいといった風ではありません。教室で本を読むよりも、校庭で走り回っている方が似合いそうな子供、といったら分るでしょうか。
溌剌とした、可愛らしい男の子です。
実は私、彼の両親もたくさんいるらしい兄弟も、誰一人知りません。
T太を知ったのは、私の知人の子供L太(彼は確か、9才位です)とよく遊んでいるからです。

さて、ここからが少々ややこしいのですが、私は、T太にはかなり好印象を持っている(村の中で一番良い子なのではないか、とすら思っている)のですが、L太のことは、正直に言うと、あまり好きではないのです。
何がどうしっくり来ないのか、私自身もよく分らないのですが、L太といると何となく不愉快な気分になる、という感じなのです。
小さな子供相手に、大変申し訳ないとは思うのですが、自然に湧いてくる気持ちは、どうにも出来ません。
そして、L太の両親である私の知人は、T太の両親のことを、いつもぼろくそに言います。

分るでしょうか?
私が気になっているのは、もし「子供がどんな風であるかによってその親も分る」のだとしたら、T太の両親は、知人が言うのとは違い、私にとって好感の持てる人物なのではないでしょうか?
それとは逆に、L太の両親、つまり私の知人は、要注意人物となるのではないか、ということなのです。
それとも、親はろくでなしでも、子供だけ素直に明るく育つ、ということもあるのでしょうか?
もしくは、親は普通でも嫌な子供が育つとか?

……皆さんは、どう思われますか?

2005年9月26日 (月)  ハリケーン・カトリーナ

ハリケーン『リタ』の上陸により、『カトリーナ』被害のニュースも減っているようですが、今日は、スイスの雑誌に載っていた記事を紹介します。
ニュー・オーリンズの4星ホテルで新婚旅行を楽しんでいた、あるスイス人夫婦の体験です。

【8月26日(金)】
−テレビでハリケーン『カトリーナ』の上陸予報が流れる。
この時夫婦は、大したことはないだろうという感を持つ。

【27日(土)】
−空港閉鎖。通りは無人。
2人は非常食を買い、ホテルの浴槽に水を貯め、荷造りをする。

【同日 正午過ぎ】
−「貴重品等の荷造りをして下さい」との連絡あり。
−別のホテルへ避難するはずが、送迎バスが来ず。
2人は自分で運転手を手配し、避難場所を探す。

【同日 16:00】
−唯一の避難場所『スーパー・ドーム』に着く。
−観覧席のシート2席分を与えられる。
ドームの電話は緊急用にされていて、2人はどこにも電話出来ず。

【29日(月) 6:21】
−ドーム内が突然停電になり、3万4千人の避難者(白人はごくわずか)が叫び出す。
−非常電力に切り替わるが、エアコンもスピーカーも機能せず。→ドーム内は真っ暗なまま。

【同日 7:20から】
−『カトリーナ』上陸。ドーム内には轟音が響き渡り、屋根の数カ所は紙のように舞い上がる。
−雨が吹き込むため、2人は別の座席へ避難。
−嵐が静まると、人々の間にパニックが起り、ドーム内は混乱し始める。

2人が聞いたこと。
・ トイレで10才の少女がレイプされる。
・ ある刑務所の囚人たちも、『スーパー・ドーム』に避難している。

−誰かが発砲する。
−警官と兵士たちが、ドーム内の警備に就く。→これなしには、彼らも殺されていただろう。
−避難民のたがが外れ、至る所で「Fuck you!」と怒鳴り、殴り合いを始める。
−全てを失い絶望した人々が、劣悪な環境下にぎっしりと閉じこめられている状態で、ゴミ、排泄物、使用済生理用品、服に染みた汗、黴びた食料の匂いがドーム内に充満していた。
−ドーム内には湿気がこもり、気温は35度。

2人は、生き延びることだけに、気持ちの焦点を当てる。
可能な限り側を離れず、妻がトイレに行くときは、夫が護衛。
便器は、とても使える状態ではなかった為、ポップコーンの容器で用を足す。
ドーム内で知り合った、老黒人夫婦の助けや庇護がなかったら、2人は生きてはいなかっただろう。

【毎日二回、7:00と16:00に3ヶ所で食糧が配給される】
一人分の食料
・ 米軍のサバイバル食パック:トルテリーニ(具の入った小さなパスタ)、野菜クラッカー、パイナップルケーキ
・ 3dlの水2本
−赤ん坊用の食事はなし。
−配給の行列は長く、統制が取れていず。
−車椅子の男性が、少しでも速く順番が来るようにと、殴り殺される。

【9月1日(木)】
−2人は絶えきれず、ドームの前(屋外)に段ボールを敷いて、そこに座る。
−事情を知らずに帰宅しようとドームの敷地を出た人は、射殺されていた。
彼らの目には、世界一と言われている米軍は、哀れにも機能していなかった。

【3日(土)】
−『スーパー・ドーム』を出る。
この晩、2人はやっとスイスの両親に電話をする。

2005年9月28日 (水)  ミス・スイス決定!

2005年度、『ミス・スイス』が決まりました。

もう忘れている方もたくさんいるでしょうが、……私自身、ミスター・スイスの時ほど気合いが入りませんし……ここに結果を報告させて頂きます。

尚、もう一度最初から見たいという方のためにも、過去に取り上げた画像も合わせてリンクしておきます。

では、下(↓)からどうぞ。

『ミス・スイス候補者、16名の紹介』

『水着になってみました。』

『ミス・スイスは誰に!?』
(時間が経った為、画像は外しました。)

2005年9月29日 (木)  薪割りの法則

以前にも触れましたが、スイスの教育というのは、義務教育以降は職業に就くことを前提としていますので、日本人から見ると、かなり偏っている様に感じます。
例えば我が夫B氏などは、数学や物理、化学といった方面の学問は、どうも殆ど習っていないようなのです。

これは、賛成出来かねる方もいるかも知れませんが、私は、「学校での勉強は、大人になっても役に立つ」と思っているくちでして、実際に生活の中でも「口の開いた牛乳パックを冷蔵庫の扉にしまう時は、遠心力がかかるからさ」とか「これは対比計算で出るじゃん」などという感じで、普段からちょくちょく使っているのです。
そして、そういうことを言う私を、数学どころか数字自体の大嫌いなB氏は、異星人でも見るような目付きで、いえ、時には開き切ってしまった瞳孔で、見つめていたりするのです。

一度などは、「仮にこれをxとすると……」と説明を始めたら、「ちょっと待て! xっていうのは何だ? 仮にxだなんて、俺は気に入らないな」などと言い出し、あまりにごねるので、仕方なく私は、B氏がこれなら受け入れても良いと言う「A」で説明をしました。

さて、先日のことです。
私達夫婦は今、また薪の切り出しに山に行っているのですが、今回与えられた木はあまりに太いため、家に持ち帰れる大きさにするまでは、時間がかかりそうだということで、山の一角に綺麗に積んで冬を越させることにしました。
そして、その輪切りにして積み上げた木が崩れないようにするために、支柱を建てることにしました。
分るでしょうか? 
両端に支柱を立て、その間に切った薪を並べていくのです。

日曜大工の得意なB氏は、大張り切りで針金などを買い込み、私たちは山に行きました。
ところが、実際組み立てる段になると、B氏の思惑とは違い、なかなか上手く行きません。

「B氏、何でここはこうしないの?」
遠慮がちに聞く私に、B氏は何やら説明を始めるのですが、私にはそれがよく理解できないのです。
「だから、両方の支柱に木を寄りかからせるよう並べて、針金で内側に支柱を引っ張れば、こいつはちゃんと立つ筈なんだよ」
「先に支柱を立ててから、木を寄りかからせるのは、駄目なの?」
「出来るだけ簡単な仕組みで立たせるには、この方法が良いんだよ」
支柱がひっくり返る度に、苛立を募らせていくB氏を見て、私はしびれを切らせて言いました。

「B氏、それじゃ無理だよ。積んだ丸い木が外側に転がろうとする、っていう所までは間違いじゃないけど、ここは坂だから、正確には、両方の外側に転がろうとする力は等しくないんだよ。ちょっと見て」
そう言って、私は地面に図を書き始めました。
「坂の上に荷物を乗せるとするでしょう。そうすると、地面に平行して荷物が滑ろうとする力と、重力があるから、ベクトルはこうなるよね。そのベクトルで平行四辺形を作ると、木が転がろうとするのは、このベクトルだから……」
ふと顔を上げると、B氏は眉間に皺を寄せて、悲しそうに私を見つめていました。
「ああ、今日はもう止めた! 木は、このままにして帰る」
そう言うとB氏は、支柱を放り投げてしまいました。

こういう時、放って置くとB氏は、一人で落ち込んで行きます。
たかが薪割りで、いじけられたのでは堪りませんから、私は、場を和ませることにしました。
「B氏、いっそ支柱を大きな薪にネジで留めちゃえば? そうすれば、どこに力が加わろうと、ちゃんと立つじゃない」
くすりとぐらいは笑うかな? そう思って見ると、B氏は真面目な顔で答えました。
「来週店に行って、ネジを買って来る」

……ええと、ものすごい頑丈な支柱が出来そうです。

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