2006年9月4日 (月)  獣医の卵とウサギ達

今日の日記は、18禁ではありませんが、ちょっぴり大人のお話です。

スイスには、WG(ヴェーゲー)というシステムがあります。
これは「Wohngemeinschaft」の略で、あまりお金のない独身の若者や学生等が、数人で大きなアパートを借り、共同生活をする事を指します。
大抵、各自一部屋ずつを使い、台所、トイレ、風呂場が共有です。

私が、夫B氏(当時はまだ、結婚していません)に付いてスイスに来た時、B氏は学校に入り直した所でしたので、私達の生活は、このWGの狭い一室から始まりました。
共同生活のメンバーは、スイス人が二人(男女一人ずつ)で、どちらも20代半ばの、獣医を目指している学生でした。

B氏が借りた部屋は、ちょうど風呂場の隣にあり、窓のない風呂場の通風用でしょうか、壁の上の方には、格子のはまった隙間が取られていました。
風呂場はもちろん共有で、洗面場もその中に付いていますから、誰かがそこにいる時には、私達の部屋に音や光が漏れますし、逆に、私達の部屋の様子も、向こう側に漏れるのです。

WGの男性の方は、イタリア系らしく陽気で、部屋にいる時はいつも、ギターを弾いて歌っていました。
彼のレパートリーは一曲しかないようで、その一曲も完全には弾き切れていないようでしたが、そんなことは、当時、始終浮かれていた私にとっては、微笑ましくすら思えることでした。

女性の方は、……今日の主役M嬢です。

このM嬢、なかなかの美人ではあるのですが、いささか変った嗜好があるのでしょうか、私達の様子が気になって仕方がない、という風なのです。

どういうことかと言いますと、
恋に落ちたばかりの男女が、狭い部屋に一緒にいたら、まあ、何が起こるかは、言わなくても分りますね?
自然と、大人のスポーツは、始まってしまいますよね。
で、私達がそれを始めると、このM嬢が、必ず洗面場を使いに来るのです。

私達は、規則正しいスケジュールを計画していたわけではありませんから、大人のスポーツは、深夜遅くのこともあれば、まだお日様のある内のことだってあります。
しかし、私達が興に入り出すと、M嬢は必ず洗面場を使いにやって来るのです。
もちろん私達は、たしなみのある大人ですから、共同生活のマナーとして、出来るだけ静かに行っていたのに、です。

最初の内は偶然だろうと思っていた私達も、毎回見事なタイミングでやって来て、試合が終わるまでは、決して洗面場から去ろうとしないM嬢に、疑問を抱き始めました。

「あ、また来た。M嬢、わざとだよね?」
「ああ、狙って来てるな」
「覗きの趣味があるのかな?」
「それとも欲求不満か?」
「たまには、サービスして騒ぐ?」
「おお、やれやれ!」

そんなことを囁きながら、M嬢を観察していた私は、ある時ふと思いました。
WGのメンバーを決めたのは、M嬢とその知人(当時彼女は、別の場所に住んでいました)です。

若い年頃の女性が、共同生活の相手として、やはり若い、独り者の男性を二人選ぶというのは、ちょっとした下心もあったのではないかしら、と。
しかもこの独身男性達は、見栄えも良く、部屋の契約をした時点では、二人とも恋人すらいませんでした。

その後暫くして、私達は、よく分らない理由でこの部屋を追い出されたのですが、

……M嬢、「二兎を負うものは一兎をも得ず」って、知ってる?

2006年9月7日 (木)  義兄の出張

「みんつ、来週から兄貴C氏は、日本に出張するらしい。もし欲しい物があったら、頼んだら良いぞ」
数日前、夫B氏がこう言った時、私は特に何も考えずに答えました。
「うん、そうだね。考えておくよ」

一昨日、義父母宅に「プルーンを摘みに来ないか?」と呼ばれ、4人でお茶を飲んでいると、義母からまたこの話題が出ました。
「みんつ、C氏は今、日本に出張に行っているのよ。何か欲しい物があったら、SMS(携帯電話のメッセージ)で頼むと良いわよ」
「はい、マグロを1匹買って来るよう、頼んでみます。腕の中でびちびち跳ねるぐらい、新鮮なのを丸ごと」
この時の私は、そんな風に、冗談のつもりで答えました。

昨日、C氏の妻である義姉J嬢から、B氏に電話があり、またもやこの話題になりました。
「C氏は日曜日まで日本にいるから、何か欲しい物があったら、メールかSMSで頼むと良いって、みんつに伝えて置いて」
B氏からこの伝言を聞き、少し不思議にも思いましたが、私はただ「うん、ありがとう」と答えて置きました。

今朝、私が家にいると、義母から電話が掛かって来ました。
「みんつ、J嬢に聞いてみたんだけどね、C氏はノート・パソコンを持って行ったそうだから、メールでも連絡が取れるらしいわよ」
「あぁ、それなら昨日、J嬢から電話があって、聞きましたけど……」
「あらそうなの。でも、メールが繋がるなんて、良かったじゃない。何か欲しい物があったら、頼むと良いわよ」
「はぁ、そうですね。考えてみます」

これは一体、どういうことなのでしょうか?
何故私の義家族は、何度も何度もこの話を持ち出すのでしょう?
私は、義兄に何か頼まなくてはいけないのでしょうか?

正直に言うならば、日本から持って来て欲しい物は、山ほどあります。
段ボールに5つや6つ分、簡単に思い付きます。
しかし、もっと正直に言うならば、義兄夫妻と私達夫婦は、年に1〜2度顔を合わせ、全く噛み合わない会話をする程度の関係しかありません。
その上義兄夫妻は、私達の家から、車で2時間も掛かる所に住んでいます。

義兄に私が何か頼んだとして、それが私の手に入るのは、いつになるか分らないのではないでしょうか?
それとも、頼んだ品を取りに、わざわざ私は義兄宅に行くのでしょうか?
母こそもういませんが、私には日本に家族がいて、「欲しい物があったら送るから、言ってね」と言ってくれているのに?
義兄は、日本語も分らなければ、日本の事も何も知らないのに?

そもそも、当の義兄からは、私は何も聞いていないのです。
もし義兄が、本当に私に何か買って来てくれるつもりであるなら、自分でそう言うのではないでしょうか?
少なくとも、私が義兄の立場なら、私は自分でそのことを伝えますが。
いえ、その前に、私はこの10年間以上、義家族の前で「日本が恋しい」とか「日本のxxがあったら良いな」等という台詞は、一度も言っていないと思うのですが、何故義家族は、私に何度も同じことを言うのでしょうか?

私はもう、10年以上スイスに住んでいます。
嫌な事がないと言ったら嘘になりますが、まあ、それなりに楽しみを見付けて、幸せに暮らしています。
私が普段、自分の家族から日本の製品を送ってもらわないのは、スイスで一生暮らして行かなくてはならないのに、日本を引きずってばかりいては、生活が不自由になると考えるからです。

しかし、私の義家族は、「故郷から離れて、知り合いも居ず、一人寂しく暮らしている、可哀想なみんつに、何かして上げなくては」という風に考えるのを好むようです。
私は今まで、思い付く限りの方法で、はっきりと意思表示をしているのに、彼らはまだ私の言葉を信じてはくれないようです。

よく、「日本人は、はっきりと意思表示をしないから、外国人にとって分かり難い」等と聞きますが、それって『日本人の意思表示が、彼らの価値観とは違うから、受け入れたくない』なのではないのでしょうかね?

……スイスって、日本より、ずっとずっと窮屈です。

2006年9月8日 (金)  お知らせ

皆様へ

ええと、驚かれると困るので、何となく言い難いのですが……
実は私、来週、入院することになりました。

その、検査で胆石が見付かり、胆嚢ごと取るそうです。

手術自体は、盲腸を取るぐらいの簡単なものらしいのですが、暴れたりしないように、一応全身麻酔を掛けるため、入院になるそうです。
お臍から内視鏡(腹腔鏡?)を入れるやつなので、お腹を切ることもないそうですし、3〜4日で退院とのことです。

医師曰く、
「放って置くと、石が大きくなったり、別の臓器に入ってしまったりして、危険な場合もあるから、元気な内に取っちゃいましょう」

実際ね、全く自覚症状はありませんし(普通は、すごく痛いそうです)、お腹の不調が続いていなかったら、検査もしていなかったと思うのです。

汚い話で申し訳ありませんが、胆石のせいで胆汁の出が悪くなっているらしく、脂肪分の多い食品を取ると、ピーになってしまうのです。
お腹が空いていること以外は、本当に何処も不都合はなく、体調的にも「絶好調〜♪」と言えるぐらいなのですが。

ということで、来週一杯、HPの更新をお休みします。

せっかくですから、野次馬根性丸出しで「スイスで入院すると、どんなもんなのか?」というのを、観察して来ようと思います。
「自分で炊事をしなくても、三食出てくる」というのも、主婦としては久しぶりですし、楽しんでしまおうかと。

こんな日記を書くと、かえって皆さんに、気遣いをさせてしまったりするかも知れない、とも思いますが、私は至って元気ですので、ご心配なく。
今日も、最近始めた村のバレー・ボールに参加して来るぐらいですから。

そうそう、今回の入院に関する話も色々ありましたので、再来週以降、また少しずつ書いて行こうと思っています。

では、初体験の全身麻酔がちょっとドキドキですが、行ってきますね。

                   みんつ

2006年9月15日 (金)  無事、戻りました。

皆様へ

ご心配をかけましたが、私、今朝病院から戻りました。

手術自体も、その後の経過も特に問題なく過ぎ、重病でない私は、病院の方からさっさと追い出されました。

細かいことは、後日ゆっくりと日記に書いて行こうと思っていますが、現在の状態は、傷口がちょっとつれるぐらいで、ぴんぴんしております。
あぁ、それから、両足が急に遠くになった様で、靴下が履き難いです。

不安だった初めての全身麻酔は、早朝に行われたため、寝起きの悪い私には、麻酔どころかその前からの記憶が曖昧で……

ということで、私は無事に戻りましたので、ご安心下さい。

まだ、来週の初めに、抜糸に行かなくてはいけませんし、とりあえず今は、家でのんびりしようと思いますので、日記の方は、もう少し休んでから、ぼちぼちと始めますね。
その時はまた、お付き合い下さい。

そうそう、皆さんからのたくさんの書込み、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。

では、とりあえず、帰宅の第一報です。

                   みんつ

2006年9月21日 (木)  『ミス・スイス』 2006 決定!

ふふふ、今回は私の予想が、ズバリと当たりました。

前回の『ミス』とのバランスを考えると、「まあ、この辺りが妥当かな」、何て私は思うのですが・・・

ということで、さっさと見せちゃいます。
では、どうぞ。

『え、ミスは誰に!?』
(* 時間が経った為、画像は外しました。)

候補者全員がもう一度みたい方は、こちら(↓)。

『どんな人がいたっけ?』
(* 時間が経った為、画像は外しました。)

・・・満足いただけましたか?

2006年9月26日 (火)  シャッター・チャンス

我が家の住まいは、3階なのですが玄関は1階にあります。

どういう造りかといいますと、玄関を開けると空間がV字型になっていて、右側には石の廊下が2m位あり、その先が地下倉庫へと続きます。
左側もやはり石ですが、これは2階へと続く階段で、2階の高さの所にもう一枚扉があり、ここを開けると、3階つまり住空間への木の階段となります。

我が家は古い建物ですから、土足禁止ではありませんが、私たち夫婦には、靴を履いて暮らす習慣がありませんので、1階の玄関の所で、室内履きのサンダルなり、外出用の靴なりに履き替えるのを常としています。

つい先日のことです。

手術後の抜糸も済んだ私は、午後、天気も良いので、少し畑に出ることにし、段ボール箱のベッドで寝ている、茶トラ猫のM氏を起こしました。
「M氏、畑に行くよ。一緒に来る?」
私の手にある白いざるを見たM氏は、それが畑に出る時の必需品であることを分かっている様で、「にゃっ」と短く鳴くと、とことこっと階段へ向かいました。

2つの階段を下り、玄関に着いた私は、M氏の為に扉を開けると、靴を履き出します。
抜糸が済んだとはいえ、お腹を屈めるのはまだ幾らか窮屈なので、私は、まず右足を階段の3段目に乗せ、紐を結んでいました。

すると、開け放したままの玄関扉の外で、「ゴトッ」と鈍い音がします。
……ああ、夫B氏がまた、木材か荷物か、何か出しっ放しにしていて、外にいるM氏が、それを倒したんだわ。かなり重そうな音だったから、大きな板かな? 私で持ち上がるかな?

私は、右足を階段にかけたままの姿勢で、玄関の外、左側にゆっくり振り向きました。

と!!!
そこは、いつもの玄関の外に広がる筈の景色、バラだの植木だの石の塀だのの代わりに、扉の大きさ全体に、焦げ茶色が広がっているのです。

「うっ、う、う、う……デジカメだ!」
私はそう叫ぶと、右足に靴を履きかけ、左足はまだ爪先だけ靴の中という状態で、今下りたばかりの階段を駆け上がりました。

部屋に行き、慌ててデジタル・カメラを袋から出すと、木の階段を下りながら、撮影モードの設定を『ベスト・ショット→ペットを写します』に切り替えます。
そして、石の階段に来た所で、急ぎながらも、大きな音を立てて被写体を脅かしてしまわないように、慎重にデジタル・カメラを構え、下を見ると……

「ああ、それじゃ撮れないよ」
さっきは外にいた焦げ茶の被写体が、玄関内の廊下部分一杯に、広がってしまっているのです。
焦げ茶しか見えない玄関内の、一体どこにデジタル・カメラの焦点を合わせたら良いのか、私が階段の真ん中で困っていると、その被写体が一声鳴きました。
「モ〜ッ」

ええ、そうです。
我が家の玄関に、大きな牛が入っているのです!
その牛1頭で、玄関の狭い空間は、ぱんぱんです。

その後、慌てて飛んで来た隣の酪農夫は、私が、怒るどころかデジタル・カメラを構えているのを見ると、笑って牛を連れて行きました。

そして、その酪農夫の笑い声に重なるようにして、私の大きな声が。
「うちの玄関に、牛が入っていた!」

……アルプスは今日も平和です。

2006年9月28日 (木)  ややこしい

「昨日から母の具合が悪くてね。かかりつけのお医者さんが、今休暇中だから、これから私の家に連れて行って、うちの方で見てもらおうと思うの。今夜戻るかも知れないし、2〜3日うちの方にいるかも知れないし、まだ分からないんだけど、もしもの場合を考えて、猫の餌を頼んで良いかしら?」

玄関を開けた私に、下の階に住むお婆ちゃんの次女M嬢が言いました。
「ええ、もちろん。お婆ちゃん、また薬が合わないなんて事、あるかしら?」
「ああ、それも聞かないといけないわね。じゃ、お願いするわね」
袋に入ったキャット・フードを預かった私は、台所の作りかけだったカレーに戻りました。

……おばあちゃんが手術したのは、確か去年の今頃だったっけ? 退院したお婆ちゃんとM嬢の3人で、一緒にお茶をしたのは夏だったな。……そういえばここ1、2ヶ月、お婆ちゃんがおかしな咳をしていて、気になってはいたんだよなぁ。
隠し味にカシス・ジャムを入れながら、私は、昨日お婆ちゃんの玄関に置いてあった、灰色の見慣れない杖を思い出していました。

「にゃ〜っ」
カレーが出来上がり、ホーム・ページの更新でもしようと、コンピューターを点けた私に、お婆ちゃんの猫C氏が鳴きました。
「あ、C氏、居たのね。ええと、どうしよう?」
一瞬、私と見つめ合ったC氏は、いつもの通りこそこそと逃げる素振りを見せました。

というのは、C氏は下の階の猫ですし、お婆ちゃんもC氏が私の部屋に入り浸りになることを心配して(焼きもちですね)いるので、「私は、私の部屋で、C氏に餌をやってはいけない」という決まりになっているのです。
ですから私は、C氏が毎晩、深夜だとか明け方だとかに私たちの部屋に来て、我が家の猫M氏の餌を盗み食いする度に、起き上がっては、C氏を玄関まで誘導していたのです。

C氏が逃げる“素振り”をしたのは、
私が深夜にC氏を玄関ではなく、中途半端な所に誘導した場合、C氏は、私がまた寝入るとこっそり戻って来て、餌を食べ始めるのです。
そして、毎晩C氏は、私が手抜きをするかどうか窺っているのですが、今もそれをしているわけです。

基本的には、私はC氏を追い払わなければいけないのですが、今日は、C氏の餌係りは、私です。
さて、どうしましょう?

「ま、いっか。ここで食べてくれれば、手間も省けるし。C氏、良いよ。食べな」
そう言って私がコンピューターに向かったにもかかわらず、C氏はやはりまずいと思ったのか、階段を下りて行きます。
「C氏、おいで。今日はお婆ちゃんが居ないから、ここで良いよ。ほら、食べな」

私が餌を見せて側によると、C氏はほんの少し逃げては止まり、また私が近寄ると、C氏はまた少し逃げ……。
結局私達は、お婆ちゃんの玄関前まで来てしまいました。

お婆ちゃんの玄関扉を開けるには、秘密の隠し場所まで、鍵を取りに行かなければならないのですが、室内履きのままで出て来てしまった私は、玄関前の石段に座り込むと、C氏に餌をやりました。

と、何処かでそれを見ていた、我が家のM氏がやって来ます。

M氏としては、みんつが餌をやるべき猫は、自分、M氏だけですから、当然その餌は、自分に与えられたものだと考えます。
毎日何度も部屋に入ってくるC氏を、みんつは追い払っているのですから、今だって餌は自分の物の筈です。

いつもは部屋の中で食べているM氏ですが、「今日は天気も良いし、たまには外で食べるのも悪くない」とでもいう風に、皿に頭を突っ込むと、C氏の躊躇もものともせず、かりかりと始めました。
「う〜ん、M氏、それはC氏のなんだけど。C氏、一緒じゃ駄目?」
恨めしそうに私を見つめるC氏。

「犬は人、猫は家につくもの」とはよく言いますけれど、
一つの家に猫が2匹。その猫2匹は仲良し。でも、餌をくれる人は別々、餌の場所も別々、だけど、たまには一緒のこともある。
こんな事情、猫には分かりませんよね?

……うー、困ったなぁ。

10月の日記へ