2010年9月3日 (金)  捨てる神あれば拾う神あり 5

               〜前回からの続き〜

「今度の水曜日だけど、空いてる?」
酪農家夫人M嬢からの電話です。

以前にも何度か書きましたが、私は約3ヶ月に一度、彼女の仕事(仔牛肉の袋詰め作業)を手伝っていて、一冬働いた牛舎というのも彼女の所です。

「うん、空いてるよ」
「今回は2頭分だから早く始めたいんだけど、起きられる?」
「はい、頑張ります! じゃ水曜日ね」

さて、水曜日の早朝。

屠殺解体場に向かう車内で、M嬢が言いました。
「で、畑に入った牛の件は、どういう具合なの?」
「あはははははは。やっぱり知ってるのね!」
いきなりの本題に、私は、思わず笑いました。

「貴方がどんな風に話を聞いているのか知らないけど、あの女性は酷過ぎるわ。私だってあんな言葉遣いは嫌いだけど、彼女に関しては、後悔していないわ」
私からざっと話を聞いたM嬢は、驚いたことにこう言いました。
「彼女はいつもそうなのよ。みんつが言い返したのは、私は、良いことだと思うわ。誰かがはっきり言ってやらないと、気付かないから」

実は、この日まで私は、この話を夫B氏以外にはしていませんでした。
というのも、村の人達は皆、何らかの形であの女性の関係者でしょうから、彼女から話を聞くはずです。
最初から彼女側の人間が、彼女に都合の良いような話を聞いたら、私が悪者になるのは自然の成り行きです。
仮にそういう人たちに私が話をしたって、曲解されるのがおちでしょう。

もし誰か、私側に立ってくれる人がいるとすれば、それは元々私のことを好意的に思ってくれている人か、物事を判断するときに自分で事実を確認してから判断する人で、そういう人は、彼女側からの話を鵜呑みにはしないでしょう。

私に事実を確認に来る人、自分の知っている私で彼女の話を判断する人、喧嘩両成敗で中立を守る人……そういう人と私は付き合えばいいのです。
ですから私は、敢えて何も言わずにいたのです。
そしてM嬢は、私に話を聞きたいと思ってくれたわけですから、ありがたいことですよね。

ところが、です。
袋詰め作業が終り、いくつものダンボール箱に詰った肉を運んでいると、M嬢の夫H氏が現われました。

この日は仔牛2頭分ですから、量もありますし、幾つかの顧客宅には直接届ける分もありますので、M嬢・H氏夫妻は車2台で地域分担をすることにしていたようです。
そして私は、H氏の車で送ってもらうことになりました。

「みんつ、調子はどうだ?」
走り出した車内で、H氏が聞きます。
「うん、結構良いよ。肉詰めも問題なく終ったし」
「みたいだな。M嬢は、みんつと働く方が上手く行くからって言って、俺はお呼びじゃないんだ」
「仕事取っちゃって悪いね」

「ところで、牛が庭に入ったんだって?」
またもや突然の展開です。
H氏までも、私に直接話を聞きたいと思ってくれていたとは、少々驚きです。
実は私、H氏はちょっぴり事なかれ主義の気があるかと思っていたので、こういう他人のもめ事などは、聞きたがらないと思っていたのです。

「ふん、行きの車でM嬢にも聞かれたわ」
「何があったのか、話してみろよ」
私は、朝M嬢に話したよりももう少し詳しく話をし、最後にこう付け加えました。
「私自身良いことをしたとは思ってないけど、あの時はあれ以外出来なかったし、後悔はしていないわ」

するとH氏は、もっと驚くことを言いました。
「彼女はいつもヒステリックなんだ。旦那と上手く行ってなくて、そのとばっちりが他所に行くんだ。みんつがどうこう、ってわけじゃないと思うぜ」

びっくりしている私にH氏が続けます。
「彼女と俺は、お互いの長男の代父母なんだ」

                  〜次回に続く〜

2010年9月29日 (水)  捨てる神あれば拾う神あり 6

                 〜前回からの続き〜

スイスでは、子供が産まれたときに『代父母』を立てる習慣があって、それはどういう具合かといいますと……

昔は、子供の両親が亡くなった場合、代父母がその子供を引き取り、両親に代わって育てたのです。
子供がたくさんいる場合は、各子供にそれぞれ代父母を立てます。

例えば我が家で言うと、夫B氏は彼の兄であるC氏の三男の代父です。
代母は確か、C氏の妻J嬢の友人だった様な記憶が。
ですから、C氏夫妻に何かあった場合、我が家(もしくはJ嬢の友人夫妻)が三男を引き取りますが、長男・次男はそれぞれの代父母がいますから、そちらに引き取られます。

まぁ、これは皆が貧しかった昔の話ですから、現在は単なる形式だけの代父母で、誕生日にプレゼントを贈るとか、洗礼式に出席するとか、「お前を気に掛けているよ」ということを示す程度です。
もちろん両親に何かあっても、三兄弟を引き離して、などいうことはありませんし。

ただ、そういう事情ですから、今でも自分の子供の代父や代母を頼むということは、その相手と深い関係にあるということには、変わりありません。
「この人物になら我が子供を托しても良いかな」「この人の子供なら、我が子として面倒を見ても良いかも」ぐらいには思える、お互いに信頼できる相手なわけです。

ですから、H氏と例の女性がお互いの長男の代父・代母ということは、2人が近い親戚関係にあるか、とても仲の良い友人関係にある――少なくとも、子供が産まれた時点ではそうであった――ということです。

ということは、私との話をH氏は彼女から直接聞いたと思われます。
そのH氏が、私にも直接話を聞こうと考えてくれたということは、ありがたいことですよね。

で、私は、正直に気持ちを言いました。

「私はよそ者の新参者だから、村の中の人間関係とか知らないけど、貴方達夫婦には、色々としがらみもあると思うの。
好き嫌いとか、どっちが正しいとか、そういうことを超えて付き合って行かなければならない相手とか状況があると思う。
だからもし貴方達が、私かそういう相手、例えば今回はあの女性よね、そのどちらかを選ばなくてはいけない状況になったら、私のことは切って構わないから。
私と付き合っていることが、村における貴方達の立場を不利にするなら、自分たち第一で考えて。
私は引っ越せばいいけど、貴方達は、これからもここに住まなくちゃいけないんだから」

するとH氏は言いました。

「余計な気を回さなくて良いさ。他人が何を言おうが関係ない。
俺たち夫婦は、みんつが気に入っているから付き合っているだけだし、これからもそうさ。
彼女との関係は、実際良くないんだ。
俺はあっちの長男と親しくしているし、悩みがある時もちゃんと相談に乗っているのに、彼女はうちの息子になにもしないんだよ。
代母といっても、もう何年も名前だけだ。
俺たちが誰と仲良くするか、他人には関係ない」

そして、家に付いた私にH氏は、また言いました。
「もう少しみんつに時間を割いてやりたいとは思っているんだけど、なかなか忙しくて悪いな。たまにはお茶でも飲みにおいで」
「うん、そうする。じゃ、送ってくれてありがとう。さ〜て、ステーキ食べるぞ〜」

例の女性と一番近しい関係にあるであろうM嬢・H氏夫妻が、特に彼女の味方でもないとするならば、今回のもめ事は、まぁ、心配要らないということでしょう。

この日の私は、少しばかり嬉しい気分になり、「こういう村で暮らしていくのも、満更でもないかな」なんて思ったりしました。

                     〜次回に続く〜

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